終わらない時代 第17話
『見えない侵食』
巨大魚を討伐した翌日。
静かな医務室。
ジュリアは、自分の腕に巻かれた包帯を見つめる。
医師からは完治まで一ヶ月と言われた。
コンコン。
軽いノックの後、扉が開いた。
「ジュリア、具合はどうだ?」
入ってきたのはカイルだった。
「隊長……。」
ジュリアは視線を落とす。
「すみません。私がもっと注意していれば……。」

カイルは首を横に振った。
「自分を責めるな。」
短くそう言ってから続ける。
「危険な現場に行かせたのは俺だ。責任なら俺にある。」
しばらく沈黙が流れた。
やがてカイルが口を開く。
「ジュリア……調査隊を辞めるか?止めはしない。」
真っ直ぐな視線が向けられる。
その問いに迷いはなかった。
「辞めません。続けさせて下さい。」
はっきりと答える。
数秒の沈黙。
やがてカイルは小さく頷いた。
「分かった。」
少しだけ口元が緩む。
「怪我が治ったら復帰してもらうぞ。」
そう言い残し、医務室を後にした。
ーー漁港
巨大魚の死骸はまだその場に残されていた。
近くで見ると、その巨体は圧倒的だった。
命を奪われそうになった相手。
もう動かない。
それでもミネルの足は止まっていた。
「何しているの?」
隣に立ったエレナが肩を軽く叩く。
「ほら、サンプル回収よ。」
「はい……。」
返事はしたものの視線は巨大魚から離れない。
「研究者ならこれくらい慣れなさい。」
エレナはそう言いながら死骸を観察し始める。
「見て。これ。」
巨大魚の体表を指差した。
「……魚の鱗じゃない?」
思わず声が漏れるミネル。
普通の魚より厚く、まるで鎧のようだった。
「みたいね。」
エレナはナイフを差し出す。

「なるべく傷の少ない鱗を採取して。」
「分かりました。」
恐る恐る近づき、鱗を切り取る。
硬い。
予想以上だった。
続いてエレナは注射器を取り出した。
「体液も採取しましょう。空気に触れていない内部から。」
「はい。」
鱗の剥がれた箇所へ針を刺す。
暗い赤色の体液がゆっくりと注射器の中へ流れ込んだ。
「……どんな成分なのかしらね。」
エレナは採取したサンプルを見つめながら呟いた。
少し離れた場所。
「……これ、本当に回収するんですか?」
リンは露骨に嫌そうな顔をしていた。
視線の先には網に絡まった二足歩行の魚。
死んでいるとはいえ気味が悪い。
「文句言うな。」
ガレスは網を掴む。
「これも仕事だ。」
「うぅ……。」
納得はしていない。
「ほら、そっち持て。」
「はい……。」

二人で網を持ち上げる。
魚の死骸は思った以上に重かった。
どうにか荷台へ積み込む。
汗を拭いながらリンが尋ねた。
「あの……調査隊っていつもこんな仕事してるんですか?」
ガレスは少し考えた。
「今回はまだマシな方だな。」
「え?」
嫌な予感しかしない。
「この前はデカい虫を捕まえて来いって言われたぞ?」
リンの動きが止まる。
「は……?虫……?」
「そうだ。」
ガレスは平然としている。
「三十センチ以上あったな。」
リンは絶句した。
(無理なんだけど……。)
ガレスの「マシな方」という言葉をようやく理解したリン。
虫だけは本当に勘弁してほしい。
そんな事を考えながら、再び死骸を荷台へ積み込むのだった。
ーー調査隊の拠点
コンコン。
扉を叩く音が静かな執務室に響いた。
「入れ。」
カイルの返事と同時に科学者が入ってくる。
「隊長、報告があります。」
表情はどこか険しい。
「役所からの調査依頼です。」

差し出された書類を受け取り、カイルは目を通した。
「巨大昆虫の目撃情報に、異臭被害か。」
眉をひそめる。
書類を机へ置き、窓の外を見る。
(あいつらに任せてみるか……。)
静かにそう考えた。
一週間後。
ジュリアのケガは完治した。
包帯は外れている。
医師は最後まで首を傾げていた。
本来なら完治するまで一ヶ月以上かかるはずのケガ。
それが、わずか一週間でほぼ完治してしまったのだ。
理由は分からない。
だが、本人にとってはどうでもよかった。
体が動く。
それだけで十分だった。
「リン、ミネル。」
二人に向き直る。
「もう大丈夫。休んでいた分、ちゃんと働くから。」
その表情には迷いがない。
「ジュリア……。無茶だけはしないでね。」
ミネルは安堵したように微笑んだ。
「やっと三人で動けるね!」
リンは嬉しそうに笑う。
医務室の扉が開く。
「ジュリア。」
現れたのはカイルだった。
「本当に大丈夫なのか?」
「はい。」
即答。
「いつでも動けます。それで、何をすればいいですか?」
「復帰初日から仕事の話か。」
カイルはそう言いながら地図を取り出す。
「下水道の調査を頼む。役所から依頼が来ている。」
地図の一点を指差す。
「巨大昆虫の目撃情報と異臭被害だ。」
「巨大昆虫……。」
リンの顔が引きつった。
嫌な予感しかしない。
「道具は用意してある。」
カイルは立ち上がる。
「ついて来い。」
三人は別室へ移動した。

机の上には様々な機材が並んでいた。
サンプル容器。
採取器具。
ライト。
記録用カメラに防護服等。
「持っていけ。」
カイルは機材を指差す。
「下水道の撮影とサンプル回収。それが今回の任務だ。ガレスとエレナは別の仕事に向かった。今回はお前達のみだ。」
そして地図をジュリアへ手渡した。
「準備ができたらここへ向かえ。」
地図には下水道入口の位置が記されていた。
ーー下水道
扉を開けた瞬間。
「うっ……臭っ……。」
リンが思わず鼻を押さえる。
湿った空気。
腐敗臭。
下水独特の臭い。
「下水道なんだから当然でしょ?」
3人は防護服を着て下水道に降りていく。
ライトの光だけが暗闇を照らしていた。
足音が反響する。
静かだった。

だが――
カサ……。
遠くで何かが動いた。
全員が足を止める。
ライトを向けた瞬間。
「嘘でしょ……。」
リンの体が固まった。
巨大なゴキブリ。
体長は三十センチを超えている。
黒い甲殻が不気味に光っていた。
「ジュリア……任せた。」
即座に背後へ回り込む。
「はいはい。」
ジュリアは溜息を吐きながら近付く。
巨大ゴキブリを掴み上げて小型の檻へ放り込む。
ガチャン。
「え……凄……。」
感心するリン。
「そんなに褒められる事?」
ジュリアは不思議そうだった。
「奥へ進みましょう。」
ミネルがライトを前へ向ける。
再び歩き出した。
しばらく進むと通路が突然開けた。
巨大な地下空間。
洪水時に水を貯めるための施設だった。

何本もの巨大なキノコ。
不気味な赤色に発光している。
その奥。
三人は言葉を失った。
巨大な樹木。

地下に存在するはずのない異形の樹。
黒い幹。
脈打つような赤い蔓。
蔓は配管に絡み付きながら奥へと伸びている。
「何……ここ……。」
「巨大昆虫も異臭も……これが原因?」
リンは顔をしかめる。
「早く調査して帰ろうよ……。」
だが……
三人はまだ知らなかった。
この地下の樹木が、街全体を脅かし始めている事を。
