人を変容させるエナジーとはなにか?④
ご訪問ありがとうございます。11月に起こった出会いと変容についての4回目です。その人物=レノン・リー氏 が 私に変化をもたらした原因について。
実はもう過去3回で書いちゃってます。
「自他不敗」の精神が変容の原因?
レノン・リー氏の信念は自他不敗であり、「争いのない世界の構築」です。
しかし、申し込み時点でそれを理解していたわけではありません。というより、チラリと読んだ本の部分にはそれはなかったと思います。住居の屋根裏部屋に眠っている不要物に手をつけようと、業者に電話したのは講座申し込みの翌日のことですが、その点について意識していたわけでもありません。
「嫌だったら、1週間前にキャンセルすればいいや」
そんな軽い気持ちで申し込んだのは、一緒にいる存在、
・・大メタトロンが「ぜひ受けなさい」といったから。
メール初見で「これやってみたいかも?」という思いはあったものの数日は放置していました。何日か過ぎると、メタトロンがごちゃごちゃいうので笑、正式にリーディングしたら、改めて「受ける方がumikaのためだ」と言われ、特価期限の数日前に申し込んだのです。開催日より8日前まではキャンセル料が本体価格の数十パー、7日前から100%、という規定も、当然読んでの申し込みです。
そして翌朝未明、胸騒ぎで目が覚めました。
胸騒ぎの正体・・得体のしれない恥ずかしさ・・・・・突如起こった「整えないと・・・恥ずかしい!」
胸騒ぎの正体は、講座に出席するなら屋根裏部屋の粗大ゴミ化した「過去の両親の生活用品」を、処理する必要性への気づきでした。
そのままだったら、ちょっと恥ずかしい、まずいのでは?という思いが湧いてきたのです。
全般書いている様に「40年放置」なのですから、スピに来る前も来たあとも、その不要物はあり続けたもの。だいたいそれらは私の所有物ではない。
それがなぜ今になって、ことさらに気になったかは、実は理由が別義に少しあり、そこにはわりとシビアな状況があったのですが、気になったあとも私はとりあえずそのまま、を貫こうとしました。つまり放置ですね。
しかし、リー氏の在り方がそれを許さない、と感じたのです。
もちろんリー氏が「許さない」と言ったわけではありません笑

ていうかまだ会話してないですし、あってもいないですし。
「粗大ゴミを整えていない人はよくない、平和を解く資格はない、スピリチュアルをやる資格もない」などと言ったわけでも、書籍に書いてあるわけでもありません。「整えていないと・・・なんだかよくわからないけど・・・恥ずかしい・・・!」
思いが自然と心に湧き起こり、そのまま行動となった。
整っている姿を見て「自分もそうしたいな、そうでないのが・・なんだか・・・(赤面)」が心にやってきた。
整っている姿というのは、実のところ波動です。身なりも関係はしますが、どちらかといえば・・いえ、言わなくても実際は「その人物の意識や現実的な行動をともなった心の領域」のことです。
(けして立場や資格、地位のことではありません。)
私の拙い経験から言うと、使わなくなった生活雑貨が屋根裏部屋にぎゅーぎゅーひしめいている築40年弱の家にも、慈悲深き神々は降臨しますし、もっといえば、騒がしすぎる乱れた喧騒の一角にありがちな東京のどこかのJRのトイレの個室でも、ふつうにいつも通り神々は現れます。
というか、彼らはいつも「そこ(その場)」にいるから誰でも、どこでもつながれるんですよ(つながり方を・・みんな忘れてしまっているだけ・・・)

喧騒のひどい場所ほど、彼らは「浄化のために大忙し」です
どんな場所にも神々は存在し、あなたのすべてを見ています。どんな行為であろうとも。
次元は重なっているから、彼らはどこにでもいて意識の準備が整えば「つながった状態」になる
それが私が長い間、神社参拝に意味を見出さなかった理由のひとつです。家族行事、友人とのつきあいでは「相手方の思考と感情を尊重して」つきあって一緒に参拝していました。私自身が、そこにいきたいか?といえば・・・・特段にその気持ちがあるわけではなく、大事なのは一緒にいる人々との外出だったりそのあとの食事だったり、です。
かと言って、神社にいみがない、大切ではない、と思っていたわけでもありません。歴史、伝承、信心、不信心、御利益信仰・・などいろいろな意味があります。それらは、私たちの社会に馴染み、溶け込んだ文化・慣習なのでおいそれとないがしろにする、そんな気持ちがわくことなどありえなかった、ということです。
私たちは社会の一部だし、神社参拝は私たち日本人の生活の一部だから
しかし、私見において、時代ごとに関わった集団によって長期的に変貌を遂げた信念体型によってアンカリングされた神々の窓口に、時間をかけてとどまる必要性をほぼ見出したことはなかった、というのが正直なところです。
なぜなら、自室にいる状態で、ご本尊とつながり、姿を感じ取ったり透視したりお話をしたりする(すべて個別に使う能力)ことが、私にとっての「普通」だったから。

そんな傲慢な思考を根底から えいやっ と ちゃぶ台返し的に 覆したのが靖国神社参拝でした。

話を戻しましょう。
それら不要物になってしまったモノの正体は、両親が放置したもの。それらを見るときに思い浮かぶ言葉・・・・それは、
「私は悪くない、私は関係ない、悪いのは両親だ」という責任逃れの思考が起こり、それは長い間、言語化できなかった感情だったのです。
両親を ’毒’ と思ったことはないけれど・・
介護をなさっている方々はその責任=自身の責任が取れなくなった親の代わりにそれを担う=ことと向き合うことが日常でしょう。私はこの責任を長い間避けてきたように思います。
日常さまざまできる介助はしますが、それ以上一歩踏み込めずにいました。そして、かつての彼らが私に対してそうだったように「うまくできなかったことに対して批判的な思考と言動を繰り返していた」のです。
父の介護についての母の姿勢も一貫して同じであり、父はしばしば自分たち夫婦関係の「在り方の結果」に、憤りと激しい抵抗、という対応を取りました。
認知症になった父に寝巻きの着替えを強制しようとした母、頑なに抵抗した父。
好きではなかった両親の在り方と、いつの間にか、自分も同じ行動を取り続けていた、という自覚。・・・実質的に両親が片付けの手続きさえとれなくなっていた、にも関わらず、私はすべてを考えの外に置いていたのです。
そこに向き合わずして、
ただ、 片付けと廃棄処理が起こりました。
内的な理解よりも先に必要な行動が起こったのです。 それを起こしたのは
レノン・リー氏の「自他不敗」言動一致のニュートラルで整った波動。
(すごい理論を解く人は世の中にゴマンといますが、唱える理論に「生き方ごと合致している」人は、そうそういない、ってことです笑)
おつきあいありがとうございました🌸
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🔴記述者umikaは霊的体験を盲信せず、構造として扱います
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