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「完全に自動化するAI」ではなく、「対話するAI」を選ぶ理由

AIの技術が進んで、最近では「AIエージェント」という言葉をよく聞くようになった。

先日、僕自身もAIエージェント系の仕組みを少し触ってみた。
人間が一つひとつ指示を出すのではなく、AI同士が役割を持って動いていく様子は、かなり面白かった。
指示を出しておけば、AIが自分で情報を集め、考え、作業を進め、成果物を出してくれる。
いわゆる、完全自動化の世界だ。

もちろん、これは便利だと思う。

定型作業や、データ整理や、単純なフォーマット変換のような作業なら、できるだけ自動化された方がいい。
僕自身も、業務や生活の中で「これはAIに任せられないか」と考えることは増えている。

けれど、自分の生活や創作、そしてnoteの運用について考えると、僕はまだ「完全に自動化するAI」よりも、「対話するAI」を選びたいと思っている。

AIに全部任せて、完成品だけ受け取る。そういう使い方ができる場面もある。

でも、自分が本当にやりたいことに関わる部分では、途中に人間の判断や違和感を挟む余地を残しておきたい。

今回は、その理由について少し整理してみたい。


完璧な答えよりも、「なんか違う」に意味がある

AIとやり取りをしていて、僕が面白いと感じるのは、AIが一発で完璧な答えを出してくれた瞬間だけではない。

むしろ、AIの提案を見たときに、自分の中から出てくる

「いや、なんかちょっと違うな」

という感覚の方が大事だったりする。

たとえば、AIにその日のログを渡して、明日の予定やnote記事の候補を整理してもらう。

AIはかなり筋の通った提案を返してくれる。
過去の流れを見て、今の状況を踏まえて、候補を並べてくれる。

でも、それを見た自分がこう思うことがある。

ロジックとしては分かる。
でも、今の体力だとこれは重い。

記事としては成立する。
でも、今の自分が書きたいのは少し違う。

効率は良い。
でも、この作業まで自動化してしまうと、自分が面白がる部分が消えてしまう。

こういう違和感は、AIが間違っているから出てくるものではない。

むしろ、AIが一度きれいに整理してくれるからこそ、その整理されたものに対して、自分の本音が反応する。

何が違うのか。
どこが重いのか。
どこまでは任せたいのか。
どこからは自分で触っていたいのか。

AIとの対話は、そういう自分の輪郭を見つけるための鏡になっている。


創作は、最短距離で終わらせたい作業ばかりではない

もし目的が「とにかく成果物を増やすこと」だけなら、完全自動化はかなり強い。

記事を自動で生成する。
要約を自動で作る。
投稿案を自動で並べる。
予定を自動で組む。

そういうことができれば、確かに早い。

でも、創作やnote運用について考えると、僕が欲しいのは単なる成果物の数ではない。

漫画を描くとき、どのコマを大きくするかで迷う。
どの表情を見せるかで悩む。
セリフを残すか削るかを考える。
読者にどの順番で感情を渡すかを、何度も組み替える。

noteを書くときも同じだ。

今日はどのログを記事にするのか。
これは本編なのか、番外編なのか。
AI活用術として見せるのか、それともAIを通して自分の変化を観測する記事なのか。

その判断の途中に、僕自身がいないと、たぶん面白くない。

もちろん、すべてを手作業でやりたいわけではない。

ログの整理や、候補出しや、過去記事との接続確認はAIに手伝ってほしい。
そこを全部一人でやると、それだけでかなり疲れてしまう。

でも、最後に「これを書く」と決める部分や、「これは少し違う」と感じる部分まで手放したいわけではない。

創作は、最短距離で終わらせたい作業ばかりではない。

迷うこと。
選ぶこと。
違和感を直すこと。
自分の言葉に戻すこと。

その手間の中に、自分が創作を続けている実感がある。


AIは、判断を奪う相手ではなく、判断を戻してくれる相手

前回、僕は「AIに記事を書かせたいのではなく、創作に戻る時間を作る」という話を書いた。

AIに創作そのものを渡したいわけではない。
創作へ戻るために、周辺作業を手伝ってもらいたい。

今回の話は、その続きでもある。

時間を作るためにAIを使う。
でも、その先で何をするかまでAIに任せきるわけではない。

むしろ、AIに整理してもらうことで、自分が判断するための材料が見えるようになる。

散らかったログを整理してもらう。
候補を並べてもらう。
過去の流れと照らしてもらう。
負荷が高そうなところを指摘してもらう。

そのうえで、自分が決める。

今日は書くのか。
今日は休むのか。
この案を本編にするのか。
それとも業務管理部のバックヤードに置いておくのか。

AIは、僕の判断を奪う相手ではない。
むしろ、自分が判断するための場所を作ってくれる相手だと思っている。


完全自動化では拾えないものがある

完全自動化には、もちろん良さがある。

決まった処理を早く終わらせる。
繰り返し作業を減らす。
人間がやらなくてもいい作業を任せる。

そういう領域では、とても強い。
ただ、生活や創作には、完全自動化では拾いにくいものがある。

今日は体力がない。
でも少しだけ机には向かいたい。

今週は仕事が重い。
だからnoteは軽めにしたい。

このテーマは数字だけ見れば強そうだ。
でも今の自分のnoteの本筋からは少し外れる。

AIの提案は筋が通っている。
でも自分の中では、まだ納得しきれていない。

こういうものは、効率だけでは扱いにくい。
だからこそ、僕はAIとの間に対話を残しておきたい。

AIに出してもらう。
自分が反応する。
違和感を言葉にする。
もう一度組み直す。

その往復の中で、自分が何を大事にしているのかが少しずつ見えてくる。


対話するAIは、自分の輪郭を守るための道具でもある

AIは便利だ。使えるところは、どんどん使えばいいと思う。
でも、便利だからこそ、どこまで任せるのかを考える必要がある。

僕にとってAIは、全部を代わりにやってくれる相手ではない。
自分の思考や創作を外に出し、それを一緒に見直すための相手だ。
対話していると、AIの答えだけでなく、自分の反応が見えてくる。

それは違う。
これは近い。
こっちはまだ重い。
これは今書きたい。
これは後でいい。

そうやって、自分の中にある曖昧な判断が、少しずつ言葉になる。
完全自動化では、この過程が消えてしまう。

もちろん、消えても困らない作業もある。
でも、創作やnoteや生活の中には、その過程があるから面白いものもある。
だから僕は、全部を自動化するのではなく、対話する余白を残しておきたい。


「完全に自動化するAI」ではなく、「対話するAI」を選ぶ。

これは、AIの性能を否定したいわけではない。
むしろ、AIが便利になっているからこそ、自分がどこに立つのかを考えたいという話だ。

AIに任せるところは任せる。
整理してもらうところは整理してもらう。
候補を出してもらうところは出してもらう。

でも、自分が何を面白がるのか。
何を作りたいのか。
どこに違和感を覚えるのか。
どこまでは自分で触っていたいのか。

そこは、まだ自分の側に残しておきたい。

AIと対話することは、単に便利な答えをもらうことではない。
自分の判断を外に出し、もう一度自分の手元へ戻すことでもある。

これからも僕は、AIにすべてを任せるのではなく、AIと話しながら、自分が創作へ戻る道を探していきたい。
完全自動化の時代だからこそ、対話の中に残る人間の手触りを、もう少し大事にしていきたい。

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