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失敗したことを上手く生かそうって考え方で生き方が楽になると思う人

太陽が真上にある。
それだけでいいじゃないか。
それだけでな。
今日の無名人インタビューもよろしくお願いいたしますね。
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 志村和久 さんです!


現在 : 失敗なんてね、その場限りのものじゃないですか本来は。

のの :今、何をしている人ですか?

志村:今私は、ある活動をしてまして、簡単に、これから説明していくつもりではいるんですけど、働く人たちが人間関係で苦しんでたり、働いててキャリアにつまずいてしまったり、こういう人たちが一杯いるんですね。こういう人たちをですね、フォローして立ち上がらせてあげようみたいな。ちょっと上から目線ではないんですけど、そういう活動をしておりまして。私のその活動が、そういう人たちに届けばいいなという思いがあります。

のの:ちなみにこの活動を始めようと思ったきっかけってありますか。

志村:これはもう自分自身の経験体験なんですけど、私は長年サラリーマンをやっていまして、どちらかというと会社に対して言いたいことを言っちゃうタイプだったんです。そういう人間ってお分かりだと思うんですけど、なかなか会社からはよく見られないじゃないですか。

のの : はい。

志村:すると、自分的には働いてる環境として、本来目指してるところと、会社が見る目というところにギャップが出てきますよね。だから、なかなか自分としては報われなかったなと。つらい思いを一時しまして。簡単に言うと出世したいっていうのは誰でもあると思うんですけども。そういう気持ちがあったにも関わらず、会社は「こいつはうるさいこと言うから、やめとけよ」みたいな形になって。そういうことも含めて一定時期、本当にそのギャップで悩んで、どうしたらいいのかっていうことがあったんです。本当に精神的に落ち込んだこともありますし、どうしていいのかって未来も見えなくなったこともあったんです。そういうことも含めて、こういう人たちを今になって広い視野で見れるようになったんで、そういう人たちが本当に沢山いるなっていうことに気づいて、そういう意味でこの活動に結びついてるっていう感じですかね。

のの:なるほど。この活動は1人でされてるんですか。

志村:そうですね。現在は1人でやってます。

のの:これはお仕事としてですか。

志村:そうですね。今、動画講座とか、あとカウンセリングセッションとかコーチングとか、その辺を含めて講座を立ち上げようとしている、まさにそんな感じです。

のの:どのような人に届けたいっていうのはありますか。

志村:周りを見ててそう思うんですけど、この人いい所いっぱいあるし、能力もあるし、だけど何故か自分を否定している。結局先ほども言ったように、会社からの見方がずれちゃってたりして、(結果的に)自分は駄目だと。「もう未来はないぞ」と自分の小さい箱の中に入り込んじゃってる人がすごく多くて。そういう人たちを見ると、まだまだ何言ってんだと、やらなきゃいけないこともあるし、自分の人生だから本当に立ち上がってもらいたいなと、そんな気持ちいっぱいになってくるんですね。そういうことも含めて、何とかこういう人たちが、一人ひとり立ち上がってもらいたいなと。

例えば失敗するじゃないですか人間は。失敗した時に、そのたった一つの失敗を、本当に致命傷のように取っちゃって、自分は駄目だと。だけど失敗なんてね、その場限りのものじゃないですか、本来は。だけどそれを強く記憶に残しちゃって、その記憶をずっと引きずって生きてる人がすごく多くて。その考え方、イメージの捉え方っていうのを変えて、そういう人たちが、自分の力で立ち上がれるような存在に、フォローアップできたらなという思いでやってます。

のの:ありがとうございます。何かこの活動をする中で、最終的な目標といいますか、これを叶えたいとかそういうものってあったりしますか。

志村:そうですね。まずは1人ずつ助けていきながら、そういう人たちが集まって、だんだんだんだん増えていく中で、自分の情報がいろんな人に届き始めれば、ある意味学校的なフォローができるような、そういうコミュニティを作ってみたいなと思いますね。

のの:ありがとうございます。志村さんは趣味はありますか。

志村:趣味はですね、音楽が好きで、この年代だと洋楽ですね、ビートルズとかローリング・ストーンズとか、ああいうロックが大好きで、もうずっと聴いてますね。

のの:どのようなときに聴いてますか。

志村:こういう講座を作りながら、文章を書きながらも聴いていたりするんですけど。あとは自分自身もやっぱりアップダウンはあるんで、落ち込んだ時とか、そういう時にロックを聴いて、パワーをもらうとか、そんなこともしてますね。本当にね、音楽の力って凄いなと思っています。

のの:なるほど。最近楽しかったことはありますか。

志村:電子書籍※をちょっと出させて頂いたんですけど、Amazonで。それを出して何人かの知らない人に届いて、知らない人が読んでくれて、書評を頂いたりっていうことがあるんです。けど、やっぱり「とても内容が良かった」とレヴューを頂くと凄くうれしいわけです。自分自身もすごく優しい表現で書いたつもりなんで「すごくわかりやすかった」と、こう言って頂いたことがやっぱりすごく嬉しかったですね。自分の気持ちが届いていたんでしょうね、その方にはね。そういうレビューを頂いたっていうのがすごく嬉しかったですね。

※『職場での逆境や苦悩を乗り越える「失敗を武器に成長する5つのステップ」』

のの:この電子書籍はどのような内容の本なんですか。

志村 : これはまさに、失敗をテーマに書いた本です。先ほど申し上げたように失敗を記憶して、その記憶で「自分はもうこれ以上いけない」みたいな、限界を決めちゃってる人が多いんです。だから、この失敗のイメージを180度ひっくり返してやろうと、そのような本ですね。(失敗に飲み込まれるのではなく)逆にこの失敗を武器にして、生かせるステップを書きました。

のの:その本はいつ頃書かれたんですか。

志村 : この本は今年の2月か3月ですね。ちょうど書き終える頃に、あのWBCがやっていてね、大谷翔平さんが最後に三振取ったところ、ちょうどフィニッシュで書き上げるところだったんですよ。すごく力を頂いて、その場面がすごく思い出されますね。

のの:書こうと思ってすぐ書き上げることができたんですか。

志村:そうですね。昔はそうじゃなかったんですけど、文章書くのが割と得意だったみたいですね、結果的に(笑)。小中高で国語が大の苦手で、作文なんて書いたことなかったんですけど、今になって、何万字と書くのが何か楽しくて仕方ないというような、不思議な状況になってますね。

のの:ありがとうございます。逆に最近悲しかったことはありますか。

志村:最近たまたま私の知り合いの方が、会社を介護の関係で辞めることになって。その方が、やっぱり介護ってつらいんでしょうね、やっぱり。はけ口がないから、周りに当たり散らしちゃった時期があったんですよ。その方を何とかなだめようと色々と四苦八苦したんですけど、なかなか一瞬一瞬では気持ちが伝わらなくて。私の思ってる気持ちが100だとすると、多分60ぐらいしか届いてないのかなと、そんな気持ちで、ちょっと今の時点ではお別れみたいな状態になっちゃったもんで。それがね、ちょっと悔いが残りますよね。悲しかったというか、人に自分の気持ちを伝えるっていうのは本当難しいですよね。

のの:その方とは、会社を立ち上げようとしたときに出会われたんですか。

志村:そうですね。会社を立ち上げるまでの間にいろいろ友人関係的な関係があって。その方には、随分私が落ち込んでたりした時に、精神的に支えて頂いたことがあったんです。その辺も含めて、先程言いたいことを伝えられなかったっていうのは、自分で「多くの人は失敗を引っ張って駄目になっている」みたいな言い方をしながら、自分自身も頭の中で「伝えきれなかったという悔い」が残っちゃってますよね。

過去 : 真面目にやりながら駄目出しくらって、能力ありながらおまえ違うぞみたいな。

のの:志村さんは小さいころはどんなお子さんでしたか。

志村:小さい頃はですね、とにかく人見知りだったんですね。なんかもう結果的に友達とうまくコミュニケーションできない子。だからなんかいつも1人でいたような感覚がありますね。こんなこと言うとめちゃめちゃ暗いように思うかもしれないんですけど、そんな感じでしたね。

のの:それは小学生ぐらいですか。

志村:小中高そんな感じでしたね。

のの:ご自身では自分の性格についてどう思われてましたか。

志村:当時は結構感情的なところもあったし、あとはどっちかっていうと人がどう思ってるんだろうっていうのを考え過ぎちゃう。だから逆にこんなこと言うと傷ついちゃうんだろうなとか、そんな風に思ってコミュニケーションが下手くそ。そんな状態だったかもしれないですね。

のの:周りの方からは、どんな性格だと言われてましたか。

志村:ちょっと変わったやつ、相当変わったやつ(笑)、そんな感じかもしれないですね。

のの:家と外では性格はどうでしたか。

志村 : やっぱり切り替えてましたね。子供の頃からね、いやらしいですね。そういう頃から自分を出せてないっていうのが本当にフラストレーションになっていたのかもしれないです。

のの:おうちでは明るかったんですか。

志村:そうですね。明るいっていうか、もう自分1人でいるのが楽しかったですね。

のの:ご兄弟はいらっしゃいますか。

志村 : 兄弟は、妹が1人います。

のの:妹さんとは仲はどうでしたか。

志村:特に喧嘩もせず普通でしたね。仲も良くも悪くもなかったし、喧嘩もしなかったし、兄だったので小さい頃いじめてましたね(笑)

のの:志村さんはそのぐらいの歳の頃は、好きなことはありましたか。

志村:そうですね。もうその頃から、中学ぐらいから音楽が好きで、音楽聴いてますね。それに伴って映画を観たり、今はAmazonプライムとかでいつでも見れるんで便利ですけど、当時は映画館行かなきゃ観れなかったんで。めちゃめちゃ楽しみだったっていう記憶がありますね。とにかく音楽が好きでずっと聴いてたような気がします。

のの:その頃はどんな音楽を聴いてたんですか。

志村:同じですね。ロックでしたね。

のの:その音楽を好きになったきっかけとかあるんですかね。

志村:そうですね。やっぱりイメージがあるじゃないですか、ロックって。

のの:はい。

志村:逆転してやろうみたいな。それが無意識にあった、感じ取っていたんでしょうね、いつか自分もみたいにね。理由も何も無いんですけど、そんな雰囲気を感じとっていたような気がします。

のの : 外に出るよりは家にいる方が多かったですか。

志村 : 外に出るのも1人で外に出てましたね。とにかく友達といても極論合わせなきゃいけないじゃないですか。こんなこと言うと社会不適合ですけど、面倒くさかったですね、多分、子供心にね。友達と合わせたり、何でこんな遊びしなきゃいけないのかって、よっぽど音楽聴いてるほうがいいやって感じですよね。

のの:高校を出られてからはどのような進路に進まれたんですか。

志村:そうですね。大学に入って、大学に入った途端に、小中高って、やっぱ地元じゃないですか。地元の呪縛から解かれたということで、自分のこと誰も分からない人間が周りにいるわけですよ。自分らしさが少しずつ出せたかなという感じですね大学はね。

のの:その頃の自分らしさってどのようなものですか。

志村:今考えると本当に幼稚なんですけど、とにかく好きなことをやって、同じ趣味の連中と戯れて、やってることは子供と一緒ですよね、本当にね。今その歳になって(昔を)取り戻したみたいなそんな感じですよね。

のの:大学時代1番記憶に残っている出来事とかありますか。

志村:大学時代にヨーロッパに1人でバックパッカーで1ヶ月間、宿を自分で取ってみたいなことを急に思い立って行ったんですよ。当時イギリスから行ったのかな。最後、帰るときはギリシャから帰ってくるっていうパターンで。その間1ヶ月どこ行ってもいいみたいなことをやったんですけど、すごく刺激的でしたね。すごく記憶があります。

のの:何が刺激的でしたか。

志村:とにかく誰も言葉通じる人もいないし、英語は多少ね、身振り手振り通じるんですけども、例えばスペインとかフランスなんか行くと全然通じないですからね。もう身振り手振りで宿取って、飯食って。そんなたわいもないことがね、すごく一つひとつが刺激的だったんでしょうね。

のの:なぜヨーロッパに行こうと思われたんですか。

志村:たまたまですね、なんか英語やんなきゃと思って。ちょっと、神田外語学院とかまだあるんですかね?そこに行ってですね、(英会話の)短期コース行ってたら、そこに来てたちょうど同じ年ぐらいの奴がですね、威張り散らしてたんですね。「俺はヨーロッパ行って旅してきたんだ」みたいな。そしたら何かこいつすげえなと思って。そういえばイギリス行ってみたいなっていう気持ちがふつふつと湧いてきて、そんな程度ですね、もうね、大したことないです。

のの:行く前とその行った後で、その国のイメージって変わりましたか。

志村:そうですね、国のイメージは変わりますね。やっぱ憧れてたイギリスが、日本の方がすげえじゃんと思いましたね(笑)日本すげえなと、東京はすごいなと思いましたね。ロンドンなんか池袋より駄目じゃんみたいな、そんな感じですよね。

のの:ありがとうございます。では大学を出られてからはどのような進路に。

志村:大学入ってからメーカーに入りましたね。そこからまた殻に閉じこもり始めて。(自分の持っている)会社のイメージに、ずっと右往左往してるって感じで。会社ってイメージが、働いてるとこに合わせなきゃいけないとか、その枠の中で何とかしなきゃいけないとか。きちんとやんなきゃなみたいな、柄にもなく思ってたもんで、やっぱりそう思い込むと、うまくコミュニケーションができなくなっちゃう。会社入った途端に何かちぐはぐな人生がまた始まっちゃったなみたいな、そんなことがありますね。

のの:その会社はどのぐらい勤められたんですか。

志村:結局勤め上げたんですよ。偉いなと思って自分でも(笑)よく転職したり辞めちゃう人いるんですけど、まあ30何年間ね。ネットとかもサラリーマンの悪口とか、社畜とかいろいろこういう声も聞こえてきたりしたんですけど。もう私は単純に生活の手段として、途中から割り切ってたんで、そういう意味ではあんまりそういう雑音聞こえずに地道にやってきたっていう感じですかね。ただ面白くはなかったですね、これ。

のの:割り切ってたっておっしゃってたんですけど、どのぐらいから割り切れるようになったんですか。

志村 : ちょうど30ちょっと過ぎぐらいに、病気をしたんですよ。なんかずっとお腹の調子が悪くて、医者に行ったら、エコーってあるじゃないですか。エコーして医者が首かしげながらね、ちょっと精密検査しましょうってことになって、たらい回しにされた挙句「お腹の中に腫瘍がありますよ」って言うんですよ。腫瘍っていうと当時もう癌以外頭に浮かばないじゃないですか。これはやばいなと。30そこそこであの世に行くのかなぐらいの感覚になったんですね。そうした途端に今まで悩んでた仕事のコミュニケーションとか、仕事の周りの連中とか、人間関係とかって吹っ飛ぶわけですよ、当然。その死を覚悟したその瞬間ですかね、仕事は仕事だって。もっと大事なことあるんじゃないかなと、それをちょっと学びましたね。結果的には癌じゃなかったんですけど、大きな手術してそれを取って終わったんですけどね。でも3ヶ月ぐらい入院しましたかね。一番大事な時に入院したんで、みんな出世争いで目をギラギラしてた年代ですから。その時点で(出世競争から)もう落ちてるわけですよ。それも含めて、もう割り切ったっていうイメージ。

のの:それまでは割りきれずに働かれてたんですか。

志村 : そうですね。多少なりともゴマすってやろうみたいなね(笑)あんまりそういうあれはないんですけどやっぱりね、上司にいい顔してたりはしましたね。

のの:プライベートでは変化とかありましたか。

志村:プライベートでは結婚して、嫁がどっちかっていうと、同じ会社でうまく引っ掛けたんですけどね(笑)自分の考え方を分かってくれた嫁だったんで、嫁というか、唯一の友達ができたなっていう感覚ですね。そういう意味では私生活が 1人だったのが、2人になったっていう。すごく良かったですね。

のの:結婚はいくつぐらいのときにされたんですか。

志村 : ちょうど手術した頃なんですよね。だから凄かったですね、確か新婚で手術ですよ、それ。嫁からしたらね、えらい奴と結婚しちゃったなというか(笑)でも永遠に借りを返さなきゃみたいな感じで、頭上がらないですよ。

のの:今奥様とは、変わらずですか。

志村:ただ子供できてからね、ちょっとだんだん変わってきますよね。家庭の中のやっぱ一番偉い人になっちゃったから、多少気を使いながらやってましたけどね(笑)でも良好な関係です。

のの:そのお仕事を、定年まで勤め上げられてからはどのような人生を。

志村:その勤め上げる10年ぐらい前ぐらいから、ちょうど50前後ですよね。その位の頃から「(自分は)何やってんだろう?」って考えが出てきたんですよ。いくらこの会社で仕事を覚えても役に立たないじゃんっていう感覚になったんですね。
「役に立たないじゃん」っていうのは、たまたま中小企業に入ったんで、退職金の噂とか聞こえてくるわけですよ。「ちょっとやばいじゃん、これ」みたいな。これ60になったら給料減らされるじゃんみたいな。年金もカスカスだみたいなことで、これはまずいなと。
そう思った瞬間に、自分で実力つけなきゃいけないなっていうのと。目の前の仕事をやってて、自分はこの会社っていう枠を取り払ったときに何が出来るのかなってそこに気づいたんですよね。

志村:そこで普通の人間なんで、もう何やっていいかわかんないから資格目指すわけですよ。これはもう資格も難しいやつ取ってやれなんて思って、国家資格を目指すわけですよ。6年目ぐらいですかね、ようやく受かって、社会保険労務士っていう、知ってる人は知ってる資格なんですけどね、結構難しい資格で。合格して内容は、労働法の法律の専門家の資格なもので、サラリーマンやりながら、その労働法の知識がもうプロになっちゃったわけですよ。その時点で会社のやってる事がもう目に余ってくるわけですね。

のの:はい。

志村:私の最初の話にも繋がるんですけど、ブラックな会社、ブラックな上司に、やっぱり真面目な人間が、やられちゃうんですよね。真面目にやりながら駄目出しくらって、能力ありながら「おまえ違うぞ」みたいな。そんな風に潰されてるのを、もう目の当たりに見るわけですよ、色々な所で。これはいかんと、そんな感じですね。また会社とぶにつかっちゃう。会社も、法律の専門家の資格取ったなんてことは知ってたもんで、簡単には手を出せなくなっちゃったんですよ、私に対して。(だから私は会社に対して)言いたいこと言って。でも言いたいこと言ってると当然役職なんかもらえるわけがない。もう完全に退職した後はもう自分で生きてかなきゃいけない人生を自分で決めてしまったという、そんな感じですね。

のの:それまでにも会社とぶつかることはあったんですか。

志村:その頃もやっぱりおかしいなと思ったんですよ。なんでこんな働かなきゃいけないのかなって、当時は22時ぐらいまでやっても残業代が出ないんですよ。こんなこと言っちゃっていいのかわかんないですけどね、当時は(会社は)調子よくて、業績出てましたって言うんだけど、いやこれ(利益)は将来のために取っておくみたいなこと言うんですよ。おかしいなと思ってモヤモヤしてましたね。更に、直近の上司がパワハラ上司だったんですよ。

のの:はい。

志村:そのパワハラ上司が陰湿で、10人ぐらいの職場なんですけど、周りの連中に指示して私を無視するんです。それはちょうど資格を目指し始めて不合格の連続だった頃ですね。私には資格を取るっていうまだ目標があったんで、放っていたんですけどね。でもやっぱり気分は良くないじゃないですか。「おはようございます」って言っても挨拶はしないし、ひどい上司ですよ。こういうことがいろんな日本中の会社で行われてるのかなと思って、ぞっとするじゃないですか、もう未来がね。子供たちに対して大人たちが引っ張っていかなきゃいけないわけですから。もうこれはひとつひっくり返してやろうと思って。そう思う時もあありましたね。そういう意味では、資格を取る前からもう上司とぶつかってましたね。やり返されてパワハラされてみたいな、そんな状態でしたね。

のの:その資格を取られてからも変わらずですか。

志村:大きな会社じゃないんで、社長は呼び出すわけですよ、私をね。資格を取る前は、もう散々お前なみたいな、「何で上司の言うこと聞かないんだ!」みたいな。こういう話だったのが資格取った後一切言われなくなりましたね。なんかそれまで散々駄目出しくらったんですけど、駄目出しと言っても、私からしてみれば、何言ってんだって話なんですけど、そういう何か精神的なそのパワハラ的な言葉が、社長も含めて上司から一切言われなくなりましたね。

のの:その環境を受けて、志村さん自身はどう思いましたか。

志村:何だろうと思いますよね。本当にやっぱり権威を持つと、馬鹿にはさみを持たせるとって言うじゃないんですが、ある意味サラリーマンって私達も小さい頃から、出世しろって言われてたから、課長になり、部長になり、役員になってくれば、自分は偉いと思って錯覚しちゃうんでしょうね。人間的には別に偉くも何ともないわけで、要するに仕事の役職ですからね。その役職とともに責任を持つのがその出世という意味だと私は理解しているんですけども。そうじゃないみたいで、どうも部長になれば、俺は部下をコントロールできるみたいな。そんな人たちが本当に多いですよね。そういうところにすごく何か違和感を感じてたというか。
逆に勿体ないですよね。そういう風に思い込んだ瞬間に、自分は偉いって思い込んだ瞬間にその人の能力ってもう限界きますからね。まとめると、一言で言うと、駄目サラリーマンですよ、私はね(笑)

のの:退職されてからは今の活動を。

志村:そうですね。今の活動にちょっと専念して、もちろん、稼がなきゃいけないんですけど。それ以上にですね、自分のやりたい部分もあって。今いろいろお話したんですけども、当時現役時代は嫌なこともいっぱいあったんですよ、本当に毎日毎日ね。だけど今思い返すと、全く嫌じゃないんですよ。これ捉え方の変換が出来たっていうか、頭の切り替えができたっていうのがあって。こういうことが皆さん今苦しんでいる人たちができればね、今つらいことが、逆にこのつらかったことを生かして何とかできるっていう方向に持ってきているんで、それを身を持って何か示していきたいなという感じですね。

のの:社会保険労務士の資格を生かして、今の活動をされてるんですか。

志村:これもね、ちょっともう嫁にも馬鹿って言われたんですけど、社会保険労務士受験当時はね、もう会社に危機感を持ってたんで、資格取れば何とか独立してやっていけると思うじゃないですか。独立して、社会保険労務士として活躍する。当時、社会保険労務士として実践を学ぶ独立塾みたいなところがあったんで、そこに当時ちゃんとお金を払って参加したんですよ。そしたらですね、そこの社会保険労務士の先生がね、会社の上司と同じなんですわ、がっかりしちゃってね。社会保険労務士ってあんまり聞かない資格だと思うんですけど、いわゆる労使の関係を調整する、重要な資格なんですよ。法律上はね。

のの:はい。

志村:やっぱり会社に偏っても駄目だし、働く人に偏っても駄目で、そのバランスの調整を取って最終的にはお互い良い方向に持ってくっていうのがもう法律の条文に書かれてるんですけども、やっぱり独立して金稼ぐには、経営者の犬にならないと稼げないわけですよ。そうするとですね、私がずっと言っていたその弱い人たち、働く人たちを助けるっていう視点が全くないんですね。

のの:はい。

志村:いかにこの経営者に有利な法律解釈を提供するかっていう、これをその場で私「ちょっとおかしいんじゃないですか」と言ったら、もう周りの人間が変な目で見るわけですよ。みんな合格した連中がね、ここは俺の居場所じゃないなと思って(笑)ただこんなとこが何かあれですね、ロックの魂が通じてんのかもしれないですね。

のの:その講座は最後まで行かれたんですか。

志村 : 最後まで行ったんですけど、つまんないなと思いましたね。結果的に経営者の方とね、もちろん今思えば、それはもう自分でやるようになれば、経営者の方とどうやるのか、自分が決めてやっていけばいいわけなんですけど。当時はそんなに視野も広くないんで「また経営者の人たちに媚びるのかな」みたいな感覚になっちゃったわけですよ。でも実際は違うわけで、経営者の人たちも困ってる人いっぱいいるでしょうし、そういう人たちをバランスよく指導してあげていくっていうのがやっぱり社会保険労務士という仕事だと思うんです。今思えばそういう風に解釈できるんですけど、当時はそう解釈できなかったですね。

未来 : 私がずっと言ってきた昔の自分みたいな人を、自分の本当にやりたい人生の方向に導いてあげたいなという感じですね。

のの:志村さんは5年後10年後、あるいは死ぬときまでをご想像してもらって、未来についてどういったイメージをお持ちですかね。

志村:未来はめちゃめちゃ明るくてですね、これはなぜかというと、NLPという心理学を勉強してまして、未来から逆算してみるっていう考え方がもう頭に定着しているんです。まず、1番理想的な未来があるわけですよ。
例えばこの講座、今みたいなことを地道にやっていく中で、コミュニティが出来上がって。そこでやはり後継者を育てながら、そういう人たちをより多く助けるみたいなこういうコミュニティが出来上がっていて。そうは言ってもですね、もう私も70、80になってくれば、自分のやりたいことやっているみたいに。

のの:はい。

志村:音楽はやりたいなってずっと思っていたもんで、自分で楽器できるわけじゃないんですけど、プロデュースとかして好きな音楽を作ってみたいなと、そんな夢もあっていろいろ考えてますね。ちょっとわくわくはしてますね。

のの:その活動の開始の日とかも決められてるんですか。

志村:そうですね。もう9月ぐらいに一発ちょっと広告出して、講座の告知をしようかなと。かといってね、今ね、めちゃくちゃ講座作ってて大変なんですよね。頭から煙出そうです(笑)

のの:講座は何種類もあるんですか。

志村:動画の講座とこういう対面でね。やっぱり精神的なフォローとか、カウンセリング的なことをやって、座学と実際面でフォローしていくっていうところで。私がずっと言ってきた昔の自分みたいな人を、自分の本当にやりたい人生の方向に導いてあげたいなという感じですね。

のの : 後継者はどのような人になって欲しいとかありますか。

志村:やっぱり人のことを思いやれる人ですね。駄目だって言葉って強烈じゃないですか。その何が駄目なんだって裏をちゃんと見れる人間ですね。100あるうちの人間ね、もういろんな良いところ持ってる中、たった一つ、駄目出しして駄目になっちゃって。その駄目を駄目じゃなくて、本当に「その駄目なことは本当はいいんだよ」みたいなね。そんなことがね、分かる人間、そういう後継者を育てていきたいですよね。

のの:なるほど。音楽のプロデュースはどのようなジャンルの音楽ですか。

志村:ロックなんですけど、今ね、本当残念って言っちゃ変なんですけど、私が当時聴いていたアイドルで、ローリング・ストーンズとか、そういう人たちってもう80なんですよ。例えばミック・ジャガーってご存知ですかね。ミックなんかもう80でステージを駆けまくってる姿見ると、まだまだ行けるんじゃないかと思うんですけど。そうは言っても私が10年20年と経った時にはね、もう多分いらっしゃらない部分があるのかなと。
そうした時にやっぱ自分をずっと支えてきた音楽って、引き継いで生きてる人達っていうのが一杯いるんですよ。それはコピーであったりオリジナルであったり。そのままコピーしてコンサートやるとかね、そういうのがすごく流行ってて、そういうコンサートをプロデュースして、自分が一番良い席で一番大好きな曲を聴きまくりたい(笑)周りはみんな私のような音楽大好きな人たちが集まって盛り上がるみたいなね、そんな世界を作ってみたいですね。これ本当に夢ですけどね。

のの:今までにも音楽をプロデュースみたいな経験はあるんですか。

志村 : プロデュースはやってないんですけど、もう頭の中でプロデュースしてるんですね。あとは形にするだけだなと、もう私の歴史と一緒で実績なんて無いんですよ。ただ未来にどうするかっていうところですかね。作り上げてくかっていう、ここが大事なのかなと人間は。

のの:ありがとうございます。もしもの質問をしているんですけど、もしも志村さんが子供の頃、人見知りではなかったら、今どういう人生になっていたと思いますか。

志村:まずこういうことはしてないでしょうね。だから、そういう意味で本当に先程言ったNLP心理学を学んで、本当によくわかるんですけど、(人生って)うまくできたもんだなと思ってますよね。やっぱり嫌なことを先に経験してるっていう自分があるわけじゃないですか。

のの:はい。

志村:逆にすごくいいことを経験して駄目になっちゃってる人もいるわけじゃないですか。そういう意味ではね、本当に駄目っていうか、もう何一つ誇れることがない部分もあるわけですよ、恥かいたりしたりして。そういうことをすごく経験してきたことが、今このわくわく感に繋がっているんです。もし、本当に人見知りじゃなくてすごく活発な人間だったら、弱い人を助けようかっていう考え方出てこないでしょうし。
私酒が飲めないんですけど、これも同じことで、もし酒飲めたらね、もっと違う人生になるんだろうなと思いつつ、やばい人生になってるんじゃないかなとか。だからうまいもんで、(人生って)本当にそういうことがあって今があると、当然最終的に最後にピークが一番いいじゃないですか。

のの:はい。

志村:10代でピークを迎えちゃう人もいっぱいいるし、20代でピークを迎える人もいるし、30代40代で迎える人もいるし。でもなかなかね、ピークから落ちちゃうと、もう本当に思い出にだけ浸って、自分駄目出しするっていう人生に入っちゃう人がすごく多いんで、それも勿体ないですよね。
本当に人間って調子乗ると調子に乗りますんで、そこは気をつけなきゃいけないなと。そういう意味では本当に今底辺であって、もう最後ね、死ぬ時に笑ってられたら最高じゃないですか。死ぬときに嫌な10代の頃でさえ思い出しても、あの時よかったって結構幸せじゃないかなと思いますよね。

のの:志村さんがうまくいっているとき、調子に乗らないように気をつけていることってありますか。

志村:とにかく、あの驕らない(おごらない)ようにしましたね。食事とかは奢りますけど、そういう奢りじゃなくて本当に何だろう、プライド。よく言いますけど、俺は偉いんだみたいな、そういう感覚はとにかく持たないようにしてますね。こんな程度のプライドって誰でも持てるし、例えば今、私と隣に何も分からない人がいたとしたら、当然私の方がいろんなこと知ってたりするんですけど、でも5年後この人がしっかり頑張ったら分かんないですよね。どんな凄い人になるか分からないし、その時ずっと私がその5年間自分は偉いんだって過ごしてたら、何も進歩しないですよね。

のの:はい。

志村:だからもう全てにおいて今、自分はまだ足らないんだと、そういう風に思うことがすごく大事かなと。大谷翔平さんとかね、イチローさんとか見てても、言わないですよね。ああいう本当のトップは凄いなと思ってね、とにかく私みたいな人間はつまらないことで怒ったりプライド持ったりしない、これだけは気をつけてますね。

のの:心理学はいつ頃学ばれたんですか。

志村 : ちょうど6年前ですかね。社会保険労務士取って辞めてみたいな、どうやって食っていこうかなみたいな、マーケティング勉強してなんとかしようとしている間に、たまたま出会ったんですよ。そこからたまたま凄い先生に出会って、その方に今アシスタントで使ってもらったりして引き続き勉強させて頂いていますけど。やっぱり共通するのはあれですよね、本当に毎日学んでいる、その先生もすごい人なのに今も毎日学んいでる。決して人を見下したりしないっていう、すごい勉強になりますよね。

のの:学ぶ前と学んだ後で変化はありましたか。

志村 : そうですね。もうこんな風に考え方捉えられるのも、この心理学のおかげですね。いくら能天気だとしても、失敗した後に武器にしちゃうなんて発想持てないですよね。

のの:うん。

志村:そういう意味ではちょっとタイムラグはありますけど、必ずその失敗したことに対して、嫌なイメージを良いイメージに変えるっていうことができるようになっているっていうか。これは大きいですね、こういうことを伝えていきたいなと思いますね。

のの:ありがとうございます。最後の質問になるんですけど、最後に言い残したこととか、読者の方に伝えたいことってありますか。

志村:そうですね。例えば、人間関係に悩んでいる人とか仕事に悩んでいる人とかいろいろ悩みってあると思うんですけど。それって実は思い込み、自分の中でつらい、つらいっていう風に思い込んでる部分がすごく大きくて。人間ってどうしても他人のことを気にするじゃないですか。

のの:はい。

志村:他人の目を気にすることで自分はこんな風に見られてるんだろうとか、あんな風に見られてるんだろうとか。そうするとまた負の連鎖に入ってくる。こういうことっていうのはとてもつらいんですけど、実は本当じゃないと。ある意味バーチャル。バーチャルの世界でそういう風になっちゃってるみたいな感覚だと思うんですね。ある意味、だから、「人間関係つらい」みたいなゴーグル(眼鏡)かけて、そういうバーチャルを見てるみたいなね。実際はそんなに人間関係がつらいと言ってもですね、(客観的に分析すると)その人間関係、そのつらい日はどうしてつらいのか、たまたまコミュニケーションがうまく取れなかったのか、うまく伝えられなかったからだとか。じゃあ次どうしようかって考えりゃいいわけであって、その失敗したことを上手く生かそうっていう風に転換していく。こういう考え方が自然にできるようになると、本当に生き方が楽になると思います。
だから決して人間関係とか、どん底だなって思ったっていいじゃないですか。どん底だからもう下に下がることはないわけであって、一つひとつ積み上げていく。そうすることで自分が成長していければいいのかなと思いますし、やっぱり、つらいことが無ければ人間成長しないんでね。つらいこと、これをね、ウェルカム。そういう感覚でいてほしいなと思いますね。もし本当につらくて駄目なら、私のところに来ていただければ「いくらでもお話を聴きます」ってということを、最後に申し上げたいと思います。

のの:ありがとうございます。

あとがき

志村さんがされている活動は、志村さんにしかできない活動で、例え同じ思いを持っている方がいたとしても、なかなか行動に移せる人って少ないのではないでしょうか。
きっと志村さんの過去がすごくうまくいっていたら、この活動をしようと思わなかっただろうし、志村さん自身が沢山つらいことを経験して、乗り越えてきたからこそ、この活動が生まれたわけで。この志村さんの生き方自体が多くの人を勇気づけるのではないかなと思いました。このインタビューを通して、志村さんの活動を知ってもらえる人が増えたらいいなと思います。

【インタビュー・文字起こし・編集・あとがき:のの】

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #人間関係 #社労士

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