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自分たちがいた証拠が残るといいなと思う人

体バキバキ。脳みそボキボキ。雑巾ガビガビ。
大いなる太陽よ、私に力を。ばっ! ばばばばばばーンン!!
誰もがクリエイターの時代。ということでnoteのロゴが変わりましたね。
no†e!
いや、no+e?
ダガーなの? プラスなの? ダガーと言えば黒歴史。あ、ダガーっていうのは、”†”のことです。ダガーで文字変換して出ませんか? 出ますよね。🗡ではないですよ。
ということで、いろいろなことが起きてしまう昨今、そうなんですね、私の父も秋田出身で、私の縁遠い親戚たちもそこに住んでいるはずですわ。そうなんですわ。
日照時間が短いんです。
ということで、今日はnoteのロゴが変わった日で、私はその日に書いています、これを。
秋田は、きりたんぽがおいしいです。比内鶏、まいたけを入れます。あとは刈穂が好きです、私、それは日本酒ですね。
日々生きていく中で、思うことがあります。何かを成し遂げたいなと。別に成し遂げなくてもいいんですが、成し遂げたいと思う。成し遂げなくても生きていけるのに成し遂げようと思うのは、成し遂げようと思うスイッチが人間にそもそも備わっているからかもしれませんね。
そのスイッチのパワーのお陰で(お陰なのかやらされてると言うべきか)、私たちは環境を変えたり自分を研鑽したりするのやもしれません。じゃないと、変化に対応、きっとできないから。
というわけで本日の無名人インタビューもお楽しみくださいませ!!!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは 冬野快 さんです!

現在 : 自分たちが生きた証拠多分残らないなって。

のの:冬野さんは今何をされている方ですか。

冬野:私は今ハコモノ放送部っていう、アマチュアのサークルを作って運営をしてまして。そこでの活動っていうのがアマチュアのインターネットにたくさんいるんですけれどもそういうクリエイター、職業にできてないんだけど趣味で物を作ったり、あとはその動画を撮ったりとかしている人たちのちっちゃい互助組織みたいなものを作ってるんですね。
それって要するに、1人だけだと活動が頓挫してしまうとか、途中で飽きて辞めちゃうとかっていう、クリエイターのこのランクがあるとしたらかなり下積みの方で苦しんでる人たちが支え合って明日もクリエイターでいられるようにできるチームを作ろうってことでやってて、私の手が届く範囲で人を集めて、お互いに見守りながらね、活動をそれぞれやってるっていうのをやってます。

のの:なるほど。何かそのサークルをしようと思ったきっかけとかあったんですか。

冬野:そうですね。元々その立ち上げのスタートメンバーっていうのが全員大学時代のですね、同期であったり先輩後輩だったんですけども、そのサークルを立ち上げる前っていうのが、大学を私卒業した後にそのオンラインであのDiscordってアプリあるじゃないですか。あれを使ってオンラインでゲームをしたりして遊んでたんですけども。ある日ポロっとその仲間の1人がね、ゲーム実況をやってみたいなっていう話をこぼして。私その時は20代前半くらいだったかと思うんですけど。そんときにこれはいいなっていうふうに思って。

なんでかって言うと、私その時結婚してて、ただ経済状況とかいろんな事情で、多分自分は子供を持つことをあんまりなんか望めないなっていうふうに思ってる時期でもあったんですよ。今もいないんですけど。このまま年を取って、みんなも同じように年を取って老人集団に段々なっていく中で自分たちが生きた証拠多分残らないなって。もう結婚してるのは自分だけだし他の奴らは恋人とかもいないし多分次世代って残らない人たちなんですね、今のところ。で、自分たちがいた証拠が残るものがあればいいなってふうに思ったときにそういうゲーム実況したいっていうのをぽろっと言ったやつがいたんで、じゃあ形にしようっていうことでYouTubeチャンネルを翌日にもうみんな作って、サークル名も決めてやったのが最初です。

のの:ゲーム実況は元々されてたんですか?

冬野:初めてでした。やったことなかったのでどんなソフト使えばいいかなっていう話とか、始めた後に実はなんかめちゃくちゃ音質がもう悪かったりとか段取りが悪かったりとかして、その後この機材買った方がいいとかこういうソフトを使った方がいいとか。こういうふうにやったらどうだろうっていうのを本当にもうゼロから模索をしてちょっとずつやりながら良くしていこうよっていう姿勢で。私が、今もそうなんですけど活動で重視していることっていうのがそういうできるようになってからやるんじゃなくて、まずはスタートをして、その中で足りないものを足していくところまで込みで活動にしようよっていう話をしてて。
こういう活動っていうのはやってもやらなくてもいいものじゃないですか。創作活動とか発信するっていうことをしなくても、サラリーマンとしてご飯を食べていってるわけですし。そうなるとそのやんなくていいことだったりすると飽きたらいつでもやめちゃうので、いかにそのメンバー全員が正気を失った状態で活動を続けられるかっていうところで、やりたいって1人が言い出したらもう絶対にそれはやらせようだし、やらせるからにはこっちもやろうっていう状態で、今活動が3年目に入ったところですね。
もう本当にゼロベースで全部あのやりたいと思った日から勉強し始めるような状態でみんなやってます、今は。

のの:3年目に入って、心境の変化はありましたか?

冬野:本当にさっきも言ったように最初はその活動を始めて、続けられればいいっていう状態だったのが一番最初なんですけど。ちょっとずつその元々の顔見知りだった人たち以外のネット上でしか付き合いのない人たちが活動に参加してくれて、今メンバーの、最初3人から始めたのが今13人くらいでがやがややってるんですけど、そうしていく中でその人を巻き込むときに自分たちにそろそろ実力っていうかその形のあるものが必要かもしれないっていうふうにはちょっと今、思い始めてて。
最初は身内だけでやってて、だからその同時接続者数、せいぜい4、5人いればいいだろうみたいなところでダラダラやってきちゃったんですけど。チャンネル登録者であったりとか、そういう具体的な活動目標をそろそろ定量化して、続けるだけじゃなくて、いいものをみんなで作れるようにっていう。やっとサークルらしく、部活っぽくなってきたのが今です。

のの:実際にそのサークルには、どのようなクリエイターさんがいらっしゃるんですか?

冬野:ジャンル決めてないっていうか、実は最初、ゲーム実況やりたいって言い出したのがきっかけだったので最初はゲーム、ライブ配信、YouTubeとかあとTwitchでライブ配信してて今もそれやってるんですけど。まず、文芸部門もあって、母体が文芸サークルだったので小説とか詩とかを書く人もいるし。あとは動画ですね、ライブ配信以外の3Dとかを利用した動画制作してる人とか。あとは作曲してる人もいるし、私もイラスト描くんですけどそういうことしてジャンルは問わずでやってますね。
結局この起こりが、活動内容で人を集めたんじゃなくて活動に対するスタンスの一致する人っていう形で人も集めてて。本当にいろいろですね、ずっとモデリングやってるやつもいますし。クリエイターといっていろいろ出てくる、バーっと出てくるその大きなジャンルのは大体いると思います。ハードウェア系はあんまりないですけど。そういうデジタルで作れるようなものを作ってる人が一通りいるような感じですね。

のの:実際にそのサークルに入られて、皆さんどんどん活動の幅を広げていってらっしゃるって感じですかね。

冬野:そうですね、今は本当に少しずつですけど。その3年目に入って数字の話をしようっていうのに先駆けて、合同企画というか、みんなでその動画を出し合って技術研鑽をしようとか。なかなかね、腰が重い人もいれば、毎日毎日ライブ配信やってどんどん更新していく人とか結構まちまちなので、物のペースもあるんだけどそれはそれとして自主制作の刺激になればと思って企画とか作ったりですね、そういったことをしてて、みんなもそれで自分が新しく動画を作ってみるとか、やったことないこと挑戦してくれたりとかしてる人たちもいて。
実は今noteの方にですね、12月1日から24日までアドベントカレンダーっていうことで1人ずつ記事を投稿するっていう企画の準備もしてまして。こういう形でアウトプットする生活にどんどん慣れていこうという、アウトプットすることが生活の中で自然になるような訓練をみんなでしていこうっていう話はしてますね。本当に今はまだまだあの、休めるとやらなくなっちゃいそうな人も中には実際にいるので、ほっとくとクリエイターじゃなくなっちゃいそうな人もクリエイターでいられるようなとこって意味で最近そういう企画もやってるので意識は変わってきてると思います、少しずつ。

のの:ありがとうございます。お仕事の方はどんなことをされてるんですか?

冬野:私は地元に戻って、ホワイトカラーといいますか本当にバリバリの事務仕事をしてまして。こういうクリエイティブの雰囲気とは真逆のですね、仕事をしてます。逆にそれが原動力になったところもあるんですけど。
ちょっとその過去の話にも関わってくるんですけど、本当に何て言うんでしょうね、このいわゆる普通の大人みたいなルートを歩んで、現在に至ったところがあるので、そこから私は大きな挫折もなかったけど大きな挑戦もないまま、その大学に入って卒業して実家に帰って結婚なんかしてスーツ着て仕事を、もう同じような仕事をしてるっていうところから、じゃあこのままいくと私何もしないままおじいさんになって死んじゃうんだって思ったのがこのきっかけなので、結構固い仕事してます。

のの:なるほど。では元々はそのクリエイターみたいな仕事に興味があったっていうわけではないんですか?

冬野:ないです。その進路とか就職のことを考える時期に、自分が今ほど主体的に自分とクリエイターの人たちっていうのが関係があると考えてなかったんですね。いろんなことに対して他人事の部分があったというか。アニメとかゲームとかそういうのは大好きで、消費者というか受け手側としてはまず、いろいろ楽しんでたんですけど。自分は作り手に回っていいんだっていう思考になかなか至らなくて、本当につい最近思い出したように作ろうっていう気持ちになってる状態ですね。本当にただサラリーマンやって年取るだけだと思ってたので、自分が。

のの:でもその仕事とサークルの両立って結構大変ではないですか?

冬野:そうですね。最初立ち上げたときとかは、やっぱり何をしていいか全然わかんなくてどっちも手探りっていうか、仕事はやってたけどサークル活動+仕事っていう生活が初めてで最初ちょっと折り合いがなかなか作れなくて。仕事終わって帰った後のその家のプライベートの時間の使いかたがわからなくて。
何から考えて良いかとかっていう戸惑いはあったんですけど、今はちょっとずつ、歳重ねて仕事の方もちょっと中堅になり始めてるのもあるんですけど、サークル活動と、多分私が今この仕事を辞めてクリエイター1本でとかっていうふうにできるくらい実力がついたとしても、多分あえてはそれ選ばないのかもしれないって今ちょっと思ってて。

なんでかっていうと、その社会人というか勤め人としてサラリーマンとして社会と関わっていく中で感じたこととか、後はやっぱり事務職やってるとやっぱ大きいものちっちゃいものいろんなプロジェクトもたくさん見るわけですよ。っていう中でそういったその計画の立て方とか、あと人とのその調整とかですよね、連絡とかそういういろいろ仕事の仕方そのものっていうのもやっぱりそのサラリーマンの中で学べるものも当然あって。

クリエイターの、もの作りをしたい人たちを支えるサークルとしてやっていて、私は部長としてやる中で私に求められてる能力っていうのは、多分個人のクリエイターとしてバリバリものを作ってすごいものをどんどん作って数字に直接コミットする、ではないと思ってて。
逆にそういう何か他の、もの作りだけしていたい人たちにとってはむしろめんどっちいそういう連絡とか、後は計画を立てるとかそういうところを私に求められて、そのマネジメント能力の方だろうなというふうに結論をつけたんですね。
そういう中で今の仕事が絶対役に立つはずだってふうに逆に考えるようになって、むしろ活動が軌道に乗ってくるにつれて仕事の方にも熱が入るようになって。多分両立しないと今はないなっていうふうに思ってる状態です。

のの:では何かご自身のできることっていうか、その今お仕事でされたことがそのままサークル活動に活かされてるって感じですね。

冬野:そうですね。連絡とかそういう本当に地味なところなんでね、役立ってるなって思うときはよくあります。

過去 : 何を考えてるかよくわからんとは残念ながら言われてて。

のの : 冬野さんは子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

冬野:子供の頃はめちゃくちゃ本読んでたんですね。本の虫だったんですけど、小学校のときとかも授業中にずっと小説読んでて怒られてるような子供だったんですけど。ずっと本読んでるか、ずっとノートの端っこに鉛筆で落書きをしてるような子供だったんですけど。
自分のその頭の中に空想みたいなのがずっとたくさん居座ってて、なんかその世界、本とかに刺激を受けてこういうのが書いてみたいとかって言ってる、考えたらもう止まらなくなるようなそういう、なんだろうな、もの作りって言うほどじゃないんだけど、そういう想像の世界の話とかあと自分が知らないものに対する好奇心とかは結構あった方だと思いますね。

で、中学とか高校とかあたりからですけど、興味が人そのものの方に段々移っていたところもあって、自分が知らないことを知ってる人っていうのにすごい興味をひかれまくってる時期があった、今もちょっとそういうところがあるんですけど、その自分が知らないことをなんだかわかんないけど熱弁してくれる人っていうのを見るのが今でもスッゴイ好きなんですね。なので、結構そういうなんだろう、この人は自分には無い知識を持ってるなって思った人に、ついていく、惹かれてしまう。高校の時もそうだし大学のときもそうだったんですけど。そういうのがあって何かそういう人がずっと生き生きしてたらいいのにっていうのが今に繋がってるところもあるんでそこは特徴だと思います、私の。

実を言うと、この無名人インタビューっていうプロジェクトがあるじゃないですか。これ今やってるサークルのその部員の1人から実は教えてもらってね、この企画っていうのを。で、冬野さんこういうの好きそうですよねって言われて過去のインタビューとかを見さしていただいて。これは好きだねって言ってもうリンクを送られてきたとたんにあのメールを送ったような状態なんですけど。なので何か触れてみたくて応募したところもあるので。根っからそういう人なんだと思います。知らない人の話が聞きたいとかっていう、そういう子供でした、前から。

のの:小さい頃はノートに落書きとかっていうご自身の中で完結することが好きだったと思うんですけど、興味が人に移ってった、きっかけとかあるんですかね。

冬野:だんだん移っていったっていうのは、なんだろうな、多分ちょっとごめんなさい具体的なエピソードって思い出せないんですけど、その中学校に入って共同で小説を作ってみようって言い出したことがあったんですよ、1回。
結局完成しなかったんですけど、そういう話をしたときに世の中には自分の中のその空想の世界に浸って何かやりたいやつが自分だけじゃないんだっていうことを多分そこで感じたのがきっかけかもしれないなと思ってて。同じような妄想の世界で入り浸ってしかもそれを作品にしてみたくなってしまう人がいるってなったときに、お前らは何考えてるんだよってふうなったと思います。その辺りだと思います、時期的には。そのあたりから人を集めること自体にも興味があったんですよ。チームを作ってプロジェクトやってみたいっていうのは潜在的に芽生えたのは多分中学校入った辺り。それが高じて、もう今もう我慢できんとなってサークルやってるような状態でしょうかね。

のの:その頃は部活動とかされてたんですか?

冬野:そうですね、中高は陸上部やってたんで全然関係ないことしてるんですよ。運動部やってたんですけど、大学上がってから文芸サークルになぜか行って。大学で初めて知り合ったやつが小説とかを子どもの頃からずっと書いてるやつで、文芸部にもう最初から入るつもり満々だったんだけどお前も来いよって言われていったままそのまま転がり込んで。ずっと入り浸って。

陸上やってたけど、もうそこはあんまり関係なくなっちゃったんですよね、自分の人生で。それはむしろ父が陸上やってたのでっていうとこで、何か本当に嫌じゃなかったけど主体性ってあんまりなかった時期の決断だった気がします。まあ健康には役立ちましたけどね。
あんまりそこから今にっていうところはないですけど。なので、意識的に何だろうな、面白い人についていくとかは行動に移したのはその大学の文芸部に入った辺り。面白そうだと思ったやつについていくっていうのが実践できたのがその時で。結構最近自我が芽生えたような人なんですけど、私。

のの:その大学の文芸サークルでは、どんな感じで面白い人が?

冬野:そうですね、私、ちょっとあの文章実はあまり書くの得意じゃなくて、入ったはいいですけど。なんですけど文芸サークルというか大学に行ってね、文化部でちゃんとやっていくような人たちって十中八九オタクなんですけど。
やっぱりその人たちは私よりもずっといろんなメディアとかいろんな情報に触れてるんで、部室ではずっと人の話聞くだけで1日過ごしてることが多くて。この漫画のこのカップリングがいいんだよみたいな話を全然知らん作品で延々聞かされたりとか。あとはあのカードゲームとかずっとやってる奴らの脇でそのカードの解説を聞きながら何か返事してたりとか、どちらかというと話聞いてて、そういった中でそうですねクリエイト的な側面でいけば一番影響が大きかったのがその文芸部の中で、TRPGてご存知ですか、テーブルトークRPGとかって。

のの:聞いたことはあります。

冬野:ボードゲームに何かお話が入ってきたようなそういう遊びがね、あるんですけど。誘われてTRPGに触れた辺りが多分あの文芸部に入ったことそのものよりも影響は大きいかもしれないですね。
自分でキャラクターを考えてお話を作ってっていう話をしていく中で、それを仲間と一緒にやっていくので、結構時間かかるんですよ、あれって。話してる中でその人の価値観とかにもやっぱり触れていくわけですよね。結構深い話になっていって、何か最終的にゲームの話してるのに人生観の話とか死生観の話にまで飛ぶくらい熱中したんですけど。あれってやっててこの話が社会人になったらできなくなるっていうことへの恐怖感がすごいでかかったので。そこが影響大きいですかね。

サークル活動、ただの文芸部がきっかけだっただけかもしんないですけど、そことの出会いっていうのが、クリエイティブな生活は年取ったらできなくなるやつがいるかもしれないっていうことへの恐怖感が具体的にあったのは、多分そういうTRPGがきっかけかもしれないですね。めちゃめちゃ時間かけて1個のお話を作ったりとか、なんかイラストまで用意してくるめちゃめちゃ気合入ったやつとか多かったんですけど。だけどそう仕事忙しくなるとやっぱり段々できなくなるとかっていうので、これが全部失われてただのサラリーマンになるの怖すぎるなっていうところもあったんで。何か作ってて欲しいなって思ったのはそこですね。

のの:ではその頃から冬野さんは、作るっていうより部活のメンバーのしたいことを支えたりとか、そういう側だった?

冬野:そうですね。裏方っていうのもありだなっていうふうにはそのときは確かに思ってました。文芸部ってもうエースみたいな感じで毎回めちゃめちゃ面白い小説バンバン上げてくるやつとかいるんですけど、私はこいつにはならなくてもいいけど、こいつが小説ずっとかけるならそれに越したことはないのとかってのは本当に心の底から思ったりしたので。
ものをバリバリ作るわけじゃないけど裏方として面倒くさいことやろうと思った。結局部長になったんですよ、私。ろくに作品も出さない、文芸部で。あの外部と会議っていうほどじゃないですか説明会出頭したりとか、あとすり合わせで文化祭の何とかとかそういう話とかはやってて。でもこれでいいなって思ったのが今にも繋がってる感じはしますね。

のの:その頃、冬野さんは周りにどんな人って言われてましたか?

冬野:実を言うとこういう気持ちの話を誰にもしてなかったんですよ、実は。なので前からね、何を考えてるかよくわからんとは残念ながら言われてて。
多分、ちょっと裏方でいるような気持ちが強くなりすぎて、ろくにもの喋らないやつになっちゃったってのもあると思うんですけど。打ち合わせとかには出てたし、会議とかにも出てはいたんですけど。そうですね、こういう評価は訳わかんないやつみたいに言われてたかもしれないですね。文系部に入って部室にも全然来ないし作品も出さないやつは結構いるんですけど、部室にずっといるのに作品あんまり出してなかったので、不思議なやつだとは思われてたかもしれないですけど。あの仕事はしてたんすけど、作品そのもののコミットがあんまりなかったので。ちょっと不思議ちゃんだったかもしれないです。

のの:気持ちをアウトプットするようになったのは最近ですか?

冬野:最近だと思います。最近ですね。さすがに学校のサークルじゃなくて自分でリーダーシップになってやっちゃったやつだとこの意図が伝わらないとまずいなと思って。最近危機感を持って俺はこういう人ですっていうのを伝えて協力を仰ぐようになりました。
サラリーマンとしての慣れっていうか情報共有の大事さがやっとわかってきたのも大人になってからなので。ここまでができる得意のとこなので、こっから先は、あの細かいところはちょっとお願いしますとかっていう話の中で自分の気持ちも伝えざるを得なくなっちゃったっていうのが今ですね。これまでは本当に謎のやつでした。
結構びっくりされますね。こんなこと考えてたんだみたいなことを言われたり。そうです、って言ってます。

のの:大学を卒業されてからはずっと同じ仕事されてるんですか?

冬野:そうですね。就職して同じところでやってます。なので実は生まれが秋田で自分は秋田に今いるんですけど。大学、私は山形だったんですよ。そこで一緒だった奴らって卒業したら皆散り散りになっちゃって。東京行ったやつもいるし埼玉とか行った奴とか関東行ったやつ、あと東北の南の方にいるやつとか。ちょっと散り散りになってて、顔を覚えてないですね。そんな感じです。仕事は変わってないですね。

のの:ご自身がされたいことを主張されるようになってから、何か気持ちの変化っていうか、変わったことありました?

冬野:そうですね、主張するようになってから、でも言葉にしたことで責任感っていうのがやっとしっかりしてきた感じはします。なんだろう1人でこういうことしたいなってぼんやり思ってるだけだとやっぱり不足で、私の場合は。
言っちゃったからにはやらなきゃっていうふうになったので。なし崩し的に部長やってたときとは違って今はあの、言い出しっぺだし、みんなにもここまではやりますって約束したからちゃんとやらなきゃっていうところが出たりとかあって。結果的にサークルの活動の方にもいろいろ期限を決めていつまでに作品出そうっていうふうに約束をしている以上どうしてもスケジュールっていうのが生まれるじゃないですか。
やっとそこでってなってくるので、結果的に仕事の方にも責任感が出てきました、なので。ここまでに終わらなきゃいけないからとかいうふうになってくるんで、何か全体的に人生にメリハリがつきました、この気持をはっきりさせたことで。

のの:子供の頃と、今、大人になってからって性格って変わりましたか?

冬野:性格は多分びっくりするほど何も変わってないと思います。なんだろう、子供のときの小中とかで感じたような、人に何考えてるんだろうとかっていう辺りの興味が全然変わんないまま大きくなったような気がしてて。
なので何だろう、逆にあまりに変わらなすぎて周りとのギャップっていうのは学生の頃はありましたね。周り結構みんな忙しくなっちゃうと、くだらない話がなくなっちゃうんですね、忙しいと。勉強とか、受験、就職いろんなことありましたけど。変わらないなっていうふうに古い人からは言われたりもしますし。

あとはね最近、ここ数年で感じた変化は私、大学のときからTwitterを始めて、その時からもうあの冬野っていう名前で生活をしててずっとTwitterに入り浸ってて。
学生の頃はねサークルのみんなとか、結構みんなずっとインターネットばっかりやってるやつだけどみんななんか忙しくなるにつれてどんどんいなくなって就職してどんどんいなくなって結局なんか同じペースでずっとTwitterしてるの私だけなっちゃったりとか、何かそういうこともあるんで本当に変わってないですね。1人だけずっとガキのままで来てるところもあるので。多分変わったのは周りの人たちがなんだろう、変わってない私のことをわかってくれて、私がこういうことをしてほしいとかこうあってほしいに対し、付き合ってくれるようになったっていう方が大きいかもしれないですね。
ずっとこうしてたいんだっていう。大人になったからってそういう遊びとか無駄なもんを辞めんのはもう面白くないからやめてくれっていう話を再三聞かせてたらなんか相手が合わせてくれるようになって、じゃあやってみるかっていうところもあるので。
なので、変わってない自分を正直に出したから周りが変わってくれたの方が多分実態に近いかもしんないです。小学校の時から、素材の味でやってます。

のの:なるほど。でも変わってないってある意味良いことですよね。

冬野:そうですね、あの活動の目的からいっても変わらないようにしようねっていうところもありますし。確かにそうですね。何か当時は周りがみんな子供だった頃はそうでもなかったけど良くも悪くもね、私の特徴みたいなものにはなり始めてますよね。やっぱり思いついたこと我慢できないとか、もうやってみよっかなから実際にやるまでとその短さ思いきりであったりとかは、なんか段々変わらないことで周りと違うふうになってるんで。
もっとなんだろう、実績とかは別にして自分って何か何もないなっていうか、特徴と言えるものが自分の中にない、個性がないなって思ったんですけど、ちょっとずつ何か結果的に個性っぽいものになってきてるので、それを活かしてね、なんかもっと素敵なことができるかなとかっていうふうに希望が持てるようになってきましたよね。

未来 : お先真っ暗だからこそ自分で自分の生活だけでも自分の手が届く範囲だけでも明るく、年をとれたらいいっていうふうに今思ってて。

のの:ありがとうございます。では未来のことについて聞いていきたいんですけど、冬野さんは5年後10年後、あるいは死ぬときまでを想像していただいて、未来についてどういったイメージをお持ちですか?

冬野:そうですね、イメージ、あの本当になんだろう、大きなところからいかしてもらうんですけど、秋田に住んでるじゃないですか。秋田ってまず高齢化率が恐ろしいことになってるんですね。お店とかもどんどん閉まっていきますし、あとは若者もねどんどん減ってて。私が住んでる自治体だと年間1000人ずつくらいかな、人口がもうガスガス減ってて、右肩下がりでね、街全体がもちろん行政とか、いろんなお店の人たちとか頑張ってはいるんだけど、やっぱりそれでもちょっと店じまいっぽい雰囲気になってきてるのが私から見た地元なんですよね。当然私も大人になって両親も年を取るし両親の親っていうのも死んだりぼけてきたりとかいろいろあるわけですよ。家もね空き家が増えていったりとかお店のシャッターが増えていくとかっていうその本当にリアルな田舎っていう中で、生きてる中の私の死生観っていうのがやっぱりなんだろうな、死のことを結構毎日のようになんだろう、やっぱり存在してるんですね。死っていう概念そのものが。

だから私は活動をするにあたって自分の人生に何が残るかっていうのは、最初も言ったんですけどずっと頭の中にあって。だから生きた証拠とか、何かやった爪痕足跡とか、っていうのが残せる、何が残せるだろうかっていう話になってきて。
最初の質問っていうのが未来に対するイメージですよね。なので、そうですね、多分未来そのものでいけばもう暗い世界の中でずっと生きてる感じ。先が暗いんですよ。なのでより一層自分で楽しくしなきゃいけないっていうところ。人生は暗い、未来は暗いし街も私から見たら、もう暗い街になっちゃってるんだけど。反動、反発、なんていうんですかね、お先真っ暗だからこそ自分で自分の生活だけでも自分の手が届く範囲だけでも明るく、年をとれたらいいっていうふうに今思ってて。

それは家族との付き合いもそうですし友人関係ですね。友人たちはもうちょっと都会に住んでる奴もいるんで私ほどもしかしたら暗さを共有してはいないのかもしれないですけど。それでもやっぱり次世代というか、残せるもののひとつとして作品たちがあったりとか、もしかしたらこのあと何かね、あの有名になることができて誰かの記憶に残るとか、私のフォロワーたちであったりとか、あるいはもしくはYouTubeのチャンネルを見てくれた人とかに、あの冬野ってやつがいてハコモノ放送部っていうサークルがあって楽しくやってる奴らがいたぜって思ってくれればいいなってところもあるので。そういう気持ちがより強くなって3年目で具体的に数字の話しようっていうところにもなってくるんですけど。

で、ちょっと本当にハードルが高い話になってくるんですけど、未来のイメージというか、その仲間の1人がね、シェアハウスしてみてえなみたいなことを言い始めて。
今、散り散りになってるけど。もうなんか、そういう別の仕事で生計を立てながら、共同でスタジオっぽくやれたらいいねみたいな話をしてくれてるやつもいて。そのために何資格必要かなとかって今何か行政書士とかの勉強を始めてるところなんですけど。
なので、常に未来に対して惰性で生きるんじゃなくて、意識的に明るく楽しくやりたい。で、多分楽しむってのは楽観的なことばかりじゃなくてお金とか資格とか、あとは社会的な信用とかそういうのは必要だよなって、結構ずっと自分の死までのその道程っていうのをイメージしてますね。死がすごくリアルな世界観に生きてるので。

のの:この先が暗いなって気づいたのは、就職されてからですか?

冬野:その暗さを感じたのはもしかしたら中学校、小学校高学年くらいかな、のときだと思います。私の家が、親戚がね、結構たくさん関わりがあったんですよ。両親の父方母方両方のね。だからよく繋がりがわかんない爺さん婆さんみたいなやつが結構身の回りにいる子供時代だったんですけど。
当然繋がりのある人たちが亡くなると葬式があるでしょう。だからよくね、父方であれば父についていって手を合わせてきたりとか。あと母の方でもねあの家族、お葬式とか。結構多分、よその地元のよその家庭と比べても私は喪服を着る機会が多かったと思うんで。
葬式って私から見ると次の順番が来るみたいなイメージなんですよね。今度はこの人の番なのかなみたいな話がポロっとやっぱり悪気なく出てきたりとかして。死に触れる機会はね、人一倍多いと思いますよ、本当に。葬式ばっかり出てたので。
逆になんか結婚式とかはね全然出ることないですけどね。そっちの話はめちゃくちゃ多かったので。人が死んでいって自分の番があとどんくらいだなとかっていうことを結構子供のときから考えてはいましたね。
秋田っていう街がちょっとずつもうなくなろうとしてる流れの中にあるという意識があったので。そうですね、主体性がないなりに何か、店じまいのなんだろうあれですね、蛍の光が鳴り始めてる店に入っちゃったときみたいな、もう何か終わりかけのときに入っちゃったなっていう気持ちのままいるところも結構あった。
私の街、前までは結構、前っていうか親の代くらいまで栄えてて、デパートとかね、ちゃんとあったりして、映画館があったりしたんだけど、私が生まれて物心つく頃にはすっかり全部もう引き払って、廃墟になってるとかシャッター閉まってるとかだったんで。
本当になんか、もう店じまいしかけてるところに入っちゃった、が適切かもしんないですね。街の終わり、人生の終わりっていうのを、頭の中にずっと居座ってる。憂鬱とかとは違うんですけど、本当にドライにいつか終わるよって言われてる状態ですね。

のの:もし秋田に住んでいなかったら、また考え方って違ったんですかね。

冬野:違っただろうなって思います。じゃあどこに住むのって話になってくるんですけど。人口云々の話もそうだけど、雪降りますしね。雪深いとこですし。もしかしたらですけどね、やっぱり自分のなんだろう、肉体の感覚と気の持ちようって結構密接だよなと思うので。

寒い冬に雪が降り積もる中で家にこもって過ごす。こういう、日照もね、あの全国一短い土地なので。とにかく物理的にも暗い中でこういう寒い冬とか過ごしたりしてると、やっぱりそういう意識ってのは否応なしに高まって、暗さっていうのを結構強く意識するので、例えばこれがもう夜までずっと街が明るい例えば東京とかみたいなところにいたとすれば、ここまでは考えることはなかっただろうとは思います。
結果どういう人生があるかちょっと想像がつかないところもあるんですけど。何だろうな、逆にこれほど人生を明るくしようと慌て始める30代を迎えることはないかもしれないっていうふうには思いますね。やっぱり周りに老人が多い土地なので、健康寿命とかもめちゃめちゃ意識しちゃうんですよ。
大体男性とかだと80歳くらいとかなんですかね。なんだけど、そう考えると、私来年30になるわけですけど、健康寿命で行けば多分折り返し近いんですよね。なので、多分そういう発想自体が若者しかいない街だとわかなかったかもしれないですね。慌てるというか、今からでも何とかしなきゃっていう気持ちにさせてくれたのは残念ながら多分この環境のせいだろうなという気はしますね。タイムリミットっていうのをすごく感じる土地です。もうクリエイトできるうちに、もう目が見えるうちにかけるもの書いちゃおうみたいな感じになりますね、本当に。

のの:ありがとうございます。もしも冬野さんが大学の頃、文芸サークルの人たちに出会ってなかったら、どういう人生になっていたと思いますか?

冬野:そうですね、出会ってなかったら、本当にもう身も蓋もない話ですけど、多分大学卒業に失敗してると思うんです、私は。そうですね、めちゃめちゃめちゃめちゃ不真面目なやつだったんで、学生のとき。ちょっと恥ずかしながらちょっと単位がやばかったので、そのときにね仲間で声を掛け合ってお互いに監視しながら単位を取りまくるっていう追い込みの3年生のときを過ごしたんですけど、卒業に失敗してるかもしれないっていうのもありますし。

全く想像つかないですけど、どうだろうな、人生何か間違いで地元には帰ってなかったとかはあるかもしんないですね。結婚できそうだったら地元に帰ろうみたいなところがちょっとあったんですよ。結婚と就職っていう2つの何か条件が自分の中にあって、これうまくいきそうだったら地元帰ろうかなって思って現在に至るんですけど、今のその嫁がその文芸サークルのやつなんですね。
で、もう嫁とも会ってなかったかもしんないし、多分卒業失敗してるんで就職も失敗してるんですよね。なのでそのまま山形にいるかもしくは宮城に転がって何か別のことをしてるか。だとしたら、今ほど真面目に人生のことは将来のことは考えてなかったかもしれないし。

なんかやっぱりそうですね、最初の話に帰ってきちゃいますけど、お堅いルート、ちょっと一昔前の人が考えるちゃんとした大人みたいなルートに入っちゃったからこそ、逆のことに意識が向いて今があると思うので、ものすごくもっとつまらない人だったかもしれないなっていうふうには思いますね。本当に何が影響するかわかんないから、例えばの話ですけど、そんな気がしてます。
やっぱり過去のインタビューの方々を見まして、いろんな人生の方いらっしゃっていろんな偶然の中でとか出会いがあってっていう方もいたふうに思うんですけど。何事もね、何か一歩間違えばみたいなものもあると思うんですけども。今の私を形づくる要素しかないなってふうに思いますね。

のの:ありがとうございます。

冬野:撮れ高的に大丈夫ですかね。なんかすごく平凡なのかもしれないとかってね、URLを貰ったその日に応募した後に、こうムクムクとね、怖くなっちゃったんですけど。
無名人っていう言葉にね、もう素晴らしいなと思って惹かれていったけどね、なんか想像以上にね、なんか無名だけどめちゃめちゃ自分の凄さをかましてる人大勢いらっしゃった。
社長さんであったりとか。その中でそうですね、サークルやってはいるけどマネタイズとかそういう生活に紐づいたところまで行けてないっていうところもあったんで、もしかしたらね、そういう撮れ高とか、そういうなんか要らない心配もしながら今日ドキドキしながら来たんですけれども。
ザ・無名人としてやってもらえれば嬉しいですね。こういう人もいるよっていうふうにしててください。

のの:最後に言い残したことはありますか?

冬野:そうですね。そうだな。もうちょっと大きくなったらここにまた帰ってきます。もっかい再確認させてください、その時。
あのあとお前どうしたんっていうインタビューをやりたいですね。それまでちょっと首を洗っておきますんで。現在値の確認を今日させてもらったんで。また次のね、冬のリベンジ会あったら打診しますんでその時もよろしくお願いします。

のの:その何年後かには、多分今と変わってるかなって感じですかね。

冬野:変わってるだろうとも思ってますし、そうですね、ここで変わってるだろうっていうのを残しておいて、変わる原動力にしようって今企んでるので。きっと何か変化してお話できることを持って帰れると思います。何か、何かですね。何かは明日から探します。

あとがき

世の中には自分の好きなことを仕事にしている人、得意なことを仕事にしている人、みんなそれぞれですけど、冬野さんは自分の得意なことで仕事もサークル運営もされていて、それに気づけたことが本当にすごいなぁと感じました。
人それぞれ生まれ持った才能は違いますが、それを自分で見つけ出せて、さらに周りの人の才能も上手く引き出そうとされていて、私は冬野さんのその姿勢にすごく感銘を受けた気がします。自分のしたいことや自分に出来ることが、誰かの原動力になって、そこからまた自分もプラスの良いものを得られて、上手く循環できていると言いますか、言葉にするのが難しいのですが、とにかくこれからも楽しく活動していて欲しいです。

インタビュー担当:のの

編集協力:生きにくい釘

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #創作 #秋田

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