「柔道界を支配する“誰が言ったか”の呪い」
誰が言ったかよりも何を言ったかの方が重要だという記事は以前にどこかで書いた。
柔道界は「誰が言ったか」の方が「何を言ったか」を確実に凌駕している。
大先生が言ったことがスタンダードになり、それを守ることが権威の証になる。
なぜなら「〇〇先生がそう言ってたぞ!」と言うことで、自分は大先生と繋がっていて、その話を直接聞けるポジションにいるとマウントを取れるからだ。
このやり方がうまくいった時代もあった。それが昭和だ。
何をどうやっても儲かる時代。方法論の精査などしなくても物は売れたし、思考停止して言われた通りにやれば成功した時代だった。
ネットもなく、権威の言葉を検証する手段もなかった。情報を隠し、小出しにして自分を優位なポジションに置き、知らない者を食い物にする。判断ができない状況を作り、「言うことを聞け」とコントロールしていた。柔道家は兵隊として作られ、大先生が「右向け右」と言えばその通りに動いた。それが幸せだったとも言える。
その時代を生きた人たちを責めるつもりはないが、自ら客観的に振り返る必要はあるだろうと思う。思考停止せずに。
「誰が言ったか」を重視する構造は宗教団体とほとんど変わらない。
教祖様の言葉を疑わず信じる。責任は教祖が取るから信者は楽だが、結局一番困るのは信者自身だ。
「俺のいうことを聞いたから、試合に勝っていい思いをしただろう!あとは知らん」という責任逃れを多くの指導者がしてきただろう。独裁政治の構造と同じだ。
これらの構造は破綻したときに当事者が最も悲惨になる。
思考停止してきたので決断力はない。論理的思考の訓練もしていない。根拠のない自信だけがあり、失敗すると他責にする。
こういう人間を大量に生んできたのが日本の昭和だ。当時抗うのは難しかっただろう。
だから責めはしないが、客観的に見直し、総括して、これからは「何を言ったか」を精査できる人材を柔道界で作らねばならないと思う。
構造転換ができない限り、柔道はジリ貧だし責められる側から抜け出せない。その価値も向上しないだろう。
その中では、成功経験が大きな力を持ち、研究者のデータを軽視する傾向が強い。経験に勝るものはないと信じ、自分のやり方が間違っていたと認めたくないのだ。
だから柔道界には議論の積み重ねがほとんどない。
後から来た大先生がすべてを覆す。問題が起こっても、責任を取って議論を続ける耐性がない。だから「連盟が決めてくれ、それに従う」という思考放棄に逃げる。
この構造を変えない限り、柔道には未来はない。日本全体の傾向でもあり、簡単ではないが、感情に流されず論理的に考え、議論を積み重ねるしかない。
弱かった人が考えたことが採用されにくい現実はある。
それでも、「何を言ったか」で動ける人を少しでも増やすしかない。
私はそう思っている。
