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【毎日のごはん】でしあわせを創り出せることを伝え続け障害者支援事業に展開させたい人

コオロギなんか食えるか。
まあ、私は食べるけど。私、わりとなんでも食べれちゃうほうなんですよね。豚の血のソーセージが苦手なんだけど、でもあれ、鎌倉のフレンチ系のワインバーで食べたんですけど、めちゃ生臭くて、血の混ざった砂鉄を食べてる感じでさ、ていうかそのとき彼女と一緒に泊まりで行ってたんだけど、めちゃケンカになって、そのあと、2人とも、ボトル2本空けて酔っ払いすぎてて、ホテルとってたんだけど、そのワインバー出たあとケンカして、2人ともホテル泊まらずに帰ったんだよね。
で、血のソーセージは食べれなかったけど、台湾で食べた血を固めた何かは、食べれたんだよね。その時は、羽毛の洗浄工場(台湾は羽毛の生産地なんですよ)の視察に行ってたんで、台湾に、なので現地の人につれていってもらった観光向けじゃないお店だったんだけど、でも、イケたね、その血の何か固めたのはさ。ティンタイフォンおいしかった。
ところで、でも、今、私、6歳の男の子と一緒に暮らしてるじゃない? というか、鎌倉の夜の彼女とのケンカの理由が思いだせない。ふふ。そう、子供はね、やっぱり、神経が敏感だからなのか、味覚が先鋭的だからなのか、トーストパンのコゲとか、目玉焼きのはじっこのコゲとか、そういうの苦手よね。私とか、チンゲンサイとかカチンカチンの中華鍋でちょいコゲ目作ってそれスープに入れてとか、好きなのね。コガシキャベツとコガシまいたけのサラダとか、そういう風味と具材の味だけで食べるのとかがさ、年取ってきてからさ、好きかも。
子供はポケモンカレー、鬼滅の刃ふりかけとか好きだし、もうこうなってくると、絵じゃん。絵を食べてるんじゃん、彼は。
マーケティングを喰う人にはなりたくないな。
いろん、待ってます! 今日も無名人インタビューよろしくね!!!
【まえがき:栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 神山寿恵 さんです!

現在:かわいそうなご飯食べさせられてる子どもにしないで、おいしい、選ばれたいいご飯食べさせてもらってる幸せな私達、にしてあげて、って言ってます。

JYO-RI:今は何をしてる人ですか?

神山:今、料理家です。ええと、そうね、ただの料理家って言っちゃ駄目なんだ。食を通して、人の心と体を整えることをしています。

JYO-RI:もう少し詳しく聞いてもいいですか?

神山:はい。元々、4年前までは、ボディケアのセラピストをしてたんです。

JYO-RI:はい。

神山:整体とかリフレクソロジーとか。そっち系をやってたんですね。あとアクセスバーズのファシリテーター。ええと、アクセスバーズって言って、アメリカ発祥の、脳内デトックスと言われている施術なんですけど。その、人の体をね、癒して楽にする。それで、望む未来を創っていく、みたいなことしてたんです。
で、なんでそういうことしてたかっていうと、11年前に離婚して、一人になって。娘2人育てていくのに、当時、上の娘が大学受験を考えていた高校生だったのと、あと下の娘が障害があってね。会社員になって働くっていうのがなかなか厳しい状況だったんですよ。

JYO-RI:はい。

神山:なので、家にいながらにして何か収入になるもの、と思って。たまたまその時勤めてたクリニックの先生が、暇になるとね、肩揉んでって言う人だったんです。で、私も、まず肩こりとかひどくて。ポイントわかるじゃないですか。で、先生がお暇になるたびに、先生の肩揉み、全身マッサージしてたら【真面目に上手いからちゃんと資格とった方がいいよ】と言われて。素直に言葉を受け取ってですね。じゃあちょっとやってみようかなって勉強して。それで当時住んでた家の一室を使って、自宅兼でやるようになったんです。

JYO-RI:ふうん。

神山:それから途中でアクセスバーズっていうものを知って。人の体にね、指令を出すのは脳だから。直接脳にアプローチする施術っていうのはすごく有効だと思いました。どうしても筋肉に力を加えてもみほぐすっていうのは、その時はいいんだけど、やっぱり戻ってしまうから、その点アクセスバーズは新鮮で有効だな、って感じて取り入れました。

JYO-RI:うんうん。

神山:体の、その司令塔から直接的に全身に影響を与えられるような施術、アクセスバーズは脳内デトックス、とも言われていて、不要な固定観念や刷り込みを消すんです。それで、障害のある人たちとか、その周りで介護してる人たち、どうしても、この人たちは何もできないって、その障害のある方たちのことをね。固定観念で見がちですよね。本人たちも、言葉にはしなくても、自分たちは何もできない、みたいなのがどうしても刷り込みがあるので。その固定観念を崩すっていう意味でも、アクセスバーズってすごい有効だなと思っていて。

JYO-RI:ふうん。

神山:そういうことを取り入れてボディケア専門でやってたんですが。やり進めるうちに、何か、やればやるほど、人が、より健康で幸せに生きるためには、やっぱり体の外側ばっかり触ってても駄目で。口から入れるもの、食べるものでやっぱ体って作られていくので。やっぱり内側と外側から、両方からじゃないと嘘だなって思って。

で、4年前に、その当時、中目黒に仕事部屋を持ってセラピスト業を続けていたんですけど。何か、思うように展開していかなかったんですよね。

それで暇な時にはお友だちに
ごはん食べに来ない?なんて誘ってました。

昔から、人にね、ご飯作って料理を振舞ったりとか好きだったし。母親として、子供たちにずっとご飯作ってたり、
元夫っていう人が、商社勤めで家接待をやる人だったんですよ。家にお客様をね、家族単位で呼んで。多いときだと本当、赤ちゃんからおじさんまで、自宅に20何人とか集まる。そういうのが度々あって。その度に一人で、年齢層に合わせた食事とか。あとはテーブルが足りなければテーブル作ってみたりとか。そういうことをするのが非常に好きで、、その流れで、お友達にもね、ご飯作って振舞ったりとかしてて。

で、その中で、1回、お花見会をやったんですけど。そのときに、何人かな、当時中目黒の部屋、10畳ちょっとのところに、昼の12時から、とにかくずっと開けておくから好きな時間に来ていいよってフェイスブックで流したんですよね。本当に昼の12時からピーク時10畳ちょっと部屋に30人ぐらい集まって。もうわっちゃわちゃですよね。中目黒で目黒川が近かったので。まあまあ、ちょろっと食べて満足したらお花見行ってもらえばいいや、ぐらいの感覚だったんですけど。誰も帰らないで10畳の部屋に28人だったかな。ぎゅうぎゅうで大盛り上がり、みたいなことがあって。そのときに、何人かの方に、としちゃんさ、って。いつになったら店やるの? って言われて。

JYO-RI:ふうん。

神山:そのときに何か、、あれ? 今求められてるのって、私、こっちじゃなくてご飯の方なの?っていう。それが2019年の3月末かな。それで、ああ、だったらもう、セラピストやめた!と思って。明日からこっちにしよう!と思って、さくっとこう、方向転換したっていうのが、今の道に入ったきっかけですね。

JYO-RI:うんうん。なるほどです。

神山:はい。それから初心者向けの家庭料理の個人レッスンを頼まれたりして。

私の家庭料理のコンセプトは

どこにでもあって、誰にでも買える安心安全な食材や調味料で、ずるいくらいに、簡単美味しいっていうもので。

もうとにかく、どんな初心者の人でも、絶対美味しく作れる。できるだけ手軽で、美味しく、、加えて、体に無理のない味の構成と食材の使い方っていうのを軸にしています。今ほら、共働きのお母さんって多いじゃないですか。

JYO-RI:はい。

神山:朝起きてから、もう、ものすごいスピードで準備して、保育園や学校に送り出して、1日猛ダッシュで仕事して。また、終業時になったら保育園にダッシュして、子供引き取ってスーパーで買い物して休む間もなく山盛りの家事。

その中で、毎日やっぱり、手をかけたご飯を作ってあげたいけれど、もう疲れきっちゃってたりとか、どうしても時間がなくって、たまにね、買ってきたお惣菜とかを並べるときに、今日お惣菜なんだ、ごめんねって言って出すみたいな。そういう声をたくさん聞いていて、なんかそれ聞いたときに、謝らなくてもいいのに、と思って。

私、食べ物には作り手のエネルギーがダイレクトに乗ると思っていて。実際そうなんですけど。何て言うのかな。

例えば、私なんか昔から一人、、ほぼワンオペで、子供2人、しかも一人障害児っていう育児をしてきたので。外のものを活用する機会も多くて。

でも、その食べ物を最後口に入れるときに、そのものにどういう意図を設定するかで食べた人が全然変わるっていうのを認識していたので、買ってきたものを並べることに罪悪感を感じている人たちに昔から、お惣菜だからごめんねって言って出したら、かわいそうなご飯食べてる子供にしちゃうから、そうじゃなくて、本当にテーブルに乗せるときに、(この場合は、添加物云々とかなしにして)

最後の意図設定を

今日は、、例えば今日は〇〇スーパーのおばちゃんの愛情弁当だよ、って。よかったね、って出す。

そうすると、もう子供たち、わーって言って喜んで、、楽しい、嬉しい気持ちで食べるから、

かわいそうなご飯食べさせられてる子どもにしないで、、おいしい、選ばれたいいご飯食べさせてもらってる幸せな私達、にしてあげて、って。それを、レッスンに来た人達にも毎回お伝えするんです。

お惣菜選びとかもね、今ほら、無農薬とか、いろんな有機栽培のものとかに、こだわってますっていう方たち、いるでしょう。

JYO-RI:うん、うん、うん。

神山:できる人たちはそれでいいんです。でも、無農薬とか完全自然農法の方がいいのはもちろんいいんだけどコストがね、、そして、それ以外の量産されたものが駄目かっていったらそうじゃなくて、どれだけ量産されていようが、何て言うのかな、必ずどこかで誰かが手をかけてくれて、売り出されているものじゃないですか。究極言ってしまえば、コンビニ弁当だって、夜寝ないでお店に並べるために作ってくれてる誰かがいるわけですよ。そこに、先ずは感謝です。その人たちがどんな思いで作ってるかっていうのはまた別の問題で。

本当に最後自分の手元に来たときに、そのものたちにどういうエネルギーで、意図設定して食べてもらうか。そうして食べてもらうと本当に体の受け取り方が全く違うんです。

食材にこだわるのも大切だけれど、、何ていうのかな、それより、どういう気持ちでそのものをいただくか?っていうところを真剣にお伝えしています。

JYO-RI:なるほどですね。
では、今夢中になってるものとか、マイブーム的なものって何かございますか?

神山:ん-と、実は、私ずっとね、料理の先生とか、料理家だって思ってやってないんですね。人に言われてとしちゃんがやってるのは料理家の仕事だよって言われたから料理家って名乗ったのであって、そういう意識はないんですよ。で、その先というか、とりあえずやりたいことのひとつに、やっぱり障害者支援事業っていうのがあって。障害のある若い世代の人たちが住むグループホームと、働く場所を、小規模でいいから都内にたくさん作りたいと思っています。

JYO-RI:へえ。はいはいはい。

神山:それが、まあ直近で本当にやりたいことではあるんですね。そこに行くために、まず自分が作ったスープやお惣菜をね、ネット販売したいと思っていて。それがまず直近でやりたいことかな。


過去:長女のときは子供ってこんなに勝手に一人で大きくなるんだと思いました。

JYO-RI:次に、小学生まで、高校生まで、大学生以降、社会人4つぐらいパートに分けてお聞きしたいんですけど。どんな子でしたか?

神山:4人きょうだいの第一子長女なんですよ。

JYO-RI:はい。

神山:女女男男の1番目で。上3人までは2歳違い。一番下、9歳離れてるのかな。で、記憶にあるのは、幼稚園の頃。この当時って、幼稚園に子供だけで歩いて通ってたんですよ。

JYO-RI:はい。

神山:私、今53歳だから、大体50年近く前ですかね。すごいね、50年近く前だって。びっくりした!

50年近く前、本当、近所のお友達とね、幼稚園まで、子供の足で結構だったと思う。大人が歩いても結構だったと思うな。歩いて幼稚園まで通ってて。で、なんだろう。周りからはもう既に幼稚園時代には他のお母さんとか先生たちからしっかりした子だ、ていう評価があって。で、確かにしっかりしてたなと思うんです。遠足の日の朝に、途中で転ぶんですよね、お母さんと幼稚園に行くんですけど。転んでタイツ破れて。血まみれになったので、母が、家に新しいタイツを取りに行くので、私を幼稚園のバスの中に放置して家に帰るんですよね。周りのお母さんたち、大丈夫? 大丈夫? って来てくれるんだけど。なんかこう、泣きもしないで黙って座って待ってる、みたいな。で、それを見て、すごいね泣かないで待ってるなんてしっかりしてるねって言われてる記憶がありますね。

JYO-RI:へえ。

神山:で、小学校入ってからも、比較的にのんびりした、ぼーっとした子だったと思うんだけれど。給食食べるのも遅いしもう何やるのものんびりとしていて。でもやっぱり、何だろう、落ち着いてる。しっかりした子。っていう評価は本当、小学校の先生たちからもずーっときてて。もう小学校入ってから高校出るまでずっと学級委員みたいな。

JYO-RI:はい。

神山:そういう感じでしたね。黙っててもなんか、友だちや先生に指名されて役を任されるとか、そんな感じで。きょうだい、家の中にあっても、2番目3番目が凄く元気で活発な子たちだったので。おやつを食べてもご飯食べても一番最後まで残るのは私だし。で、そのころよく言われてたのは、父にね、お茶入れてとか言われて、うんって言って返事してから、ややしばらく動かないから、寿恵に頼んでも日が暮れる、とか言われて、おやつの時間ってなれば、もうのんびり、ゆっくり食べてるから、残してた分を弟妹たちに取られる、みたいな、そんな感じでしたね。

JYO-RI:中学生の頃とか、何か部活とかされてたりとかしましたか?

神山:中学高校は吹奏楽部に入ってました。

JYO-RI:はい。

神山:楽器は、中学時代はサックス、アルトサックスとクラリネット、やってましたね。朝から晩までもう部活、部活、部活で。本当、地方でしたけど、結構強い学校だったので。上下関係も厳しくって。運動部というか軍隊みたいな部活ですね。

JYO-RI:そうだったんですね。

神山:でも、中学時代は本当に、1年生の後半から、同じ部活に所属してた同じクラスの男の子がきっかけで、3年で卒業するまでものすごいいじめに遭うんですよ。で、クラスでは幅を利かせてる男子のグループが私をいじめてるって、みんな知ってるから、大体クラスのほとんど無視ですよね。女の子達は自分たちに飛び火しないように、関わらないようになって。一番最初、実をいうと、同じ部活の同じパートの女の子と2人でターゲットにされてたんです。

JYO-RI:ふうん。

神山:でも、ある日ですね、その一緒にいじめられてて、負けないで頑張ろうね、って言ってたその女の子が、私に隠れて、その男の子たちに、何でも言うこと聞くから私のことをいじめないで、って言ってる場面を見ちゃうんですよね。それで、めっちゃ裏切られたっていう。人生で一番最初の裏切りを感じたのはその瞬間。それからターゲットが私一人に絞られて。ずっと卒業までいじめられる、みたいな。なんだろう。きっかけはね、当時ほら、先輩たちは絶対だったから、サックスパートにいたんですよ。で、とにかく無理難題を押し付けられるわけ。一人で、楽器ケースに入ったサックスを、先輩方の分、4台一気に運べとか言われるんですよ。で、言われるからやるじゃないですか。たまたま、たまたまそれを見ていたその、首謀者の同じ部活の男がですね。そんなね、いっぺんに、一気に、いっぺんにそんな持ち方してね、見せびらかしてるって言い出したんですよね。

JYO-RI:うわあ、なるほど。

神山:もう何のことだかわからないでしょ? 今思えば何のことだかわからないけど。でも本当、たったそれだけのことで、ずっと言われ続けて。クラスに帰れば、関係ない他の男子まきこんでいろんなことしてくるし。最初はそんな低レベルな人たちを相手にしない、と思って無視してたけれど、2年生の後半、、いじめが始まって1年ぐらい経った頃に、体が動かなくなって、朝、起きれなくなったんですよね。ずっと隠してたんですけど、それで初めて、母が知って。両親が学校に行き。全部先生たちの知るところになって。いっとき、顧問の先生もものすごい勢いでその男の子の事を怒ってくれたんだけど。まあ結局止まないで卒業までずっと、みたいな感じでした。

JYO-RI:なるほど。

神山:高校時代は、女子高。私立の女子高に進んで、やっぱり吹奏楽部に入るんですよ。で、なんだろうな。そこで部長をやったかな。

JYO-RI:はい。

神山:創設したばっかりのちっちゃい、弱いところでしたけど。でも、新しい先生みつけてスタートして、、そこは3年間それなりに充実してましたね。

JYO-RI:お話を聞いていて、その当時の年齢にしてはすごい多分大人びていたと思うし、考えて行動されてたのかなって思うんですけどその人間性みたいなのって、どういうところで培われたとか、例えばお母様から影響されたとか。ご自身のなかで思い当たるところとかありますか?

神山:うーん、その当時は何か、何だろう。特別何かを学んだとかっていう意識はないけれども、今の自分が、その当時の自分を見れば、まず、、いじめられたことに対する対処は完全に間違ってたなと思います。

JYO-RI:へえ。

神山:その当時は、そんな低レベルな人は相手にしないって思っていたけど。自分が何か不条理なことをされたなら、全力でやり返せって。やり返して、意思表示しないと駄目だったって今は思ってます。自分を守れるのは自分しかいないし、それと同じ意味で、自分をしあわせに出来るのは自分しかいないですから。

JYO-RI:そうなんですね。

神山:要は、要はもうその時点でレベルが低い相手だから同じ土俵に乗らないぞって思ってるってことは、相手を見下してますよね。それって、愛がないですよね。

JYO-RI:なるほど。

神山:だから、なんで、そのときに、嫌だって言って、なんでそんなことするんだって徹底抗戦しなかったのかって思いますよね。

JYO-RI:そうなんですね。

神山:だから、まずそれ、違ったなって思うのと。あとやっぱり、根っこになってるのは多分、本当に気がついたときには下にきょうだいがいっぱいいて。

JYO-RI:そうですよね。

神山:お母さんがいっつも、すごい大変だと思ってたんですよ。私の父っていう人は、公務員ではあったけれど、あの、まあ、昔でいうところの、呑む、打つ、買う、、の三拍子の人だったので。本当にいろんなことで母が泣いてる姿をいっぱい見てきたし。子供ながらに、お母さん大変だな、心配させちゃいけないな、ってずっと思っていて。

母は女7人きょうだいの長女なんです。で、田舎だから、お正月とか誕生日とか運動会とか、みんなで、わーってご飯作って集まるんですよ。必然的に、親戚の数が多いので、お年玉も結構な数あつまるんですよね。

JYO-RI:確かに。

神山:で、例えばなんですけど、お年玉もらうじゃないですか。そしたらとりあえず、その当時まだ小学生なったばっかりとかでも、きょうだい分全員のお年玉を集めて、全部お母さんにあげるような子でした。あげてましたね、実際。お母さんの誕生日に、そうそう、2月が母の誕生月なんですけど。誕生日、母の日、、貯めてたお小遣いで何かしらプレゼントしたりとか。その当時まだね、若かったおばたちに、買い物同行頼んで。お年玉で、お母さんの洋服買ってあげたりとか。誰にも言われなくてもそういうようなことする子でしたね。だから、母の姿って大きいのかな。

JYO-RI:ふうん。

神山:お母さんを何とかしてあげたい、みたいなことを多分、無意識的に思ってたんだと思う。

JYO-RI:なるほど。ちなみに料理の味とかってお母さまの何かが影響していたり、原点であったりするんですか?

神山:もちろん、母は毎日手料理作ってくれる人だったし、おばあちゃんとかね、手作りのご飯をいっぱい食べさせてもらったし、父方の実家は漁師で、いつも新鮮で美味しい海のものを食べさせてもらってました。親からもらった食の環境と、味覚、それはもちろん根っこにはあると思います。でも、料理を仕事にしてますけど、誰か特別な先生に習ったことはないんです。食べるのも作るのももちろんすごく好きで、、

あとは、好き!から始まる興味かな?

例えばどこか外に食べに行ったときに、わあこれ美味しい!と思ったら、自然と、これ何でできてるんだろう?って考えちゃう。考えながら食べる。

JYO-RI:はい。

神山:で、家に帰って、例えばランチで美味しいものを食べたと思ったら、今日は夕飯にコレ作ろう、みたいな感じで。味の再現をするのも、すごく好きで。何が入ってるかな?って分析しながら食べてる。レッスンに来てくれた生徒さんたちにも、どんどんお昼、ランチに行きなさいって。美味しいものがどういうふうに作られてるかって考えながら食べたりお店の人に聞いたりして、で、自分のものにしてそれをお家で再現してあげれば、外で食べるランチだってみんなのためだから、堂々と楽しんでねって言って。ははは。すすめてますね。

JYO-RI:今、高校生までお聞きしたので、大学生以降を聞かせてもらってもいいですか?

神山:はい。高校卒業して就職してるんです、私。当時、北海道で、、そこそこ成績が良かったので、いわゆる進学クラスみたいなとこにいたんですよ。で、クラスのほとんど、ほぼ全員が大学進学するみたいなクラスだったんです。自分も当然そうなるのかなってぼんやり、本当ぼーっとしてた子だったので。何も考えないでただ大学行くんだな、くらいに思って、指定校推薦とかのエントリーするんですよね。

JYO-RI:うん。

神山:で、〇〇だったかな。〇〇大学の英文科だったかな。で、指定校推薦取れたから進学したいって父親に言ったら、まさかの回答で、お前を大学に出すのはいいけど、お前が大学行ったら弟2人は大学出せないって言われたんですね。

JYO-RI:ええー。

神山:それで、もうショックでショックで。今ならね、奨学金とか、何か他に手立てはないかって考えられるけど、本当その当時の私って頭足りなくて。親が駄目って言ったら全部駄目だと思い込んでたんですよ。だから、もう泣く泣く断念するわけ。で、就職した先が、弁護士先生が2人の法律事務所。高校卒業してそこで働きだして。地元の市民オーケストラに入って。そこではトランペットとビオラをやってたんですね。

JYO-RI:ふうん。

神山:トランペット、高校時代はトランペットで。オケに入ってからだからビオラとトランペットとクラリネット、3つを曲ごとに持ち替えでやってたんですね。

JYO-RI:ふうん。

神山:うん。そこで2年、3年ぐらい勤めた後、整形外科の事務職に再就職し。そこの院長にかわいがられたのはいいけど、今で言うセクハラに耐えられず、2年で辞め、ん? 1年ちょっとで辞めて。〇〇生命の職域営業部に入り。1年半位でトレーナーになったところで、元夫と知り合い。結婚、妊娠。妊娠と同時に切迫流産が発覚、、入院からそのまま退職して、みたいな感じで、現在に至るって感じですね。

JYO-RI:年齢で行くと、妊娠されたタイミングとか、ご結婚みたいなところは何歳ぐらいなんでしょうか?

神山:ええとね、何歳かな? 1995年の2月に長女が生まれて。 21才で〇〇生命に入ります。それで約3年勤めて、その時に元夫と知り合って。で、25で結婚してる。25歳、25歳の2月、ぎりぎり、もうすぐで26才になるよっていう2月に娘を産んでるので。

JYO-RI:ちなみに、2番目のお子様は、何歳で生まれたんですか?

神山:ええとね、27歳かな。1997年の11月に産まれてます。25、27で産んだって記憶がある、、違うかな?

JYO-RI:その後は専業主婦だったってことなんでしょうか?

神山:そうです。途中ちょっとだけパートで社長秘書とかやってましたけど。保育園に迎えに行くたびにあまりにも何か悲しそうな顔をしている長女をみるのがつらくて。やめました。

JYO-RI:子育てとかされてるなかで、一番、自分の心に残ってることとか、思いとか、あったりしますか?

神山:そうですね。一人目、長女のときは子供ってこんなに勝手に一人で大きくなるんだ〜と思いました。

JYO-RI:ふうん。

神山:でも本当に、夜眠れないというかね。なかなか寝ない子ではあったので。夜中、もう本当に抱っこしたまま、どうにもならなくて、それこそ元夫と2人で車に乗せてね、夜通し走ったこともあった。そう、あと二人目妊娠中に、お昼寝してたら、なんか、おえ、おえって聞こえるんですよ。えっ?て思って目をさましたら、となりで娘が、外国のコインを喉に詰まらせていて慌て逆さにして背中をバンバン叩いた事がありましたね。のちに聞いたら、綺麗だなと思って、触ってて、何となく口に入れてみたんですって。そしたら喉に詰まったとか言って。

あとは、そうね。上の娘に関しては一歳ちょっとぐらいの頃かな、テニスしてたので、夫婦で。で、久しぶりにテニスやろうって言って集まって。そこに来てた同僚の人が、「かわいいね、おいくつ?」って娘に言ったんです。そしたらスッゴイ真顔でしばらくフリーズしたあと、立ってたところ、思いっきりお辞儀するみたいに、がばって振りかぶって、自分の靴をね、指差したんですよね。

周りの大人が全員、え? っと思って。あ、「何歳?」じゃなくて「おい“くつ”」って言われたから、靴がこれだっていうふうにして指さしたのかって大笑い、、色々楽しませてもらいました。

JYO-RI:なるほど。へえ。

神山:上の娘に関しては本当に面白い、なんか、うわーって言うことがいっぱいあって。もうだからそんな感じだったからもう、なんだろう、本当に子供って勝手にこんなに楽に大きくなるんだと。反抗期とかイヤイヤ期っていうのを経験していないんですよね、私。

JYO-RI:そうなんですね。

神山:子育てで苦労したという感覚がなくて。なんか、外に連れて行ってギャーギャー騒いで困ったってこともないんです。よくファミレスとかスーパーとかで手を焼いているお母さんっているけど。そんなに子供って騒ぐの?みたいな感じで、、

まあ、のちに、遅れて来た反抗期で中学時代はちょっと苦労するんですけど。当時はそんな感じ。
それに対象的で二人目生まれてきたのが先天性疾患有りの障害児で。なんだろう。まるで逆でしたね。

寝返りは普通の月齢でしたけれど、いつまでたってもお座りができなくて。8か月済んだ頃には、赤ちゃんなのに貧血で。鉄剤飲まされるんですよね。で、離乳食嫌がるので、そのうち食べるだろう、、と、のんびり構えておっぱいだけにしていたら、結局栄養が足りてなくて。実家の母が、何でこの子赤ちゃんなのに、こんなに目の下青いの?って言って。で、それで初めて気付くっていうね。それこそ、そこでも何か、のんびりしてるのを発揮するんですけど。でものちのち、そのお座りできないことがネックで、発達検診っていうとこからちょっとはねられて。別ルートに乗って発達を促す為の訓練が始まって。でも結局そのあと、下の子が2歳のときに、元夫の転勤っていう形で彼の地元である東京に転居するんですが。そのとき初めて、染色体検査とかいろいろして。アンジェルマン症候群っていう、染色体異常の、先天性疾患だっていうのがわかったんです。

JYO-RI:ふうん。

神山:だからそのときに

あっ、、絶対寝ないのも、色がもう真っ白で色素が本当にない、外国人の赤ちゃんみたいに瞳がブルーだったんですけど、そういうのも、お座りできないのも、変なけいれんを起こすのも、全部それのせいだっていうのがそのとき初めてわかって。診断がついた時に、一生言葉が話せない、知的障害ありますよ、、とか、色々聞かされてちょっと一瞬もう愕然として、気が触れたみたいになっちゃって、、診断受けた帰りの車の中で、なんか知らないけどショックを通り越して一人でげらげら笑ってたってことがありましたね。

JYO-RI:ふうん。

神山:ふたりとも全然違うタイプだったので、色々楽しませてもらいました。

JYO-RI:実は何か男の子欲しかったな、3人目欲しかったなとか、その時描いてた子育てと現実との乖離はありましたか?

神山:昔、一度だけ、男の子も育ててみたかったよね、みたいなことは元夫と話したことがありました。なんか結構ね、子供が障害を持って生まれましたって言うと、将来のことを考えて、下にきょうだいを作ろうっていう方たちがやっぱり実際いるんですよ。例えばうちみたいに、上普通の子、下障害がある子ってなると、そこの2人で育ちあうと、将来どうしても上のきょうだいに負担がかかってしまうじゃないですか。なんだかんだ言っても親の方が先に亡くなるので。それを回避するために下にきょうだい作れって言って。

そんなご夫婦も実際いらっしゃるけれども。何か、何かまあ、男の子もね、そういう意味ではなくて男も1回見てみたかったね、なんて話はしましたけど。だからといってそのために、もう一人子供を増やそうとかっていう気になれなくて。上の娘が困らないように他の手段で色々準備は進めて来たつもりです。

その準備のひとつ、、じゃないけれど、東京に来て2年目に、未就学児のための母子分離の療育施設を立ち上げた経験があるんですよ。要は障害のある子の、単独通所できる保育園みたいな。

JYO-RI:はい。

神山:そういうのを立ち上げた経験があって。そこの、私の次女はそこの一期生になるんですけど。卒園して小学校入ったあたりでは、もう先生たちに全部運営をお任せしていて。今、東京都の認証施設になってて。常に入所待ち、みたいな感じになってるんですよね。

JYO-RI:うんうん。

神山:そこを卒業するときに、次は働く場所、住む場所だねって言って、一緒に立ち上げた仲間と一旦離れたってことがあって。子供がね、小中校って進むあいだはもう、本当にもうなんか、息つく間もなく色々なことがあって。すっかり忘れてましたけど。おかげさまで元気に高校卒業して、今施設に通っているので。だいぶ次女自身の体調も安定して随分と楽になったから、そろそろ彼らの働く場所、住む場所だなって思ってます。自分が50才すぎた辺りで、子供はかわいいけれども、ひとり親で、ほぼワンオペで次女の介護をしてきて、やっぱり体力的に厳しいな、、と感じる事が増えてきて。

本当はずっと手元でね、最後の最後まで手元で育てたいと思ってきたけれど、やっぱり現実、私がぽくっと亡くなったら、そのときの長女がどんな状況にせよ、やっぱりひとりでは回せないわけで。

そうすると、行政が介入して、この人がすぐ入れる施設を探しましょう、ってなるんですよね。東京都内はほぼ満床なので、県をまたいで探し出すんですよ。神奈川埼玉あたりだったらまだね、電車で行き来することできるんですけど、そこもまあ、関東圏は、ほぼ近場は空きがないとと思ってた方がよくて。関東圏のはじっこで収まればいいけど、私の過去の経験からいくと、本当に行く先がなくて、北海道まで行っちゃった子がいるんですよ。

それに、、東京にきて次女に障害があるとわかってから今日までの20年で、私、子供たち、そういうね、病気持ってる子供たちを10人ぐらい先に見送っているんですよね。突然亡くなったりとか、もう病状の悪化で入院したまま、とか。そんな感じで先に見送ってる子たちが10人ぐらいいるし。親が面倒見きれなくって、施設入所しちゃった子たちとかっていうのも何人かいるんですね。すっごいやるせない気持ちになって。憲法でね、住みたいとこに住んでいいよって、国民の権利ですよってあるじゃないですか。

JYO-RI:はい。

神山:みんなに等しく与えられてるそういう権利があるのに、この人たちは、自立して生活できないっていうだけで、自分の意思にない、知らないところに連れて行かれて。大体そういうところは山奥なので。やったことない農作業とかをしながら、なんでお父さんお母さんに会えないんだろう?家帰りたいな、とか思いながら、本人もどんどん歳を重ねて亡くなっていくっていうのが、現実問題としてあるんですよね。

JYO-RI:うんうん。

神山:そういうのがすっごい、なんかこう、おかしい、、仕方ない、と言ってしまえばそれまでだけど。誰が悪いわけでもないけど。それってすごくおかしいな、やだな、って。自分の子がそういうことになったら本当にやだな、、と思ったので。親も子どもも、元気で行き来ができるうちに、実家以外の【自分の家】をつくりたい。彼らの住み慣れた地域に、小さくていいからグループホームをたくさん作って、自然なかたちで、例えば入ったら入りっぱなしじゃなくてね、自由に実家とそのグループホームを行き来して、ここが自分の家なんだ、部屋なんだって自然に思えるように。親も子供の様子を見て安心して託せるような場所をつくりたい。

そして、彼らの大半には障害年金というものが支給されてるけれど、それで充分生活できるかといったら、できないですね。外に働きに出れる人たちでも、もらえているお給料ってものすごく少なくて。1万円届かない人とかざらにいますね。うちの子だったら、障害等級でいくと上から2番目に重い重度っていう人たちで、生活介護施設というところに通ってるんですけど。イメージで言うと、2割がお仕事、8割がお遊びみたいな感じのところで。それでも、職員の方たちが、お仕事というものを外部から一生懸命持ってきてくれるので、作業の時間があるんですよね。で、そうだな、年に2回か3回ぐらい、いい月で1000円札が1枚入ってくる。で、それ以外の月は200円だったり300円だったりみたいな。そういうのを作業工賃として持ってくるんです。

JYO-RI:はい。

神山:私が、その働く場所って言ったものでイメージしてるのは、例えば、駅の中にジューススタンドってあるじゃないですか。そんな感じで、駅の近くに、間口ちっちゃくていいから、例えばスープだったらここ、餃子だったらここ、みたいな。1品か2品しかないけど、これだったら絶対ここ美味しいよね、っていうお店

JYO-RI:いいですね。

神山:都内の駅近各所に、そんなお店を作って、そこの利益は働いてくれてる彼らに正当に分配して。先ずは、都の最低賃金ぐらいの収入を得てもらう。っていうのをイメージしてて。だからそこに私が今、料理家として食に関わってることがリンクしてるから。それをやりたいなと思っています。

JYO-RI:へえ、ああ、そうなんですね。

神山:食べることって、絶対なくならないでしょ? 今はね、不食の人っていうのがいて、私も、エネルギー云々とかって言っちゃってるでしょ。不食の人が成立するっていうのも十分わかるんだけど。ほぼほぼ大半の人は、食べることをやめないので。どんなにITが、とかAIが、とか言っても、まあ、なくならないよねっていうので、食べ物に関連したことをやりたいなと。あたり前に地域の中に暮らして、あたり前に地域の人たちと接触して。障害者がやってるお店ですよっていうのを【ウリ】にする気はなくって。ちゃんと、株式にして、正しく利益追求しようと思ってるんです。

JYO-RI:ありがとうございます、ここまでとてもご自身の中で整理されているなと、、

神山:整理されてます?笑

JYO-RI:そう思います笑

未来:ちっちゃくていいから一人でのんびりできる家を探して。そこで誰にも会わずに。のんびりゆるゆるしながらみたいな。

JYO-RI:もし今時間ができて何してもいいですとなった場合、障害者支援事業や料理家みたいな外との接点以外のものだったら、何したいとかってありますか?

神山:う-んと、、そうだな。これも15年位前から思っていることですが、、

一人でのんびりできる家を持ちたい、っていうのがあります。私、葉山に物件を探してるんですね。

JYO-RI:そうなんですね。へえ。

神山:昔、、結婚していて疲れきってたときに、元夫という人が、本当に月金全然家にいない人で、ほぼほぼ毎日午前様で。出張とか接待とかで忙しかったんですけど、、彼の地元なので、東京は、、

JYO-RI:はい。

神山:で、地元に戻ってきたら彼には友達がいっぱいいらっしゃるんで。ほぼほぼ家にいなくって。ごめんねって意味で土日は多分彼なりの家族サービスだったんですけど。毎週土日には、朝の5時にたたき起こされてて。海とかね。つれていかれた。で、たまたまそれで連れてってもらった葉山っていう場所が、何か今まで行った場所と全然違うって感じて。

JYO-RI:はい。

神山:で、ああ、こんなところに将来住みたいなって思ったのが、15年前です。その事を2年前にふと思い出して。

で、うしろが山で前が海、みたいな家。海を眺めながら、のんびりするみたいなのがいいかな。で、だからちょっとその、葉山、一色海岸あたりに、ちっちゃくていいから一人でのんびりできる家を探して。そこで誰にも会わずに。のんびりゆるゆるしながら、、みたいな。

JYO-RI:いいですねめちゃめちゃ。

神山:そういう時間が欲しいですね。

JYO-RI:では、最後に何か言い残したことありますか?

神山:あのね、ご飯食べてくれた人はね、たいがいの人はすごい褒めてくださる。おいしいよ、どんどんもっと外にアピールしなよって言ってくれるんだけど。なんせパソコン苦手だし。自分で自分のこと外に出すっていうのがすごい苦手で。FB、Instagram、note、、色々やってみるんですが、、苦手だから止まってしまって、、noteなんか見てくれればわかるように、もう何ヶ月も触ってなくて

JYO-RI:ははは。

神山:好きなことをただただやってるだけ。だから、もし、あの、、私や、私のやってること、、やろうとしている事に興味を持ってくださる方がいたら、本当、本当気軽に、連絡くださいって感じです。今なにやってるの?とか。そういうことですね。聞いてくれれば何でも答えます、みたいな感じで、、食べ物、、スープなんかもオーダーで、これ作って送って、とか。オーダーでもやったりするので。

JYO-RI:本当にありがとうございました。

あとがき

神山寿恵さん、ありがとうございました。インタビュー日は、元々おうちに神山さん一人の予定だったのですが、ご次女さんが体調不良とのことで急遽面倒を見ながら参加していただきました。面倒を見ながらなのに、一つの質問に対して何かに詰まることなく、ストーリー立ててお話ししていただいた様子から何度も反芻して今の考えに至り、これからもアップデートしてご活躍されていく方なんだな〜とお見受けしました! 60分というインタビューで全てを知るのには、あまりにも短く聞き足りないところもたくさんありました。しかし、その続きが気になる感じが、また面白さであると感じました。
ここからは自分の独り言ですが、何度も何度も反芻することで、ありがたさを実感する、それも幸せだけれど、そもそも何度も反芻する状況にいない方が幸せなんじゃないだろうかとも思います。私自身は、学生時代に家族関係で悩み苦しんだことがあり、悲劇のヒロインになってしまったこともありました。しかし、完璧な家族はいないですし、子年齢=親年齢だと恩師が教えてくれてから、「みんな何かしら抱えてるもんな」と少し俯瞰した目線で世界を捉えることができました。ただ、このように少し視座を上げて世界を見るとその瞬間は少し楽になって納得感を覚えるけれど、それに慣れてしまうと段々またダメになっていく、、この「知らぬが仏」的な現象です。まあまあでもどっちでもいいんです、一度見てしまった世界の捉え方を忘れることはできないので・・・笑。
ですが、無名人インタビューで本当に色々な人生を知ることで、自分の許容範囲も広がり、その幸せ度合いを図る指標がいくつもできて固執しなくて済む気がします。うんうん笑。これが私がインタビュアーとして関わらせていただいている一つの目的でもあります。また次回のインタビューもお楽しみに〜〜! JYO-RIでした。

【インタビュー・編集・あとがき:JYO-RI】

【文字起こし:あおい】

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