(ショートショート)ひとかけらの勇気
中秋の名月が終わったというのに、アスファルトから立ち上る熱気は、まだ真夏のように肌を焼く。
高校三年生の秋月 瞳は、息苦しい教室から逃げるように外へ出た。
教室内は、推薦入試や模試の結果に一喜一憂するクラスメートたちの、ピリピリとした空気で満ちている。
突き抜けるような秋晴れの青空を見上げ、瞳は深くため息をついた。
「私、何も夢がないな……」
その時、学校の正門近くを、小さな男の子が杖を突いてゆっくりと歩いているのが目に入った。
一歩一歩、確かめるような足取りが、なんだか危なっかしく見える。
(大丈夫かな)
いてもたってもいられず、瞳は校門を飛び出し、男の子に駆け寄った。
「大丈夫? 近くの小学校の子?」
「うん、大丈夫だよ」 男の子は、額に汗を浮かべながらも、元気よく答えた。
話を聞けば、交通事故の後遺症で、まだ足が不自由なのだという。
瞳は、男の子が通う小学校まで、一緒に歩いてあげることにした。
「一人で歩いてて、偉いね。痛くないの?」
「もう慣れたから平気」 健気なその言葉に、瞳の胸はチクリと痛んだ。
無意識のうちに、同情の言葉が口からこぼれ落ちる。
「かわいそうに。お姉ちゃんが代わってあげたいくらいだわ」
その瞬間、男の子はぴたりと足を止め、まっすぐに瞳の顔を見上げた。
その目は、年相応の無邪気さとは違う、静かな強さを持っていた。
「『かわいそう』って、それ、すごく上から目線だよね。お姉ちゃんだって、いつか自分も同じ体になるかもしれないのに」
ハッと息をのむ瞳に、男の子は続けた。
「俺は、別に不幸じゃないよ。事故に遭ったのは運が悪かったけど、こうしてまた歩けるようになったんだから」 雷に打たれたような衝撃だった。
恥ずかしさで、顔がみるみる熱くなる。
自分がいかに無知で、浅はかだったか。
「……ごめんなさい」 かろうじて絞り出した声に、男の子は不思議そうに首を傾げた。
「なんでお姉ちゃんが謝るの?」 その問いに、瞳は何も答えられなかった。
男の子を小学校に無事送り届けた後も、瞳の心臓は激しく波打っていた。
男の子の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
学校に戻り、真っ白なままだった進路希望調査の紙を前に、瞳はペンを握った。
(私は、今日までの私とは違う人間になりたい)
ただ「助けたい」んじゃない。
無知な優しさで人を傷つけるんじゃなくて、ちゃんと知識を身につけて、本当の意味で人の隣に立てる人間に、私はなりたいんだ。
瞳は、進路希望の欄に、震える文字で「看護学校」と書き込んだ。
放課後、瞳はクラスメートをつかまえて、自分に何かできることはないか尋ねた。
すると、地域のボランティア活動について教えてくれた。
家に帰ると、すぐさまスマホで検索し、とあるボランティア団体の連絡先を見つける。
電話をかけるボタンの上で、しばらくためらった。
(きっかけは、すぐ目の前にあったんだ。今まで、気づかなかっただけで)
瞳はひとかけらの勇気を振り絞り、深く息を吸って、通話ボタンを押した。
どんなに小さな一歩でもいい。
ここから、始めよう、と心に誓って。
おしまい。
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