表現っていうものに関わり続けていきたいの人
むかしむかし、ある山里に、表現(ひょうげん)という名の若者が住んでいました。表現は幼い頃から、絵を描いたり、歌を歌ったり、物語を語ったりすることが大好きでした。
村人たちは最初、表現のことを不思議な目で見ていました。
「いつまで遊んでばかりいるんだろう」
「そろそろ真面目な仕事を探したほうがいいのに」
しかし表現は、どんな時も自分の心に正直に向き合い続けました。木々のざわめきを聞いては詩を詠み、夕焼けの空を見ては絵を描き、村人たちの暮らしを見ては物語を紡ぎました。
ある日、村を旅人が訪れました。表現の作品を目にした旅人は驚きました。
「これほど心を揺さぶる表現は見たことがない。あなたはなぜ、こんなにも表現し続けるのですか?」
表現は静かに答えました。
「私にとって表現することは、呼吸をするのと同じくらい自然なこと。止めることができないのです。それに、誰かの心に届いた時の喜びは何物にも代えがたいのです」
やがて、表現の作品は多くの人々の心を温めるようになりました。村人たちも次第に理解するようになりました。
「表現さんの作品を見ると、心が晴れやかになるねぇ」
「私たちの日々の暮らしが、こんなにも美しく輝いて見えるなんて」
表現は年を重ねても、決して表現することをやめませんでした。
「表現は終わりのない旅路。でも、その道を歩み続けることこそが、私の人生なのです」
そして「心に従う者は、必ず道を見つける」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年09月03日10時06分に書く無名人インタビュー1156回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 表現者もどき さんです!
年齢:20代前半
性別:ヒト
職業:休学放浪人・書画家
現在:やっぱり一番に思うことは自分が何者になりたいのかとか
qbc: まず、今何をしている方なのか教えていただけますか?
鹿島大貴: 大学3年生を終えたタイミングで休学し、カンボジアに渡りました。学年でいうと新4年生です。ただ、タイとカンボジアの国境紛争の影響で仕事がなくなってしまい、今は旅をしています。もともとカンボジアでは、デザイン系の会社でインターンをしながら、自分自身もアーティストとして絵を描く活動をしていました。
qbc: 整理しますと、今のご年齢と学年は?
鹿島大貴: すみません、21歳で今年22歳になります。大学は新4年生になるタイミング、つまり3年生が終わった時点で休学しています。
qbc: では、今年の4月から休学されているんですね。
鹿島大貴: はい、そうです。
qbc: 現在はどちらにいらっしゃるんですか?
鹿島大貴: いろいろあって、今はタイにいます。
qbc: タイですか。海外に出られたのはいつからでしょう?
鹿島大貴: 休学する前の、今年の2月からです。
qbc: 2月からだと半年ほど日本には帰国されていない?
鹿島大貴: 奨学金の手続きなどで一時帰国はしましたが、滞在は2週間程度でした。なので、海外にいる期間は合計で半年くらいになりますね。
qbc: それで、現在は具体的にどんな活動を?
鹿島大貴: アーティスト活動をしながら、旅をしたり、スタディツアーに参加したりしています。実は「トビタテ!留学JAPAN」という官民協働の留学プロジェクトに採択されて、カンボジアでの活動に対して奨学金をいただいています。
qbc: 何が採択されたのでしょうか?
鹿島大貴: カンボジアでアーティスト活動をすることと、デザイン会社でインターンシップをすること、この2つの活動計画が採択されました。それで「カンボジアに1年間行きます」というかたちで留学させてもらっています。
qbc: 採択されたのはいつ頃ですか?
鹿島大貴: 採択されたのは6月です。話がややこしくてすみません。
qbc: アーティスト活動というのは、具体的に何 Eをされているんですか?
鹿島大貴: 書道とアートを融合させた活動をしています。カンボジア語や日本語などの外国語の「文字」をまず書き、その文字から受けるイメージを、周りに水彩画などで描いて一枚の絵に仕上げる、というスタイルです。
qbc: 書道と絵、どちらが先だったんですか?
鹿島大貴: もともと言葉が好きで、実は絵にすごく興味があったわけではないんです。全ての始まりは、3年前に初めてカンボジアへ行ったことでした。 もともと僕は教員になりたくて、教員養成系の大学に入学しました。そこでは小学校の教員免許取得が必須の学科だったんです。その頃はアートに全く興味がなく、まっすぐに教員を目指していました。でも、次第に「ただの教員にはなりたくない」という思いが芽生えてきて。何か自信を持って教えられるものがあればいいな、と考えていた時に、オルタナティブスクールを運営されている方に出会ったんです。そこで、教員の道は公立学校で教鞭をとるだけではないと知りました。他の施設でも子どもに寄り添うことができるんだ、と視野が広がったんです。
qbc: それはいつ頃のお話ですか?
鹿島大貴: 大学1年生の時です。そこから「色々やってみよう」と国際系の授業を履修し、発展途上国について勉強しました。その中でカンボジアという研究テーマが出てきたので、「研究するだけじゃなく、行ってみよう」と思い立ったのが、カンボジアとの出会いです。 現地では日本語や英語を教えていたのですが、言葉は全く通じません。でも、休み時間に子どもたちと一緒に絵を描く時間がすごく好きで。こういうもので人と人を繋げられないかと考え、スポーツやアートに興味を持つようになりました。 もともと言葉は好きで、小学校の頃から詩を書いたり、中学校では毎日詩を書いていたりしたくらいです。そこで、言葉とアートで人を繋げられないか、ワークショップができないか、と試行錯誤してたどり着いたのが「言葉をデザインする」というワークショップでした。
qbc: なるほど。
鹿島大貴: 同じ「ありがとう」という言葉でも、日本人であっても、その言葉の裏に思い描く風景は人それぞれ違うと思うんです。そこにどんな色をつけるのか、それを見るのが楽しいなと感じるようになって、アートに興味を持ち始めました。そして「字をデザインする」ということを自分でももっと研究してみようと、「アーティスト」という肩書きを自分でつけて、自分の世界観を作れたらいいな、という思いで活動しています。
qbc: 美術教育のような専門的な教育は受けてこなかった?
鹿島大貴: 受けていません。大学で副免許として美術の授業を少しだけ取って、デッサンなどをかじった程度です。でも、下手でも「楽しい」という気持ちが先行して、いろいろとやっています。
qbc: お話は戻りますが、2月にカンボジアへ行き、今タイにいらっしゃる理由は?
鹿島大貴: はい。カンボジアに行くのが当初の目標でした。インターン先では、小児がん病棟で絵を描いたり、現地のイオンモールでワークショップをさせてもらったりと、様々な経験を積みました。
qbc: そもそも、なぜカンボジアだったのですか?
鹿島大貴: 大学1年生の時に初めて行った海外がカンボジアで、そこから繋がりが深まっていったのが一番の理由です。
qbc: 最初のきっかけは?
鹿島大貴: 教育ボランティアです。自分で現地の団体にアポイントを取り、飛行機を予約して行きました。それがきっかけで、現地にいる多くの日本人の方と知り合うことができました。
qbc: 海外で生活する中で、日々どんな気持ちで過ごしていますか?
鹿島大貴: 日々、迷いの中にいる感覚はありますね。インターン先で決まった仕事があるわけではなく、自分にできることは限られています。逆に言えば、自分で何かを生み出せる環境ではあるのですが。だからこそ、「自分は何者になりたいのか」「休学してまでカンボジアに来たからには、何かを成し遂げなければ」という、ある種の義務感や焦りのような感情が常に渦巻いています。
qbc: その感情は、カンボジアに来てから、あるいは休学してから強くなったのですか?
鹿島大貴: そうですね、休学してからは特に強くなっています。
qbc: 休学した理由をもう一度伺ってもよろしいですか?
鹿島大貴: 自分のキャリアにまだ迷いがある中で、カンボジアという大切な繋がりができたことが大きいです。卒業前に、この場所で自分にできることを探したいと思いました。もともと国際協力に関心があったので、まずは興味のある分野に飛び込んで、とにかく行動してみよう、というのが休学した理由です。
qbc: 休学前にイメージしていた「こうだろうな」という期待に対して、現状の達成度は何パーセントくらいですか?
鹿島大貴: 今は60~70%くらいです。
qbc: 満たされた60~70%は、具体的にどのようなことですか?
鹿島大貴: もともとやりたかったワークショップや、子どもたちと向き合って絵を描く活動を、インターン先のおかげで存分にやらせていただけたことです。これが非常に大きいです。残りの30~40%は、紛争の影響で活動の機会が減ってきていることと、ワークショップをやり遂げたからこそ生まれた「本当に自分がやりたいことは何だろう」という新たな悩みですね。
qbc: ワークショップではどんなことをするのですか?
鹿島大貴: 会社に所属して行っていたワークショップでは、例えばアクリル板に好きな絵を描いたり、粘土をこねて何かを作ったり、といった内容でした。子どもたちと一緒に何かを作ったり描いたりする、小さな授業のようなものです。
qbc: では、ご自身の「書」の活動とは別なのですね。
鹿島大貴: はい、会社での活動と、自分自身のアーティスト活動とは分けていました。「書」をテーマにしたワークショップは、まだできていません。
qbc: では、「書」の方はどのような活動を?
鹿島大貴: 作品制作が主ですが、日本とカンボジアで何度かライブパフォーマンスも行いました。大きな紙に墨で文字を書き、その上に絵の具で色をつけていく、というものです。
qbc: ワークショップを行う時は、どんな気持ちですか?
鹿島大貴: ワークショップは人を集めるために行う側面もあるので、集まってくれた子どもたちに手順を教えたり、材料を準備したり、うまくできない子がいたら手伝ったりと、補助的な役割を担っています。
qbc: 一方で、ご自身の「書」の作品を作っている時は、どんな気持ちなのでしょうか?
鹿島大貴: 作品と向き合う時間は、自分の心と向き合う感覚に近いです。絵は手数を重ねられますが、書は二度書きができません。そのもどかしさを感じながらも、一回で書くことこそがオリジナリティであり、その一回一回を大事にしたいという思いで書いています。
qbc: 趣味についてもお伺いしたいです。
鹿島大貴: 趣味は、登山とカメラです。
qbc: 登山はどれくらいの山に登るのですか?
鹿島大貴: 東京の高尾山のような登りやすい山も好きですが、日本百名山の全山登頂を目指していて、アルプスや丹沢など標高の高い山にも登ります。一週間家を空けて、山々を縦走することもありました。
qbc: カメラでは何を撮りますか?
鹿島大貴: 本当に趣味の範囲ですが、星空を撮って合成したり、犬の写真を撮るのが大好きです。東南アジアには犬がたくさんいるので、「いかに犬を可愛く撮るか」を追求したり、現地の方々の生活を切り取ったような写真を撮ったりしています。
qbc: 犬を可愛く撮るコツは?
鹿島大貴: 難しいですね(笑)。目がキラキラしている子が多くて、食べ物を持っていると「ちょうだい」って下から見上げてくるんです。そういう目線を合わせて寄ってきた瞬間を撮らせてもらっています。
qbc: 人からどんな性格だと言われますか?
鹿島大貴: 「真面目だけど、よくわからない」と言われます。
qbc: 「よくわからない」というのは、どのあたりを指していると思いますか?
鹿島大貴: 自分でも言葉で伝えるのが苦手な部分や、どもってしまうところがあって。自信がなさそうに見える点も含めて、「何をしているのか分からない」というミステリアスな印象を与えているのかもしれません。
qbc: ご自身ではどんな性格だと思いますか?
鹿島大貴: 同じかもしれません。自分でも自信がないなと節々で感じますし、間の悪い人間だなとも思います。
qbc: 何をしている時が一番好きですか?
鹿島大貴: 移動している時かもしれません。特に歩いている時が一番好きです。カメラを持ちながら、新しい風景や人、景色に出会えるのが楽しいです。
qbc: 逆につまらない、嫌いな移動は?
鹿島大貴: 飛行機かもしれません。できることが少ないので。
qbc: 「言葉が好き」とのことですが、言葉のどんなところが好きですか?
鹿島大貴: 言い表すのが難しいのですが…日本語の「嬉しい」という一言をとっても、その度合いやニュアンスは様々ですよね。そういった、一言にまとめられない何かが好きなのかもしれません。含みを持たせた表現や、人と話すからこそ生まれる温かみ、言葉の裏にある余白のような、なんとも言えない「わからなさ」が好きです。
qbc: 言葉を好きになった、最初のきっかけを教えてください。
鹿島大貴: 中学生の頃、毎日詩を書いていたことが大きいです。
qbc: どんな詩を書いていたのですか?
鹿島大貴: 五・七・五のような形式で、その日にあったことや感じたことを綴っていました。ノートは恥ずかしくて捨ててしまったので、もう残っていませんが。
qbc: 詩を書こうと思ったきっかけは?
鹿島大貴: 中学2年生の頃、国語の授業で標語を作る課題がありました。限られた時間の中でみんなで言葉を編み出し、貼り出された時に、自分の作品を「いいね、面白い」と褒めてもらえたんです。それが嬉しくて、原体験になったのかもしれません。
qbc: そこから現在の「書」に至るまで、言葉とはどう付き合ってきましたか?
鹿島大貴: もともと字を書くこと自体が好きで、高校生の頃は漢字練習帳に難しい漢字をひたすら書いたりしていました。漢字を書くのが趣味だったのかもしれません。ただ、その頃は今のような作品にするレベルではありませんでした。
qbc: 本を読むのもお好きでしたか?
鹿島大貴: はい、読書も好きで、小学校低学年からずっと小説を読んでいました。日本の詩も読んでいましたね。
qbc: 好きな詩人はいらっしゃいますか?
鹿島大貴: 田口久人さんの『そのままでいい』という詩集がすごく好きです。詩に一番ハマっていた高校2年生の頃によく読んでいました。「怒ってもいい、泣いてもいい、自由だ」といった言葉に惹かれて、自分を肯定してくれるような感覚が好きでした。
過去:別に嫌ってくる人がいるんだったら、じゃあ好きな人を好きになればいい訳で。カレーライスもね、好きな人と嫌いな人いるわけだからっていうふうな感じですけど。
過去について
qbc: 過去についてお伺いします。子どもの頃はどんなお子さんでしたか?
鹿島大貴: 旅行によく連れて行ってもらっていたので、新しい景色を見るのが大好きでした。その景色を自分の手で残したいという思いから、家にあったフィルムカメラで写真を撮り始めたのが、カメラを好きになったきっかけです。 幼稚園の頃から、登山家でフォトグラファーでもあった祖父に、よく山へ連れて行ってもらいました。祖父は景色の写真を撮るのが好きで、カメラを触らせてもらいながら、背負われて色々な場所に連れて行ってもらったのが原体験です。それが今の趣味に繋がっているのだと思います。
qbc: おじいさんに背負われていたのは何歳くらいの時ですか?
鹿島大貴: 3歳とか5歳の頃です。バックパックと一緒に背負われていました。岩の崖を、鎖を頼りに腕の力だけで登っていく祖父の姿を覚えています。
qbc: 小学校に入ってからはどうでしたか?
鹿島大貴: 友達と野球をしたり、家の近くの大きな公園で遊んだりしていました。でも高学年になるにつれて、委員会活動などで一人で帰ることが多くなり、それが逆に好きになっていきました。今でいう「陰キャ」な生活で、家で何かをしているのが好きでしたね。
qbc: 家では何をしていたのですか?
鹿島大貴: 習い事が多くて、スイミング、そろばん、柔道、塾と、週に何かしら予定が入っていました。学校が終わったら、一人で家に帰るか、習い事に行っているかのどちらかでした。
qbc: それらの習い事は、振り返ってみてどうでしたか?
鹿島大貴: その経験のおかげで、忙しいのが好きになったんだと思います。忙しいことが「充実している」と感じられるというか。人と関わることで生きている実感を得られるという考え方は、その頃に形成されたのかもしれません。「何もしないと生きている実感がない」という感覚が、昔からあったのだと、このインタビューで初めて気づきました。
qbc: 中学校生活はどうでしたか?
鹿島大貴: 小学校からの持ち上がりでほとんど同じメンバーだったので、小学校時代に作ってしまった「黒歴史」を引きずられるのが怖くて。波風を立てないように、周りの目を気にして生きていたように思います。
qbc: 今は周りの目を気にすることは?
鹿島大貴: 今はそんなにないです。
qbc: 気にしなくなったきっかけはありますか?
鹿島大貴: 高校進学が大きいです。全く違う県の学校に進学したので、自分の過去を知っている人がほとんどいませんでした。ゼロからの人間関係の中で、自分をさらけ出しても受け入れてくれる仲間に出会えたことで、人格が変わったんだと思います。
qbc: どんな変化がありましたか?
鹿島大貴: 自分らしくいられるようになりました。何かをする前に「こう思われるだろうな」と悪い方向に考える癖があったのですが、それがなくなりました。先ほどお話しした田口さんの「そのままでいい」という詩に出会ったのもこの頃で、「嫌う人がいるなら、自分のことを好きでいてくれる人を大切にすればいい」と思えるようになりました。カレーライスだって、好きな人も嫌いな人もいますからね。そういう生き方でいいんだ、と。
qbc: 大学選びはどのように?
鹿島大貴: 中学2年生の職業体験で小学校に行った経験から、ずっと教師になりたいと思っていました。なので、教員になれる大学を一直線に目指しました。また、高校受験で一度失敗した経験から、自分自身が胸を張れる大学に行きたいという思いもありました。
qbc: 大学1年でカンボジアへ行き、2、3年生ではどう過ごしましたか?
鹿島大貴: 2、3年生でもカンボジアにのめり込んでいきました。2年生の夏に友人に誘われて参加したスタディツアーが大きな転機でした。そこで多くの日本人の方々と繋がりができ、今のインターン先とも出会いました。さらに、そのツアーで出会った学生たちと団体を立ち上げ、カンボジアでプロジェクトを行うことになり、ますますカンボジアとの縁が深まっていきました。
qbc: なぜそこまでカンボジアに惹かれたのでしょうか?
鹿島大貴: 初めて訪れた時、日本とは全く違う空間、人、文化に、ある種の「カオス」を感じました。言葉が通じない中で、スポーツやアートといった非言語のコミュニケーションが人を繋げるんだという驚きが、私の興味の原点です。そして、2年生の時に参加したスタディツアーで、教育だけでなくビジネスやNPOなど、多様な形でカンボジアと関わる方々の話を聞き、どんどん縁を感じるようになっていきました。
qbc: ご両親からはどのように育てられたと感じますか?
鹿島大貴: ありがたいことに、本当に色々な機会を与えてもらったと思います。習い事も旅行もそうですし、今こうしてカンボジアに行かせてもらっていることも。費用は自分でアルバイトをして賄っていますが、やりたいことを自由に、伸び伸びとやらせてもらっていることに感謝しています。
qbc: ご自身の人生の転換点はどこだったと思いますか?
鹿島大貴: やはり、大学1年生でカンボジアに行ったことです。小学3年生からずっと教員になることだけを考えてきた中で、初めて「違うかもしれない」と思った瞬間でした。海外に行ったこと、オルタナティブスクールの方の話を聞いたこと、そうした経験を通じて「教員だけが選択肢じゃない」と視野が広がったことが、私にとって最大のターニングポイントです。
未来:自分自身のオリジナリティの雰囲気を持った作品を作り続けていたいなとか
未来について
qbc: 5年後、10年後、あるいは人生の最期まで含めて、どんな未来を思い描いていますか?
鹿島大貴: まだ明確には描けていませんが、アーティストとしては、自分だけのオリジナリティがある作品を作り続けていたいです。人生の軸として「表現」には関わり続けていきたいですね。ブログを書いたり、SNSで発信したりするのも好きなんです。
qbc: 鹿島さんにとって「表現」とは何ですか?
鹿島大貴: 自分の中にある思いや、目に見えないものを、作品や言葉、声として外に出す営みのことだと思います。それが自分の行動の軸であり、死ぬまで大事にしたいことです。
qbc: 表現活動の中で、どのプロセスが一番楽しいですか?
鹿島大貴: 作っている時、特に試行錯誤している時が一番楽しいです。文章なら「どの言葉が今の思いを100%に近く伝えてくれるだろうか」と考えながら、パソコンで書いたり消したりを繰り返している時ですね。
qbc: もしもの話ですが、もし幼い頃に登山に連れて行ってもらっていなかったら、どんな人生になっていたと思いますか?
鹿島大貴: あそこまで本気で山に登る人間にはなっていなかったでしょうね。山登りを通じて得た「やるからには突き詰めたい」という気持ちも生まれなかったかもしれません。もっとぼんやりした人間になっていたと思います。
qbc: もう一つ、もしカンボジアに行っていなかったら?
鹿島大貴: 視野は広がっていなかったでしょうね。カンボジアに行く前は「死」、つまり死生観に興味があったので、そちらを突き詰めていたかもしれません。
qbc: 死生観への興味ですか。
鹿島大貴: はい。小学2年生の時に、山に連れて行ってくれた祖父を亡くした経験が大きいです。その時に「自分が死んだらどうなるんだろう」と考えるようになり、人の死がアイデンティティにどう影響するのかをずっと考えていました。大学1年の頃は、それを研究してみたいとさえ思っていました。教育現場でタブー視されがちな「死」というテーマを、教えられる人間になりたかったんです。
qbc: 「人と違ったことをしたい」という独自性を求めるモチベーションはどこから来ているのでしょうか?
鹿島大貴: 根底に「ただの人間になりたくない」という思いがずっとあるのだと思います。個性を押し殺していた中学生時代を経て、高校生になった時に「どうせ生きるなら、誰かの真似はしたくない」と強く思うようになりました。「私イコール何か」というイメージを確立したかった。人と違った体験をして、それを発信したり、人を驚かせたりしたいという気持ちがあったのかもしれません。
qbc: 最後に、言い残したことがあればお願いします。
鹿島大貴: ありがとうございます。まだ語りきれていない部分もたくさんあると感じています。1年後には、また違う自分として、もっと深く語れる人間になっていたいと思います。
あとがき
人生いろいろですねえ。
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:夕星】
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