純文学×性癖——"人間の闇"を見つめる覚悟はあるか『いぬとりぼんと(解散号)』(解散号)作者に聞く|文学フリマインタビュー
この記事は、文学フリマに参加する人たちのためのインタビュー。
今回参加いただいたのは 釈迦堂入史 さんです!
屋号:病床りパブリック
作者名:釈迦堂入史
近刊本:『いぬとりぼんと(解散号)』(解散号)(合同誌)
参加イベント・ブース:文学フリマ東京41・U-45
HPなど:
文学フリマカタログ:https://c.bunfree.net/c/tokyo41/1F/U/45
X:https://x.com/ibuminmin
※今回は、真琴さんの『気水域』に寄稿、花台さんのハンドメイド作品(文豪×ガラスアクセサリー、ピンバッチ、月が綺麗ですねリング等)も委託販売予定です。
どんな本を出されているんでしょうか?
諧謔:今回文学フリマで出す本について教えていただけますか?
釈迦堂入史:今回は私の「病床りパブリック」という個人で主催しているサークルで、初めての試みで合同誌を作ることになりました。その名前が『いぬとりぼんと(解散号)』というものです。今まで個人誌しか出してきたことがなかったので、他人とスケジュールを合わせながら調整しながら本を作っていくっていうのが結構新鮮な行為でした。現時点では実はまだ完成していないんですけど、現在進行中で……とても大変な作業だなと思う反面、同じくらいやりがいは感じています。
諧謔:合同誌を書こうと思ったきっかけは何なんですか?
釈迦堂入史:私がもともと文学フリマでずっと前に――もう6、7年前ぐらいになりますかね? 購入した本で、書いている方の文章に衝撃を受けまして。とても素敵な文章を書く方だなと、才能に惚れてしまって……私の方からコンタクトを取ったんですね。先ずはDMで読了の感想なんかをお話ししつつ、そのうちだんだんやり取りをするうちに距離が縮まっていって、有難くも友人関係になっていって。
ただ、彼女がフランスに住んでいることもあって、一緒に執筆して一緒にイベントに出て売るというような体験がなかなか出来なかったんです。でも、今回彼女が日本に帰ってきて、丁度タイミングも合って一緒に出展することが可能になったので。じゃあ、折角だから一緒に小説を書いて出てみようかということで……。私の方から拝み倒して、了承を得て合同誌を作る運びとなりました。
諧謔:彼女と一緒に執筆してる時ってどんな気持ちになりますか?
釈迦堂入史:他人と合わせて、作業するのってこういうことか、と。
文章を書く人ってやっぱりちょっとおかしいんですよね。それは悪い意味ではなくて、0から1を作る人たちなんですよ、小説を書く人達っていうのは。なので、やっぱりちょっと価値観が普通、いわゆるこう一般って言われるような人の価値観とはちょっと違っていたりするので。彼女も私もそういった意味でちょっと変わっていて、全く同じ方向を向いているわけではないと思いました。
ただ持ってるものも方向性も違うけど、一緒に今回出そうよっていうことで、どうしても所々でやっぱり意見がぶつかってしまったりだとか。同じ人間ではないので当たり前ですけど――私はこう「作品が他人にどう見られるか、どう映るか」を気にする人間で他社ありきの作品作りの観点がある感じなんですけど、彼女の方は「個」を大切にするという風に感じました。他人がどう考えようとどう感じようと自分の作りたいものを作るという信念、みたいな強さ。そういったところで価値観がぶつかりあってしまったりだとか。だから、とても新鮮でした。喧嘩している訳ではないけれど、意見がぶつかると――その、なんかこう愉快な気持ちにはなれないんですけど。でも、新しい価値観を知れてすごく面白い、そんな気持ちもあります。
諧謔:さっき言ってた、その純文学と性癖をテーマにしてるのって、どんな理由があるんですか?
釈迦堂入史:純文学って「そもそもなんぞや?」っていうのが、私が常に思っているところなんですけど、同時に「性癖という言葉もそもそもなんぞや?」って。この謎を二つかけ合わせた感じです。純文学というのは私にとって永遠のテーマなので、人生をかけて突き詰めていきたいというテーマなのですが……まあそこが一番の主軸になっていて。で、そこに何をこうかけたら面白く、より人間を面白く描けるんだろうって思った時に、もう一つ常日頃から謎であった「性癖」――人の癖、性癖ですね、って思ったんですよね。
私は人間はもちろん好きなんですけど、その反面いつもうっすら嫌いな所があって。だからこそ理解したいなと思うんですね、人間のことを。
諧謔:そういう風に思い始めたのっていつぐらいからですか?
釈迦堂入史: やっぱり思春期ぐらいからですかね。十代前半とか。やっぱり、こう――人間という存在とは? みたいなことを考え始めるのって、それぐらいの時期からだと思うんですよね。あとは、まあ、やっぱり文学に触れてみて、それこそ太宰治の「人間失格」とか、もう人間の「闇の煮凝り」みたいな部分を——あ!「闇の煮凝り」、これぜひ使ってくださいね。それで、みんなその闇の煮凝り? みたいな部分を見つめて、それでも人は人を愛せるのかな? とか。自分は人の事を好きになれるのかな? とか、自分の汚いところも散々、生きてる年数だけ見てきているので。で、つまるところ――思春期の多感な時期+読書をきっかけにして、自分だったり他人を見つめて来て人間のことをうっすら嫌いになりましたかね?(現在進行形で)勿論、好きでもあります。そうでなければ、理解しようだなんて思いませんから。
諧謔:『いぬとりぼんと(解散号)』の解散号ってどういう感じですか?
釈迦堂入史:その質問を待ってたんですよ!気づいてくれるかなぁと思って。
これ、実は私のもう本当にとても個人的な趣味の話になってしまいますけど、大泉洋さんや安田顕さんが入ってる北海道の俳優の劇団で、TEAM NACS(チームナックス)っていうのがあるんですけど。そのTEAM NACSの始まりっていうのが、もともとその解散公演から始まったいんですね。一度きりの解散公演だったはずが、やっぱりこれからも続けたいっていってもう一度再結成して、現在に至るまで続いてるっていう。なので、この「いぬとりぼんと」も息が長く続きますようにという願いも込めて――まあ終わりから始まるみたいな感じのコンセプトで。この「いぬとりぼんと」の始まりは解散から始まるっていう感じにしてみました。
諧謔:どんな人に読んでほしいですか?
釈迦堂入史:やっぱり今という時代は「性に対してのの多様性」に関して物凄く言及されていると思います。自分のセクシュアリティに対して少し疑問を持っている方。昔は、女の子がスカートを履くのは当然、ランドセルは赤! みたいに――こう、もう符号のようにあった概念がだんだんなくなってきて、「ジェンダーレス」という風潮を受け入れつつなって来ていると思うんですよね。でも、そういった自由が普及してしまっているからこそ、逆に今度は自分の身の置き所がよく分からなくなってしまう、みたいな。自由を与えられてしまったがために、逆に自分の身の置き所がよく分からなくなってしまったみたいな、そういう性の揺らぎだったり。
自分は肉体的な性別は女だけど、心は時々男性的な時があるとか、心の底から女性だと思えないとか――逆もまたしかりですよね。男性の体に生まれたけれども、自分を男性だと思えない。例えば、女性の格好をしてみたい、いわゆる女性らしいと言われる格好をしてみたいとか。男性という性で生まれて来たけれど、自分の性を心の底から男性だと思えない。自分の性自認が曖昧な方、その性の揺らぎを感じている人だったりとか。
あとはそうですね、性産業に興味のある方。今回私は「凸凹セクシュアリティ」という、漢字のでこぼこっていう、凸凹セクシュアリティ、セクシュアリティは普通にカタカナなんですけど、そういうものを書いていて。そこにはチャットレディーっていう職業、性産業が描かれていたりだとか。あと、まあその性欲ですね、男性の性欲のあり方がちょっと狂気をはらんでいたりだとか。女性の性欲のあり方も歪んでいたりだとか。あとは身体改造かな? タトゥー、まあ刺青ですね。刺青だったりボディーピアスだったり、身体改造にも抵抗のない方。
性の揺らぎを感じてる方、性産業について知りたい方、人間の抱える狂気を正面から見つめる勇気のある人におすすめしたい作品となっております。ただ、恐らく人を選ぶとは思います。
因みに――私、執筆中に10,000字を超えると蕁麻疹が出てくる(精神的な)気がするんですけど、今回は60,000字以上書いたっていう、自身初の超大作になります。相方の彼女の方も、私が生きるかける性、性別の性だとしたら(「生×性」)死かける性、性っていう字ですね、「死×性」っていうコンセプトで書いてます。彼女の作品については、まだ鋭意執筆中なので、作品は出来上がってからのお楽しみという感じです。ですから、まだちょっとお話は出来ないんですけれど、とても素晴らしい方なので読む価値はあると思います。
これまではどんな活動をされていたのですか?
諧謔:これまでどんな本を書かれてきましたか?
釈迦堂入史:やっぱり、色々ね、実験とかをしてきたんですけど……最初に触れた「純文とはなんぞや?」って、いうところを試行錯誤していて。だから本当にいろんな、童話みたいなもの――例えば、シングルマザーや貧困だったり難病だったり、発達障害の子供だったり。そういう現代にも通じる問題を童話に落とし込んでみたらどうなるんだろう? っていうので、童話を書いてみたこともありますし。大人のための童話っていう感じのタイトルで。
他には掌編だったり詩だったり。そういうものも書いた時もありますし、それはもう明らかに純文学ではない――完全にジャンル違いではあるんですけど。色々試したくて。
あとはそうですね、文豪と文豪の間に起こったフィクションの話。太宰治と三島由紀夫の間で、二人って仲が悪かったんですけど、そこの間にね、何故二人が仲が悪かったのか? そこには一体何があったんだろうっていうのを、ちょっと色々考えを巡らせた結果、まあ完全なるフィクションですが――昔ながらの純文学みたいな語り口で、太宰から三島への罪の告白から始まる書簡形式の小説を書いたりだとか。
他には現代の作家さん――例えば、綿矢りささん、嶽本野ばらさん、湊かなえさんの作風をちょっと意識して書いた短編――あと太宰治の「駈込み訴え」をオマージュした作品を書いたりしたりとか。そういった短編集ですね。『ショートケーキは甘くない』と、いうのを出していたりします。
「駈込み訴え」ってご存知ですか?
太宰治の「駈込み訴え」という作品がありまして。なんかちょっと様子のおかしい人が、こう――正確にはキリストを売ったユダが、人に訴えかけている話しなんですよね。ちょっと感情が愛憎ごちゃまぜになってこう、物凄く情緒的に大変な感じになってる――とにかくその心情を訴えてる話なんですけど、まあそれをオマージュした、やっぱりちょっとね、頭というか情緒がぐちゃぐちゃにおかしくなってしまった人が、自分の作品が盗まれたって言って訴えてる、「訴人狂人」っていう話が入っていたりもします。
諧謔:釈迦堂さんにとって、書くってどういうことですか?
釈迦堂入史:抽象的な質問ですね――なんでしょうね? その時々によって定義が違う不思議な、実に不思議なものですね。生き方みたいなものかな。
今回書いた作品なんかに至ってはもう体が悲鳴を上げるまで結構トランス状態に突入して、ゾーンにも入っちゃったみたいな感じだから、書くのが楽しくて仕方ない。キャラクターが乗り移ってしまって筆が止まらないみたいな感じでした。睡眠もとらないし、寝ても2時間みたいな。そういう感覚が襲って来て楽しくて快感に溺れていたくてずっと書いてしまうっていう時もあるし、もう全く何も書けない、ただただ苦しいだけ、みたいな感じで、スランプというかどん底に落ちる時もありますし。
まあ、ままならないですよね。御し切れてない。書くっていう自発的な行為ではなくて、何かによって書かされてるみたいな。だから、感情を制御できる人間がいると思いますけど、感情に支配される人間もいるわけじゃないですか。支配される側なんですね、書くということに対して。飲まれる側にまだいるので、手綱を握れてないっていう。だから、今後はうまく手綱を握れるようにしたいと思います。
イベントへの意気込みをお願いします!
諧謔:文学フリマ参加への意気込みを教えてほしいです。
釈迦堂入史:今回は委託でハンドメイドの作品を扱うことになってるんですね。文豪×ガラスっていうので、アクセサリー、ハンドメイドアクセサリー、ピンバッチ、文豪のピンバッチと。あと、それから夏目漱石の「月が綺麗ですね」っていうリングを販売することになっているので。他にも委託で私が寄稿している合同誌をお預かりしています。弊サークル初の合同誌の販売、ということもあって気合十分です! 私も当日とっても楽しみにして参加しようかなと思っております。
諧謔:文学フリマのどんなところに魅力を感じてますか?
釈迦堂入史:魅力を感じてるとかではないんですよね、もはや。今の文学フリマの規模では。もう自分の存在を会場にいらっしゃる皆さんにいかに知ってもらうか? っていうことに注力をしなきゃいけないので、走り抜ける――ただ走り抜けるみたいな。楽しいとかではなく。楽しめる余裕がないんでしょうね、今はまだ。
諧謔:今、どういう気持ちですか?
釈迦堂入史:なんだろう。博打前って感じですね。大博打に、なんか丁か半かみたいなね。
諧謔:それってなんで博打前なんですか?
釈迦堂入史:それはですね、売れるかどうかていうこととですね、折角委託で商品をお預かりしていますし、初の合同誌を出す訳ですし。
諧謔:最後に、読者の方や皆様にメッセージをお願いします。
釈迦堂入史:10,000字を書くと蕁麻疹が出る(自己申告)私が60,000字も頑張って書いた作品なので、是非合同誌をお手に取ってご覧ください! あとは、委託で素晴らしい作品たちお預かりしてます。文豪をモチーフとしたアクセサリーだったり、寄稿させていただいた本だったりだとか。あとは重ねて言うんですが――初めての試みの合同誌ですね、こちらは自分で言うのもなんですけれども、過去一質が良いものとなっている自信がありますので、ぜひ読んでいただければな、と。いろんな気持ちを味わっていただきたいと思ってます。
インタビューを終えて
平成という時代に受けた私ですが、その頃はテレビ(今は全く見ないけど)にいわゆる”おかま”とカテゴライズされる著名人が出演すると、「気持ち悪い」とか「変」といった言葉を投げかけている人が今より多かった。簡潔に言えば、“普通”ではないということか。2000年を迎えて20世紀から21世紀になり、はや25年経過、ジェンダーレスやLGBTQといった立場の人たち存在感が以前より“普通”となってきはじめた中で、釈迦堂入史さんのいう「自由が普及してしまっているからこそ、逆に今度は自分の身の置き場がわからなくなってしまう」という別の課題が生まれていることに、新しい視点を与えられたように思う。
誰の評論だったかは忘れてしまったが、「考えや気持ちを言葉にして示す、主張する、表現すること自体が、すでにそれらの本当の意味を言葉という制限の中に押し込めることになる」(確かこんな感じことを言っていたと思う)と言っている人がいて、そこには必ず言葉で表現しきれないものが取りこぼされていると思う。自身が何者であるかを他者に示すために、“言葉”を介在することがコミュニケーション上不可欠であるがゆえに、取りこぼされた何かを放置したまま、自分を“仮”の言葉でおいておく必要があるかもしれない人が存在することを忘れずにこれからも生活していきたい。
インタビュー担当:諧謔
制作:栗林康弘・qbc(無名人インタビュー主催・作家)
過去の文学フリマインタビューはこちらから!

#無名人インタビュー #文学フリマ #小説 #エッセイ #ZINE #同人誌
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!