心理学を学びたいと思っていた人に、領域横断で「心」が何か説明します(記憶の海をなぞる私たちの意識)1/2
長すぎて読み切れないと思った方は、目次の一番下、「記憶の海をなぞる私たちの意識」というところで面白い結論をお伝えしているので、そこまでとんで読んでみてください!

私自身が心について関心を持ったきっかけは二つある。
一つは、昔、学校の長期休みに人との会話が少なくなるとメンタルが病むようなことがあったとき。
もう一つは、本を読んでいて、特定のシーンや言葉がとても心の機微に触れたり、日常の些細な出来事に心動かされたりしたときである。
自分の心がどこにあって、どのように働いているのかということを知るために、色々調べてみたし、大学進学でも心について学べるような学部に行きたいと考えたこともある。
しかしながら、結局心理学部にも進まなかったし、うわべだけの情報にしか触れてこなかったので、「心ってなんだ?」の答えがわからなかった。
だが、だんだんと領域横断で学びを得ていくことで、今回書いていくような知識の果実を得られた。少しずつ理解が深まってきたのだ。
それでは、心とはなにか。
まず、心理学というのは心の謎を解明しようとする学問だ。
心理学史の中で、行動主義、すなわち人の内的過程については研究対象としないで、最終的な行動のみを実験の対象とする主義が存在したが、のちの認知主義では、人間が意識的・無意識的に行なっている情報処理の仕組み、つまり内的過程についても研究対象とするようになった。
人間の内的過程において、環境の情報を受け取り、情報処理を行なって、最終的に行動がアウトプットされるという一連の流れについて研究されてきたということだ。
日本心理学会のサイトに、心の境界についての言及があり、
・心がどこにあるのか、場所を探すということはそもそもできるのか?
・場所というよりも、機能として働いていたり、ただ「心」という現象が起こっていると理解すればよいのか
・心が物理的作用だとすると、物理的作用は脳内部にとどまらず、脊髄、末梢神経、感覚運動器官へ、さらに皮膚からそれと接する環境へとつながっている
・脳科学者の大谷さんは、「(こころという感じは)からだと環境にまたがって発生、存在している」と説明をしていた
というような記述がなされていた。
また、精神科医の益田裕介さんによると、内部刺激と外部刺激により、脳で起こる現象が「心」であるとのことだ。
これらが何を意味しているのか、知覚心理学の知見を紹介することで説明したい。
意識体験の基礎としての知覚心理学
知覚心理学は、人体の器官、細胞などがどのような活動をしているのか研究する生理学と密接に関わっている分野で、感覚情報から内的な知覚をつくりあげる過程を研究する学問である。
のちのち認知心理学についても説明するので、知覚と認知の違いを簡単に言うと、「認知」は知覚によってインプットした情報を、自分自身との関係、経験に位置づけながら推論・判断するような過程のことを指す。つまり、認知は知覚よりも複雑で高次な情報処理だ。
知覚心理学の中身について詳細に説明するために、人間内部の情報伝達がどう行なわれているのかということを細かく見ていく必要がある。
まず、感覚受容器、すなわち「目・鼻・舌・耳・内耳・皮膚・筋肉等・内臓」などの【体内/体外の情報を受け取る部分】から情報伝達が始まり、そのような内受容感覚と外受容感覚が、例えば皮膚からの感覚であれば、感覚神経から中枢神経をつたって、最終的に脳が情報を受け取ることで「意識(感覚・知覚)体験」が生じている。

そして、体内外から情報を受け取る部分である感覚受容器と、そこから生じる感覚には次のようなものがある。
「局所的な感覚受容器による感覚(特殊感覚)」
視覚・嗅覚・味覚・聴覚・平衡覚(からだをまっすぐに保ったり、傾いたり回転したりしているのを感じるもの)
「からだに全体的にある感覚受容器による感覚(体性感覚)」
【皮膚感覚】触覚・圧覚(圧迫される感覚)・温冷角・痛覚
【筋肉等の感覚】運動覚(動かしている感覚)・重量覚(リンゴが重い)・抵抗覚(壁を押そうとすると抵抗感じる)・位置覚(目をつぶっていても自分の手の位置を感じ把握できる)
「臓器から来る感覚(内臓感覚)」
内臓の炎症や拡張、痙攣などの感覚(内受容感覚)
空腹感や喉の渇き、尿意などの感覚(物理・化学的刺激)
これらの感覚が、以下で説明するように今の私たちの一つ一つの「気づき」と呼べるような意識(感覚・知覚)体験へと統合されることで、私たちは「◯◯な感じ」というクオリア(感覚質)を持つことができる。
物である脳から物でない心が生じるのはなぜか
少し知覚心理学の話からは離れるが、私が神経伝達による意識体験についてイメージを掴むことができた(膨大な数の神経細胞がどのように連関して情報を伝えているのかという視覚的理解ができた)瞬間は、YouTubeでNHKの「数理科学者が語る脳から心が生まれる秘密」という動画を見たときだった。
この動画では、視覚的に分かりやすく、脳の外側寄りのところで、神経細胞が連続して発火し、全体を巻き込んでいくところが説明されていた。
例えるなら、膨大な数の神経細胞(ニューロン)が、「夜のお花畑でイルミネーションが連続で点灯し、光が移動して全体として秩序を形成して動いている」ように見えるような神経細胞の活動が脳では行なわれている。
活動している部分を光らせると、ぶわあ~っと全体を巻き込んで細かな細胞が流れているように見えてくるという話である。
大脳皮質を全体的に巻き込むようにこれが起こると、「気づき」が1秒間に10回ほど人の意識に上がってきて、これが連続して起こることで私たちの意識体験が生じているのだということだ。
以上のように、「物である脳から、物ではない心が生まれるのはなぜか」
という問いに対して、「WHY」、すなわち意識の起源については明らかになっていないが、一方で「HOW」、つまり人間の身体の内部で意識体験に並行して何が起こっているのかということは視覚的理解によって多少分かる。
また、ここも重要な部分なので、少しだけ、小さな小さな神経細胞同士がどのようにして情報を伝え合っているのかを説明させてほしい。
感覚受容器から伝えられた情報を伝達するべく、一つ一つの神経細胞では電位が変化し、それに伴って、神経伝達物質を次の神経細胞に対して放出し、それが次の神経細胞の受容体に結合することでまた電位が変化して…ということが連鎖的に起こっている。
この中で、化学的に情報が伝達されている箇所、つまり神経伝達物質の働きで情報が伝達されている部分に注目したい。
今から述べることは、この動画から得た情報だ。
神経伝達物質には興奮性のグルタミン酸(次の神経細胞に情報を伝えようとする)、抑制性のGABA(次の神経細胞に情報を伝えさせないようにする)、モノアミン(脳内のドーパミン・ノルアドレナリン・セロトニン)などが代表的なものとしてあり、それぞれがそれぞれ固有の役割を果たすことで情報伝達を成り立たせている。
特に説明したいのは、脳内の情報伝達において調節的な役割を持っているモノアミンについてだ。これらは、グルタミン酸とGABAとは放出される神経細胞の形が異なって、脳内に広く放出されるようになっており、グルタミン酸とGABAによる情報伝達を修飾し、脳の状態を調節しているという。
例えば、ドーパミンは脳内の報酬系と呼ばれる領域で「嬉しい出来事を期待・予想しているとき」などに放出され(これ自体は意欲・やる気などを起こし、それに伴い多幸感をもたらすオピオイドが生合成される)、セロトニンは恐怖や不快などに関係する扁桃体の罰系において「負の記憶」の過剰な形成がなされることや「不安」を抑制する役割を持っているとのことだ。
この報酬を追い求める報酬系と、罰を避ける罰系のせめぎ合いで、あることをするかしないかという意思決定のせめぎ合いが起こるが、この中で報酬系のはたらきにより学習した特定の価値の追求が、習慣化した行動となるらしい。
というように、気分・情動・注意・睡眠 / 覚醒などに関わる、脳内の情報伝達の調節的な役割をしているのがモノアミンだ。つまり、神経伝達物質が、私たちの意識体験の鮮やかさをつくるスパイスのようなものになっている。
(他にも、脳における神経伝達物質は百種類はあるであろうと考えられているらしい)
以上、簡単に要約すると、心理学史において、「認知主義=人の内的過程(つまり心)について研究する主義」が出てきてから、感覚・知覚の機能として、「感覚受容器」からの神経伝達により脳まで情報が伝えられ、その中で質感をともなった意識体験(クオリア)が生じるということがわかってきたとのことだった。
心と意識を解き明かす認知心理学
次は、認知心理学(特に記憶について)と無意識・意識について説明する。
先に説明したように、認知とは、対象を知覚したあとにそれが何であるかを判断・理解したりする処理のことで、認知処理のプロセスを明らかにすることを目指すのが認知心理学である。
認知のメカニズムを明らかにするために、様々な領域で研究がなされており、注意・意識・無意識・感情・記憶・思考・言語・意思決定・知識・推論・問題解決などがその対象になっている。
そこで、最も注力して考察したいのは、意識と記憶の関係についてだ。
実のことを言うと、意識についても、記憶についてもわかっていないことがたくさんあると言うし、私も本などでできるだけ情報収集をしてきたただの一般人なので、ここでの考察がどれほど正しいかはわからない。ただ、かなり面白いとは思っていただけると思う。
私の考察はどんなものかというと、
記憶の海をつたって神経情報伝達がなされることで、意識体験が生じているというものだ。
つまり、感覚受容器からの神経伝達で内受容感覚と外受容感覚が脳まで届いて、感覚体験として意識にのぼるときに、今までの経験・記憶が貯蔵されている身体に影響を受けている。という話をしたい。
まず、認知心理学の記憶の理解について軽く紹介する。
以下が記憶についての概観である。
まず視覚情報や聴覚情報などを受け取ってから1秒程度等の短い時間保持する「感覚記憶」から、その情報の中で注意を向けられた情報が「短期記憶」として一時的に保存され、さらにそれが強い情動の伴ったものであったり反復(リハーサル)されたりすると「長期記憶」となる。
長期記憶のうち、
「いつ」「どこで」といった情報をもつ(昨日公園でカップラーメンを食べたみたいな)「エピソード記憶」と言葉や概念による知識を蓄える「意味記憶」は、言語化できる【宣言的記憶】であり、
自転車の乗り方をからだで覚えていたり、からい食べ物を見ると自然とよだれが出てきたりするのは言語化しにくい【非宣言的記憶(手続き的記憶)】とされる。
そして、短期記憶を単純な貯蔵庫としてではなく作業をする記憶として捉えたのが「ワーキングメモリ」であり、ここでは今知覚したことと、すでに記憶していること(長期記憶)を組み合わせた総合的な判断としての認知処理がなされているという。
・まずは情報を記憶にたくわえる「記銘(符号化)」
…このとき例えば音声情報や光の情報が意味に変換される
・保持(貯蔵)され、記銘した内容の中で不要な情報は忘却し、事前に持っていた情報(記憶)を合わせて編集される
・保持した情報を思い出す「想起(検索)」
この記銘・保持・想起というプロセスのうち、情報を記憶にたくわえ整理する処理は脳の海馬という器官で行なわれ、そこで認知処理されて必要だとされた情報は大脳皮質に「長期記憶(宣言的記憶)」として送られ、保存される。
長期記憶のうち非宣言的記憶(手続き的記憶)については、運動などに関する記憶として、海馬を介さずに、より末梢神経に近い身体の神経で記憶されていると考えられる。
記憶の海をなぞる私たちの意識
ここまで、退屈な説明に感じられていたら申し訳ない。が、
記憶の海をつたって神経情報伝達がなされることで、意識体験が生じている
という考察についてやっとここで説明ができるので、ここからは少し面白くなる。
前半の話では、心理学史において、「認知主義=人の内的過程(つまり心)について研究する主義」が出てきてから、感覚・知覚の機能として、「感覚受容器」からの神経伝達により脳まで情報が伝えられ、その中で質感をともなった意識体験(クオリア)が生じるということがわかってきたということを説明した。
ここで、神経伝達によって脳まで情報が伝えられたときに、もともと自身が持っている記憶・経験との兼ね合いで豊かな意識体験が生じているということもわかってくる。
海馬のワーキングメモリから、大脳皮質の長期記憶(宣言的記憶)に記憶が貯蔵され、そして意識体験(クオリア)が生じるときにも神経細胞の活動が大脳皮質まで到達して、発火の連鎖が起こって知覚・認知をしているのだから、ここで「おそらく大脳皮質の神経系になんらかの形で保存されている記憶」を、現在の知覚体験が走っていっているのではないか。
膨大な数の神経細胞(ニューロン)が、まるで花畑のイルミネーションのように、連続で光って、脳全体を巻き込んでいるのに並行して「気づき=意識体験」が生じていると説明したが、
自分が細胞ほどの大きさになって、人間の脳の中に入って中から神経伝達を見ることができたとして、そこには「高校生のときの思い出」や「最近見て面白かった動画」など、多くの記憶が貯蔵されているようで、そのような記憶の海を、現在の意識の流れ(膨大な数の神経細胞の連鎖)が縦横無尽に走り回っている光景が見れるかもしれない。いや、記憶と意識体験がどうなっているか知るためには、自分が神経細胞そのものになってみなければいけないが、そのようにして脳に人間の記憶と意識の関係があるのだと考えると、なんとも面白い。
また、「目・鼻・舌・耳・内耳・皮膚・筋肉等・内臓」から大脳皮質に情報が伝えられてくるその過程で、末梢神経/中枢神経系を神経細胞が情報伝達してくるわけだが、非宣言的記憶(手続き的記憶)に限らず、脳の大脳皮質/海馬以外の身体、例えば皮膚や筋肉などの身体における多くの神経細胞の状態や、内臓・血液での化学的な状態や心臓の活動(これは例えば内臓からの神経伝達による情報伝達と同じように内受容感覚をもたらすものとしてホルモンや心拍などもあるから)など、全てにおいて神経伝達に関わりのある「記憶・情報」が動的に変化生成されていると言うこともできるかもしれない(最終的に意識にのぼるのに関係するのは脳での活動だが)。
また、認知とは対象を知覚したあとにそれが何であるかを判断・理解したりする処理ということで、注意・意識・無意識・感情・記憶・思考・言語などが関わるとのことだったが、この中で「注意」というのは意識を向ける先を決めることであり、情報の取捨選択を行なって意識体験にのぼる対象を選択することに他ならない。
今見えている何か、聞こえている何か、思考の中の何か、言語的処理をしている単語・文章などに対して、注意資源(1日の中で酷使して枯渇するとかなり疲れてしまって認知機能が低下する)を使った「選択的注意」をしていくということを日々私たちは行なっている。複数の対象や思考の流れの中から、ある1つのことを明瞭に、そしてイキイキとした形で心のなかにとらえることが「注意」なのだということだ。
合わせて、「思考」について考えると、私たちは言語(思考の道具としての言葉)を用いて世界の意味を抽出し、認知処理(思考)をしているということが言える(サピア・ウォーフ仮説)。私たちは生きている中で、現実世界にあるものについて、例えばマグロとレタスとキャベツというそれぞれのものを、魚と野菜という異なるラベル(対象に該当する言葉)で概念として分け、さらに野菜の中でもレタスとキャベツという二つのラベルに貼り分けて、その言語的理解を通して日々の認知処理を行なっている。
そのように抽象的に概念を整理した言語による理解で、思考をしているのが人間だ。当然、この言語を通した世界やものの捉え方というものも「記憶」や「意識体験」に関わってきて、内受容感覚や外受容感覚として受け取った情報をどう感じて、どう記憶と合わせて意味に変換するのかというのも言語に依存するところが多い。
突然だが、好きな数字を1つ心のなかで唱えてみてほしい。
その数字を当てるなどといったマジックをしたいわけではなくて、
このとき、意識体験にのぼってくる言葉の感覚というのも、クオリア(感覚質)として意識にのぼる体験である。
これは、人の認知処理としての思考が、他の感覚神経の情報を受け取る神経伝達やその他の神経細胞の活動と連鎖して起こっているのか、大脳皮質において自分の自由意志のようなものから内臓感覚(脳という内臓=感覚受容器からの刺激)の一種として神経伝達されているものなのかは分からないが、いずれにせよ言葉の響きや意味の鮮明なイメージを感じながら私たちは思考をしていたりする。
しかしながら、私たちの意識体験を言語的な要素が占めているのかというと、それはおそらく違う。
ここで「感情」について考えてみたい。
Emotion(刺激に対する恐怖などの一過性の反応のことで、情動と訳されることが多い)とは区別して、Feeling(主観的経験を広く言う)を「感情」として考えることとするが、感情という言葉の定義についてはコンセンサスがなく、あいまいに使われていることが多いようなので、今回は感情は私たちの主観的経験に生き生きとした鮮明さ、鮮度を与えてくれる要素、認知的機能だと定義してみたい(直感的にわかりやすい感情のイメージとして)。
情動については、ジェームズ・ランゲ説というものとキャノン・バード説というものが有名だ。簡単に言うと、熊と遭遇して、「怖い」という情動が生じたから心拍数と血圧が上がるのか、先に心拍数と血圧が上がるから脳が「怖い」という情動を生じさせるのかどっちなのかという話だ。
これは、情動の二要因論によって、状況の認知と身体の生理的変化がどちらかが先とかではなく、身体の興奮状態から恐怖を感じたり、熊がいるという状況の認知的解釈から恐怖を感じたり、相互作用になっているのではないかという説明がされている。
生理学的には、主観的経験に生き生きとした感覚を与えるのは前半で紹介した神経伝達物質などではないかと私は考えている。
先に述べたように、脳内の情報伝達において調節的な役割を持っているモノアミン(ドーパミン・ノルアドレナリン・セロトニン)は、適切に働くことで、気分・情動・注意・睡眠 / 覚醒などに関わる、脳内の情報伝達の調節的な役割をして、私たちの意識体験の鮮やかさをつくる。
ドーパミンは意欲・やる気・達成感などに繋がり、セロトニンは心の落ち着きや安定に繋がり、ノルアドレナリンは集中力や緊張、不安に繋がるが、これらは、適切に働くことで私たちの人生の豊かさに寄与し、過剰に放出されたり不足したりしすぎると、様々な症状を引き起こすのだという。
ここまで、感情的要素は、記憶の形成やそれを踏まえた意識体験に彩りを与え、より立体的な人間の感覚をつくっているということを考察してきた。
膨大な量の文章を書いてきたが、そろそろ結論を伝えたい。
・心がどこにあるのか、場所を探すということはそもそもできるのか?
・場所というよりも、機能として働いていたり、ただ「心」という現象が起こっていると理解すればよいのか
・心が物理的作用だとすると、物理的作用は脳内部にとどまらず、脊髄、末梢神経、感覚運動器官へ、さらに皮膚からそれと接する環境へとつながっている
・脳科学者の大谷さんは、「(こころという感じは)からだと環境にまたがって発生、存在している」と説明をしていた
という冒頭で触れた引用について、ここまでの内容を踏まえて考察すると、
「心」という現象の本質は、人間の内的過程における情報処理であり、その中で感覚受容器からの情報を脳まで神経伝達して認知処理をする過程で「意識」が生じていること、意識・無意識の記憶をたよりに外部環境から受け取った情報を認識したり、思考などの複雑な認知処理を行なって外部環境に働きかけることで外に向かって情報の流れを表出したりすることなども「心」の機能だと言えるのではないか。
つまり、情報処理の過程と情報の流れが、「心」という現象・機能を理解するための鍵となる。
そして、最後に伝えたいのは、このような心理学にもとづく人間知の理解を深めていくことは、私たちの生活の中で世間には無意味と言われるような、個人的には「意味のある経験」が、主観的体験として意味を失わない、鮮やかな世界として目の前に現れてくることに繋がるということだ。
私たちの意識体験は、私たちの内部からの刺激と、外部からの刺激を神経伝達によって知覚・認知して、記憶の上をなぞることで生じているので、私たちは一人一人ユニークな側面を持ち合わせている中で、この主観的な視点で体験しているこの世界が私たちにとっての全てである。
つまり、私たちにとっての生きる意味・目的というのは、私たちの内側に純粋な意欲として存在している。「走りながら、毎日色々な気持ちと経験を得て、知って、泣いて、喜んで、ある時来た道を振り返って、また走り出す」という日々の中で、後ろ向きなことも前向きなことも全て含めて、立体的な意味のある感覚というものを掴んでいくことが必要だ。
もし満足していただけたなら、今回の内容を踏まえた、意識体験を目的に据えたポジティブ心理学などの知見を次の大作として書いていくので、そちらもご覧いただきたい。
今回の内容は、個人的な考察なので検証されたものではなく科学的でない部分も多いかもしれないが、直感的に妥当な内容になったと考えているので、参考にしていただいてみなさんの充実した人生に寄与できたら幸いだ。
