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胸を張ってこれがなかったら人生はないって言えることに誇りを持っている人

むかしむかし、ある港町に、心太郎(しんたろう)という名の若者が住んでいました。心太郎は毎日をなんとなく過ごし、「自分には誇れるものなど何もない」と思って暮らしていました。
ある嵐の夜、心太郎は浜辺で一羽の傷ついた海鳥を見つけました。
「かわいそうに...」
心太郎は海鳥を家に連れて帰り、丁寧に手当てをしました。毎日魚を捕って食べさせ、優しく声をかけ続けました。
海鳥が元気になると、心太郎は他にも困っている動物たちを助けるようになりました。野良犬、怪我をした猫、巣から落ちた雛鳥...
「君たちがいなかったら、僕の人生は空っぽだった」
心太郎は動物たちに語りかけました。
やがて町の人々が気づきました。心太郎の家の周りには、いつも元気な動物たちが集まっていることを。病気の動物を連れてくる人も現れました。
「心太郎さんに頼めば、きっと助けてくれる」
ある日、町の長老が心太郎に尋ねました。
「お前にとって一番大切なものは何じゃ?」
心太郎は胸を張って答えました。
「命を大切にすることです。小さな命も、大きな命も、すべて尊い。この想いがなかったら、僕の人生はありません。これこそが僕の誇りです」
長老は深くうなずきました。
「そうじゃ。お前は本当の宝を見つけたのじゃ」
それから心太郎は「命守り太郎」と呼ばれるようになりました。遠くの村からも動物を連れて来る人々が絶えませんでした。
心太郎は後にこう語りました。
「人は皆、胸を張って誇れるものを持っています。それは時に小さく見えるかもしれませんが、自分にとって『これがなかったら人生はない』と言えるものこそが、真の宝なのです」
そして「小さな誇りが大きな人生を作る」ということわざが、この港町から全国に広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
そして次にインタビューされるのはきっとこれを読んでいるあなただし、そしてインタビュアーになる日もそう遠くはないでしょう。
と思う2025年5月30日23時30分に書く無名人インタビュー1066回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】


今回ご参加いただいたのは 今井俊介 さんです!

年齢:30代前半
性別:男性
職業:劇場人(元、劇場職員)

Instagra:https://www.instagram.com/peregrino_de_la_belleza


現在:自分で手を動かして作りたいっていう、やっぱり欲望といいますか、欲求とは常に葛藤してたんですけど

🐋くじら:今、何をしている人でしょうか?

今井俊介:
今はちょうど転換点におりまして、住んでいるのは今ニュージーランドのオークランドというところです

去年、2024年の4月から2025年の3月までオーストラリアのシドニーで暮らしていました。目的は英語の上達を目的とした語学留学です。なぜ英語を上達させる必要があったかというと、僕がイギリスで大学に入り直したいという目標があって、オーストラリアに飛びました。

無事、この間2月に実際イギリスに行って試験を受けて、こないだ、正式にオファーをいただいたので、9月からイギリスの大学で、新たに大学生として勉強を始めるというところにいます。なので、今何者かかといわれると、ちょうど転換点なので何もないんですけども。というところです。

🐋くじら:
なるほど。9月から大学生で、今はニュージーランドで何をされているんですか?

今井俊介:
今はワーキングホリデーで働いてます。

🐋くじら:
なるほど。でも4月からだったら、2週間経ってない?

今井俊介:
そうですね。今週の頭に受けたJOBインタビューが通って、フルタイムって大体30時間超ぐらいが保障される働き方なんですけど、その仕事をいただいたので、ちょうどこの週末、木曜日から働き始めているところです。

🐋くじら:
何の仕事が決まったんですか?

今井俊介:
一応、オークランド最大のショッピングモールの中のフードコートなんですけど、ボスは日本人ではなくて、やっぱり韓国人だったりするので、なかなかコミュニケーションとかも大変なんですけど、そういう中で非常に刺激的な毎日を過ごしてます。

🐋くじら:
ニュージーランドに来たきっかけ、理由とかは何かあるんですか?

今井俊介:
そう、元々オーストラリアで学生ビザでいたんですけども、その後どこどこに行こうかっていう時に、もちろんそれに残るという選択肢もあったんですが、僕まだ別の場所に行きたいってのもあったし、また英語圏で、もし英語に慣れ親しむ環境が欲しかったので、そう考えると英語が公用語でいられる国っていうのが、イギリスかアイルランドか、あとニュージーランドかオーストラリア、カナダも含まれるんですけど。

僕はちょうど去年の11月で31歳になったんですけど、カナダの場合はワーキングホリデーのビザを取るために指紋を取らないといけないんですよ、日本で。

なので、指紋を取るためだけのために帰国はちょっとできなかったので、カナダは選択肢から消えて、アイルランドは年に2回かな、ぐらいしか申請のタイミングがなく、それがもう私の誕生日のタイミングもなかったので、31の誕生日の前に申請をしなければ、ワーキングホリデービザはもらえないので、それも候補から消えて、オーストラリアはこれまで通りだし、イギリスはこれからいるであろう国というところで、ニュージーランドってのは唯一残った選択肢というかというところでもちろんどういうふうにかもあんまり知らずに来てしまったので、あれなんですけど、まだ無事仕事も決まりましたし、少し安堵はしているところです。

🐋くじら:
ニュージーランドに来てみて、どんな印象の国ですか?

今井俊介:
そうですね、元々住んでたようなマウイの人々っていいますか、リスペクトというかがすごいあるふうに感じていて、というのも公共のアナウンスが現地語と英語で構成されているんですよ。

なので、そうすると全く何言ってるかわかんない言葉が流れた後に、英語のアナウンスが流れるみたいなのが、もう日常にあるので、それはこれまでいたオーストラリアであったりとか、もちろんイギリスでもそうですけど、でも感じられなかったのかな。

面白い、興味深いなというふうに思うとこもありますし、やっぱその空港を降りた瞬間に、体つきも現地の人の体つきは全然違うというか、本当にディズニー映画のモアナで見るような方々のような体格が、そのままその世界に存在してるみたいな感じなので、そう不思議な感じですね。

仕事中もかなりのお客様と、コミュニケーションとるんですけど、そういう人たちは大体明るく、You!Bro!みたいに話を話してくれるので、そういう意味ではね、やっぱりすごく親しみを感じます。

一方でやっぱり何て言うんですかね、流れてる時間もオーストラリアもかなりゆっくりですけど、こっちはさらにゆっくりに感じますし、娯楽という娯楽がほとんどないので、本当にみなさんどこで何をしているんだろうというのが、今のところのニュージーランドの謎ですね。でもやっぱり景色だったりとか自然がやっぱり、特徴的な国なので、やっぱりなるべくいろんなとこ行った方がいいよっていうふうには仕事の関係者の方からは聞いてます。

🐋くじら:
イギリスの大学では何か目標はありますか?

今井俊介:
元々ですね、東京で7年間働いていて、その仕事が劇場ってわかりますかね。例えば、劇団四季とかが劇をやるための施設で、東京都内の劇場でプロデューサーとして仕事をずっとしていて、7年間やってたんですけども。

いろんなことをやらせていただいて、ただやっていく中でやっぱり自分で手を動かして作りたいっていう、やっぱり欲望といいますか、欲求とは常に葛藤してたんですけど、それが爆発してってのもあれですが。

いろいろ精神的な問題もあって仕事を1回止めて、その後にもう一度、劇場というフィールドに戻るときにも、せっかく戻るんだったら別の立場というか、別のポジションでもう1回劇場という文化に関わりたいっていう気持ちがあったので。

イギリスでは、いわゆるシアターのデザインですかね、いわゆる照明だったりとか、美術セットとかデザインを専門的に勉強する大学がありまして、そこの名前がですね、「ロイヤルアカデミーオブドラマティックアート」っていう、日本語で言うと、「英国王立演劇学校」っていう大学なんですけど、世界で一番有名な教育機関に入ることができたので、そこでおそらく一生物の仲間に出会えるでしょうし、ロンドンを拠点に新しいキャリアを築いていきたいなというふうに思ってます。

🐋くじら:
そこで4年間勉強するんですか?

今井俊介:
2年間勉強して、その後、2年間の滞在ビザが得られるので、4年の中で、その次のキャリアのスポンサーだったりとか、長期的に従事できる仕事を見つけていかないといけないっていうのが課されているっていう状況ですね。

🐋くじら:
最近楽しかったことは何かありますか?

今井俊介:
そうですね。でも、なんだかんだ日常が楽しいです。

パートナーと一緒にこっちに来てるので、やっぱりちょっとしたビーチに遊びに行ったりとか、大きなスーパーに行ってみるとか。

やっぱり全然自分の知らなかったものに出会えている気がするので、こないだもちょっと30分ぐらいバスに乗っていくところにあるビーチに、日の入りを見に行ったんですけど。そこがオーストラリアでいうとビーチっていわゆる砂浜というか、本当に絵に書いたような綺麗なビーチなんですけど、この場所、特にそうだったかもしれないですけども、干潮満潮で全部変わっちゃうような場所。

そのときちょうど干潮時だったんで、完全に違ったみたいなっていう状況で。やっぱ見たことない景色ですし、そういうの見るとやっぱり自然って面白いなと思いつつ、それをカメラで残そうかと思ってもやっぱりね、どうしても肉眼で映るよりは劣ってしまうので、そういう一瞬一瞬の移り変わりというか、ていうのは目に焼き付けて、今後もいきたいなと思ってますし、それはそれでやっぱすごい楽しいですね。

🐋くじら:
パートナーと一緒に来られてるんですね。

今井俊介:
そうです。

🐋くじら:
日本の方ですか?

今井俊介:
日本の出身の方で、オーストラリアで知り合ったんですけど。

🐋くじら:
一緒にこっちに来て一緒に住んでっていう感じですか。

今井俊介:
そうですね。

🐋くじら:
2人での生活とかで大変なこととかありますか?

今井俊介:
やっぱり仕事関係で、なかなか2人で休む時間が取れないっていうのは、オーストラリアのときもそうだったんですけどしょうがない部分もやっぱりあって、日本だと何でしょうね。フルタイムというか、月曜日から金曜日働いて土日休むみたいな仕事ってやっぱりかなり多く選択肢としてあるし。融通が利くイメージがありますけど。

こっちで特に英語がネイティブではなく、しかも1年限定でいる身からすると、仕事の選択肢が少ないので、土日出てでもお金をいただかないと、とかもありますし。選択肢を絞って、月金だけの仕事を探すのはなかなかできるものではないので。そこはこっちで食べて、住み続けるためには、致し方ないかなと思いますし。

そのためには1時間の時間とかをね、やっぱり大切に過ごさないといけないですし、でもそれもなかなか疲れてできないことも多いんですけど、そこは時間の使いかやというのを大切にしていきたいなというふうに思ってます。

🐋くじら:
ありがとうございます。ご自身の性格についてなんて言われることが多いですか?

今井俊介:
そうですね、リーダーシップはかなりある方だとは思います。というのも常にプロジェクトだったりとか、団体とかを引っ張ってきてますし。

一方で、何でしょう、一点集中といいますか、マルチタスクはあまり得意じゃないので。そこでいろいろ迷惑かけてしまったりとか、人に頼んだりすることが苦手だったりとかするので、そうすると結局、全部遅れていってしまったりとかっていうのはやっぱ直さないといけないなっていうふうに思いますけど。

オーストラリア、ニュージーランドに来て思ったのは、人にわからなかったことを聞くっていうことの大切さみたいなことを日本にいるときよりも感じてる気がします。

日本語だと、阿吽の呼吸もあるし、こういうもんだろうってやって、大体合ってますけど、言語が違ったりするとなかなかそれができないわけだし。

やっぱり1回聞いて、「ん?」思ったことをもう1回ちょっと聞き直さないと、間違った指示として理解して進めてしまうと結局後々問題なってしまうんで。そこの大切さを日々感じています。人に頼るのが苦手で、人に聞くのも苦手だった僕からすると、それが今後すごい大事になってくるし、そういうのが自分自身が変わっていけそうだなってふうに思ってるのがこの数ヶ月ですかね。

🐋くじら:
よく言われることですか?

今井俊介:
よく言われます。「聞いてないよね?」みたいな。「人に頼めないよね?」みたいなことは前職でもすごい言われてましたし。「そこができたらもっと楽になるのに」っていうのは、よく言われてました。あとは自分に甘くできないみたいな、自分の甘やかし方を知らないみたいなことは、もう十数年言われてます。

🐋くじら:
それは何でだと思いますか?

今井俊介:
自分でも正直わからなくて、自分を甘やかすっていうこと、どうしたら自分を甘やかしたことになるんだろうかっていうのがわかっておらず。

というのも、アイドルが好きな方が、自分へのご褒美として、好きなアイドルのライブに行って、そこでいっぱいグッズを買って、それを楽しむ時間を少しだとしても毎日持って。

忙しいときでも、そうやって自分を甘やかしながらやってくっていう生活スタイルのことは想像ができるんですけど、僕はずっと劇場というフィールドで働いてきて、趣味も芝居を見ることであったりとか、音楽を聞いたりするので、完全に仕事と趣味が重なった状態で生きてきて、ある意味自分の心の逃げ場みたいなのがないんです。必要ない時の方が多かったんですけど。

逃げ場があんまり自分で作れなくて、その作り方がわかってない、未だにわかってないですね。

それも本当に見つけないといけないなとは思うんですけど。それこそ先ほど申し上げた通り、前職を辞めた理由が、まず精神的な問題なんですけど、そのときも結局、仕事もそういうことであり。それでちょっと逃げたいところにあるべき趣味も同じものであり、そのときは当時のパートナーとの問題もあって、その人も同じフィールドで同じような趣味を持ってる人だったから、全部逃げ場がなくなっちゃったんですよね。

全く、自分をコントロールすることができなくなってしまって。

仕事もやめて、パスポート片手に海外に3ヶ月出てみたいな感じだったのが、2年前ですね。それから時間が経ちましたけど、未だに自分の甘やかし方っていうか、自分のものすごい大きな幹みたいのがありますけど、それ以外に飛び移れる場所みたいなのが、未だに見つけられてないですね。

ただ、今ちょっとずつ時間を重ねてきて、パートナーとの時間だったりとかっていうところが、それになってくるといいなと思ってますし、プラスで料理だったりとか新しい体を動かす趣味だったりとかみたいなことも、こっちで見つけられたりするといいなというふうに思ってます。

🐋くじら:
ありがとうございます。ご自身では自分の性格についてどう思いますか?

今井俊介:
言われるまま、正直だと思います。

でもかなり頑固な方だし、あと、すごい真面目すぎちゃうときがあるので、何かもっと本来だったら軽く考えてもいいことに対して真面目過ぎちゃうし。

仕事柄そういうものだったってのもあるので。元々の性格とこれまでやってきたことがリンクして、より強い結束が生まれてしまったのかもしれないですけど。変に砕けられなかったりとかしますし、もう少し、良い意味でムードメーカーとかになれたらいいなと思うんですけど、そういう存在にはやっぱ成れないとこがあって、それはすごい羨ましいですし。語学学校にいるときって、僕は大学進学を目指す人のためのコースにいたんで、かなりすごいアカデミックな英語を学ぶんですけど。

同時に入った日本人の子とか見てても、英語の総合的な力というよりかは、場をつくる力だったりとか、盛り上がってる場合に付いていける力みたいな人を見ていると羨ましいし思っていると思うし、持っている人の方が英語が上達したりとかするのを見てきたので。と同時にやっぱり自分にはなれないなっていう、いわゆる陽キャといいますか、和気あいあいというか、人の和の中で太陽になれるような人には、やっぱ成れないところがあるので、うらやましいなと思いつつも諦めてしまったのも正直ありますね。

🐋くじら:
なんかノリのいい人というか。

今井俊介:
そうです。あと、どんな人の波長に合わせられる人っているじゃないですか。多分それが自分頑固だからだと思うんですけど、それもできなくて。だから変な話、これもいいところと悪い方両方あると思うんですけど、話が合わない人との距離感っていうのが、無理だなと思ったらすぐ放すことが多いですね。でも専門性が一緒だったりとか、波長が合いそうだったらもうぐっと縮めるけれども、合わなさそうだなと思ったら、そこを縮めようとする努力はせずに、フェードアウトしていくってことが、これまでずっとそうだと思いますね。

なので、友人は多い方ではなくて、やっぱり、波長の合う友人が数十人いる、ぐらいなコミュニティで生きてきてると思います。

🐋くじら:
なんか波長の合わない人の傾向とかありますか?

今井俊介:
そうですね、何でしょう、言ってしまったから逆に傷つけてしまうような気がしますけど、何か一つのことに熱中してない人の波長が合わない気がします。

逆に言うと、何かすごいニッチなことでも構わないけれども、何かにすごいとらわれていて、そのことを常に考えていて、追い続けてるみたいな人の方がやっぱ波長は合うかなと思いますね。どっかしらみんな変というか、感じますし。

でもその変さっていうかわかるし、そこを掘りたくなる気持ちわかるんで、そこを追い続けたくなる気持ちわかるよ、みたいな感じで合ってくことが多かったと思いますね。


過去:そこは自分でけじめをつけてもう辞めるという感じで。裏方サイドに完全移行しました

🐋くじら:
過去の質問に移りたいと思います。今井さんは子供のときはどんなお子さんでしたか?

今井俊介:
そうですね。子供のときは、生まれて多分物心ついたときぐらいからずっと音楽に囲まれてました。

というのも、母親がずっとバイオリンとピアノを習っていて、小さい頃にレッスンとかもついていっていたので、その中で自分もやってみたいっていうふうになって、5歳からバイオリンを習い始めました。

その後、12歳ぐらいまで続けていましたけど、その間は別に運動とか嫌いだったわけではなくて、例えば小学校で授業の前にやってる朝野球っていう習慣があったんですけど、それで野球を結構な回数、毎日やってたりとかもしてましたし、別にインドアだったわけではないですけど、どちらかっていうと、インドアで音楽を聞いたりとか、楽器に触ってるってことの方が好きだったかなっていうふうには思いますね。

中学校に入るときに、中学受験をしたんですけど、入った中学校・高等学校に​バイオリンを弾けるクラブがなく、加えて進学校だったこともあり、勉学とはの両立が難しそうだったところもあったので、バイオリンをやめて、その代わりに吹奏楽部に入って、クラリネットを始めました。

🐋くじら:
バイオリンとかそういうクラリネットを本気でプロを目指すというよりかは、楽しむために言ってるような感じですか?

今井俊介:
16歳まではそうでした。両親とかには別に、プロになりなさいみたいな英才教育ではないし、母親は別にプロではないので、本当に音楽が好きになってくれば、みたいに習わせてくれていたなと思うんですけど。

今井俊介:
でも、日本って当時は特にそうですけど、あまりクラシック音楽、コンサートに小さい頃に行くことが推奨されてなくって。ですけど、それでも母親は、多分かなり多くの回数連れ出してくれてる、世界のトップレベルの演奏みたいなものを小さい頃聞いてましたし、何かそういう意味では、今の明るくなりすぎない、ちょっと陰ったようなキャラクターみたいなのは、そのときに、落ち着いてクラシック音楽を聞くっていう習慣が5、6歳のころに付いていたので、もしかしたらそれが影響してるかもしれないですね。ちょっとわからないんですけど。

🐋くじら:
5歳とかそれぐらいの年でもクラシックを楽しんでた、という感じだったんでしょうか?

今井俊介:
だと思います。特に5歳ぐらいのときに聞いた曲が未だに一番好きな曲で、そのときも誕生日プレゼントにそのCDをもらったんですよ。なので何が好きで何が嫌いとか、どこが好きなとこだけみたいなことがもう既にわかっていたと思いますね。

🐋くじら:
ええ。はい、ありがとうございます。話を戻して、吹奏楽部に入られた?

今井俊介:
そうです。12歳のときに入りました。中学生までは趣味程度でやってたんですけど、それが突如、16歳になって変わって、音楽大学に行きたいというふうに方針転換を家族に表明して。そのとき進学だったということもあって、学年主任まで出てきて、考え直すように言われました。

やっぱりもちろんそういう教育をうちでできないってのもあったと思うんですけど、4年間、大学受験に向けてやってきて、あと2年っていうところが本当にいいのかみたいな話でやっぱり言われましたけど。

🐋くじら:
音楽大学に行く楽器は何ですか?

今井俊介:
クラリネットです。もちろん自分の好きな楽器でしたし、やっぱり一番のきっかけはですね、吹奏楽コンクールってのがあるんですけど、コンクールで多分負けたことが最終的な引き金になって。

そういう自分が奏者として極めたいというか、勝ち負けで決めるような世界じゃないですけど、本来は。いい拍手を聞きたい、何かいい景色を見たいみたいなことが多分そのときに頭をよぎって、音楽大学に入りたいというふうに多分言ったんだと思うんですよね。

これに関しては両親、特に母親の方は別に驚いたこともなかったらしくて、当時振り返って、そのときも話してましたけど、「行きたいだろうな」っていうふうに思っている、言ってもおかしくないなというふうに思っていたらしく、割と家族的にはすんなり方針転換ができたかなっていうふうには思いますね。ただ祖父だけは最後までなかなか許してくれなかったんですけど。

🐋くじら:
はい。

今井俊介:
ただその音楽大学って、実は入ることが簡単に見えて難しくて。というのもまずピアノが弾けないといけないんですよ。どんな楽器を選んだとしても、バイオリンで入るにしてもクラリネットで入るにしても、ピアノは弾けなきゃいけないっていう。

ただ僕は先ほど申し上げた通り、ピアノは一切やっていないんですよね。バイオリンを5歳からやっていて、12歳からクラリネットをやっていたけれど、ピアノに触れずに16歳を迎えていて、要はこれ2年でどの音大志望者が弾ける曲を弾けなきゃいけない。 

🐋くじら:
はい。

今井俊介:
やっぱり大人が始めるのも大変ですけど、高校生もやっぱり難しい。左右の指がやっぱり柔軟性を失ってしまってるというか、凝り固まってしまってるんで、やっぱそれがやっぱすごいきつくて。週2とか、レッスンを入れて猛特訓をしても、もちろん2年後には音大には入れてるんですけど。そのときは、それが弾けるようになったときの自信っていうのは、今も覚えてますかね。

全然弾けなかった自分が、2年弱でこういう曲が弾けるようになったっていうのは、ある意味成功体験の一つかもしれないですね。

🐋くじら:
すごい、入れたんですね。

今井俊介:
入れました。ただその中高一貫の高校1年生のときにやめてしまって、通信制の高校に変えたんですけど、それが良かったかなと。なるべく集中できたってのもありましたし、

🐋くじら:
毎日毎日、音楽ばっかりやってるみたいな感じですかね。

今井俊介:
そうですね。すごく薄く聞こえるけど、ちゃんと訓練を積んでたのと。あとはですね、ジュニアオーケストラという小学生から高校生までが所属できる団体があって。

🐋くじら:
はい。

今井俊介:
それは東京の墨田区が運営してるんですけど、オーディションで受かることができて、もう高校2年生つまり、中高一貫校辞めて、通信に切り替えたためタイミングでそのオーケストラの一員として活動できるようになったことで、同じようにその音楽大学を目指す人たちと毎週一緒に音楽をすることができたので、そういう意味では非常に何でしょう、気持ちの持ちようというか、できましたし。

実はそのジュニアオーケストラに所属しながら、そこのメンバーを僕は束ねて、別の団体を作ってるんですけど、それが結局その後、大学在学期間も含めて6年間、大学4年生まで活動して、最終的に多分80人ぐらいの団体になりました。本当に切磋琢磨できる仲間に出会えたってのは非常に重要な転機になったなというふうに思います。

🐋くじら:
通信に切り替えて、音楽ばっかりって心細くないのかなって最初思ったんですけど、オーケストラとかは支えになったみたいな部分とかもありますか?

今井俊介:
いや、なりました。やっぱり何でしょう。それはもちろんね。学校とかもそうですけど学年によってキャラクターが違ってで、偶然私の代のジュニアオーケストラのメンバーが非常に個性的で、メンバーが揃っていたので。かつ皆大体音楽大学を目指す人っていうのは、音楽大学付属の高等学校に入って、そこからまた上がってることが多いんですけど、僕の場合はもう決断するのは遅かったので。

付属高校に行けず、でも周りは付属の高校のメンバーみたいなという感じでしたけど、その中で学校で何をやってるかとかも聞けたし、そういう仲間と会話ができてることで、実際のレベルというか、音楽大学に入るためにはこのくらいのレベルが必要だみたいなことがより明確に見えたので、それは非常に良い指標になったし。ライバルというよりは本当に仲間みたいな感じで切磋琢磨できたし、励まし合えたし。でもそれも今から数えると15年前なんですけど。未だにすごく仲良くて、たまに別のプロジェクトをして、個人的に会ったりとかするぐらいの仲が続いてますね。

🐋くじら:
へえ。今井さんがメンバーを束ね出したのはいつ頃なんですか。

今井俊介:
オーケストラに入ったのが2010年の4月に入っていて、その年の8月に、演奏旅行っていって東京と、愛知と新潟に団体で動きながら演奏してくっていうツアーがあって。そのときに一番結束力が高まってきたんですけど、そのときに、今でも忘れないですけど、新潟の民宿みたいなところに泊まっていて、大浴場で、和気あいあいとお風呂に入ってるときに、ある一歳ほど年下の男の子が「今井、これ一緒に演奏してみたいんだけど」っていうふうに提案してくれた曲があって、それは5人ぐらいで演奏する曲なんですけど。

でもその楽曲は普段オーケストラでやらないタイプのものだったんです。なのでやりたいんだけどっていうことは言い換えると、どうやったら一緒にできるかな、どこでそれができるかな、という提案というか、お誘いだったんですけど。それが大浴場で大きな声で話していく中で周りの別のメンバーたちが、「いや僕もこれ絶対これもやってみたい」みたいな言葉、いろいろで始めて。偶然その中で指揮者を目指してる子がいて、実際指揮者として今も活動してるんですけど、彼が「だったら俺オーケストラやってみたい」というふうに言い始めて。

その晩。大広間みたいなところで、仲の良いメンバーが集まって「こういう話あって、さっき出たんだけど一緒にやってみるか」みたいなことを話して、やってみようっていうふうになってやったのが始まりですね。

🐋くじら:
へえ。

今井俊介:
なのでそれが8月にその話をして、12月に初めて自分たちで場所を借りたりとかして、チケットとか売って、コンサートとかしましたけど。まさに青春の鏡というか。話はトントン拍子で進みましたけど、本当に良い仲間に良いタイミングで出会えたからこそ始まったことだと思います。今でも鮮明に覚えていますね、その時のことを。

🐋くじら:
ありがとうございました。そこからは音大に入って、その後どんな人生でしたか。

今井俊介:
音大に入るとですね、いろんなコンクールを受けたりとかはするんですけど、そういう輝かしい成績を残すことができず、何となく4年生に差し掛かって、まもなく終わりみたいなタイミングでどっかの大学院に進学することを考えてたんですけど。

そのときにこれもまた偶然で、大学の先輩方とスキー旅行に普通にプライベートで行って、いろいろお話をして、本当にラフトークの中で「そういえばあの劇場がインターン募集してたよ」みたいなことをポロって言われたんですよ。「お前、ずっとオーケストラやってんじゃん」と。つまり、僕は高校2年生から当時も続けてたので、6年間ずっとオーケストラプロデュースして、公演を作ったりとかしてたわけですけど。

だから、「それ向いてるんじゃない?」とある先輩が言ってくださって、見てみますって言ってその車の中で募集要項見たら、次の日が締め切りだったんですよ。でもこれは確かに面白そうだってなってその場でいろいろ準備を始めて、小論文とか含まれてたんですけど、知らないトピックだったので、もう徹夜漬けで徹夜で勉強して次の日にギリギリ間に合って提出をして、そしたら面接に呼んでいただいて、そのまま採用していただいたっていう感じですね。

2016年度インターンとして、2017年度からは正職員として劇場のプロデューサーとして働き始めました。

🐋くじら:
その後演奏することはしていましたか?

今井俊介:
演奏してないです。大学4年生で、もう楽器ケースの蓋を閉じました。なので、1回も楽器を触ってないです。

🐋くじら:
そうなんですね。それに関しては、自分の中で終わったっていう感じなんですか?

今井俊介:
そうですね。やっぱり劇場に入ることができた時点で、ある程度未来が見えてきたのがあったし。何でしょう、中にはやっぱり劇場での仕事だったりとか裏方の仕事をしながら、演奏活動する人も多いんですけど。やっぱり、自分が演奏を辞めて、そういう舞台に立つ人を支えるっていう気持ちになった方が仕事を一生懸命できるっていうふうに思ってたので。そこは自分でけじめをつけてもう辞めるという感じで。裏方サイドに完全移行しました。

🐋くじら:
へえ。そこからプロデューサーとしてのキャリアが始まったんですね。

今井俊介:
そうですね。完全にどっかで演奏したいみたいな気力も全くなく。またその家族の話なっちゃいますけど、家族もあまりそこに対しての驚きもなく、進学校からは大学に行こうと思ったときに、あんまり認めなかった祖父が、そのタイミングでようやく認めてくれた部分がやっぱりあって。

ちょうどインターンが決まったことを伝えた数日後に亡くなっちゃったんですけど。ただ最後にそういう報告ができて、そういうときにその劇場は東京都の管轄の公共劇場って言って、かなり担保されて、かつ東京都のために文化事業をやるような場所なので。

ちゃんとした仕事として伝わるような仕事だったんですけど、それを聞いたら祖父から「大したものだ」と最後は言ってもらえたので、安心してもらえたかなと思っています。

全然音楽がわかんなかった祖父だったので、演奏会とかも来てくれてましたけど、そこに対しやっぱり何もできなかったとこがあったけれども、その最後の最後、自分がやってきたことは無駄ではなくて、最終的にちゃんと世のため人のため、得意分野を出しながらできそうだということに対して、大したもんだというふうにね、認識しましたけれども。

🐋くじら:
プロデューサーの仕事ってあまりイメージが湧かないですけど、具体的に何をされてるんですか?

今井俊介:
そうですね。本当に大まかなことを言ってしまうと、予算管理と進行管理ですかね。これはもう本当に事務的な言葉で言うとですけど。もっと細かいことを言っていくと、例えば一つの舞台を作りますといったときにどういう俳優さんだったりとか、どういう歌い手さんを集めて、それをどういう人が演出をして、どういう人が音楽を作って、どういう人の音楽を演奏して、そういう公演を作るときにどういうデザイナーにチラシをデザインしてもらって、これをどういう金額で売って、みたいなことも全部決めていくのがプロデューサーの仕事です。

🐋くじら:
専門職っていうよりかは、何でもやります、みたいな?

今井俊介:
そうですね。もちろん、それなりの知識も必要ですし、先輩方だったりとか、尊敬する方を見ていると、ある意味センスも必要ですし、あと人脈ですよね。この人にも言われると、やらざるを得ないみたいなことを作れたプロデューサーやっぱ強いんでね。テレビの方はあんまりプロデューサーっていいイメージないのであれなんですけど、ただ同じような感じです。やっぱりその人のバックグラウンドを活かしながら、より良いものを作っていく。

やっぱり若いうちってなかなか難しいことなんですけど、僕の場合は本当にいろんなサポートだったりとかがあったので、最終的にはかなり大きなものを任せていただけましたし、個人的には辞めちゃいましたけど、7年間でできること全部やったかなっていうふうに思います。

🐋くじら:
へえ。そこからやっぱり作り手に回りたいと。作るってのはどういう役割になるんですか?

今井俊介:
そうですね、例えば今言ったみたいにプロデューサーは、外枠を作る仕事なんですよ。つまりスケジュールを決めた行為も含めてだけれども、「こういう座組でやりましょう」でお金を持ってきます。「そのお金もこういう座組のお金をください」っていうのをやってねということですが、いわゆる僕のなりたい作り手っていうのは、そのプロデューサーに雇われて、例えばシェイクスピアのロミオとジュリエットをプロデューサーがやりたいというふうに言ってきたら、僕がいたら、こういうふうな舞台を作りますよ、こういうセットを作って、こういう照明を当てて、こういう人にこういう音楽に合わせて人を動かして、みたいなことがやりたかったんですよ。

それはいわゆる演出って言われる話で、映画で言うと映画監督さんだとかやってることですけれども。 中身を作る人になりたかったところがあります。

🐋くじら:
なるほど。

今井俊介:
もちろんいろんな舞台のプロセスに関わってきたからこそってのもあるし、やっぱりかなり多くの数の舞台を7年間見てたので、「自分だったらこうするのにな」っていうか、「自分だったらこういう舞台見てみたいな」っていうやっぱりそういう欲望も生まれてくるものなんですよ。

それって自分でこういう舞台見たいなと思っても誰も作ってくれないので、じゃあ自分が作ればいいのかって話になってきますし、でももちろん当時ね、できないんで、それに向けての専門的なスキルを身につけたいなというふうにやっぱり思いますし、なかなか日本で学ぶことができないとこもあるので。

せっかく心機一転やり直すって思っていますし、だったらイギリスって400年以上前から演劇とか劇場文化が根付いてる場所なので、そういう場所で学びたいなっていうふうに思って、今に至るって感じです。

🐋くじら:
ありがとうございます。ちょっと過去が盛りだくさんで、聞きたいことがいっぱいあったので、ちょっと時間が過ぎました。


未来:やっぱりそれに向き合っていくとき、続けていく責任があるだろうから。

🐋くじら:
5年後10年後、あるいは死ぬときまでを想像していただいて、未来についてどういったイメージをお持ちでしょうか?

今井俊介:
そうですね。僕がイギリスに留学したかった理由の一つが、イギリスの劇場のお客さんに恩返しをしたかったんですよ。

というのも、かなり精神的に弱った状態で旅行で行ったイギリス・ロンドンで、本当に全然知らない人が話しかけてきてくれるんですよ。それって日本の劇場ではないので、もちろん東洋人が1人で来てるってかなり目立つんです。大体みんな家族で来てるし、家族とか知り合いとかで、そんななか独りでポツンと座っている東洋人が気になって声をかけてくれたのかもしれないですけど。

その中で「どっから来たの?」とか「好きな演目は?」とか、「これ見た?」ってこんなこと言う話をしてくれるんですよね。これは、この間イギリスの大学に行ったときに、面接を受けに行ったので、そのときに共有した話なんですけど。ロンドンのナショナルシアターっていう、国の劇場なんですけど、そこで会った男性が普段、科学の研究者の方で、舞台を観ることが好きだと。彼の息子といっぱい劇場に行きたいんだけど、彼はゲームに夢中で。一緒になかなか来てくれないんだよね、みたいなことを言われて。

やっぱり劇場って、ずっと劇場舞台上と観客席側の空気が混ざってどんどんパフォーマンスが良くなってたりするんですけど、そういうのはどんな科学の力を使っても証明できないっていうのを言ってて、なんかそれがなんかすごい興味深かったので、そこまでその科学を仕事としてやってる人が、これだけは計り知れないというか。理由がわからないみたいなことを言っていて。

別の劇場では、高校生のときからずっと定期会員って言って、定期的に劇場に来てるようなおじいちゃんに会ったりとか、話していくとその町の劇場というか舞台に対する愛情をやっぱすごく感じましたし、同じように舞台のことが好きな人、音楽が好きな人と話すことやっぱりすごい心が洗われたんですよ。結局、やっぱり僕もやっぱり劇場に戻ってもう一度仕事がしたいというふうに思い直しましたし、もう一度生きる糧になったので。

最終的に、5年10年で、できれば早い方だと思いますけど、ちゃんと現地の人に受け入れられる作品を作って、彼女彼らから「楽しかった」「面白かった」って言ってもらえるような、ロンドンのお客様に恩返しできるような、キャリアを作っていきたいなというふうに思いますね。

🐋くじら:
イギリスで将来的な活動をしていきたいのでしょうか。

今井俊介:
そうですね。拠点はもうロンドンに置こうと思ってます。ただもちろん難しいことなので、去年からオーストラリア・ニュージーランドで過ごしてきて、やっぱりいかに異国で住み続けるってことは難しいかっていうのは、やっぱり周りから聞いてもわかるし、将来、世界全体の情勢がどうなるかちょっとわからないので。

頑張ってきても、急に駄目になっちゃうこともあるかもしれないですし、正直わからないですけど、もし自分の努力だけでどうにかなるんであれば、そこは頑張ってイギリス・ロンドンで生き続けていきたいっていうふうに思ってます。

あとは同時に、僕は今年で32歳になるんですけど。30歳以上って奨学金がなかなかもらえないんですよ。大学に入るためには基本自費になっちゃうんですね。イギリスってやっぱり学費が高いので、年間500万ぐらい払わないといけないんですよ。

それはなかなか難しいことで、にもかかわらず本当に2、3個ほど対象の奨学金がなくて、数も多くなくて。ただやっぱりある程度社会経験を積んできて、もっとこういうことを知りたい、もっと勉強してみたいと思った人へのチャンスっていうのを作るサポートというか、みたいなことが、できればやりたいなと思いますし、もっと自分のように30歳になってからもう一回人生出直したいというか。再出発したいっていう人たちの助けになることをやれたらいいなってふうに思います。

🐋くじら:
ありがとうございます。もしもの質問というのをさせていただいてるんですけど、もしも音楽に囲まれてないとしたら、どういう人生だったと思いますか?

今井俊介:
いやあ、全く想像できないですよね。やっぱり。本当に。それで全て人生が彩られてきてるので。もしかしたら、スポーツ少年になっていたかもしれないし。もしかしたら勉強大好きになっていて、超名門大学を出て超名門の会社に入ったりとかしたかもしれないですけど。

そうですね。あまり面白くないですけど、全然想像はできないです。それぐらいやっぱり強い人生を占めてるベースが高いですね。出発が音楽で、今演劇っていうふうになってますけど、音楽がなかったら多分なかったでしょうし、全てリンクしてるので。

ただ、何かに熱中することは好きだったでしょうから、もしかしたらすごい練習熱心なサッカー選手だったかもしれないですし、無数のパターンを想像できる棋士とかだったかもしれないですし、わからないですけどね。でも何かしら専門性を持ったことだったと思います。

🐋くじら:
今まで音楽以外にちょっと興味を持ったようなこととかはなかったのですか?

今井俊介:
それがないんですよね。頑張って思い出そうとしたんですけど。運動はそこまで熱中してもらえなかったし、だからといって勉強やったわけじゃないし。読書も好きでしたけど、そこまででもないかなと思いますし。自分でものがたりを作るのが好きな人とかいますけど、全くそれもなかったし。考えることがなかったのかもしれないですね。

🐋くじら:
逆になんで音楽がそんなにハマったんですかね。

今井俊介:
なんなんだろうな、自分で聴こう思ったことはなかったんです。やっぱり常にあったものだったし、これは劇場の企画にも繋がってたんですけど、僕の原体験の一つが、リビングルームに自分が真ん中にいて、左側にはテレビで金曜ロードショーでやってるアルマゲドンを見ている父親、右手には(バッハっていう作曲家がいるんすけど、)バッハの曲を聞きながら料理をする母親がいたんですよ。不思議なことに、未だにアルマゲドンを見ると、バッハが聞こえてきちゃうんですよ。

全然合わないですけどね。それぐらい生活のサウンドトラックみたいな、自分のサウンドトラックみたいな感じでずっとクラシック音楽があって。劇場では家族のサウンドトラックを作ろうみたいな企画も作ったんですけど。

僕が初めて自分で音楽を聞けなくなった時期がそのメンタル壊したときなんですよ。だから相当やばいなっていうのを自分で感じてもう日本を飛び出しちゃったんですけど、ある意味、本当に心臓の鼓動に近いというか、心臓の鼓動のように、これなしでは生命を保てない、最後のラインみたいな感じなんだと思います。本当に血液だったりとか、空気だったりとかっていうものと同等のものとして、自分の中にはあるのかもしれないですね、音楽は。

🐋くじら:
なんかクラリネットをやめたっておっしゃったときに、本当にそこで音楽自体を手放したのかなって思ったんですけど、そうではなく、常に音楽はあるっていう。

今井俊介:
そうですね。劇場に入ったときも配属部署が音楽部門だったので、オーケストラを使ったコンサートを作ったりとか、音楽大学を出たばっかりの、私と同じ年齢層ですけど、その子たちのセルフプロデュースを手伝うようなEducationプログラムを任されていたりとかして、自分は裏方でもあるんですけど、常に前にも横にも上にも下にも音楽がいるみたいな状況で動いたので。だから話すときとかも当たり前のように専門用語が飛び交っているし。あのCDよかったよとか、あのコンサートよかったよね、みたいな話がより飛び交ってるんで、そこは変わらなかったですよね。むしろもっと密度が濃くなってるかと思われますし。

今井俊介:
やっぱりそうね、自分が小学生時代に神様のように思っていたような人たちと仕事するようになったので、それも刺激的でしたし、その人たちとより深い話ができるように自分で勉強したし。ここの繋がりは全く切れなかったですし、むしろ繋がりもあった。そうなってくると思いますね。

🐋くじら:
常に音楽と一緒にある人生っていう感じなんですね。

今井俊介:
常にありました。

🐋くじら:
最後の質問で、言い残したこと、読者に向けてとか、ご自身に対してとか、インタビューここまで受けての感想でも何でもいいんですが、最後に言い残したこととしてご自身から出てくる言葉があれば。

今井俊介:
そうですね、音楽以外何もなかったっていうか、その全てで生きてきた人生で、これってやっぱある意味いいことでもあり悪いことでもあるというか。

つまり、ある意味人生を彩ってくる魔法でもあるし、人生を縛る魔物でもあるので。

それとの付き合い方って、本当に難しいなっていうのは、やっぱり31年間特にこの直近の3年間ですけど、会社を辞めざるを得なくなって、辞めて聴けなくなって、また新しい目標を見つけて、今、その目標にたどり着きそうだと思うんですけど。よりその大切さ、難しさを感じているところです。

やっぱり今の時代だからじゃないかもしれないですけど、なかなか好きなものがない人が結構多い世の中で、これだけ胸を張って好きというか、これがなかったら人生はないっていうふうに言えるっていうことをやっぱすごい誇りを持っていることだし、大きいことだと思うし、もちろんそれは家族の影響も多分にあるし、仲間がいたからできたことがあるんですけど。

もちろん最大限の感謝をしつつ、やっぱり出会ったことを、最大限還元していかないといけないなというふうに思いますし。やっぱりそれに向き合っていくとき、続けていく責任があるだろうから。この先の人生もそれはそれで楽しいです。

これも名前出せないんですけど、有名なバンドの方から「僕らは音楽や演劇が好きだと気づいてしまった人間である。」と言われたんですよ。そう言われたときやっぱりすごい電気が走ったように、ピンと来て。去年の1月1日にいただいたメッセージで。

やっぱそれがすごい自分の中でも響いてて、人生を満たしてしまうような好きなものに出会えたこと自体本当に幸せなことだし、生かされてきてるので、やっぱり今後はそのことに対して、ロンドンのお客様も含めてですけど、その恩返しをしていくとともに、探せない人というか、見つからない人に、良いきっかけを与えられるような公演を作っていけたらいいなというふうに思ってますね。

🐋くじら:
ありがとうございました。


あとがき

節目節目に大きな人生の転換点があって、1人で3人分くらいの人生を生きているような濃さでした。自分の欲望、やりたいと感じる心の声をしっかり聴く方だなぁと思いました。

プロデューサーになったらクラリネットはキッパリとやめて、次の人生の集中するものに区切りをつけるって、なかなかできることではないと思います。でも、「クラリネット」ではなく「音楽」が自分の人生の核にある。だから、形を変えて自分の好きなものを追求しているだけなのだなぁと。

他者から見たら断腸の思いに見えても、今井さんのなかでは自然な変化だったのかも知れません。胸を張って「これが自分の人生だ」と言えるって素敵ですよね。これからも数々の挑戦、応援しています。

今回は無名人インタビューをお受けいただき、ありがとうございました!

【インタビュー・あとがき:くじら】

【編集:一休誰絵】

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