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AI編集部の隣で、コピー用紙に絵を描く話

最近は創作をする時にはAIがそばにいる。

AIを使い始めてから、創作の準備は昔より圧倒的に楽になった。
思いついたネタを投げれば壁打ち相手になってくれる。

世界観の整理もしてくれる。
プロットの相談にも乗ってくれる。
noteの記事案だって出してくれる。

昔の自分から見れば夢みたいな環境だと思う。


なのに今夜も、僕は1枚のコピー用紙を机に広げている。
作業用の指抜きグローブをどこへやったっけ、とデスク周りを探す。

書類をどかし、
ペンケースを開け、
周辺機器を入れたバッグの底まで覗き込む。

ようやく見つけた指抜きグローブを手にはめてシャープペンを握る。

効率化の象徴みたいなペンタブ用の道具を、
アナログのシャーペン汚れを防ぐために使っている。

なんだか矛盾している。
でもこの矛盾した手触りから僕の創作の夜は始まる。


正直に言うと、効率だけで考えれば意味が分からない。
最初からデジタルで描けばいい。

画面も大きい。
修正も楽。
保存も簡単。
AIだって使える。


それでも、なぜか僕はコピー用紙に戻ってくる。
先日、その理由が少しだけ分かった気がした。


その日。
本当はネーム作業を進める予定だった。

朝から整体へ行き、
帰宅して創作日誌を書き、
昼ご飯を食べて、
さて描くかと思った。


ところが気付けば、

GPTとGeminiの役割を整理していた。
NotebookLMの運用を見直していた。
Google Driveのフォルダ構造を整備していた。
note制作フローを再設計していた。


時刻はすでに夕方の5時。
ネームは1ページも進んでいなかった。

何をやっているんだろう。
そう思いながらも妙に楽しかった。


GPTは、こちらの雑談を拾いながら、
論理や構造をミリ単位で組み直してくる。

Geminiは、データや反応を見ながら、
ストリートへの打撃力を叫んでくる。

NotebookLMは、過去ログを抱えた歴史学者みたいに、
数週間前、数ヶ月前の自分の変化を掘り返してくる。


僕は自分のための脳内編集部を作っていた。


AIを使って漫画を描きたかったはずなのに。
先に作っていたのは漫画そのものではなく。

漫画を描き続けるための仕組みだった。


GPT。
Gemini。
NotebookLM。
Google Drive。
Obsidian。


それぞれの役割を整理して、
情報が流れる仕組みを考えて、
創作が継続できる環境を整備している。


どうやら僕は、漫画描きである前に、
設計者の思考をしているらしい。


ここまで来ると少し笑えてくる。

AI活用の話をしているはずなのに、
最後にやっていることは、
指抜きグローブを探して、コピー用紙に線を引くことなのだから。


それでいいのだと思う。

システムは作れる。
環境も整えられる。
試行回数も増やせる。

でも、
「どうしてもこのシーンが描きたい」
という衝動だけはAIには代行できない。


推しの顔が見たい。
推しの感情を掘りたい。
この会話を書きたい。
このクライマックスを見届けたい。


酒を飲んで少し頭がゆるくなった夜に、
脳内でずっと煮詰まっている場面を、AIに語った。

最高に情けなくて、
甘えん坊で、
少しえっちな推しのクライマックス。

AIがどれだけ綺麗に整理してくれても、
どれだけ正論を並べてくれても。

最後に僕はこう言うのだ。
「ウチの推しはこれが可愛いんだ」
そこだけは譲れない。


その頑固さ。
その偏愛。
その、説明しきれない執着。

たぶんそれが僕の創作の火なのだと思う。


先日の記事で、僕はそれを「人間の火」と呼んだ。
AIを使うほど、人間の火が見えてくる。


だから今日も、完璧なAIの隣で、
あえてコピー用紙に線を引く。

遠回りで、
非効率で、
少し馬鹿らしい。

それでも。

この不合理な試行回数こそが、
創作の一番面白いところなのだと思う。

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