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さまよえる魂の人

むかしむかし、ある山奥の村に、心の落ち着きどころを見つけられない若者がいました。村人たちは彼のことを「さまよえる魂」と呼んでいました。
若者は毎日のように山々を歩き回り、時には川辺に座って星を眺め、時には森の中で鳥たちの声に耳を傾けていました。
ある日、若者は山頂で一人の老人に出会いました。老人は若者に尋ねました。
「何を探しているのかね?」
「わかりません。ただ、心の中に大きな穴があるような気がして...」
老人は微笑んで言いました。
「さまよえる魂は、実は最も純粋な魂なのだよ。なぜなら、真実を求め続けているからね」
それから老人は若者に、村の子どもたちに昔話を語ることを勧めました。若者が物語を語り始めると、不思議なことに、自分の心が少しずつ満たされていくのを感じました。
子どもたちは目を輝かせて若者の話に聞き入り、やがて大人たちも集まってくるようになりました。若者の語る物語は、誰もが心の中に抱える迷いや孤独に寄り添うものでした。
時が流れ、若者は「心を癒す語り部」として知られるようになりました。さまよっていた魂は、人々の心に物語を織り込むことで、自らの居場所を見つけたのです。
そして「さまよえる者こそが、道を示すことができる」ということわざが、この村に残されたとさ。
めでたし、めでたし。

と思う2025年06月24日13時12分に書く無名人インタビュー1101回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは Phooさんです!

年齢:40代
性別:男性
職業:高等遊民


現在:僕が今、FIREしてもう10年近く働いていないということも、嘘だと思われるんです。「本当は仕事探してるんでしょ?」とか、「本当はお金困ってるんでしょ?」とか言われますね。

本間ユミノ:
Phooさんは今何をしている人ですか?

Phooさん:
無職です。

本間ユミノ:
いつ頃から無職ですか?

Phooさん:
10年ぐらいですかね。

本間ユミノ:
きっかけは何かありますか?

Phooさん:
無職になったきっかけは、ニューヨークで駐在員として働いていたんですけども、家族の遺産が入ってきたことが一つの理由です。
それともう一つは、サラリーマン生活を続ける中で「もういいかな」という思いが出てきたことです。
それでサラリーマンをやめて、その後自分でお店を経営したりもしたんですけども……
だから純粋な無職期間は10年ではないですね。
お店もやっていたので、正式には8年ぐらいが無職期間だったと思います。

本間ユミノ:
どんなお店を。

Phooさん:
飲食店をやっていました。

本間ユミノ:
それはニューヨークでですか?

Phooさん:
タイです。

本間ユミノ:
今のお住まいはどちらですか?

Phooさん:
タイに住んでいます。

本間ユミノ:
タイには、いつ頃から住まれているんですか?

Phooさん:
10年ちょっとぐらいです。
ニューヨークで会社を辞めてタイに移住したという形ですね。

本間ユミノ:
タイを選んだポイントはどういうところでしょうか。

Phooさん:
妻がタイ人で国際結婚していたということが、メインの理由です。

本間ユミノ:
毎日どんな気持ちで過ごされていますか?

Phooさん:
特にどんな気持ちとかはなく、平和な感じですね。

本間ユミノ:
日々、何をして過ごされていますか?

Phooさん:
無職っていうか、横文字でかっこよく言うとFIREみたいな感じなんですけど。
FIREしているって言うと、みんな暇でしょって言われるんですけど、意外と暇じゃないんです。
例えば、朝起きて基本的には毎日プールで泳ぎます。
プールで泳いでその後ご飯を食べに行って、ショッピングモールでコーヒーを飲んで、その後大体サウナかジムかムエタイに行きます。
その後スーパーで食材を買って帰ってくる感じですね。
それ以外にも子供の用事だったり、街のイベントに参加したり。
先週の日曜日で言えば、LGBTの大きなパレードがあったので行ってみたり、ライブに行ったり、結構バンコクはイベントが多いんです。
それを見に行って写真を撮ってSNSに上げたりとか。
あと動物の世話をしたり、ペット用品を買いに行ったりとか、結構なんだかんだと用事があります。
今日はLEDの電気が切れたので買いに行って取り付けたりとか。
なんやかんやと用事がありますね、髪の毛を切りに行ったりとか。

本間ユミノ:
お外で過ごされる時間の方が長いですか。

Phooさん:
基本的には外で過ごすことが多いですね。

本間ユミノ:
何をしているときが一番楽しいですか

Phooさん:
特に一番楽しいとかないですね。

本間ユミノ:
感情が動く時はあまりないでしょうか。

Phooさん:
あまりないですね。
若い頃は感情の起伏も激しく、色々な事にチャレンジしたい性格で生きてきました。
でも今はそういう感じではないですね。

本間ユミノ:
そうなった理由はなんでしょうか。

Phooさん:
やっぱり小さい時から、やりたいこと全てにチャレンジしてきました。
その中で成功と失敗を繰り返し
自分の限界を見極められたり、ある一定の年齢になったときに、自分のできることがわかってきたんです。
なので今は激しい生活はしていないですね。

本間ユミノ:
Phooさんは、周りの方からどういう性格だと言われますか?

Phooさん:
自由人ですね。

本間ユミノ:
ご自身ではどう思われますか?

Phooさん:
自分でも自由というか、欲しいものにまっすぐ手を伸ばせる性格だと思いますね。

本間ユミノ:
具体的なエピソードとかありますか。

Phooさん:
例えば……やりたいと思ったことはやるし、よくありがちな「俺こんなことやる」と居酒屋で飲みながら話すようなことが僕はなくて、やりたいと思ったらもうやっています。
それが時に信じてもらえなかったり、一般的な物差しから外れすぎていたり、人によっては常軌を逸していると言われたり、理解されないことも多いです。
嘘だと思われちゃうんですね。そんなことあり得ないとか言われます。
僕が今、FIREしてもう10年近く働いていない事も、嘘だと思われるんです。
「本当は仕事探してるんでしょ?」とか、「本当はお金困ってるんでしょ?」とか言われますね。
私は本当のことを話しているんだけど....という具合です。

本間ユミノ:
信じてもらえないとか、嘘なんじゃないかと言われたり思われたりすることについてはどう感じますか?

Phooさん:
昔はむきになって証明しようとしたこともありましたが、今はそういうことをあまり言わなくなりました。
むしろ自分を大きく見せる嘘ではなく、小さく見せる嘘をつくようになりました。
相手の技量の中に自分を収めることが、年齢とともに上手になってきたと思います。
自分を小さく見せるということが得意になってきたんですね。
別に大きいわけでもないんですけど....

本間ユミノ:
ありがとうございます。
Phooさんの趣味は何ですか?

Phooさん:
趣味は、体を動かすことが好きですね。
筋トレをしたり、プールで泳いだり、格闘技をしたり。

本間ユミノ:
体を動かすことの魅力はどんなところですか。

Phooさん:
もともとずっと運動が好きだったというのが一番の理由です。
後、FIREした後に太ってしまったり、美意識が下がってしまったりするのは良くないなという意識もあります。

本間ユミノ:
一番好きな種目というか、競技というか、何でしょう。

Phooさん:
筋トレだと思いますね。

本間ユミノ:
筋トレは何が魅力的ですか?

Phooさん:
筋トレの良さをお伝えするのって難しいんですよね。
筋トレ歴、30年ぐらいやっていて。
30年前に筋トレしているって言うと、伝わるかわからないんですけど、イメージ的には社会不適合者…いわゆる鉄道オタクとかアイドルオタクとか、そういうカテゴリーの一つとして筋トレというのがあったんです。
だから筋トレをやっているなんていうことは、恥ずかしいことだと思われていたんです。
彼女からも「頼むから筋トレやめてほしい」と言われました。
そういう時代から、筋トレをやっているので、好きなんでしょうね。

本間ユミノ:
筋トレを始める前と始めた後で、何か変わったことはありますか?

Phooさん:
高校生の時からやっているので、その前の状態はもう覚えていないですね(笑)
もうずっとやっているので。

本間ユミノ:
Phooさんご自身をもう少し知りたいんですけど…
ご自身を色で例えるとしたら何色だと思いますか?

Phooさん:
色ですか(笑)?
わかりませんけど、僕はそういうふうに聞かれたら「黒がいい」と答えるようにしています。
綾香の歌で「黒は何色にも染まらない」という歌詞が昔あったと思うんですよね。
ああ、それいいなと思って、別に黒が好きなわけではないんですけど、「何にも染まらない黒でありたい」と思ったことはありますね。

本間ユミノ:
何にも染まりたくないんですか。

Phooさん:
当時は思っていましたね。

本間ユミノ:
今は?

Phooさん:
今はむしろ染まりたいですけどね……。
染まれないみたいなところがあるんでしょうね。

本間ユミノ:
何に染まりたいですか?

Phooさん:
やっぱり社会に染まりたいです。
最近思うのは、幸せって自分の思いとか信念だけで突き進めていくことじゃなくて、社会の中で調和を持って、みんなのことをリスペクトしてリスペクトされて、愛して愛されてっていうことの中で初めて人間は幸せを感じるんだなっていうのを、家族を持って子供を持って、今年になって少しずつそれが分かってきました。
「無理は通すためにある」「反感は買うためにある」みたいなそんな強い思いが、徐々に社会の中で調和して生きていきたいっていう感覚に変わってきてますね。

本間ユミノ:
ご家族で過ごすときは、何をして過ごすのが好きですか?

Phooさん:
特に大それたことをするわけではないんですけれど、子どもの日々の細かい変化を見ながら、寄り添って歩いてあげたいという思いをずっと持っています。
学校で行われるイベントには全部参加しています。
子どもの友達のことも知っていますし、友達と子どもが話している時の空気感、今この子とうまくいってないんじゃないかなとか……そういう細かいことの中で、押し付けるのではなく寄り添って歩んであげたいと思っています。
そういうのが楽しいし、子どもも僕のことを慕ってくれて、困ったことがあったら相談してくれて、僕の拙い経験を話してあげて。
そういう日々の繰り返し、積み重ねがやっぱり楽しいですね。

本間ユミノ:
結構日本だと、授業参観などは母親が参加することが多いかと思いますけど、タイではどうなんですか?

Phooさん:
全然お父さんたちも行きますね。


過去:僕も中三の時にロレックスを買ってもらって、そういう世界観で生きてきた僕にとって、40代、50代のおじさんが駐在で必死に働いてロレックス買って帰ったって言われても、それがどうした?って思っちゃうんです。

本間ユミノ:
どんなお子さんでしたか?

Phooさん:
僕は多分ADHDの気質があるんだと思いますね。
いわゆる典型的なそういう子でしたね。

本間ユミノ:
幼稚園、小学校の頃で一番記憶に残っているシーンや出来事は何かありますか?

Phooさん:
一番記憶に残っているシーンは、幼稚園を抜け出して、僕が見つからなくて大騒ぎになったんです。
送迎のバスが出ちゃって、僕は離れた場所からバスが走っているのを見て、これは大変なことになったと思いました。
急いで逆側の道を通って、バスの前に飛び出して両手を広げて「止まれー!」と言ったんです。
幼稚園では僕がいないって大変なことになってて、僕が突然国道に出てバスを止めて…。
それでバスに乗ったんですが、先生に「どこ行ってたんだ」って超怒られて。
その時、道端でどんぐりを拾っていて、ポケットにパンパンに詰め込んでいたんですよ。

本間ユミノ:
ふふふ。

Phooさん:
このどんぐりをこぼしたら、もっと怒られると思ってポケットからどんぐりが落ちないよう、必死に押さえていたんです。
そしたら別の若い女性が「Phooくん見つかったって幼稚園に伝えてきます」ってバスを降りて国道をバーッと走っていったんですよね。携帯なんて無い時代でした。
バスの中では、怖い先生と僕が残されることになって、とても気まずい雰囲気でした(笑)。
次の日からも他の先生に「Phoo君は逃げるからね」と言われて、男の先生にじっと見つめられていた事をすごく覚えています。

本間ユミノ:
小学校に上がってからはどうでしたか?

Phooさん:
小学校に上がると覚えていることはいっぱいありますけど…
近所に二階建ての立体駐車場ができたんです。当時は珍しくて
でもまだ完成してなくて、周りはプラスチックのカバーで覆われていて、まだ工事中という状態でした。
友達と一緒に「これ何だ?」「とりあえず石を投げて壊そう」という話になったんです。
それで石を投げてみると、そのプラスチックのカバーにポコンと綺麗に穴が開くんですよ。
楽しくなって、みんなでどんどん投げ始めていると僕もテンションが上がってきて。
一番デカい穴を開けてやろう、と思ってバカみたいにデカい石を持ってきて、みんなの笑いをとって。
これをぶん投げようと思って担ぎ上げた時に、家の人が出てきたんですよね。
そこで僕は初めて大人に顔面をボコボコに殴られました。
他の連中はみんな逃げちゃったんですけど、僕は大きな石を持っていたから逃げられなくて(笑)。
襟首掴まれて顔をバンバン殴られて、僕も殺されると思ったので必死に抵抗したんです。
それで、着ていたトレーナーが脱げた瞬間を見計らって、顔をはらしながら一目散に逃げました。
でもその人が小学校に行って写真から僕を特定したみたいで、すぐに家に電話がかかってきて問題になったことがありました。
それはよく覚えています。今でもクラス会のネタになりますね。

本間ユミノ:
その時、どんな気持ちでしたか?

Phooさん:
いや、本気で殺されると思いましたよ。
大きな石を持って「行くぞ!」って時に、真横を見たらマジギレしてる大人がいますから。
しかも、大人に拳で顔を殴られるなんてこれまでの人生でなかったわけですから。
今考えると、結構有名なデザイナーの家だったんですね、お金持ちの。
そんな人が子供のことを拳で殴るなんてと思いますよ。
それが小学校時代の一番の思い出ですね。

本間ユミノ:
熱中していたことや、特に好きだったことはありますか?

Phooさん:
毎日遊んでました。
毎日そういう、イタズラじみたことをして過ごしていましたね。
近所の家の庭で繋がれている犬を
逃がしてあげたり(笑)

本間ユミノ:
中学時代はどうでしたか。

Phooさん:
中学は、私立の中学校を受験して入学したんですよ。
小学校の時は喧嘩が強くて腕力には自信があったので
中学で強豪の運動部に入部したんですが、全然ついていけなくて....
それが、人生で最初の挫折だったと思います。
近所の友達は明大中野に入ってラグビー部に入ったんですけど、頑張れたんですよ。
でも僕は活躍出来なかった。
なので地元で会ったりすると引け目を感じました。
自信があったことなだけに、すごく大きな引け目になったんです。
僕は小学校のとき、特にスポーツらしいスポーツをやってなかったんです。
体は大きくて腕力は強かったんですけど、部活でちゃんとスポーツをやる、上下関係の中でやるっていうのができなかった。
そういった環境についていけなかったですね。

本間ユミノ:
挫折は乗り越えられましたか?

Phooさん:
その挫折を乗り越えるために、悪いことをして自尊心を高めようという方向に走っていきました。

本間ユミノ:
差し支えなければ、具体的にどんなことをしていたのかお伺いしてもいいですか。

Phooさん:
物を盗む、物を壊す、人を傷つける、その3つですね。
中学生レベルでのことです。
落ち着ぼれた仲間とつるむようになって、そういう行動に走りました。
そこで「俺たちは特別なんだ」と思っていたというか。
私は自分はADHDだと思うんですけど、いろんなことをしたり、いろんなアイデアが浮かぶんですよね。
具体的に言うと、二子玉川ってご存知ですか?

本間ユミノ:
はい。

Phooさん:
二子玉川にビッグオックっていうアウトドアショップがあって、よく万引きしてたんです。
ある時、僕の友達が「ガラスケースの中のナイフが欲しい」って話になった時に、僕はそのビッグオックの倉庫が離れたところにあるのを知っていたんですよね。
それで、倉庫にあるんじゃない?という話になって、夜に行ってタオルを巻いたバッドでドアノブ壊して中の商品盗んじゃったりとか。
悪いことのアイデアを出し続けてた人です。

本間ユミノ:
グループの中ではどういうポジションでしたか?リーダー的な立場?

Phooさん:
僕はいつも明るくて楽しくてアイデアを出す人でした。リーダーや番長では無かったです。
学校での立ち位置は不良だったと思いますが、誰かをいじめたりすることはありませんでした。

本間ユミノ:
高校はどうでしたか?

Phooさん:
高校になると、拍車がかかりました。
僕も勉強から離れちゃって、そうすると、くだらないことの方に走っちゃったんですよね。今考えると恥ずかしいようなこともしました。
誇れるようなことじゃないですけどね。

本間ユミノ:
スポーツとかはやられていましたか?

Phooさん:
当時は空手をやっていました。

本間ユミノ:
始めたきっかけは。

Phooさん:
小学校の時に周りの子たちが空手や柔道、少林寺などをやっていたんですけど、実際喧嘩してみると全員弱かったんです。なので全く格闘技には興味ありませんでした。
ただ、悪友が空手の話をしてくれたんです。
「ある空手家が、ワンパンで牛を殺せるんだ」と。
「マイク・タイソンのパンチは500キロだけど、その空手家の蹴りは1トンだ」と。
そんな中二病全開の話を聞かされて、バカだから、そんな技が身につけられたら無敵だなと思って空手を始めることにしました。

本間ユミノ:
空手をやってみてどうでしたか?

Phooさん:
楽しかったです。
そこに習いに来てる人たちは大人もいたし、不良もいたし、すごく楽しかったですね。
練習に行きたくない日は行かなくてもいいし、そういう自由さがあったからこそ、長く続けられたと思います。

本間ユミノ:
いつ頃までやってたんですか?

Phooさん:
ずっとやってましたね。大学、大学院を出るまで続けていました。

本間ユミノ:
ご両親からは子供時代にどのように育てられましたか?

Phooさん:
私は在日4世で、母方のおじいちゃんはヤクザでした。
でもうちの母はそういう環境が嫌で、不良が嫌で、子供には真面目な人生を歩んで欲しいと小さい頃から厳しく育てられましたが母は愛情深い人でした。

本間ユミノ:
中学、高校時代のそういう悪さは、ご両親にはバレたりしていなかったんですか?

Phooさん:
バレてなかったですね。

本間ユミノ:
おお。

Phooさん:
今お話が出ましたけど、僕、バレなかったんです。

本間ユミノ:
なぜバレなかったと思いますか?

Phooさん:
僕がバレなかったコツは…
悪いことをする時には大勢でやらない。
本当に信頼できる少数の仲間とだけ、タイミングを測ってパッとやって、僕らは絶対に口を割らなかったのと、やっぱり運ですね。
本当に運しかなかったと思います。
ある時、盗みに入った店には前と後ろに出口があるんですけど、巡回の警備員が来たんです。
どちらかのドアから入っていくタイミングで、僕らは左のドアの側に隠れた、警備員は右のドアから入ってきた。
だからバレずに済みましたけど、僕らが右側に隠れていたら捕まっていました。
運ですよね。

本間ユミノ:
夜遅くまでどこかに行って帰ってこないとか、そういうバレるようなことはしなかったっていうことですか。

Phooさん:
友達の家に遊びに行くと言って出かけていましたね。
私の通っていた私立の学校はお金持ちの子たちが多くて、有名人の子どもや大手上場企業の創業者の子などもいました。
お互いの家に遊びに行くこともありましたけど、家が大きすぎて、子どもがいるのかいないのかよくわからない場合もあって、そのおかげで意外とバレずにすみました。

本間ユミノ:
ありがとうございます。
高校卒業後はどんな人生を歩まれてきましたか?

Phooさん:
アメリカに行きました。

本間ユミノ:
なぜアメリカに?

Phooさん:
日本自体がちょっと嫌になっていて。
新天地で何かをやりたい、新しいことを始めたいという気持ちがありました。

本間ユミノ:
アメリカの大学に進学された形ですか。

Phooさん:
はい。

本間ユミノ:
何を専攻されていましたか?

Phooさん:
ビジネスです。

本間ユミノ:
アメリカには4年間いらっしゃったんですか?

Phooさん:
大学院まで出たので、全部で7年いましたね。

本間ユミノ:
なぜ大学院まで進学しようと思ったんですか?

Phooさん:
もっと遊んでいたかったからです。

本間ユミノ:
遊びというのは、日本の高校生の頃にやっていたのと同じような遊びですか?

Phooさん:
お金もかかるようになったり、多少スケールも大きくなりましたけど、悪いことというよりも、本当に「遊び」ですね。
女の子のケツを追っかけたり
ボンクラな留学生という感じでした。

本間ユミノ:
アメリカ生活はどうでしたか?

Phooさん:
アメリカ生活は楽しかったですよ。
アメリカ時代がなければ今の自分はないというか、非常に充実した時期でしたね。

本間ユミノ:
アメリカで得たものや学んだことを、
一つ挙げるとすると何がありますか?

Phooさん:
アメリカで学んだことはいっぱいあるんですよね…。
例えば、私が親しくしていた香港の友達は、ブラジル生まれ&育ちの台湾人でした。
お父さんが大富豪で、ブラジルで小学校を終えてから香港に移り、インターナショナルスクールで中高と過ごしたんですが、高校で悪さして退学になっちゃって、行き場所がなくなってアメリカに来たんです。
当時は香港の中国返還を控えた時期で、香港のお金持ちは計画的に子供達を西海岸に移住させていました。
だからそういう子たちが学校にいました、彼らの国境の疑念の薄さ、
違う国だからとか、違う肌の色だからとか、法律がどうこうとかを気にしない、そういったことは全く関係ないんですよね。一族繁栄のために成すべき事を成す的な。すごく影響を受けましたね。
もともとそういう気質だったんですけど、さらに影響を受けました。
それから、中高と周りもお金持ちだったので、特に自分がお金持ちだからモテるという感覚がなかったんです。
同じようなお金持ちの中でモテるには
見た目だったり運動神経だったりカリスマ性だったりするわけです。
でもアメリカに行ってみると、日本から来ているお金持ちの子ども、それが一つの強みになりました。
今まで強みじゃなかったことが強みになるわけです。
すごく世界が広がったという感覚を覚えました。
女性に対して、美女だから自分には口説けないとか、そういう感覚が完全になくなりましたね。
すみません、勉強の話じゃなくて。

本間ユミノ:
大丈夫です。ありがとうございます。
大学院まで進まれたとのことですが、その後はどのような人生を歩まれましたか?

Phooさん:
その後は日本に帰って就職しました。
そしてシンガポールとニューヨークで駐在員をして~そういう流れでつながっています。

本間ユミノ:
どういったお仕事をされてたんですか。

Phooさん:
日本企業で働きました。

本間ユミノ:
お仕事内容は営業ですか?

Phooさん:
はい。

本間ユミノ:
お仕事はいかがでしたか。

Phooさん:
つまらなかったですね。
サラリーマンを10年ぐらいやりましたけど、一度も面白いと思ったことがなく、やりがいも感じられませんでした。
アメリカ帰りで堂々と、スーツもビシッと決めていました。
正直社内でもすごくモテました。
社内の独身女性は全員抱けると勘違いするほど、勢いは有りました。
実際仕事もできたと思います。
数年後には海外に出ました。

本間ユミノ:
それでも、つまらなかった、楽しくないと思った理由は?

Phooさん:
一番の理由は、今考えると、やっぱり僕自身がサラリーマンをやる家庭に育っていませんでした。
僕の上司というのは、早稲田法学部を出てメガバンクから転職してきた人だったんです。
いわゆるエリートですよね。
で、自分はいくら稼いでるだの、どこにマンション買ってと、いろいろ言うわけじゃないですか。
でも正直、僕もっと上の生活してきてるんですよ。
その人はマンションを8000万で買ったと。
でも僕、6億円の家持ってるんですよ。
圧倒的に僕の方がお金持ってるし、学生時代も圧倒的に僕の方が楽しかった。
もう全然俺が勝ってるなって思ってしまって、彼らと同じ目線でものが見えないんです。
誰々は駐在終わった時にロレックス買って帰ったよって聞いても、「俺はロレックス、中学の時にしてたな。」って。
そもそも、中学の時に校内放送で「ロレックスの落とし物があります、取りに来てください」って流れたんですね。
僕、その時、ロレックスって知らなかったんですよ。
中二ぐらいの時ですね。
同級生が、ロールスロイスの運転手付きの車で来たんですけど、ロレックスをどっかに落としたらしく、校内でそれが届いてたって話なんですけど。
僕も中三の時にロレックスを買ってもらって、そういう世界観で生きてきた僕にとって、40代、50代のおじさんが駐在で必死に働いてロレックス買って帰ったって言われても、それがどうした?って思っちゃうんです。
僕、退社するときに言われたんです。
「俺らは上場企業の社員なんだぞ。お前、意味わかってんのか?」「お前、上場企業の本社採用だぞ」って。
そういう感覚のズレが、もうずっとあったんですよね。
それが、私が会社に対してここまで熱くならなかった大きな理由だと思います。

本間ユミノ:
海外に行きたいという思いがあって、それが叶って、実際に海外で働いているときも楽しくありませんでしたか。

Phooさん:
全然楽しくなかったですね。
海外駐在と言っても、所詮は日本企業のサラリーマンが向こうに行って働いているだけなんです。
小さな駐在社会の中での出世争いや上司の機嫌の取り合い、些細なお金の自慢、全てがくだらないなと思いました。
僕がシンガポールにいる時に、とあることで英語でスピーチをすることになって。
上司から「原稿を送ってこい」って言われて、送ったんです。
そしたら、私の英語スピーチ原稿が、間違いだらけの英語に書き直されて返ってきたんです。 これ読めって。
でも、その上司は元メガバンクのニューヨーク支店長で英語もできると言っている。
それをグダグダに直されて「これを喋れ」と言われて、そんな間違いだらけの英語読めない訳じゃないですか。だから僕は当日、全く予定に無い挨拶を英語でしたんです。で、笑いをとって。場の空気も掴みました。
それがやっぱり面白くないんですよね、上司としては。
そういうのも有り、シンガポールで揉めて、ニューヨークに行くことになりました。
やはりサラリーマン時代には、いろいろなトラブルがありました。

本間ユミノ:
お仕事を辞められるきっかけが、冒頭でお話いただいたご家族の遺産とのことでしたが、遺産が入ると分かったその時はどういう気持ちでしたか?

Phooさん:
死にそうだということは分かっていて、突然死したわけじゃないので....
その時に、シンガポールでの上司とのゴタゴタを聞いたアメリカ支社長が「ニューヨークに来いよ、お子さんもアメリカで育てた方がいいだろう」と誘ってくれて。
海外事業部長として大変良くしてくれた人だったので、ニューヨークにも行きましたが、会社に対する気持ちは既に切れていました。
仕事に対する気持ちも薄れていて、辞めるのは時間の問題だと感じていました。
ちょうどそのタイミングで遺産が入り会社を辞めることになりました。

本間ユミノ:
奥様とはどこで知り合われたんですか?

Phooさん:
妻とはシンガポールで働いている時に知り合いました。

本間ユミノ:
結婚してよかったですか?

Phooさん:
良くなかったですよ。
いや、それは冗談ですけど。

本間:
(笑)

Phooさん:
だから今の妻はと出会えて本当に光栄です。でも彼女でなくても、私の人生はあったなとも思います。

本間:
ありがとうございます。

未来:死ぬ迄にしたい事は全くないです。

本間ユミノ:
5年後、10年後、15年後、20年後、そして最期を迎えるまで想像していただいて、未来に対してどんなイメージをお持ちですか?

Phooさん:
僕はね、あまり未来に対して思いがなくて、別にいつ死んでもいいなと思っているんです。
僕がもし今死んでも、妻が子供をしっかり育ててくれると思います。
お金もしっかり残せるので。なので、僕は要らないんですよね。
一通りお話しさせていただいたように、僕はやりたいことを全部やってきたんです。
だから未来について何がしたいとか、死ぬ迄にしたい事は全くないです。
いつ死んでもいいというのが、僕の本音です。

本間ユミノ:
もしもPhooさんの人生で、学生時代にしていた悪いことが、全部ご両親にバレていたとしたらどんな人生になっていたと思いますか?

Phooさん:
学校にバレてたら
僕は退学になっていたでしょうし、別の高校に通い直していたと思います。

本間ユミノ:
今とは違う価値観だったり人生だったりになっていそうですか?
それとも、行き着くところは同じ?

Phooさん:
どうなんでしょうね。
今まで生きてきた中でバレなかったことが多くて、「俺は悪運が強いな」という思いがあったんですよね。
でも、長い目で見たときに、やっぱり実力通りの人生だなというのを今感じますね。
例えば極端な話で言うと、大学はアメリカの私立大学に行きましたけど、大学院は州立の有名なところに行きたかったんですね。
それで入る時に替え玉使ったんですよ。
コネなんてないので全部自分でセッティングして、うまく替え玉して入ったんですけど、それもバレなかった。
そういう学校名があったおかげで、
それなりの会社にも入れました。
ズルをしたり、無茶したりすると、人生で1瞬上手く行く時ってあるんですよね。
でも、やっぱり長い目で見たときに、実力通りの人生なんですよね。
それはすごく感じます。
嘘は続かないですからね。上向いた嘘も下向いた嘘も、結局は嘘は続かない。

本間ユミノ:
その運が強いとおっしゃっていたと思うのですが、

Phooさん:
当時はそういう風に思ってました。今はどうなのかわからないですけどね。

本間ユミノ:
次はバレるかもしれないという怖さとかはなかったですか。

Phooさん:
当時はなかったですね。
今考えると非常に怖いし、
罪悪感に駆られることもあります。
でも当時は全くそんなことを思わなかった。

本間ユミノ:
その当時と今の違いは何でしょうか。

Phooさん:
やはり私はADHDなんですね。
精神科に行って診察してもらったことはないので確実なことは分かりませんが、
ADHDの気質があるんだと思います。
そういう気質が元々あって、でも、やはり年を取るにつれて、そういった傾向は落ち着いてきたように思います。
体力もやっぱり落ちてきますしね。
車の運転でもそうですよね。駐車違反を切られても関係ないと思っていましたから。
駐車代だと思ってました。
逆に言えば何万円か払えばそこに停めて良いことになりますよね。
それが当時の僕の考え方でした。
スピード違反だって同じです。金を払えばスピードを出してもいいという理屈ですよね。

本間ユミノ:
(笑)

Phooさん:
今はそういう考え方はないですね。
やはり先ほど話したように、周りと調和をしていく。
子供のこともあるので、親父があまり悪目立ちもどうかなと思うようになって、
静かになってきました。
結婚した当時はまだそういうのが残っていましたね、妻や子どもにも迷惑をかけました。今はかなり収まってますが。

本間ユミノ:
それでは最後に言い残したことをお伺いしていて、遺言でも、この記事を読んでくださっている方向けでも、カズキヨさんご自身に対する独り言のようなものでも大丈夫なので、最後に言い残したことをお願いします。

Phooさん:
僕はやっぱり一言で言うと、さまよえる魂だったなと思います。
人よりも自分の魂に正直に生きてきたと思います。
それが、今は落ち着けた。魂の拠り所を見つけられた。そんな今だから僕は過去の自分をさまよえる魂だなと感じています。

本間ユミノ:
ありがとうございます。

あとがき

運が味方をすることってやはりあるんだなと実感。
私は運が悪い方なので、「バレるはずないでしょ」ということが大体バレる人生。
なぜなのか…

【インタビュー・あとがき・編集:本間ユミノ】



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#無名人インタビュー #インタビュー #サラリーマン #ファイヤー #国際結婚 #親子関係 #タイ移住

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