突っ走る人生で一生を終えたい人
むかしむかし、ある山里に、疾風(はやて)という名の若者が住んでいました。疾風は朝から晩まで走り続け、一時も立ち止まることがありませんでした。
「疾風よ、少し休んではどうだ?」と村人たちは心配しました。
しかし疾風は笑って答えました。「立ち止まっている暇はございません。やりたいことが山ほどあるのです」
疾風は畑を耕し、山を登り、川で魚を捕り、夜には星を眺めながら走りました。転んでも起き上がり、また走り続けました。
ある日、村の長老が尋ねました。「疾風よ、そんなに急いでどこへ行くのだ?」
疾風は答えました。「どこへ行くかは分かりません。ただ、この命が尽きるその時まで、全力で駆け抜けたいのです」
長老は静かに微笑みました。「なるほど。お前は大切なことを知っているな」
「何でございましょう?」
「人生は限りあるもの。ならば、その一瞬一瞬を全力で生きることこそが、最高の供養だということを」
やがて疾風は年を重ねましたが、最後の最後まで走り続け、笑顔のまま大地に倒れました。
村人たちは語り継ぎました。「疾風のように生きた者は、後悔なく旅立てる」と。
そして「突っ走る者には、悔いなし」ということわざが、この里から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年11月13日09時06分に書く無名人インタビュー1203回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 壽倉雅 さんです!
年齢:30代前半
性別:男
職業:脚本家&ライティングスクール講師
X:https://x.com/sukuramiyabi113
Instagram:https://www.instagram.com/sukuramiyabi113/
現在:やっぱり一度書き始めたものはどんな内容であれ、もう終わりっていう字をちゃんと書き切るまではやろうってずっと。
qbc:今何をしている人でしょうか?
壽倉雅:はい。私は今脚本家と、文章とか作文を教えるスクールの講師をしています。
qbc:どういった脚本なんでしょうかね?
壽倉雅:もともと最初はYouTubeドラマで脚本家デビューをして。後は配信映画だったり、舞台の脚本が結構中心といいますか、多くなってきましたね。
qbc:先生の方はどういう風な?
壽倉雅:夏休みだと子供達に学校の作文を教えたり。あと脚本とか小説みたいな、カルチャースクールの延長線のようなイメージで、創作の授業を担当したりといったことを主に教えている感じですね。
qbc:どれぐらい前から今の状況というか。
壽倉雅:脚本家自体はもう十年近くにはなって。スクールは、コロナが出始めた頃なんで、まあ五年ぐらいには多分なりますね。
qbc:はいはい。その他やられていることって言ったらどんなことをされてます?
壽倉雅:脚本家としてデビューしたのが専門学生の時だったんですけど、専門学校の学部というか専攻が文章だったので、ライターの仕事もちょっとやってた時期もありましたし。あとフリーペーパーとか、そういう雑誌系の編集とかもやってましたね。
qbc:あ、現在だと何か他に?
壽倉雅:今は本当にもうこの脚本とスクールが全体というか、主な活動になるんですけど。
qbc:何か仕事だけではなくて、日常でお風呂入ったりとか、ご飯食べたりみたいな生活時間があると思うんですけど、何されてます?
壽倉雅:そうですね。結構小説を今年に入ってから最低十ページは読もうっていうのを始めて。
qbc:小説を読む方?
壽倉雅:はい。
qbc:あ、はいはい。その他何かあります?
壽倉雅:私が脚本家としてのアカウントでYouTubeを去年から始めて。その撮影とか編集もちょっと空いた時間にあったりとか、そんなこともやってますね。
qbc:趣味とかっていうと何があるんですかね?
壽倉雅:趣味はよく料理とかはしますね。お菓子作りもしますし、お吸い物とかそういった出汁を使った煮物とか、どっちかっていうと和食中心ですかね
qbc:小説はどんなの読まれてるんですか?
壽倉雅:結構幅広く読んでて、ミステリーも読みますし、最近だとちょっとヤング寄りの、転生ものだったり。魂がなんか古代とか古い別の人に転生して、新しい人生を送るみたいな、そういった小説も最近読みましたね。
qbc:あ、単純になろう系を読まれてるってことですか?
壽倉雅:あ、そうですね。なろう系というかそういう投稿サイトからデビューした方の作品をちょっと読みましたね。
qbc:一日の生活時間ってなんかどんな感じの使い方ですか?何時に起きてみたいな。
壽倉雅:だいたいまあ、一日の生活で言うと、七時ぐらいに起きて、今いるここが家の離れのプレハブの事務所で普段ここで仕事してるんですけど。なので、もう出勤時間っていうのも特にないもんですから、大体八時半とか九時ぐらいから。ここの事務所にこもって原稿を書く仕事したりとか。こういう形でリモート会議みたいなところで会議したりとか、来客があったら来客対応もしたりとかっていう感じなんで、外に出て打ち合わせすることもあるんですけど、結構本当にここの事務所でこもって執筆をする時間が多いですね。夕方六時から七時ぐらいまでここに、っていうような感じのスケジュールですね。
qbc:その後はどうされますか?
壽倉雅:そのあとは晩御飯とか。小説は仕事する前に読むんです。朝の大体八時から八時半ぐらいに大体30分ぐらい時間作ってそこで読むんですけど。で、それで、一日仕事して、仕事終わったらご飯とかお風呂入ったりとか。あとずっとテレビが好きなんでテレビとかニュースとか、ちょっと録画しておいたアニメなりテレビドラマ見るみたいな感じですね。
qbc:夜は何時ぐらいですかね?
壽倉雅:結構不規則ではあるんですけど、どうだろう。遅くてもまあ一時とかには多分寝ますかね。
qbc:お休みって取られてます?
壽倉雅:結構前まではもうほぼほぼ休みなしみたいな状態だったんですけど、それでちょっと体壊しちゃったこともあったので。なんでそれで一週間に一回は最低休むというか、本当になんていうんですかね、オフの日っていうとちょっと大げさですけれども、仕事をしない日、仕事について何も考えない日みたいなのはちょっと作るようにはしましたね。
qbc:それはいつ取られてるんですか?
壽倉雅:だいたい土曜日か日曜日とか。本当に休日っていうところで休む日っていうのは、作るようにはしてますね。
qbc:はいはい。今、日々どのような気持ちで生活されてるんですか?
壽倉雅:そうですね。本当に実際自分が体調を壊したっていうことがあったので。なんで本当に何だろう?どう言ったらいいかな?一日ちゃんと楽しく過ごしたっていうとちょっとなんか軽く聞こえちゃうかもしれないですけど、でもちゃんと一日体調を崩さずに過ごせたらいいかなみたいな感じなんですね。今の感覚としては。
qbc:体調を崩したっていうのはどんな感じになったんすか。
壽倉雅:もうちょうど二年経つんですけど、分かりやすく言うと本当にだいぶ精神的に参っちゃって。重たい話になると、自殺を考えちゃってた時期もあったりとか。そのちょっと前に専門学校時代の親友が病気で亡くなっちゃったこともあって、そういういろんなことが重なっちゃったんですね。それでだいぶ、今は復帰しましたけど、本当に仕事も手につかないし、脚本とかスクールの授業も当然できるような状態でもないし、っていうのが続いちゃってて。それでちょっと数ヵ月ほど、半年は経ってないかな。数ヶ月ほどちょっと充電期間ってわけじゃないですけど、静養期間みたいな感じで休んでたんですけれど。
qbc:なるほど。脚本を書き始めたきっかけっていうとどんなもんだったんでしょう?
壽倉雅:脚本というか物語とか創作を初めてしたのは、小学校の四年生だったんですけど。そのきっかけが当時小学校の国語の授業で、小説みたいな物語を単元でやることがあるんですけれど。それで当時の担任の先生が音読をして最初の授業で感情移入をしすぎちゃったのか、途中で先生が泣いたんですよ。本を読んでる途中に。で、当時小4だったので10歳とかだったんですけど、もう子供ながらに何で先生泣いてんだろうって、最初は思ったんです。ちょっと経ってから、「あ、文章だけで人を泣かせたり笑わせたりすることってすごいな」っていうのが、最初のきっかけみたいな感じになって。
qbc:ちなみに先生は何を読んで泣いてたんですか?
壽倉雅:確か、『夏の忘れもの』っていう国語の教科書に載ってた小説で。おじいちゃんが亡くなっちゃうっていう、家族のそういう、短編小説みたいな感じだったんですよね。お盆の夏のある日にずっと一緒に家に住んでたのおじいちゃんが亡くなって。おじいちゃんの麦わら帽子が形見になるみたいな、本当教科書に載るような短いお話でしたけど、そういったお話で。後からその先生に何年か経ってから、親交があったんで聞いたんですよ。「なんで先生、あの時泣いたんですか?」っていうふうに。そしたら三世代で暮らしてて、その先生自身も。それで昔亡くなったおじいちゃんのことをなんか思い出しちゃったから、涙が出たって記憶をしてるみたいな感じのことを先生はおっしゃったんです。それがきっかけで、自分で物語も書くようになったっていうだけですね。
qbc:すぐ書くようになったんですか?
壽倉雅:はい。もう四年生の時に大学ノートみたいなやつで、小説を書き始めてみたいな感じがもうずっとやってましたね。
qbc:どんなの書かれたんすかね?最初。
壽倉雅:どんなの?結構本当にもう何十年も前の記憶なんで、うろ覚えなんですけど。でも、ちょっと病気系のそういうお話だったのが中心だったり。あと必然的に家族のお話が多かったなっていうのがあって。それこそ私、脚本家の橋田壽賀子先生を尊敬してたもんですから。本当にそういう嫁姑的な、家族の若干古い価値観もあるよね、っていう感じのホームドラマを結構。テレビっ子だったんで見てた影響もあって、それでちょっと家族路線、ホームドラマっていうジャンルですけど、小説とか脚本とかをその頃から書くようになってました。
qbc:え、『渡る世間は鬼ばかり』ですよね?
壽倉雅:あ、そうです。
qbc:何歳ぐらいの頃から見てたんですか?
壽倉雅:もともと親が見てたのを一緒に見始めたので、本当に多分物心ついてた時からそういうテレビを見てたので、小学校の低学年ぐらいからは見てたんじゃないかなっていうのがあって。だから、なんとなく内容を全部理解してるわけじゃないけど、ちょっとこのドラマ面白そうだなみたいな感覚で見てたんですけど。
qbc:なるほど。ちなみに他に並列で見てるものってありました?その時になんか他にやってたドラマって。
壽倉雅:あ、でも『ごくせん』とか『金八先生』とか。ちょうど私が中学校の卒業のタイミングで『金八先生』が終わったのを覚えてるんですよ。あと時代劇も見てましたね。当時私が小学校で歴史の授業が好きになったきっかけは、それこそ当時だと『大奥』とかがやってて。で、当時だと月曜日に『水戸黄門』とかもまだやってた時代だったので。結構本当にテレビ子っていうか、ドラマっ子な子供でした。九時とか十時のゴールデン枠だと意外とクラスの子たちも歴史好きとか好きな俳優さんとか女優さんが出てると意外とそういう時代劇を見てる子が何人かいたので、だいたい次の日の朝の教室の会話は「昨日あれ見た?」みたいな感じのことはよくありましたね。
qbc:はいはい、なるほど。で、最初の頃に書いてたものっていうのは、家族のことを書いていた?
壽倉雅:そうですね。小学校とかに書いていたのは家族ものでしたね。
qbc:どんな内容っていうと、渡る世間は鬼ばかりみたいなこと?
壽倉雅:あ、いや、それこそその先生が泣いたお話みたいな感じで、ちょっと命に関わる、余命宣告とかなんかそういうちょっと病気系のものを確か書いた記憶がありますね。そういう系ばっかり書いてると、内容重いやつばっかり続いちゃって。ちょっと気分転換に新しいのを作ろうと思って、嫁姑じゃないけど、そういう家族の自営業の後継者になるならないみたいな、そういう親子のお話みたいなのは書いた記憶がありますね。
qbc:どれぐらいのボリュームのものだったんですかね?
壽倉雅:ボリュームはどうだったかな?原稿用紙だと市販とか文房具屋さんとかで売ってる原稿用紙だと1セットでだいたい40枚とか50枚なんですけど、あれが確かね2袋ぐらいだったかな。多分100枚ぐらいはその時にもうすでに書いてた記憶がありますね。
qbc:どんな気持ちで書いたとかって覚えてらっしゃいます?最初。
壽倉雅:どんな気持ち、、
qbc:はい。
壽倉雅:でもなんか基本的に今もそうなんですけど、やっぱり一度書き始めたものはどんな内容であれ、もう終わりっていう字をちゃんと書き終わる、書き切るまではやろうっていうのはずっと当時からのポリシーってわけじゃないですけどそれを思ってる事なんですよね。だから、途中でなんかまあ未完のまま終わるとか投げ出すっていうことはしたくなくて。
qbc:はい。はいはい。
壽倉雅:まずはもう書き終えるぞっていうのがもう前提にずっとあって。で、それで書き終えたっていう達成感っていうのは、それは短い話でも長い作品でも一つの物語を作るっていうことは同じなので、そこでまずは書き終えるぞっていう気持ちで臨むみたいな感じですかね?
qbc:初めて作品が出来上がった時っていうのはどんな感情だったかって覚えてらっしゃいますか。
壽倉雅:感情、、でもすごく大仕事を終えたような感覚になったのはありますね。まあ当然小学校なんで普通の宿題とかでも、そんな長い原稿用紙書かないもんですから、本当に長期間に渡ってかかった自由研究とか宿題が終わったような感覚だったような気がしますね。
qbc:最初から人に見せたりとかされてました?
壽倉雅:あ、でもその担任の先生、さっき言ってた担任の先生には見せてましたね。
qbc:なるほど。ちなみに今も先生とは交流あったりするんですか?
壽倉雅:そうですね。今も連絡を取り合って。四、五年前に定年退職をされて、今は確か再任用で非常勤みたいな形で、学校にお勤めらしいんですけど。
qbc:なるほど。ちょっと話がずれて、性格とかって人からなんて言われたりします?
壽倉雅:性格は、でもなんか真面目と天然っていうふうによく言われますね。仲のいい友達からは。すごく真面目な雰囲気なのに急にぼそっと、は?みたいな、天然なこと言うなみたいな感じのっていうふうにはよく言われますね。
qbc:自分ではどんな性格だと思いますか?
壽倉雅:でも私はね、自分で別に真面目とは思わなくてどっちかっていうと、楽天家みたいな感じだと思ってて。学校とかでもそうでしたけど、友達と普通に喋ってたりすると、どんな面白いことを言ってやろうかなとか、そういう結構どっちかっていうと、真面目よりかは自分の中でそういう、なんだろうまあギャグ要員とかコメディ担当じゃないですけど、笑わせたいっていうタイプだって自分では思ってるので。
qbc:距離の近い人、家族だったり、パートナーだったり、親友とか、近い人から言われる性格の一面とかってあります。
壽倉雅:でも家族からはまあ楽天というか、明るいねって言われますね。だから家族は多分真面目とは思ってないと思います。
qbc:なるほど。ちなみにどこが真面目に思われるんだろう?みたいなのってあったりします?自分の中で。
壽倉雅:あれですかね?もしかすると、友達の誕生日とかになるとちゃんと午前零時のタイミングでおめでとうって連絡を送ったりするところとか。日付変わった瞬間におめでとうって送って。あと、それこそ結婚したりとか、友達自身におめでたいことがあると、すぐちょっとしたお祝いなんかを持ってたりとか、そういうところなのかなっていう気はしますね、自分では。
qbc:自分は何をしてるのが一番好きだなっていうのはありますか。
壽倉雅:一番だとちょっと難しいんですけど。でもこう人と話すことが一番好きなのかなっていう気はしてて。当然仕事柄一人でいる時間の方が多いし、逆に一人でいる時間もいいんですけど、結構自分自身寂しがり屋な時も出てくるので、いざぱっと一人の空気になると寂しい時もあったりするので。誰かと話してるときは結構楽しいですね。仕事のことでも、学校のことでもいろんな話しますけど、人と話してると今自分生きてるなみたいな感じになるんですよね。ちゃんとコミュニケーションとって人と話してるっていうことが、なんか今ちゃんと自分生きてられる証拠だなっていうのはありますね。
qbc:何が好きなんですかね?話してることで、っていうと。
壽倉雅:その空気感ですかね。結局ワイワイ喋ってもあとになったら何喋ったっけ?みたいな感じで内容も全部はっきり覚えてないぐらいなので、本当にそういうその場の雰囲気が好きなのかもしれないですね。何の気兼ねもなく、遠慮もなくワイワイこう楽しめる雰囲気っていうんですかね?そういうのが多分好きなのかもしれないですね。
qbc:好きな食べ物はなんでしょう?
壽倉雅:食べ物はですね。もうこれすごく公表してるんですけれど、私はチョコレートとイチゴが大好きですね。
qbc:あ、なるほど。どんなチョコ、どんないちごの食べ方とか?
壽倉雅:結構単体としてでも好きなんですけど。製品名言っちゃうと、アポロチョコレートとかメルティキスみたいにチョコレートの中にそのイチゴ味があるよみたいな、そういったものも好きですね。
過去:あんたの人生なんだからマイペースで行ったらいいよっていうふうに。結構その言葉は結構今でもはっきり覚えてて。
qbc:子供の頃はどんなお子さんでした?
壽倉雅:子供の頃は、親から聞いた話だとあんまり外に出たがらなかったっていうふうに言われてるんですよ。近くの公園とかに遊びに行かしたりしても、滑り台とかに乗せても全然やりたがらなくて、砂場に行くと砂でなんか作ったりしてるような子供だったと言われてて。家でもテレビ付けてるとおとなしくずっとテレビ観てたみたいな感じだったので、だからそんなにがっちり体を動かすのは苦手だったんだなっていうのは当時から思ってて、今でも本当にあんまり体を動かすのは苦手だし、子供時代も体育の授業だけは本当に成績がひどかったくらいだったので。そういうなんかおとなしいというか、あまり体を動かしたくないタイプの子供だったかもしれないです。
qbc:好きな遊びって覚えてます?
壽倉雅:遊びは、幼稚園時代で覚えてるのは外では遊ばなかったなっていう記憶があって。で、逆に仲のいい男の子とか女の子と一緒にいろんな食べ物のおもちゃで、要するにおままごとってあるじゃないですか、幼稚園の子供の遊び道具で。結構それをみんなでやってた記憶がありますね。
qbc:おままごと?
壽倉雅:みんなでお父さん役、お母さん役みたいな感じで。クレヨンしんちゃんのしんのすけとか幼稚園の友達がやってるみたいな感じで、何か設定考えて。みんなでお父さん役は誰、お母さん役は誰、子供役は誰、みたいな感じでやって。それでなんか一つの、即興劇って言ったらまあそれに近いのかもしれないですけど、それをやるのが好きだったのかなっていうのはありますね。
qbc:誰とやってた?
壽倉雅:幼稚園の多分同じクラスの男の子と女の子の仲の良かった友達だったと思います。
qbc:何人ぐらいでとかって覚えてます?
壽倉雅:でもそんな多くはなかった。多分五人とか六人だったような気がします。若干うる覚えな記憶なんですけど、それぐらいだった記憶がありますね。
qbc:小学校の時はどんな感じの?
壽倉雅:小学校は、、でもそうですね。小学校から文章とか本を読むようになったので。まあ文学少年とまでは言いませんけど、本当にね休み時間も教室で友達と喋るか、本を読むかぐらいだったり。でもその辺からよく学級代表ではないですけど、委員会の委員長副委員長みたいな、俗に言うリーダー職とか役職というか、長のつく、そういうのをやり始めたような記憶がありますね。通学の登校班長とかいったものをやり始めたのが多分小学校時代ですかね。
qbc:どうしてそういうのをやったかって覚えていらっしゃいます?
壽倉雅:自分でやりたい委員長とかは、結構自分で立候補をしてたこともあったんですけど。中学校の頃だったかな、友達に頼まれたこともありましたね。
qbc:友達に?はいはい。
壽倉雅:学級代表が決まって、その次のサブリーダーの役を決めるのに、誰もクラスで立候補をしなくて時間だけが過ぎちゃって、一回休み時間になっちゃったんですよ、決まらずに。で、休み時間の時にその学級代表になった友達に呼ばれて「頼む。ちょっと副リーダーやって」っていうふうに。
qbc:あーなるほど。
壽倉雅:友達だったんで、その学級代表の子が。「ああ、じゃあまあいいよ」っていうふうにその場で言って。で、休憩時間終わって、「じゃあ副リーダー立候補いますか?」って先生が言ったら、「はい!」って感じで話し合わせて、自分で手あげてみたいな感じでしたね。だから自分で本当にやりたいっていう時もあれば、周りから頼まれてこの役やってみたいなっていうのはありました。
qbc:はいはい、なるほど。中学校はどんな感じの?
壽倉雅:中学校からより本格的にそういう学級代表的なそういうものも増えて、部活の部長もやってたので。結構その辺からなんかリーダー職とか役職が増えてきたなっていう。でもそれでも本を読んだりとか、友達とワイワイやる時間っていうのは変わらずにやってはいたのでそこの大きな極端な変化っていうのはなかった。でもあれだな。ちょっと前後するんですけど、小学校五年生の時からうちの父親が仕事の都合で単身赴任になっちゃって。母親と弟と自分の三人暮らしがずっと続いて、それが高三まで続いたので、中学校の間も、父親がいないってことで、弟にとっては父親代わりみたいなポジションになったっていうのはちょっと大きかったですかね。
qbc:あーなるほど。なるほど。お父さんはちなみにどれぐらいの頻度で帰ってきたとかって覚えてらっしゃいます?
壽倉雅:もう遠かったので、三ヶ月か四ヶ月に一回帰って来るぐらいでしたね。たまにね電話で話すことはありましたけど。家に帰ってきたっていうのは、当時だと三、四ヶ月に一回、こっちへの出張をついでに帰ってくるみたいなっていうのはありましたね。
qbc:部活は何されてたんですか?
壽倉雅:部活はパソコンの部活にやってましたね。
qbc:パソコンの部活ってどれぐらいのことまでやるんですか。
壽倉雅:学校のホームページを更新したりとか。あとパソコンのP検っていう検定があるんですけど、そういう資格取得をするみたいな。そういう部活でしたね。
qbc:なるほど。高校の時はどんな感じの?
壽倉雅:高校も実質中学の延長線みたいな感じになって、部活もそういうパソコンの部活で同じように検定をひたすらやるみたいなものをやってましたけど。本当に高校がね、一番役職が多かったかなっていうのがあって。同じ時期にクラスの学級代表と部活の副部長と生徒会役員をやった頃があったんですね。それは全部立候補で自分でやるって言ったんですけど。生徒会役員の時は選挙をやるんですよ、生徒会なんで。定数より多いと選挙で投票になるんですけど、二年生の後期で役員選挙に立候補したときに六票差で落ちたんですよ、私。もう、「うわああ」と思って。で、もう一回リベンジするかってなって、三年生の前期のタイミングでもう一回出ました。それに選挙の時には応援演説っていうのをしてくれる人が必要なんですけど、クラスの仲の良かった友達に最初にお願いをして。で、二回目の時はどこで聞きつけたのかもう一回自分が立候補するっていうの聞いた別のクラスの友達が教室まで来て、演説やるっていうふうに言ってくれたので、「いや頼むわ。本当にお願いします」ってこっちもお願いしてやってもらいました。結構高校生活は本当に忙しかったけど、やっぱり楽しかったのはそういう周りの中の方達の人間関係に恵まれたからかなっていうのは思いますね。
qbc:はいはい。その時もずっと小説は書かれてたんですか?
壽倉雅:書いてましたね。で、その時から小説と、小説以外にも脚本を書き始めたんです、高校の時に。
qbc:はいはい、それはどんなきっかけで?
壽倉雅:高校になると進路の話になってくるので、脚本家になりたいっていうふうに思うようになって。で、当時クラスの友達にも思いっきり「いつか大河ドラマ書くから」っていう風に豪語してしまったんです。それで脚本家を目指そうと思い始めて原稿を書いて。で、今日ここまで書いたみたいな、進捗みたいなのをブログで書いてたんですよ。今日新作書き始めて今何枚目まで来ましたみたいなことをブログで書くと、同じクラスの友達でブログやってる子からコメントが来るんですよ、そこに。「書き終わったらそれ読ませて」って。そのまま一個書き終えると、教室で会うので、その友達に当然クラスメイトなんで、封筒に入った手書きの原稿を渡して「無事にこれ一個書き終えたよ」みたいな感じの話をしたりとかっていうのをやってましたね。
qbc:え、その時はどんなの書かれてたんすか。
壽倉雅:その時はね、学園ものを書き始めてて。で、自分が脚本家になるって宣言しちゃっているので、知ってるんですよ、クラスの大半が。「あいつ脚本家になるつもりで今書いてるらしいぞ」いうふうに。そうなると逆に要望が来るんですよ。「このクラスのこと書いてよ」とか「こういう学園ものあったら面白そうじゃねえ」みたいな感じで。こう友達から逆にアイディアとかヒントをくれたりするので、「あ、それいいね」みたいな感じになって、教室がいつの間にか創作の作戦会議みたいなことになることもあったりとかはありましたね。
qbc:その後の進路進学は?
壽倉雅:専門学校でシナリオの学部があるところに行って。で、そこで本格的にもっとシナリオとかほんと文章全般をまあ学びましたね。
qbc:どうでした?最初実際に勉強されて。
壽倉雅:そうですね。シナリオの専攻って言ってるんですけど、シナリオ自体の授業は実は二年生からで。一年生は本当にそれ以前の基本的な、『創作とは』とか『アイディアをどうする』とか。あと本当に作家の根本的な、どっちかっていうとシナリオというかライターとかなんかそっち系のやつだったんですよ。「こうやって記事を書くんだよ」とか「小説とはこうやって書くんだよ」みたいな。文章の基本、出版社勤務の先生もいらっしゃったので、雑誌を作ったりとかして、「ここの表現は漢字にする、ひらがなにする」って俗に言う「ひらく」とかそういう業界の専門用語もそこで教わったりとかして。小説だと三人称とかそういう人称の違いとか、「三人称だとややこしくなるから、初めて書く場合は自分視点のやつがいいよ」みたいに教わりました。脚本以前の物語を作るためにはみたいなっていうのを一年生の時にやって。で、二年生からシナリオの授業が始まりました。
qbc:なるほど。学生時代はどんな感じだったっていうか、学生生活自体は?
壽倉雅:多分私の中で一番輝いていた時期だったかなっていうのはあって。それこそシナリオの授業が二年生から始まったんですけれど。別の専攻で、映像専攻があったんですね。そういうカメラとか映像とかの専攻があって、向こうの友達から、学生で自主制作の中のドラマを作ろうよみたいな感じで提案してきたんです。その子が監督とカメラマンをやるからじゃあちょっと脚本を書いてよっていうふうに依頼が来て。まあ一種の制作チームみたいな実行委員会が立ち上がって、それで一緒にドラマを作りました。学校の話で言うと学園祭とか新入生歓迎会とかの実行委員会の主要メンバーに立候補していて、周囲の友達たちと一緒にイベントを盛り上げるみたいなとかもやったので。高校までは基本的に休みの日はずっと家にいて原稿を書くとか本読むみたいな、どっちかというとインドアだったんですけど、専門学校入ったら、高校までは地元の高校だったんですけど、専門学校でちょっと街に出たことで、都会に染まったわけではないんですけど、外に出ることにあんま抵抗を感じなくなって。それで、普通に休日とか学校の授業がない日も学校へ行って、友達と何かをやったり、イベント事をやったりという感じで、専門学校の三年間で、より遊ぶことを覚えたというか。それでだいぶインドアからアウトドアになって。で、年齢も20歳超えたんで、学校帰りにみんなでちょっと居酒屋行って飲みに行くとか、そういうこともするようになってっていう感じですね。
qbc:その後はどうなってくるんですかね?
壽倉雅:在学中に脚本家と、連載小説の作家デビューが決まって。そのまんま私、どっかに就職ということをせずに、もう個人事務所というか個人事業って形でスタートしたんですね。専門学校卒業した後はもう今に近い感じで、脚本とか、文章を書くライター業をスタートさせたっていう感じですね。
qbc:はいはい。どんな感じでした?どっかに所属するわけじゃないじゃないですか。
壽倉雅:でも不安でしたね。ずっとこれまで同級生とか、誰かと一緒に何かをするっていうのをやってきたので。卒業してぱっと一人になって、誰もいなくなっちゃったみたいな感じの不安はあったんですけれど。それでも地元だったり、名刺交換会みたいなところに行って顔を出して、制作会社とか代理店さんと知り合って、そっからお仕事のご依頼をいただくとかいう形で、一人で営業マンとまでは言いませんけど、営業活動みたいなこともしていましたね。
qbc:そのあとはずっと順調に進んでいくというか?
壽倉雅:そっから三、四年経ってからコロナが出始めちゃって。で、当然スケジュールが真っ白になったわけですよ。当時、外出もあんまり不要不急の外出控えてくださいとか、今よりかはちょっとコロナっていうのが脅威のものになっちゃってたんで。ちょうど志村けんさんが亡くなった前後だったので、すごく「コロナってやばいものなんじゃないか?」みたいな、そういう空気感だったんで。だからそれこそイベント関係の仕事もあって、原稿書いたりとか当日販売するパンフレットの制作とかもあったんですけど、全部延期か中止になってしまったので、すごく不安な時期があったんです。専門学校を卒業してからの数年は営業活動だったり、何かしらスケジュール帳には予定があったんですけど、全部コロナで中止になって、本当にスケジュールが真っ白になって、何も今仕事してない状態になっちゃってたんですよね。でもこれじゃだめだってなったし、逆にこのタイミングだからこそできることもないかなみたいな感じで、zoomとかオンラインが逆に主流になってきたので、遠方の人にも教えられるようにって、オンラインスクールを立ち上げようと思い始めました。
qbc:あー、なるほど。この後はどんな感じで進んでいくんですかね?
壽倉雅:オンラインの仕事だったり、マスクとか感染対策とかガイドラインが出始めて、コロナとの共存みたいな感じで向き合いながら、こっちもなんとかその仕事と向き合っていこうと思ってた矢先に、私も一回コロナに感染して。あの時まだコロナが出て一年経つかたたないかぐらいだったんですよ。まだそこまで周囲の仕事関係とか同級生たちでもまだコロナになった人いなかったんです。で、家族感染でもらっちゃって。だからどんなに対策してもかかっちゃうよこれっと思って。友達とかに公表したら、それちょっと大変じゃんみたいな感じになって。「せっかくそういう文章を書いてるんだったらその体験談を書いたら?」みたいな感じで勧められて、日記とは言いませんけど、体験記みたいなのを書いて。それを発信したら、友達とかからもちょっと経ってコロナになったときに、保健所に連絡する前の、相談アイテムみたいな感じで連絡がかかってきて。「あれってさ、濃厚接触になるよね?」みたいな感じで相談を受けたりという時期もあって。本当にコロナと向き合いながら仕事もするみたいな感じでしたね。
qbc:はい。はいはい。
壽倉雅:本当に体調面では問題はなかったんですけど、嗅覚と味覚が分からなくなる症状が一週間ぐらい続いたんですよ。体調面は問題なかったんですけど、仕事も当然直接は会えないので、向こうに事情を話して、会議リモートで参加しますっていうふうに言って、仕事は通常通りやったんですけど。で、そうなると、その辺から第三波みたいな感じになって、結局周りもコロナ増えてきてるみたいなっていうのがあったんで、仕事のスケジュールも、本当ならこれまでに完成しなきゃいけないものがコロナになっちゃったっていう影響で大幅にずれるみたいな。そういうスケジュールがコロナによって振り回されるっていうのはちょっとありましたね。
qbc:ちょっと方向性が変わって、ご両親からどのように育てられたと思ってらっしゃいますかね?
壽倉雅:結構のびのびとやらせてもらったかなっていう。あんまり自分がすることに対して反対することはなかったですね。それは子供の時とか、例えば部活を何にするだとか高校の後の進路どうするかみたいなっていうのも基本的にはもう尊重してくれたというか、「お前がそう思うならやってみたらいい」みたいな感じでしたね。
qbc:人生の転換点っていうと、どこにあったと思いますかね?
壽倉雅:転換点は、でもそれこそ二年前の体調を崩した時が多分一つのタイミングかなとは思ってて。ずーっとひたすら走ってきて、「ここで自分も終わりかな?」みたいなふうになっちゃったんですけど。でも、そこで数ヶ月の静養を経て復帰をしたっていうところだったんで、一種の生まれ変わったつもりで、今は仕事とかもやってはいるんですけど。逆にあの時体調を崩してなかったら、逆に今の自分はないと思ってるんですよ。
qbc:はい。はいはい。
壽倉雅:精神的なものもあって、休んでる間は遠方の父方の祖父母の家に静養としてずっといたんですけど。そこでも祖母に言われたんです。「これから生まれ変わって、またやったらいいよ」って言ってくれて。「あんたの人生なんだからマイペースで行ったらいいよ」って。結構その言葉は今でもはっきり覚えてて。
qbc:あ、それ誰から言われた?
壽倉雅:おばあちゃんから言われましたね。
qbc:おばあちゃんから。
壽倉雅:私から言えば、当然もう50歳近く上の祖母ですからいろんな人生経験もあるし、ましてや祖母は戦前生まれですからね。ほんと暮らしの面でも、生まれた当初、ちっちゃいときはお父さんの顔を知らないらしいんですよ。出征したあとに自分が生まれたので。当時の戦中戦後の辛い経験をしている祖母だからこそ、そういう人生経験があるから言ってくれたんだと思うんですけど。今と昔は当然暮らしも違う中で、それぞれ色んな悩みとかがある中で、そういう幼少期の経験を経て、もう80何歳に今はなって。本当にそれまで全く祖母のところでずっとお世話になったことはなかったものですから、だから多分向こうも逆に80何年やって、孫とこんな一緒に長く暮らせる時間ないからってことで、逆にそこはもう歓迎してくれたんです。「こんなにあんたと二人で話すことなかったもんね」みたいな感じで言ってくれて。すごく本当にあの時助けられたというか。祖父もいるんですけど、祖父は結構寡黙な人なんであんまり喋らない。でも、祖父母と一緒にいる時間っていうのはすごく安らぎの時間だったというか、現実逃避ができた時間だったので、そこで静養して、生まれ変われたのかなっていうのはありますね。
未来:私の中では書くことっていうのは、すなわち生きることそのものだと思ってるんですよ。
qbc:未来について聞いていきたいんですけれども、5年10年30年、最後自分が死ぬっていうところまで、イメージして、今どんな未来をイメージされてますかね?
壽倉雅:もう私の中で生きることがイコール文章を書くことだと思ってるんですよ。だから多分これからも生涯現役で文章を書き続けたいなとは思ってて。それこそ、小学四年生から文章を書き始めて、もうずっと当たり前の存在だったんですね、文章を書くことっていうことが。だから、それがなくなるのはもう考えられなくて。で、それこそさっきの静養期間の間もなんだかんだで、実は頭の中では書くことを考えちゃったりとか、祖母の人生経験の話を聞いてメモって、「これなんかの作品使えないかな?」みたいな感じのことも考えちゃってたぐらいだったので。だから私の中では書くことっていうのは、もうすなわち生きることそのものだと思ってるんですよ。私今年30歳になるんですけれど、人生百年と考えても、あと70年もあるし、80歳前後と考えても、それでもまだあと半世紀以上はあるんで、時代に合わせて、いろんな文章を書いていろんな作品を書けるといいなっていうのは思いますね。
qbc:どんな作品を書かれることが多いんでしょうね。
壽倉雅:多分それって時代によって変わってくるかなと思ってて。それこそ学園ドラマ一つとっても昔の学園ドラマと今の学園ドラマと全然違うので、未来のまた新しい学園ドラマだったり、あるいは全くそういう新しいシチュエーションとか設定が多分今後未来発展してた時に生まれてくると思うので。その時代だからこそ書ける作品があるかなと思って、時代と向き合っていこうかなとは思いますね。
qbc:今だとどんなものが?
壽倉雅:今だとそうですね。この間ちょっとあるコンクールに出した作品だと、今ニュースでも話題になっている特殊詐欺とか、そういうふうに今起きてるものっていう。十年前とかだと当然特殊詐欺なんていうのは存在しないものですから、この令和の、今のこのタイミングで書いてるから逆にそういう作品が書けるかなと思ってるので。そういう形で、それこそ10年前とか当時学生の時に書いてた作品って今思うと、「あ、これちょっと設定が古いな」とか、「この時代この時だからかこれが書けたんだよな」っていうこともあると思います。逆に今後五年、十年先とか未来になった時でも新たな社会問題とかは出てくると思うので、そういったものを取り入れた作品が書けるといいのかなっていうのは思いますね。
qbc:もしもの未来の質問というのをしていて、もしも脚本家になってなかったら何されていたと思います?
壽倉雅:なんでしょうね。脚本家になってなかったらどうだろう。デスクワークが好きなんで、どっかの商社マンとか総務系の仕事をしてるのかなっていう気はしますね。
qbc:なるほど。特にこれみたいなのはないっていう感じなんですかね。その回答っていうのは。
壽倉雅:なかなかイメージがつかなくて。脚本家以外に自分が何してるんだろうって思うと難しいというか、イメージがわかないんです。多分でもデスクワーク系の仕事かなっていうぼんやりしたイメージですね。
qbc:書いてる時ってどんな気持ちで書かれてるんですか?感情。
壽倉雅:感情。感情というかは、その人になりきってる感覚で書いてるんですよね。だからすごく怒りの感情だったり、逆にそれこそ、さっき自分は楽天家とか真面目っていう感じでしたけど、脚本上に出てくる人では当然悪い人間出てくるので、「あ、悪い人間ってこういう感覚なのかな?」みたいな。そういう自分の中の悪い人っていう定義はないですけど、今自分は悪い人になったつもりで書いてるみたいな。それこそさっきの幼稚園の話じゃないですけどおままごとみたいな感覚ではあるかもしれないですよね。今自分はこの役になってますみたいないう感じで。
qbc:ありがとうございます。最後の質問が最後に言い残したことはっていうので、もう遺言でも見ている人へのメッセージでも独りごとみたいになってもいいんですけれども。最後に残したことがあればお伺いしています。
壽倉雅:なんだろう。とにかく突っ走る人生で一生を終えたい、ですかね。
qbc:ありがとうございます。
あとがき
人生は戦いだ!!!
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:komima】
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