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インタビューをして「自分は何もしてない人間です何もしたくないんだったらじゃあ何もしなくていいんじゃないか」って納得したフリーターの人

僕らはみんな人生を旅する旅人だ。旅には水筒が必要だ。水筒の中は友情ってワインで満たされている。中味カラならすぐ満たそう。同情でもいい。
孤独というか自己承認欲求というかさみしさを感じたのならすぐ水筒の中味を飲もう。喉が渇いたときと一緒だ。私たちの体の80%は水分でできている。
水が必要なんだ私たちには。
でね、「何者でもない人」と思ったら、「何もしたくない人」だということに気づいたインタビューでした今回は。ニュアンス伝わるかな? 伝わりにくいかな?
そうですね・つまり何者かであるというアイデンティティーを強要する社会に生きていた旅人が、無名人インタビューという「何者であるか」ということを無意味化するイベントに出会い、結果的に自分の空洞に気づき、そしてその空洞というのは存外気分の悪いものではなく、むしろ清々しさのある空間であることを悟ったというお話です。
人生は無価値ないさぎよい穴です。
進んで穴には入りましょう。
これでいいのだ。そこから始まる人もいれば、終わる人もいる。

今回の無名人インタビューもみんなで楽しく読みましょうね!! 頼むぜ、頼んだぜ。(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは 新潟の俵 さんです!

現在:素直迷子

森逸崎:今回ご応募いただいたきっかけがあれば教えていただけますでしょうか?

新潟の俵:実は、知人に以前インタビューを受けた人がいて、その人からの紹介です。今後やっていくことを模索しているって話をした時に「無名人インタビューってのがあるから、やってみたらどう?」ってことで。

森逸崎:あら嬉しい。
それでは、今日はどのようなインタビューにしていきましょうか。

新潟の俵:そうですね。なんだろうな、最初は「自分がやりたいことを見つけよう」とか、「自分がどんな人間かインタビューをしてもらって、自分の考えがまとまるかな」と思ったんですけど、ちょっと今は、「有名人みたいな感じにインタビューを受けてみたいな」って気持ちです。

森逸崎:承知しました。ぜひ色々教えていただけると嬉しいです。
では早速ではありますが、今の新潟の俵さんは「どんな人間ですか?」と聞かれたらなんと回答しますか?

新潟の俵さん:自分は「軸があるようで、人にかなり流されやすい人」かなと思っています。

森逸崎:へえー!
それはどういう部分からそう思われるのでしょうか?

新潟の俵:僕、自分が「すごいな」って思った人からものすごく影響受けやすくて。
例えばゲーム。僕結構ゲームが好きで、自分で言うのもなんですが、周りの友人よりはうまい方かなと思ってはいるんですけど、それでも、Youtubeとかですごい上手な人のそのゲームに対しての意見とかを聞いてると、すぐ「確かに」って思って、その内容を周りの友人に話しちゃうんですよね。
あとは、今デザインの勉強しているのですが、デザインや建築関係の人のいろんな話を聞く機会があって、その人たちの意見を聞いて「確かにそうだな」と思っていたのに、次の日に違う人の別の話を聞いたら、「あ、でも確かにこっちもそうかも」ってなる。
色んな人の意見に対して、「でも僕、昨日こう言われてこう思ったんですけど」じゃなくて、「ああ、確かに」って、その話された方向に流されていってしまう感じです。

森逸崎:そうなんですね。
聞いている分には、その状態のことを「素直」って表現もできるのかなと思うのですが、割とネガティブなニュアンスを含んでお話されているのは、どうしてなんでしょう。

新潟の俵:ああ、なるほど。
なんか、その時は「確かに」ってちゃんと意見を受け入れていると思うんですけど、家に帰った後とか、後々、後悔があるというか。
例えばゲームが終わった後一人になった時に、「自分の意見を全く言ってないな」とか、「人から教わった意見しか言えてないんじゃないかな」って考えて、それを自覚した時に、「自分は流されてるんじゃないかな」って、そう思います。

森逸崎:では、ネガティブに思う対象は「『確かに』と頷いている自分」に対してというよりは、「自分の意見がその場で言えなかったこと」に対してなんですね。

新潟の俵:はい、そういうことですね。

森逸崎:なるほど。
ちなみに、今は何をされてる方なんでしょうか。

新潟の俵:えーっと、今はフリーターという形で、バイトのTimeeというアプリで隙間時間でアルバイトしたり、あとは知人の手伝いをしたりしつつ、空間ディスプレイデザイナーの資格の勉強をちょっと今してるところです。インテリアデザイナーのようにインテリアとか照明一つにこだわるって訳ではなく、色んなイベントだったり、美術館だったり、結構大まかに、「空間」という全てをデザイン、演出するイメージ。抽象的で申し訳ないんですけど。

森逸崎:本当に「ハコ」そのものをデザインする。

新潟の俵:そんな感じです。
ただ、建築家とは違って、新たに建てたり、ないものをつくったりするのではなく、「すでにあるものをより新しく変えていく」というイメージだと僕は思っています。

森逸崎:いいですね。
そもそもその資格を取ったり、空間デザインをやりたいなと思ったご理由はどんな部分にあったのでしょうか?

新潟の俵:えっと、前職で一年間保育士をしていたのですが、その時に趣味でカフェ巡りを結構していたんですね。そうしているうちに、「コーヒーおいしいな」とか、「おしゃれだな」って思うより、「この空間、居心地いいな」っていう視点に自分が立っていることに気付いて、そこから興味が湧いた感じでした。
インテリアデザイナーとか、建築家の存在を知ってはいたのですが、「丸ごとこの空間を作る仕事ってないのかな」と思って調べてみたら、「空間デザイナー」という、まさに自分がやりたい職種があることを知って。それで、挑戦してみたいなあ、と。

森逸崎:へえー!そうだったんですね。
新潟の俵さんが「自分的に居心地がいいな」と感じる空間って、どんな空間ですか?

新潟の俵:正直、今はあんまりないんですよね。カフェとか銭湯に行くことも好きなんですけど、そういった空間に行って確かに「居心地いいな」とは思うものの、長居することがあまりなくて。
きっと、いろんな空間を「見たい」が強い。だから、あんまり「自分にとって居心地がいい空間」っていうのは、ちょっと意識したことがなかったんです。
建築家の人たちとコミュニティで関わることが多いって先ほど言ったんですけど、実はその人たちの話を聞いていて、なんか今ちょっと空間デザイナーになるの自体、ちょっと迷っていて。今言われた通り、やっぱり「居心地のいい空間ってこういうもの」というのが、自分でもまだ出てこなくて。ふわふわした回答しか出てこないので、空間デザイナーできるかなって、正直結構悩んでます。

森逸崎:あらま。
これは私の勝手な解釈ですが、割とデザイナーの方って最初クライアントありきで動くことが多かったりするので、自分の居心地の良さっていうものがなかったとしても、そのクライアントにとっての居心地の良さが的確にキャッチできればいいのかな、とは思ったりもします。
とはいえ、すでに深掘りしたいことがたくさん(笑)

過去:構って欲しくてそっぽ向く

森逸崎:今の自分に対して「軸があるようで流される」と仰っていましたが、幼少期はどんなお子さんだったのでしょうか?

新潟の俵:えっと、すごい問題児だったと思います。それもかなり(笑)
小学5年生になるまではまあ普通に友達も割と多いし、まあちょっとちょっとバカ、ぐらいの子供だったんですけど、5年生で新任の女性の先生が担任になった時に、簡単に言うと、クラス崩壊みたいなものがちょっと起きてしまって。僕もきっとその原因の子供なんじゃないかなっていうぐらい、問題児でした。

森逸崎:へえー!
ちなみにそのクラス崩壊ってどんな状態ですか?

新潟の俵:子供達が先生の言うことを全く聞かない状態、ですかね。
やっぱり5年生ぐらいになると、きっと子どもたちもなかなか大人になってくるので、そこで、まだ入ってきたばっかりの女性の若い先生を、すごいナメてましたね。授業でも皆が全然話を聞いていなかったり、その先生の悪口をちょっと影で言っていたりとか、そういうクラス崩壊です。まとまりがもう、一切ない。

森逸崎:その中で、新潟の俵さん自身はどんな行動をしていたのでしょうか?

新潟の俵:僕は、なんだろうな。授業中にぼーっと窓なんか見てましたね。結構、わざと。先生に見てほしかったのか分からないですけど。
今思えばその頃なんでそんなにネガティブだったのかも分からないんですけど、僕の小学校の卒業アルバムの文集に僕、「母は全く僕のことを見てくれない。弟ばかりだ」みたいなことを書いていて(笑)だから、きっとその先生に見てほしい、構ってほしいなっていう気持ちから、問題行動してたんじゃないかな、と思います。
言うことを聞かない手段の一環として、ぼっーと窓の方を見て、ちょっと授業中ふざけたりっていう感じです。

森逸崎:そうだったんですね。
お母様が全く見てくれていないというのは、どういう部分からそう感じていたのでしょうか。

新潟の俵:うーん、今思うと、一切家庭環境に問題があるとは思わないんですよ。あの、家族もすごい優しいし、父も普通に働いてるし、母も普通に働いてて。強いて言えば共働きだったので、2人とも帰りが遅くておばあちゃん家にいる時間が多かったかな、ってぐらい。
それに、どちらかというときっと、母より父の方が見てくれてなかった気もしますし。むしろ、母の方が結構ちゃんと見ててくれたのに、なんでそんなにひねくれてたんだろうってちょっと今でも不思議に思う。
今考えたら割と普通に見てくれてたなと思うけれど、その当時の自分の表出した言葉としては、「見てくれてない」「弟だけなんで」とかだったから。家の中の誰かに問題があるとかじゃなくて、先生にも友達にも、きっと単純に「かまってちゃん」だったんじゃないかな。

森逸崎:ほうほう。
ご自分の覚えてる範囲で、「かまってちゃん薄くなってきたかも」と思うタイミングってありましたか?

新潟の俵:うーん、かまってちゃんはきっと今でもあんまり変わってないとは思うんですけど(笑)
強いて言えばですが、僕は出身が新潟で、高校卒業して大学生になるときに上京したんですけど、やっぱり1人暮らしをしてから、ですかね。そこでやっぱり、「構ってくれる人間なんていないんだ」っていう感覚になったんですよね。「自分で頑張んないといけないんだな」って思って、その時にまあ一皮むけてそこできっと、かまってちゃんが若干収まったんじゃないかなって思います。
やっぱり1人暮らししてて、孤独なので。その関係性を自分で作りに行かないといけないと思ったんですね。しかも東京という、すごい大人数がいる空間で孤独になってしまうんで。僕がかなり自分からアクションを起こさないと、誰もきっと見てくれなくて。例えば駅とかでなんかうずくまっている人がいても、なかなか東京の人って声かけないんじゃないかな。怖いし、何が起こるかわかんないしっていう感じで。

森逸崎:うんうん。

新潟の俵:そういうことから、大学でもきっと、「自分から友達作りをしにいかないと」って。例えばサークルに入ったり、自分から友達に声をかけたり、そういうことをしないと。
特に大学ってクラスとかがないじゃないですか。学部っていうくくりはありますが、毎時間一緒の訳ではないし。だからきっとそこで「自分で行動しないと誰も構ってくれないんだ」と思って、変わりましたね。

森逸崎:そうだったんですね。
自分の中での、小中高との決定的な違いはどんな部分でしたか?

新潟の俵:単純に実家暮らしをしてたので、小中高の時はきっと親に甘えられるし、先生も甘やかしてくれる人たちが多かった。それに甘えて構ってもらってた感じですね。
大学に出たら、やっぱり教授が生徒1人1人を見ることなんてなくて。大学だと結構いい子ちゃんとか、積極的な生徒しかきっと見てくれないんですよ。僕の考えとしては、大学の教授が問題児を面倒見ることってほとんどない。
芸術大学とかそういうのだったら、「なんか面白い作品を作るやばいやつ」みたいな感じで、見てくれる先生はいると思うんですけど。小中高の、たかが「ちょっと構ってほしいな」ぐらいの僕じゃあ、見てもらえないなって。だから自分から積極的に友達にも教授にも声かけるようになったし。
逆に小中高は、結構、人との関わりを避けていたんですよね。

森逸崎:へえー。関わりを避けていたのはどうしてですか?

新潟の俵:えっと、小学校の時はそれこそ問題児だったりしてて、「自分がナンバーワンだ」じゃないですけど、ガキ大将みたいな感じだったんですよね。
でも中学校にいくと、いろんな小学校と一緒になるじゃないですか。そこで「他にこんな人たちがいたんだ」っていうギャップを感じて、そこからおとなしくなっていった感じがします。
例えば、小学校の時もマラソン大会で5位以内に入るぐらい足が速かったんですけど、中学校の体育では初っ端から、めちゃくちゃ早い人たちがいっぱいいて、そこですぐに挫折してしまって。本来だったら陸上部に入る予定だったんですけど、テニス部に入って、そして中学2年の途中でやめてしまったし。
で、中学3年生の後半からは不登校になる時もあって、そこから、かまってちゃんが悪い方向にどんどんどんどん進んでいって。
なんだろう、「かまってほしいのに、人と関わらない」。逆に「いや、僕はいいよ」みたいな感じで気を引いて構ってもらおうとしてたと思います。悪い方向に進んでた。
大学だとさっき言った通り、そういう「構わないでほしい」とか「孤独でいいよ」みたいな姿勢でいたら、ただただ孤独になっていくなと、きっと1人暮らしをしてそう思って、大学ではまあちょっとアクションを起こしてたかな。

森逸崎:そうだったんですね。
中3のころのご自身は、どんな気持ち、どんな感情をお持ちだったんでしょう。

新潟の俵:そうだなあ…。
部活を辞めたことによって、やっぱり部活と友達との関わりがなくなるんで、必然的に結構孤独にはなりましたね。中学3年生でクラス替えをした時に、完全に、テニス部だった人たちとクラスも分けられてしまって。しかもそれがかなり仲いい友達で。そこで、新しいクラスでも全く馴染めなくて、すごい孤独だったんですよね。
その時にネットゲームにはまってしまって、インターネットの中で友達ができて、そこだと僕のことを見てくれるっていうか、構ってくれる人がいると思って。それもあって学校に行くのをやめてしまった。その時の感覚としては、学校よりもゲームの中の方に構ってくれる人がいるから、ゲームをしていたって感じです。

森逸崎:ある種学校以外に自分の居場所を見つけた感覚?

新潟の俵:そうですね。
高校は通信制だったのですが、結構ヤンキーじゃないんですけど、そういう人がいっぱいいて、ガラスの窓を割ったり、授業中に急に英語でめちゃくちゃ悪口言って飛び出していく人がいたり。そういう人たちの方が先生に構ってもらえてはいましたが、でも、僕はきっとそこまでできない。その人たちの方がある意味軸があるんじゃないかなって、思います。「絶対にこれは嫌だ」って感じの、強い軸。
僕はだから、どっちにもなれないなって。
やばくもなれないし、逆にまともにもなれない。だから、やっぱり「軸がなくて流されやすい人間」だなあって、思います。

森逸崎:新潟の俵さんの中で、「軸がある状態」というのは、「自分の意見が言えている」こと。

新潟の俵:そうですね。自分の意見が言える人です。「なんか嫌だ」という否定でも「いいよね」という肯定でも。どちらでも、自分の意見がある人ってすごいなって。

森逸崎:ちなみに、これまでご自身の意見が言えなかったシーンでは、どんな行動というか、どんな状態になるのでしょうか。

新潟の俵:ああ、なんか、ひたすら考えて「なるほど」とか「すごい」ってまずは受け入れて、それから自分でちょっと言っている内容を解釈して。そこから「だから、こういうことなんですね」みたいな、相手を褒めるじゃないですけど、自分も同じ気持ちになっていました。それでちょっと軸がある風に見てもらっていた。

森逸崎:うんうん。

新潟の俵:てかきっと単純に、自分の意見が言えないっていうよりかは、自分の意見に自信がなさすぎるっていう感じです。
最近で言うと、先ほど言っていた建築系の人だったり、デザイン関係の人たちのお話を聞いて、やっぱりその人たちはその分野のプロというか、本気でそれを勉強してきた人たちなんで、僕の意見を言っても、なんか全部否定されるっていうか。ふわふわしていると自分でも思うし、「ふわふわしすぎなんじゃないの」みたいなことを言われちゃうんじゃないかなって。
逆にそういうプロの人たちが、ちょっと質問を簡単にして「ゆうとくんは、どういう空間を作りたいの」みたいなことを聞いてくれることもあるんですけど。でも、自分の意見を求められたら求められたで、「そういえば、自分のどういう空間を作りたいんだろう」って考え込んじゃって。
結果的に、自分の意見に自信がなさすぎて、全く言えないっていう。だから、それこそ自分に軸があるような人だったら、その意見をすぐに言えるんじゃないかなって。否定されても否定し返すようなレベルで。そういう人になりたいなあ。

森逸崎:なるほど。
新潟の俵さんが思う「自信がある状態」って、どういう状態なんでしょう。

新潟の俵:まずは知識があること。そもそもある意見に対して知識がないと、言語化がうまくできなくて全く返せないと思うんですよね。
その次に、ブレないメンタルがある、強い人。知識がなくても、自分の軸にしっかり思いがあって、全くぶれない状態であれば、自信がある状態なんじゃないかなあって、思います。

森逸崎:前者(知識)に関してはある種の修練というか、時間をある程度かければ付いてくるのかなと思うんですが、新潟の俵さんの中で、その二つのうちより不足しているなと思うのはどちらですか?

新潟の俵:どちらもですね。
例えば、さっき言ったゲームはすごい得意なんで、それこそ知識もあるし、メンタルもあるはずなんですけど、それでも、知識がある人が来ると、その人に比べて自分の知識がなさすぎて負ける。「この人の方がすごいいっぱい知っているし、やってるし、経験もあるからな」って思って、負けちゃうんですよね。
逆に僕より知識がなくても、「僕はこうだと思う」って言えるメンタルの持ち主が来ると、どんなに自分に知識があったとしても流されてしまう。

森逸崎:では、新潟の俵さんの中で「知識がある状態」は単なる知識量というよりはそれを含む「経験値」のこと。そして「強いメンタルがある状態」というのは「自分の意見を押し通す力」、ある種の「プレゼン力」みたいなところになってくるのでしょうか。

新潟の俵:ああ、そうです! そうなりますね。
だから、ゲームじゃなくて保育士をやっていた時も。例えば僕は2歳児のクラスを持っていたんですけど、園長先生から何かクラスや仕事に対してのアドバイスや意見をもらっても、メンタル面(=意見を押し通す力)は負けない時もあるんですよね。プライドも高いし、しかも自分のクラスなので、「僕のこの子たちはこうです」って。でもやっぱり園長先生なので、かなり経験も積んでいるし、その経験に裏付けされた知識量で負けてしまう。園長先生から「ここをこうしたらいいんじゃない」って言われて、納得はしていないくせに、でも返す言葉もないっていう状態。「いやでも僕は嫌なんですよね」みたいな。

森逸崎:嫌だって思っている、その「嫌」の中身が伝えられない。

新潟の俵:そう。そういうメンタル面でしか反論できない。
だから、自信がある人っていうのは、一番思うのは、経験も、押し通す力もある人なんじゃないかなあって思います。たまに年下の学生でも、自分の意見をしっかり持っている人に会うことがありますが、ああいう方を見ていると、本当に強いなあ、って思いますよね。

森逸崎:うんうん。
大学卒業して、保育園に就職したんですね。保育園ではどんな感じだったのでしょうか。

新潟の俵:そうですね。やっぱり小中高大と人間関係で悩んだり、学校生活で悩んだ時は正直、「逃げればいい」と思っていた部分もあったんですけど、やっぱり、仕事となるとなかなか一つの空間でずっとやっていくので、それは無理だなって。
辞めるのはなかなか勇気もいるし、生活できなくなるんで、そこで初めて「頑張ってちょっと自分で解決してみよう」っていう気になったかもしれません。それで、仕事に行く前のストレスの減らし方について自分で調べて、朝のルーティーンをちょっとやってみたり、仕事の関係の人とどうやったらうまくいくかみたいな本読んだりとか、結構自分でやっと行動してみようっていう気になって。
それが社会人1年目なんですけど、割と色々学べたかな、と思います。

森逸崎:そうだったんですね。
ストレスに感じていたのは、どんな部分でしたか?

新潟の俵:そうですね、職場環境や人間関係自体には全くストレスはなかったんですけど。
でも実はもともと、保育士もあんまりやる気がなくて、大学4年間も「絶対保育士やりたくないな」って(笑)ほんとは保育士以外の仕事がしたくて、でもやりたいことが全くなくて、自分がやれる仕事は保育しかなかったから。
だから、せめて保育の中でも、保育園や幼稚園ではなくて、ちょっと特殊なところに行きたいなと思って、最初は「病児保育」っていう、風邪をひいてしまったお子さんを預かったりする施設に行こうかなと思ったんですよね。でもそういうところは、やっぱり保育士1年とか2年経験しないといけないので、だからとりあえず保育士1年やってからそこ行こうかなと思って。そういう計画を持っていたんですけど、実際に保育士やって、やっぱり病児保育もやりたくないなって思うようになりました。
そういう点では、やりたい仕事がこれからずっと見つからないのに、保育士をやってるっていうのが苦痛すぎて、それがきっと一番のストレスだったと思います。

森逸崎:なるほど。
大学4年間教育系の学部で保育を勉強しつつ「保育の道に行きたくない」と思っていたのは、どういう部分が影響しているんでしょうか。

新潟の俵:やっぱり実習とかすごく大変で、「考えがきっと甘かった」っていうのが一番なんですけど。高校の時も、とりあえずやりたいことがなくて、子供の面倒を見ることが得意だったので、「じゃあ自分ができる仕事は保育士かな」っていう感じで進路も決めて。
周りにあんまりいろんな仕事をしてる人がいなくて、というか、きっと僕がいろんな仕事を見ていなかったというせいもあるんですけど。
高校生のころは「保育士」って職業として一番先に思い浮かぶものだったんですよね。でも、実際に大学で実習に行ってみると保育士ってすごく大変で。実習先の保育園に子供が10人くらいいたんですけど、お昼にその10人全員の連絡帳に親御さん宛の返事を書いたり、2ヶ月ぐらい先の行事の計画を立てたり、月の終わりと初めになれば、そのクラスの月の計画の反省を書いたり、新しい月が始まれば新しい計画を立てたり。
忙しい時しかなくてやることしかないし、休む暇なんて一切ない。自分が思っていたより何倍も、書類仕事が多くありました。

森逸崎:そうですよね。重労働。
子供は好きですか?

森逸崎:子供はまあまあ好きですね。でも、保育士って実際は子供と関わっている時間よりも、実務のことをやることがすごい多いんだなと思いました。こんな安月給で、ここまで働かないといけないんだって。きっと昔の僕の保育士のイメージが「ただ、子供を預かるだけの仕事」で止まっていて。だから、まあ安月給っていうのは、確かにあるよなとは思ってたんですけど、今の保育士ってやっていることのレベルがちょっと高すぎる。なのに、まだ未だに安月給っていうのがちょっと嫌だなって思って。なので大学の時保育士は目指さないようにしていました。

森逸崎:なるほど。
勤めていた保育所を辞められたのって、いつぐらいでしたっけ。

新潟の俵:今年の3月に辞めたので、新卒でちょうど1年ですね。途中で辞めるのは絶対嫌だったので、自分が持ったクラスをちゃんと1年見て、そこまで迷惑をかけずに辞めたいなとはもともと思っていて。去年の9月ぐらいに「今年で辞めます」っていうのを伝えていました。

森逸崎:保育士のお仕事って本当に色んなこと、それこそ作るし、歌うし、踊るし、書類仕事もするし、親御さんの対応もするしってプロセスたくさんあったと思うんですけど、「これは割と苦じゃなかったな」って感じる部分は何かありましたか?

新潟の俵:強いて言えば、子供と関わることですね。
例えばなんか問題じゃないですけど、めちゃくちゃに泣いたり、暴れたり、散歩の途中でいやいやが激しすぎている子がいたとした時、そういう子たちがいても僕は全くストレスには感じなかったです。他の先生だと、意外とムキになって、なんか「だめでしょ」みたいな感じで、結構怒ったり、否定したりするんですけど、僕の場合は「まあそっか」みたいな。割と適当な感じで返します。そうすると子供もそんなにムキにならないんで、こういうところは全く苦にはならなかったですね。まあ、保育士みんなそうか。保育士の人たちは、きっと子供は結局好きなんで、子供と関わるとか、クラスが崩壊してるから嫌だっていうことは、そんなにない。

森逸崎:割と子供に合わせたコミュニケーションを取るっていうのは、自然とできるようになるものなんでしょうか?

新潟の俵:そうですね。自然とやってみたり、あとは、研修とかを通して。
研修で「なるほど」と納得してそれを実行してみたら、めちゃくちゃ子供が言うことを聞いてくれるっていうか、その話を聞いてくれるようなこともありましたし、結構色々試してましたね。

森逸崎:仕事している中で、嬉しいと感じたり、楽しいと感じる時ってどんな時でしたか?

新潟の俵:なんだろう、あまりなかったかもしれない。
まあ、最後のお別れじゃないですけど、最後の登園とか、お別れの時は、そこは嬉しいとか楽しいじゃなくて、達成感としてはありますかね。「ありがとうございました」って言われたり、「表山先生ですごいよかったです」って言われたり、そういうとこではまあ嬉しかったなっていうのはあるんですけど、日々の保育では、あんまりそういうのは感じていませんでした。
それを感じられていないからこそ、きっと保育士を続けようかなってならなかったんだと思います。うん。

森逸崎:うんうん。
先ほど言っていた空間デザイナーになろうかなと思ったのは、辞めてからでしょうか?

新潟の俵:辞める前ですね。仕事始めて後半ぐらい、9月くらいにそう思って。
きっかけになったのは趣味のカフェ巡りだったんですけど、そっちは自分が楽しく、それこそ保育をやっていて感じなかった「楽しい」とか「嬉しい」を感じられる仕事ができるんじゃないかな、と思って。

森逸崎:うんうん。

未来:何者でもない自分、でいい

森逸崎:これまで過去のお話をお伺いしてきたんですけど、逆にこれから先のイメージというか、「こういう自分でありたい」イメージって何かありますか?

新潟の俵:難しいな、なんだろう。特に何者でもないかな、うん「何者でもない人」。
言ってしまえば皆、何者でもない人間だと思うんですけど、
ちょうど「人生の意味とは」みたいなことを検索してた時、「そもそも人生に意味なんて考えない方がいいんじゃないか」ってレベルの記事を見て、僕の空間デザインの目標や、やりたいなってちょっと思っていたのが、「形として目に見えて私が残しました」って言えるからなんじゃないのかなって。
保育してても、「思い」はその子供たちがそれで育っていった記憶と一緒に残るんだろうけど、なんかもうちょっと「もの」を残してみたいなっていうこともあったんだなって。
でもその記事で、織田信長だったり、すごい歴史上の人物がいたとしても、いずれは結局全部なくなる、全てにおいてそこまで意味なんてないんじゃないかっていう記事を見て。

森逸崎:ほーん。

新潟の俵:確かに、自分はあんまりにも人生に意味を求めすぎたんじゃないかなって。仕事は楽しくしていたいけど、何かを残そうとか、何かを成し遂げる人間になろうとしすぎないで、
自分がやりたいことをやるだけの何者でもない人間。
そういう意味で、何者でもないそこら辺にいる人間になりたいなって思います。
あんまり有名人とかそういうのには、絶対になりたくない。

森逸崎:「絶対に」なんですね。

新潟の俵:「絶対に」なんです。

森逸崎:意外だなって思って。冒頭「有名人みたいなインタビューを」と仰っていたから。

新潟の俵:それは逆に言えば、有名人にならないとインタビュー受けられないから、何者でもない僕でも受けられるこの「無名人インタビュー」が素晴らしいなという意味を込めて(笑)

森逸崎:ありがとうございます(笑)
「何者でもない」のイメージとしては、「何か大きいことをやり遂げる」っていうよりは、「目の前のこと1個1個に集中していく」という感覚に近いでしょうか?

新潟の俵:そうですね。
あ、というか、今自分で「何者でもない人間」って言ったことによって、改めて、そこまで人生に意味を求めずに生きられるんじゃないか自分、って思いました。
それこそ保育士やって嬉しいこと、楽しいことがあまりなかったし、デザインであれば楽しいとか思っていたけど、建築家の話を聞いたりして疲れちゃって。そのあとにその記事を見た時に「人生に意味を求めない」っていう表現に、すごい気持ちが楽になって。
なんか、「楽しくないから何かをしよう」とか「嬉しいからこうしよう」とか、あんまり考えなくていいんじゃないかなって思いました。

森逸崎:考え疲れちゃった。

新潟の俵:そう、考え疲れました(笑)
きっと何かになろうとしてた自分がいて、すごい人になりたいなっていうのが若干あって。
でももうなんか、あんまりそういう人間にならない方がある意味、きっとうまく人生いくんじゃねえかな。

森逸崎:今後も。

新潟の俵:今後やりたいことは、きっと仕事じゃなくて、暮らしの方ですね。ある程度の暮らしができて、やりたいことがやりたいことっていう。まあ、自分が好きなゲームだったり、銭湯に行くことだったり、サウナに行くことだったり。それができて、その先に何かやりたいことが見つかればそれをやっちゃうっていう。そういうことができればいいかな。なんか仕事じゃなくて、趣味として。
仕事になると、ちょっとさっき言ってたように人生に意味を求めちゃうと思います。だから、仕事をして、それを人生の目標にするんじゃなくて、仕事はほんとにお金を稼ぐための手段に。趣味でやりたいことを見つければ、いいかな。

森逸崎:うんうん。
この先の感情面、例えば、死ぬときにはどういう感情でいたいですか?

新潟の俵:それも、特に何もないです。
なんか例えば今からインタビューが終わって、散歩に出かけた時に急に死ぬこともある。それで人生よかったかって思ったら、死ぬときはきっと何も考えてない。死んだら死んだで終わりなんで、特にはないです。
それがきっと、逆に1番かなって思います。
そこに意味を持たれちゃったら、なんだろう、自分がいつ死ぬなんてわからないじゃないですか。たとえ頑張って人生生きようとしていて、もう目標を見つけたとしても、途中で死んじゃったら、自分はでも頑張ったからなって思わない。「やっぱりやりたいこといっぱいあったな」と思って死ぬと思うんですよね。だったら、きっと何も思わないで死ねるように。特に意味のない人生を生きた方が楽なんじゃないかって感じです。

森逸崎:なるほど。

新潟の俵:なんか、今このインタビューを通して、自分って「何もしたくない人」なんだなと思いました。逆に、それが生き甲斐かなっていう。もう何もしたくない人。
もしも昔から自信があって、大学も自分の好きなデザインのところに行ってデザインの仕事をして、建築家になって有名な建築物を建てたりしても、別に特にそんなにすごいことでもないんじゃないかな。それも途中で辞めてしまっているかもしれないし。
その未来と今の僕に何が変わりあるんだろうかって言われても、あんまり変わりないなって思っちゃいます。

森逸崎:うんうん。ありがとうございます。
一旦質問は以上にしようかなと思いますが、率直にいかがでしたか?

新潟の俵:そうですね。ある意味、何か自分が何者かわかった気がしますね。
これまではなんか、「何もない」のがとてもネガティブだと思っていたんですけど、そうじゃなかった。
最初は、自分はどんな人間なんだろうって思って、きっと過去を整理したらこの先こうしたいっていう、ポジティブな、ポジティブじゃなくても何かを達成できる方で自分はこういう人間なんだって見つかると思っていたんですけど。
終わってみたら、全く真逆の方に辿り着いて、でもそれがいいとも感じています。むしろやっとここに結論たどり着いて、それにやっと納得がいったなと。
「自分は何もしてない人間です。何もしたくないんだったら、じゃあ、何もしなくていいんじゃないか」って思えたって感じです。

森逸崎:ほえー!

新潟の俵:なんかお話ししながら、テレビを見ている感じ。ほら、あの番組あるじゃないですか。おばちゃんと対談形式でやってる、お昼の。

森逸崎:徹子の部屋!?(笑)

新潟の俵:そう!(笑)
前の状態だときっと、過去の自分が自分の中にいて一緒に考えていた感じでしたけど、今は、インタビューを通して、森逸崎さんと一緒に自分を遠くの方から見ている感覚です。テレビに映っている自分を見ている感じ。より一層、自分を見つめ直せたんじゃないかな。
これまでは自分もテレビの中に入っちゃってたけど、今日は、自分が出演している番組を客観的に見ることができました。

森逸崎:おお。それは嬉しい限りです。
今日は本当に、ありがとうございました!!

あとがき

自分の幸せの基盤や安定を探求する「成人期」ですね。とてもみずみずしい気持ちでお話を伺いました。
頑固な自分を捨てるためにあえて流される(素直でいる)ことを選択してみたり、何者でもない自分を受け入れるに至ったり。「人生に意味を求めない」と言いながら、おそらくもう一度、新潟の俵さんが社会の中に自分の居場所を求め、考え続ける時期が来る気も、しなくもない(笑)
これまでたくさん変化したし、そしてこれからももっともっと変化していくんだろうなと思います。考え疲れることができるほど、自分と向き合えている新潟の俵さんはとっても素敵です。新潟の俵さんのこれからを、心より応援しています。

インタビュー担当:森逸崎海

編集協力:山田紀美

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