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社会のメインストリームを歩けない自分に劣等感を感じなくてもいいと気付いた人

本当は教えたくない激ヤバ裏情報をこれから教えますね。だって私qbcは無名人インタビュー読者さんたちを愛していますからね、だって、ねえ、分かりますよね私はみなさんが大好きなんですよ。愛しているんです。
ということで、クイズです。
人間には、生きる意味があるのでしょうか?
正解は、、なんでしょうね、ここでズバっと言うとマズいかな。まあ、でも答えは出てるから。そうですね、生きている意味はないです。なんというか、死ねないですよね。なんていうか、基本生きたい系生き物is人間っていうか。
でも、後付けで生きている意味を作っていくことはできますよね。
その一つがね、例えば宗教だったり、芸術だったり、そういうものだったりするんです。子供のために、もそうだと思います。でも、やっぱり、なんていうか、推しのために生きるっていうのが、ねえ、ね、やっぱり、推しのための人生っていうのがさ、やっぱりしっくりくるというかさ。推しisゴッドていうかさ、ねえ、もうね。
ということで! クイズです。
私qbcの生きる意味ってなんでしょう? 分らんがな。日々、他人の人生を聞く日々です。
ありがとう! 今日の無名人インタビューも絶対的にお楽しみくださいませね!!!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは はっじ さんです!

現在:自分が本当に何をしたいか探してる

ナカザワ:はっじさんは、今、何をしてる人でしょうか?

はっじ :今年の4月から社会人になりました。仕事の内容としてはスポーツ系のコンテンツに関わる仕事ですね。ただ、「仕事をしてる人」にはなりたくはないなっていう思いが今はありますね。
ただそれ以外に何してるかっていうと何かあるわけではないので、自分が本当に何をしたいか探してるっていう感じです。すごい生意気ですけど。

ナカザワ:お仕事以外で趣味とか、プライベートでされてることはありますか?

はっじ :してるっていうよりは、ラジオが好きでよく聞きますね。あと、麻雀を見るのが好きですし、よく散歩もしてますけど、何かしてるっていうこともないかもしれない。
仕事は楽しくない時もあるんですけど、楽しいときは楽しいんで、それが、ちゃんと自分のやりたいこととピントが合ってくれば一番いいなと思ってます。

ナカザワ:今やってて楽しいこととしてどういったものがあげられますか?

はっじ :何ですかね。一番というなら、僕はオードリーのラジオがすごく好きなんですよ。それは土曜の夜にやってるんですけど、日曜日の昼間、2時間散歩しながらラジオ聞いてる時間が一番楽しいかもしれないですね。

ナカザワ:仕事は楽しいときもあるっておっしゃってたんですけど、仕事で楽しいときって具体的にどういうときですか?

はっじ :今やってる仕事だと、ざっくりいうとスポーツのコンテンツを扱っている仕事なんですが、そのコンテンツをもっと良くしたいと思っているので、それを、実現できそうな時が一番楽しいですね。今は入ったばっかりだし、社会人になったばっかりだし、色々わかんないことだらけなんで、それに辿り着いてない部分も多いんですけど、ただ、自分がやりたいこととか、自分が「こういうことがしたい」っていうことを周りに拾ってもらえて、それを進められているので、それは楽しいです。

ナカザワ:スポーツのコンテンツっていうのは、ざっくりスポーツを科する人と見る人でいったら、どちら側向けのコンテンツですか?

はっじ:見る人向けですね。学生のときはスポーツ科学部に入って、大学院にも行って、スポーツの勉強をしていました。スポーツがすごい好きで、そういう方向方法で仕事できたらなっていう感じで今いる感じですよね。なんかその間にもいろいろありはしたんですけど。

ナカザワ:いろいろというと、仕事を決めるにあたってということですか?

はっじ:そうですそうです。ちょっと長くなってもいいですか?

ナカザワ:もちろん、大丈夫ですよ。

はっじ:大学のとき、ずっと部活をやってて、いわゆる運動部の裏方だったんですよ。選手じゃなくて、自分が高校までやっていた競技の裏方、トレーナーをやっていました。選手のテーピングを巻いたりとか、マッサージしたりとか、怪我をみたりとか、それはすごく楽しくやっていました。
その部活を4年間ちゃんとやりきりたかったんですけど、最後の年って就活があるじゃないですか。みんな就活と両立するんですけど、なかなか自分はできないなって思って、じゃあ大学院に行こうかなと思って行ったんですよね。その時、就活したくなかったし、多分本能的に逃げたんでしょうね、社会に出ることに。
そのあと、2年間の猶予があり、就活する中で、周りは普通にいいところに行くんですよ、商社とか銀行とか。だから、自分もそういうふうにやらなきゃいけないのかなと思ったし、割と、なんというか、恵まれた環境で育ててもらったので、ちっちゃい頃とか周りもみんなそうだったんですよね。
そういうこともあって、勝手に自分が社会の中でちゃんと階段を登っていかないといけない、真っ直ぐ上に登っていかないといけない、そういう人生の捉え方だったんですけど、それが、大学院その2年で変わったんです。やっぱり自分が好きなものとか得意なことって、結構スポーツにあったなって思い直して、就活でその方面にいってよかったなと。オードリーのラジオに出会ったのも、その頃です。

ナカザワ:大学院のときですか。

はっじ :そうですそうです。大学院の時というか、最後の半年くらいですね。それで若林さんのエッセイを読み始めたらもう止まらなくなってバーって読んで。それでいろいろ人生の価値観が変わって、そこから人生全部変わりましたね。

ナカザワ:そう言ってしまえるのは相当すごいことですね。

はっじ:そうですね、自分が全然気づいていなかったことに気づかされた。

ナカザワ:ちなみにちょっと話戻るんですけど、大学の部活をしっかりやり切りたくて、就活をやめて院に進むことにしたっていうような状況でしたか。

はっじ :そうです。どうしても就活があると時間取られちゃいますし、僕はそういうのを両立するのが苦手なタイプで、何か1個集中してやりたかったので、最後の年、ここまで部活をやってきたのに大事な部分が削ぎ落とされちゃうのはすごく嫌だなって思ったんですよね。
両立している人はみんなすごいなとは思います。あとは自分が大学院に行かせてもらえる環境があったのはすごくありがたかったですね。

ナカザワ:大学院の2年間で人生の考え方が変わったということで、一つオードリーのラジオに出会ったっていうのがあったと思うんですけど、それ以外にもきっかけはあるんですか?

はっじ:オードリーのラジオと、若林さんのエッセイとか考え方みたいなところ。それが1つで、もう1つのきっかけは学校の先生です。学部のときから授業を受けていた非常勤の先生がいたんです。大学院に入ってからもその先生とありがたいことに色々と関わらせてもらって、その方の言葉も大きかったですね。
授業もスポーツに関する話でめちゃくちゃ面白いんですけど、哲学的な部分とか人生と社会みたいな話が多くて、スポーツが社会になぜ必要か、とか。
その先生にいろいろ相談させてもらっていたことも大きかったです。結局、最後にその先生にスポーツの業界に行った方がいいかもねって言ってもらえて、決められたので。

ナカザワ:なるほど。

はっじ:コロナがあってオンラインが多くて、先生とちゃんと面と向かって話すことが初めての日に、ちょっと就活の話相談させてくれませんかって言って。
学校近くのファミレスだったんですけど、そのファミレスで、何か5時間ぐらい話して、後半2時間ぐらいずっとボロボロ泣きながら喋って、人生相談みたいになっちゃって。

ナカザワ:5時間。すごいですね。

はっじ:そうなんです。よく話を聞いてくださって。

ナカザワ:話してみたいなっていう雰囲気の方だったんでしょうかね?

はっじ :確かに、最初なんでこの人に相談したいと思ったんだろうな。
とにかく授業の中で共感できる話も多かったし、社会の中での生きづらさみたいなものを感じてる人に対する吸引力っていうんですかね、そういう人があの先生に吸い寄せられていく、みたいなところがあると思いますね。僕以外にも、ちょっとお話聞かせてくださいみたいなことを言ってくる人も結構いるみたいです。
その先生が言うには、みんなどす黒いものを心の中とか腹ん中にずっと持っていて、それを吐き出しに来るというか、そういう人が多いねっておっしゃってたんで、何かそういうものがあるんじゃないかなと。

ナカザワ:なるほど。

はっじ:授業の内容をざっくり要約すると、この世に存在するもの全てを含む世界というものがまずあって、その中の一部に社会っていうものがあると。社会にいる人間は世界とつながるための機能を持っていなきゃいけなくて、そのうちの一つがスポーツだと。今社会が成熟してしまって、社会という檻の中にみんな閉じ込められてしまって、それでみんな孤独とか不安に陥ってるから、それを救うための装置としてスポーツが必要だ、みたいな話なんですね。別にスポーツだけじゃなく、それは音楽だったり芸術だったり宗教だったり、いろいろあるんですけど。
当時は全然気づいてなかったんですけど、自分が社会の中でどういう生きづらさを感じていて、それをどういうふうに解決したらいいかわからないみたいな部分の解決をその先生に求めたんですよね。
それは若林さんのエッセイも一緒で。若林さんも社会の中での自分の生きづらさみたいなところを、どうして今こういう状態なのか、どうやったらこれは変わるのかとか、他の人はどういう状態なのかみたいなことを必死で考えてそれを書かれて。偶然だったみたいなんですけど、同じ言葉をその先生と若林さんが使っていて。それがすごい、繋がりましたね自分の中では。

ナカザワ:そういうものを求めていたんですね、はっじさん自体が。

はっじ:求めてたっていうか、なんか自分が正体のわからない苦しみを22年間くらい持っていて、その正体に気づかせてもらったって感じですね、その2人に。
あのときこういう気持ちだったのってそういう理由だったのか、みたいな。なんかあの時あの場にすごい居づらかったけど、その時は居づらいと感じてしまう自分に自己肯定感が下げられてがっていたんですけど、それは別に、こうこうこういう理由で、日本の社会がこういう社会だから、そういう風潮があって、それに自分が耐えられなくなってただけだったみたいな。代名詞が多いんですけど、例えばこのような感じでした。

過去:この社会のメインストリームを歩けない劣等感

ナカザワ:22年間ずっと正体のわからない苦しみがあったっていうことですけど、小さい時からそういう苦しみを抱えながら生きてこられたんですか?

はっじ:苦しみ自体を持ち始めたのは、大学ぐらいからなんですよ。高校までは中高6年間男子校で、すごく楽しかったんですよ。自由だし、男子校独特な感じなんですけど、いい雰囲気で。
なんていうか、大学に入ると社会に出るじゃないですか。高校まではすごく閉ざされた空間だったし。少なくとも自分がいた高校は外との繋がりとかが完全になくて、特に自分は学校以外のところでコミュニティがなかったんで。それで大学に入ったら、自分の持ってる感性とずれまくってる。
世の中のメインストリームというか、もちろん本当はそんなのないんですけど、メインと思われている道みたいなものがあって。この資本主義の社会だと、仕事を一生懸命して、やりがいを持って、明るくキラキラした仕事をして、週末は友達と昼間からBBQして、彼女と夜遊んで、また月曜から仕事するみたいな人たちがすごく正義に見えるというか。そうやって過ごしている人がこの社会の正義になってる、ということをやっぱりどこかで感じていて、そこに行けない自分に対する劣等感みたいなものがあった。
別にそうやって生きることが、自分のパーソナリティー的には合っていないけど、そこに対して、入っていけない自分。大学の運動部で結構強いところだったので、周りにそういう人も多かったんですね。まあこういうので判断するのほんと良くないと思うんですけど、就職先も商社とか、広告とか、そういうところに行く人たち。就活に強いし、就活強いっていうことはつまり社会では正義になっていることになっていると思うんですけど、一方で自分は就活とかも全然うまくいかないし、劣等感みたいなのを、大学のときはずっと4年間持ってたなっていう感じですね。当時は全然気づかなかったんですけど。今振り返ると。

ナカザワ:大学で出会った人たちこそが資本主義における理想的な生き方に近い人たちだったんだっていうことと、それと自分がそういう人たちとは違うんだみたいな、差を感じたんですかね?

はっじ :そうです。特に男ばっかりなんで、ホモソーシャルな空気になるんですよね。酒飲めないとか、彼女いないとか、女遊びしないとか、そういうことがすごい馬鹿にされてしまうような。本人たちは本気で馬鹿にはしていないだろうけど、そういう人に対して、そっちが正義みたいな意識がこっちにはあるから。
僕、お酒とかも全然飲めなくて。劣等感が溜まりに溜まっていたけど、結局それは自分がそこに入っていけない、自分はそこのメインストリームを歩けないっていう、自己肯定感の低さにどんどん仕舞い込まれていた。

ナカザワ:うんうん。

はっじ:ただ、部活やってるとか、スポーツを頑張ってる人って、世の中から認められるんですよ、それだけで。頑張ってる人って。

ナカザワ:確かにちゃんとした人に見えやすいところはありますよね。

はっじ:そうなんですよ。その肩書きを持ってるだけで、社会の中の人として認められてて、多分それがその大学4年間の僕の唯一のアイデンティティというか、自分を保っていられるものだった。
けど大学卒業して部活を引退してそれがなくなって、大学院の最初の1年とかすっごいしんどかったんですよ。コロナももちろんあったとは思うんですけど、自分は何も持ってない、社会のメインストリームも歩けていないみたいな。それでしんどかった時期ではありました。

ナカザワ:この苦しみとかをリアルに感じ出したのは大学時代だと思うんですけど、例えば小学校中学校とかの子どもの頃ってそういうのは抱いてなかったってことですかね。どんな子ども時代でしたか?

はっじ :その劣等感を抱くような原因っていうのも、子どもの頃にあったと思います。この1年で自分の中でも自己分析をしてきていたんですが。
僕、小1から小3まで3年間海外に住んでて。それで、小4の4月に日本に帰ってきたんです。そこが初めての小学校でした。

ナカザワ:日本の学校の初体験ってことですね?

はっじ:そしたら、明確ないじめとまでは外からは見えないけど、やっぱ避けられてる子とか、当時だと、誰かのこと触って「〇〇菌」って言うみたいな、ハブられてる子とかがいて、大人の言葉で言うとあれは迫害だったなと思うんですけど。、迫害を受けてる子が見えてたんですね。それを見て、自分は迫害を受ける側そこに行っちゃいけない、そこに行ったらやばいなっていうのを感じたのはすごく覚えています。そのためには、誰かとずっと一緒にいなきゃ、と思って。だから、学校から帰るときも誰かと一緒に帰らなきゃっていうのはすごいありました。
それは中学高校までずっと続いたんですね。そうするとそういうふうに迫害されてる人たちを、迫害することが正しいって思っちゃうんですよ。それが正しくないことに気づけなくて、自分が直接手を下さないけど、自然と見下してたんですよ。
そうすると、自分が他の人のこと馬鹿にしてるから、自分が何かあって迫害されたかもって思ったときに、すごい馬鹿にされてるような気になっちゃうんですよね。
だから、高校の時まではいわゆる「陽キャ」って言われるような、どっちかっていうとそういう中にいました。あとは部活をやってたので、部活やってる人ってなんかあるじゃないですか、運動部のそこそこいい人たちって、自然とそこに居ればカースト的なものは上がっていくみたいな。今となっては嫌いな話ですけど。
その時は感じなかったけど、大学入ったら、もうカーストの下の下の方で、すごい馬鹿にされてるとか、迫害を受けているんじゃないかっていう感覚があったんです。それで自己肯定感が低くなって、劣等感が大きくなって、っていうことだったんですよね。

ナカザワ:なるほど。

はっじ:ちっちゃい頃からすごく、周りからどういうふうに自分が受け取られているかっていうのを機敏に感じていて、それが決して正しかったっていうわけではなくて、自分がすごい自意識過剰だった。
今でもそうなんですけど、何かこの人にこういうふうに思われるんじゃないかなとか、今こうやって言ったけど嫌われてないかなとか、大学院のときとかもすごい親しくしてくれて、遊びに誘ってくれたりとか、みんなで旅行に行ったりする仲間ですら、ああ今もしかして嫌われたかなとか、今こういうふうに思われたかなって思ってしまうのは、そっから来たんだろうなっていう。ちっちゃい頃の原体験ですね。

ナカザワ:確かに繋がってるんですねその辺は。スポーツを始めたのっていつですか?

はっじ :スポーツは中学からですね。中学高校は普通に選手として、まあ強くない、すごい弱い学校だったんですけど。ずっとやってて、大学でトレーナーになリりました。

ナカザワ:高校から大学に入るときに、選手じゃなくて、スタッフだったりトレーナーで関わろうっていうのは、何か変わったんですか?

はっじ :まず1つは、選手としては厳しいだろうなっていう思いですね。自分はすごい背がちっちゃくて、入った大学は強い大学だったので。あとは裏方に自分向いてるだろうなっていうのが何となくあって。それは結果的に正解だったなって思います。

ナカザワ:スポーツって、団体競技ですか?

はっじ:はい、ラグビーです。

ナカザワ:そもそもスポーツ関係を大学・大学院でも勉強されてたことなんですけど、そこに進もうと思ったのって何か理由があったんですか?

はっじ :大学、行きたい学部がなくて。受験先を選ぶときに、その時は、親でしたね。自分がスポーツをよくやるの知ってるので、スポーツ科っていうのがあるよって言ってくれて、それで選びましたね。
その時は、将来、スポーツと関われたらなっていう気持ちはあって、スポ科を選びました。とはいえ普通の企業に就職する人がもう98%なので。まあそこは最終的には関係なかった…というか、そっちに自分がつられちゃった部分はありましたけど。そうすることが正しいみたいな。普通の良い企業に行くのが正しいみたいな、そういう価値観には結構引っ張られていった。

ナカザワ:なるほど。スポーツ科がいいんじゃないって言われなかったらどうなってたんでしょうね?

はっじ :全然わかんないですね。高校の時も、部活が終わるのは一番早くても9月とかで、そこまで部活をやって、そこから受験勉強を本格的にやったので正直あんま受かると思ってなかったですね。だから浪人する気でいて、浪人したらなんかもうちょっとレベル上げようかなと思ってました。そしたらスポ科じゃなかったかもしれないし。それは本当にわからない。

ナカザワ:その時点で特に将来こういう仕事につきたいとかがあったわけではないってことですもんね。

はっじ :明確なものは別になかったですし、そこを見て大学を選んだわけではないですね。楽しそうだったし、その大学に入れたら、せっかくだったらラグビー部に関われたらなと思ってたし、あまり先のことを見れるタイプではないですね。そこまでは考えてなかったです。

ナカザワ:ちょっと戻るんですけど、中学でラグビー部に入ろうと思ったのって、どうやって決めたんですか?

はっじ :小中高一貫校で、なんなら大学まである学校だったんですよね。行きたい学部がなかったっていうのは、その大学に行きたい学部がなかったってことなんですよ。それで、他の学校受けたんです。それで、小学校上がった一緒の友達がラグビー部入るって聞いて、自分も小学校の時にラグビーが盛んな国にいたんで、その時ラグビー好きだったっていうのもあって、それで入りましたね。

ナカザワ:なるほど。

はっじ :多分これもめちゃめちゃ偏見ではあると思うんですけど、まっすぐにスポーツ向き合って、部活ずっとやって、そこで勝ち上がって、競争に勝ってきて、社会に出ても競争するっていうことの中に身を置ける人って、悩みとか、自分の話を聞いてほしいみたいな根源となる、劣等感とか自己肯定感の低さみたいなものはあまり持ってないんですよ。持ってないっていうか、一括りにするつもりはないですけど、比較的少ないとは思うんですよ。
だからこそ、そういう集団の中にいた自分が劣等感を感じていた。特に大企業とかで、そういう人たちが就活に有利だったりすると思うんですけど。
そういう社会の仕組み、傾向みたいなものがこの1年でだいぶ分かったんですよね。周りはそういう人たちばっかりだったけど、そういう道に入れなかった自分に対して劣等感を持つ必要はないっていうことが最近わかった。

未来:宗教・お祭り・芸術・音楽、スポーツをそこに並ぶものにしたい

ナカザワ:今後というところの話に移っていこうと思うんですけど。大きなテーマとして、はっじさんが今後どういう人になるんだろうなっていうのが気になっています。
仕事をする人、という肩書きだけの人にはなりたくないって最初にあったと思うんですけど、どういう人として死にたいですか?

はっじ:こないだ友達とも何かそういう話になって。いるんですよ、そういう「自意識過剰でこの社会で苦しんでる友達」みたいな。
その人とどういうふうに死にたいかっていう話したんですけど、そこまで明確に思い浮かべられてはいないです。ただ、今までは社会の中での幸せが、自分が目指すゴールだと思ってたんですよ。それこそ大学の時まではそう思っていたんですけど、全然そんなことはないんですよね。
途中で出てきた世界と社会の話で言うと、世界の中で、自分がある種、動物的な本能とか欲求みたいなものを叶える、そこに近づくことが幸せ、だと捉えるべきじゃないかと思っています。
それが社会の中の幸せと一致している人もいると思うんです。社会の中で何か人と競争してそれに勝っていくっていうことが、動物的な欲求を満たすっていう人も中にはいると思うんですよ。

ナカザワ:今の社会で無理せず楽しめる人ですね。

はっじ :そうですね。そういう人たちがこの世でキラキラしてるように見えるから、そこを目指さなきゃいけない雰囲気の中で、自分もそれに従って生きなきゃいけないと思っていたんですけど、そうではなくてその世界の中で自分にとっての幸せは何かっていうのを見つけなきゃ、と今は思ってます。
それは、自分にとってはお金を稼ぐとかじゃなくて、仕事のなかでそれが見つけられれば、お金を稼ぐということとは別に、やりたいことを仕事でやるっていうものを見つけられれば一番いいと思いますし、あとは何をするかベースじゃなくて、誰と一緒にするか。それこそ、子どもを守る、家族と一緒に生きるっていうところとかも、今は全然イメージはできてないけど、自分の動物的な欲求として当たり前にあることなので、社会の中で、結婚することがいいとか、そういうふうな物差しで測って結婚したいではなくて、自分が生きるとか、幸せに向かうための家族が欲しいとか。

ナカザワ:社会自体を変えていくっていうよりは、どっちかって言うとはっじさん自身が、そうじゃない幸せもありなんだよって思って、自分で見つけていく方向がいいってことですか?

はっじ :社会を変えるってのはめちゃめちゃ難しくて、社会が成熟するっていう方向に進む以上、変化自体は避けられないことだと思うんですよね。
ちょっと話が変わるんですけど、社会が成熟すると、暴力性がどんどん減っていくんですよね。でも、生物の根源的な欲求として暴力性っていうものはあるんですよね。それがスポーツが人気な理由とかだったり、格闘技とかがすごい人気な理由だったりするんですけど、社会が成熟していくと、そういうものがどんどん削ぎ落とされていく。生物としての本能的な部分は邪魔になって、理性を働かせなきゃいけないんですよ。
この社会が成熟していくとどんどんそういう場面が増えていって。それこそエロとかも、めちゃめちゃ動物として本能的な部分だけど、どんどんどんどん削ぎ落とされていくのってそういうことだと思っています。
そうなってくると、自分の幸せっていうのを見つけづらい世界にどんどんなってくると思うんですよ。それは、しょうがないと思っていて、その先に人間がどうなっていくのかっていうのも、わからないですけどね。
だから日本の幸福度みたいなのはどんどん下がっていっちゃってる、と思いはするけど、そこまで何か自分が日本全体を変えるんだみたいな気概はなくて、その中で自分がそこに惑わされずに、どれだけ自分の世界の中での幸せってものを探していけるかっていう。

ナカザワ:なるほど。今後やってみたいこととかってありますか?

はっじ :僕はスポーツとか、アイドルとかが好きで、そういうエンタメ的なものが、社会の中にいる自分と世界を繋ぐ装置として働いてると思うんですよね。
だからこそ、そういうものに対して、もっとこうした方が良くなるのになと思うことがたくさんあるので、それを叶えたいっていう気持ちが今は強いですね。今の仕事でできることなので、本当に直近の話だとそれをやりたいなとは思っています。

ナカザワ:少なくともあと数年間ぐらいですかね?

はっじ :そうですね。自分もスポーツを見て、社会的な意義と関係ない軸で惹かれる時は、自分も高ぶったものがあるし、そうなっている人を見ると、いいなって思うんですよね。
最初に麻雀が好きという話をしたんですけど、麻雀のプロリーグとかもスポーツと結構似たような感じで、麻雀のプロリーグを初めて見た人が、こういうふうにして私はハマりました、っていうことをnoteに書いていうの見ると、ああこういう瞬間をもっと増やしたいなって思うことがあります。
今日本の中では、スポーツを見ることで救われる人がたくさんいるはずなのに、スポーツが「スポーツをする人」のものになっているんですよね。そこに気づかずに、スポーツを敬遠していく人が多い世の中だと思うから、そこをいいものにできたらなっていう思いはあります。

ナカザワ:なるほど。それで見る人向けのスポーツのコンテンツに関わる。
今おっしゃっていたような何かに夢中になっている人の魅力って、すごい動物的じゃないですか。やっぱりそっちに惹かれるところはあるんでしょうか?

はっじ :本当にまさにその通りですね。それを見る人もそうだし、僕もその1ファンの視点でいうと、スポーツを頑張るとかって、この社会の中ではそれ単体で見ると全然役に立たないんですよ。
もちろんその結果、お金をもらえるとか、そういうことはありますけど、スポーツで相手に勝つとか、過去の自分を上回るっていうこと自体に対しては、どこに快感があるかっていうと、やっぱりそれは動物的な本能の中にある。だからそれはやっぱり追い求めてる人は、すごくかっこよく見える。そこには必ず物語があるし、その物語を楽しめる。
スポーツもそうだしアイドルとかもやっぱりそうだと思っていて、僕が好きなのは歌とかダンスとかを特に頑張っている人たちなんですけど、歌が上手い人の歌って聞いたらもちろん、気持ちがいいし、いいなと思うじゃないですか。でもそれって、その社会の中の物差しでは説明できないことですよね。それって結局人間が動物的に元々持っている物差しだから。そこに対して、努力をするとか、立ち向かっていくってすごいことだなって思うんですよね。
社会の中だったら、仕事頑張ったらお金もらえるっていう報酬はあるんですけど、スポーツ選手やアイドルは、そういうものだけに向かってやってるわけじゃない。少なくてもファン目線ではそう見えるんですよね。まあ、少なくともそういうふうに見せていくっていうことがエンタメのビジネスっていうことだと思うんですけど。単細胞のオタクなんで、その姿を見てそれが「良い!」って拍手する。その瞬間がいいし、自分がその世界と繋がれる瞬間だなみたいな。そういうのに自分も関わっていきたいなって思いは、ありますね。

ナカザワ:必ずしも自分がその中心、例えばアイドルだったらアイドルの歌う人にならなくても良いけど、その塊の中というか、その社会に関わってたいみたいな。

はっじ:そうですね。アイドルとかのマネージャーみたいなものにも、新卒の就活はすごい難しかったんですけど、なれたらなってたし。

ナカザワ:究極の応援者って感じですね。

はっじ:そうですね、大学の部活はすごく楽しかったですよ。

ナカザワ:比べられないと思うんですけど、自分がやってるときと裏方で見てるときって、どっちが楽しかったですか?

はっじ:めっちゃ難しいですね。やっぱりスポーツやってる時って、点が入ったとかじゃなくても、すごい気持ちいい瞬間があって、例えばわかりやすいところでいえば、バッティングセンターに行って、ボールをバーンって打ち返せたときって、別にそれが何になるわけじゃないけど楽しいっていうか、気持ち良いじゃないですか。そういう瞬間ってスポーツやってるとあって、それは気持ちいいですよね。
裏方やってる時は、人に自分が何か工夫してやって、目の前にいるこの人のために、何かをして、言葉としては「してあげる」って言い方になっちゃいますけど、気持ちとしてはさせてもらってる。それをして、なんかすごい良かったって言われる瞬間っていうのは、何よりも良かったし、その結果、チームが勝つっていうことはものすごく嬉しいですね。嬉しいし楽しい。

ナカザワ:インタビュー最初の印象から少し変わって、ずいぶん熱い想いを感じます。やっぱりはっじさんは、基本的に社会の中での幸せと自分の幸せを一致させなくていいっていうところが結構一つ大きなところなのかなって思っていて。
学部の先生と出会えなかったりとか、オードリーの若林さんの言葉にも出会えなかったり、そうだったら今って人生どうなってたと思いますか?

はっじ :難しいですね。でも、もしかしたら、そのまま真っ直ぐ仕事して、いわゆるサラリーマンとして仕事して、社会の中で真ん中じゃなくても階段を上っていくっていう人生をそのまま本当に送ってくたかもしれないです。
でもそれはそれで悪くないんですよ。今こうやって自分が気づけたことがわからなくても、その中で、幸せってこともあるかもしれないし、そのときはそのときだなって思います。
だからこれがわかったっていうことはよかったんですけど、もしかしたら気づいてない方が、何も考えずに楽に生きれたかもなって思わなくもないです。ただ少なくともそのときの自分の悩みとか、何か黒いものっていうのは取れたから、それはその時は良かったし、ただそのせいで今の自分に新しい黒いものができたりすることももちろんあるし。

ナカザワ:でも究極ですね。生きる限り悩み続ける。

はっじ:そう、僕があの先生からいただいた言葉で、生きるっていうのは、社会の中で生きるための理性を保たなきゃいけないことと、生物的な本能的な欲求を追い求めるっていうことの落としどころをどういうふうに見つけるか。どっちも、っていうのは絶対に取れないから、この落としどころをどういうふうに見つけていくかっていう作業をするのが、この社会を生きるっていう人生だ。って言われて、もう本当にまさにその通りだなっていうところで、その落としどころの探し方がだいぶ変わったんだろうなと思います。

ナカザワ:言い方悪いですけど、ただの熱血スポーツマンだけでは気付けなかったことにちょっと気づいた。

はっじ:そうですね、しかも、根は熱血スポーツマンじゃないんだろうな、と思いますし、いわゆるそういうものではないなと自分は思うし、そういう人たちに対する劣等感みたいなところで生きてきたなと。

ナカザワ:なるほど、最初と今、印象が変わりました。
人生という旅路を、どっちに行こうか? みたいな感じなのかなと一瞬思ったんですけど、そういうわけではないんですね。

はっじ :スポーツっていうものが、ちょっと世の中の捉え方とは違うかもしれない。僕の中ではそのラジオとか麻雀とかとアイドルとか並ぶものなんですけど、世の中からするとそうじゃないじゃないですか。
だから、宗教・お祭り・芸術・音楽・スポーツを並列に並べたいんですよ。世の中に。僕の中では並んでるんですけど、そういうものにしたいですね。

ナカザワ:最後に言い残したこととか、これ話してなかったなっていうこととかありますか。

はっじ :いや、なんか、この1年でだいぶ自分のことは整理できて、それを吐き出す場が自分の中に全然なかったし、こういうことって、誰にでも喋れるわけじゃないじゃないですか。喋りたくないとかじゃなくて、理解できない人もたくさんいますよね。世の中どうして生きづらいとか、そういうことを理解できない人がたくさんいるから、そこは見極めて話さないとなって思っちゃって、なかなかこういう話できなかったんですけど、多分このインタビューならできるだろうなと思って、参加したところはあったので、そこはすごく良かったしなんかありがたいです。

ナカザワ:ありがとうございます。
そうですね、スポーツを哲学的に捉えている人って、今まで私の近くにはいなかったので、そこは単純に面白かったですね。

はっじ :僕の周りにもいないですし、今スポーツと仕事で関わっている人って、ほとんどはそういう捉え方をしていないと思います。だからこそ、スポーツが見る人のものにならないんですけど。

ナカザワ:そうですよね、オリンピックを契機に「見るスポーツ」の概念が広げられようとしていましたけど、まだやっぱり、みんなのものってところには至っていないですよね。

はっじ :僕の知り合いで女性の方なんですけど、ずっとアイドル好きで、アイドルの仕事とかもずっとしてきて、急にラグビーにハマった、っていう人がいて。その人はラグビーに対してアイドルと同じ捉え方をするんですよ。だから、ファンとして参加できる機会が薄いとか、そういうずれみたいのがやっぱりあるらしいんですよね。
やっぱりスポーツをする人の方に寄っちゃってるなって思います。どっちも捉えていかなきゃいけないと思うんですけど、やっぱり、今スポーツに実際関わってる人は基本ずっと応援されてきた人たちだから、応援する側の人の気持ちは感じ取れないし、わからないんですよ。それは悪い意味ではなくて、わかるわけはないので、そこをやっぱり変えていける人がいないとなと思ってます。

ナカザワ:ありがとうございます。

あとがき

私、高校生から大学生にかけてなぜか夏目漱石にハマっていまして。
文学的な凄さとか、描写がどうのとか、文学史における意義は何ひとつわからなかったのに、ただ読んでたんですね。

夏目漱石の主人公たちは訳がわからないほど悩むんですよ。
こう言ったら失礼なんですけど、そんなに悩んでる暇ある?って思うくらいに。暇がなくても悩んでしまうんだ、とも解釈しておりますが。
彼岸過迄 こゝろ 三四郎 あたりは読んだ気がするけどあまり覚えていなくて、あらすじすら覚えてないんですけど、とにかくそれが印象に残っていて、人って悩まないと生きていけないんだな、って。
自意識と社会の中にいる自分の位置づけの不一致によって悩む。それが人間の永遠の課題でありエネルギーの根源なんですよね。
他者の悩みのエネルギーを浴びることが年々キツくなってきたので最近読んでなかったんですけど、また読もうかなと思いました。

最近私は推し文化に触れはじめて感じましたが、スポーツでも、アイドルでも、麻雀でも、それらが共通言語となる人々の集まりは一つの社会なんですよね。そして、それぞれの社会同士は対等で、決して劣っているものはない。
科学はまともで、スピリチュアルなものはまともじゃないか?そんなことはない。全部それを信じる人にとっては言語なんです。ただ、どんなに素晴らしいものでも強要や悪用をしようとした瞬間に価値や求心力が下がってしまうようです。

最終的には、全オタクに捧げたいインタビューになりました。
推し経済圏(と勝手に呼んでいる)の生態系は人間の根源ですから安心して推しを推しましょう。

インタビュー担当:ナカザワアヤミ

https://note.com/hana_k/

編集協力:toki

https://note.com/toki_11/

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #スポーツ #アイドル

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