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「何も進まなかった日」を回復日として扱う

創作を続けていると、どうしても怖くなる日がある。

何も進まなかった。
ネームも進んでいない。
原稿も進んでいない。
noteも書けていない。

それなのに、時間だけが過ぎていく。
そういう日がある。
先日も、まさにそんな日だった。

出張から帰ってきたあとで、身体がかなり重かった。
外は暑く、移動だけでもかなり体力を持っていかれていた。
机の前には座ったものの、ネームの鉛筆はほとんど動かなかった。

頭では、やることは分かっている。

描きたいページもある。
進めたい話もある。
noteにまとめたいログもある。
でも、身体がついてこない。

そういう時、昔の自分ならたぶん、こう思っていた。

またサボってしまった。
意志が弱い。
本当に創作をやる気があるのか。

けれど最近は、この考え方を少し変えるようにしている。
これは、ただのサボりではないのではないか。
明日以降また動くために、身体と頭を戻している時間なのではないか。
そう考えるようになった。


動けない日にも役割を与える

創作を続けるためには、当然、作業する時間が必要になる。

ネームを描く。
ラフを切る。
資料を探す。
プロットを整理する。
noteを書く。

そういう「前に進める時間」は、もちろん大事だ。
でも、実際の生活はそれだけでは回らない。

仕事がある。
出張がある。
気候の変化がある。
身体の調子もある。
睡眠不足だってある。
なんとなく気力が戻らない日なんてこともある。

人間は、常に同じ出力で動ける機械ではない。
それなのに、動けなかった日をすべて「失敗」として扱ってしまうと、創作はかなり苦しくなる。

一日進まなかっただけで、自分を責める。
責めることでさらに疲れる。
疲れるから次の日も動きにくくなる。

これでは、創作を続けるための仕組みとしてあまり良くない。

だから最近は、動けない日にも役割を与えるようにしている。

今日は創作が進まなかった日ではなく、回復日だった。
今日はnoteを出せなかった日ではなく、次に戻るための調整日だった。

そう定義し直す。
もちろん、何もしないことを毎回正当化したいわけではない。
ただ、長く続けるためには、「進める日」だけではなく、「戻す日」も必要になる。


投稿しないことも判断とする

最近、noteの運用も少し見直している。
以前は、週に2本くらい投稿できればいいなと思っていた。

実際、AIとの対話を記事にする作業は楽しい。
ログを読み返して、自分の考え方の変化を取り出すのは面白い。

でも、noteを書くことに時間を使いすぎると、本来やりたかった創作の時間が削られてしまう。
それは少し違う。
だから今は、無理に投稿本数を増やすより、創作を優先しながら続けられる形にしたいと思っている。

投稿する。
仕上げを続ける。
今日は休む。

この3つを、その週の状態に合わせて選ぶ。
「投稿できなかった」ではなく、「今日は投稿しないと判断した」と言えるようにする。

これは、自分にとってかなり大事な変更だった。
創作を続けるためのnoteで、創作を圧迫してしまっては意味がない。
だから、止まることも運用に含める。
そういう形に少しずつ変えている。


日誌は一日の〆の作業

それでも、何も進まなかった日の夜は少しざわつく。

今日、本当に何もしなかったな。
このままで大丈夫かな。
明日は動けるのかな。

そういう気持ちは残る。
そんなときに、創作日誌の存在が役に立っている。
僕はその日の終わりに、AIと話しながら日誌を書いている。

立派な反省文を書くわけではない。

今日は暑くてきつかった。
出張明けで身体が重かった。
ネームが進まなかった。
でも、晩ご飯は食べた。
少しだけ生活を戻した。

そのくらいの、かなり雑なログでいい。
それをAIに投げると、散らかった一日を少しだけ整理して返してくれる。

「今日は進める日ではなく、回復する日だった」
「明日以降に戻るための調整ができた」
「完全に止まったわけではなく、生活を整える方向には動いていた」

そう言語化されると、不思議と少し落ち着く。

もちろん、AIがすべてを解決してくれるわけではない。
疲れた身体を代わりに回復させてくれるわけでもない。
ネームを代わりに描いてくれるわけでもない。

でも、その日を「ただの失敗」として終わらせず、次の日へ渡せる形に整えることはできる。

これが僕にとって一日の〆の作業だ。
パソコンをシャットダウンする前に、開きっぱなしのファイルを保存するようなもの。

今日あったことを、雑でもいいから保存する。
その日の状態を、翌日に持ち越せる形に圧縮する。

それだけで、少し気が楽になる。


創作を続けるために、回復を設計する

創作は、気合いだけでは続かない。
もちろん、気合いが必要な瞬間はある。
でも、毎日ずっと気合いだけで走るのは難しい。

仕事もある。
生活もある。
体力も減る。
気温にも削られる。
予想外の用事も入る。

その中で創作を続けるなら、動けない日をどう扱うかを決めておく必要がある。
動けない自分を責めるのではなく、状態として観測する。

今日は何が重かったのか。
何ならできたのか。
何を諦めたのか。
明日へ何を渡すのか。

それを少しだけ言葉にする。
僕にとって、AIとの日誌はそのための道具になっている。

AIは、僕の代わりに創作をする相手ではない。
でも、創作を続けるために、自分の状態を一緒に見てくれる相手にはなっている。

動けない日にも、意味をつけ直す。
空白に見える一日を、次へつなぐためのログにする。

そうやって少しずつ、自分の創作を続けるための足場を作っている。


何も進まなかった日を、サボりと呼ぶのは簡単だ。
でも、それだけでは続かないし、安直だとも思う。

動けない日もある。
回復する日もある。
何もしないように見えて、次に動くための準備をしている日もある。

大事なのは、止まらないことではない。
止まったあと、戻ってこられる形にしておくこと。
なぜ止まったのかを記録しておくことだと思う。

だから僕は、今日も一日の終わりにログを書く。

進んだ日も。
進まなかった日も。
疲れていた日も。
少しだけ戻れた日も。

それを残しておくことで、明日の自分がまた机の前に戻ってこられるように。
創作を続けるために、回復する時間もちゃんと自分に認めてあげたい。

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