『自分なんて…』が口癖のあなたへ。その言葉に隠されたとびきりの功績
「自分なんて…」
その言葉がふと頭に浮かんだ瞬間、
胸の奥が少し冷たくなるのを感じて、
手に持っていたものを、
無造作に置いてしまったことはないだろうか。
あぁ、またこの感覚か。
もしこの言葉のなかに
ポジティブなエネルギーが
潜んでいるとしたら。
一般的には、
この言葉は自分を卑下する
ネガティブなものだと思われている。
けれど、
見方を変えれば
この言葉は
自分の北極星にもなると私は思っている。

「自分なんか、何者でもない」
そう思っているからこそ、
傲慢にならず、地に足をつけて
泥臭くがんばり続けられる。
他人の凄い部分や新しい価値観を、
濁りのない目で素直に認められる。
周りの声を柔らかく受け止めて、
スポンジのように吸収していける。
劣等感をエネルギーに変えることは、
きっと大事なことだと思う。
それこそが、
「自分なんて…」の持つ、
隠れた功績なのだから。
しかし、
この言葉は、
時に切ない副作用をもたらす。
それはいつの間にか、
私たちの内なる創造性までも
踏み潰してしまうこと。
新しい何かを生み出す力を、
自らブロックしてしまうことに、
この言葉の最大の弊害がある。
創造性と言うと、
何かアートを生み出すとか、
偉大な発明をするといった
大それたことのように
思えるかもしれない。
けれど、
ここで言う創造性とは、
もっと身近なものだ。
「今日のご飯、
いつもと違う味付けにしてみよう」
「この仕事、
もっと効率いい進め方があるかも」
「あの人に、
今、こんな言葉をかけてみよう」
日常をほんの少し新しくする、
工夫やチャレンジ。
それこそが、
私たちが本来持っている
創造性であり、生きるワクワクだ。
きっとそれは、
目の前にある人生を
粘土のように
色々な形にこねくり回して、
未来を形づくることに似ている。

しかし、
「自分なんて…」が
謙虚さを通り越して、
頭の中にべったりと
貼りついてしまうと、
粘土をこねる手は
ピタリと止まってしまう。
結果として、
なんの形かわからない、
謎の造形物のような未来が、
たまに爆誕してしまうこともある。
「私なんて…」
何者でもない自分の背中を
そっと押してくれるはずの
言葉だったのに。
時として、
自分の中から湧き出た
ピュアな「問い」や「ワクワク」を
自らの手で
否定の箱に閉じ込めてしまう。
創造性がなくなるというのは、
過去の延長線上を生きるということ。
「この歳だから。」
「やったことがないから。」
「周りがどう思うか気になるから。」
そうやって
過去に寄せた生き方や、
他人の物差しで
ジャッジされた行動が創る未来。
そこに、
あなたの本当の笑顔はあるだろうか。
だからこそ、
私という存在から、
何かが生まれた。
その事実を
ただ受け止めて、
そこから湧き出るワクワクを
紡いでいけばいいと思う。
それこそが、
結果として
信頼できる自分を育てていく。
自分を信頼するとは、
立派な人間になることなんかではなく、
何者でもない自分から
湧き出るものを
そのまま、
ニヤニヤして
おもしろがることだ。
世の中で、
スポットライトが当たっている人が
どこか我が儘で、
たまに少年のように映るのは、
きっと
自分の粘土をこねることに
猛烈に夢中になっているから。
がんばり続けるための謙虚さは、
そのまま持っていていい。
だけど、
あなたの創造性まで
その一言で
終わらせてしまうのは、
あまりにももったいない。
「自分なんて…」
その呟きをそっと脇に置いた、
余白の先に。
あなただけの新しい世界が、
少しずつ、
でも確実に創られていく。
あなたの日常が
多幸感で包まれますように
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