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どんなにすごい技術を持っていても人間が持っている以上は死んでしまったら技術が消えてしまうから最初の導き手として今後も生きていければなと思ってる人

人から人へ、受け継いでますか? 重もい! 主語も述語も重も!
て技術継承とか以心伝心とかまあ人は人から人へ情報を内容を意味を受け渡していくわけですよ。広い意味では、この無名人インタビューも参加者さまの生き方生きザマをリレーしてるわけですよみなさん読者の方々に。わかりますよねみなさんは、みなさんは命のバトンを受け取っているわけです!(サーモンダンスです! 中島みゆきです! 二隻の舟なのです!)
そういうわけで、私は中島みゆきファンなのですが、中島みゆきってサブスクリプション配信なくて(一部有名曲は解放されてますよ、でも聞きたいのは「生きていてもいいですか」とかに入っている曲なのです!!!!😡)、当然YouTubeからも削除されまくっていて、私はですね、昔ニコニコ動画でめちゃくちゃ中島みゆきの動画に#魔女つけまくってました、ええ、ええ。これじゃ! 名曲が引き継がれていかないんじゃないですかねえ?!!
中島みゆき関係なかった!!!
ということで、中島みゆきのヤマハポプコングランプリとったときの歌は「時代」ですね。おおげさに言ってしまえば輪廻転生を歌ったっぽいこの歌は、ポプコンのステージで歌われましたが、そのとき彼女の父親は、昏睡状態だったという話です。お父さんが死ぬかもしれないけれども、自分は未来への希望を託したステージに立っていて、彼女はどんな気持ちだったんでしょうか。つまり、今日は倒れた人々も生まれ変わって歩き出すよって。
気持ちは受け継がれる。
今回の無名人インタビューも超お楽しみくだされば超私も幸せです。(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは セッジデザイン さんです!

現在:デザインやイラストの仕事を依頼してほしい。

山田:今、何をしている人ですか?

セッジ:もう30年くらいこの業界にいるので、経歴に近いプロフィールをお話しします。

山田:お願いします。

セッジ:デザイン系の専門学校を出てるんですが、30年も前だとデザインの学校を出て就職する先ってのは大体デザイン会社、デザイン事務所なのですね。
でも私の場合は、たまたま学生時代から映像系の制作会社にアルバイトに行ってまして、かなりその会社と親しくなっていたので「うち来るか?」みたいな話になって、そちらの映像制作会社に入ったんですね。
映像制作会社にデザイナーが入るってこと自体も、当時は珍しいコトでした。

山田:なるほど。

セッジ:基本的に映像を作るっていうのは撮影をして、編集することが主体なのです。
ただ、映像内で資料を見せる必要もあって、そういった映像用の資料や素材、クライアントさんのパンフレットのデザインなどをしてました。

そこは3年弱ぐらい勤めて辞めることになりまして、その後、制作会社の方で取引してた印刷会社さんから、やめるんだったらここ行ってみないって言われて、デザイン事務所に移ることになりました。そちらで2年弱ぐらい、健康保険組合のパンフレットや学習教材などの編集デザインをしていました。

山田:うんうん。

セッジ:その次は、大手のゼネコンさんで機関紙を作るという話がありました。
それは私自身が作るのではなくて、ゼネコンの社員さんが作るんですけれど、それのDTPやデザインのアドバイスをして欲しいということで、そちらも2~3年ぐらいですかね、やってました。

その後、フリーになって、パソコン系の雑誌などでイラストやデザインをしていたのですが、「セッジさん文章書けそうだから、記事も書いてみない?」という話になって記事を書くようにもなりました。
そういった活動をしてるうちに、今度は学生時代の恩師から「ちょっとお前、講師やってみないか」と声をかけられ、専門学校で講師をやるようになりました。
講師ももう20年ぐらいですかね。現在も続いています。

それからこの10年ぐらいで言うと、最初に映像制作会社に入ったコトもあって、動くものに興味があったんですね。
そのため、テレビ関係のCGであるとか、テレビアニメのCGの仕事もしていました。

大体こんな活動をしてきた背景があります。

山田:辞めたきっかけとか、次に進むきっかけとか、そういう部分をお聞きしたいです。

セッジ:辞めたきっかけはですね、あまりいい話じゃないのですけど、
会社の経営が悪くなって、人を減らすことになってしまったのですね。
最初の会社に関して言えば、残るか辞めるか決めてくれと言われたので、一応残るという選択肢もあったんですが、元々何年か会社員を経験したらフリーになりたいという希望もあったのでそのときは辞めるコトにしました。
その後編集デザイン事務所に移ったのですが、そのきっかけは、20代前半の経験が少ない人間がポンと外に出ても仕事なんか取れるわけもなく、前職で取引していた印刷会社さんから「デザインもできてコンピューターのことも詳しい人を探してる人がいるんだけど」って言われて、デザイン事務所の代表さんに会ったんです。
その人は、私よりも20年以上も長くお仕事されてる方だったんですけど「僕はデザインはわかるんだけど、コンピューターが全然わかんないんだよね。だから、君にデザインを教えてあげるから、その代わりコンピューターの方を教えてほしい。あとコンピューターの管理とかその辺全部を任せられないか」って話になったんです。

山田:うんうん。

セッジ:自分の得意な部分と弱い部分、お互いを補いあえると思ったので、それで会社を移るっていう決断をしたんですね。
師弟関係ではないんですけど、それに近いような2人でやってたんですね。
でも、そのデザイン事務所も経営的に厳しくなってきて辞めることになりました。

山田:元々フリーになりたかったっていうのは、どういった理由からですか。

セッジ:自分の中ではこういう仕事はフリーになるものだという思い込みがあったのです。
子供の頃にさかのぼりますと、子供の頃は漫画家になりたかったんです。
漫画家になろうと思って高校ぐらいまでは実際にコマ割りして漫画を描いたりもして、1回応募したこともありましたがダメでしたね。

そこで何がダメなのかと少し考えた時に、ストーリーがダメなんだと思ったんです。
絵はずっと描いてきたので描ける。でも、そこで安直な考えをしてしまったのが「ストーリーがダメでもイラストレーターって仕事があるよね」というコトでした。

なので、漫画家を諦めてイラストレーターになりたいと思うようになるのですが、
それも今になってみれば、めちゃくちゃ甘い考えだっていうのもわかるんですね。
イラストでもストーリーが必要だということに今は気づいてるんですけど、当時はそうじゃなかったんですよ。

山田:はい。

セッジ:で、専門学校を卒業する卒業間際になって、就職先を探さなきゃいけないとなった時に、就職課の先生にですね「セッジくんはどういう系統に進みたいの?」と聞かれて、「僕はイラストレーターになりたいんです」と答えたら「なれないと思うよ」といきなり言われちゃったんです。
「それは実力的に無理があるって話ですか?」とたずねると、「いやそうじゃなくて、求人を見てください」って言われたんです。
そう言われて求人票を見たところ、仮に100件求人があったとすると、イラストレーターの求人は1件あるかないかだったんですね。
「イラストレーターで会社員っていうのはほぼ存在しない。大体みんなフリーなんだよ」と。
そして「新卒でフリーというのは無理がある」とも言われました。

山田:はい。

セッジ:「最初はグラフィックデザイナーなどになってデザインの仕事をして、並行してイラストを描いていって、最終的にはフリーになってるんだよ」
このように説明されたコトがあって「イラストレーターっていうのはフリーじゃないと無理なんだ」と思ったのが、今も続いてるのですね。
今現在はね、ソーシャルゲームとかトレーニングカードゲームなどが流行っているので、会社員でイラストレーターも成立していますけどね。
実際私が仕事を始めた頃もイラストレーター=フリーだったので、それが結果的に自分の中でもフリーになるしかないという考えになったのです。

山田:漫画家さんになりたかった経緯などを教えていただきたいです。

セッジ:ネガティブな話も入ってきますが、私は運動神経が良くないんですね。
運動が苦手ですので、もちろん腕力もない訳です。
これを読まれている皆さんがどのように想像するかわかりませんが、当時の学校っていうのは、ある種「力」が全てみたいなところがあって…

例えばモテる男子の条件が何かと言えば、スポーツができることなのですね。
なので、まず運動が苦手という時点で人から劣るとみなされましたし、「力」がすべてということは、暴力でいうことを聞かせようとするタイプが多かったんですね。

山田:うんうん。

セッジ:自分は、暴力に暴力で対抗できないわけです。
その中で自分の中で唯一人より優れていると思えたのは絵を書くことでした。
小学校とか中学校という狭い世界の中では自分以上の存在はいなかったので、これしかないっていう意識もあったんですね。

あとは昔から漫画を読んだり、小説を読んだり、その世界の中に入るってことがとても好きだったので、そういう自分で世界を創造したいというのもおそらくあったと思うんですね。
なので、漫画という表現を選んでしまったというか、それしかなかったというか。

山田:絵が描ける、これしかないなと思ったのは、いつ頃だったんですか?

セッジ:物心ついた頃には絵描いたり、粘土で何かを形を作ったりしていました。
小さい頃は、自分が将来何になりたいかはぼやっとしていましたが、はっきり漫画家という職業が自分の中で出てきたのは、おそらく小学校3年から4年ぐらいですね。
そのきっかけは当時よく遊んでた友達ですね。彼も漫画を描くのが好きで、その子とリレー漫画のようなコトをしていました。
私が話を描いたら、友達がその続きを描いて、そしたらまたこちらで続きを描いてみたいな。
そういうところで、漫画家っていう仕事があるんだ、漫画家になれたらいいなと思ったのでしょうね。

山田:もし今セッジさんが、学生だったら、会社員になろうと思いますか。

セッジ:会社員になるんじゃないかなと思います。実際、私が教えてる子たちに対しても、会社員になった方がいいよって言ってます。まずはフリーじゃなくて、会社員になった方がいいよって。

山田:現在、その学校の中で生徒さんと関わる機会っていうのは多いですか。

セッジ:そうですね、1年間で見ると100人弱ぐらいの生徒と関わります。もちろん、1人1人常にではないんですけれども、授業で。

過去:漫画、アニメ、特撮系が好き。

山田:セッジさんの子供の頃の話をお伺いしてもよろしいですか。

セッジ:絵とかデザインの世界に導かれるきっかけになった部分というのが、父親にあります。父はプロダクトデザイナー兼設計士という肩書きになるんですけれども。
例えばオーディオ製品があったとすると、外見のデザインもすれば、内部の回路の設計もするっていう仕事をしてたんですね。
なので、気が付いた時にはデザインの道具とか、その絵の道具ばっかりがあるっていう家だったんです。そういう意味で父からの影響が強いですね。

山田:そうなのですね。

セッジ:誰かに自分の作品を見せた時に、一番評価が厳しかったのがうちの父だったんです。
逆に母はどうかと言うと、母の場合は特にこだわった仕事があるわけじゃなくて、できる仕事だったらなんでもやるというタイプだったのですね。
また、母にとって父が具体的にどんな仕事をしていたのかは、実はあまり理解できなかったのではないかと感じてますし、今現在私がやっているグラフィックも、父とはまたデザインの分野は違うんですが、父親がやってた仕事と息子がやってる仕事は何が違うのかについても理解してないですね。

山田:はい。

セッジ:学校はですね、運動が苦手なので、スポーツ系は常に最下位にいるような状態でした。その代わりに、モノを作るとか、絵を書くっていうことに関しては、とても得意だったんですね。
小学校で言えば、図画工作などの成績は良かったのですが、全体的な勉強で言うと、そんなに良くなかったですね。
それでもこれは得意だったと思えたのは理科ですね。うん、図工以外では理科がとても好きでした。
それもあって、今も科学情報ネタがとても好きなんです。

科学技術とかにすごく惹かれるので、例えばデザインとか絵を描く上でも、やはり科学的にどうかっていうところを見たりします。
よくTwitterなどで流れてくるような話でも、これほんとに科学的に正しいのかなっていうのは、まず気になっちゃいますね。ぱっと見、正しいことを言ってるような人も、実は調べると間違っているコトもあるので、そういう見方をする性質があります。

それはやはり子供時代の理科が好きだったっていうのがとても影響していて、今にして思うと、科学者になりたかったっていう自分もどこかにいるっぽいのですね。
ただ科学者になるには、とても勉強ができないといけないので、絵の方に流れててしまったのかもしれません。

山田:うんうん。

セッジ:それから、アニメとか漫画が好きという以外にも、特撮系の番組が好きだったですね。
SNSの中でよくつぶやいてるんですけど、特に仮面ライダーが大好きです。
その「好き」は今も続いているのですが、仮面ライダーが変身して戦うっていうコンセプトにとても惹かれています。
大人になった自分がこれを自己分析してみると、おそらく変身っていうことに、とても惹かれているんでしょうね。

変身願望っていうんですかね、仮面ライダーは一見すると普通の人が「悪」と戦うために変身をして、人間以上の力を持てるという部分に、おそらく自己投影をしているのだと思います。
「非力な自分でもひょっとしたら変身できたら強くなれるのではないか」みたいな、
そういう願望があったんじゃないかなと思うんですね。
その辺今も非力なままなので、そういった変身願望は未だにあって、それが今も仮面ライダーが好きな理由なんじゃないかな、とちょっと思っています。

山田:セッジさんが今変身できるとしたら、どのような、ウルトラマンとか、どのようなことをしたいとかってありますか?

セッジ:ウルトラマンも好きではあったんですけれども、やはり仮面ライダーの方が好きなのです。
ウルトラマンって巨大化するじゃないですか。
巨大化するコトで人間とは視点が違う、いわば神のような存在になってる気がするんです。

仮面ライダーは変身しても大きくならない。
そのままの大きさ、人間の視点が残ってる状態で戦っているのですね。
(※神には苦悩は無く、人間には苦悩があるため、思考の次元が違うとセッジは解釈している)

だから、今、もし自分が変身できるとしたら、仮面ライダーにしてもウルトラマンでも共通する部分。ヒーローが持つ1番大事な何にも負けない「不屈」というところでしょうか。
さっき自分は非力だと言いましたが、物理的な意味での腕力とかそういうところだけじゃなくて、やはり心の弱さもあるので、1番変身したいんだとしたら、その何にも負けない強い心を持つとか、強い力を持つとか、そういうところかなと思います。

山田:運動が得意になったりとか、力で勝てるようになりたいみたいな、そういう部分っていうことですかね?

セッジ:子供だったらそうだったかもしれないですね。
運動が得意になったりとか、一方的な暴力に対して力でやり返せるみたいな…。
でも、大人になってからの…要するに暴力っていうのはただの犯罪なので、それで勝ってもしょうがないという部分も出てくるんですよね。
なので、知恵というか、そういった部分にもっと力がついて、考え方で全てをくつがえしたい。もし自分に危害を加えてくるような相手がいたら、知恵でその相手を封じこめてやっつけるなど、そういった力を持ちたいなと思いますね。

山田:科学の話に戻るのですが、一見正しいと思う見方が違っていることもあるというお話だったかと思うのですが。
最近で言うと、これはこうだったんだみたいな見方、ありましたか?

セッジ:これは今のご時世で言っていい話かわかりませんが、例えばウイルスとばい菌が混同されてたりしますけれど、こういう状況なので調べてみれば、実はウイルスと菌は全然違うんだよとか。
自分に近い世界で言えば、グラフィックデザイナーとは要するに、視覚情報を設計する人なのですが、「見る」ということに関して、じゃあ我々なので形を感じるんだろうとか、なぜ色を感じるんだろうっていうことを、昔は深く考えなかったんです。
でも、例えば光の三原色でレッド、グリーン、ブルーとありますが、なぜその3色なんだろうっと調べたりしたんですね。
その結果、要するに目の中にその3色を感じる細胞があるから、だから3色に分かれているんだなとか。

そういったことに気づけたリして、デザインをやる上でですね、科学ってすごく大事だなっていうのを再確認したっていうのはありますね。


山田:お父様が厳しかったというお話もあったと思うのですが、具体的にどのように厳しかったか教えていただきたいです。

セッジ:褒める回数が極端に少なかったかなっていうことですね。
例えば何か書いて見せると「お前、こんなんじゃダメだろう」とか、単純にダメっていう時と、あとここがこうだからダメっていう時の2種類がありました。
今、教育上、ダメっていう言葉は使っちゃダメ、とよく言われますよね。
何につけても父親はダメっていう言葉が多かったなっていうのが、今になって感じるところです。
「こういう理由だからダメ」って説明された時は、納得できるので身になったのですけどね。

山田:はい。

セッジ:褒められたなと実感できたのは専門学校とか行くようになって描いたデッサンとかを見られてですね。
「まだ足りないけど、これは誰かに見せてもいいんじゃないか」とか言われました。
また、学校で描いた絵をうちの父がいつの間にか額に入れて、祖父母にプレゼントしたんですね。

その時に「うちの息子がようやくこのぐらいのレベルまで描けるようになりました、まだまだですがよかったら飾ってください」って。
それは本人的には多分褒めてるつもりなんだと思うんですけど、でもなんだろう、ストレートには褒めてくれない(笑)そういう感じですね。
とにかく職人気質で、自分の中での理想がとても高い人だったんだと思うんですね。
なのでね、褒められた覚えは多くなかったですよ。

山田:ダメと言われた時の当時の心境とかって、どんな感じでした?

セッジ:理由付きでダメって言われた時は納得できるんですよ。
例えば、線1本引くにしても、お前の線は震えてるからダメだとか。
例えばインクを使って書いた時ににじみがあると「回路設計の仕事だったらこれは使えなくなる。例えばここに電気が通ったとするだろ、するとこの線があると隣の線に電気が行っちゃうからダメなんだ」などと言われるんですよね。

で、そうすると、ああ確かにそれでは役に立たないよね、と納得できるんですよ。
だけど、ただダメって言われた場合は、なんでダメなのかわからないんですよ。

「なんでダメなの?」って聞いても、そういう時は「自分で考えろ」って言われる。

山田:なるほど。

セッジ:これはほんとに困っちゃうのですよね。
だから今、自分が教える立場の時は、極力ダメって言葉は使わないようにはしてるんです。

でもたまにすっと「ダメ」って言葉が出てきちゃう時があるんですよね。
そういう時は極力そのなぜダメなのか、理由を言うようにしています。
それは自分が子供だった時に父親にただダメって言われたように、納得がいかないダメっていうのだと、やはり困るだけだろうなと。
もしダメっていう言葉を使ってしまったとしたら、なぜダメなのかっていうのを、なるべく細かく言うようにしていますね。

やはり納得がいくかいかないかって大事だと思ってます。

山田:もし納得がいかなかった理由が分からず、納得できていなかった場合の時って、どのようにしていましたか?

セッジ:父親がとにかく厳しいってことは、子供から見ればやはり怖いですし、追求しても答えが出てこない以上、やらなくなっちゃうのですよね。
あまりにもダメって言われると「やっちゃダメなのか」に繋がってきちゃって…場合によっては作らなくなったモノもあるかもしれないですね。
具体的に何をやめてしまったのかも、もうわからないのですけれど。

山田:お母様とはどんな関わりだったんですか?

セッジ:結局ね、父は怖いし厳しいとは思うのですが、道が同じ方向に向いてるので、じゃあ離れようかっていうのはあまり思わなかったですね。
「ただのダメ」じゃなく、ダメな理由がはっきりしてる時は、父は論理的に話してくれるので納得できるんです。
母の場合は、非常に感情的なので、感情のままにガーって怒られたりしましたね。
覚えている限り、父親と自分の間に入ってくることはなく、割と母本人の感情が先走っちゃうところがあるんですね。
なので、納得できるできないで言うと、母の方がひょっとしたら納得できないことの方が多かったかもしれません。
やはり感情なので理屈がないからなのでしょうね。
逆に私が何か言うと「お前は屁理屈ばっかり言う」みたいに言われました。

山田:納得できないことに対して反発とかそういうことはされましたか?

セッジ:そうですね。母に対しての方が反発が多かったかもしれないですね。
言い返したりとか、場合によってはちょっときつい言葉を母に言ったりとかっていうことはあったと思います。

未来:デザインブというコミュニティー運営

山田:未来の話をしていきます。5年10年、あるいはその後とか、どういったふうに思われていますか?

セッジ:一応クリエイターの端くれですので、クリエイターとしてここからさらに飛躍したいっという気持ちはあります。でも、それは難しくなってきてるかなと感じるコトもあります。
自分のできることで言うなら、これまでの経験やスキルを教えるという部分もあります。
例えば、教え子の1人が今アニメ業界でとても活躍していて「こういう作品を手掛けたので見てください」と先日連絡をもらったのですね。

山田:うんうん。

セッジ:それを妻に話したら「すごい高い技術レベルを教えられるわけではないとしても、人を導くっていうことが上手いんじゃないの?」と言われて、「あ、そうなのかな」とちょっと思ったんですね。
デザインを教えると言うのは、技術力っていう意味での力のぶつかり合いみたいなところがあるので、例えば自分を教えてくれた人でも、でも人を超えたと感じたら忘れちゃうみたいな人が多いと思うんです。
でも覚えていてくれて「指導してもらったコトが、今の自分にとても影響しています」みたいなことを言ってくれたのがね、すごく嬉しかったんです。

なので、そういった最初の部分でもいいんですけど、その最初の導き手としても、今後も生きていければなと思ってるんですね。

山田:ご自身が、というよりかは、次の世代のクリエーター育成みたいなところを、今後は薦めたい、ということですか?

セッジ:もちろん自分が活躍できたら1番嬉しいんですけど、今更っていう言葉も頭の中に浮かんできちゃうんですね。
そういう野心が無いとは言えないんですが、自分が関わったコトがきっかけでこれからの人が活躍してくれるのであれば、それはそれで何らかの自分の足跡みたいなモノを世に残すコトができるのかな、と。
うん、そうですね、育成の方も結果が出せれば嬉しいなと思ってます。

山田:、先ほどセッジさんの奥様が、セッジさんに対して人を導くことが上手、指導するのが向いてるんじゃないみたいな話をされていたと思うんですけれども、ご自身で、気を付けていることとか、心がけていることとかってあったりしますか?

セッジ:専門学校とかで講師をやるようになった時に最初に言われたんですけれども、やはりモノを作る人というのは、私自身の若い頃に似てる人が多い気がするんですね。
端的に言ってしまえば、心が弱い人が多い。
また、絵を書くこととか、デザインすることに特化していってですね、運動が苦手だったりとか、他の人と違うという疎外感を感じる人が多いんですね。

なので、あまり極端に強い言葉を言わずに、さっきのダメって言っちゃいけない、ダメっていうならばなぜダメなのかという理由はちゃんと言ってあげるということ。
何かを見て、何かに対して、良い悪いを言う時に、なぜ良いのか、なぜ悪いのかっていう理由を導き出すっていうことに重点を置いて話したり、指導している感じですね。

山田:生き方や進路についてのお話とかって、よく相談されるんですか?

セッジ:生き方と進路。具体的な就職先っていうのは私からは紹介できないので、相談を受けて答えるのは、生き方もそうですけど、どういう方向に進んだらいいかとかですね。

山田:年間100名の方と関わりがあるとおっしゃっていましたが、自分が苦しくなったりはないですか?

セッジ:ありますよ。やはり人と関わるということは、ある意味その人からの感情を受けてしまうってことでもあるので。
だから、場合によってはとても嫌われるコトもあるんです。

そうすると、嫌いっていう感情を思いっきり向けられる時があるんですね。直接的に嫌われていると感じた時は、やはりくるものがあります。

山田:そういう感情を向けられた時は、どのように対処されているんですか。

セッジ:言われてる内容が対応できるようなものの場合は、気をつけたりとかするんですけど、どうしようもない部分もありますね。
例えば、私はちょっと目つきが鋭いんですね。そのため「目つきが怖いから嫌だ」って言われたこともありました。
それは顔の形であって自分ではどうしようもないことなので、それはもういいや、そういう風に思う子もいるんだなぐらいにしか…。
言い方がきついと言われたこともあって、それについては言い方を気をつけることはできるので、対応できるんですけどね。

山田:うんうん。

セッジ:自分にはどうしようもない部分で言われた場合は、もうこの子はしょうがないねっていう風になってしまうと思います。
そういう場合は、なるべく接触する機会を減らすっていう感じですかね、

山田:今デザインのコミュニティをされているとおっしゃっていましたが、どのようなコミュニティなのですか?

セッジ:SNSを始めた時に、物理的な学校っていうのも、子供はどんどん減っていくので、いずれ続けられなくなるだろうというのと、自分の年齢的にも、いつか学校を辞める年齢になる時もくるだろうっていう意識もあり、オンラインでデザインの塾とか学校のようなものができないかなとずっと思っていたのです。
でも今、オンラインの塾みたいなのはたくさんあり、簡単に作れるというのもあって、それでコミュニティーを作ってみようと思いました。
今、私がデザインを始めた時に比べると、デザイナーになりたいっていう人が多いですが、学校に通って学ばずにデザイナーと名乗っている人が多い印象があります。
我々の時代は美大か専門学校に通って、デザインとはそもそも何か、形を作るために必要なスキルっていうのはこういうのがあるのですが、学校に行くとカリキュラムを組んであるので大体それをやるんですけど、そういうのすっ飛ばしてデザイナーになってるんで、ちゃんとデザインできてるのかなっていうのがとても気になっています。

山田:はい。

セッジ:今高校生の人だったらストレートに「専門学校か大学に行った方がいいよ」って言います。でも、社会人から転職してデザイナーを目指す人たちに「学校行き直しなさい」とは言いにくいんですよね。
でも、実際彼らが競合していくベテランのデザイナーが、どういうことを学んできて今に至るのかを知らない。

そういった情報やスキルを教えたり共有できるような場所が必要なのでは…と思ったのがきっかけで、デザインブというコミュニティーを作りました。
デザインブの最後の「ブ」は、いわゆるクラブ活動の部を意味しています。

オンラインの塾やサロンなどたくさんありますが、先生がいて生徒がいてっていう形ではなく、もう少しライトな感覚にできないかな?先輩が後輩に教えることもあるよねと。
我々経験者は先輩で、その先輩がこれからデザインの世界に入ってくる人たち、後輩たちにデザインを教えられるような場があるといいなと思って作っていました。
なので、その中では、場合によってはオンライン授業みたいなことをやったり、あるいは「ある仕事を受けたいのだけど、わからないところがあるから教えてもらえませんか」などがあったら、それに答える場になってます。

山田:セッジさんが教えるというよりかは、同じ立場で教え合えるような環境を作りたいということですかね。

セッジ:「デザイン講習ブロガー」と名乗ってますので、オンライン授業をやるときは、「講師のセッジです」みたいなノリになりますけどね。
私が教えるだけでなく、そこに参加してる人達同士で、例えば私自身Webデザインが得意じゃないので、他の人が何かあったらアドバイスしたりとか。
対等でもあるし、状況によっては別の人が先輩というか講師役になったりと、そういう関係ができると理想かなと思っています。

山田:現在はどのように活動しているんですか。

セッジ:メンバーをTwitterやFacebookで募集して、入ってきた人は料金が発生するんですが、1番安い交流メインのプランから、過去の授業とか勉強会の動画が全部見れるプランなど、分かれています。
私が講師としてデザインの基礎や、ツールの使い方などの話をしています。

山田:死ぬときは、どういうふうに終わりたいとか、考えてらっしゃいますか?

セッジ:終わりですか。そうですね、先ほどから何度か出てきた父親の話になりますが、父は30年前に亡くなってるんですね。私が学生の時のコトです
享年46歳でした。もう私はその年は超えてるのですが、自分もいつ父親のようにいきなり死んでしまうか分からないとも思っていて、常に自分の中に死の恐怖が付きまとってるわけですよ。
そうなってくると、1番父親にとって心残りは何だったのかなって色々考える時があります。
色々厳しかった父ですが、おそらく自分のスキルとかそういったものを息子である私に対して伝えたかったんだろうなっていうのはあるんですね。
例えば、今になってみても多分、私よりもうちの父のほうが技術はすごかったんだろうなと思うんですね。
でも、どんなにすごい技術を持っていても、人間が持っている以上は死んでしまったら、その技術が消えてしまうんだなとその時強く感じたんですね。
その人が死んだらなくなってしまう技術ってもったいないなと思っていて、自分の子供たちにそれが伝えられればよかったんですけど、私の子供たちはちょっと違う道に行ってしまったので、それは伝えようがないんですね。
ですので、私が関わったコトで、道が開けたという人が増えていることを実感できたら良いのかもしれません。
自分が作ったものが世に出て、いろんな人に知ってもらいたいというコトももちろんありますが、たくさん教えて、たくさんのみんなが成功したよね、という感じで人生が終わってもいいかな、と思っていたりもします。

山田:ありがとうございます。最後に言い残したことありますでしょうか。

セッジ:Twitterでスキルがあっても集客ができないと意味がないから、もっと集客、営業に力を入れるべき、という投稿を見かけました。
集客できないと仕事が発生しないのは確かです。けれども、気になったのは経験が全然ない人がそれを言ってるってコトですね。
なので「実があっても集客できなければ意味はないけれど、集客できても実がなければ意味がない」と書いたのですね。

山田:うんうん。

セッジ:自分ではできないのに営業しちゃったみたいな話、結構あるんですよ。
それって、クライアントであるお客さんに対してものすごく失礼なことしてないかなって。

例えば営業をかけるっていうことは、それはその人にとってできることじゃなきゃいけない。それを理解せずに集客だけかけてるっていうの、なんかすごく実がないな、とちょっと思っているんですね。
もちろん、両方のバランスを取る意味で、しっかりその実であるスキルであったり感覚であったり、形を作る力っていう部分を、もっとみんな大事にしてほしいな、と思っています。

山田:本日はありがとうございました。

セッジ:ありがとうございました。

あとがき

今回のインタビューはいかがでしたか? 感想はコメントに是非残してくださいね!
経験を通して、自分の未来や、次世代の若者の助けになる活動をされていました。言語化、言葉にすることもお上手で、常に何かに迷い考えられているのではないかと感じました。
また、クライアント思いな方で、仕事を大切にされていることがひしひしと伝わってきました!! 私自身集客とできることのバランスが伴っていない事を感じたことがあったため意識したい点でした!!!
「野心がないわけではない・・・」デザインをはじめられて30年近く、、、ずっとエネルギー変わらずやりたいことをやり続けていることステキですね!!
今後の「デザインブ」の活動も楽しみです!
最後までお読みいただきありがとうございました。

インタビュー・編集担当:山田

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #デザイン

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