悟りを開きたいと思って生きてる人
昔小鳥を飼っていたんです。家で。その小鳥は、もともと小学校のクラスで飼っていた小鳥で、学年が変わってクラス替えになるというので、誰かの家で飼うことになったのでした。
そこで、飼いたい人たちによる、小鳥じゃんけんが始まったのです。
勝ったのは、私。
勝って飼った小鳥というわけです。
私の母親は、動物好きで、私がいきおいで勝ってしまったじゃんけんによって飼うことになった小鳥を、大切に大事に育ててくれました。名前は、忘れちゃったんだけど、小学生がつけた名前だったので、なんか変な名前でした。言いにくい。
でも、母はそれでもかわいがって育てました。
私は、あんまりお世話にしませんでした。
小鳥が死んだときも、母は泣いていました。
そんなことが、もう40年近くも昔のことというわけです。
時の流れは早いものですね。
人生にはいろいろな感情があります。それらと、どう付きあっていくのか。それって、なんていうか、もう、大変ですよねええ。
と思う2024年5月4日14時25分に書く無名人インタビュー748回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 福安 佑記 さんです!
年齢:30代後半
性別:男性
職業:スピリチュアル
現在:こういう私は考えを持って関わってるからこういう影響を与えるんだろう。こういう態度で関わるから相手をそうさせちゃうんだっていう私だけの問題でもないんで、どうにもならんこともたくさんあるんですけど、自分の中で原因を常に突き詰めていくという感じですね。
イワナ:
福安さんは今何をされてる方でしょうか?
福安佑記:
今はいろんなことやってるんですけど雇われで今障害のケアマネさん。
障害を持ってる方とか障害を持ってるお子さんに対しての福祉サービス、障害福祉サービスっていうものを何か紹介したり、あるいはそのサービスをうまく動いてるか確認したり、状況の把握したり、円滑油ですよね。うまくその方が困らないように生きていくための円滑油な存在をやってます。
もう一つがなんだろう、もう一つは障害を持ってる方のグループホームのところで、なんだろう、常勤じゃないんですけど、2時間ぐらい、2日に1回、2日に1回2時間ぐらい職員とか、そこに住んでいる障害者の方の話を聞いたりとか、そういう仕事をこれはお願いをされてやってます。もう1つは何かこれは個人で人の相談に乗る仕事をしています。大きくは3つですね。
イワナ:
それはそれぞれ始められてどのくらい経つ活動なんですかね。
福安佑記:
どうなんでしょうね。元々は障害のケアマネさん、新しく仕事を始めたからまだ1年だし、障害者のグループホームもこれ3年半だったかな、たちましたね。
人の相談の仕事は、始めたのが12、3年前ですね。
イワナ:
なるほど。これって全部繋がってる活動なんですか、それとも全く別物なんですか。
福安佑記:
ある種ではそこまで繋がってはないかな。
大きな枠でいえば多分繋がってるけど、ほぼそこまでお互いが関連性あるかっていうと、多分ないかなとは思います。
イワナ:
それぞれの仕事は好きでやられてるんですかね。
福安佑記:
好きというのと惰性みたいなところもあるし、本当にこれがやりたくて好きなことかっていうとちょっと違うのかなとは思ってます。
イワナ:
どういうところがちょっと違うかなって感じられますか?
福安佑記:
どういうところが違う。そうですね。元々何だろう、今のグループホームの仕事は、これはもうなんだか頼まれたという側面が大きいかな。
障害を持ってる方のケアマネさんに関しては私はいろんな人と会うための手段でしかないと思ってるんで、また次に繋げるためのステップと思っています。
人の相談に乗る仕事はなんかやってやめてやってやめてを繰り返してるんですけど、なんかしらやっぱり人の相談に乗るっていうところに帰ってきちゃいますね。
イワナ:
総括して人と関わられてる時間が多いのかなっていう印象なんですけど。
福安佑記:
そうですね何か今回のテーマを私は人に人生を如何に人に尽くすかっていうところがあるのでそういうテーマで多分仕事してるんでしょうね。
イワナ:
3つの活動は人のためになること、なる時間が多いのかなって思うんですけど、逆に何かこれは自分のためだけにやってるなっていうことは何かありますか。
福安佑記:
そうだな、ある種、ずっと悟りを開きたかったんですよ。
釈迦とかキリストが本当に見た世界って何だったんだろう。
多分、今言われてる仏教キリスト教は多分ちょっと違うと思ってて。
やっぱ言葉で伝えていくからそこって受け取り方とかニュアンスとかでやっぱ変わってっちゃう。
別に悪意なく多分どんどん今変わってきちゃってるんだろうな。本当に彼らが見た世界はちょっと違うんじゃないって思ってて。そこはずっと自分のためにやりましたね。
イワナ:
それって具体的には何かどういうふうに自分の中で解釈ししていくというか、学んでいくというか、どういうふうにされてるんですかね?
福安佑記:
悟りを開くってことですか?
イワナ:
とか、キリストとか釈迦とかが見た世界に近づくためには?
福安佑記:
そこって、いかにこの感情に振り回されないだとか、本当に自分がなぜそう思うのか、自分自身と向き合うっていうことをひたすらひたすら繰り返していく。なぜこの現象が起こったのか自分にどんな原因があるのか。
こういう私は考えを持って関わってるからこういう影響を与えるんだろう。こういう態度で関わるから相手をそうさせちゃうんだっていう私だけの問題でもないんで、どうにもならんこともたくさんあるんですけど、自分の中で原因を常に突き詰めていくという感じですね。
イワナ:
そういうふうに気になり始めた興味を持ち始めたのって、きっかけはどんなことだったんですかね。
福安佑記:
なんでしょうねもう何んだろう。元々私虐待されてたんですよね。兄弟から。
兄2人から虐待されてて、変わった子だったんだろうなと思うんですよ、あと母が私を溺愛してたのでこれもすごく羨ましかったんだろうなって。その兄からすごい虐待を受けて、すごく辛くて両親に助けを求めたけど助けてもらえなくって。もう大人も助けてくれなく、学校でもいじめられてたのでどんなに助けを求めても仕方がないなってずっと心を殺してきてたんですけど、なんのときかな。なんかの時に、そう、人を好きになったときですよ。
20歳で初めて人を好きになってそのときに世界ってすごく変わる!って、これがすごく面白い!と思ったときに、結局はあなたの問題だよねっていう考えにたどり着く。そこから何かいろいろ勉強するようになりましたね。
心理学や宗教やスピリチュアルだったり、いろんな角度から勉強したり、この人がこう言うけど本当かな、自分自分で試して、それってやっぱ違うな、やっぱそうだとか、それをもうずっと繰り返す感じですね。
イワナ:
福安さんの性格について周りの方からはなんて言われますかね。
福安佑記:
真面目じゃないですか。真面目だったり、皆に一貫して言うのは変わってるねってことですね。やっぱそういう言葉でしか表現ができないのかもしれない。
いろんな言葉をもらうけどでもやっぱり変わってるね、個性的だね。それが皆さん共通じゃないのかな。なんかよくわからんけど、すごいよねみたいな。自分で言うとあれですね傲慢な人間ですね。
イワナ:
普段生活してて一番関わる時間多いのってどんな関係の方ですか。
福安佑記:
基本そんなに人と関わらないんです。
友達、世間一般で言う友達っていう存在がいないので、いないというか欲しいと思ってないんですけど、だから基本仕事以外では、人と関わらない。たまにSNSで知ってる人と関わるくらいですね。
イワナ:
周りの人には変わってるっていう言葉でしか言い表せてもらえないっていう部分って、自分で自分はこうだって思ったときにどういう言葉になりますか?
福安佑記:
自分がどんな人間かを?どんな人間か、何だろう。決断を促す人ですかね。
やっぱ関わる中でその人は変わりたいって思う中で、決断を伺すことができる人。
促すだけなので決めるのは本人なので、私は何もしてないってしてないけれど。
イワナ:
誰かの話を聞くとき、一番気をつけている、意識していることってどんなことですか。
福安佑記:
決めつけないことですかね。言葉をそのまま受け止めない。
この人こう言ってるけど本当はどういう気持ちで言ってるんだろうなとか、見栄を張ってるのか隠したいのか、とか、ちょっといろいろ想像しながら聞いています。言葉だけでは判断はしないですね。
イワナ:
趣味ってありますか?
福安佑記:
趣味は最近は落語とかが好きです。落語とお抹茶をお寺とか神社でいただいたりとか好きですね。
イワナ:
落語は見に行くんですかね?
福安佑記:
その演芸所、名古屋の人間なので大須っていうところに大須演芸所って昔からあるところがあるんですけど、そこに寄席を見に行ったり、YouTubeでも今見れるんでみたりしてますね。
イワナ:
落語を見ることによって自分にはどんな変化がありますかね。
福安佑記:
どうでしょうね。なんだろうな変化というか面白いなと思うのは本当にこう話し手が表現をする中でやっぱその人の人生とか生きざまというか、バックボーンというか、そういうのがやっぱり出てくるっていうのがやっぱすごく面白いですよね。
落語って江戸時代に基本的に流行ったものなの。その時代の価値観、その時代の生活、そこ時代の人間関係みたいなそういったものがすごく色強く出るのが、面白いなと思います。
イワナ:
昔の生きざまとか考え方とかって、自分とも繋がるところがあったりするんですかね。
福安佑記:
なんか義理にやっぱ熱いですよね。義理人情じゃないですけど、人との繋がりとかっていうのはすごく多分大事にしていたんだと思いますね。1人で生きてるというより本当みんなで生きてるっていう。みんなで助け合ってみんなで生きてんだなって。個では生きてないなとは思いますね。
イワナ:
もう一つの趣味、お抹茶をたてることはどういうところがいいですかね。
福安佑記:
本当まだそんな数回しか行ってないんですけど昔からそれこそ戦国時代からずっといろんな人たちを招いてお茶を飲もうみたいなものをやってた中で日本の文化なので、その非日常的なものであったり、一つ一つの所動きだったり相手だったりっていうのをすごく大事にする所作っていうのをすごく特別なものなんだろうなってすごく感じましたね。その空間というか空気といいますか。
イワナ:
趣味に没頭されてる時間って、一言で言うとどういう状態ですか?
福安佑記:
何もないでしょうね。無みたいな感じですかね。
イワナ:
無ですか。
福安佑記:
うん、別に何もないですよ。
イワナ:
頭を空っぽにした状態で打ち込むっていう感じですか。
福安佑記:
そんな感じですかね。
イワナ:
現在の最後の質問なんですけども、今まで出会った中で一番感銘を受けたなっていうのってどんなことですかね。
福安佑記:
福井県に 永平寺ってあるのはご存知ですか?
曹洞宗という宗派で、日本で一番修行が厳しいというお寺って言われるお寺なんですけ。去年の年末にちょっと行ってきたんですね。結構有名な観光名所なんですけど、福井県のなかで。
そこで、あのその寺の中に1枚の、なんだろう、掛け軸じゃないな、色紙が長くなって出したそこに書いてあったな。
諸行無常だって。形あるものは全部1回崩れてるんだよって崩れてまた違うものが生み出されるんだって。
だから今あるものがずっと続くなんてまやかしだよっていうことが言いたいわけですけど、でも本当その通りですよねって。
人っていつか死ぬし、社会だって世の中大きく変わるし、今いる人間がいなくなってまた違う人間たちが出てくるから常に変わってあるもので、変わり続けて変わらないものもあるけど、だなとは思いますよ。
イワナ:
その言葉に出会ったときの感情の動きってどんな感じでしたか?
福安佑記:
納得しましたねそうだよねっていう。本当そうだよなって。だから今あるものにしがみついてちゃ駄目なんだよねきっとって。年をとれば、やっぱ体も弱くなってるし、病気にもなりやすくなるし、若いときのようにやっぱりできないことが増えていく。それもやっぱり世の中の摂理だなって思いますね。
過去:確かに例えば総括した時期って楽しかったな、あの時期はこうだったなあんなことしたなってあるんですけど、でもやっぱそれでも終わってんですよね。やっぱ楽しいこととかもっと自分の人生を良くしていこうって行動し続けて考え続けた結果が今なんで結論はやっぱり今が一番楽しいんじゃないですか。
イワナ:
お子さんのときはどんなお子さんでしたかね、
福安佑記:
どんな子なんでしょうね。変わった方だったと思います。変わった子だったんじゃないですか。あんま覚えてないっちゃ覚えがないんですけどね。
ちっちゃいときってそうなんかでもよくいじめられましたねいろんな人に。
保育園のときもいじめられたし、小学校入ってもいじめられたし中学校入ってもいじめられたし。いじめられることが多いですね。
イワナ:
何でそんな標的になったんだろうなって思いますか?
福安佑記:
目立つんじゃないですか?何でか知らんけど。
イワナ:
保育園のときとか小学校のときとか、いじめの内容とか周りの人の違いとか、自分の中身の違いとかいろいろあると思うんですけど。
福安佑記:
保育園のときは、すごいちょっかいを出してくるのが好きな人がいて。
小学校は小学校3年生の時に女の先生がいたんですけど、
ご健在だったら、84とか5かな。まあ変わった先生なんですよ。
小学校のとき校長先生にすごく気にかけていただいてた、校長室に入れてもらったりとかそれが面白くなかったんでしょうね。その人は校長先生が嫌いで、よく職員会議では校長先生の顔を見たくないからあのお面をつけて参加しますって、この時点でちょっと何言ってるかよくわかんないんですけど、あの卒業文集とかねみんな中学校やったら元気でねみたいなことを書くんだけど、その人だけCO2の問題書いたりとか、これもちょっとよくわかんないんですけど。っていう変わった先生で、小学校3年生のときに誰かが教室で便を漏らしたんですよ、うんち漏らして、それを私がしたことにさせられてそこからいじめられるいじめられてっていう感じですかね。
で中学校で公立って、今は知らないけど半分ぐらいやっぱり同じ地域のところに進んでいくので、やっぱりそういうことを知ってる人たちがまた知らない人たちに喋ってやっぱそういう目で見られますよね。
イワナ:
いじめてきた人たちに対しては、当時ってそういう人たちのことをどういうふうに見てましたか?
福安佑記:
当時、特にでも何も考えてなかったんじゃないすかね。きっと。何か考えてたんだとは、今思ってもないと思います。
イワナ:
中学生とかそのぐらいの頃って学校以外の時間はどういうことに時間を使っていましたかね。
福安佑記:
私はもうとにかくいじめ、虐待もされたので。基本あんま外に出なくて1日家でゲームやってましたね。自分の部屋に基本ずっといてゲームやって、で、兄たちがこう動いたりすると、何か殴られるんじゃないか何かされるんじゃないかってビクビクしながら、過ごしてたと思います。
イワナ:
母親に溺愛されてたっていうふうにおっしゃってたんですけど、お母様との関係性ってどんな感じだったんですかね?
福安佑記:
溺愛してたと思いますよあの時も。中学校くらい、それくらいだったけどよく本当にかわいいね、本当にかわいいねっていつも言うんです。でも外見ですごいいじめられてた、すっごい言われてた。いや、かわいくないんだと。かわいくないから私はこんなにつらいんだみたいなことはすごく思ってましたね。
でもいろいろとでもそのときはもう私よりも一番上の兄のことが大変だったから、多分もうそれどころじゃなかったかなって思ってます。
イワナ:
中学卒業後はどうでしたかね。
福安佑記:
オール1でしか行けない学校に行かせてもらって、本当に高校の時までいじめられた経験もあったから挨拶ができない。人の顔を、目を見れないっていうタイプでした。なんかそんな中でも皆さん多分私に不満はあったんだと思うけどよくでもそういうのをそこまで態度に出さずに付き合ってくれたなとはすごく感謝です。
鬱陶しいなと思うこともたくさんありましたけど、楽しかったと。
イワナ:
高校時代の3年間ですかね、総括して、どんな3年間でしたか?
福安佑記:
本当に学校って楽しくない場所じゃないんだなっていうのは思いましたね。
いろんなことあったけどそれでも総括したら楽しかったかなって思います。
学校って小学校中学校は行きたくないっていう気持ちしかなかったけど、別に行きたくないっていう気持ちをそんなに多分持たなかった3年間だと思うので、そうですね今思うとそうですね。
イワナ:
高校卒業後はどうでしたでしょうか?
福安佑記:
高校卒業後専門学校に行って、そこでも基本的にやっぱり私の何だろう、やっぱ人間関係の作り方ってのはすごくやっぱり下手くそだったので、そこでも小さいトラブルはあるけどもでも、総括すれば楽しかったかなって思いますね。好きなことをいろいろ本当にやれた4年間だったかなと思ってます。
イワナ:
専門学校はどういう専攻だったんですか?
福安佑記:
福祉の専門学校に行って、4年間通いましたね。
イワナ:
好きなことをやれた4年間っていうのは福祉のことですか?
福安佑記:
いやいつからかな。演劇に目覚め、何か20歳のときに好きな人に会ったって話しさせてもらったけど、そのときに結局うまくいかなかった。
で、なんかもっとうまく人と喋れるようになりたいな、うまく喋るってなんだ?お笑いとか俳優だって思って、俳優になるにはどうしたらいい?舞台だ、よし演劇やろうみたいな、すごくよくわからない思考回路で。
イワナ:
そのやりたいと思ってた演劇と実際にやった演劇の楽しさって想像通りの楽しさですか?
福安佑記:
どうだろう。思ってる楽しさじゃなかったけどまあそれでも楽しい部分もあったしやっぱしんどい部分もあったし、私のやっぱ考えが甘かったっていうところもたくさんあるし、ですね。でもいろんな人たちといろんなふうに関われたってのがやっぱ一番楽しかったですね。誰かと何か協力をしてさて作っていく、っていうのがすごい、あんまり部活とか集団での何かってのはやっぱり体験が弱かったので、それもすごく勉強になりましたね。
イワナ:
みんなとうまく話せるようになりたいっていう部分は達成できた感じですか?
福安佑記:
演劇やったからなったかっていうとそんなことはないと、その当時はなかった。
イワナ:
演劇はそれからも続けられてるんですかね。
福安佑記:
いや、もう25のときに元々本当に演劇でそれこそ働きたくなかったんですよね。働きたくなかったから演劇に逃げてて、25ぐらいのときかな、ときにどうしようかなと。
このまま演劇やってみようかなと、でも自分が才能ないのも知ってたし、そんなに頑張ってないのも知ってたし、プロを目指してる人たちってのはものすごくやっぱ苦労してる知ってる中で、私別にこんなに演劇にしがみつかなくていいんじゃないかなって思って、25で辞めました。
イワナ:
それからはどういうことをされてたんですか。
福安佑記:
そっから本当にもう福祉の仕事をまともに、まともに働こうという言い方はおかしいけど、働いていこうと思いました。
イワナ:
ちょっとだけ時系列戻っちゃうんですけど、専門で福祉を選ばれたのはどういうきっかけだったんですかね。
福安佑記:
何でしょう、人の役に立ちたいっていうところですかね。
高校2年ぐらいのときかな、就職か進学を選ばなきゃいけないんですけど、就職したくなかったっていうのとあって、進学だったら何しようと思って。
私元々おじいちゃん、おばあちゃん子だったので、おじいちゃんおばあちゃんとどうなのかな、おばあちゃんが小学校4年生か5年生、おじいちゃんは中学校1年生ぐらいまで一緒にいたので、なので、やっぱ高齢の方といるのが当たり前という環境だったので、それで何か人の役に立ちたいな、人の役に立つってなんだ。福祉だ、福祉って何だ、高齢者、そんな感じでした。
イワナ:
人とあんまり今は一緒にいる時間がそんなにないかなっておっしゃってたんですけど、高齢の方と、若い方とか、そういう方たちって何かコミュニケーションをとる中で大きく違いとかってありますか?
福安佑記:
大きくいうと高齢の方ってのは基本的にもうやっぱこれからどうやって終わっていくのかなので、またその先を見るよりもどうやってこのいろんな今、今どうやって可能な限り現状維持をして、ゆっくりゆっくりこうやって下っていくのか、いろんなことを片付けながら、ていうところだし若い人はこれからどうやって生きてく、どうやって生きて行ってどうやって終わるっていうのをやっぱ考えるから、だいぶスタンスは違いましたよね。
イワナ:
誰かの役に立ちたいっていうのはどちらかというと、整理していく方の役に立ちたいっていうのが大きいですか?
福安佑記:
多分そんなこと考えてなかったと思います。
ただ本当に人の役に立ちたい。人の役に立つイコール介護だって、そんな多分そこまで考えられてはないと思いますよ。すごく単純に答えを出したと思うので。
イワナ:
福祉の仕事に関わられてすごく長いと思うんですけど、始めた当時と今で、変わっていない考え方とか変わった考え方とかって何かありますか?
福安佑記:
でも基本的にはやっぱりそこに目の前にいる人を大事にしていこうっていうのは多分変わってないんじゃないのかなと思ってます。
やっぱり障害者と健常者っていうのがやっぱり違う生き物だなって。って言うと差別だって言われるんですけど、やっぱりいろいろとやっぱり健常者では、ちょっと理解ができない発想もされる方ってのは多いので、やっぱり一緒にしたらいかんなって思いますね。
健常者の世界の思考とかについてこれなかった、適用ができなかった人たちなので、やっぱそこで一緒に、こういう人たちなんだろうなと思ってます。違う人種なんだなと。
差別じゃなくて区別ですね。
だからなんだろ、劣るとかとかだからできないなんていう能力も関わってはくるけど、障害持ってて、健常者より能力たくさんの人もいるのも事実なんで、そこは環境とか能力、その人の性質をうまく引き出せる人がいたりそういう人と出会ってたりしたらいけてたんじゃないすかね。
イワナ:
今も含めて、今までの人生で一番いい時間を過ごせたのっていう時代っていつですか?
福安佑記:
何をもっていい時代というかですけど。でも今じゃないですか多分。多分今が一番幸せなんだと思いますよ常に。
イワナ:
どうしてそう思えるんでしょうか?
福安佑記:
なんでしょうね。確かに例えば総括した時期って楽しかったな、あの時期はこうだったなあんなことしたなってあるんですけど、でもやっぱそれでも終わってんですよね。
やっぱ楽しいこととかもっと自分の人生を良くしていこうって行動し続けて考え続けた結果が今なんで結論はやっぱり今が一番楽しいんじゃないですか。
本当は多分あのときあーしとけばどんな人生だったのかなみたいなになるっちゃなりますけどでもそんなこと言ったってどうにもならないですからね。
だからそういう意味では、やっぱり今が一番幸せなんじゃないかなと思います。
イワナ:
なるほどなんか今聞いてて、諸行無常っていう考え方と何かちょっと通じるというか、なんか諸行無常って聞くと個人的にはすごい悲しいなのかなって思ってたんですけどそうじゃないですかね。何かいいふうに捉えられる考え方なんですかね。
福安佑記:
確かにその受け止め方じゃないですかねなんか。
もう過去はなかったものとか、なんだろうな。
今って本当に今、今この瞬間に生きてない方って多いと思うのでそういう意味では悲しいかもしれないですね。
なくなっていくって言ったって今にないんですから。やっぱあのときは良かったって言い続けてる人にはやっぱりすごくつらい言葉かもしれないです。
イワナ:
福安さん自身はその考え方って、普段からすごい身近に置いている考え方ですかね。
福安佑記:
常にはないけどでもやっぱ振り返り、何か節目節目でか振り返るとやっぱそうだよなっていうとこありますよ。
もう常にやっぱ変わっていくものなのかなって。
いつかは私は年をとるしやっぱ親も死んで、まだ生きてますけど、やっぱいつかは死んでいくし、これはもう変わらず、絶対に下げれないことなので私もいつか年をとり病気になりいつかは死んでいくっていうのも絶対に変わらないからなんだろう、
そういう流れに乗ってるっていう事実しかないですよね。考えてないけど、うん、頭の片隅にあるかもですね。
未来:多分私修行僧みたいな人なので多分どこででも多分修行してくるんでしょうね。何だろう、それをしない、多分周りからしたらそれをしてるのがつらいと思われるかもしれんけど、それをしないと多分今の現実ってのは変わらないことを知っているので。だったら、それをした方が現実は変わるからやってみようって思っちゃう。
イワナ:
ご自身の5年後とか10年後とか、もっと先の死ぬときまででもいいんですけど、ご自身の未来ってどういうイメージを持たれてますか。
福安佑記:
そうですね。そうだな。今は自分の中のイメージでは、結婚はしたいんですよ、結婚はしてるって思ってるんです。
でもなかなか婚活を始めて何年だ、もう4年近く、まだ4年だ、なかなかうまくいかないんですけどでもやっぱり結婚してやっぱ誰かと深い繋がりっていうのを1回持って終えたいなっていうのはすごく思いますね。
イワナ:
結婚されたときって、今の生活と比べたら心の持ちようとかってどう変わると思いますか。
福安佑記:
なんだろう。何だろうなやっぱり今って1人なんで基本そんなに何かに私生活や誰かに合わせるとか気を使うとか、基本なんですよね。そこがやっぱり出てくる中で、思い通りにいかんことっていうのもたくさんあると思うんですね。
でも、それが人生なんだろうなって。それが誰かと生きていく。
価値観も考え方も、生きてきた過程も全部違う人間がどうやって合意形成して話し合って、どうやって生活っていうのを作り上げていくのかっていうのは、今やっている努力とは全く違うとは思います。
イワナ:
ちなみに今って、ご両親とかご兄弟とかとはどういう関係ですかね。
福安佑記:
どういう関係。なんだろう。良好というか悪くはないという言い方がいいかな。
イワナ:
ご結婚して新たに家族を作りたいっていうのは、誰かと生きていくっていう新しくそうやって誰かとまた繋がりを持ちたい、また違う関係性を求められているからっていうことで合ってますか?
福安佑記:
そうですね。その実際にある種、血の繋がった家族ではなくて、ある種、新しい方、基本的には子供ができたら話は別です。でも基本また、他人の人間たちともう1回関係構築じゃないですか。そういうものを、どうやってしていくのかっていうところなのかな。
イワナ:
今はやられてる3つの活動については、これからどういうふうにしていきたいなとかはイメージありますか。
福安佑記:
基本流れに乗ってる部分もあります。そこでまたやっていく中でまた違うことを知ったときに、新しいことをしてみたいなと思うのかもしれないなって。
まだ今いろんな世界に触れて、いろんな考えに触れ、いろんな人たちやっぱりいるんだっていうことを、もっと触れていきたいなと思うんですけどね。
別に何だろう、こうしたいというよりも、今はまだまだ目の前のことをやりつつ、流れに乗っていくっていう感じですかね。
イワナ:
今後もずっと人を支えたりとか誰かの役に立ってる人になるっていう、そういう人生を過ごされるのかなと思うんですけど、言葉にすると、どういう誰かにとってのどういう人でありたいとか、どういうふうに支えていきたいとかっていうのは?
福安佑記:
向き合いたい人のための、何だろう私は杖みたいなものかなと。
自分と向き合う人と向き合うって結構大変じゃないですか。
私は本当にそれがすごく好きな人だから、ちょっと頭おかしいんじゃないかってぐらいそういうのが好きな人だから。多分人と向き合うマニアみたいなぐらい。周りとしては理解不能なレベルなんで私は。
でもそんなんなんだ、人よりも、自分と向き合ってる人ですら、僕はやってるつもりです、でも福安ほどじゃありませんって言われるぐらいだから。
やってる人、他の人から見たらすごいって言われるぐらいの人でも、ごめんちょっと無理だわっていうレベルにいるんだってよく言われて。これはよく言われますね。
ごめん無理あなたのレベル無理って。
だから人と向き合うマニア、自分と向き合うマニアですよね、きっと。
だから、自分との向き合い方、人との向き合い方っていうのをなんだろう、見せたらいい、あるいは聞かれたら教えたりする立場なのかなとは思います。向き合いたかったら向き合えばいいし、向き合いたくないんならいいんじゃないって。
別にしなきゃいけないとは思わないんで。
イワナ:
求められたら誰でもっていう感じではあるんですか。
福安佑記:
本当に向き合いたい、何か自分とか人と向き合いたいっていうんだったら、私が知ってる体験だから、経験とかあるいは、役に立てるならっていう感じですかね。
イワナ:
別の方と福安さんの向き合い方って何が違うんですかね?
福安佑記:
多分常にそんなことばっかり考えてるからじゃないですかね。
例えば今日こうやってやり取りして、このやり取りの中でなんで私こういうふうに思ったんだろうな、こうだっていうのは多分そんなことをなんでだろう、なんで自分ってそう思うんだろうって常に考えるから、で何かこうなのかな、こうなのかな、あ、違うな。とか、あ、こうか、あ、だからか!みたいな、ずっと多分考えてるからじゃないですか。
そんな人多分あんまりいないと思います。
イワナ:
修行みたいにつらい部分もあるんかなって思うんですけど。
福安佑記:
多分私修行僧みたいな人なので。
でもそれは多分、何だろう、それをしない、多分周りからしたらそれをしてるのがつらいと思われるかもしれんけど、それをしないと多分今の現実ってのは変わらないことを知っているので。
だったら、それをした方が現実は変わるからやってみようって思っちゃう。
イワナ:
例えばそれは誰かから受けた相談で向き合うんじゃなくて、自分を変えるために向き合ってるときだとしたら、それってどういう方向に変えていこうっていう動きなんですかね。
福安佑記:
基本的に生きやすくなるため。
世の中の悩みって基本的には100%人間関係じゃないですか。
当然健康とかお金とか生活に必要不可欠な悩みはあるにしろ、でも基本的には人間関係、相手を変えることはできないからどうやって受け止め方を変えたらいいんだろうとは常に試行錯誤してますね。
イワナ:
初めのおっしゃってたその仏教とか、今までの過去の人が培ってきた考え方とか、そういうものを自分の人生にも落とし込んで行こうって変わってからってやっぱり生きやすさって全然違うもんなんですかね。
福安佑記:
どうだろう。私はあの、すごく生きやすくなったなと思ったのは30歳になったときに、両親と和解をしたんです。ずっと私は両親から愛されてないってずっーと思って生きていて、両親のことは大嫌い。兄のことも大っ嫌い、自分の事も大っ嫌いっていうので生きている中で、病気になったんですよね、鬱病に30ときになって、鬱で半年以上療養したんですけど、そん時に両親からもらったアルバムを見てたんですね、時間があったので。
そしたらもう写真1枚ずつにコメントが書いてあったんですよね母親から、この時はこうだったねこうだったねって。
それを見たときに涙が出てきて、あ、私は愛されてたんだと。
ただ私が欲しい愛じゃなかった、彼らがくれた愛は。
でも彼らは彼らなりに愛した、わかんない中試行錯誤で、っていうことがわかったときに、すごく私は救われたなと思って、そこが一番大きいかな。生きやすさっての感じた。
イワナ:
皆さんにもしもの質問をしていまして、20歳のときに好きな人ができてからっておっしゃってたんですけど、もしその方と出会ってなかったら、今って何か変わってましたかね。
福安佑記:
人と関わる楽しさっていう事に、気づくのがもう少し遅かったんじゃないですか。人と何か話をする関わるってすごく楽しいんだっていうのを気づく、まだまだ自分の世界に閉じこもってたんじゃないかと思います。もうちょっと。
イワナ:
なるほど。いつかは開けてたと思いますか。
福安佑記:
そうですね、きっかけとか時期が多分ちょっと遅くなったけど多分、その人じゃなかったとしても、違うタイミングで誰かに会って同じような思いはするんじゃ、してたんじゃないかなとは思ってます。
イワナ:
両親との和解で生きやすくなったとか、その20歳のときの好きな人との出会いがあったからちょっと人と関わるのが楽しくなったとか、自分の中の考え方とか価値観が変わる瞬間って、やっぱり1人だったら難しいんですかね?
福安佑記:
比較をする対象とかそういったものはいないとなかなか難しいですね。
人と比べたときにあ、違うんだっていうことに気づくから、一人で気づくのはなかなか難しいかなとは思いますね。
イワナ:
人と向き合うマニアっていうお話があったと思うんですけど、そういう気づきとかも好きっていう理由の一つになりますか?
福安佑記:
そうですね、そこで何か関わって、そこに何かいろんな何か気づきがあるからこそ、楽しいっていうところありますよね。
人間関係で何か困ったときはそこが気づきを得るチャンスかな。
だから人間関係の悩みはすごく楽しいっていう人たちもいるけどそれは面倒くさいけどわからなくはないなと思います。
イワナ:
これからの人生で、これをするまでは絶対死ねないなっていうものってありますか?
福安佑記:
別に今終わってもいいと思ってるんじゃないのかな。
今終わるならそれはそれで別にいいかなと思ってるんで別にそれが達成できないとってのはないですかね。
イワナ:
もう今、今の状態で100%ではありますか。
福安佑記:
今できることは多分全部やってるとは思ってるので。
イワナ:
今までの人生で、人生でこれだけをやっときたいっていうことをもう既に達成された?
福安佑記:
私、そうですねなんかもうずっとね、悟りを開きたいと思って生きてて、私今年奈良県の東大寺に行ったんですね。奈良県の東大寺に行ったときに、あ、これだ!って。
きっと直感と本能と感覚的にこれだ、こういうことなんだ悟りって、ていうのがわかったときに、もう、もういいかなと。あとはもういつ終わってもいいかな。
なんかそのときが来たらそのときなんだって思うだけです。
これで結婚して例えば子供がいたら、結婚するまではとかいう気持ちが出てくるのかもしれないんですけど、今はないかな。
イワナ:
ありがとうございます。インタビューとしては以上になります。
何か言い残したことがあれば、読者の方向けでもいいし、独り言でも大丈夫なんですが。
福安佑記:
世の中なんかなるようになるってことですね。
なんかそれは思いますなんか。やっぱ何度か死のうと思ったことあるんです。
死のうとか、いじめられたり虐待されたりしたときに死のうとか、あるいは逆に、自分の兄弟がいるからこんなつらいんだと思って殺そうと思ったこともあって。
でもやっぱり諦めなかったらどうにでもなんだな。
もしそのときにそういう行動してたら全く違った人生になってたと思うから、諦めなかったり、逃げなきゃ何とかなんじゃないって思ってます。
あとがき
福安佑記さん、ありがとうございました。
インタビューすることが日常の中の1つになってから、
人の考え方とかあるものの意味とか、他人と自分とか、万事に対して考える機会を設けようとすることが増えました。
宗教とか悟りというと学校の授業以降なかなか触れることがないまま閉じていたのですが、
ものを考えるにあたって本を読んだり動画を見たりすると、昔の人の考え方に行きつくことが多いと感じます。
今よりも野蛮と言ったら語弊がありますが、どうも今ではすっと受け入れることができない常識とか考え方の基、ある考えが「革新的」だとされてきた事に対して、
何がすごいのかその当時の人に寄り添って考えられず、本質がわからないと思いながら授業を受けていました。
が、改めて今純粋に削り落として簡素化してみると、なるほど現在にも通じる考え方であること、自分が基にする価値観が既存のある考え方に通じていたり、
時代を経て残るものには価値があるのだなと今になって思えるようになりました。
考え方は概念だけではなく、時として物理的に残されている場合もありますよね。
まだまだ世の中の「価値がある」とされているものの価値を理解するには及びませんが、最近は建物、建築なんかには面白さを感じられるようになってきました。
こうまとめてしまうととても安っぽいですが、あらゆるものには流れがあって、色んなところで繋がっているんだなと感銘を受けます。
本日も読んでいただきありがとうございました!
【インタビュー・編集・あとがき:イワナ】
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