スプーンにちょっとの天然はちみつ、53歳の朝|孤独上等
甘いものが好きです、なんて歳でもない。
けれど五十を過ぎたあたりから、
天然はちみつを見る目が少し変わった。
あれはただの甘味じゃない。
小さな蜂が命を削って集めた、
時間そのものだ。
私は毎朝、小さじ一杯の
天然はちみつを、そのまま口に含む。
健康のためというより、
友人が趣味で養蜂をしていて、
農作業を手伝ったお礼にと
くれたのがきっかけだった。
蜂は花を見つけると蜜を吸い、
蜜胃にためて巣へ戻る。
だが、持ち帰っただけでは
まだはちみつにはならない。
仲間へ渡し、羽を震わせて風を送り、
水分を飛ばし、ようやく
深い甘さへ変えていく。
自然の恵みも、そのままでは残らない。
手間と時間を経て、
やっと一滴の価値になる。
しかも、働き蜂一匹が一生で作る
はちみつは小さじ1/12 程だという。
夏の命は短く、数週間。
その短いあいだに花を探し、
蜜を運び、何度も巣へ戻る。
風に逆らい、雨を避け、外敵をかわし、
それでも黙って飛び続ける。
そう思うと、口に入る甘さの
捉え方も変わってくる。
日本の養蜂を主に支えているのは
セイヨウミツバチだ。
蜜を集める力が強く、
受粉でも役立っている。
一方で、ニホンミツバチを
飼う人もいる。
こちらは派手ではないが、
土地の花や季節をそのまま
蜜にしていくようなところがある。

大量には採れない。
だが、そのぶんどこか、人間くさい。
近道をせず、その土地の時間、環境ごとに
甘さに変えていく。人生も似ていると思う。
以来、道の駅などに立ち寄ると、
その土地で大事に採られた蜂蜜を
つい探してしまう。
若いころは早く結果がほしかった。
認められたかったし、
うまくやれているふりもした。
孤独は負けだと思っていた。
ひとりでいる時間は、
取り残された証拠のようで居心地が悪かった。
それこそ働き蜂のように、
喜び、挫折や、苦しみ、悲しみを
心の巣に持ち帰る。
この歳になると少しわかる。
孤独には役目がある。
それは空白ではなく、
人の中の余分なものを飛ばす時間なのだ。
長い時間をかけ、ゆっくりと
見栄や焦り、若さへの未練が
少しずつ抜け、自分と向き合うことで、
自分だけの天然の心の蜜が出来上がる。
だから五十を過ぎた男の言葉は少なくなる。
そのかわり、その一滴、一滴が
少しだけ濃くなる。
花の癖があり、季節のぶれがあり、
ときに少し苦みもある。
だが、それがいい。人間も同じだ。
遠回りや迷い、言えなかった言葉や
誰にも見せなかった踏ん張りも、
その人の味になる。
もう、若く光ることはできない
だが、熟れることはできる。
急がず、騒がず、
黙って自分の心の蜜をつくるのだ。
私は毎朝、生命力溢れる琥珀色と、
そのまとわりつくような甘みを感じながら、
同時に、小さく、けなげで、たくましい、
小さな蜂の、命の物語を、
思い出すような人でありたいと思う。
それが一番の心の栄養になるだろう。

