今見えてるものが全てではないって言いたいかもしれない人
むかしむかし、ある山里に、遠見(とおみ)という若者が住んでいました。遠見は、いつも「今見えているものが全てではない」と言い続けていました。
村人たちは最初、遠見の言葉の意味が分かりませんでした。目の前に見えているものが、現実なのではないかと思っていたからです。
ある年、村は大きな旱魃に見舞われました。作物は枯れ、川は干上がり、村人たちは「もう希望はない」と嘆いていました。
しかし遠見は、蒸し暑い空を見上げて言いました。
「この向こうには、必ず雨雲があるはずです。今は見えなくても」
村人たちは半信半疑でしたが、遠見は続けて語りました。
「枯れた土の下では、種が休んでいます。
干上がった川の底では、水脈が息づいています。
暑い日差しの向こうには、秋の風が待っています。
今は見えなくても、確かにそこにあるのです」
遠見は村人たちに、目を凝らして見ることを教えました。
朝露の一滴に、明日の命の芽を見つけ、
風の匂いに、遠くの雨の気配を感じ取り、
小鳥のさえずりに、季節の変わりゆくを知り、
子どもたちの笑顔に、未来の希望を見出しました。
やがて村人たちも、目の前の現実だけでなく、その向こうにあるものを感じ取れるようになっていきました。
すると不思議なことが起こりました。村人たちが希望を持ち始めると、実際に変化が現れ始めたのです。
雨は確かに降り始め、
種は芽を出し、
川は再び流れ、
村には活気が戻ってきました。
後に遠見は、こう語りました。
「私たちの目に見えているものは、世界のほんの一部分です。その向こうには、必ずもっと大きな可能性が広がっている。それを信じることが、新しい現実を作り出すのです」
そして「目の先の闇も、心の先の光も、共に真実なり」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年11月11日11時11分に書く無名人インタビュー944回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 原叶夢 さんです!
年齢:20代前半
性別:女
職業:アーティスト/ 研究者のたまご
現在:でも本当にずっと、他人の人生を生きてる気分だなと思って。
qbc:
今、何をしている人でしょうか?
原叶夢:
今は日本語学校で働いてます。
qbc:
その他には何をされてますか?
原叶夢:
バスケをちっちゃい頃からしてたり、今もそれは続けてて。あとは、大学と大学院で芸術系のことをしてたので、その準備。準備というか、博士課程、海外の博士課程に進みたいなと思っていて、その準備をしています。
qbc:
海外の博士課程っていうのは、どの国へ何の勉強をしに行くんですか?
原叶夢:
オーストリアのリンツっていう都市にある芸術大学で、メディアアートを勉強しに行きたいなと。
qbc:
日本でも美大だったんですか?
原叶夢:
いや、総合大学の芸術学部です。
qbc:
なるほど。日本語学校っていうのは今、アルバイトみたいなもんですか?
原叶夢:
一応正社員というか半年間は契約社員で、その後正社員になるみたいな形ですね。
qbc:
今はじゃあなんか、宙ぶらりんみたいな感じなんですか?
原叶夢:
そうですね。今は結構本当にギャップイヤーというか、社会勉強というか。ゆくゆく、そういう国内だけじゃなくて博士課程で考えてるところとかもあって、いろんな国を視野に入れながら、独立して働けたらいいなと思ってて。
今自分が働いている日本語学校がビザのサポートをしてないところなので、世界中からフリーランスだったり、なんていうんだろう、独立して働いてる人だけが来る場所で、すごくいろんなケースの人生が見えるというか。自分のポジションも先生じゃなくて、オペレーションっていう、その人たちのファーストコンタクトみたいなのをして「あなたは日本で何をしたいですか?」「どのレベルの日本語が必要ですか?」とか「こういうプランでそれを叶えていきましょう」みたいなヒアリング・カウンセリングをするポジションなので、すごく勉強になるなと思ってやってる感じです。
qbc:
大学院を卒業した後、今の状況に落ち着いたってことですかね?
原叶夢:
そうですね。大学院を今年の春、3月に卒業しました。
qbc:
その時点で、今の状況って決まってたんですか?
原叶夢:
いや、全く決まってなくて。大学の専攻がインスタレーションなんですね。ご存知かちょっとわからないんですけど、空間デザインみたいな感じで。チームラボとかをイメージしていただけると多分一番近いんですけど。建築と芸術にまたがるところだったので、元々は建築設計事務所に就職しようと思ってて。大学が茨城県だったんですけど、そこから東京に今年の春、卒業と一緒に引っ越してきた感じです。
qbc:
卒業時にどこまで決まってたんですか?
原叶夢:
卒業時はその行きたかった建築事務所でインターンとして働いてたので。フルタイムで在学中から。そこの人に「4月入社の予定で準備しておいてください」って言われて引っ越してきて、私は就職できるもんだと思って来たら意思疎通がうまくいってなくて「あなたが今の時点でこの事務所に来たら、大体月の残業が240時間ぐらいだよ。どうする?」みたいな話を聞いて。うーんってなって、結局「じゃあ駄目ね」みたいな話でなくなったのが4月の初旬とかでした。なのでグレーな状態でした、卒業するときは。
qbc:
書面があったわけじゃない?
原叶夢:
いや、ないです。建築設計事務所ってこういうもんなのかなっていうのは思って。大学院の1年生のときに1年間スウェーデンに留学してたんですけど、美術系の大学で。その間に向こうのゼミの先生に進路の相談したときに「日本人で面白い建築家がいるよ」っていうので教えていただいた人だったので、もう卒業の1年以上前から知ってて。その時点でメールとかもコンタクトはしてたんですよね、その建築事務所に。
自分の専攻がゴリゴリの建築じゃないことも、芸術系であることも伝えてたんだけど、そこのボスとちゃんと話したのが最終面接時で、東京に引っ越してきてからだったので。それまで出会ってた人とか「あなたはもう決まってるからおいでね」って言ってた人には決定権がなかったんですよね、多分。その人たちとトップの人でもコミュニケーションちゃんと取ってなかったから、そういうことが起きたのかなって自分は解釈したんですけど。ちょっとよく分かんないです。とりあえず断られたみたいな感じですね。
qbc:
ブレークしちゃって、その後はどんな感じで?
原叶夢:
そこの人が結構、建築のリノベーションのところでは有名な方だったので、その弟子みたいな人がまた違う事務所持ってたりしたから、そこに履歴書っていうか、ポートフォリオっていう作品集みたいなのを送ったり。アルバイトしたりしながら、自分の専門のメディアとかインスタレーションにすごく近いデザイン事務所から内定をもらえたので。それが4月末ぐらいだったんですけど。
そこに就職してみようって思って行ったら、2日目から帰りが2時とかで。タクシー代とか出なくて「お給料も2ヶ月まとめて支払いです」みたいな。結構ブラック企業で、これは駄目だってなって。元々それはアルバイトの採用だったんです。正社員を仮定したアルバイトでその試用期間が3ヶ月から6ヶ月っていう風に聞いてたんですけど、急に「どうするか決めてくれ」みたいなのを言われて「いやここでは体がもたない」ってなって「やめときます」って言ったのが5月末ぐらいで。
そこからまたいろんなバイトしてみようと思って、本当に30種類ぐらいいろんなバイトして。疲れたなと思って、8月の頭ぐらいに今の日本語学校にアルバイトで応募したんですけど、学生じゃないしフルタイムで働けるなら、正社員でどう?」っていうのを人事の方が言ってくれて。一旦フルタイムで入るかってなった感じです。
qbc:
なるほどね。海外の大学院っていうのはいつぐらいから?
原叶夢:
それは5月から行ってた4人ぐらいのデザイン事務所で、私はそのボスの直属のアシスタントみたいなのをさせていただいてて。その方に修士の論文を見せたり「自分はこういうことを考えてて、こういうことをしたい」みたいな話を、すごい相談に乗ってもらって。そこで「君の考えてることとかはドイツとか、今行きたいと思ってるリンツとかが多分いいんじゃない?」みたいな。「そこの展覧会を目指せばいいんじゃない?」みたいなのを言ってくれて。じゃあそうしようみたいな。でもやっぱ日本にいると8時間は働いて、それ以外の時間で制作ってなるので、それやったらもうガッツリ制作できる環境っていうので、アカデミアに行くのがいいかなってなった感じです。
qbc:
そのとき働いてたところはブラックな環境だった?
原叶夢:
そうですね。時間的には結構ブラックだとは思うんですけど。どっちかっていうと精神面の方が辛くて。本当に真摯に相談に乗ってくれたりもしたんですけど、その方は50代ぐらいの男性で、ジャニーさんとまではいかないですけど、なんていうか、「俺になれよ」「俺の作品を作れよ」みたいな感じっていうか。デザイナーの人ってそうなのかもしれないですけど、例えば「生活の中で黒い服しか着るな」とか、なんかそういう仕事以外の面での設定みたいなのを強制されることが多くて。
自分はその人になりたくてその事務所にいたわけじゃなかったので。ここにいたら、自分の感性をなくしそうだなって気持ちになって。お金とかの面ももちろんあるんですけど。月曜日から金曜日まで働いて、土日はバイトしてみたいな生活だったので。精神面と、その現実的な体力面みたいなところが一番大きかった気がします。
qbc:
なるほど。今シナリオとしては、いくつある感じなんですか?海外の博士課程に行く以外に?
原叶夢:
それを考えてたんですけど、できるだけ早く行こうみたいな。でも日本語学校で働いて本当にいろんな人に出会って、まだ3ヶ月ぐらいですけど。その中でやっぱり、やりたいことがあっても20代後半から30代、たまに50代60代とかの人もいる環境で、本当にやりたいことやるまでは、時間かかるんだなと。それを感じて、でもそれは別に悪いことじゃないんだなっていうのも最近思ってきて。
あとはもし最短で博士に行ったとしても、今私が24歳なんですけど、来年の秋から3年間行くとして27歳で。そこから研究者とか教授とかっていう道は確実にあるけど、それしかないなとも思って。
また民間で働きたい、仮に日本でってなったら、働いてる経験が薄いから結構難しい気がするなと思って。そしたら後2年ぐらい日本で働いてから、26ぐらいで博士に行く方がいいんじゃないかっていう。手堅いんじゃない?とか思い始めて。
qbc:
博士は変わらず海外なのね?
原叶夢:
そうですね。行き先は変わらずって感じです。
qbc:
シナリオ1が、できるだけ早く海外留学。シナリオ2が、日本語学校・外資系企業からの海外留学。その他のオプション・シナリオはあります?
原叶夢:
他のオプションは今のところはないです。
qbc:
このシナリオが出揃ったのはいつなんですか?
原叶夢:
本当に最近です。でもうっすらとは留学に行ってた頃から、だから2年ぐらい前からありました。一旦東京に帰って2年ぐらいガツっと修行というか、技術とかを身につけて、そっから自由にやろうみたいな、フワッとした計画みたいなのはありました。
でもその技術が何なのかとかは、自分は建築事務所って思ってたけど、今は何ていうか、英語とコミュニケーション能力みたいな感じになってますね。他の外資系の企業行くとしたら今考えてるのはITと金融をやってる会社なので、その知識もつけた上でみたいな。ふんわりと言ったら2年前ぐらいだけど、具体的には本当にここ1ヶ月とか2ヶ月だと思います。
qbc:
あと他に何かやられてることとかあります?趣味とか、生活以外に。
原叶夢:
筋トレとかよくします。体動かすのは好きです。あとは、ノートを書いたり。博士に行くとしたらどういう研究するかとかがあるので、本を読んだり。古い商店街とかの個人商店が好きなので、そこの店主さんに話に行ったりとか。銭湯に行ったりとかしてます。
qbc:
感情生活としてはどんな感じ?
原叶夢:
感情。今現在、ってことですか?
qbc:
そうそう。
原叶夢:
日本語学校で働き始めて,なんか楽しいっちゃ楽しいけど、自分の人生を生きてないようなグレイッシュな気持ちにはなります。でもやっぱり生活が安定したので、働き始めて。ちゃんとお金がもらえて、ご飯が食べれて。それで結構、気持ち自体は整ってる気がします。
でも本当にずっと、他人の人生を生きてる気分だなと思って。それで次の外資企業に申し込もうとか、ちょっと新しく人に会ってみようとか、個展をしてみようとかをして、何とか、何とか気を保っているみたいな感じ。
qbc:
なるほどね。他人の人生を生きてるみたいな感覚はいつから?
原叶夢:
日本語学校で働き始めてからですね。
qbc:
今までもそういう精神状況にありました?
原叶夢:
いやなかったです、それは。
qbc:
初めて。どんな感じなんですか?他人の人生を生きるって。
原叶夢:
思ってることを言わないっていう感じですかね。何て言うんでしょう。自分が100あったとしたら、4ぐらいで生きていくみたいな感じですかね。
qbc:
100だったら4?
原叶夢:
はい。本当に自分が考えてることが100体の中にあるとしたら、4だけ出して、当たり障りなくその場を取り持って生きていくみたいな、イメージ。
qbc:
めっちゃ少ないですね。
原叶夢:
そうですね。はい。なので96余ってるから、「何もしてないな」みたいな気分になる感じです。
qbc:
なるほど。周りの人からどんな性格だって言われます?
原叶夢:
めっちゃ仲いい子からは、努力家というか「行動力あるよね」みたいなのを言われる。けど仲良くない人からは「静かだね」「おとなしいね」みたいな感じだと思います。
qbc:
自分ではどういうふうに性格思います?
原叶夢:
難しい。人見知りだと思います。あとは結構打算的だと思いますね。
qbc:
どういうところが打算的だと思うんですか?
原叶夢:
いろいろ考えた上で「ここでこういうことを言わなきゃいけない」とか、「ここまでは話すけど、これ以上は話さない」とか、常に意識しなくても考えてしまうんで、多分人によって見え方が全然違うだろうなっていう感じがしますね。
qbc:
家族・パートナー・親友、距離の近い人から言われる性格の一面ってあります?
原叶夢:
前に付き合ってた人に、何かのポケモンみたいだよねって言われたんですけど、ちょっと名前が思い出せない。
qbc:
性格が?
原叶夢:
性格っていうかなんか、生き物として。すごい元気なときは勢いがめっちゃあるけど、落ち込んだときはすごいなんか、部屋の隅で三角座りしてるポケモンがいるんですけど、それみたいだよねって言われたことあります。
qbc:
納得したんですか、自分では?
原叶夢:
はい。あー確かにっと思って。ちょっと名前忘れてしまいました。
qbc:
好きな食べ物は何ですかね?
原叶夢:
餃子です。
qbc:
何餃子とかあります?
原叶夢:
特にないけど、パリパリしてるやつが好きです。
過去:アーティストとして生きていきたいとか、制作活動を続けたいって思ったのは、スウェーデンに行った時間があったからというか、向こうの大学で出会った人との影響とかで。
qbc:
過去について聞いていきたいんですけれども。子どもの頃はどんな子どもでした?
原叶夢:
すごいおとなしい子どもだったと思います。内弁慶みたいな感じ。
qbc:
どんな遊びが好きでしたか?
原叶夢:
なんか紙粘土でお守りとか作ってたような気がします。あと、シルバニアファミリーが一番好きでした。
qbc:
ご兄弟は?
原叶夢:
3人で、兄と弟がいます。自分が真ん中です。
qbc:
人見知りエピソードみたいなのあるんですか?
原叶夢:
おばあちゃんによく言われるのは、3歳か5歳ぐらいのときに家族みんなでバーベキューしてて、私だけウインナーを持って端っこで1人で美味しそうに食べてたよね、誰とも話さず。みたいなのを、何回も話されたりしたことあります。
qbc:
今はどうですか?人見知りは?
原叶夢:
そんなにしない。話せはするんですけど、でも大人数とかは結構苦手です。
qbc:
美術の目覚めっていうか、アートに向かう要素ってあったんですか、ちっちゃい頃?
原叶夢:
多分シルバニアファミリーは結構大きくて。人形で遊ぶ方じゃなくて「どこに家具を置こうかな」とか「カーテン何色にしようかな」みたいなのをずっとしてたので、それがインテリアデザイナーとか建築やりたいなと思った多分きっかけだと思います。
qbc:
当時は最終的にはどういうアウトプットをしてたんですか?
原叶夢:
本当にちっちゃい幼稚園のときとかは、シルバニアファミリーとかをして。小学校の2年生から絵画教室に通わせてもらって。そこは絵を上手くなろうっていうよりは、図工みたいな感じで。例えば秋だったら「木の実と紅葉とこれで、こういうことしましょう」とか、絵を描くときもあったんですけど。それがアウトプットとしては大きかったし、今の自分の制作でも根っこにある気がするなっていうのは思います。
qbc:
小学校はどんな感じの子ども?
原叶夢:
小学校のときは、おとなしかったと思います。休み時間とかに、漢字ノートとか連絡帳を配るお手伝いをしたり。そんなに明るく快活なタイプの小学生ではなかったと思います。
qbc:
中学生は?
原叶夢:
中学生も部活でバスケ部に入って、勉強とバスケを主にやってたけど、そうですね。結構負けず嫌いだったので、自主練したりして。あとバスケスクール、スキルアップのスクールに通わせてもらったりしてて。それを小学校5年生から中学校3年生まで行ってたところで、結構バスケの楽しさとかを知ったし。もう一つ、クラブチームに誘われて、それが全国大会で2位か3位ぐらいまでいけたので、本当に大きな経験だったんですけど。中学校の部活は本当に弱小だったので、結構嫌な尖り方をしてただろうなって。当時の中学校のチームメイトとか部活の先生には、すごい本当に、生意気な中学生みたいな態度をしてたと思います。
qbc:
学校の部活はやめなかったんですね。
原叶夢:
そうですね。でもあんま行ってないかも。小学校のときからですけど、休みがちでした。ちょっと言うの忘れてました。
qbc:
それは何で休んでたんですか?
原叶夢:
多分行きたくなかったんだと思います。悩みがちというか、気にしいというか、そのとき何かしらの悩みがあったんだと思います。あんまり覚えてないですけど。
qbc:
逆に休みが週1、2回で済んだのは何でなんですかね?
原叶夢:
母親からすごい「行きなさい」みたいなのはあって。ミニバスの練習とかもチームメイトからなんか言われたり監督から怒られたりするんで、練習行きたくないみたいな。それに対して親は厳しかったので「行きなさい」休んで良いときもあるけど「そればっかりじゃ駄目でしょ」と。多分学校に対しても同じ感じだったのかもしれないですね。嫌々行ってた気がします。
qbc:
何であんまり行ってなかったのにバスケうまかったんですかね?
原叶夢:
自主練してました。相当。(笑) そういうタイプでした。家で勉強するとか。「どうせ行っても、先生の言ってることなんかよく分からんから、それやったら自分で勉強する」みたいな。なので、全く何もせずできるタイプではない。違うと思います。
qbc:
それって、今の上司に恵まれないっていうのと通じてしまうところがあるのかなっていう感じがするんですけど。どうなんですか?
原叶夢:
その通りだと思います。上司に恵まれないというより多分、「いやもう私のしたいことはわかってるから、邪魔せんといて」みたいなのがあるかもしれないですね。
qbc:
指導者とぶつかっちゃうってことだよね、それはね、結果。
原叶夢:
そうかもしれないですね。高校のときは部活辞めてるんですよね、1年で。その後は社会人のチームだったり。自主練したり、トレーニングしたり。高校受験は落ちてて、公立はバスケと勉強ができる偏差値70ぐらいのところを受けたんですけど。私立は、落ちたらバスケしようって決めてたんです。クラブチームの先輩とかが行ってる、偏差値40くらいのところに行ったんですよ、結局。
qbc:
70ぐらいのところを受けなかったってこと?
原叶夢:
いや受けて落ちて、その私立になったんですよ。で、もう割り切ってバスケしようって思ってたら、やっぱ試合に出れなかったり、考え方合わなかったりして、1年やって辞めて。そこから本当高校にいる意味がなくなったというか。めっちゃアホやしバスケもしてないし。高校は結構、精神的なところで言うと暗黒だった気がします。それでも受かった大学はいいところだったので、そこでなんていうか根性というか「自分でもできるし」みたいなのは培われてしまったのかもしれないですね。
qbc:
なるほど。大学生活はどんな感じだったんですか?
原叶夢:
大学生活はもうめちゃくちゃ楽しかったです、本当に。大阪が地元で、そこから大学進学のときに茨城県に引っ越して一人暮らしも始まったりして、親元を離れたのも初めてだし。なんていうか「私が一番賢い」みたいな尖り方してたんで、大学に入ると、本当私は滑り込みで入った底辺みたいな位置なので自分より賢い人とか、尊敬できる人しかいなくて。出会う人が。「わーすげえ」みたいなので、話も合うし、みんな何か目標とかがあって努力してきた人が多かった。本当に人に恵まれたので、めちゃくちゃ楽しくて。好きな勉強、建築だったり芸術系のこともできて、すごい良い経験をさせてもらったなっていう感じでした。大変なときもあったけど。でもそれまでよりかはもうめちゃくちゃ良かったです。
qbc:
自分の目線が初めて周りと合ったってこと?
原叶夢:
そうかもしれないですね。やっとなんか話の合う友達を見つけれたというか、同じ熱量とか同じ温度感で生きてる人たちに出会えたなみたいな感じでした。
qbc:
そのときにどう思いました?
原叶夢:
超楽しいみたいな感じでした。
qbc:
そのときって尖ってた理由にも気づくんですか?なぜ自分が尖ってたかっていうことに関して。
原叶夢:
そのことはあんまり考えたりとかは。バスケも続けてたんですけど、私が行ってた大学の部活がめちゃくちゃ強くて。だから入らなかったんですよ。さすがに無理だと思って。AチームとかBチームとかあって、監督の人も「君が来たらBのトップではあるけれど、Aで出れるかは努力次第だ」みたいな感じ。本当にそれまでバスケと勉強しかしてこなかったので、大学ではもっといろんなことしたいって思ったのもあったし、その道で生きていこうみたいな人ばっかりなので無理やって思って。サークルに入ったら、やっぱりちゃらけた部分もあって、1年生の頃はうーんみたいな。
「この人たちはお酒ばっかり飲んでるな」みたいなふうに思ってたけど、やっぱり人が良かった。そこでやっとチームプレーというか、レベルが高くないと駄目、絶対勝たないと駄目みたいなのが「こんなにも初心者の子は頑張ってて、こんなに上手くなって、こんなにシュートが1本入っただけで喜んでるのすごい素敵やな」みたいな。そう思わせてくれる人たちでした。そこでやっと角が取れたというか、ちょっと丸くなった気がします。
qbc:
ご両親からどのように育てられましたか?
原叶夢:
本当に放任です。「やりたいことをやりなさい」「責任は自分で取りなさい」みたいな感じでした。
qbc:
生まれ育った場所、風景を教えてください。
原叶夢:
当時はニュータウンで、家の隣に大きな山があって。すごい大きい公園の隣の一軒家に住んでいました。なので、その隣の空き地でずっとバスケの練習とかして。自然豊かな、大阪でも南の方だったので、全然都会ではなかったです。
qbc:
転換点が人生の中にあるとしたら、いくつ置いてもいいですけど、自分の人生の転換点ってどこにあると思いますか?
原叶夢:
多分小学校4年生のミニバスでしんどかったときと、中学校3年生のクラブチームで結果を残せたとき、高校受験に落ちたとき、大学に受かったとき、スウェーデンに行ったときだと思います。めっちゃ多いですけど。
qbc:
スウェーデンはどうだったんですか?
原叶夢:
本当に良かったです、めちゃくちゃ。
qbc:
どう良かったです?
原叶夢:
なんか世界は広いなって思いました、本当。視野が狭かったなって思ったし、アーティストとして生きていきたいとか、制作活動を続けたいって思ったのは、スウェーデンに行った時間があったからというか、向こうの大学で出会った人との影響とかで。本当にそれまでは、いわゆる日本のエリートの生き方みたいな、でかい企業でいっぱいお金稼ぐのがいいっしょみたいな感じで。違うなってなったのはスウェーデンに行けたからですね。
qbc:
元々アートに行こうと思ったのはどの段階だったんですか?
原叶夢:
高校3年生のときでした。
qbc:
そのとき強いモチベーションがあったんですか?
原叶夢:
いや、アートが好きっていうのは小学校とかのときからずっとあったんですけど。高校で部活を辞めて「なんで私こんなアホな高校に?」みたいなのはずっとあって。初めは東大とか京大とかに行ってやろうって思ってて。でも、高校3年生の始めらへんに、多分模試が行けますよみたいな感じだったんですよ、検討圏内ですみたいな。で「当てつけで自分の進路を選んでしまってるな」みたいなのを確か感じたときがあって。顧問の先生やったり、チームメイトやったり。それはちょっと違うってなって、やりたいことやろうってなったときに思い出したのがその芸術系で。じゃあそれで、でも悔しいから、国公立でみたいなので大学を選んだ感じです。
未来:違う見え方がする可能性もあるし、見えてるものの基準が、もう本当に180度ひっくり返る場合もあるよって言いたいですね。
qbc:
未来の質問ですね。10年20年30年40年、最後自分が死んでしまうというところまでイメージして、今思い描いている未来は、どんな未来ですかね?
原叶夢:
難しい。でも具体的に考えてるのは、本当に30歳ぐらいまでなんですけど。博士に行こうとか、ある程度お金を稼げるようになろうとか。そこからはあんまりまめには考えてないけど、ふんわり持ってるイメージで言うと山奥みたいなところで、自然豊かなところで、自分のアトリエか個人商店かわかんないですけど。何か物作りができる小さな店を開いて、私の好きな人と私のことを好きでいてくれる人だけが、たまに遊びに来るみたいな。日本でもいいし海外でもいい。多分日本かな。そういう小さな暮らし。でも密度が濃い暮らしみたいなのを、どこかでできたらいいなと思ってます。
qbc:
もしもスウェーデンに行ってなかったら、そうなってました?
原叶夢:
いやあ、どうだろうか。でもそれをふんわりと感じたのは、スウェーデンに行く前に、大学1年生のときに初めての海外でプラハに行ったんですよ、チェコの。そこで出会ったおばあさん、70歳ぐらいのおばあさんがクラフトのお店をやってて、そこに行ったときに「私はこういう人になりたい」って思ったので。スウェーデンで変わった部分とか、やっぱそうやなって思った部分はあるけど、トリガーはもう一つ前かもしれないです。
qbc:
「そういう人になりたい」ってどういう人ですか?
原叶夢:
そのお店は結構ちっちゃくて。でもプラハの真ん中らへんにあるところで、すごい人が多いわけでもなくて。でもそのおばあさんはずっと1人で制作をしてて、手作業で。「こんにちは」みたいな。で、めっちゃ優しかったんですよね。「すごい素敵なお店ですね」みたいなのをたどたどしい英語で言ったら「大したことないよ。小さな店だよ。」みたいな。
で、何て言ったのかな。「This is my precious 何とか」みたいに言ったんですよ。「私は今自分のやってることを誇りに思ってるし、そうやって生み出すものは貴重だと思ってる」みたいなことを言ってて。
それが他人の価値観とかものさしじゃなくて、自分が満足してて、自分が生み出すものにちゃんと自信を持ってるから、揺るがないなって思ったんだと思います。そのときはそこまで言語化できなかったけど、今振り返ると、大企業とか、お金たくさんとかは誰が見ても分かる強くてすごいものかもしれないけど、それは多分間違いないけど、危ういというか。
それがベースにはなりたくないな、みたいな。
強い人に見えたんですよね、そのおばあちゃんが。だから自分もそうありたい、そうなりたいなっていうふうに思います。
qbc:
人生で一番楽しいことは何ですかって言われたら、何ですか?
原叶夢:
寝ることかもしれない。あとお酒も好きなのでお酒。あと掃除するのとかも好きです。
qbc:
掃除?掃除の何が?
原叶夢:
洗濯物とか、汚いものが綺麗になったりとか。カビを漂白したりとかすごい好きです。
qbc:
もしもの未来の質問っていうのをしていて。もしも高校受験が賢いほうの高校で受かってたら、人生どういうふうになってたと思います?
原叶夢:
まず多分今の大学、筑波だったんですけど、筑波には絶対行ってないと思います。
qbc:
行ってないんだ。
qbc:
4月から勤めようと思ってたところが、話がちゃぶ台返しになったっていうのは、自分の中でどういうふうに捉えてます?
原叶夢:
そのときは本当に地獄やなって思ったんですけど「こっからどうしていけばいいんやろう」みたいな。東京に知り合いおらんし、仕事の目処ないし、むしろそのスウェーデンから帰国した理由が本当にそこに就職することと、あと大学院を卒業することだったんで。「何すればいいんや」みたいな感じにその時点では思ったんですけど。
今冷静になってみると、そこの事務所に行く人は平均27歳とかで、大体いろんなところで経験を積んでから、ある程度仕事ができるようになって行くっていうか来る人が多い場所だったので、そもそも無茶しようとしすぎてたよなみたいな。むしろそこまでスムーズに行けたことが奇跡やったか、とかを思い始めたり。
今、何というか生活が仕事以外の時間、バスケしたり人に会ったり、本読んだり、先のことを考えたりする時間がすごい楽しいので、その事務所に行ってたら仕事が100%の生活やったから。どっちにしても長くは持たなかったんじゃないかなって思い始めて。
そこのボスに言われたのは「どうしてもうちに来たいなら建築の専門学校でもう1回学んでから来なよ」みたいな。「そしたら入れてあげるよ」みたいなこと言われたので。ほんまに忘れられへんかったら、お金を稼いで経験値を貯めて、専門学校に行くっていうルートもなくはないので。仮にそうなったとしても、今踏んでるステップは正しいから、悪くは思っていないというか、なんですかね。時間を見ながら、自分がそれに対する感情がどう変化していくのかをちょっと観察してみようみたいな気分です、今は。
qbc:
その最終面接のときのボスは、そうなるだろうと見抜いてたんですかね?
原叶夢:
それはあるかもしれないですね。
qbc:
本腰入らないかもしんないなみたいなね。
原叶夢:
やっぱり「建築をもうずっとやってきました。建築大好きです」みたいな人が来るので私はどっちかというとチームラボとかだと、建築とはまた種類が違うじゃないですか。
だから結構レアなやつというか、変わったやつが来たなみたいな顔をされてたんですよ。で、「お前を入れたら面白そうやけど、俺たちはどう扱っていいのかわからん」みたいな。すごいいろんな素敵なところに連れて行ってくれそうな、免許を持ってないタクシードライバーのようだ」みたいなことを言われて。
「うーん確かにな」みたいな。
qbc:
自分がやることで人に何を伝えたい、どうなってほしい?どうしたい?
原叶夢:
作ったものでどう人に影響を及ぼしたいか?
qbc:
うん。
原叶夢:
難しい。そういうのはあんま考えたことないです。でも、思い浮かぶのは、今見えてるものが全てではないって言いたいかもしれないです、制作とか作品を通して。違う見え方がする可能性もあるし、見えてるものの基準が、もう本当に180度ひっくり返る場合もあるよって言いたいですね。
qbc:
ありがとうございます。最後の質問が、最後に言い残したことは?っていうので、遺言でもいいし、読者向けメッセージでも、インタビューを終えての独り言でもいいです。最後に言い残したことがあればお伺いしています。
原叶夢:
ないです。
qbc:
ありがとうございます。
あとがき
塞翁が馬。
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:本州】
#無名人インタビュー #インタビュー #メディアアート #建築

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