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人生六十までと思っていたけどやっぱり長生きしたくなったアートディレクターの人

みなさん夫婦ですか? 夫婦のみなさんたち、夫婦で一緒に行動したりします?
私は? 私ですか? 私はわりと一緒行動ですね。荒野行動みたいな書き方しちゃいましたが。
ばああああーん!(これは私の心内描写です。今、私qbcは、心理的に話題をちょっと切り替えようと思いました)
と、いうわけで、夫婦で参加していただいたインタビュー回です。以前に、双子回、知り合い回などありましたが、夫婦回は、実は初めてなのです。恋人回は実はあったんですが。。ありがとうございます!
パートナーの方のインタビューはこの記事の末尾に載せているのでご覧くださいませ。
と、いうことで!
本日の無名人インタビューもお楽しみくださいませ!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】


今回ご参加いただいたのは ツカモトヒロキ さんです!

現在:仕事と家庭を天秤にかけたら迷わず家庭を取りたいと思っていて。

あるく:今、何をしている人ですか?

ツカモト:仕事っていう意味でいいですか?

あるく:もう、何でも大丈夫です。今、自分は何をしてる人?って聞かれたら?

ツカモト:僕はデザイン会社を経営していて、アートディレクターとして、主に中小企業とか店舗さんのブランド作りとかデザインの活用をお手伝いしています。

その会社では、生活雑貨の自社ブランドも運営しています。娘が生まれたことをきっかけにリリースしたブランドで、そちらのプロダクトデザインも僕が担当しています。仕事では、そういう感じ。プライベートでは一児の父親で、自分では家庭人だと思ってます

あるく:なぜ、家庭人だと思ってるんですか?

ツカモト:僕は、仕事と家庭を天秤にかけたら迷わず家庭を取りたいと思っていて。まあ「迷わず家庭を取る」って言い切るとちょっと語弊があるのでアレですけど。これまでずっと、会社勤めよりはフリーランスとして仕事をしていた時期が長くて。その後、2020年に今の会社を立ち上げました。何でそういうスタイルで仕事をしてきたかというと、家族と過ごす時間を最大化できると思っていたからです。

僕の実家は東京の池袋で酒屋を営んでたんですけど、店舗と自宅が同じ建物だったので、父は配達に出ていなければ基本的には家か店か倉庫で仕事してますし、母も家か店のどちらかにいます、店番もあるので。

僕が小学生だった頃はいわゆる「鍵っ子」、両親が共働きで日中自宅にいない子どもが増えた頃で。でもウチは必ず両親が家にいたんですよね。僕はそれが、当時も、大人になってから振り返ってみてもわりと良かったなって思ってて。それで僕自身、自分の家族と一緒にいる時間をできるだけ確保できるような、時間の自由度が高いスタイルで仕事をしたいな、っていうのを若い頃からずっと思ってたんですね。それで、拘束時間がはっきりしてる会社勤めよりは、自分の裁量で仕事の時間をコントロールできる働き方のスタイルを早い時期から選んだんです。

今もその気持ちというか、スタンスは変わっていません。そういう意味で、自分は家庭人かなっていう自覚があります。

あるく:今の生活の時間の割合では、お仕事と家庭だと家庭に割く時間の方が大きいですか?

ツカモト:仕事にもうちょっと時間を割かないとまずいかな、と思ってます。

あるく:そうなんですか?

ツカモト:コロナ禍以降は特にですけど、基本的に自宅のデスクで仕事してるんですね。で、娘は去年の春から幼稚園に通うようになって、朝送り出してからしばらくの間は家にいないんですけど。幼稚園って時間が短いんですよ。14時半には帰ってくるんです。帰ってくると、僕の仕事時間を確保するために妻が娘と一緒にいてくれたり、娘を連れて外に遊びに出てくれたりしますけど、妻も自宅で仕事してますから、妻の仕事時間だってどこかで確保しなきゃならないし。家事だってありますしね。ってなると、一日の中で仕事に集中できる時間がすごく短いんですよね。それが100%悪いとは思わないですけど、仕事にしっかり取り組める時間をもうちょっと確保しないとな、っていうのは最近のちょっとしたジレンマではあります。

あるく:ツカモトさんは、どういうことを仕事の中でやって、どういうものを形にして、どういう影響を与えてるのか、お聞きしてもいいですか?

ツカモト:はい。僕がしている「デザイン」っていう仕事は大きく分けるとふたつあって、ひとつは僕が20年以上携わっている「グラフィックデザイン」という仕事になります。グラフィックデザイナーって単純に職種でいうと実はすごく範囲が広くて、人によってやってることが全く違ったりするんですね。中にはアーティストに近いような仕事をしてる人もいれば、例えばパンフレット一筋で、ずっとパンフレットや会社案内を作ってるっていう職人みたいな人もいると思うんですけど。

僕の仕事は、企業とか店舗とか、もしくは商品やサービスなんかの「ブランド作り」っていうところに軸足を置いていて。誤解を恐れずにすごく平たく言うと、まずロゴをデザインする人です。で、ロゴを新しく作ったり変えたりすると、ロゴが入る多くのものを作る必要があります。名刺とか看板、色々な印刷物、ウェブサイト、広告、ユニフォーム……そのブランドが関わるありとあらゆるものを新しく作る、もしくは作り直すことになるんですよね。

そういう意味で言うと、今挙がったようなものを何でもデザインできる人でもあります。ものによってはより専門性の高い人に依頼をして、僕がディレクションする形で一緒に作ったりもします。

具体的には、例えば「新しくお店をオープンするのでロゴを作りたい」ってご依頼をいただいたとします。するとまず、お店のコンセプトとか、どういう人たちにどういうイメージを持って欲しいのか、どういうサービスを提供して、将来的にどういうお店にしたいのか、っていうのを詳しく聞きながらディスカッションを重ねます。

で、それをベースにこちらでコンセプトを再構成というか、咀嚼し直した状態でロゴのデザインを起こしていくんですけど。それと並行して、お店の場合なら例えばショップカードとか店長さんの名刺が必要かもしれない。メニューが必要かもしれない。広告やウェブサイト、フライヤーも必要かもしれない。ポスターとかPOPとか、店頭の看板が必要になるかもしれない。ケースによっては、内装とかファサードまで、デザインを引き受けることもあります。そうやって、クライアントのご要望や予算感と擦り合わせながら、そのブランドが人に与える視覚的な印象をコントロールしていく感じです。

ビジュアルアイデンティティっていう言い方もしますけど、例えばコーポレートアイデンティティとかCIっていう言葉を聞いたことありますか?

あるく:あります。ちゃんと理解してるかは自信ないんですけど。

ツカモト:CIっていうのは、企業そのものや企業が持つブランドの独自性とか存在意義みたいなものを、メッセージとして、もしくはお客さんやステークホルダーとのコミュニケーションとして発信することを示す言葉なんですけど、その中の視覚的な部分を取り出してビジュアルアイデンティティ、略してVIって呼んだりします。

話が長くなりましたけど、ロゴデザインをはじめとして、そういったVIの構築とか活用支援を中心に、必要なデザイン全般を提供しているっていうのが、僕のデザイナー/アートディレクターとしての仕事になります。中小規模の企業や店舗向けにIDENTITY+DESIGN LAB.という事業ブランドで展開しているのもこういった内容です。

みあるく:かなり、解像度が高まりました。ありがとうございます。

ツカモト:よかったです。もうひとつのプロダクトデザインの方は、いわゆる生活雑貨とかテーブルウェアといった製品のデザインを僕が起こして、それを日本の伝統的な工芸・工作技術を持った職人さんと協業する形で製品にして、販売しています。KIJIっていうブランドで、そもそも僕が今の会社を立ち上げたきっかけのひとつはこのブランドを立ち上げたいっていうことだったんです。

あるく:へえ、そうなんですね。

ツカモト:当時、今4歳になる娘が離乳食を食べ始めた頃に、なんかもうちょっとこう……娘の手にしっくり馴染むような食器とか、ゆくゆくはおもちゃとか道具とか、そういうものを作ってあげたいなとなんとなく考えてるときに、DIYみたいに自分で一つひとつ手作りするっていうのはなかなか難しいので、だったらブランドを立ち上げて、事業として、娘と同じような世代の赤ちゃんに向けたものを世に提供できないかな、と。まあベビー向けの製品だけ作ってるわけではないんですけれども、最初のきっかけとしてはそういう感じだったんです。

一方で、サスティナブルとかエシカルという言葉がちょうど一般に浸透してきた頃でもありました。なんていうか僕、10年くらい前まではわりと「別に明日なんかどうでもいいや」とか「宵越しの金は持たない」みたいなタイプだったんですね。毎晩のように深夜とか朝までお酒飲んでたりとか。

あるく:ええ、話し方の雰囲気からは全然イメージがつかないです。

ツカモト:30代の前半から後半にかけて、そんな感じだったんです。明日とか将来のことを考えてない、今の自分さえ良ければまあいいやっていう感じだったんですけど、妻と出会って結婚して、娘が生まれてっていうこの7〜8年の中で、ガラッと人生観が変わったところがあって。娘がこれから大人になって、親になって、さらにその子どもたちっていう世代が、もっと健全で住みよい社会で生活できるように……っていうようなことを、すごく遅ればせながら考えるようになりました。

で、もちろんKIJI製品を使ったら環境が良くなる、みたいなことはなかなか難しいんですけど。少なくとも、環境に対して負荷が高い資材を使わないとか。あとKIJI製品は生活雑貨としてはそれなりに高価な価格帯ではあるんですけど、ある意味、一生ものなんですよね。漆を塗り直したり手入れをすることでずっと使えるので。こういう、気に入っているものをメンテナンスしながら長く使い続けるってすごくエシカルじゃないですか。

何でもかんでも使い捨てでゴミが増えていくような社会ではなくて、もうちょっとこう……なんていうのかな。いつの間にか無理なくそういう意識が持てたり参加できるようなものを作って、みんなに使ってもらいたいなって考えるようになって。それで立ち上げたのがこのKIJIというブランドなんですね。

また話が長くなりましたけど、KIJIの製品はすべて僕がデザインしているもので、今後はテーブルウェア以外のインテリア雑貨にもフォーカスしてラインナップが増える予定です。プロダクトデザイナーとしては、こんな仕事をしています。

あるく:この、ウェルカムノベルっていうのも、ツカモトさんがなさってるんですか?

ツカモト:これは主に妻が手掛けている事業です。実は妻も、ちょっと前にこちらのインタビューを受けてるんですよ、別の方に。

あるく:そうなんですか?

ツカモト:はい。小説家なんです、妻。

あるく:差し支えなければ、お名前お聞きしてもいいですか? 奥様の。

ツカモト:塚本はつ歌といいます。

あるく:なるほど。

ツカモト:はい。その塚本はつ歌が主体となって手掛けている事業で、デザイン面は僕が担当しています。

あるく:お二人でなさってるんですね。

ツカモト:そうですね。

あるく:この3つで特にどれに注力してるとかもなく、3つを今、それぞれ大事にやってるって感じですか?

ツカモト:心情的なウェイトはどれも大切でフラットなんですけど。ウェルカムノベルは妻が主体でやってるので僕はそんなに手がかからないですし。KIJIは今、ブランド自体の根本的な刷新をしている最中で、根っこのコンセプトから生産体制の見直しなんかも含めて、今年いっぱいくらいかけて焦らずやろうと思って進めています。一方、グラフィックデザインは僕がもうずっと長いこと携わっている仕事でもあるので、少なくとも今のところは、ID+を始めとするグラフィックデザイン事業にウェイトがあるのかな、と。

あるく:ご自分ではデザイナーという職業は向いてるな、と思いますか?

ツカモト:思います。

あるく:おお。それはなんでですか?

ツカモト:僕、神経質なんですよね。神経症とかそういう意味ではなくて、単純に細かいことが気になる性格っていう意味で。デザイナーになったから細かいのか、細かいからデザイナーになったのかは分からないですけど、細かいことが気になるっていうのはデザイナーにとって重要な素養のひとつだと思っているので、そういう意味では向いてると思いますね。

あるく:なるほど。ツカモトさんだから出せる、デザインの色ってどういうものですか?

ツカモト:難しい質問ですね。逆に言うと、ウチはクライアントの業種業態を限定していないですし、どんなタイプのご要望にもお応えできる柔軟性を持ってるっていう側面はあります。違法性があるような案件はまあお断りしますけどね。とはいえ、何でもかんでも得意かっていうともちろんそんなこともなくて。僕個人で言えば、わりとタイポグラフィ……タイポグラフィってわかりますか?

あるく:文字のデザインですか?

ツカモト:おっしゃる通りです。タイポグラフィを中心に置いたデザインは個人的に好きだし、得意な分野だとも思います。あとはシンプルで洗練度の高いもの、何かを付け加えるよりは、削ぎ落とすことで洗練度を上げていくタイプのデザインが得意だと思ってます。強いて言うならそういう感じですか。

あるく:なるほど。ありがとうございます。細かい性格以外で、ご自分ではどういう性格だと思いますか?

ツカモト:自分の性格って難しいですよね。基本的には……何て言ったらいいんだろうな。あんまり人見知りをするタイプでもないし、コミュニケーション力はそれなりにあると思うんですけど。

色々なことに好奇心はありますけど、興味ない事には本当に興味ないです、多分。よく妻に言われるのは、返事をしたはずのやりとりを何も覚えてなくて、大丈夫?って。要は僕が興味なかったり別のことに集中しちゃってると、その会話自体をまるっと、すっぽ抜けて忘れてるみたいです。人に対してもそうで、興味ある人のことは細かいところもしっかり覚えてて、こちらからまめにコミュニケーション取ったりするんですけど。興味のない人は存在しないのと同じだと思ってるというか。なんかそういう、ちょっと極端なところがあるかもしれないですね。

あるく:なるほど。周りの人からは、どういう人って言われたりしますか?

ツカモト:どうですかね。あんまり周りの人から「こういう人だよね」って言葉で言われることもないですけど。でも10代の頃は「変わってる」って言われたことがちょこちょこあった気がします。

あるく:そうなんですか?

ツカモト:はい。でも、なんで変わってるって言われてたのか、自分でも自覚がない。振り返ってもあんまりよくわからないです。

あるく:そうなんですね。ご自分ではあんまり納得いってない感じ?

ツカモト:ええと、今わざわざ振り返ると、っていう感じではあるんですけど。納得いってないっていうよりは、僕自身が周囲の人に対して不思議だなって思ってることはありました。当時はっきりとそういうふうに思って生活してたわけじゃないんですけどね。なんていうか日本の若い人って、多分あるくさんもかなり若い方だと思うんですけど、何かに真面目に積極的に取り組むことがちょっと恥ずかしい、みたいな風潮ないですか?特に子どもの頃とか若い頃。

あるく:わかるかもしれないです。

ツカモト:授業中に熱心に発言するとか、例えば何か将来のための自発的な訓練みたいな意味合いでは、あるくさんにとってのこういうインタビューなんかもそうかもしれないですけど。そういうのを、なんでみんな真剣にやらないんだろうって不思議に思ってたクチで。そういえば、僕は小学生の頃に一度転校してるんですけどね。転校してすぐの一学期に生徒会に立候補して「なんだこいつは」って雰囲気になっていたのを、今思い出しました。

あるく:そういうこともしてたんですね。

ツカモト:その前の学校ではずっと学級委員とか生徒会とかやってたので、その流れで自然に立候補したんですけどね。よくよく考えたら誰も知らないところでなんでいきなり立候補したんだろう?ってのは、今振り返ると自分でもすごく不思議です。

過去:僕、ビックリしちゃって。こんなの、なんでもできるじゃん、って。

あるく:子どもの頃はどんな子でしたか?

ツカモト:実は、中学の終わりくらいまではいわゆる優等生だったんですよ。運動は得意じゃなかったですけど、成績表はだいたいいつもオール5で。得意じゃない体育が5を取れてたのは不思議ですけどね。生徒会長や学級委員をやって、テニス部の部長もやって……先生に可愛がられてたんですね、きっと。両親や祖父母にも期待されて、母方はたまたま医学系の人が多い家系でもあったので、僕も将来は医者になるって本気で思ってました。

あるく:中学校までということはそこから変化したってことですか?

ツカモト:僕ね、中3あたりから朝起きるのが嫌になっちゃったんです。3学期の途中からは午前中あまり学校に行かなくなっちゃって。

あるく:突然ですか?

ツカモト:どうなんですかね。そのきっかけまではさすがに記憶にないんですけど、学校に行くのが億劫になってしまって。でも当時クラスに好きな子がいたんで、学校自体が嫌だったわけじゃないんですよね。むしろ楽しかったですから、多分本当にシンプルに、朝起きるのが嫌だったんだろうなと思います。受験も終わって授業少なかったですけどね。

卒業後は上から3番目ぐらいの都立高校に進学しました。高校に入ったらもう勉強が本当につまらなくなっちゃって……これは今でもきっかけをはっきりと覚えてるんですけど。僕、それまではわざわざ勉強しなくても学年で上位一桁みたいな成績を取れてたんですね。勉強そのものは嫌いじゃなくて、授業をちゃんと聞いていたら内容が頭に入るというか。ところが高校に入って、それまで通り特に準備もしないで最初の中間試験を受けたら、初めて学年順位が三桁っていうことになって。びっくりしたんです。

それで、やっぱりそうだよな、受験して同じような学力の人が集まってるんだから、勉強しないと駄目だよなって気づいたときに、勉強のやり方がわからなかったんですよ。そこから成績を上げることができなくて。英語と国語だけはもともと好きだったっていうのもあって、わりと高得点をキープできてたんですけど、それ以外の科目、特に理系の科目とか、あと社会科や歴史は嫌いじゃないけど統計の数字とか年号とか覚えなきゃならないでしょ。ああいう暗記ものがね、もう全く点が取れなくなっちゃって。勉強そのものをする気がなくなっちゃったんですね。

で、勉強がつまらなくなったのと同じ頃にファッションとか、遊びとかっていうのが楽しくなってきちゃって。ますます勉強しなくなって……っていう感じでした。成績が良かったのは中学まで、っていうのはそういう理由です。

あるく:中学生の、わりと優等生って言われた時と、高校の、勉強から離れていった時って、どちらの方が楽しかったとか違いってあったんですか?

ツカモト:あんまりなかったと思いますね。きっかけはともかく、今日からとか今日までみたいなドラスティックな変わり方をしたわけじゃなくて、いつの間にかなんとなく変わっていったと思うので。まあ今振り返ればこういう話し方になりますけど、当時は自然な流れで、特に何も考えずに過ごしてたと思います。

あるく:学校とかに対しては、どういうイメージがありました?

ツカモト:仲のいい友達もいたし、学校楽しかったですよ。ただやっぱり、高校も午前中はあまり行ってなかったです。よく単位取れたなと思います。

あるく:じゃあ基本、朝があんまり得意じゃない?

ツカモト:当時はずっと朝、苦手でしたね。2時間目あたりになって足音がすると、「あ、ツカちゃん来た」みたいな。

あるく:ツカちゃんと言われてたんですね。

ツカモト:高校時代まではツカちゃんでした。

あるく:服とかファッションとかに興味を持ったのは、何かきっかけがあったんですか?

ツカモト:きっかけっていうとちょっと分からないですけど、中学生の頃から自然と興味を持っていたと思います。もちろん当時は親と一緒に買い物してましたけど。自分で服を選びたくなったのもその頃だし、ファッション誌みたいなものを読むようになったのも確か中2の頃でした。今だと小学生の頃から皆そういう雑誌を読んでそうですけどね。

自宅が池袋だったので、中学生くらいまでは池袋のデパートで服を買ってもらうことが多かったです。歩いて行けるところにデパートがあったら親と一緒にちょいちょい買い物行くじゃないですか。で、高校に入って、アルバイトは禁止されてたのでしなかったですけど、今思うと当時は父の商売も羽振りが良かったみたいで。バブルの手前か、入ってすぐくらいの頃ですかね。その後、夜逃げみたいなことも経験しましたけど。

あるく:そうだったんですか。

ツカモト:はい、面白そうな話題が出たでしょ、今。ふふふ。

あるく:はい。めっちゃ聞きたいです。

ツカモト:ですよね。まあ夜逃げについてはそんなに話すこともないですけど。話を戻すと、高校時代はお小遣い自体は少なくて、欲しいものがあったら都度お金を出してもらうような感じだったんです。もちろん何でもかんでも買ってもらったわけじゃないですけど、欲しい服があれば親に相談して洋服代を出してもらったり。

当時は「渋カジ」とかそういうのが全盛の頃でした。あるくさんの世代だと知らない言葉かもしれないですけど、「アメカジ」とか「渋カジ」とかっていうのが流行ってたんですよ。そのあともうちょっとすると「デルカジ」とかね。もしよかったらググってみてください。ああこういう感じか、って時代を感じる写真が出てくると思います。そういう服を渋谷とか原宿で買うようになって。そんな感じでしたね。

あるく:そのとき、ファッションに興味を持ってのめり込んだのは、自分のアイデンティティに影響を与えましたか?

ツカモト:ありました。実はすごくありました。ファッションというか、シンプルに好きな服を着たり買いに行くのが大好きで。色々なショップにしょっちゅう行ってました。で、これは今でも覚えてるんですけど。当時、渋谷と原宿の間、明治通り沿いにTRANS CONTINENTSっていうショップがあって。今はもうないお店なんですけどね。そこでワイシャツを選んでたんです。すごくいいシャツがあったんだけど「自分だったらこのボタンじゃなくて別の、こういうのがいいな」って色々と考えたことがあって。

そのときに、洋服のデザインって仕事になるのかな?ってふと思ったんですよ。小学生時代の「医者になる」っていうのは別として、それまでは自分が将来どういう仕事に就くかって現実的に考えたことがなかったんですよね。初めて「自分がどういう仕事をやりたいのか」って意識したのが、多分このときです。そうか、デザインってそういえば仕事になるよね、と。

で、実際に進路決定の時期に親に相談したんです。実はデザインの仕事に興味がある、と。でもその頃の僕はデザイナーっていう仕事に色々な分野があることもまだよく分かってないような状態で。アパレルのデザインなのか、今やってるようなグラフィックなのか、建築、プロダクト、本当にほとんど何も知らなかったですね。とにかく何かデザイン系の仕事に就いてみたい。だからそういう学校に進学したい。っていうようなことを父親に伝えたら、わかった、と。でも、デザインの勉強は大学を出た後じゃできないのか、って言われたんですよ。特に男は将来つぶしがきくから大学は出とけ、と。父は自分が大学を出なかったことにちょっと後悔があったというか、何か思うところがあったんですね、多分。自分の子は大学に行かせたいっていう思いがわりとあったみたいで。

それで、大学はちゃんと受験します、わざと落ちたり手を抜いたりは絶対にしないから、それでももし合格できなかったら、浪人じゃなくて専門学校に行かせてほしい、という約束をしたんです。さっき言ったように僕はもう理系科目は壊滅的だったから私立の文系しか選択肢がない状況で、いくつか文系の学部を受けたらいくつか合格しちゃって。しちゃってっていう言い方もアレですけど。学部のチョイスも、なんとなく合格できずに専門学校に行くだろうって勝手に思ってたので、わりと安易に文学部ばかり受験してたんです。

あるく:結構デザインとは違う。

ツカモト:当時、そもそも大学でデザインを勉強するっていう発想がなかったですね。まず美大の専門的な入試は受験できるような状態じゃなかったし、建築だと理系学部になっちゃうので受験科目でアウトだったし。文系学部で、今あるようなデザイン系の学科って当時はとても少なかったんじゃないかと思います。30年も前のことですからね。

あるく:なるほど。違うんですね。

ツカモト:そうですね。で、合格したいくつかっていうのが語学とか文学ばっかりだったんです。外国文学よりは外国語の方がなんとなく役に立ちそうだよなって思って、結局、某大学でフランス語を専攻することにしました。文学部・外国語学科・フランス語専攻です。今はもう学部の編成が変わっちゃって、存在しないクラスみたいですけどね。

大学時代には、短期留学でパリにも行かせてもらいました。夏休みを利用して、現地の語学学校でフランス語の勉強をさせてもらったんです。2回目に行ったときに、ふと「もしこのままフランス語を勉強して話せるようになったとして、卒業したらどんな仕事をするのかな」って考えたら何も思い浮かばなかったんですよね。そのとき、そういえばデザインの仕事に興味があって勉強したいと思ってたんだよなって思い出しまして。

その夏が終わって帰国して、さすがにちょっと言い出す勇気がなくてしばらく悩んで、数ヶ月経ってからでしたけど……親に頭を下げて、ちょっとこういうふうに考えちゃって、申し訳ないんだけど大学を辞めて、やっぱりデザインの専門学校に行かせてもらえませんかっていう話をして。まあ、ふざけんなっていう状態に一度はなりましたけど、結果的には許してもらって、翌年の春から専門学校でインテリアデザインを学ぶことになりました

実はその頃、アルバイトでバーテンダーをやってたんです。で、デザインの仕事云々っていうのとは別に、バーテンダーって天職だなってちょっと思ってたんですね。なので、実際どうなるかはわからないけど、もし遠い将来に自分で店を持つようなことがあったら自分で自分の店をデザインできるんじゃないかっていうようなことを考えて、アパレルとかグラフィックとかじゃなくてインテリアデザインの学科を選んだんです。

あるく:そうだったんですか。

ツカモト:はい。1年目は東京でデザインの基礎を勉強して、2年目からはパリの提携校で本格的にデザインを学ぶっていうコースに入学させてもらったので、毎日デザインの勉強をしながらフランス語の勉強も続けて、その年の終わり頃、さあ、あと何ヶ月かしたらパリ生活だねって準備を始めていた頃に、父に謝られまして。酒屋の事業を広げようとして失敗して、かなり大きい借金を作ってしまった、と。東京で勉強を続ける学費は何とか捻出できるかもしれないけどパリの留学はどうしてもできなくなった、っていう話をされたんです。しばらくの間、やさぐれました。

でも、一緒に留学する予定だった友人の中には、結構過酷なアルバイトなんかもしながら自分の学費とか留学費用を全部貯めて準備していた人もいたんですね。僕はそういうの完全に親任せで、アルバイト代は全部自分の遊びや服に使ってましたから。そんな友人の存在もあって、幸いなことに親に対して怒りとか恨みを持ち続けることなく、留学を諦めたっていうこともありました。

ちょうどその直前あたりですね、さっきの夜逃げエピソードは。そんなに夜中でもなかったけど、わりとこっそり、僕と母と弟が家を出て避難することになりまして。全員いなくなっちゃうと逆に追いかけられちゃうっていうので、父はそこに残ったんですよね。ただまあ、あまり悲壮感がないというか。父のおじさん、僕から見たら大叔父ですか、その人がわりと裕福な事業家の方で、四谷にマンションを持ってたんですね。「なんだお前ら、池袋にいられないんだったらうちのマンション使っていいから来い」って感じで四谷に引っ越したら学校が近くなって、なんか便利になったという……果たしてそれは夜逃げだったのか?って感じですけどね。

その後、確か半年も経たないうちに危機的状況は脱したみたいで、無事にもとの家に戻りました。父から留学できないって話をされたのはちょうどその四谷のマンションで暮らしていたときで、今でも印象深く記憶に残っています。そんなこともありながら、学校を出た後はインテリア業界ではなくちょっとデジタル寄りの会社からグラフィックデザイン業界に入って、何度かの転職とフリーランスを経て今に至るって感じです。

あるく:インテリアの学科からなぜ、今のグラフィックデザインに入られたんですか?

ツカモト:理由のひとつは、就職活動で入りたい会社に入れなかったからですね。僕は店舗設計の会社を志望していたんですけど、軒並み落とされまして。なんとか内定をもらえたところは、ディスプレイ系のデザイン事務所だったんです。建物とか内装ではなくて、展示会のブースとかウィンドウディスプレイとか、そういうテンポラリーなものを作る会社だったんですね。それで、今思うと生意気ですけど、すぐに就職しなかったんです。

ちょうどその頃、とりあえず就職を先送りしようかなって思っていた頃に、僕がデザインの勉強をしているのを知っていた知人から「ポスターのデザインやってみない?」ってクライアントを紹介されたんですよね。これがもうひとつの大きな理由に繋がるんですけど。小規模なコンサートのポスターの背景にイラストを描いてほしいってことで、まあまあ大きなサイズのボードにアクリルで絵を描いたわけです。無事にそれを気に入ってもらえて、さらに「文字も入れてほしい」って言われたんですね。レタリングってわかりますか?

あるく:はい、わかります。

ツカモト:レタリング、要はコンサートのタイトルなんかをデザインして手描きで入れてほしいっていうことかと思ったらそうじゃなくて、例えば出演者とか協賛とか、日時とか場所とか、そういう細かい文字情報を入れて欲しいって言われて。当時僕が勉強していた平面デザインは基本、手描きでしたから、え、それどうすんの?って困り果てたわけです。

で……これも本当にたまたまなんですけど、当時仲の良かった友人にお父さんが印刷会社をやってるっていう子がいて。実はこんなこと言われて困っちゃってんだけどさ、印刷屋さんってこういうのどうやってんの?みたいなことをなんとなく話したら、後日、なんとそこの事務所でMacを使わせてくれるって言ってくれたんです。今思うと、ちょっと考えられないことなんですけど。僕が、ほとんどMacに触れたこともない人間がですよ、友人のお父さんが経営している会社に突然お邪魔して、そこでプロのDTPオペレーターの方が仕事の合間にPhotoshopとIllustratorの使い方を僕にレクチャーしてくれたんです。本当に「このアイコンをクリックして」みたいなレベルからですよ。

まず背景イラストを小さいサイズに描き直して、それをスキャンして取り込むと、画面の中に自分の絵があるじゃないですか。するとそこにワープロみたいに文字も打てるし、大きさも色も書体もレイアウトも自由にいじれる。僕、ビックリしちゃって。こんなの、なんでもできるじゃん、って。これは正直、僕がグラフィックデザイン方面に舵を切ったきっかけとしては大きかったと思います。

あるく:それで今。面白い。すごい、色々ある人生っていう感じで。

ツカモト:ポスターのくだりは僕も今、本当に久しぶりに思い出しながら話しましたけど、冷静にこうやって話すとミラクルだったなって思いますね。

あるく:そうなんですか。

ツカモト:いやあ、普通ないでしょこんなこと。

あるく:確かに。

ツカモト:今だったら、インターネットで情報収集して、もっと色々と効率よくできたかもしれないけど。その実家が印刷会社の友達がいなかったら、どうなってたかなと思いますね。

あるく:全然違いましたね、きっと。

ツカモト:ポスターは多分、納品できなかったでしょうね。

あるく:確かに。

ツカモト:そのポスターを納品できたからこそ、その後もロゴとか名刺とかウェブサイトとかって仕事を僕個人に発注してくださったと思うので。もちろんそのままフリーランスになったわけではないですけど、駆け出しの頃にデザインしたロゴや名刺をすごく気に入ってもらえて、とても嬉しかったのを覚えています。こうやって改めて振り返ると、僕の人生の中ですごく重要な出来事ですね、普段は忘れてましたけど。

あるく:人生の根幹みたいなものですね。

ツカモト:そうですね。懐かしい。

あるく:すごい。すごい過去のいろんな人生を聞けて面白いなって思いました。

ツカモト:まあ面白そうなとこだけかいつまんで話してるので、カラフルに聞こえてるかもしれないですけどね。実際はわりと平凡なんですよ。

未来:改めて、長生きしたいと。娘が生まれるとなおさら、長生きしなきゃ、長く健康でいたいって心から思うようになって。

あるく:5年後10年後、あるいは死ぬ時までを想像して、未来について、どういったイメージをお持ちですか?

ツカモト:先にプライベートの話をさせてもらうと、さっきも話題に出た、酒屋をやってた父のことが僕は昔から大好きで。尊敬もしてたし、わりとお父さんっ子だったんですよね。いつも冗談を言って周りを笑わせているような明るい人で、ちょっと格好よくて、何でも話せて。僕は何かあると母よりはまず父に相談するっていう感じでした。母とも仲良いんですけど。それこそ仲の良い家族、家庭を作り上げてくれたのが父だったなって思います。60歳で死んじゃったんですよね。がんで早世しちゃったんです。

その少し前、僕が30歳を過ぎたあたりから、顔立ちとか見た目の老け方っていうんですかね、父に似てきたなって自覚もあったし、周りの人にも言われてました。性格とか考え方もある種似てるというか、無意識に真似していたところがあったかもしれません。あと僕は父と同じようにお酒もよく飲んだし、父が他界してからは「僕の人生も60まで」って結構本気で思ってた時期があって。もしそれ以上生きたら、それはもう人生のロスタイムみたいなものだって考えてました。自分の中ではそれをあまり疑わずに、むしろそれを良しとしていたところもあって、宵越しの金を持たないとか、別に将来のことなんて、って思ってたのもそういうところが根っこにあったと思います。

だからといって、ことさら荒れていたわけではないんですけど。あまりまっとうな社会人でもなかったです。当時は仕事もフリーランスで時間の自由度が高かったこともあって、わりと自由奔放に暮らしてました。

30代の終わり頃に妻と付き合い始めて、2年後に結婚して。その頃、妻に本気で怒られたのが「60で死ぬとか二度と言わないで」ってことでした。そりゃまあ、お互い好きになって結婚した相手に「僕の人生はあと20年弱」なんて言われたら嫌ですよね。実際、僕も妻のことを愛しているし、より大切に思うようになって、改めて、長生きしたいと。娘が生まれるとなおさら、長生きしなきゃ、長く健康でいたいって心から思うようになって。

なので、プライベートで言うと「長く健康で健全でいたい」っていうのがひとつのベースというか、背骨になるのかなと思います。僕は晩婚だったこともあって、娘が成人する頃には還暦をゆうに超えてるんですよね。なのでまずは健康に長生きして、娘がしっかり大人になったら、妻には結婚以来苦労ばっかりさせている気がするので、妻に楽をさせて、夫婦で一緒にのんびり過ごしたいなと思います。

そして、それを実現させるためにも、現役のうちは仕事をもうちょっと頑張ろうと思ってます。

今度はビジネス面の話になりますけど、今、日本にある企業は99%以上が中小企業と言われてます。もちろん規模感とか影響力だけで言えば、ごく一部の大企業がいないと立ち行きならないんでしょうけれども、小規模の企業とか事業者が頑張って、日本の経済を下支えしてるのは間違いないんですよね。そういう中小企業や小規模事業者にとって、経営にデザインを導入して活用するっていうのは実はなかなかハードルが高いんです。5年ほど前に経産省が「デザイン経営宣言」というものを発表したのはご存知ですか?

あるく:全然知らなかったです。

ツカモト:「デザイン経営宣言」って何かっていうと……誤解を恐れずに簡単に言ってしまうと、日本の企業が今後、国内でも海外でも競争力を高めていくためには、デザインをきちんと経営に取り入れていくことが必要だよ、と、すごく平たく言うとそういうことなんです。これはただ製品や広告の見た目を整えようという話ではなくて、デザインを経営資源として位置づけて活用することで、企業やブランドの価値と競争力を高めようっていう話です。

例えばAppleとか、まさにデザインとブランドの力を最大限に活用して企業価値を高めた代表例ですけど、こういう取り組みは大企業だけのものじゃなくて、中小規模の企業こそ実践することで、企業の、業界の、ひいては日本の競争力を高めていこうよ、っていうのが「デザイン経営宣言」なんです。そのために、ある程度以上経験豊かなデザイナーとかディレクターを会社の経営に参画させて、デザインの視点を経営の上流から取り入れましょうっていうようなことを政府が言ってるわけですね。

でも、多くの中小企業にとってそれはそんなに簡単なことではないんですよね。そういうレベルのデザイン責任者を雇おうとしたら、人件費だけでもハードルが高いでしょう。それでなくても、事業の根幹にデザインを本気でプラスするっていうことは、今まで作り上げてきた色々なことをやり直す、作り直すということにも繋がるんですよね。もちろんそれは長い目で見たら良い側面もたくさんあると思うんですけど、小規模事業者にはそれを今、実際にやる体力がないことが多いんです、現実問題として。

でも僕ができることは基本、デザインなので。そういう小規模な会社や事業者にこそ、デザインを活用することでパワフルになってほしいっていう思いがあるんです。そんな思いもあって、ウチのグラフィックデザイン事業で展開しているIDENTITY+DESIGN LAB.では、起業する人を応援するための「低価格なデザインパッケージ」とか、継続的にデザインを活用してもらうための「月額固定のサブスク・プラン」といったコスパの良いデザインサービスを提供しています。

この4月からの具体的な目標として「2030年までに1,000件のデザイン活用支援」っていうのを掲げていて。これはひと月に10件くらいのペースだとある程度実現できる数字なので、ぜひ達成したいと思っています。こういうサービスがここにあるんだということをもっと多くの企業さんに知ってもらって、実際に導入してもらって。僕たちはそれを導入してくれたクライアントに対して本気でデザインの活用をお手伝いすることで、日本の中小企業を元気にしたい。これがひとつ目の、ビジネス面での将来の目標です。

IDENTITY+DESIGN LAB. 

もうひとつはプロダクトデザインの事業にも関連して、これからの社会とか環境とかの話になるんですけど。例えば、ウチの生活雑貨ブランドKIJIでも取り扱っているような伝統的な技術を使ってきちんと作られたものって、そもそもサスティナブルな側面を持っているんですね。大きな電力を使わずに作られてるっていうのもあるし、長く使うための工夫もされています。KIJIでも「漆のお直しサービス」を提供することで、気に入ったものをメンテナンスしながら、愛着を持って長く使ってほしいというコンセプトでもの作りをしています。

他にも、例えばパッケージには牛乳パックの再生原料を使った資材を採用したり、持続可能な社会とか環境の実現のために何か少しでもアクションしたいな、という思いがあって。「1% for the Planet」ってご存知ですか?。

あるく:それも初めて聞きました。

ツカモト:これはPatagoniaっていう企業の創業者が立ち上げた、世界的な環境保全の取り組みのひとつなんですけど。そこに参加している企業は、自社の年間売上の1%をそこに寄付するんですね。そうするとその寄付金は「1% for the Planet」を通していくつかの環境保全団体に寄付されたりとか、実際の活動に使われたりしますよっていうものなんです。あと、先日お亡くなりになりましたけど、坂本龍一さんが立ち上げた「more trees」っていう森林保全の団体があって。ウチも木製品を作っているブランドなので、こういう団体に対して協賛とか協業といった形で何か新しいことができないかな、とか。KIJIブランドとしても企業としても、そういうところで具体的な取り組みをもうちょっと形にしていきたいなと思ってます。

とはいえ正直なところ、今ウチはまだ売上規模が小さすぎて、寄付したり協賛してどうこうっていうレベルに至ってないんですよね。なので、まずはそれぞれの事業の土台をきちんと固めて売上を拡大することで、ゆくゆくはID+のサービスを利用したりKIJI製品を購入することが、すごく自然に、自動的に環境のために何かひと役買ったことになってる、っていう流れを作りたいと思っていて。そのための取り組みを、向こう5年10年という意味では、強化したいと思ってます。

KIJI

あるく:ありがとうございます。結構はっきりとした未来のイメージがあるんですね、家庭でも仕事でも。最後の質問なんですが、もしも自分が、デザインという世界に足を踏み入れてなかったら、どういう人生になってましたか?

ツカモト:ひとつリアルな可能性としては、バーテンダーを続けていた可能性は高いかもしれないですね。自分では天職だと思ってましたし。バーテンダーじゃなくても、自然な流れで飲食業界の仕事に就いていた可能性はあったかな、と思います。逆に、大学で外国語をマスターしてそれを活かした仕事に就くっていうパターンはなかったんじゃないかなと、なんとなく思いますね。あと、父は酒屋を継がせたくないって言ってたので、もし店が続いていたとしても酒屋を継ぐこともなかったんじゃないかな。

あるく:バーテンダーはなぜ、天職だと感じてたんですか?

ツカモト:いやあ本当に楽しかったです。

あるく:どういう楽しさですか?

ツカモト:細かいところは時効ってことで話しちゃいますけど。最初にお酒を作る仕事をしたのは、いわゆるバーとかではなかったんですよね。当初は別の接客担当として入ったはずなんだけど、バーテンダーがいないからそっちやってくれって急に言われて。でも僕、まともなカクテルなんて作るどころか飲んだこともないわけですよ。ところが店長に小さなカクテルブックを一冊ぽいっと渡されて、本に書いてあるように作ってくれ、みたいなことを言われて。えええええ……、と。

その頃は、多分なんだかんだ真面目だったんですね。意を決して、雑誌に載ってるようなきちんとしたショットバーに自腹で飲みに行って。でもそんなにお金ないですから、ひとつ、決めたカクテルを一杯だけオーダーするんですよ。で、作るところをじいっと……だいたいカウンター越しに見えるじゃないですか、ショットバーって。ちびちびと味を覚えながら、バーテンダーがどんなふうに仕事しているのかをじろじろと眺めて。それを何軒か繰り返して、バイト先ではそれを見様見真似で試しました。技術はもちろん、お酒の銘柄から使う氷まで何もかも違うので、同じ味を再現できるわけないんですけどね。そんなことをしているうちに、お酒の奥深い世界にハマっちゃったんです。

しばらくしてから、もうちょっときちんとしたバーで働くようになりました。改めてお酒の作り方や知識も身についてきて、自分の作ったお酒を美味しいって喜んでもらえるのは嬉しかったし、お客様とカウンター越しに話すのもすごく楽しかった。カウンターのこちら側にいると普段の自分じゃなくてバーテンダーっていう立場で話ができるから、なんていうかそのロールプレイ感も面白かったです。あとね、バーテンダーやってるときは随分モテたんですよ。こんな楽しい仕事ないし、きっと向いてるんだろうなって思ってました。若い頃に天職だと思った理由なんてその程度のものです。

あるく:すごいモテたんですね。

ツカモト:まあバーテンダーやってなかったらモテてなかったですよね。という感じで、もしデザイナーになってなかったら、手に職っていう意味でも現実味があったのはバーテンダーだったんじゃないのかなと思います。

あるく:ありがとうございます。なるほど。最後に何か言い残したことはありますか?自分への独り言でも、読者に向けてでも、感想でも何でもいいんですけど。

ツカモト:多分、言い尽くしたんじゃないかと思います。しゃべり倒しました。

あるく:それは良かったです。

パートナーの塚本はつ歌さんのインタビューはこちら!

あとがき

デザインというものとの距離が一気に近づいていく瞬間のお話がすごく印象的でドキっとしました。「自分だったらこのボタンじゃなくて別の、こういうのがいいな」って瞬間的に思って、そう思ったことに自分で気づく時のどきどき、、、

色んな世界にぽーんっと飛び込んでいって、それぞれの世界でご縁があって、一つ一つの選択がツカモトさんの今までを作り上げてきた感じが、場面がくるくる移り変わる物語を読んでいる感覚でした。
あともう一つ印象的だったのが、聞いているこっち側を自然と巻き込みながらお話を進めてくださること。「○○ってわかりますか?」「~って思いますよね?」ってこちら側の理解度とかを自然と測りながら、それによって使う表現や話の進め方を合わせてくださって、それが無理やりな話の振りじゃなくて引き込まれるインクルーシブさで驚きでした。インタビューをしているはずがときどき対話のようで、でもインタビューで、という不思議な感覚。

前回の佐々木理人さんに続き、また参考にしたいお話の仕方をみつけることができました。
ツカモトさんがデザインで変えていくこの先の世界がたのしみです。

【インタビュー・あとがき:あるく】

【文字起こし:あおい】

【編集:花梨】

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