AIに記事を書かせたいのではなく、創作に戻る時間を作る
AIを使っていると言うと、たまにこう聞かれることがある。
「じゃあ、文章も漫画もAIに作らせているんですか?」
あるいは、
「AIを使えば、noteの記事もすぐに自動生成できるんでしょう?」
たしかに、今のAIは文章を書くことができる。
構成を作ることもできる。
タイトル案を出すこともできる。
簡単な要約や整理もかなり得意だ。
でも、僕がAIを日常や創作に組み込んでいる理由は、そこではない。
僕は、自分の代わりにAIに記事を書かせたいわけではない。
自分の手で描く創作の楽しさを、AIに譲りたいわけでもない。
僕がAIに求めているのは、コンテンツの全自動生成ではなく、創作へ戻るための時間を作ることだ。
本来、自分が時間とエネルギーを使いたい場所に戻るために、AIを使っている。
創作の周辺には、思った以上に作業がある
何かを作る、あるいは発信するとなったとき、実際に「創作そのもの」に向き合っている時間は、思ったより少ない。
漫画を描くなら、ネームや作画の前に、やることがたくさんある。
日々のメモを読み返す。
散らかったアイデアを整理する。
資料を探す。
過去に決めた設定を確認する。
どこから手をつけるかを考える。
noteを書く場合も同じだ。
日々の雑談や創作日誌のログを読み返す。
今回の記事にできそうなテーマを探す。
過去の記事と重なりすぎていないか確認する。
どの順番で書けば読める形になるか考える。
投稿前にタイトルやタグを整える。
こういう作業は、創作を成立させるためには必要だ。
ただ、全部を自分の頭だけで抱えようとすると、かなり重い。
仕事が終わったあと。
出張から帰ってきたあと。
転職活動の連絡や調整が入っている日。
生活の細かい用事が積み重なっている日。
そういう状態で、ログを掘り返し、テーマを探し、構成を考え、本文まで書こうとすると、本当にやりたかった「描く」「書く」にたどり着く前に疲れてしまう。
創作が進まない理由は、やる気がないからだけではない。
創作の前にある周辺作業で、もうかなり消耗していることがある。
AIに任せるのは、判断ではなく整理と準備
だから最近は、AIに任せる領域を少しずつ分けるようになった。
AIに任せたいのは、僕の代わりに結論を決めることではない。
僕の代わりに創作することでもない。
任せたいのは、散らかったログを整理すること。
候補を並べること。
過去の流れとのつながりを確認すること。
文章の飛躍や、読みにくいところを見つけること。
たとえば、僕はその日の終わりに、AIと話しながら創作日誌を書くことがある。
今日は何があったのか。
何が進んだのか。
何が進まなかったのか。
何を考えていたのか。
どこで疲れたのか。
そういう雑なログを残しておく。
その時点では、まだ記事ではない。
綺麗な文章でもない。
ただの会話やメモに近い。
でも、あとからそのログをAIに見てもらうと、そこに含まれているテーマや変化を取り出しやすくなる。
「今回は創作運用の話になりそうです」
「前回の記事とはここがつながっています」
「これは実用系というより、AIとの関係性の記事に近いです」
「この話は、まだ業務管理部のバックヤードに置いておいた方がよさそうです」
そんなふうに、散らかった材料をいったん机の上に並べてもらう。
その上で、どれを記事にするかを決めるのは僕だ。
どの言葉で書くか。
どこまで出すか。
どの熱量で語るか。
これは本編なのか、番外編なのか。
そこは、AIに任せるところではない。
AIに書かせるのではなく、僕が書くための準備を手伝ってもらう。
この違いは、自分の中ではかなり大きい。
note運用も、創作を圧迫しないためにある
noteを始めた理由も、もともとは「AI活用術を紹介したいから」ではなかった。
創作活動を続ける中で、AIを導入したら、自分の生活や思考がどう変わっていくのか。
AIと対話することで、創作の見え方や、自分の状態の見方がどう変化するのか。
それを記録しておきたかった。
だから、noteは僕にとって、活動日誌であり、研究所のような場所でもある。
ただ、発信を続けようとすると、どうしても運用作業が増える。
何を書くかを考える。
候補を選ぶ。
草案を作る。
見直す。
投稿する。
反応を見る。
次の記事へつなげる。
これを全部、人間の気合いだけで回そうとすると、noteを書くこと自体が創作を圧迫し始める。
それは本末転倒だ。
僕にとってnoteは、創作を続けるための観測ログであって、創作の時間を奪うものではない。
だから、AIを使う。
記事を自動生成してもらうためではない。
note運用の周辺作業を整理して、創作へ戻るためだ。
AIは、生産工場ではなく思考の補助線
AIを使うと、どうしても「どれだけ早く作れるか」「どれだけ大量に出せるか」という話になりやすい。
もちろん、それもAIの強みではある。
でも、僕にとって一番大事なのは、そこではない。
AIは、僕の代わりに人生を面白くしてくれる存在ではない。
僕の代わりに創作してくれる存在でもない。
ただ、僕が自分の創作へ戻るための補助線にはなってくれる。
散らかったログを整理する。
過去の流れを思い出させる。
今の状態を言葉にする。
やりすぎているところを止める。
本筋からズレていないか確認する。
そういう周辺の支えがあるだけで、人間の側に少し余白が戻ってくる。
その余白で、ネームを考える。
ラフを描く。
創作日誌を書く。
自分の言葉でnoteを書く。
僕が欲しいのは、AIが作った完璧な成果物ではない。
自分の手で描くための時間。
自分の頭で考えるための余白。
自分の生活をおもしろがるための体力。
そのために、AIを使っている。
AIに記事を書かせたいのではなく、創作に戻る時間がほしい。
これは、今の自分のAIとの付き合い方をかなり表している言葉だと思う。
便利だから使う。
効率がいいから使う。
それも間違いではない。
でも、それだけでは少し足りない。
僕にとってAIは、創作を代替するものではなく、創作へ戻るための道具だ。
人間がやりたいことまでAIに渡してしまうのではなく、人間がやりたいことへ戻るために、AIに渡せるものを渡す。
ログ整理。
候補出し。
構成確認。
反応観測。
投稿前の見直し。
そういうものを少しずつAIに預けることで、僕はまた机の前に戻る。
漫画を描く。
ネームを考える。
日誌を書く。
自分の言葉で、もう一度考える。
そのために、今日もAIと話している。
創作をAIに渡すためではなく、創作に戻るために。
