曲「Mariamagdalena」解説
初めまして。
UMLABで音楽づくりを始めた、
冬咲しをりと申します。
幼いころから音楽をやっており、
プライベートでは声楽を
専門的にやっています。
詩を12年間書いており、
私にとって創作活動とは、
息を吐くように日常的なもので、
出てきた作品は、息のようなものです。
今日は、ここに来て初めて仕上げた、「Mariamagdalena」という曲を紹介いたします。まずは聞いてみてください。
この曲は、教会の鐘の音から始まり、
朗読が入ります。
私は冬咲しをりといいます。
ある時、友人から、
一人の画家の話を聞かされました。
「その人はもういません」と彼は言いました。
その画家は、どうやら若くして
自ら命を絶ったようです。
その人のsnsを見ると、
書き殴られた抽象的な絵の中に、
2枚のマグダラのマリアの絵がありました。
彼がなぜマグダラのマリアの絵を描いたのか、
もう知る事はできません。
ただ、私も彼の物語に入り込んだかのように
芸術というたすきを受けたいと思ったのです。
鬼才との人生の別れ
この朗読に出てくる、
亡くなった方の話を聞いたとき、
もうひとりの若い芸術家のことが
頭をよぎりました。
よぎったどころか、克服したと思っていた、
トラウマ的なことが出てきて、
数時間立ち直れないでいました。
少女のころ、
日本一のエリート音楽家の卵が集う、
音楽科の高校にいました。
私は落ちこぼれで平凡で、
悩ましい毎日でした。
自分を毎日傷つけていたように思います。
あるとき、掃除時間で
たまたま一緒になった子と、
仲良くなり、その子はピアノ専攻で、
例えるなら鬼才と呼ばれる人でした。
どこか遠い世界にいるような、
人を圧倒するような、
血なまぐさい演奏や皮肉のこもった演奏をするような人でした。
私はその人の演奏に魅せられて、
歌の伴奏をお願いしましたが、
その初めての合わせ練習の朝に、その子は
学校に来ずに自分から命を絶ったのです。
よくも悪くも、私は、
その人の死に影響を受けて、
統合失調症(今は統合失調感情障害)
となったのです。
天才的な人ほどどこかに偏りがあって、
危ういところにいることが
多いように思います。
この曲を奇抜な書式で書いた理由というのは、
統合失調症の世界観や、
話を聞いてsnsを見たときの前衛的な絵に、
音楽で敬意を示したかったからです。
なぜカッチーニなのか
この曲には、主に、鐘の音、
カッチーニのアヴェ・マリアのピアノ伴奏、
私の歌声(クラシカル)、
ノイズ系の音が使われています。
なぜ、カッチーニのアヴェ・マリアの曲を
採用したかというと、
この曲の中に、悲しみと救いと、少しの罪のようなものが含まれていると感じたからです。
詩のなかに出てくる
画家の人と同じように、私も
マグダラのマリアを愛する人の一人です。
マグダラのマリアは、イエスと旅をして、
イエスが復活したときに一番にいた人です。
彼女は貴族出身でしたが、
娼婦をしていました。
たくさんの罪にあふれたマリアは、
イエスに泣きつきます。
「私を助けてください」と。イエスは、
私と共に来なさいと言います。
自分で死を選ぶということは、
罪なのでしょうか。
私は、高校生の時に
学友の死を経験したときに
たくさん死について勉強しました。
キリスト教では、自殺は罪ですが、
仏教のお坊さんは、
「自分のいのちなんだから
好きにしたらいいでしょ。
でもそんなのばからしいでしょ」
と言っていました。
芸術というたすき
支援員さんに、
「これは弔いの曲ですか?」と聞かれました。
その時に私は、何と答えたらいいか
わかりませんでした。
私は、自分の感じていること、
思っていることが
深層心理の世界まで沈んでいて、
よくわからないことが多いみたいです。
だから詩にして掘り起こす作業が必要です。
意図としては、弔いの意味もあるけれど、
肉体が死んでも残っているその人の作品、
その人のインスピレーションを、
奇抜な書式で転写したかった、
ということに近かったということに
気が付きました。
いかがでしたでしょうか。
楽しんでくださっていたら嬉しいです。
また、沢山曲を書いていきたいです。
