【愛媛】紫電改保存館(前編) | 愛媛県愛南町 | 2005年アーカイブ
有名な零戦は国内にも数機が保存されているが、紫電改の実機が保存されているのは、国内では愛媛県愛南町の紫電改展示館のみである。
紫電改は、太平洋戦争末期、性能面で限界が見え始めていた零戦に代わる新型戦闘機として、川西飛行機によって開発された。正式には「紫電」の改良型で、紫電二一型以降が、一般に「紫電改」と呼ばれている。
この機体は、生き残った熟練搭乗員を中心に編成された第三四三海軍航空隊、いわゆる「三四三空」でも使用された。特に昭和20年3月19日の米軍による呉軍港方面への空襲では、三四三空が迎撃に出撃し、大きな戦果を挙げたとされている。戦果報告では敵機52機撃墜とも伝えられるが、実際の損害数については戦後の検証で異なる見方もある。
零戦以降、後継となる高性能機に恵まれなかった海軍にとって、紫電改は久しぶりに登場した本格的な新鋭戦闘機であった。しかし、登場した時期はすでに戦争末期であり、空襲による工場の被害や資材不足も重なって、生産数は約400機にとどまった。
この保存館に展示されている機体は、昭和53年11月、愛媛県久良湾の海底で発見され、翌年に引き上げられたものである。補修時に再塗装はされているものの、機体そのものは当時の姿を比較的よく残しており、単なる復元模型ではなく、実戦を経て海底に沈んでいた実機としての重みがある。
海上を渡る御荘湾ロープウェイで馬瀬山山頂公園へ。
御荘湾ロープウェイは、日本で唯一の海上を横切るロープウェイだったが、2006年3月31日に廃止となった。
ロープウェイというとどうしても高低差の大きい所が多いので、下の海面と併せて何やら不思議な感覚。


ロープウェイを降りると目の前には高さ110mの宇和海展望タワーが。しかしそこはツアーの疲れが出ている三十路二人組、目的の紫電改保存館へのみ足を向ける。歩くこと数分で到着。
思ったよりも地味な建物だった。

派手な飾りつけもなく、建物の真ん中に鎮座する紫電改。
全長、全幅あまり零戦と変わらないのだが、太い胴体のせいでだいぶ大きく感じる。

零戦と比較して絞り込まれたカウリングが目につく。
プロペラは4枚、後方に大きく曲がっているのは墜落着水時の衝撃。

腐食破損したラダー。折れた水平尾翼の修理、防錆塗装や弾痕埋めなどの補修は行われているが基本的には引き上げられた状態の姿を保っている。

斜め後方、好きなアングル。

紫電改の説明板。

30年以上海水につかっていたため腐食が激しく、外板は薄くなってしまっている。

真後ろから撮影。シンメトリーな写真もたまにはいいかなと。

昭和20年7月24日の空戦では6機の未帰還機があった。
この機体もその中の1機であるが、長く海中に没していたため機体番号の読み取りは不可能、遺体や遺留品見つからなかったので、搭乗員の特定ができない。
機体の慰霊の為の雛壇が置かれてあり、6人の写真と戒名がまつられている。

祭壇アップ。

昭和20年7月24日の未帰還機6機の操縦士。
写真が薄れてしまいほとんど見えない。原本はあるのだろうから、差し替えたほうがよいのでは…。

二階から撮影。
下からでは見難いアングルを見ることができ親切。特に操縦席まわりは非常に見やすくなる。
写真右端は受付兼土産物売場。

機体を取り囲む形で、この機体から取り外したパーツや引き上げ時の写真などが展示されている。

二階正面から撮影。
中央奥のプロペラは同じく引き上げられてた艦上攻撃機「天山」のもの。

二階から見下ろした主翼。
紫電改の大きな特徴の一つである「自動空戦フラップ」。空戦時の旋回など揚力が必要となるとき自動でフラップの上げ下げを行う装置。
これによって、重い機体の割には旋回性能ガ良好であった上、自動化によってわずらわしい操作が軽減された。

零戦と比較して防弾対策がとられている紫電改。
操縦席のガラスは厚さ約70mmの防弾。現在はオリジナルであるがゆえに曇ってしまっている。
視界の歪みを防ぐため重要な部分は曲面ガラスでなく平面ガラスが用いられている。

操縦席付近。
洗浄・最低限の修復処理のみ行った座席も備えられている。ちなみに後方の防弾ガラスの厚さは80mm。

操縦席前方の射爆照準器(多分、九八式射爆照準器)。
あちこち腐食しているとはいえ、30年間海中に没していたとは思えないほどの良好な保存状態。

<つづく>
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