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哲学と読書会

またまたひいろ書店の読書会にお邪魔してきた。

今回は積読解消。お久しぶりに会うYさん、初めましてのTさん。そしてひいろ書店のオーナー様。それぞれ読書30分。

僕は今年読んだベストワン小説がトーマス・マンの「トーニオ・クレーガー」なのでその関連本として

トーニオ・クレーガー/トーマス・マン


闘う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記 池内紀 著 を持って行った。

闘う文豪とナチス・ドイツ/池内紀

そして感想を言い合うお喋りタイムで、偶然にもそれぞれ持ち寄った本から「哲学」というキーワードが共通として浮かんできた。

Yさんが持ってきたアガサ・クリスティの「フランクフルトへの乗客」はアガサ・クリスティ作品でも少し異質で哲学的らしい。き、気になる……。

Tさんの本はズバリ、「ジャック・デリダ「差延」を読む」

む、難しい……含蓄のあるTさんでさえ難しいと言うならきっと僕はちんぷんかんぷんだろうな。

僕は哲学は齧ってるとも言えず、齧りきれずにうっすらと歯型が残ってるくらいのもんだ。キンキンに冷えたあずきバーの様に手強い。

哲学が流行る世はダメだよ。とコーヒーをすするTさん。

確かに、色々と迷って考え込んで袋小路に入り込むのは、現状に不満や恐れがあるからだ。僕の様に哲学書を斜め読みして更に混沌を招いているのは良くない事なのかもしれない。

しかし、思考をする事をやめる事なく、白か黒ではなく、中間を取る。

アリストテレスの中庸ってやつだな。うん、難しい。兎角、この世は二極になりがちだ。

僕の読んでる「闘う文豪とナチス・ドイツ」も、トーマス・マンがヒトラーが優勢主義やらアーリア人至上主義やらでドイツを二極化にした世界をドイツの外から眺め、ペンは剣より強し。とばかりに日記に書き込む。毎日、毎日書く。とても書ける心持ちや体調でなくてもとにかく書く。そして後世の僕らに世界を見つめよと伝える。

僕も最近頑張ってNOTEを毎日書いて1ヶ月が過ぎた。トーマス・マンと比べるのは烏滸がましいが、僕の人生においてきっといつか、役に立つと信じて。

昨日の記事で「う◯こ💩」って言ってたのが嘘の様だ(笑)

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