自分らしく生きる冒険を始めた人
むかしむかし、ある村に「変化(へんげ)」という名の老人が住んでいました。変化は若い頃、乱暴者で誰からも嫌われていましたが、ある出来事をきっかけに心を入れ替え、今では村一番の心優しい人として知られていました。
ある日、村に「どうせ俺は変われない」と言う若者がいました。変化は若者に声をかけました。
「わしもお前と同じように考えていた時期があったよ」
若者は信じられない様子で「え?でも、おじいさんは村一番の善人じゃないですか」
変化は静かに語り始めました。
「実はな、わしは昔、村一番の乱暴者じゃった。でも、ある日、一人の子どもが転んでいるのを見かけた。その時、何気なく手を差し伸べたんじゃ。すると子どもが、こんな笑顔を見せてくれた。その時、わしは気づいたんじゃ。人は誰でも、変われるんだってな」
若者は黙って聞いていました。変化は続けました。
「人は変われる。それも、大きな出来事だけでなく、小さな親切の積み重ねでも変われるんじゃ。大切なのは、その一歩を踏み出す勇気じゃよ」
その言葉を聞いた若者は、翌日から少しずつ変わり始めました。最初は挨拶から。そして、困っている人を見かけたら手を差し伸べるようになりました。
時が流れ、若者も立派な大人になり、今度は自分が若い人たちに「人は変われる」ということを伝える立場になったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年06月25日09時50分に書く無名人インタビュー1103回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは みっきー さんです!
年齢:23歳
性別:男性
職業:大人の島留学生
過去のインタビューはこちら!
現在:素敵な人に囲まれて、幸せな日々を過ごしています。
ナカザワ:
みっきーさんは今何をされている方でしょうか?
みっきー:
現在は海士町で大人の島留学という事業に参画しています。海士町というのは島根県の島です。よく無名人インタビューで紹介される島ではあると思います。
現在は大人の島留学という授業で、今年の4月から島に移住しています。海士町の障害者施設で働かせていただいています。
ナカザワ:
期間はどのくらいの予定なんですか?
みっきー:
期間としては来年の3月末までです。
ナカザワ:
ありがとうございます。具体的に毎日どんな暮らしをされているんですか?
みっきー:
本当に毎日が目まぐるしく、同じ日が全くないと思うほど、いろんなことが毎日毎日起こっています。
基本的なルーティンとしては、週5で月曜日から金曜日までお仕事をして、土日はお休みというスケジュールです。平日はそもそも毎朝必ず6時半に、島の町内放送が大音量で流れるので、毎朝その音で目を覚まして――家の裏に畑を始めたので水やりをしたあと、自転車で10分から15分ぐらい走った先の職場に8時半前に出勤して、5時半過ぎに退勤します。
島の暮らしは夜が長いので、そのまま直で退勤して、家に帰ります。料理は割とバランスよく食べたいので、時間をかけて作ってしまいます。
魚をさばいて煮つけにしたり、塩焼きにしたり。実家で作ってもらっていた料理を思い出しながら料理しています。職場が飲み会が多く、だいたい2週間に1回くらいの頻度で職場の方にお誘い頂くので。飲み会に行って、場合によってはそのまま流れでスナックに行って、だいたい夜の11時12時くらいまでワイワイ過ごして帰るっていうのがよくあるスケジュールです。
ナカザワ:
海士町に行く前、つまり今年の3月までは、どちらにいらっしゃっていたんですか?
みっきー:
海士町に来る前については、前回の記事に書かせていただいて、お話しさせていただいたんですけど。ギャップイヤーとして過ごしていました。本来であれば大学4年生の学年を1年早く飛び級で卒業して、その空いた1年間を使っていました。最初は行きたい大学院があって、気持ちの半分はその進学準備に傾いていました。
ただ、研究室に訪問させていただいたりする中で、この研究をすることが本当に今の自分に与えられた道なのかということに違和感がありました。研究室訪問もして、もう本当に出願の一歩手前というところまでいったけど、悩みに悩んだ結果、出願はしないという選択をしました。そこである意味、たがが外れた、鎖が外れたように、勢いで旅を始めました。
ナカザワ:
2024年の一年間は目まぐるしかったんですね。今の暮らしは、全く同じ日はないとおっしゃってましたけど、暮らしの中ではどういう感情になることが多いですか?
みっきー:
最近は、すごく穏やかになりました。
元々感情の浮き沈みはそこまで激しい方ではなく、住んでいた東京では自分から笑うことが少なかったんです。家で親とご飯を食べている時も、学校に通っているときも。人と接する時に、鎧を被っているような感じでした。人とのコミュニケーションを言葉という手段に頼りすぎていたと思います。
取り繕った言葉を並べていればなんとかなるだろうと思っていました。でも今は、よく笑うようになって、自分自身の心から湧き出てくる言葉を、何も添加物を入れずに、外に出す事ができることが当たり前になってきました。
ナカザワ:
なるほど。それは海士町に来てからの、最近の変化ということですか?
みっきー:
そうですね、割と最近の変化なのかなと思います。
海士町に来た経緯について、もしよろしければお話しさせていただいてもいいですか?
ナカザワ:
はい。お聞きしたいです。
みっきー:
ありがとうございます。もともと去年、2024年の8月頃から旅を始めました。当時付き合っていた彼女から、世界一周大学というコミュニティに入るという話を聞きました。
僕は当時の彼女とは同じコミュニティ、同じ場を共有したいという願いがあって。直感でワクワクするコミュニティだったので、参加を決めました。
それが7月から3月までの9ヶ月間のコースで、20代の若者が全部で100人、ブータンクラス、ガラパゴスクラス、ノルウェークラスの3クラスに分かれて、毎月クラスごとにいろんな場所へ旅をしたり、オンラインで人生を切り開きながら社会で活躍されている方のお話を聞いたりします。
「私を作る冒険」というのをテーマにした団体で、その中のメンバーたちと毎月プログラムを実施しています。
最初は7月に秩父、8月に富士登山、9月にフィリピンのセブに行きました。セブのカオハガ島という、水上で暮らしている小さな村があって、子どもたちとたくさん遊んだりして過ごしました。
そして富士山に行って、10月は種子島、11月は長野県の伊那、そして最後の3月にはベトナム、カンボジア、タイを陸路で国境を横断しました。
そういう冒険の旅を重ねていくうちに、自分自身でも、一人旅でたどり着いたタイの北部の街で瞑想を習ったり、思いがけない経験ができました。
そこにはもともと行く予定はなかったんです。もともとフィジーに行く予定だったんですけど、予約の際に、名字と名前を入力する欄に逆に入力してしまって、それが当日発覚し、飛行機には乗れませんでした。うなだれていたところ運良く安いチケットを見つけることができきたので、何も何も調べずにタイへ行き、十日間ほど旅をしました。インドへの旅ではガンジス川にも入ったり、夜行バスに12時間ほど乗ったり、デリーで野犬がグルでうろつく場所を怯えながら宿をたらい回しにされたり、本当にいろんな場所に行きました。
いろんな場所に行ったという事実だけでなく、未来が見えない中で自らのパッションがどこに向いているのか。それまではずっと大学に通っていて、自分の意識は勉強、学問に向いていましたが、去年一年間は自分との対話だけにフォーカスし、これからの未来をどうするか、自分はどう生きるのかという問いにずっと向き合い続けていました。
ナカザワ:
うんうん。
みっきー:
海士町には去年旅する中で二回訪れました。高校の同級生が昨年同じ島留学で海士町に来ていて、その子に会うために遊びに行ったのが最初です。そこで見た景色が忘れられなくて。
その子に会いに行ったのは4月でしたが、11月には海士町が主催する1週間のプログラムに参加する形で、もう一度海士町へ行きました。
このときは、ちょうど夕暮れ時で、田んぼが広がる中に夕暮れの光が差し込んで、田んぼを柔らかく照らしていました。そして空はオレンジ色に輝いていて。一日の終わりが来ようとしているときに私は車を運転しながら、この島で暮らしている自分自身の姿が、すごく鮮明に見えてきたんです。
ナカザワ:
自分自身が鮮明に見えてきた。
みっきー:
そうです。今振り返ると、海士町に行くという答えは、すでに出ていたのかなと今から振り返ると思います。
長くなってしまったんですけど、このような経緯でした。
ナカザワ:
ありがとうございます。いろいろな場所に去年行かれたと思いますけど、その中でも海士町は特別だったんですか?
みっきー:
特別だったというよりは、本当にどの場所も僕自身にとっては特別でした。
僕はある程度環境にすぐ適応してしまう性格なので、一度その環境に慣れてしまうと、どんな性質の土壌に移し替えられてもある程度しっかりと根は伸びていくと思っています。ただ、その土の中に根を張りすぎると他の場所に動けなくなってしまうという疑問はずっと抱えています。
私の名前は幹生といいます。幹に生きるっていう漢字を書きます。この名前は、まだ僕が母のお腹にいるときに、母が近所を散歩していたとき出会った、大きな木からインスピレーションを受けてつけられたそうです。大木のように根を地面に深く張りながら、大きな葉を茂らせ、周りには小鳥や生き物がたくさん集まってくる、そんな大きな存在になってほしいという願いが込められているそうです。一生のなかで「幹生」という名前に込められた生き様を体現することが、今の自分に与えられた使命だと強く信じています。
僕はクリスチャンなのですが、好きな聖書の言葉に「あなたがたは地の塩、世の光」という言葉があります。
ナカザワ:
はい。
みっきー:
友人や周りの人からは、独特で唯一無二の感性を持っているとよく言われます。私はもともといじめのような辛い過去も抱えていましたが、今はありがたいことにいろんな人に支えられて生かされています。人類への愛、そして地球への愛を、周りに与え続けていくこと、そして私自身が私らしく生きることが一つの光として、可能性はあるけど可能性にふたを閉じている人の心を照らすことができる。これが今の自分に与えられた使命であるということを心から信じています。
なので、大学時代の就職活動に際しても、自分は「何をすべきか」という視点からも学生時代に頭が破裂しそうなほど考えました。考え抜いたものの、私は本当に何をしたいのか、私がしたいことをもとに行動し続けること。すなわち「私らしく生きる冒険」をすること、その最初の一歩として、海士町というフィールドに自分は呼ばれていたのかなと今は思っています。
社会人経験がないのに何言ってるんだ、というお声が返ってくるかもしれません。その声を受け止めつつも私らしく生きる努力を積み重ねていきたいです。
ナカザワ:
最近の生活で、一番心が動いたのはどんな時でしたか?
みっきー:
心が動いたのは、合唱団で歌を歌っている時です。
ナカザワ:
合唱団の活動もされているんですか?
みっきー:
はい。私が島に来てから出会った島留学生の何人かが合唱好きで、同じ福祉系のプロジェクトに配属される島留学生同士だったので、オリエンテーションの際に話をしているうちに、「合唱団を作りたいね」という話になりました。
ナカザワ:
へえ、作ったんですね。
みっきー:
はい。その子は人への向き合い方がとても丁寧な人で、あっという間にいろんな人に声をかけてくれたおかげで、ごとばんハーモニーって言う合唱団が生まれました。
ナカザワ:
へえー。
みっきー:
最初に集まったのは4月中旬でした。当初は島留学生数名のサークルのような集まりだろうと思っていたところ、島なので、合唱団ができるという噂がすぐに広まって。
そこで噂を聞きつけた海士町の小学校の先生をされている方が、突然初回の練習に来てくださいました。詳しくお話を聞くと、海士町は後鳥羽上皇が配流されてきた場所で、上皇がこの島にいるとき、和歌を詠まれていたそうです。それで和歌の文化が残っていて。
数年前、その先生が町の補助金を使って音楽の先生と一緒にその和歌の文化を基に合唱曲をつくっていたのですが、歌はあるのに歌う人がいなくて悩んでおられたところでした。
そんなとき、島留学生による合唱団ができるということで。
それが本当に素敵な曲だったんです。
その噂が噂を呼んで、当初5人程度のメンバーだったのが、今では25人以上に増えました。
ナカザワ:
そうなんですね。
みっきー:
今では半数が地域の方です。
音楽は、こうして風のように人と人とをつないで、そして歌をつなぐことがまるで魔法のように、島の人たちを包み込んでいく。その役割をこれからさせていただけることに今はすごくわくわくしています。
先日1回目の発表があって、「コスモス」と「手紙」の2曲を歌いました。それぞれの合唱経験は違うなかで最初は不安もありましたが、本番では素敵な歌を奏でることができました。合唱団に集まってくる人たちは本当に素敵な方ばかりで、今では合唱団が僕自身にとって心からの居場所になっています。
いろいろお話しましたけど、一言でまとめるなら「出会いは向こう側からやってくるんだ」ということです。
その合唱団での出来事が、一番心に残っているかなと思います。
過去:自分は他の人と違うという意識を持ち続けていました。
ナカザワ:
ありがとうございます。すでにお話しいただいた部分もあるかもしれませんが、過去のお話をお聞きしたいと思います。
子ども時代の印象に残っていることがあれば教えていただけますか?
みっきー:
印象に残っていることは、そうですね。私は生まれた時の体重が3900グラムで、今も身長180センチ以上あるのですが、生まれた時から大きな体格でした。三歳までは親の仕事の都合でアメリカのサンフランシスコに住んでいて、飛行機に乗る時も乳幼児用のベッドに入りきらないほどの大きかったと聞いています。
走り回るのが大好きで、本当に冒険心にあふれていた子供だったそうです。今でもそれは強く感じています。
そのあと、4歳の時に東京に帰ってきました。東京で幼稚園から小学校まで過ごしました。3歳のときに軽度の知的障害と診断されたので、幼稚園の年少と小学校1年生のときは特別支援学級に在籍していました。
当時の先生から通常のクラスでも大丈夫と判断されて、幼稚園の年中と小学校2年生からはそれぞれ通常のクラスに通いました。ただ、それが茨の道の始まりでした。
通常のクラスに行っても障害というレッテルが可視化された状態で学校生活を送ることになったので、自分は他の人と違うという意識を持ち続けていました。しかも周りの子もそれを認識していたということもあって、常に疎外感を感じていました。周りからもマイノリティとして区別されているという状態がすごく辛くて。嫌がらせもいじめも数え切れないくらいありました。その心の傷は今でもすごく残っているなと感じています。
中学受験では、プロテスタント系の中学高校に進み、そこではすばらしい先生や友達に恵まれて、全体的には楽しく過ごせました。
そのまま東京の大学に進学したのですが、2021年4月入学だったので、コロナの影響でサークル活動がほとんどありませんでした。自分の大学では本当に活動がなかったのですが、どういうわけか四ツ谷にある大学では活動が認められていたようでして…
ナカザワ:
はい。
みっきー:
私は高校でずっとゴスペルをやっていたので、その大学の聖歌隊に加わりました。他大学からの部員も参加できることを知ったので。大学に行って授業を受けて四谷に通うというのを多いときは1日3回通うという日々を3年間送りました。
そこで合唱というものに触れて、自分はすごく好きだなということが改めて心から身に染みました。歌を紡いでいって、自分にしか出せない歌、そのハーモニーを紡いでいくことの精神的基盤は、その聖歌隊での経験にあります。過去のことをざっくりお話しすると、こんな感じです。
ナカザワ:
ありがとうございます。先ほど、小学校2年生の時が茨の始まりだったとおっしゃっていましたが、それは今も続いていると感じますか?それとも過去の話なのでしょうか?
みっきー:
今もすごく尾を引いているのを感じていて、人への恐れがあります。やっぱり自分は社会にいてはいけないんだという意識があって……。結構些細な言葉でも、その言葉に傷つくような語彙がなかったとしても、声のトーンだったり、言葉の内容だけですぐに動揺してしまって、傷ついてしまう。
人というものへの恐れ、人は怖いっていう前提が頭の中を覆い尽くしてしまっているので、人間関係を築こうとする意識が阻害されてしまうんです。その結果、対人関係やパートナーシップに影響しているな、というのが最近の悩みであり、コンプレックスですね。
未来:心の声に正直になって、呼ばれていく道を歩いていく
ナカザワ:
ありがとうございます。では最後に、未来についてもお聞きしたいと思います。どういった時間のスパンでも構いませんが、みっきーさんはご自身の未来についてどのようなイメージをお持ちですか?
みっきー:
未来に関しては、一つだけはっきり見えていることがあって。
ナカザワ:
はい。
みっきー:
一通り、人生経験を一巡りしたあとは、私は牧師やお坊さんのように、宗教を通じて目の前の人のウェルビーングを助けるようなことをしているんじゃないかなと思います。ただ、そこに至るまでの道のりや、直近で何が起こるのかは、とくには見えていないですね。
ナカザワ:
どうでしょう。その一回りするまでにやっておきたいことや、通りたいルートみたいなものは、断片的にでもありますか?
みっきー:
そこは、今まさにすごく揺れています。
ナカザワ:
なるほど。
みっきー:
まず、ウェルビーイングに強い興味・関心があります。大学院に一度進学して、障害を持つ方が心身ともに楽しく働くことができるようなウェルビーングな環境をどのように作れるのか、研究したいと考えています。
その一方で、海外で暮らしたいという思いも常にあって、住みたい国の一つにインドネシアがあります。インドネシアは、もともとボーイスカウト活動をずっとしていたんですけど、その活動を通じてオンラインで出会ったインドネシアの子がきっかけでした。
その子に会いに2回インドネシアに行った時に、みっきーってインドネシアに呼ばれているよねっていう言葉をいろんな人から言われたんですが、僕自身、インドネシアにいたときは、日本にいるときとは考えられないくらい自分の体が緩んで、肩の力が抜けているのを感じました。
ナカザワ:
うんうん。
みっきー:
すごく新しい感覚で、自分が今呼ばれているところはインドネシアなのかもしれないと感じています。インドネシアに留学をしたり、いずれにしても自分の心に正直になって呼ばれているままに歩いていくこと。感性を磨き、心を開くことが、今の私に必要なミッションだと思っています。
ナカザワ:
そのミッションを叶えるために、あるいはミッションに向かっていくために、最近やっていることや、やりたいことは何かありますか?
みっきー:
瞑想をやっています。
ナカザワ:
なるほど。
みっきー:
今を生きている私自身というという事実に意識を向けていくことで、過去のいじめだったり、いろんな過去を抱えて、経済的な不安とか、これでいいのかってこととか、他者からの評価を意識してしまう、その煩悩的思考から解放されていく。
偏りをベースにしながら、「いま生きている私」という事実にフラットに近づいていくという事ができるんじゃないかなという重いで最近は瞑想を取り入れていて、それもタイに行って瞑想を習ったことがきっかけになりました。
ナカザワ:
瞑想は習慣のようになっているんですか?
みっきー:
毎朝瞑想をしています。時々できない日もありますが、習慣として続けています。
あと、今やっている仕事はルーティンワークなので、その仕事を瞑想の修行と捉えて、意識を自分に集中しながら仕事をこなしたりしています。
ナカザワ:
お話を聞いていて、去年「わたしを作る冒険」とおっしゃっていた、いろいろな場所への旅の経験が、今海士町にいることにも影響があるのだろうなと感じました。このプロジェクトに参加していなかったら、今どうなっていたと思いますか?
みっきー:
そうですね、全く違う道を歩んでいただろうと思います。世界一周大学で出会った仲間は、本当に自分の夢に向かってまっすぐに、迷いながらも感情に素直に進んでいく子ばかりでした。そんな仲間たちと出会えたことは、わたしの一生の財産です。卒業の時にみんなからもらった手紙は今も部屋に大切に飾っているんですけど、みっきーにしか紡げない世界観があったとか、みっきーと出会ったときにすごく温かい気持ちになったとか、これからもみっきーらしく生きてほしいとか。家族のように私を肯定し続けてくれて、お互いの夢は違えど、ともに手をつないで人生という冒険を進んでいける仲間がここにいる。ここにいるんだっていうその事実が今、海士町で日々すごく大きな力になっています。
世界一周大学に限らず、ありがたいことにこれまで私は本当に素敵な出会いに恵まれ、素敵な人たちに囲まれてきました。素敵な家族、素敵な友達、素敵な仲間に囲まれて今生かされているので、これからも私らしい光を輝かせていきたいと思います。私の心から湧き出る光を輝かせ続けることを信じて、「わたしらしく生きる冒険」に進んでいきたいと思います。
ナカザワ:
ありがとうございます。
みっきー:
こちらこそありがとうございます。
ナカザワ:
通常は最後に「伝えたいことや言い残したことはありますか」と質問で終わるのですが、海士町に関わっている方や暮らしている方には、もう一つ質問をさせていただいています。みっきーさんにとって海士町はどんな場所ですか?来てまだ2か月ぐらいだと思いますけど。
みっきー:
海士町は、別の惑星だと思います。
ナカザワ:
その心を簡単にお聞きしてもよろしいですか?
みっきー:
港に降りたときにまず気づくのは音の静けさです。そして本土にはない空気感。大地の営み。宇宙のエネルギーの循環――それをすごく身近に感じることができます。
そしてそのエネルギーに育まれた人々の営みも本当に美しくて、海士町は心から素敵な方がたくさんいらっしゃって、すごく心地よい場所だと感じています。
最近はもう本土に帰れるか怪しくなってきたぐらい楽しく過ごしています。それぐらい特別な惑星です。
ナカザワ:
なるほど、ありがとうございます。いろいろお聞きしてきましたが、最後にみっきーさんから言い残したことや、記事を読まれる方へ伝えたいこと、感想でも構いませんので、最後に一言いただいてもよろしいでしょうか?
みっきー:
人は変われるぞということを伝えたいです。
ナカザワ:
変化はご自身で結構感じていらっしゃるんですか。
みっきー:
緩やかな変化、少しずつ感じています。心の声が聞こえづらくなる時もあるかもしれませんが、一人じゃないということを伝えたいです。
ナカザワ:
ありがとうございます。質問は以上になります。
あとがき
人は、何かゆるぎないものに触れたときに癒しを感じるんだなと驚きました。
内容はすべてが穏やかなものではないかもしれませんが、みっきーさんはとても穏やかに、ゆったりと、ご自身のペースで最後まで話してくださいました。
そのたたずまい(姿はもちろん見えていないですが)に深い癒しを感じる時間になりました。
海士町を3月に訪れたとき、歌い手のいない合唱曲があるという話を伺っていたので、今回のインタビューで偶然の伏線回収が起こったことも海士町らしいなと感じました。
【インタビュー・あとがき・編集:ナカザワ】

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