命という病
太宰治の「二十世紀旗手」の副題にある
(生れて、すみません。)
最初に読んだ時、私は、ひゅっと首筋を掴まれたような気がした。
私の心の奥底に、べったりと貼り付いていた、
私が生まれたから、母は病気になった。
私が生まれたから、家族は不幸になったのだ。
という罪の意識を、不意に見透かされたような気がしたからかも知れない。
現代では信じ難いことだけど、昭和の田舎町では、幼かった私の搔きむしった皮膚をジロジロと見て、
「……業の深い子だねぇ」
と嘆息する老人が、幾人もいた。
そんな老人は大抵、喘鳴の止まない母に面と向かって
「腹に子がいる時に、薬なんぞに頼るから!」
と決めつけて、人前で叱責した。
母は、いつも黙って項垂れていた。
当時の皮膚疾患の治療法と言えば、独特の臭いがしてベタベタする軟膏を塗るくらいしかなかった。
さらに医師からは、
「入浴や運動を控えて、できるだけ日光に当たらないように」
と、今とは真逆の指導をされるだけ。
当然、私の症状は少しも改善しなかった。
現在、日本のアトピー性皮膚炎の患者数は、成人の約5%というデータがあるそうだ。
ということは、約500万人。
決して少なくはない人数だけれど、正直に言うと
え? それだけ? とも思う。
同様に
気管支喘息の有病率は、成人の約5~10%
うつ病の生涯有病率は、約7%
データのとり方にもよるが、いずれも私の想像より、ずっと少ない。
そんな数少ない有病者として、私はどうにか老齢期まで、生き延びてきたことになる。
とは言え、年齢を重ねるにつれ、体のあちこちの不具合は多くなるばかり。
通院する科も、服用する薬も、ますます増えていく。
今なお、大病をすることなく暮らせているのに、そのことへの感謝よりも
「こんなに障害を抱えている私が、存在していて、いいのだろうか?」
なんて、弱気になったりする。
一日一日、命を繋いでいくための営みに心底うんざりして、
「もう、なぁーーんにもしたくない!! 医者も薬も、うんざりだ!!」
と、弱音を吐きそうになる。
「障害のあるなしで、差別される社会であってはならない」
と、私は常日頃、強く思っているはずだった。
それなのに一方で、
「不健康な私は、それ故に、存在を許されないんじゃないか」
などの考えに支配されている始末。
薄っぺらな自己矛盾に嫌気がさし、うっかりすると簡単に闇落ちしそうになる。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
と、『ノルウェイの森』(村上春樹)の主人公・ワタナベが語る、ずっと以前から私は、そのことを皮膚感覚として知っていたように思う。
私たちは誰も、死から逃れることはできない。
生きることは、死に向かって歩を進めることに他ならないのだ。
ということを。
それは、常に母が病気で臥せっていたことに起因するのかも知れない。
あるいは、私の育った環境が安全ではなく、幼い私が、安心できなかったからかも知れない。
けれども人生が、死へと続く道の途上に過ぎないのだとしても、誰にだってキラリと光る瞬間があるのも、また事実だ。
そう言えば遠い昔、高校生だった姉たちから
「お母さんへのプレゼントを買うけど、あんたも入る?」
と誘われたことがあった。
私は、小学生になったばかりの頃だった。
長姉が300円、次姉が200円、私が100円、合わせて600円の予算で、何が買えたのだったか。
赤いリボンをかけられた、小さな美しい箱を、私は今でも、ふと思い出す瞬間がある。
あの日あの瞬間、そこには確かに、幸せな家族の営みがあった。
それがたとえ、誰もが死へ向かうという一本の線上の、とある一日であったとしても。
そんな小さな記憶の一つ一つが、生きるということの、本質なのかも知れない。
娘の贈ってくれた小さなお菓子をつまみながら、そんなことを考えた。
光⽴つ夢も ひっかき傷も
灰に還るよ
それでいいよね
窓辺には焔
真っ⽩な朝 幸せな夢を
命という病
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