存在価値がない人間じゃない人間になりたい人
むかしむかし、ある村に、無価(むか)という名の若者がいました。無価は自分には何の取り柄もなく、存在価値がないと思い込んでいました。
村では誰もが特別な才能を持っているようでした。農夫は豊かな実りをもたらし、大工は美しい家を建て、織り子は素晴らしい布を織りました。しかし無価には、これといった特技がありませんでした。
ある日、無価は村はずれの森で老賢者に出会いました。無価は老賢者に嘆きました。「私には存在価値がありません。どうすれば価値のある人間になれるのでしょうか」
老賢者は微笑んで、小さな種を無価に渡しました。「この種を植え、毎日水をやり、世話をしなさい。そうすれば、お前の価値が芽生えるだろう」
半信半疑ながら、無価は言われた通りにしました。毎日、種に水をやり、優しく語りかけ、大切に育てました。
月日が経ち、種は芽を出し、やがて美しい花を咲かせました。村人たちは、その花の美しさに感動しました。
しかし、それだけではありませんでした。無価が種を育てる様子を見ていた村の子どもたちが、自分たちも何かを育ててみたいと言い出したのです。無価は子どもたちに、植物の育て方を教えるようになりました。
また、花の世話をする中で、無価は自然の変化に敏感になりました。天候の変化を予測できるようになり、村人たちに天気の助言をするようになりました。
さらに、花を観察する目が養われ、美しいものを見分ける力がつきました。村の祭りの飾り付けを任されるようになりました。
気がつけば、無価は村になくてはならない存在になっていました。子どもたちの先生であり、天候の予言者であり、美の伝道者となっていたのです。
ある日、老賢者が再び現れました。「無価よ、お前の価値が芽生えたようだな」
無価は答えました。「はい。でも、それは花のおかげです」
老賢者は首を振りました。「違う。花はきっかけに過ぎない。お前の中にあった価値の種が、お前の努力によって花開いたのだ。存在価値のない人間などいない。大切なのは、自分の中にある種を見つけ、育てることだ」
それから、無価は村人たちに「価値の種」の話を広めました。誰もが自分の中に価値があることを、村中に伝えていったのです。
後に無価はこう語りました。「私たち一人一人が、かけがえのない存在なのです。自分の中にある可能性を信じ、それを育てることで、必ず価値ある人間になれるのです」
そして「己の中に価値あり、育てて花咲く」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
と思う2024年10月15日16時15分に書く無名人インタビュー909回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは たじー さんです!
年齢:50代後半
性別:男性
職業:学校職員(パート)
現在:ちょっと発達障害持ってまして、そちらの関係もあるのかはちょっと分からないんだけど、一昨年からちょっと休職して、昨年退職しまして。
くじらぐも:たじーさんは今何をしている人でしょうか?
たじー:私は民間企業に在籍していましたが、ちょっと発達障害持ってまして、そちらの関係もあるのかは分からないけど、一昨年夏から休職し、昨年6月退職しました。
転職先の公立高校は、リハビリで昨年1月から3か月間通っていた国の機関である「障害者職業支援機構」の方に紹介を受けました。仕事は公立高校の事務用務員です。
転職して1年半になります。
くじらぐも:ありがとうございます。お仕事はたじーさんにとってどんなものですか。
たじー:仕事は卸売業で、主に事務系・物流系に携わっていました。前職在職中は、正直時間があまり取れなかったんですよ。仕事に行って、帰ったら寝るって生活でした。
今のところは、前職の時より自分の時間が持てるようになりました。ちょっと収入は落ちましたけど、それなりに貯蓄もしてました。仕事としては決して、なんだろうな「悪くはない」っていう言い方が正しいのかな、うん。
なんだろう、悪くはないって言い方が正しいのかなっていうのは思うんですけども。
でも、契約のパートって扱いがちょっと引っかかってます。雇用先が静岡県なので、切られることはすぐにはないんですけども。
正直言って、仕事としてはパソコンをずっと使っていたのですが、仕事として使う事が殆どなくなってしまったのが残念です。家でコツコツ使っているので、そういった事がもう少し生かせたらいいなと思っています。
別に転職するとかそういう意味ではなくて、体のことも考えながらなので。
くじらぐも:ありがとうございます。お仕事は具体的にどんなことをされてるんですか。
たじー:主には生徒が快適に生活できるように、用務員として環境整備、施設管理になります。今は体を動かすのがメインです。生徒とは挨拶は交わしますが、たまに話する程度です。生徒さんも800~900人いますので、会話するまではいかないですね。
くじらぐも:ありがとうございます。先ほど、自分の時間が持てるようになったというお話がありましたけども、そういう自分の時間には何をすることが多いんですか。
たじー:自分の時間といっても、何をするっていうのもないですね。以前もあまり出かける事もなかったので。仕事でクタクタになった時期が結構多かったんで、自分の時間を少しずつ作ろうと思って。
以前は、ストレスの発散の仕方が下手だったせいか家でボーっとしていることが多かったけど、今はサッカー観戦や、いろいろ音楽聞いたりと、ごく普通の趣味を楽しんでます。ベタな事になっちゃうんだけど。
くじらぐも:ありがとうございます。お仕事以外で何か今、熱中していること、力を入れていることはありますか。
たじー:これから力を入れて行きたい事は、SNSで自分の事の発信は少しずつしてるんですけど。noteもそうなんですが、noteを使って自分のことを発信するようにはしていきたいと思っています。
私自身が発達障害の当事者なんですが、あまり理解がないなっていうのをすごく思っています。
私は自閉スペクトラム症候群(俗にいうASD)と、注意欠陥・多動性障害(俗にいうADHD)の両方の診断を受けています。そちらの方があまり世間的には理解がないっていうのか、みんな多分知ろうとしないのかはわからないんですけど。そういった事を、少しずつ発信できればなとは思っています。理解するにはすごい時間かかることだとは思うんですけど。
そういった方は実際にいっぱいいらっしゃいます。Xあたりではそういう障害を持ってる方が自分で発信して、万単位のフォロワー持ってる方もいらっしゃいます。私も少しでも発信できればと思ってます。本当に理解されるにはすごく時間が掛かる事だと思っています。そういった事をコツコツとブログに書いてます。大したこと書いてないですけど(笑)
今は主に、今日が何月何日で誰かの言葉みたいなのを毎日発信しています。地道に続けてフォロワーを増やし、読んでもらえる方を増やしたいなと思ってます。
くじらぐも:そういったご自身の事を発信しようと思ったのはいつ頃なんですか。
たじー:どうだろう?noteのアカウントを作ってからもう3年ちょっと経つのですが、実質発信しようと思ったのは2022年の夏。ちょうど、休職し始めた頃だったと思います。
前職ではパワハラ気味なこともあったので、ちょっと嫌気がさしたっていうのが本音。一応障害者手帳を取ってはいるんですが、それが一部の人にしか理解してもらえなかったっていう事もあって。
ある日、ある特定の人から露骨に罵詈雑言を受けた事があり、実質それがパワハラに当たっちゃうのかなとは思うのですが。証拠取ってないので。
退職の際はパワハラに遭った事は一切伏せました。恐らく周りは多分分かっていたと思うけど、表だって注意する事はなかったです。
年齢的にもいってるし、離れた場所の事を悪く言いたくはないけど。その人に露骨なハラスメントをされて長々ネチネチされた事などいろいろあったので。その人には嫌気がさしてました。
そういった部分も発信していきたいと思っています、とにかくパワハラは困ると。
もちろん名前は出せないし、伏せて発信しますけど。そういう事も発信して、誰かしらが拾ってくれればと思っています。少しでもわかってもらえるようにしたいと思ったので。
noteが一番手頃だったっていうのもあったと思います。他にAmebaとかいろいろ見たんですけど、やっぱりnoteが一番無理なく発信できそうだなって思って使っています。あとは、SNSをいくつか使ってます。X(旧Twitter)、Facebook、あとInstagram。何らかの形で自分の記録は残していかないと、残しておきたいな、と思ったので。それが始めたきっかけです。
今続けてるSNSは、10年以上続けています。
くじらぐも:ありがとうございます。話は変わりますが、たじーさんはご自身の性格はどんな性格だと思われますか。
たじー:一言で言うと石頭だと思います。多分何て言うんだろう、固い人間ではないかなとは思いますね。あまり融通が利かないって思われているんじゃないかなと思ってるし、どうしても人目を気にしちゃう面はありますね。いろんなところで自分で進めてっても、どうも自己肯定感が低い面があるのか、どうしても周り気にしちゃう面っていうのは、常に考えちゃうのかなっていうのはやっぱりありますね。うん。
くじらぐも:そういった性格は周囲の人からも同じように見られていると思いますか。
たじー:多分そうだと思います。固いな、真面目だなっていう、別に自分が真面目だとはあんまり思ってないつもりでいるんですが、やっぱり真面目だって思っている人は、多いんじゃないかなって気はしますね。
くじらぐも:うん。ご自身が固い人間であることを象徴するようなエピソードは何かありますか。
たじー:エピソードって言うと何だろう、他の方みたいにフランクに話に入っていけてないのかなっていうのは感じますね。周りはそう見えてない人もいるんですが、自分の中ではあんまり自己肯定感高くないせいかフランクに入れない。どうしても緊張して硬くなっちゃうことが先にあって、それが難しいところであるのかなとは思います。
くじらぐも:家族構成をお聞きしてよろしいですか。
たじー:自宅で家族と住んでます。私自身両親と弟がいて、うち4人家族なんです、はい。
くじらぐも:ご家族はどんな方でしょうか?
たじー:父もそれなりの会社、それなりの役職を経てきた人ですね。母は割とガツガツ言うことは多いのですが、自分ができてなくてガツガツ言われることばかりで恥ずかしいんですが、ちゃんと話聞いてくれる方だなと思います。両親とも話は聞いてくれる方ですけどもね。一般的には。
くじらぐも:はい。弟様はどうでしょうか?
たじー:どうだろう。寡黙な子ですね、割と。でもしっかり芯を持ってるタイプかな、とは思います。
くじらぐも:うん。たじーさんがご家族に似ているなと思うところですとか、あるいはここが違うなと思うことはございますか。
たじー:家族と似てるというと、結構、短気な面はあるのかなって。そこは似てるとは思います、割と。親も固めな人なので、固いところはちょっと似てしまったのかなとは思ってます。
くじらぐも:ええ。ありがとうございます。
たじー:はい。うまく書けそうですか?
答え方がたどたどしい気がしますので、どうも。文章がまとまらないんじゃないかなと。
くじらぐも:全然大丈夫です、ありがとうございます。
では、たじーさんが最近考えていることとか、最近学んだことなどは何かありますか。
たじー:学び、どうだろうな。転職して人間関係が結構変わりました。変わったっていうか、結局いろんな方がいます。というのも、転勤も何ヶ所か経験しましたが、一つの職場の中の組織とは違って、いろんな人間関係を見ることができるようになったというのもありますね。
あと、私自身が朝活とか、前職のときから職場以外の交流会には、少しずつ出るようにはしてたんですよ。そこに固執してしまうのが嫌だったのもあったので。
異業種交流はちょっと場違いな部分はあったのですが。SNSを始めた時からだと、もう一番長くて11、2年ぐらい繋がっている方はいます。
あとは基本的に僕はラジオが好きなんですよ。小学生の頃からのラジオ好きで、ラジオリスナーなんです。地元の番組とかに結構投稿してるラジオリスナーでもあります。そこからの繋がりで交流が増えたっていうのもありますね。異業種交流の中での朝活や食事で、いろんな人と話する機会っていうのを、自分で意図的に増やしていきました。様々な人を見る事は大事な事だなって思ってます。
あとはもちろん、私の住んでる所は静岡県の本当の田舎なんで。田舎って東京とか都会と違ってコミュニティが盛んです。そういったところは昔から大事にしています。
私は大学は関東の千葉県にいたんですけども、就職は静岡に帰るって決めてました。
ていうか、4年で帰ってこいっていう条件で進学したんで、はい。
大学卒業後に静岡に帰り、前職の会社に就職しました。その時は静岡の本社だったのですが、合併で就職した会社が消滅した為、結果的に東京が本社の会社に転籍となりました。職場の人間関係も悪くないところは悪くなかったんですけど、悪いところは悪かった。ちょっとね、ひどいところはひどかったっていうのは、本当の所ですね。
でも根底としては、地元である静岡県の片田舎が好きで帰ったっていうのもやっぱりありますから。
コミュニティの中にずっといる人に比べたら、深い繋がりになってるかっていうとそうではないとは思うんですが。地元に帰ったというのはやっぱり何だろう、自分の中では大きい事かなって思ってます。
くじらぐも:たじーさんにとって、静岡であったりとか、そういった地元のコミュニティというのはどんな存在ですか。
たじー:どんな存在かって言われるとちょっと一言で答えるの難しいんですけど。やっぱりね、生まれ育った土地っていうのは切り離せないですね。よその土地に行っても結局静岡の事を思っちゃうんです。学生時代に4年間、転勤で8年程地元を離れました。しかし、言葉は悪いけど地元は捨てられないなと。自分の性格上。やっぱり、根底には生まれ育った田舎があるなと。街の生活をそのまま暮らしてたら、もっと疲れ切っていたかもしれないって思います。
くじらぐも:ありがとうございます。
たじー:はい。
過去:支援機構の方のカウンセラーが直接転職先の話を持ってきてくれたんですよ。ここ行ってみない?ここに空きができるけどどう?って。それが今の公立高校なんですけど。
くじらぐも:ではここからは、過去のことについて伺いたいと思うんですけれども。たじーさんは子供の頃はどんな子でしたか。
たじー:一言で言うと変わってる子じゃないかな。子供のときの当時は発達障害っていうのが、今みたいに公にはなってない時期だったので、もちろん普通学級の生活で、一般の人の中で全て生活しました。人とはちょっと違う子じゃないかなっていうのは、多分家族は気づいてたのかと思います。自分自身でも、人とはちょっと変わってる子だったんじゃないかなと思います。
仲良くした子は仲良くできたのですが、合わない子は全く話が合わなかった。でも地元の子なので、結局話が合わないといっても、最終的には余程のことがない限り、昔の仲間として話すことはできるんですけど。
中学になると、何だろう?
やっぱり、他の子とちょっと違う面が多く見受けられたせいか、いじめはありました。
小学校のときに仲間はいなかったんだけど、中学に入ってから知り合った子からはいじめを受けました。中学1年の時かな。ちょうど不良の人間がいっぱい出た時期だったので、特に長い学生服を着ていた連中に。そういう連中には色目つけられてたかなとは思います。
結局3年までに解消はしましたけどね。うん。
くじらぐも:それはどうやって解消されたんですか。
たじー:自然と解消されてたかな。クラス替えとかで、段々距離を置くようになったからだと思いますね。僕に興味がなくなったんでしょうね、その人たちは多分。
僕も割とそういうことを露骨に顔出した方だと思うんで、ちょっと嫌なのはすぐ距離を置きたくなっちゃうタチなので、相手もそれに気づいたのかなと。恨みどうこうじゃないんですよ。
多分、昔のいじめのターゲットっていうのは恨みとかではなく「こいつ面白いな」っていうのがきっかけだと思います。その子にとっては、ストレス発散だったと思うんです。
ちょっと長い語りになるかもしれないけど、昔のいじめっていうのは、今もそうかもしれないけど、ストレス発散でしかない。発散したいからしてたんじゃないかなと思います。
結局、いじめの対象にしたい人っていうのは、人と違うことがどうも嫌なんでしょうね。そういう人たちは1人でやってこなかったから。
人から無視されるとかそういうのはあまりなかったですね。結構、無視される事の方が辛いし、そういう辛い子はまだいるんじゃないかなと思います。僕は割と表だってやられた方だから。
結局だんだんそれが興味薄れてきて、僕をいじめた連中や嫌なことをしてきた連中は、主に中学なんですけど、距離を置くようにしてました、その当時から。本当に、距離置いてました。だから、結局「逃げることは悪ではない」っていう風にずっと僕思ってるんですよ。その当時も距離を置くようにしたとしても、結局その後続けていれば、そういう人たちっていうのは離れてくんです、今思えば。
高校は一応、それなりに勉強させてもらって運良く大学に進学できました。
中学までは、うちの町は中学一つしかないので、よその中学に行かない限りはそこから逃げれない。これはもう諦めはつくんですけど。
高校進学の時、実は受験失敗してるんですよ私。他の人には一切言ってないんですけども。わざわざ言う必要もないし。中学の時の同級生は知ってるんですけど。今でも繋がりのある地元の子はその事には一切触れない、いや触れてこないですね。今も仲良くできてるから。SNSで名前見りゃ昔の顔が浮かぶ子とは繋がってますので。僕も相手のことに一切触れないようにしてます。
地元の中の、疎遠になった子と再会できたのは、今までできなかったことができたっていう嬉しい面はありました。
結局のところ、大学まで比較的自由にやってたから、社会人になってからの方がいろいろ、もしかしたら苦労してる事になっちゃうのかもしれないですね。
どうだろう、社会人になってみんな出世していくのに、自分は思うようにできない、人と同じ事やっていてもどうも人と違うなって思ってしまって。社会人になってからの方が、今思えば苦労したかもしれないですね。
結局同じ事をやっても、ミスするとそこを突かれる。気に入らない人はそこをウィークポイントとして突いてきますので、それでちょっと苦しんだ面はありました。露骨ないじめとか無視とかはないんだけど。そんな事したら職場は成り立たなくなりますから流石にそれはなかったんだけど・・・。
最初は職場の人とうまくやっていたつもりでいるんですが、調子乗ってベラベラ喋って、結局、仕事やらせたらあまりうまく人とコミュニケーションが取れないとか、そういう事を段々感じていくようになったんですよね、仕事していて。段々そういう事を感じていくようになって1人で悶々として、結局ちょっと鬱かなと思ったときにメンタルクリニックに通い始めて、現在で10何年経つんです。
そのきっかけは、前職の時に20年近く前にメンタルチェックを受けたのですが、その結果がすごい怖い結果が出まして。それにショックを受けた事も「やっぱ自分って人と違うんだ」って思ってしまって。職場の中でも人と違うんだって。他のみんなみたいに共通性がある方でもなかったから。群れる方でもなかったし、他人に対して媚びたりすることがあまり好きじゃない性格だったので段々孤立してったっていうのがあったのかな。
媚びることがどうも嫌いな部分でして。結局職場や社会人の人間関係って、相手に媚びる事っていうのが絶対必要になってくるんです。自分を貫いてばかりいると結局前に進まなくなっちゃう事は多々経験してるので、段々それがだんだん溜まってっちゃったんじゃないかなと思って。メンタルクリニックに通うようになりました。
薬は今も飲んでるんですが、寛解、治ったっていう言葉は先生から今まで一度も言われなかったです。一度半年ほどクリニックを離れて薬を飲まない時期があったのですが、その時に祖母が倒れまして。半年後に亡くなったんですけど、祖母が入院した時にまたメンタル的に不安定になりました。
そういった事が続いたので、また通院し始めて、今も通院しています。その当時も発達障害ってまだ言われてなかったです。2011年か2012年かな。発達障害の診断を受けるイコール障害者手帳をもらうって事だったので、その事も怖かったです。
企業の「ストレスチェック」が2015年か2016年から義務づけになったので、その結果を産業医に相談しました。ちょっと自分は大丈夫かなって思って。
障害者手帳は勤務先の人事部に相談して、結局悩んだんですけど取りました。取って正解だったんですけど、結果的には。
障害者手帳は、メンタルクリニックに半年以上通っていないと医師から診断書を作ってもらっても手続きできません。私の場合は通院して半年以上経っていたので手続きには問題ありませんでした。
役所に診断書と書類を出して手続き審査には1ヶ月くらいかな。通ったって言い方は変だけど、それに認められてっていうのが。一番程度としては軽い3級で手帳を取りました。
くじらぐも:はい。
たじー:話している事はまとまってますか?取り留めなく話してるんで心配になりまして。ごめんなさい、大丈夫かなと思って。
くじらぐも:大丈夫ですよ。お聞きしたいんですけども、発達障害とかASDに対して、受け取り方と言いますか、ご自身の思うところがこれまで変化してきたこととかってありますか。
たじー:診断受けてからは「やっぱりそうだったんだ」っていう納得ができました。ASD・ADHDとはもう切れない、向き合っていくしかないものとして受け入れる事にしました。コントロールしながらやっていくしかないなっていうのは、一応分かった事が良かったことかなとは思います。自分の特性がある程度見えたという点も。
家族も最初は、ちょっと変に思ってたのかなとは思います。その後も同じ職場で働いてた中で、勤務体系が朝早く出勤し(定時開始まではサービス)夜遅く帰る事も多くなっていきました。仕事が段々といろいろ詰まっていく中で、年齢も重なっているんで責任も増えていくんですが、やる事も段々詰まってきて、自分で進めたいようにいかなくなった。私自身、部下のマネジメントまではいかないけど、パートさんに指示を出す事はありました。しかし、うまく指示が出せなくなってしまいました。仕事しながらおかしくなってきたっていうのは、自分自身ちょっと思いました。
それで家族の方から、私がちょっとおかしくなってるっていうのを母親が気づいてくれて。「ちょっと一旦離れた方がいいんじゃない?」と母親が言ってくれたんですね。それが2年半ぐらい前かな、2022年の春ごろだったと思います。
いろいろ悩んで自分の中でも、職場ではそんな事話せないという葛藤が自分の中でありました。正直言うと、別に自分が離れても職場は回るっていうのは分かっているんですが、どうもその決断が下せなくて。
そう思っていた矢先の2022年4月、部署の中で人数が少ないせいか、仕事の責任が増えました。
その頃から、どうも頭が回らなくなっちゃってオンとオフの切り替えもできない状態まで来てしまいました。
「ちょっとこれ診断書作ってもらった方がいいかな?」って勝手に思い始めて、クリニックの先生に相談の上で診断書を作ってもらいました。とりあえず2ヶ月3ヶ月っていう形で作ってもらいました。
その診断書を作ってもらったんですが、1週間2週間は出せなくてずっと自分のカバンに持ったままでいました。ちょっと上司にお願いがあるのでという形で一応診断書を出しました。人事部の人は離れた環境にいるのですが、体調があまり優れないんで一旦少しお休み取りたいんですけどっていうニュアンスで話をしました。
「ちょっとこれ、どういう事?」って、人事部長が慌てて連絡をくれました。
その後、人事部と上司と面談を2回行い、休職届を提出し休職しました。
家族には、休職届出した時にその時の現状を話しました。離れた嫁いだ姉にも同じ話をしました。姉と義理の兄がそのことを聞いて、だいぶ心配してくれました。「ちょっとこれ大丈夫か」って言われてしまいました。姉は「なんでそんなことをもっと早く言わないの」と、結果的に叱られました。
多分、休職届けを出して、2、3ヶ月で戻れる自信はなかったから、それだったらどうすればいいかを姉と義理の兄と母が電話で話してくれていたようです。
姉と義理の兄は、ある程度会社に籍を置きながら休職期間ギリギリまで在籍の案を教えてくれました。最長で2年なんですが。結局はそこまではいかずに、1年程で転職先のお話があったので退職・転職をしました。クリニックの先生も、休職直前の僕の状況がおかしい事に気づいてくれて。障害者職業支援機構っていう厚生労働省の機関が各県にありまして、静岡の支部のチラシを1枚くれたんですよ。「休んでる間ここでリハビリしてみたら?」ってことを勧めてくれて。そこの機関は希望者が意外と多かったのですが、休職直後の2022年8月に一応話を聞いてもらえる事になりました。
そこの機関に行ったんですが、希望者は多かったです。実質リハビリに入ったのは2023年1月からだったんですけど、8月から毎月1回の面談と、1ヶ月の生活状況を全て報告する事になりました。家にいる・家の手伝いしている・外出するといった1日のスケジュールをマークをつけて行く形で。それを1ヶ月に1回提出するっていうのを4ヶ月程行いました。
2023年1月からリハビリに本格的に入りました。それまでの5ヶ月間は、ほぼ家にいたんですけど。会社の電話を持たされてたのですが、それもほぼ出ずにいました。完全に前職から離れたかったから。
リハビリは毎週5回、休憩を入れて1日4時間の座学もしくは模擬勤務を3ヶ月間行いました。その間にうまく転職の当てが見つかればっていうことで並行して、ハローワークで求人を探すなり、障害者支援機構に届いている求人を見るなり、障害者雇用のセミナーを行ってみるなりしました。
障害者雇用の企業の採用試験・面接を受ける事になるので、履歴書の作成も学び直しました。パソコンの講習もリハビリのプログラムにありました。履歴書作成など普通に最低限のパソコンスキルは持ってるつもりで一応やれますので、普通に文章を打つ事は苦になりませんでした。
パソコンのスキルを落としたくないので、いろいろなSNSの投稿を行い、ブログのnoteを書いたりっていうのを今も続けてます。関数計算・図表作成のスキルは落ちちゃってると思うけど、普通の文章作成のスキルについては落ちないようにしてきました。その点をずっと続けながら、民間の企業を3月か4月に履歴書を出そうかなっていう青写真を描きながら。まだ前職の籍は残したままだったので、履歴書の提出は簡単にはいかない面はありました。
その時に現在の転職先の求人を、支援機構の方のカウンセラーが直接話を持ってきてくれたんですよ。ここ行ってみない?ここに空きができるけどどう?って。それが今の公立高校なんですけど。今の勤務校で空きができそうだからちょっと押さえておきたいけどいい?って言われまして。じゃあお願いしますってことでね、民間の履歴書を出すのは止めました。一応そこに5月に面談に行きました。その後1週間インターンを行い、私自身が務まるかどうかを見極めるという形で支援機構と学校側が話し合いました。1週間のインターン終了後、「ここでやらせてもらいます、やらせてもらえれば有難いです」と私からお話しして履歴書などの書類を全部用意しました。
6月の最初に転職を決めて、6月末付の退職届けを書きました。休職を延長延長で繰り返していて結局半年で給与が一旦切れてしまったから、保険金というか保険組合からの給付金を半年間受け取りました。半年というか実質給付金を請求したのは3ヶ月分だけですが。
この時点で前職に戻るようなら、また同じようにおかしくなっちゃうかなって思ったのでここから移った方がいいかなと思って退職を決断しました。人事部と一度面談を行い、6月末で退職しました。
転職先は7月から採用できる事になったので、保険証の保険は途切れる事なく切り替えできました。保険証の切れる期限は月末の基準なので。ちょうどタイミングが良かったです。退職から1ヶ月以上空いた状態で転職になると、国民健康保険に切り替える事などの手続きが発生しますので。だから実質無職にならずに転職できました。給与水準は下がるが、時間はその分取れる、体を壊したくない。体の事、精神的なことを考えたらね、時間取る事を優先して金銭的な面は、貯蓄をある程度していたので大丈夫でした。
貯金自体は崩すことなかったですね、今までほぼ。崩さずにやって来れたので。
前職を退職と同時に始めた事は、1つ目は退職の給付の積立をまずiDeCoに切り替えた事。2つ目は今まで積み立てで行っていた部分をファンドラップ、俗に言う、お金を運用していく形で貯蓄を増やす事。3つ目は上場企業である前の職場の株式を売らずに、その持ってる株をそのまま証券会社に移す事。株式については、持株会の積立を20年近く行っていました。
老後のことも考えながらって思ったので前職の株は離さずに持ってます。もう少し上がってから、何かあった時に売り払おうかと思ってます。それは持ちっぱなし。それである程度の貯金も運用して俗に言うNISAもやってます。一通りの財政基盤は立ちました。
ごめんなさい、自分のことばっか喋っちゃってすいません。
くじらぐも:いえいえ、ありがとうございます。
未来:存在価値がない人間じゃない人間になりたいです。最終的には。
くじらぐも:では、ここから未来のことに話を移していきたいなと思うんですけども。
たじー:はい、お願いします。
くじらぐも:たじーさんは5年後や10年後、あるいは死ぬときまで想像してみたときに、未来についてどんなイメージを持たれますか。
たじー:死ぬってイメージがね、なかなかつかめない面はあるんだけど、どうだろう。いろいろいじめを受けたときも、ちょっとこいつ自殺するんじゃねえかって思うところまで1回行ったこともあったんですよね。今思うと。勇気がないからできないんですけど、当然のごとく。できないんですけどもね。
「これ死んじゃったらいいんじゃないかな」って思ったこともいくつかあったし、今思えば、ちょっと難しいけど、なかなか今の世の中見て明るい未来って描きにくいのかなっていう。全く明るくないわけではないんだけど、描きにくいかなっていうのは思うんですよね。将来的な事を考えると、描けるのかなと思ってはいますね。なので、自分の事を自分で守っていかなきゃならないのかなとは常に思ってます。
身の丈って言い方するとおかしいけど、前職の時も「あまり身の丈の事ばかり言うと成長しないぞ」と言われたこともあったけど。もちろん、その言葉はやはり有難かったです。
続けたくない事を無理して続けると、結局だんだん自己肯定感が下がってしまうと思うので、決して無理はしたくないけども。私がこれからやっていきたい事は、SNSを使って様々な発信していきたいと思ってます。地元の町のメンタルヘルスの家族学習会がありまして、現在そこでお世話になっています。そこの会は家族学習会なので、本来は統合失調症や精神疾患を抱えた方を家族に抱えている方の会なんですが、当事者でも参加してみてとお話をもらいまして、面談行ったら参加してみなってことで参加しているんです。月に1回勉強させてもらってるんですけど。そういったことの中でだんだん発信していく、それも含めて、自分から何か発信していかないといけないのかなと。そのままだと多分ずっと引きこもっちゃうんじゃないかと思いまして。
家にいることが決して嫌いってわけではないのですが、下手に籠って動かないでいると、そのままうちから出なくなっちゃう事が怖かった。自分としてはnoteで発信していることを継続していく。そして、いろんな講演会に行っていろんなお話を聞く。見聞広めるとかかっこいい言葉で言ったら申し訳ないんですけど、自分の知識を広げていく。人的交流も少しずつ行っていった上で、何かできたらいいですね。
発達障害を持ってる身として、そういった事で少しでもお話できる機会がどこかであればいいですね。
プレゼンする資料は、テーマさえ決まれば考えて作る事は今でもできると思うので。そのような事でお話があれば、出かけて話をしてみたいと思ってます。自分の経験を話すだけですが、話下手なので1回呼ばれて次にまた呼ばれるかっていうのはちょっとそこは全然わからないですけども。そこの話し方も勉強しなきゃならないのかなとは思います。そういったお話があれば、是非よろしくお願いします(笑)
でもそういった講演の機会は、他の統合失調症とかASD・ADHDの方に比べたら私の部分は多分軽い方だと思います。もっと苦労した方いっぱいいらっしゃるとは思うんで、私とかが出てっても大丈夫かなって思う面はあるんだけど、そういった言葉でお話することもしてみたいなとは思います。年齢的にはもう結構いってますけど(笑)
くじらぐも:この記事を目にする人に届くといいですね。
たじー:ご縁ですねそこも、うん。
くじらぐも:では、もしもの質問というのをお聞きしたいと思うのですが、もしもたじーさんが、発達障害などの診断を受けていない人生を歩んでいたとしたら、今の生活はどう変わっていると思いますか。
たじー:うーん、今の私の状態でなかったら、もっと違う。前職は多分、離れてなかったかもしれないですね。それかもっと、違う転職の仕方をして違う所に移ったかもしれない。一般雇用として、今の職場でない転職先に移ったかもしれないですね。もちろん、断定はできないですが。
くじらぐも:ありがとうございます。最後に一つお伺いしたいんですけども。
たじーさんが死ぬとなったときにですね、いい人生だったなと思うとしたら、それはどんな人生だと思いますか。
たじー:1人はいいけど孤独は嫌なんで、孤独でない人生がいいですね。一言で言うと。1人でいる事は決して嫌いではないんですけど、孤独になってしまう事はやっぱり嫌なので。そこは常々思ってますね、1人はいいけど孤独は嫌だって。孤独にならない死に方をしたいです。
存在が全くない状態でない事を望みたいです。ありきたりな言い方ですが、私がいたって事が全くないっていうのはつまり、消されたとかっていう意味じゃなくて。私はいなかったっていう風に思われるのは嫌なんで。何か言葉が難しくて、選べなかったんですけど。空気っていうかね、存在価値がない人間じゃない人間になりたいです。最終的には。
全然いう大きいこと言っちゃいましたね、最後に(笑)
相当大きいこと言っちゃった気がすんだけど、大丈夫ですか。
くじらぐも:ええ、大丈夫です。ありがとうございました。
では、インタビューとしてはこちらで終了としたいと思います。
たじー:ありがとうございました。
あとがき
発達障害やASDは、社会生活を送る上で支障をきたすことは確かにあると思うのですが、たじーさんの語り口からは、「それ以前に人として大切なもの」を学ばせていただいたなぁ、という気がしております。言語化は難しいですが、たじーさんや周囲の方々の温もりを感じる一時間でした。ありがとうございました!
【インタビュー・編集・あとがき:くじらぐも】

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