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2024年みてよかった映画特集

年が明けて仕事も暇な期間の恒例行事になってきました。
僕の前年映画ランキングも3年目に突入です。

果たして読んでくれている人がいるのか?
これを読んで映画を見てくれた人はいるのか?
俺に友達は何人いるんだろう・・・

そんなわけで3年坊主にならないように今年も好き放題書いていこうと思います!

今年は142本の映画を見てました。なんと2023年と全く同じ本数!

今年もカウントダウン形式で心に残ってる10本を紹介します!

その前に-------番外ワースト編

今年僕が「はぁ?」と思った映画紹介
2本ありますが言いたいことは大体一緒なのでまとめます。

細かい内容は各々映画をご覧になってくださいとしか言えないのですが、この2本に共通する僕の「は?」なポイントは

公共に関わる物事や公職の問題が、個人の感情のエモさでなんとなく丸く収まることです。

「ラストマイル」に関しては、末端の配達員が爆発から親子を救い、なんとなく「働いてる人に感謝」みたいな結末になりましたが
配達員の時給が十円アップしたくらいなだけで、作中の事件の問題になった「倉庫の労働環境」は一才改善された様子がありません。
しかも保身のために物流を止めなかったり、データを改竄したり、取引先に対して圧力をかけた満島ひかり演じる主人公は何もお咎めなしという・・・

まじでなんで許されてんだ・・・

映画の頭とケツで実は状況はほぼ変わってないどころか結局末端が無理させられ続けるだけなのでは?という脅威の"事勿れエモ"作品でした。


「朽ちないサクラ」は
「警察官って、自分の正義を貫くことなんじゃないですかね。」とか言ってみたりする若手警察官が出てきたり
自分の保身の為に記者の友達を口止めしたり、陰謀論的な憶測レベルで「あなたが!公安が!やったんでしょ!」とか不用心に糾弾したりする捜査権もない警察広報職員の主人公が、スッタモンダの後に「これから警察官になる!」と決意するとんでもない作品でした。

「警察官て、自分の正義を〜」と宣う
ソーシャルグッドキラキラバカ

警察が個人的な正義や憶測で動くことは何より危険だと思うので是非やめていただきたいと思いました。


では本題2024年TOP10紹介です!
(※多少作品の内容に触れます)

10位

「ルックバック」(2024/日本/押山清高 )

爆泣きでした

「少年ジャンプ+」で公開された同名読み切り漫画が話題となり、劇場アニメになった今作。
僕自身もTwitterで流れてきたものを読み感動したのを覚えています。

公開当時の漫画の表紙

あらすじです

学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートから絶賛され、自分の画力に絶対の自信を持つ藤野だったが、ある日の学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生・京本の4コマ漫画を目にし、その画力の高さに驚愕する。以来、脇目も振らず、ひたすら漫画を描き続けた藤野だったが、一向に縮まらない京本との画力差に打ちひしがれ、漫画を描くことを諦めてしまう。

しかし、小学校卒業の日、教師に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで初めて対面した京本から「ずっとファンだった」と告げられる。

漫画を描くことを諦めるきっかけとなった京本と、今度は一緒に漫画を描き始めた藤野。二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思いだった。しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる…。

公式HPより

58分という短い上映時間の中に、「何かを作ること」への衝動・喜び・苦しみ・悲しみ・挫折・それでも続けたい気持ち。
何かに熱中したことがあったり諦めたことがあったりする人の多くが共感するであろう感情が、素晴らしい作画表現と共に描かれていて
「自分の感じていたことが受け止めてもらえた」と背中を押された気持ちになった人はとても多かったのではないでしょうか。
僕ものその1人です。

特に藤野がコンプレックスの根源だと思っていた京本に会った直後の、雨の中での喜びのスキップシーンは、漫画の映画化表現としても、ものを作る上での自己肯定感の発露の表現としても、これ以上ないほどに素晴らしかったと思います。

どのように描かれたかは映画を見てみてください

さて、僕が今作に最も感銘を受けたのは今作後半に起こるある事件以降についてのことです。

漫画公開当時、犯人は「俺の作品をパクっただろ!」と犯行時口にしていました。
その後何度か修正され、今作では「展示に俺の絵をパクったのがあった」という趣旨のものになっています。

漫画公開当時も、「2019年の京アニ放火事件の追悼ではないか?」と話題になったと記憶しています。
僕は当時はあまりそう感じず「あるある」みたいな感じで犯人を似せただけなのだと思ったりもしました。

しかし、今回の劇場版に僕は追悼としての気持ちをはっきり感じました。

https://music.apple.com/jp/album/light-song/1751243365?i=1751243381

事件の後、藤本の見る「if」の夢。
その夢から醒めた後もなお描き続ける背中。
エンドロールで流れる、鎮魂歌のようなharuka nakamuraとuraraによる 「light song」を聴きながら、事件で亡くなった36人の人達のことを考えました。

その人達には家族がいて、友達がいただろう。
その中には本作の藤野と京本の様な関係だった人達もいるかもしれない。

「私が誘わなければ」
「絵を勧めなければ」
「絵を褒めなければ」
「そもそも絵を描かなければ」
「なんで私は生き残ってしまったんだろう」

一鑑賞者でしかない自分が言うのもおこがましいし、傲慢だとも思いますが、遺族や関係者の方々が抱えてしまっているかも知れない、どうしても考えてしまうであろう、やり場のない罪悪感や後悔や悲しみが、少しでも安らいでくれたらいいなと、思いました。

エンドロールで追悼文が出るわけでも、何かが明言されてるわけではありません。
事件の描写には原作時点から「事件のエンタメ消費では?」との意見もあった様ですが、今作の画面から伝わる描写の繊細さや配慮や熱量を見る限り、僕の目には追悼として、そしてそれでも尚作品を作り続ける方々の背中を支える作品に見えました。

個人的に「映像化による感じ方の変化」をここまで感じたのは久しぶりでした。映画という表現の素晴らしさを感じられる傑作だと思います。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0DH28ZZY2/ref=atv_dp_share_cu_r

未見の方はこちらからぜひ


9位

「ミンナのウタ」(2023/日本/清水崇 )

LDH!!!!

「ルックバック」とのあまりの落差(?)に申し訳ないと思いながらも
好きなんだからしょうがない
自分の「好き」には正直でいたい・・・

ということで、当時映画館で毎回のように流れて苦笑いしながらも、何回見てもラストカットのメンディーのシーンで絶対にびっくりしてしまった予告がこちら。

あらすじです

人気ラジオ番組のパーソナリティを務める小森は、収録前にラジオ局の倉庫で30年前に届いたまま放置されていた「ミンナノウタ」と書かれた一本のカセットテープを発見する。
収録中に不穏なノイズと共に「カセットテープ、届き…ま…した…?」という声を耳にした彼は、数日後にライブを控える中、突然姿を消してしまう。
マネージャー凛は、事態を早急且つ秘密裏に解決するため、元刑事の探偵・権田に捜査を依頼。
失踪した小森が「女性の鼻歌のような、妙なメロディーが頭から離れない」と言っていたことが判る。
リハーサル中に他のメンバーたちも“少女の霊”を見たと証言。
ライブ本番までのタイムリミットが迫る中、メンバー達は捜索に乗り出す。
やがて、少女の霊の正体は、“さな”という女子中学生だということが判明するが、彼女が奏でる“呪いのメロディー”による恐怖の連鎖が始まり・・・。
一体、彼らに何が起こっているのか? この先に待ち受ける、 想像を絶する結末とは───!?

公式HPより

言ってしまえばよくある「呪い連鎖もの」なのですが、今作のユニークさは3つあります

  • 1, 時代にそぐわぬ呪物

今作の呪物は”30年前のカセットテープ"

「リングと同じじゃん」と思うかもしれませんが、今作の舞台は2023年。

「リング」の頃はVHSはまだ一般的であったため恐怖に身近なリアリティがありましたが、リバイバルしてるとはいえ現代にカセットは最早ファンタジーでしょう。
しかし、そこには確かにあるのです。
エモが・・・(アナログってやっぱりホンモノ感あって怖いですよね)

ちなみに公式HPのデザインも昔の個人HP風

ここら辺に僕みたいな
「乗るならカセットオーディオ車がいい」
「キリ番とか懐かしぃぃぃぃ」
「前略プロフやってた!?」とか飲み会の度に言ってる過去から出れないおっさん
がホイホイ引っかかるわけです。

実際、カセットは発端なだけで、その後は各々勝手に呪いの旋律が聞こえ出してしまうのですが・・・

呪物いらねぇじゃん!!!

  • 2, Jホラー作品からの明らかな引用

監督は「Mr,Jホラー」ともいうべき清水崇なので引用も何もないわけですが
今回もなかなかに怖かった・・・

ただの家が怖い・・・
間取りが怖い

ここら辺はさすが「呪怨」の清水崇です。
日本家屋の怖さを描かせたら右に出るものはいないでしょう。

また、いきなり出てきてドーン!!!みたいなジャンプスケアに頼る最近のホラーと違い
「ただ立ってるだけ」「変な動き」でゾクゾクして声が出そうになるみたいなのも多くてよかった。

モゾモゾ
じっ・・・

そして予告シーンの「ザ・ショック」のオマージュをはじめさまざまなオマージュがあるのですが
今作一番怖かった、そして嬉しかったのは
「呪怨 白い老女」最恐ループシーンのオマージュが入ってたことです。

個人的Jホラー最恐シーン
「白い老女ループ」

呪怨「白い老女」の監督脚本は、スクリプトドクターの三宅隆太さんなのですが、三宅さんのポッドキャストを愛聴していたのでとてもとても嬉しかった。

今作n今作のループシーンもめちゃくちゃ怖いです
  • 3, 同情しづらい元凶霊

ここがなかなかに盲点でした。
あの「リング」でさえ、元凶霊である貞子の悲しい生い立ちには色々と同情の余地があったというか、むしろこちらが身を改めなければならないという。ーー幽霊モノとはむしろ悲しき犠牲者たる幽霊を通して「本当に怖いのは・・・」をするもんだという思い込みが僕の中にありました。

新たなホラークイーン「サナ」

本作の元凶霊である「サナ」は生前からカセットテープにさまざまな生き物(人間含む)の"最期の音"を記録して「私の夢は私のウタをみんなに届けて、みんなを私の世界に惹き込むことです。」とか作文に書いていた困ったちゃんなのですが

「家庭環境の影響でおかしくなったのかな?」とか
「イジメで病んじゃったのかな?」とか
匂わせたりこそすれ、終わってみれ「そもそも生まれつきのサイコパスやないか・・・」と思わずにはいられないのです。

こいつナチュラルボーンじゃねぇか・・・

この設定?によって「歌に夢を持ってるけど虐待やイジメが原因で亡くなった女の子」を歌の力で助けたいんだ!という、それこそ「歌や夢を届ける事を生業としてるLDHがファンに対する応援メッセージをホラーにのせてやろうとしてるじゃん!いいじゃん!」という、安い宣伝映画にならず

"ただただ「サナ」に蹂躙されていくメンバー"という構図を作り出し、甘さなしのぶっといホラー映画になったと思います。

ラストなんか現実でコンサート乗っ取られちゃいますからね。マネージャーが「サナ」を助けて手を差しのべたばっかりに。
「サナ」は一気に万人規模を自分の世界に取り込めたわけです。

サイコパスちゃんの夢も叶えてあげるLDHの懐は深ぇなぁ〜。代表のHIROさんもHPの挨拶文にこう綴っております。

【夢はファンタジーではなく、リアルな力になる】

というわけで普通にJホラーの歴史の中でも上位に食い込めると思うほど面白かった「ミンナノウタ」
アイドル主演への先入観あり
で見てキッチリくらって欲しい作品です!

「ミンナのウタ」をU-NEXTで視聴 https://video-share.unext.jp/video/title/SID0095109?utm_source=copy&utm_medium=social&utm_campaign=nonad-sns&rid=PM039518639

続編「あのコはだぁれ?」も面白かった!

8位

「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」(2024/アメリカ/トッド・フィリップス )

なんだかんだ見てしまいました。
もはや僕が何かを説明する必要はないと思いますが、バットマンにもジョーカーにも特に思い入れがないただ一人の映画好きの感想として読んでもらえたら嬉しいです。

僕が今作を通して考えたのは
「アメリカ社会にとってスターとはなんなのか」
ということです。

ーーー映画はなんとアニメーションからスタートします

アニメシーンは監督はなんとシルバン・ショメ!!

”私と私の影”というタイトルから既に
「この映画はアーサーと彼の影であるジョーカーの話」であり、内容から「自身の影(虚像)に苦しめられる話」だということが示唆されます。

そしてもう一つこのアニメにはこの映画を読み解くのに大切なものが写っています。

アーサーの影が歩く廊下には何枚かのミュージカル映画のポスターが飾られており、そのうちの一枚に「バンドワゴン」という作品があります。
これは劇中、アーサーとリーが刑務所で見ていた映画であり、劇中何度か歌われた「That’s Entertainment」もこの映画の歌です。

「バンドワゴン」はざっくりいうと
落ち目となったスターが新時代のミューズと再び成功を収めるお話。

おちぶれたアーサーがリーとの出会いによってまたスター=ジョーカーに返り咲く話になるのか!と期待が高まりました。

しかし、一筋縄に行かないのが前作でも鋭い群衆風刺を世に叩きつけた「トッド・フィリップス版ジョーカー」です。
中盤から法廷劇になり、そこから今作のテーマはさらなるフェーズに移行します。

まさかの法廷劇

中盤からの裁判シーン。
アーサーは「弁護士を解任して自己弁護をする」など奇想天外な行動で人々を驚かせ、テレビ中継も相まって同時に信者も増やします。

テレビは彼の裁判の話で持ちきりです

この展開はアメリカ社会におけるテレビとスターの歴史において決して素通りできない人物を浮かび上がらせます。

どことなく裁判シーンのアーサーと似ている気がします

1970年代を中心に、全米各地で若い女性を猟奇的に殺害したシリアルキラー、テッド・バンディです。

彼の裁判は史上初めてテレビで中継され、また「弁護士を雇わず自己弁護」したことや、IQの高さを窺わせる話し方、容姿などから“プリズン・グルーピー”と呼ばれる女性ファンまでがつき、数百に及ぶファンレターをもらい、ついに獄中結婚までしました。
まるで今作のアーサーとリーの様です。

稀代の殺人鬼がスターになり、犯罪が「エンターテイメント化」された出来事でもありました。

バンディの死刑執行を信じない人間が多数存在したため、新聞の一面に彼の遺体のカラー写真が大きく掲載されるまでになりました。

「Killer dies with a smile on his face(殺人鬼は微笑みを浮かべ死んだ)」


スターシステム時代によって栄華を極めた「ミュージカル映画」
サイレント〜トーキーへの社会の転換で誕生したスター"光"であるならば、混沌とした社会の要請でスターになった前作のジョーカーやテッド・バンディはまさしく"影"でしょう。

「必要なんだろ!ジョーカーが!」
と物語終盤、アーサーは歌いました。

本当はジョーカーなど存在しない。
そこにはアーサーという一人の人間が存在するだけなのに、誰も彼もが、映画の鑑賞者までも"ジョーカー"を、"スター"を求める。
そこに「エンターテイメント」を求めるのです。

スターが社会を反映し、時代と文化を作ってきたのは事実です。しかし、スターというのは限りなくその人個人の実態を欠く虚像であり、光と影は恐ろしく一体だと思います。

裁判の終盤、アーサーはジョーカーの人格を否定し、「自分は一人のなんでもない男にすぎない」と認め、その後信者による法廷爆破事件が起きます。

明らかに2021年、トランプ支持者による議場乱入が念頭にあったと思わせるシーンです。

スター信仰がエンタメならまだしも、犯罪や法律・政治家など、本来公正や正義の名の下にあるべきものにまで侵食し、暴走した群衆が取り返しのつかないところまでいってしまう。

そこまで来てしまっているのが、今のアメリカではないでしょうか。
その兆候が昨今の日本でも見られるのも非常に危惧すべき状況だと思います。
この映画はアーサーのラストや新たに生まれるであろう"ジョーカー"を示唆しながらその事への警鐘を鳴らします。

「ザッツ・エンターテインメント。だがエンターテインメントにしてはいけない事があるのだ」と。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0DH2WPMWZ/ref=atv_dp_share_cu_r


7位

「最後まで行く」(2023/日本/藤井道人 )

いいポスター

おそらく去年の鑑賞作品で一番の驚きとアドレナリンを与えてくれました。
『予測不可能の96時間ノンストップエンターテインメント誕生――』のキャッチコピーの通り、劇中の4日間はまさにノンストップ。

ひとまず予告編とあらすじです

(本編は予告の50倍ハチャメチャです)

年の瀬の夜。刑事・工藤(岡田准一)は危篤の母のもとに向かうため、雨の中で車を飛ばす。 心の中は焦りで一杯になっていた。 さらに妻から着信が入り、母が亡くなった事を知らされ言葉を失う。 ——その時。彼の乗る車は目の前に現れた一人の男をはね飛ばしてしまった。 必死に遺体を車のトランクに入れ立ち去る。そして母の葬儀場に辿り着いた工藤は、車ではねた男の遺体を母の棺桶に入れ、母とともに斎場で焼こうと試みた。 ——その時、スマホに一通のメッセージが。 「お前は人を殺した。知っているぞ」 腰を抜かすほど驚く工藤。 「死体をどこへやった?言え」 果たして、前代未聞の96時間の逃走劇の結末は?

今作は同名韓国映画のリメイクなのですが、僕自身全くそのことも知らず、全く前情報なしで見始めたので
岡田准一演じる救いようがない超おバカな刑事と、綾野剛演じる頭よく物事を運んでると見せかけて超行き当たりばったりな監察官による、息つく間もなく突き進む逃走劇に、『最後までいっちまえー!!!』とすっかりのめり込んでしまいました。

何をやってもうまく行かない岡田准一
頭がいいのは見た目だけだった綾野剛
全部持ってく柄本明

正直、あらすじすら読まず見て欲しい映画なので詳細な感想は省きます。

一応物語的に陰謀めいたことはあるにはあるのですが
”三手先まで考えてるように振る舞って実は一手目すら考えてないアホの子二人"戯れあってるのを側から見てるのがこんなに楽しいんだなと思いました。

アホの子二人

ラストも『最後まで行く』のタイトルに偽りなしの最高のエンディング。
ぜひ見てみてください。

https://www.netflix.com/jp/title/81650217

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0DJB5TPZJ/ref=atv_dp_share_cu_r

「お前の娘を預かった」との脅迫電話に
「嘘つけバーカバーカ!」と悪態をつく岡田くん
この後の展開には去年一番笑いました

6位

「美しき冒険旅行」(1971/イギリス/ニコラス・ローグ )

素晴らしいジャケ

そのタイトルの美しさに惹かれ、ずっとみたいと思っていた本作。
Blu-rayを購入するも『ミンナノウタ』などをみてキャーキャー言ってる間にすっかり脳みその皺が減ってしまっていたため、なかなか真面目な映画を見るタイミングを掴めずにいましたが、やっとタイミングが訪れ鑑賞となりました。

原題の「WALKABOUT」とはアボリジニの通過儀礼の風習で、男子が16歳になると部族を離れ、一年間自力で暮らさなければならないというものです。

映画は都会の喧騒や”文明的な暮らし”の描写から始まり、程なくして父親の謎の無理心中から逃れ、砂漠に放り出される姉弟の放浪の旅がはじまります。

方角もわからない放浪の旅
素晴らしい景色

食料も水も尽きかけたその時、ウォークアバウト中のアボリジニの少年が現れ、かつての池が干上がった地面に木の棒を突き刺し、水源を掘り当て飲み水を出してくれました。

蛇口がなくても水は出るのでした

その後も、言葉が通じないながら一緒に狩りをしたり池で泳いだり、遭難してるとは思えない生活を3人は続けます。
特にまだ幼い弟はジェスチャーだけで彼と意思疎通が可能なまでになります。

ちなみに今作
彼らが狩りをしてる時には文明人の銃による狩猟
池で泳いでる時にはリゾートプールの映像
が流れるなど、徹底して彼らの原始的な生活と元いた"文明社会"の対比がなされます。

同じ「狩り」なのにとても恐ろしく見える銃による狩猟
"文明"は自分の身の危険を最小限にして一方的に(1人が数匹を)簡単に殺せる方法を編み出しました

さて物語はラスト、ある廃墟化した家にたどり着きます。
アボリジニ少年はそこを旅の終着点とし、居を構える覚悟をし、二人を家族として迎えようとします。

言葉はまだ通じませんが伝えようとする少年

結末がどうなったのかは是非みていただきたいです。

美しい自然の風景と、動物の数々。
繰り返される"文明"社会との対比

彼らの旅を通して僕ら鑑賞者も共に成長し、生活し、そしてどうしても考えさせられます。

槍や素手で動物を狩る事と、銃で狩る事は何が違うのだろう。
プールで泳ぐ事と池で泳ぐことは何が違うのだろう。
水道を捻って水を飲む事と、地面を掘って水を啜る事は何が違うのだろう。
洞窟の住居と、間取りが仕切られた住居は何が違うのだろう。
姉弟と少年の埋まらない溝はなんなのだろう。


現代では文句がついて公開できなそうなシーン(どれも物語・テーマ的に必要不可欠である)が多く出てきますが、そうしたシーンと"文明人"の行いを交互に見続けていると、僕らが"文明"と称して手に入れた"人間らしさ"というものが、いかに後付けで言い訳に満ちた欺瞞であり、失った物のなんと多い事だろうと思わずにはいられません。

「美しき冒険旅行」をU-NEXTで視聴 https://video-share.unext.jp/video/title/SID0094328?utm_source=copy&utm_medium=social&utm_campaign=nonad-sns&rid=PM039518639


5位

「Chime」(2024/日本/黒沢清)

超楽しみにしていました

2024年は空前の黒沢清イヤーでした。
セルフリメイクである「蛇の道」(クソでした)
完全新作で菅田将暉主演の「Cloud」

どれもこれも清汁(きよしじる)120%で大変楽しくみさせていただきました。(フランスでの制作のためか全くきよし感が出ていなかった蛇の道以外)

その中でも僕が大変気に入ったのが本作の「Chime」
まずポスタービジュアルが最高にかっこいいのと、尺がなんと45分!!!

本作はメディア配信サイト・Roadstead オリジナル作品第一弾として「自由に作品を制作してほしい」というオーダーから作られた作品で、Roadsteadで限定販売されるというニュースが流れていたのですが、完全に忘れかけていた頃に劇場公開の報が届きました。

鑑賞した結果を言いましょう。
「配信で見なくてよかっったぁぁぁ!!!!!」

そう思った理由に、まず黒沢清映画の怖いところとして個人的には「空間の怖さ」がありました

お料理教室が怖い
家が怖い

とんでもなく光の表現が繊細なんです。
「根源的に怖くなるライティング」「根源的に怖くなる奥行と死角」の合わせ技をやってきやがる感じというか・・・
しかもなんかずっと「ブーーーーん」って低い音が鳴ってやがる気がするんですよ。

なんかずっと「ブーーーーーん」って鳴ってる

この映像と音響の怖さは映画館で見て最大の効果が発揮されると思いますし、本当に味わえてよかった。
ずーーーーーーっとなんか怖かったです。

もう一つの理由は僕個人映画館ではより内省的になれるということです。

今作、一流シェフだと自分では思いながらもお料理教室の先生である松岡が主人公。彼の教室に通ってる田代くん(上記画像の男)が「チャイムが聞こえる。僕の脳は半分機械」と電波なことを言い出したところから、とある事件を起こし、お料理教室は半ば閉鎖に。

松岡の日常が少しずつ壊れていきます。

あの頃のお料理教室は楽しかった

「日常が少しずつ壊れていく」と書きましたが、映画が進んでいくと
”彼の日常はそもそも限界だったんじゃないか?”という思いに駆られます。

うまく叶わない夢。
うまくいかない家庭。
溜まっていくドス黒い感情。
爆発を告げるチャイム。

自分のドス黒い物を折り合いをつけて隠していた安定の場(今作では料理教室)が奪われた時、それは爆発し生活が自分が崩壊する。
その崩壊へのチャイムが、僕のドス黒い物にもずっと静かに共鳴していて「これはあんまり見続けるとヤバい・・・」という感覚がずっと続きました。

自分の中の得体の知れないところに、ズカズカ入り込んできて、それを取り出されてムギュムギュされる感覚が常に僕を襲いました。
いつ、誰に聴こえてもおかしくないチャイムの恐怖。
是非体感してもらいたいです。
45分という尺がまた濃縮還元でした。
ずーーーーっと見ていたいと思うのにちょうどいい尺でした。

下記よりレンタル・購入可能です。


4位

「猿の惑星シリーズ」(1963〜1973/アメリカ)

今年一番見てよかったぁーと思えたシリーズでした。
お恥ずかしながら1作目とティムバートン版以外は見たことなかったのです。

見返すきっかけとなったのはこちらの件

馬車を引かせたり
乗馬(軍隊)を教えたり
ピアノを教えたり

いやはや「胃が痛くなった」のはこっちでしたよ。

普通に社会を生きていて、コロンブスのやったこと云々を知ってる知らないは置いておいたとしても、「貴族のカッコして"隷属"させ"教化"してる」表現を、風刺や皮肉の意味をも全く含まずにやることがヤバい。という考えにならない意味が全く分かりませんが、まぁ社会や権力に関して何もわからない「Jロック」なのでしょうがないでしょう。
日本自体が義務教育過程でそのことを全く教えてないので無理もないことです。

上記MVを見てすぐに、「ディレクター及び美術は猿の惑星見てるんじゃねぇか?はて、あれはそんな映画だったか」と思い鑑賞に至りました。

見直した結果「見てない」or「美術やストーリーなど表面だけ見て全く理解できてない」の二択だと思いましたが、おそらく「見てない上に見た
とこで理解もできない」
だと思います。

猿の惑星(1968年)

さて、このシリーズは1968年に公開された1作目から始まります。
もうこれだけ有名な作品でネタバレも何もない(見てない方が悪い)と思うので言ってしまいますが

現在よりはるか未来、アメリカ人の宇宙飛行士達が降り立った惑星では、類人猿が喋り文明を築き、逆に人間は喋れなくなり人体実験をされたり迫害されているという場所でした。ていうか核戦争で文明が失われた未来の地球でした。

人類のバカっ!!

2作目の「続・猿の惑星」では、ウヨってるゴリラ達に追われたり、猿の科学者と恋に落ちたり、ミュータントになった人類と会ったりしながら脱出の道を模索しますが、ラストには地球が爆発します。

いつの時代もウヨる奴は生まれる

「地球爆発したら話終わりじゃん!!!」と思うかもしれませんが
映画は芸術、そして芸術は爆発』なのです。

現代の地球に来ちゃったよ!

ということで3作目「新・猿の惑星」では、爆発の衝撃で猿達が現代の地球にタイムスリップしてきます。

1.2作目は「アメリカの植民地主義と核兵器の脅威」に対する映画という側面が強かったですが、今作以降「権力勾配の入れ替わりと差別」へとテーマが移っていきます。

1作目、上陸してすぐに国旗を立てる宇宙飛行士
先住民がいるかもなのに傲慢ですね
かつて自分がされたことをされて味わう恐怖

最初こそ喋らないようにしてた猿達ですが、あまりに動物的な扱い(1作目で自分が人間達にしてたことですが)に耐えられず言葉を発してしまい、猿に征服される地球の行末を言ってしまったことから、人間達はこの「喋れる猿」の血筋を絶えさせるため「直接この二人がその歴史を作ったわけでもないのに」二人を殺そうとします。

異文化を、相手が少数にも関わらず過度に恐れ、共生どころか差別・迫害・抹殺してしまおうという考えは古今東西、そして現在の世界でも日本でも悲しくも繰り返されてしまっています。

子供も種族根絶の対象になります

4作目「猿の惑星・征服」では、猿が人間のペットとして飼われていましたが、調教次第で人間並の仕事ができることが判明したため、調教施設を使って調教し、反抗的な猿には処罰が行われています。

お茶汲みを教えられてます

もうこの時点で件のMV製作陣が今シリーズを見てないことは確定です。
見てたとしたら読解力が皆無なことが確定なので、今すぐメインストリームでの映像制作をやめるべきでしょう。

掃除を教えたりな調教シーン
件のMVとやってることは同じだよ!
何が違うか考えてみよう!

件のMV批判へのアンサーとして、「差別的な内容、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図も、類人猿を人に見立てたなどの意図も全く無く、ただただ年代の異なる生命がホームパーティーをするというイメージをしておりました。あくまでフィクションとしての映像作品。」と言いました。

唖然として言葉も出ないシーザー

「ただのフィクションでーす」とは、数万人に表現を届ける人間として致命的な自覚の欠如でしょう。
「意図があろうとなかろうとそう見えた」ことが問題なんです。
だって意図なんて後からなんとでも言えるから。

さて、では本作「猿の惑星・征服」は意図はどうあれ表現の方はどうなっているかと言いますと、、、

そりゃそうだよね

あまりに不当な扱いに怒りが爆発した猿達はとうとう暴力での反乱を起こしてしまいます。

未来には対立するゴリラ達も共闘!

「じゃあなにか?本作は暴力革命を礼賛しているのかね?」
こう言う指摘がもちろんあると思います。
そこでこの映画は「いやその意図はなくて・・・」とは言いません。
しっかり作中に表現でのアンサーをします。

革命のリーダーであるシーザーと仲の良かったマクドナルドという人間が最後に忠告します。

「奴隷の子孫として人間らしさを乞う。こんなやり方は間違ってる。暴力は憎しみを生むだけだ。なんの権利で殺すのか。こんなやり方で自由は勝ち取れない。」

シーザーがどう答えたかもとても重要なのでぜひ見てほしいです。ある方の評文が素晴らしかったので共有します。

暴力では決して、平和を掴むことは出来ない」これは歴史が証明している。暴力では支配者と奴隷の関係性を入れ替えることは出来るが、平和を手に入れることは出来ない。しかし、その事実を忘れ、歴史は繰り返される。そんな繰り返してしまう歴史への諦めに近い感情が本作を支配している。だからシーザーの革命にはカタルシスはなく、恐怖と悲壮感だけが漂うのだ。

劇場からの失踪

5作目である「最後の猿の惑星」でサイクルが一周します。

結局人間達と同じことをしてしまいます

権力は猿に移り、人間達は召使としてのみ共存しています。

リーダーであるシーザーは人間を解放して共存できる道を模索しますが、マクドナルドが言う通り、暴力で勝ち取った平和は決してあり得なかったのです。

地下に潜伏している人間達は猿撲滅の戦闘準備を、猿社会の中でも、柔和策を取りたいシーザー陣営に対して、人間達への強硬策を進めたい極右ゴリラ達による権力奪取の動きが起きたりしてしまいます。

遂に人間達が猿の村に攻め込んできて、全面戦争となり、猿達が勝利しますが、村にいる人間達を解放し殺戮の歴史を止めたい猿達人間を抹殺したい極右ゴリラ達で対立が始まります。

シーザーのある選択で物語は終局します。それから600年後の未来では人類と類人猿の子供達が、このシーザーの物語を一緒に聞いていたのでした。

「今、猿と人間は希望の未来を待って仲良く暮らしている」と締められる本に対して、その中の子供の一人は「未来がどうなるかまだわからないじゃん!」と言います。

さて、本シリーズは「一度してしまった差別の終わらなさ」を浮き彫りにしてきました。
いくらでも共存が可能なタイミングはあったように思います。

本シリーズから50年が経った現代はどうでしょうか。
マイノリティが声を上げ、差別によって作り上げられて行き詰まった社会構造と経済危機”少しの理解”によって変革できる可能性はいくらでも転がっているのに、いまだにマジョリティは"差別によって作り上げられた社会構造"を維持しようとしています.

権力層の性別格差。
労働現場での人種格差。
マジョリティだけが権利を得られる法制度。
マイノリティを同化させることによる文化の根絶。
そこで産まれる憎悪の応酬。

「未来の社会がどうなるか」
憎悪で滅んだり迫害の応酬をし合う未来ではなくすことが出来るのかは、今社会の決定権を有しているマジョリティに掛かっていると僕は思います。

現代リメイク版では、旧作とはまた別の形猿の惑星化が進行します。
経済至上主義や排他的ナショナリズムへの傾倒。
属性を一緒くたにして差別する口実としてのデマ煽動や歴史改竄
など、現代で見落とせない警鐘が盛り沢山です。

しかし僕は忘れないでいたい。
全てはマジョリティーによるマイノリティ迫害から始まっているのだと。

ディズニープラスで全作視聴可能です!
https://www.disneyplus.com/ja-jp/browse/search


3位

「清作の妻」(1965/日本/増村保造)

猿の惑星の解説の〆として、"差別によって作り上げられた社会構造"という言葉を出しました。

今作「清作の妻」が日本においてそれがどういうものかということを明確にしてくれます。

さて、遠くない昔、ひとりの政治家が「美しい国」「強い日本を取り戻す」などを標語に政治を展開しました。
支持者達の言動や、本人夫婦が法外に支援していたであろう学園教育勅語を用いた教育方針などを見るにつけ
彼の思う「取り戻すべき美しい日本」が明治期から第二次世界大戦まで続く、家父長制を基盤とした忠君愛国社会だったであろうことは想像に難くないかなと思います。

子供になんてこと言わせてんねん

本作「清作の妻」はまさにそんな"美しく強かった"はずの明治時代、日露戦争下のとある農村での物語です。

ーー主人公のお兼は、病気の父を抱えた一家の家計を助けるため、はるかに歳の離れた老人の妾になりました。

ある日老人が他界し、遺産を手にして故郷の村に帰るお兼でしたが、彼女の事情を知る村の人々は彼女を阿婆擦れと呼び、彼女の家族を村八分同然の扱いにします。

妾だったことや容姿までも含めて
容赦ない軽蔑や奇異の眼差しが浴びせられます
完全に村八分に

そこに村一番の好青年が兵役を終え帰ってきます。

タイトルの清作本人

清作模範軍人だったため非常にストイックで、軍隊での経験を生かして村に半鐘を設置し、たるんだ村に"お国に奉仕する勤勉な村を作るための規律"を作り出します。

朝イチからぶっ放します

村人達は最初こそ嫌がってたものの、生活が根付くにつれ模範軍人・清作はこの村の英雄として慕われていきます。
戦争前に婚約の口約束をした幼馴染も鼻高々でした。

しかしお兼の母親の葬式をきっかけに清作お兼恋に落ちてしまいます。

二人の幸せをよそに、村人達は、陰口・嫌がらせ・妬み嫉みなど「模範少年をたぶらかしている阿婆擦れだ」と、お兼に対して敵意を剥き出しにします。
お兼が隣村の知的障害のある従兄を引き取ると、村人達の差別感情は更に激しさを増しました。

日露戦争が始まる

清作は戦地に召集され、今度は負傷して戻ります。
名誉の負傷と村人達は歓迎するも、影では「お国のためになぜ死なないのか」と陰口を叩いていました。
かつては結婚を口にした幼馴染までも、"清作さんをたぶらかす阿婆擦れなお兼"への嫉妬心からその陰口の輪に加わっています。

傷が治り再出征の日、「今度こそお国の為に死んでこい」という村人の声を一身に浴び、軍国主義の模範軍人たる自覚を持つ清作も、そのつもりで出発しようとします。

しかし清作に戦地で死んでほしくないお兼はそこである行動に出たのです・・・

どうでしょう。
これを見て「この頃の日本は美しくて強かったんだなぁ」と思う人はまずいないと思いますが、お兼と清作に対する村人達の言動には「なんか身に覚えがあるな」と思う人は多くいるんじゃないかなと思います。

清作は戦地に行けなくなるのですが、村人達から「非国民!」と罵られお兼と共に村八分にされます。
この村人達の価値観こそ、忠君愛国教育の賜物であり、その社会の中にあっては賞賛されるものなわけなんですが、さてどうでしょう?
”美しい”ですか?

ラストに清作はこう言います。
「最初はお前を恨み、憎んだが、自分が皆に卑怯者と言われると、お前の心がわかった。お前がいなかったら、俺は馬鹿な模範兵、世間体ばかりの阿呆だった」

ーー「嫉妬」と「世間体」を原動力にした「狂信的な全体主義」と、そこから外れる者がいたら肉親の命すらものとも思わない「排他的で差別的なムラ社会」の維持。

これこそが日本の原風景であり"美しい日本の伝統文化"なのだということを、僕はかなりの確信を持って今と昔を見つめています。

いまだにこの原風景と変わらぬ人間達や社会構造自分の中にも垣間見える痕跡
この国は何も変わってないどころか、その原風景に積極的に戻ろうとしている様に見える昨今。
戦争はクソだがそれ以上にこの国が伝統的にクソなのだという事がよく分かる傑作だと思いました。

「祝出征」とか「立派に戦死」とか
どう考えたって狂ってる。
これ狂ってると思わない社会はおかしいですよね。

この映画は、見れるうちに見ておくことをお勧めしますし、出来るだけ長く語り継がれていくことを願います。

「清作の妻」をU-NEXTで視聴 https://video-share.unext.jp/video/title/SID0080139?utm_source=com.apple.UIKit.activity.CopyToPasteboard&utm_medium=social&utm_campaign=nonad-sns&rid=PM039518639

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B015AMWOLA/ref=atv_dp_share_cu_r


2位

「どうすればよかったか?」(2024/日本/藤野知明)

BLACKHOLE柳下毅一郎さんが紹介していてずっと気になっていた今作。
公開されるや否や、メイン館であるポレポレ東中野では55回連続満席
僕が見に行った横浜のミニシアター「シネマ・ジャック&ベティ」でも、あと一歩遅ければ満席、今でも上映が続いています。

今作はドキュメンタリー映画監督である藤野知明監督が、自身の姉に統合失調症と思われる症状が見られるにも関わらず精神科を受診させることなく社会から遠ざける家族の姿を、20年にわたり記録した映像です。

医師で研究者でもある父と母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけた。その判断に疑問を感じた弟の藤野監督は、両親に説得を試みるも解決には至らず、わだかまりを抱えながら実家を離れた。
このままでは何も残らない——姉が発症したと思われる日から18年後、映像制作を学んだ藤野は帰省ごとに家族の姿を記録しはじめる。

我が家の25年は統合失調症の対応の失敗例です。
どうすればよかったか?
このタイトルは私への問い、両親への問い、そして観客に考えてほしい問いです。

公式HPより

見ている間中、鑑賞後も、僕の頭の中は「どうすればよかったか?」の問いでいっぱいでした。

他人という立場からこの両親を断罪するのは簡単です。

それでも僕はこの両親を責めたり断罪する事はできないのです。

当時の時代性・価値観・偏見・世間体
当時生まれでは全くないですが、僕は今現在でも"常識や普通"(内在化したものもある)に対して、自分の状況に劣等感や恥や不安を感じてしまう事が、とてもとてもあるのです。

同じ時代に生まれてたら多分この両親と同じような不安や恥の感情に蝕まれて、飲み込まれてしまうかも知れないという恐怖と自己嫌悪を感じるのです。

おねえさんを閉じ込める為、両親が玄関につけた南京錠


「なんでこの家から分裂症がでなきゃいけないの!」

映画冒頭、暗闇の中でのお姉さんの叫びの中で、こんな言葉があった事をパンフレットを読んで思い出しました。
分裂症とは2002年までの統合失調症の呼び方です。正しくは精神分裂症ですが、精神分裂という言葉があまりに偏見や誤解を助長するという事から変更されたようです。

解剖学者の養老孟司氏の講演でこんな話があったのをうろ覚えですが思い出しました。

"心"というのは脳の機能ですというのは胃や腸と同じ臓器なのですが、その機能は目には見えないので人はそれを不思議がります。だけどなんてことはない。脳と心は同じものです。」

こうして捉えれば、心の不調というのは脳の不調と言うこともできます。
「お腹が痛い」とか「肩が凝る」何ら変わりがないということが言えるんじゃないかと思います。
(必ずしも心の疲れ=脳の不調ではありません)

「お腹が痛い人を恥じたり差別したり迫害する文化」は僕らの社会は持ち合わせていないと思いますが、発症"当時"社会の空気は明らかに統合失調症に対する偏見が物凄かったでしょう。

精神病棟で監禁・虐待される事件もあったでしょう。親戚や第三者に知られることも怖かったでしょう。家族にもお姉さん本人にもその影響は大きかったのだと思います。

その社会の空気を勘定に入れず
「社会と繋がっていれば」
「第三者が入っていれば」
と言うのは簡単ですが
偏見に塗れた社会や第三者に繋げて何になるのでしょう?
そんなところに繋げたいと思いますか?

これはフィクションでも物語でもないのです。
当時の社会の空気感に深く影響を受けた一人一人の個人の人生であり選択の記録です。それを外野から否定し踏み躙る事を僕はしたくないなと思います。

社会の空気の抑圧によって人に言えない悩みを抱える誰もが"繋がるべき"社会や第三者を、この映画を分岐点として様々な分野でこれからも作ったり支援・応援していかなければいけないと思いました。

なんと1/24(金)からイオンシネマにも広がり全国100館以上での拡大上映中です。ぜひチェックしていただきたいです。

多くの人がこの映画を見ることが理解ある社会を作る一歩になると確信してます。
https://dosureba.com/#theater


1位

「動物界」(2023/フランス/トマ・カイエ)

友人が試写会に当たり大絶賛していたので、公開日に走って見にいきました。

「不寛容な社会」が
「不寛容な常識」が
「不寛容を少しでも許容する振る舞い」が

明るい未来を描ける可能性など、1ミクロンも無いという事を、こんなに現実に即した形で明快に分かりやすく描けた映画が今まであっただろうか。

舞台は人々が原因不明の奇病で動物化していく社会です。
感染なのか遺伝なのかもわからない、全くにランダムな現象でした。

変異した人間達は、凶暴性ゆえに隔離施設に強制連行されます。

父親と二人で暮らす16歳の少年エミールも変異が始まってしまい施設に入れられています。父親は3人で暮らす元どおりの生活が戻ってくると信じています。エミールはそのことを受け入れること他人に話すこともできません。
なぜならこの社会のほとんどの人々”新生物”たちを"異物"とみなし、排除し隔離しようとするからです。
同級生には「殺そう」と声高に叫ぶ者までいるのです。

そんなエミールの体に少しずつ変異が始まってしまい・・・

というお話です

少しずつ自分の"動物化"を感じるエミールは自分の生きられる道を探そうとします。
鳥化が始まり、鳥として生きるために飛べるようにならなければいけないフィクス練習に付き合ったり、「綺麗な鳥になるんだ」と言う彼の言葉を聞いて、エミールの中に"あたらしい自分"に対するポジティブな感情が出来上がっていったように見えました。

ADHDで周りに馴染めないというニナと仲良くなります

街のカーニバルの夜、森の中でニナと愛し合う中で”動物化”がバレそうになり焦るエミールですが、彼女は「知ってたよ」とだけ言い彼の変化を受け入れるのでした。

しかし、その後事件が起こります。

「"新生物"は殺していい。」そう言っていた同級生に"動物化"がバレて、攻撃されてしまいます。通報を受けて軍隊も出動し、森の奥に隠れている"新生物達"への一斉攻撃が行われます。

映画のラスト、逃げるかどうか迷うエミールに、父親はこう声をかけます。

「行け!」「生きろ エミール!」

"動物化"が何のメタファーであるかはさまざまな見方ができると思います。

病気なのか。
障がいなのか。
成長なのか。
性格なのか。
性別なのか。
容姿なのか。
生まれついたアイデンティティーなのか。
国籍なのか。
移民問題なのか。

おそらくそのどれもが当てはめられます。

不寛容が許容される社会では、そのどれもがいつ"常識の外"とされ排除の対象になってもおかしくないという事は、僕が言うまでもなく理解できるかと思います。

いつか自分が、自分の大切な人がその標的になってしまったらどうしようと考えてしまうこの社会に怒りを感じます。

一体いつまで僕たちは
誰がいつなるかわからない病
いつ持つか分からない障がい
重ねる年齢
性愛の指向
出身国
肌の色
性別
職業
容姿
それらがいつ許容されなくなって、恐怖や嘲笑の対象にされ、指を指されるかもしれない、迫害されるかもしれない可能性に怯えながら生きていかなければいけないのでしょうか。
本当に本当に全く必要のない怖れだと思います。

どんな変化があろうと、どんなアイデンティティであろうと、どんな状態であろうと、「綺麗な鳥になるんだ」胸張って言える世の中に。
その背中を押せる世の中に、絶対になっていいはずだからーーー。


今年見た映画を振り返ってみても
現在の世界や社会の混乱を見渡してみても
"不寛容を許容してきた社会構造"が限界に来ていることを考えました。

一国の大統領がヘイトスピーチを垂れ流し
議員がヘイトスピーチを垂れ流し
それに煽られた著名人が、企業が、法制度が、無意識に不寛容を体現しています。
それを多くの人は「さまざまな意見や考え方がある」と許容してしまっています。

僕らはもっと不寛容を批判していいと思います。
歴史的に宗教的に習慣的に不寛容を軸にして作り上げられたこの世界を、常識を疑っていい。
それを覆す努力をしていい。
不寛容な価値観で相手を攻撃できる武器になる法や制度を、もっと問題視していいと思います。


これが2024年の僕のTOP10になります。
ついつい癖で説教くさくなってしまいました。

しかし本当にこれから大変な社会になりそうな予感がするのです。
その時に社会の空気に流されたり、扇動に乗せられて取り返しのつかないことをしないように、猿の惑星の革命の合言葉を最後に綴って終わりたいと思います。

"NO!!!!!!!!"

ではまた来年

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