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小さな会社の経営者の人

むかしむかし、ある村に、小商(こあきない)という若者が住んでいました。小商は村はずれに、小さいながらも自分だけの工房を持っていました。
工房では、わずか数人の職人と共に、
心を込めた品物を作り、
丁寧に仕上げ、
大切に届けていました。
大きな商家のように派手さはなく、
王様に物を納めるような名声もなく、
多くの財を得るような規模でもありませんでした。
しかし小商の工房には、確かな誇りがありました。
すべてに目が行き届き、
一人一人の職人の顔が見え、
お客様との会話が直接できる。
そんな温かさがありました。
ある日、村を訪れた旅人が小商に言いました。
「なぜもっと大きくしないのですか?」
小商は微笑んで答えました。
「大きさではなく、心を込められることが大切なのです。私にとっては、この小さな工房こそが、最高の宝物なのです」
後に小商はこう語りました。
「小さな船でも、確かな方向に進めば、必ず望む港に着く。大切なのは規模ではなく、その志なのです」
そして「小さき商も、大きな心で」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年3月6日23時13分に書く無名人インタビュー1028回目のまえがきでした!!!!!

【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 松山智和 さんです!

年齢:30代後半
性別:男性
職業:(風が吹いたら吹き飛ぶくらいの)会社経営者
X:https://x.com/care_office_ai


現在:自分は経営者でいる限り、仕事の上で安心するっていうことは多分もうずっとないんじゃないかなって思いますね。不安と、あとは上昇志向というか、その二つを行ったり来たりみたいな感じじゃないかなっていうふうには思いますね。

こーすけ:
松山さんは、今何をしている方でしょうか?

松山智和 :
私は今、小さな会社の経営者という形で、昨年の10月からですね、やらせていただいております。

こーすけ:
どういった事業をされてるんですか?

松山智和 :
そうですね、まだ始めたばかりで、まだ方向性というか、柱となるところもまだきちんと決めかねてるところではあるんですが。

一応今のところは、いわゆる企業様に対してBPOといいますか、事務関係とか、そういったいわゆる企業さまが面倒くさいと思われることを、当社の方が代行してやらせていただきますよっていう、いわゆるバックオフィスのアウトソーシングですね。

こーすけ:
ちなみにすいません、BPOっていう言葉って、何かの頭文字なんですかね?

松山智和 :
ですね。何なんだったっけなと、今思いながらも喋ってました。Business Process Outsourcingでした。

こーすけ:
実際に、今そういった事業を始めてるってことですかね?

松山智和 :
そうですね。

こーすけ:
従業員の方とかっていらっしゃるんですか?

松山智和:
今のところ、私、あと私の妻ですね。2人でやってるっていうような形になります。

こーすけ:
もし差し支えなければ、この事業を始められた経緯とか、簡単にお伺いしてもいいですか?

松山智和 :
そうですね、起業してこの仕事をやってみようって思ったのが、そもそもその何ていうんですかね、聞こえはいいかもしれないですけど、自分自身誰かの役に立ちたいというか、人助けというか。

そういうところに喜びを覚えてるっていうか、それにやりがいを感じているところで、やっぱり社会人になってもう15年ぐらい経ちますけど、サラリーマン時代も含めて、人からありがとうって言われることが、すごくやりがいに感じたところがあって。

ただ、なかなか今までサラリーマンでやってたこと等ですと、いろんな業種を経験させていただいたんですけども、やはりサラリーマンですので、その組織のいち歯車としてやってたっていうところも、小回りがなかなか効かない、自分の本当にやりたいことができないっていうところから、思い切って自分で自分のやりたいようにできるようにっていうことで、会社を設立したという次第です。

こーすけ:
今実際に事業をされてて、どんな気持ちになることが多いですか?

松山智和:
そうですね、やっぱ不安ですね、不安がすごく大きいです。

こーすけ:
どんなことに対して不安ですか?

松山智和 :
自分が思い描いてた需要というか、それとやはり自分は良いと思っていても、相手が受け入れられない、相手にとっては良いものとは思わないっていうことも、これからしばしばどんどん出てくるんじゃないかなっていうところもあって。

それにプラスして、半分行き当たりばったりで始めたような会社でしたんで。ちょっとそういう意味では、会社を続けるにあたっては、多分不安というのは、これから先もずっと尽きないんだろうなと。それは経営者として、ある意味当然なのかなと思うんですが。そんな感じですね。

自分は経営者でいる限り、仕事の上で安心するっていうことは多分もうずっとないんじゃないかなって思いますね。不安と、あとは上昇志向というか、その二つを行ったり来たりみたいな感じじゃないかなっていうふうには思いますね。

こーすけ:
なるほど。実際に事業を10月に始められてみて、不安要素と上昇志向、割合で言ったら、何対何ぐらいですか?

松山智和 :
そうですね、はっきり言って日によってまちまちなところがあるんですけど、それでもやっぱ50パー50パーぐらいですかね。

こーすけ:
不安っていうのは、これから未来に対しての不安みたいなのが大きいんですかね?

松山智和:
そうですね。どちらかというと未来ですね。

こーすけ:
人助けに喜びを覚えてるっていうところで、今の経営に至ったっていう話もあったと思うんですけど、人助けに喜びを覚えてるかどうかっていうところで言うと、お気持ちとしてはどんな感じですか?

松山智和 :
そうですね、現状10月からスタートして、本当に少しずつですけどお客様がありがたいことに増えてきてる中で、ついこのインタビューを受ける1,2分前からも、お客さまの方からLINEで、「本当助かった、ありがとう。」ってLINEが来たぐらいだったんで、それに対してやっぱ嬉しいなって。

もっと頑張ろうっていう気持ちはありますね。

こーすけ:
お客様って、接点としてはLINEが多いですかね?どういう経緯でお客様になることが多いですか?

松山智和 :
そうですね、人からの紹介が主ですね。特段ホームページとかも、あえて作ってないので、口コミって言ったらあれですけど、紹介紹介で増やしていけたらなっていうのもあって。

今ちょうどやり取りしてたお客様が、沖縄の個人事業主の方でして、なかなか、当方福岡ですので、ちょっと地理的にもすぐに会いに行ったりとか、そういうのはできないので、どうしても連絡手段ってのはLINEとか、電話ってのが、主でやってますね。

こーすけ:
実際に事業を行ううえでは、オンラインが多いんですか?実際に会われることが多いんですか?

松山智和 :
自分も営業畑が長かったので、できるだけ足で稼いで膝を突き合わせて会いたいっていう思いは当然あるんですけど。この世の中、今使ってるようなZoomとか、そういった直接会わずともやり取りができる機能っていうツールっていうのがすごく充実してきましたんで。そういうのを有効活用しつつ、効率化はもう少し図っていこうかなと思ってますね。

こーすけ:
お仕事以外のところでもお伺いしたいなと思うんですけど、今は福岡にご在住なんですかね?

松山智和 :
はい、そうです。

こーすけ:
出身が福岡なんですか?

松山智和 :
そうですね、生まれた場所はそうじゃなくて鹿児島なんですけど、生まれてすぐに福岡に越してきてずっとそこから福岡在住です。

こーすけ:
ご家族と住まわれてる?

松山智和 :
はい。

こーすけ:
もし差し支えなければ、家族構成とかお伺いしても大丈夫ですか?

松山智和 :
はい、3人家族でして、私、妻と小学2年生の娘が1人の、3人家族ですね。

こーすけ:
お仕事以外の時間は何をしてますか?

松山智和 :
娘がゴルフをしてまして、それの練習に付き合ってる時間が多いですね。

こーすけ:
ゴルフっていうのは、小学校の外でクラブみたいなのに入ってるんですか?

松山智和 :
いわゆる社会体育といいますか、隣の市でやってるスクールの方に今通って、そこで週2回ほどレッスンを受けてると。あと、日常的には自主練習に私も付き合ってるっていうような感じですね。

こーすけ:
それは、結構本格的に?例えば、プロを目指してとか?

松山智和 :
そうですね、親としての熱量は正直言うと、無理してプロにならなくてもいいと思ってるんですけど、本人が学校の作文で、将来の夢はプロゴルファーになることですとか言ってるぐらいなのでそこは否定せずに、応援してるっていうスタンスです。

こーすけ:
松山さんご自身もゴルフをされるんですか?

松山智和 :
そうですね、自分はたしなむ程度ですけど。

こーすけ:
どれぐらいされてますか?

松山智和 :
ゴルフ歴はそうですね、歴で言うと始めたのが24歳、25歳ぐらいだったんで、13,14年ぐらいですかね。

こーすけ:
松山さん自身も、コースを回ったりとかそういったこともあるんですかね?

松山智和 :
そうですね、はい。

こーすけ:
どういった方と回ることが多いですか?

松山智和 :
サラリーマン時代は、当然会社の同僚上司であったり、お客様と回ることも多かったですし、今でこそ年を取ってくるにつれ、そこまで頻度は多くなくなったんですけど、やっぱり友人とか。

また年に1、2回ぐらいコンペ開いて、ワイワイやってるっていう感じですね。

こーすけ:
趣味は何ですか?

松山智和 :
趣味、そうですね、先ほどのゴルフもそうですし、あとは、魚釣りですね。

こーすけ:
どういう類の釣りなんですかね?

松山智和 :
これはですね、基本的に全部やります。全種類といいますか、少し過去の話になっちゃうかもしれないですけど、私が以前勤めてた会社が釣り具メーカーでして、その中ではある意味仕事としてやってたところが多くて。なので、まあ全部足し算っていう感じですね。

こーすけ:
釣りを始めたきっかけも、そこに勤められてからってことなんですかね?

松山智和:
そうですね、釣り自体はその前から、学生時代から少しブラックバス釣りとかで少したしなんでた程度だったんですけど、本格的にそれ以外のブラックバス以外の釣りをやり始めたのは、やっぱりその会社に入ってから。

こーすけ:
どうですか、釣りをやってるときは、どんな気分になりますか?

松山智和 :
そうですね、やっぱ一番のストレス解消かもしれないですね。まあ場合によっては、釣れなかったらストレスが溜まったりすることもあるんですけど。

総じてストレス解消ですね。釣れたときのあの快感があるからこそ、もう止められないっていうところですね。

こーすけ:
頻度的には、ゴルフよりも多いんですかね?

松山智和 :
そうですね、今でこそ、この会社経営し初めて、ゴルフも釣りも、あえてというか、もうやれてないところではあるんですけど、一時期本当釣り具メーカーにいたときですと、釣りは毎週に近いぐらい行っていたんで、何かしらは。

こーすけ:
どういった方と行かれることが多かったですか?

松山智和 :
会社の同僚であったり、同僚が多いですね。

こーすけ:
海釣り、川釣り、沖釣り?川はないです?

松山智和 :
川なんかも。鮎釣りとか。

こーすけ:
すべて?

松山智和:
すべてです。

こーすけ:
船もですか?

松山智和:
船もです。

こーすけ:
所有してるんですか?

松山智和 :
いえいえ。そんなお金ないので、一般的な遊漁船を利用しています。そういう仕事をしてました以上、遊漁船の船長さんと仲良くなることも多かったので。そういうご縁を使って、遊漁船の方で遊ばせてもらったりっていうのはよくありましたね。

こーすけ:
それ以外に、何に時間を費やすことが多いですか?

松山智和 :
最近でしたら、仕事の一環になってるんですけど、先ほどうちの当社の事業がバックオフィスのアウトソーシングっていうふうに申し上げましたけど。今その力入れてる事業がもう一つありまして、生成AI、いわゆるチャットGPTとか聞かれたことあるかもしれないんですけど。それの勉強にかなり時間を取ってますね。

こーすけ:
どんなふうに勉強されるんですか?

松山智和 :
そうですね、元々オンライン型のスクールに通ってた経緯もあって、その教材を繰り返し見るっていうのもあるんですけど。やっぱりあの手のものってのは、自分で手を動かして、やってみて確認して修正して、またやってみてまた確認してっていう作業を繰り返して、レベルアップしていくものですので。

もうひたすら、チャットGPTとか叩いて、プロンプトという指示の出し方とか、そういったものを日々研究するっていう感じですね。

こーすけ:
1週間にどれぐらい時間費やしてますか?

松山智和 :
そうですね、1週間でしたらもう多分延べ、今土日も普通にもう休みなく仕事してる感じなので、もう50時間以上はやってんじゃないかなっていうぐらい。本当に夜中まで、それこそ昨日もかな、昨日もずっと夜中までずっとやってたので。

こーすけ:
なにかゴールとかってあるんですかね、こうなったらゴールだみたいな、もうひたすら勉強って感じですか?

松山智和 :
ひたすら勉強ですね。一つのゴールじゃないですけど、節目としてそれをきっかけで、
その類いのお仕事を最近いただけるようになったりもしたんで。

特にそうですね、それこそ明日打ち合わせなんですけど、最近私が所属している商工会の方からお話をいただいて。何十人かを目の前に、特別講師という形で講演してくれないかっていうような方法を依頼をいただいて。ちょっとずつこれも広めていけるかなっていうような感じは、今してますね。

こーすけ:
身近な人から、どんな性格と言われることが多いですか?

松山智和 :
そうですね、悪いふうには言われないですね。誠実とか、自分で言うのもこっぱずかしいですけど、本当に言われることとしては誠実、真面目っていうのが多いですかね。

こーすけ:
それは仕事に対して?それ以外に対しても?

松山智和 :
そうですね、仕事の場面でやっぱお客様から言われることが多かったですし、良くも悪くも人たらしとはよく言われてましたね。

こーすけ:
悪くもでもあるんですね。

松山智和 :
まあどうなんでしょう、私も、私自身があんまり良い意味で思ってないかもしれないですけど。

こーすけ:
ご自身では、ご自身の性格どんなふうに思いますか?

松山智和 :
そうですね、常にやっぱ真面目で、誠実であろうとは思って、人と対面してますね。嘘はつかないとか、人を騙さないとか、そういう当たり前のことを、ちゃんと当たり前っていうふうに生きてきたつもりではあります。

こーすけ:
松山さんを語る上で、何か言い残したこととかってありますか?

松山智和:そうですね、まあ現在はもうそんな感じですね。仕事をずっと追いかけてるっていう感じですね。

こーすけ:
好きな食べ物はなんですか?

松山智和 :
回鍋肉が一番好きでして。なかなかそんな人いないよって妻からはよく言われるんですけど、一番好きなものとしてはやっぱ回鍋肉が一番好きですね。

こーすけ:
お店の回鍋肉ですかね?誰かが作る回鍋肉ですか?

松山智和 :
一番はお店の回鍋肉とか。当然一応言っておかないといけないんですけど、妻が作った回鍋肉も大好きということで。

過去:自分の人生の中で初めて、あれだけの大勢の前で、喋ったりとか、表立って何か行動したりっていうのは、初めてのことだったんで。まあ、すごく印象に残ってますね。

こーすけ:
松山さんの幼少期、覚えてるときからで大丈夫なんですけど、何歳ぐらいから物心ついたというか、記憶ってありますか?

松山智和 :
幼稚園ぐらいですかね。

こーすけ:
幼稚園のときは、どんなお子さんでした?

松山智和 :
あんまり恥ずかしがるとかいうのがなくて。基本的に誰にでも笑顔を見せて話してた子だったんじゃないかな、っていうのが昔の子供時代の写真を見ても、どれもそうだったんで。

こーすけ:
笑顔の写真が多いんですかね?

松山智和 :
はい。

こーすけ:
そこに対して、自覚というか記憶みたいのもあるんですか?

松山智和 :
そうですね、とはいえそんなに気が強い感じでもなかったので。ただまあ、ただただ人に優しくというか、そんな感じで。そうなってくると必然的に、笑顔になってきますよね。なんで、そんな感じだったのかなっていう記憶はあります。

こーすけ:
家族との思い出とか、友達との思い出とか、それ以外でも何か印象的なこととかってありますか?

松山智和 :
そんな過酷な状況でもなかった、環境でもなかったんですけど。そんなにあんまり思いつかなくて、どちらかというと子供を語る上で一番になってくるのが、やっぱ小学校の頃から野球をやってましたんで。

特に小学生の頃ですと、自分たちが小学校6年生の最上級生の代になったときに、私は全然上手じゃなかったんですけど、周りがすごく上手な子が多くて。あと一番はチームワークが良かったのかな。そのおかげもあって、かなり強かったんですよ、チーム自体が。

なんで、多分1年間試合で負けたのは、もう片手で数えるぐらいだったぐらい強かったんですね。もう、公式戦で45連勝とかいうのもあったんで、

それがやっぱ勝つと楽しいんで。勝てば勝つほど、やっぱ仲間との絆ってのは深まってきますし。野球に対して、楽しいっていう思いもあるんで。実家にしまってますけど、小学生時代に取った金メダルの数っていうのが、14,15ぐらいあるんですけど。それを見ては、そのときのことを思い出したりみたいな感じですね。

こーすけ:
なるほど。何年生から始められたんですか?

松山智和 :
野球は、小学校3年生からですね。

こーすけ:
きっかけとかってあったんですかね?

松山智和 :
近所に住んでた幼なじみからのお誘いって言ったら聞こえはいいですけど、強制的に連れて行かれたみたいな感じでして。子供時代は本当に、野球を始める前は、かけっこではずっとビリになるぐらいの、運動神経の無さだったんですけど。

それがきっかけで、急にかけっこでも一番になったりとか。運動に関しては、なんかそんな苦手意識を持つことはなくなったんで。そういう意味では感謝してますね。

こーすけ:
当時幼なじみの方は、もう既に野球をされてたんですか?

松山智和 :
そうですね、はい。自分より二つ年上のお兄さんだったんですけど。

こーすけ:
野球は小学校以降も続けられたんですか?

松山智和 :
はい。中学の方も、中学校の野球部に入って。その後、高校そうですね、野球を語る上で一番の事件といいますか、高校のときですかね。

高校まで結局してたんですけど、高校のときは自分で野球部を作ったっていうエピソードが。

こーすけ:
また詳しく聞かせていただきますね。

松山智和:
はい、お願いします。

こーすけ:
野球を始めてどうでした?良かったとか、悪かったとか、それ以外でも。

松山智和 :
そうですね、良かった点で言うと、さっきも言いましたけど、運動能力全般が上がったっていうことと。あとやっぱ友達ができたのが一番でしたね。仲間とは今でもつるんだりとか、たまにゴルフ行ったりとか、飲みに行ったりとかっていうする仲間なんで。
それはかけがえのない仲間だと思ってますし。

悪かったところっていうと、一つだけ後悔してるのが、時が過ぎて、大人になってゴルフを始めたんですけど。野球より、ゴルフの方が楽しいっていうことに大人になって気づいて。

子供の頃野球じゃなくて、ゴルフやっとけばよかったなって思うことは、たまにあるぐらいの。強いて言えば悪いところってのは、それぐらいのところですね。

こーすけ:
どういう点でゴルフの方が楽しいんですか?

松山智和 :
そうですね、野球やってたからこそなのかもしれないですけど、野球は団体スポーツでしたので。その自分の良くも悪くも自分の頑張りとか、自分自身の力っていうか、なかなかそれには勝ち負けとかに直結しない、成績に直結しないスポーツってのは当たり前の話なんですけど。

一方でゴルフは個人競技ですので、自分が頑張ったら頑張っただけ、成績やスコアっていうのも良くなりますし。自分が駄目だったら駄目だっただけ、成績っていうのも悪くなっていくんで、そういう意味での楽しさっていうのがやっぱありましたね。

それは今申し上げました通り、ずっと野球、団体スポーツをやってたからこそ、そう思えたところなのかなとも思いまして。

こーすけ:
なるほど。ゴルフの方が楽しいって思ったことが、今娘さんがもう既にゴルフされてるのとかだったりするんですかね?

松山智和 :
そうですね。それはあると思います。

こーすけ:
娘さんがゴルフを始めたきっかけってのは、何ですか?

松山智和 :
やっぱ自分が練習してるのを見て、もう楽しそうだからやってみたい、自分でもあれなんですけど、すごくパパっ子なんで。パパがやってるやつやってみたい、って言ってやったのがきっかけですかね。

こーすけ:
娘さんからやってみたいっていうことだったんですね。

松山智和 :
そうですね。

こーすけ:
野球以外で、勉強だとか学校生活だとか、小学校生活いかがでした?

松山智和 :
勉強は可もなく不可もなくだったと思います。けど小学校生活でしたら、今ちょっと連絡取れてないんですけど、すごくいい先生に出会えたっていうところが一つ。自分の人間形成に、すごく大きな影響を与えたんじゃないかなっていうふうには思います。

こーすけ:
どういう点で、良かったんですか?

松山智和 :
そうですね、当たり前っちゃ当たり前なんですけど。男性の先生だったんですけど、多分当時、今の自分と同じぐらいの年の、30代後半ぐらいの歳の先生。

例えば、人の嫌がることをしないとか、いわゆる善悪の判断ですね。とか一つ一つ礼儀とか、けじめをつけることとか。行動に、メリハリをつけるとか。そういう日常の、もう些細なこと全てが、その先生から教えてもらったんで。少しでも、不誠実をするようなら、もうボロッカスに怒られるぐらいだったんで。

なので、その先生と出会えたことはすごく自分との人生の中では、小学生という早い時期に出会えてよかったな、っていうのはありますね。

こーすけ:
それは担任の先生?

松山智和 :
はい。担任の先生です。

こーすけ:
いわゆる一般的な表現で言うと、厳しい先生でもあるってことなんですかね?

松山智和 :
そうですね。厳しかったですし、もうただ第1印象として厳しいというよりは、ものすごく熱い先生っていう感じですね。

こーすけ:
中学校について、幼稚園、小学校と特に性格はお変わりなかったですか?

松山智和:
もう多分、全く変わってなかったと思います。背だけ伸びたっていう感じだと思いますね。

こーすけ:
中学校も、野球は学校の部活動ですか?

松山智和 :
そうですね。正確に言うと、中学1年の春から秋ぐらいまでは、学校外のクラブ活動、クラブチームに入ってたと。ここでやはりなかなか、周りの差っていいますか、なかなかついていけなかったっていうのもあって。はっきり言えば根性がなかったんですけど。それで一度挫折して、その後野球部に入り直したっていう感じですね。

こーすけ:
すぐに部活動入られたんですか?

松山智和 :
そうですね。はい。

こーすけ:
そのときの感情としては、どんな感じでしたか?

松山智和 :
なんかあんまり覚えてないんですけど、辞めてしばらくはちょっとお休みしようかなとか思ってたんですけど。辞めたっていうのを野球部の顧問の先生がどっかから聞きつけたのか、間髪入れずにすぐオファーが来て。

なんか、いつの間にかもうクラブチームのユニフォームを脱いだら、もう次、学校の野球部のユニフォーム着てたみたいな感じだったんで。

こーすけ:
なるほど。そのまま3年生まで続けられたんですか?

松山智和 :
はい。そうですね。

こーすけ:
中学校の部活動の野球はどうでしたか?

松山智和 :
そうですね、なんかもうかなり大所帯の野球部でしたんで。1年生から3年生も合わせて部員数が100名超えてたぐらいだったんで。

こーすけ:
3学年で100人?

松山智和 :
そうですね、はい。で、中学校の最後の大会も、割とすぐ負けてしまって終わったんで。そんなに印象はなかったかなっていうのは、正直なところです。

こーすけ:
松山さんの中で、小学校と中学校で結構印象違うかなっていうふうに感じたんですけど、そこの基準っていうのは何ですか?

松山智和 :
印象ですか?

こーすけ:
印象に残ったか残ってないかっていう、基準って何ですか?

松山智和 :
なんでしょうね、野球に関して言えば、はっきり言って強かったか、強くなかったか、やっぱり小中違うってのもありますし。

そうですね、一度小学校のときはレギュラーでやってた、っていうところも大きかったですし。中学のときは、レギュラーから漏れて、控えメンバーだったんで。やっぱ当然、そこでもやっぱり印象は薄くなりますね。

こーすけ:
小学校のチームが強かった理由って、何だと思いますか?

松山智和 :
さっきも言いましたけど、自分はそんなに周りほど上手くなかったんで。周りの人たちがずば抜けてたんで。もうおんぶにだっこ作戦じゃないですけど、一番はやっぱチームワークだと思います。

少年野球はやらないようなプレーを、普通に練習して試合でやってのけたりとかもしてたんで。そういうものはやっぱ、日頃からメンバーが仲良かったから、阿吽の呼吸でできたものなのかなとは思いますね。

こーすけ:
小学校の野球チームは、何人ぐらいだったんですか?

松山智和 :
そうですね、一番下には当然小学校1年生もいましたんで。規模感で言うと、部員全体で40名ぐらいだったんじゃないですかね、確か。

こーすけ:
その中でまた学年ごとにチームが分かれるみたいな感じですか?

松山智和:
そうですね、まあ学年ごとにチームが開かれるっていうよりは、1年生から4年生からが低学年チームで、5年生、6年生が高学年チームみたいな。いわゆるAチーム、Bチームみたいな感じ。

こーすけ:
45連勝とかしたときのチームっていうのは、20人、それぐらいになるんですかね?

松山智和 :
5年生、6年生だけのメンバーですので、そうですね、それぐらいですかね。

こーすけ:
ありがとうございます。お待たせしました、高校に移りたいと思います。先ほどの話を、もう一度お伺いしてもよろしいですか?

松山智和:
えーと、まあ野球部を作ったっていう話なんですけど。元々中学で野球を辞めようと思ってて、もうメンバーにも入れなかったし。それこそ小学校のうちは、プロ野球選手になるぐらいな感じでやってはいたものの、現実を知ったじゃないですけど、野球以外のこともやってもいいのかな、って思ってあえて野球部のない高校に入ったんですよね。

私は子供の頃からすごく身長が高くて184センチあるんですけど。そういう一般的な恵まれた体格の中で、ラグビー部とか、バスケットボール部、バレー部、いろんな部活から高校1年生のとき、勧誘が来てたんだけど。

なんか、どれもしっくりこなかったんですよね。そんな中で、最後に仮入部に行ったのが、ラグビー部だったんですけど。私の高校というのが、ラグビーがすごく全国的に強い高校でもありましたんで。そこの顧問の先生っていうのが、今はもう一線から引退されたんじゃないかなと思うんですけど。テレビにも出られるぐらいすごく有名な先生でして。

その先生と、その仮入部のときにマンツーマンで話をしてるとき、今でもすごく覚えてるのは、「お前スポーツ何やってたの?」って言われて、「野球やってました。」って。で、「お前、野球部ないやんか。」って言われて。で、「その思いで、もちろん分かってて入りました。」って。その先生は、「いや、実は自分も、もう数十年前のこの高校の卒業生で、OBで、自分も中学まで野球やってた。」と。

で、県立筑紫高校という高校なんですけど。この筑紫高校に入って、自分も野球をまた続けようと思ったけど、結局野球部を作ることができずに、ラグビーの方に魅せられてラグビーを始め、今に至ると。「野球部を作るっていうことも、チャレンジできるぞ。」と。

「お前がもうその気がないなら、それでもいいかもしれないけど。もしまだ少しでも悔いがあるならば、それでチャレンジしてもいいんじゃないの?」って言われて。

生徒総会で意見として出させてもらって、野球同好会を作りたいですということで、意見を出させてもらったらその後、トントン拍子に話が進んで。ちょうどその高校創立30周年という節目でもあって。野球同好会っていう形で、スタートをさせていただいたっていう感じですね。

こーすけ:
それは何年生のときですか?

松山智和 :
それは1年生の秋でした。

こーすけ:
同好会が設立されて、活動もされてたんですかね?

松山智和 :
当然、同好会を設立するにあたって、ネックになってくるのが、メンバーも然りですけど、あと練習環境ですね。グラウンドがやっぱないと駄目なので。どうするかっていうときに、
メンバーについては張り紙を自分で作って、掲示板に貼らせてもらって。集まるメンバーってのはもう15人ぐらい集まったんですけど、当然、今まで野球部がなかった学校なんで、8割、9割がもう初心者っていう形でスタートして。

グラウンドに関しては、ラグビー部とかサッカー部がメインで使うので、そこに迷惑をかけられないので。学校の近くにグラウンドがあったんで、そこの管理者の方と交渉させてもらって、そこを使わせていただくという形で折をつけて。同好会を設立したのが、そうですね、自分が高校1年生のときの11月だったと思います。

こーすけ:
その一連の流れを経て、どうでしたか?

松山智和 :
そうですね、そんなに人前に立つこととか自体も、今まで好き好んで、表に立ってやるってことがあんまりなかった人生だったんで。自分の人生の中で初めて、あれだけの大勢の前で、喋ったりとか、表立って何か行動したりっていうのは、初めてのことだったんで。まあ、すごく印象に残ってますね。

こーすけ:
感情としては、どんな感じでした?

松山智和 :
そうですね、やっぱり自分は野球やりたかったんだっていうふうに、改めて気付かされたっていうことと。これからやっぱ頑張っていこうかなって。そんな甲子園とかそんな望みはしないチームですけど。目指せ県大会ぐらいで。楽しくできればなっていうふうには思いましたね。

こーすけ:
それこそ不安と、上昇志向の割合で言ったら当時どれぐらいでした?

松山智和 :
そのときはやっぱ子供だったんで、不安ってのはあんまりなかったですね。もう上昇志向っていうか、プラスの意味で、もうひたすら頑張ろうっていう感じだったですね。

こーすけ:
高校卒業後はどうされたんですか?

松山智和 :
高校卒業後は、同じく福岡県内の大学の方に進学して、もう大学では部活動での野球はもう辞めて、草野球チームに入って、楽しくやってたっていうような感じですね。

こーすけ:
大学生活で、何か印象的だったこととかってありますか?

松山智和 :
大学生活、そうですね、4年間人生の夏休みって言われるぐらい、もう自堕落した生活を送ってましたんで。どちらかというと、思い出は野球っていうよりも、大学でできた仲間たちと遊んだりとか、そういうもう何気ない日常っていうのが、すごく印象に残ってるっていうよりは、それの積み重ねで4年間過ごしたという感じだったですね。

こーすけ:
大学卒業後は、その釣り具メーカーに就職されたんですか?

松山智和 :
いいえ。大学卒業してから一度、東京の方の不動産会社の方に就職して、そこはちょっと1年足らずぐらいで辞めました。また福岡に帰ってきたんですけど。結構転職、何回か繰り返してまして。

松山智和 :
不動産会社を辞めた後は、福岡に帰ってきました。また不動産管理業ですね、いわゆるマンション管理の会社に入社しまして。そこで大体10年弱ぐらい。

最初の4年、5年ほどは福岡の博多の方で働いてて、途中で転勤になって、鹿児島の方に転勤になって、鹿児島で働いて。そこも辞めて、釣り具メーカーの方に転職したっていうような流れになります。

こーすけ:
その前職の中で、一番歴が長かったのは、釣り具メーカーですか?

松山智和 :
いや、一番歴が長かったのは、結局のところマンション管理業になりますかね。

こーすけ:
10年間勤めたところ?

松山智和:
はい。

こーすけ:
一番濃いというか、印象的だったのは?

松山智和 :
マンション管理業ですかね。

こーすけ:
どういったところが印象的でした?

松山智和:
そうですね、もうはっきり言って、仕事自体があのクレーム産業って言われるぐらい、普通にかかってくる電話の9割以上が、クレームの電話でしたんで。今考えたら、ようあの仕事10年もやれたなって思います。

もう印象的なことで言うと、そうですね、担当するマンションって、事件とか起こったりとかしたときは、かなりやっぱ忙しくなりましたし。かなりね、マイナスな気持ちにもなりますし、そういうのが重なって最終的にちょっと体調崩して、退職したっていうのもありますね。

こーすけ:
過去を遡って、一番のターニングポイントはどこですか?

松山智和 :
ターニングポイントはそうですね。釣り具メーカーを退職するときだったですかね

こーすけ:
学生時代、社会人時代含めて?

松山智和:
そうですね。ある程度、自分の生き方っていうのは、釣り具メーカーに入った時点で、もう決まったなっていうふうに思ったんです、確か。釣りが好きですし、自分はここで一生働くんだなって思って入ったんですけど、結果的に5年で、体調崩して辞めてしまったってのがあったんで。そうですね、体調崩した原因も当時の上司からハラスメントを受けた、っていうのが原因だったんですけど。

で、辞めるっていう決断をしたのは、当然自分ですけど。ただ一方で、客観的に、自分が一生働くものと信じていた釣り具メーカーを辞めるなんてっていう、何て言うんですかね、なんか、何とも言えない感覚になって。

それで、おそらく1ヶ月ぐらい自分を見つめ直して、どういうふうな仕事をしていきたいかっていうことと、どういうふうにしたら、自分の思い描けるような、自分のモチベーションを高く保ったまま仕事をできるか、っていうのを考えたときに、最初に申し上げた通り、人からありがとうと言われることが自分は好きだったんで。

それを言われる仕事、かつ転職を繰り返しいろんな現場で働いてきたんで、一般的なそのパソコンスキルであったりとか、営業スキルっていうのが、いろんな経験をさせてもらったってのもあったんで。そういうのを活かして、自分で仕事やってみようっていうきっかけになったんですね。

未来:現状に満足をせず、不安の裏返しは上昇志向でもあるのかなと思うんですけど、そう思っていかないとやっていけないっていうのは、自分の中であります。

こーすけ:松山さんの人生、5年後、10年後、もしくは20年後、30年後、もっと長い目で見つめて、こういう人生を歩んでるだろうなみたいな、ご自身のイメージとかありますか?

松山智和 :
そうですね、当然仕事面からいくと、5年後、10年後、20年後、30年後、この仕事この会社を続けていきたい。いけるだろうっていうような、希望的観測ですけど。そういったものは当然持ち合わせてますし。

仕事以外でいくと、プライベートでいくと、5年後、10年後ですかね。10年後、15年後ぐらいか。娘が大学卒業して、社会人になったときには、どういう社会人なってるかっていうことと、その前に来ますけど、成人したときにどういう大人になるんだろうっていう楽しみは、当然ありますんで。

プロゴルファーになってればいいですし、そうじゃなかったとしても娘にとって、納得のいく、満足のいくような人生をそのときに歩めたら、いいかなっていうふうには思います。

こーすけ:
ポジティブかネガティブかでいうと?

松山智和 :
ポジティブの方が大きいですかね。そう思わないと、やっていけないってのもあるんですけど。

こーすけ:
冒頭に仰っていた、不安要素50%の不安要素っていうのは、いずれなくなるのか、ずっとそれを抱えていくものなのかというと?

松山智和:
多分もうずっと抱えていくものだと思います。本当に5年、10年後以上の、長い未来のことを考えると、当然ポジティブに思っておかなきゃいけないんですけど。
現状に不安、不満を持ちつつも、また長い目で見て、ポジティブに考えるっていう。そういう意味では、あんまり5年、10年後も、自分自身の心の持ちようは変わらないんじゃないかなっていう気はしますね。

こーすけ:
それは、経営者としてなんですかね?

松山智和 :
そうですね。経営者としてやっぱそう思っておかないと。多分、どの会社もそうかもしれないですけど、会社ってのは、伸びていかないんじゃないかなって。現状に満足をせず、不安の裏返しは上昇志向でもあるのかなと思うんですけど、そう思っていかないとやっていけないっていうのは、自分の中であります。

こーすけ:
経営者としての松山さんと、父親としての松山さん、それぞれ一番大事にしたいことみたいなのがあれば、お伺いしてもいいですか?

松山智和 :
そうですね、経営者としては、最初から言ってる通り、常に誠実であれっていうところですかね。それでまた少しずつ自分自身成長させていただけたらなっていうふうには思います。

父親としてはそうですね、たった1人だけの娘なんで、当然ずっと自分の手元に置いておきたいという気持ちはありますけど、いつか巣立っていく日もあるとは思って。父親として、自分が子供時代、小学生のときの先生やそれ以外のいろんな人から教えてもらった通り、人に迷惑をかけないとか、人様にとって価値のある人間になること。自分にとって満足のいく、自分が納得できる人生を歩むっていうことを、これから先も教えていけたらなというふうに。

こーすけ:
逆にこうはなりたくないなみたいな、自分の像とかってあったりしますか?経営者としてでもいいし、父親としてもいいし、それ以外でも。

松山智和 :
それはやっぱそうですね、もう当たり前は当たり前ですけども、やっぱ人を騙したりとか、人に対して不誠実を働く人間っていうのは、自分はどうしても性格上許せないので。そういう筋が通らない人間にはなりたくないですし、そういう人ともお付き合いしたくないですし、ましてや自分の娘はそういう人間にも絶対させたくないので。

こーすけ:
もしもの質問っていうのをしてるんですけども、もしも松山さんがそのターニングポイントでもある、釣り具メーカーでハラスメントを受けてなくて、そのまま釣り具メーカーに勤め続けていたとしたら、松山さんの人生ってどうなってたと思いますか?

松山智和 :
そうですね多分、釣り具メーカーにずっといたんであれば、おそらく今みたいな、例えば生成AIのChatGPTとかの勉強もしなかったと未来もあったと思いますし、毎週毎週、平日は出張に行ってた日々が続いたんじゃないですかね。

そうなると当然、今この場も出張で家にいなかったと思いますし、こういった、インタビューを受けさせて頂くこともなかったですし。

相変わらず船の上なのか、磯の上なのか、川の中なのか、どこにいるかわかんないですけど、自分の好きな釣りをやってて、毎日を過ごしてたんじゃないかなと思います。

こーすけ:
お気持ちとしては、今仰ったように楽しいみたいな人生を歩んでたんですかね?

松山智和 :
そうですね、楽しい人生は当然あるんだと思います。ただ一方で、サラリーマン時代は今と比べて勉強はしなかったので。今はとにかく視野を広げようといろんなビジネス本とか読んだりとか、先輩経営者から学んだりとかしてるんですけど。多分そういうことは、サラリーマン時代は積極的にしてなかったんじゃないかなと思いますね。

こーすけ:
そうですね、仮に一つだけ手にしたいものが手に入るとしたら、何が欲しいですか?

松山智和:
有形無形問わずですかね?

こーすけ:
そうですね。

松山智和 :
えー。

こーすけ:
もしくは絶対に手放したくないものでも、どちらでも大丈夫です。

松山智和 :
手放したくないものは、当然娘ですけど。それでいくとそうですね、艇に入れたいものは、結果、成果ですかね。曲がりなりにも日々、ひよっこ経営者とはいえ、頑張ってきてはいるつもりなので。それがいつか報われる日が来たらなっていうのは思います。回答になったかどうかわからないですけど。

こーすけ:
最後の質問なんですけど、仮に明日、松山さんがこの世からいなくなってしまうとしたら、何か残したい遺言だとか、誰かに向けたメッセージだとか、もしくはこのインタビューの感想でも大丈夫なんですけど、独り言とか何かあれば、最後にお願いします。

松山智和 :
明日いなくなるとしたら、いなくなるとしたら……難しいですね、うーん、明日いなくなるとしたら。多分、声かける人によって、メッセージの内容っていうのは多分変わってくるんですけど。例えば妻に対してだったら、家のローンがなくなるからよかったねって言えるところなんですけど。一方で娘に対しては、パパ、お空からずっと見てるからねとか、そういう優しいことは言えるんですけど。

松山智和 :
なかなか難しいですね、一般に向けたメッセージだったら、メッセージを起こせるほど自分で名前も顔もまだ残せてないので。人の印象に残るような、あれじゃないんで。

難しいなあ、ただそうですね、それこそ今日受けたインタビューの内容が、1ヶ月後かそれぐらいに、もしかしたらnoteに出るかもしれないんで、それを見て、自分のことを思い出してくださいって多分言うかもしれないですね。


あとがき

時間の感覚って、本当に不思議だなあと感じます。
例えば同じ1時間でも、きれいな景色を眺めてぼーっと過ごす時間、必死に何かを考えている時間って、そのときの気分や環境によって、全然時間の流れが違うように感じます。
どんな時間も決して無駄だと思いませんが、1秒1秒を大切に過ごしていきたいものです。

【インタビュー・編集・あとがき:こーすけ】

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