「言語年代学」はなぜ葬り去られたのか?その6 アインシュタイの凄いところはそこじゃない!(後編)
前回の事例のおさらいから。
あなたは時速20万キロの宇宙船に乗って時速30万キロの光を追いかけている。そのとき光の速度を計測すると時速30万キロであった。今度は、時速30万キロの光が、あなたが乗っている時速20万キロの宇宙船に向かってくる。そのときの光の速度を計測してもやはり時速30万キロであった。これはニュートン力学ではどうしても説明できなかった。
それはそうだ。速度というのは、教科書的には距離➗時間である。距離や時間と関係なく速度が存在するなんてあり得ない。上の事例が理不尽であることは、同じスピードで50メートル走るときにかかる時間と100メートル走るときにかかる時間が同じ、ということがあり得るということだ。そんなことがあるあけない、とその原因を光の性質に求めたりして、時間だけが過ぎ去った。
で、この謎にアインシュタインはどう挑んだのか?(私たち素人がアインシュタインから学ぶべき点はここに極まれり。)なんと、実験結果をそのまま受け入れたのだ。そして、そこから研究をスタートさせた。これがどんなにすごいことか?
この実験結果を受け入れるということは、物理学の基礎となっていたニュートン力学を否定することだ。そうなると、これまでの全ての研究の根拠が崩れることになる。となると、これからの研究の行き先がつかめなくなり、研究者たちの地盤、即ち、収入、社会的地位が危うくなる。しかも、相手はニュートン力学である。崩したのはいいが、それに代わるものを構築できるか?自分の存命中になんて夢のまた夢だ。普通の研究者だったらこの実験結果をそのまま受け入れることは難しいだろう。
ではなぜアインシュタインにはそれができたのか?一つは、これまでの研究を捨てても、研究界での地位や収入を捨てても、真理を知りたかったのだろう。そうでなければ、単なる実験データに身を委ねることなどできない。
年齢や仕事も影響している可能性が大きい。特殊相対性理論を発表したのが26歳だ。この年齢なら研究を積み上げたと言ってもベテランの研究者と比べたら、捨てるのに躊躇は入らないだろう。それと、これがより重要なのだが、この時点では彼はまだ研究者ではなかったのだ。いわゆる市井の人であった。
彼は大学を卒業後も研究を続けることを希望していたが、物理学部長に嫌われていたのでそれは叶わず、家庭教師や代理教師などを経て、スイス特許庁という研究とは無縁の仕事についていた。発見はそのときである。もし仮りに、彼が大学で研究者になっていたら、彼の発見は日の目を見ることはなかったかもしれない。というのも、先輩や上司の研究者によって潰された可能性が極めて高いからだ。そんなケースはいろんな研究分野で見られる。新発見は前世代が消えてはじめて認められる、と囁かれるくらいだ。
さらに、この発見が認められたとしても、科学界にきちんと受け入れられるためには、もう一つの要因が必要となろう。アインシュタインがニュートン力学の代わりになるもの、即ち「特殊相対性理論」を打ち立てたことも大きいだろう。もし、ニュートン力学を否定しただけだと、研究界は混乱するだけ混乱してまた逆戻りになったかもしれない。アインシュタインはそれに変わる理論「特殊相対性理論」を作りあげて、研究者たちが従来どおり活躍できる舞台を用意してやった、それが科学界に定着した理由だろう。
以上、アインシュタイの「光の速度は同じ」、正確に言えば「光の速度は誰にとっても同じ」という発見のすごさについて述べてきた。えらくまたテーマと離れたように思われるかもしれないが、これを取り上げたのは、統計データに身を委ねることへの恐れとその重要性について認識してもらいたいからだ。真理は人間の思考の延長線上にないことがある。真理を知るためには、一旦人間の思考、直感から離れなきゃいけないときがある、それをご理解いただいた上で本題に移っていきたいと思う。
といわけで、だいぶ回り道をしたが、ようやく本題の「言語年代学」について入っていきたい。
