もっと普通に生きられたんじゃないかなって思う人
むかしむかし、ある村に、選択(えらび)という名の若者が住んでいました。選択は毎日、「もっと普通に生きられたのでは」と悩んでいました。
村で評判の大工の息子なのに料理人になりたいと思い、画家の娘なのに農家になりたいと思う。そんな若者たちが、選択のもとを訪ねてきては相談をしていきました。
選択は言いました。「普通とは何でしょう?誰かが決めた普通を生きることが、本当にあなたの普通なのでしょうか」
ある日、村一番の商人の息子が訪ねてきました。「僕は魚を捕りたいんです。でも、父は店を継げと...」
選択は川辺に連れていき、流れる水を指さしました。「この川の流れも、曲がったり、まっすぐだったり。でも、それが川の自然な姿です」
その言葉をきっかけに、商人の息子は漁師になることを決意しました。そして、見事な漁師となり、村一番の魚を捕るようになりました。
次第に村人たちは、「普通」という言葉の意味を考えるようになりました。誰かの決めた道ではなく、自分の心に従う生き方こそが、その人にとっての「普通」なのだと気づいていったのです。
後に選択はこう語りました。
「人の数だけ普通があり、道があります。大切なのは、自分の心に正直に生きること」
そして「己の道を歩む者こそが、真の普通を知る」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年07月01日01時13分に書く無名人インタビュー1112回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは チリチリブラック さんです!
年齢:60代前半
性別:男性
職業:自称:作曲家
音声バージョンもあります!
現在:他のことは捨てられるんですけど、音楽は捨てても何故か戻ってくる。
qbc:
今何をしている人でしょうか?
チリチリブラック:
今はご飯を食べるっていう職業では、自動車、新車とか中古車、あと特殊な車両を、自分で運転してA地点からB地点まで運ぶ、いわゆる自走のドライバーをやってます。
その傍ら、割と若い頃から音楽をやってきたんで、その空いた時間で音楽を作っております。
qbc:
その車のお仕事としてはどれぐらいされてるんですか?
チリチリブラック:
今の自走のドライバーっていうのはちょうど十年ですね。
その前がトヨタさんとかデンソーさん、あと外資系のAudiとか、そういった会社と契約して、自動運転システムのデータを集めるということで、日本の47都道府県のうち、43都道府県ぐらいは行ったのかな。日本中走ってデータを集める仕事を、だいたい3年ぐらいしておりました。
qbc:
「自走」って、自ら車を移動させるっていうことなんですね?
チリチリブラック:
はい。通常だと皆さんが車を運ぶっていうと積載車ですよね。大きな牽引の車に車を何台か積んでA地点からB地点まで輸送するっていうイメージなんですけど。
今はなかなかそういったものっていうのは、経費とかいろんな法律の変更で大変なもんですから。港までその船かそういった積載車で来たら、そこから都市部とかなかなかそういう積載車が行けないところまで、自分たちで走って持ってくっていう、それが自走のドライバーの仕事になります。
qbc:
そうすると、じゃあ何台も来た車っていうのは、その一人一人が乗って移動させられてるんですか?今。
チリチリブラック:
そうですね。リースのお車だったりとか、それから今は中古車を売買するのに仙台から東京、愛知、大阪、神戸、それから九州、広島もそうですけども、中古車のオークションですね。そういったところから車を取り寄せるもんですから。
それが一旦集まる場所がありまして、そこから最寄りのお客さんのところまで運転をして持ってくっていう。
qbc:
なるほど。音楽の方は具体的に何をされているんですかね?
チリチリブラック:
割と楽器を始めたのは遅かったんです。中学校二年生ぐらいからだったんですが、ギターを始めまして。
若いうちに演奏能力っていうのは周囲には認められてもらってたんですけど、いかんせん作曲ってことになると、人と美意識が違うもんですから、なかなか認めてもらえませんで。
早く親も亡くしましたし、それから早い時期に結婚もしましたんで、先輩なんかが東京行ってて演奏活動をしてて、「早く東京来いよ」みたいな話もたくさんいただいたんですけど、結局行けないで…。
qbc:
あ、今、何をしているか聞きたいです。
チリチリブラック:
今はですね、主に自分がやってるのは、一つは著作権フリーというか、自由にYouTubeとか自分の動画に使ってもらえるような、フリーで使ってもらえる音源というのをYouTubeで配布をしています。
もう一つは、これは本当に私のやりたい音楽なんですけれども。北九州に陰陽師系の護符の作って、その護符で、ステージ4とかステージ5とかいわゆる末期的病状の患者さんに対して治療を行っているという方がいらっしゃって。たまたまその方と知り合って、今、その護符と音楽で、そういった人たちに何か回復の手助けができないかということで、そういった音楽の方を書かせていただいてます。
qbc:
どんな音楽をされてるんですか?
チリチリブラック:
私は、本当に自分がおもむくままに音楽を書いてますんで、多分他の人が聞いたら異様なというか、アンダーグラウンドとかちょっと気持ち悪いみたいな、多分そういう音楽になるんじゃないかなと思います。例えば、SF映画のイントロだったりとか、ホラー映画のイントロだったりとか、そういうサスペンスのイントロに使われるような、そういったものにもなると思いますし。どっちかっていうと、例えばノイズだったりとか、ちょっと前衛的な現代音楽的な音楽にも近いかなという。
(参考にYouTubeのチャンネルをご紹介します)
qbc:
全然、想像してたのと違ってました。楽器は何を使われるんですか?
チリチリブラック:
楽器は、基本的には、私は持ち楽器はギター、それからコンピューターを介して鍵盤。
それからサンプリングといって、音声とか音楽の一部分を切り取ったものを循環させる、いわゆるループさせたりとか、重ね合わせたり。それからAとBの音を掛け合わせて新しい音を作ったりとか、そういうものを一つの楽器として扱ったりとかして、コンピューター上で全部合わせて作っています。
qbc:
生音とかをサンプリングされることが多いんですか?
チリチリブラック:
そうですね。基本的にサンプリングは、昔はよく自分で録音をしてってやってたんですけれども、昔スタジオでも仕事はしてましたから。
今はそういう環境にないので、基本的にはもうアップルのMacBookとヘッドホン、それからそれにつなぐキーボードとかそういうデバイスで完結できるように、シンプルにやろうということで、まずそれを基本にしてやってます。
qbc:
あ、サンプリングってどんなものをサンプリングされるんですか?
チリチリブラック:
サンプリングは様々ですね。この時代はややこしいので、著作権にいろんなところで触れないようにサンプリング音源は買うようにしてます。
qbc:
今は自分で録音とか、あんまり自然の音とかをサンプリングとかはしない?
チリチリブラック:
自然の音はずいぶん子供の頃にそういったことをやって、そういうのはあるんですけど。特別その音云々のことってこだわると、それだけで作業がとてもかかってしまうんで。今はもう自分で録音しに行くってことはなくなりましたね。
qbc:
なるほど、わかりました。その音楽にジャンルをつけるとしたら、どうですかね?
チリチリブラック:
ジャンルですか~…自分の曲の中で、例えば近いものとしたらワールドミュージックとか、それから…何て言ったらいいのかな…前衛音楽的な混沌としたものとか…。難しいですね…
qbc:
ワールドミュージックって民族音楽のことですよね?
チリチリブラック:
まぁ民族音楽とかに、近いところもありますね。はい。実際にそういったワールドミュージックで、例えばブルガリアンボイスみたいなブルガリアのそういった小さな村でずっと歌い継がれてるそういうもののサンプリングの音源を自分で手に入れてとか…。まあ、その音源の中にも昔のコラールというか教会音楽の音源もありますし、様々なそういう音源とかサンプリングとか、今だと手元にあるだけで数万ぐらいのサンプリングは常に持っていますんで。
qbc:
なるほど、そのワールドミュージックと前衛音楽という組み合わせは、あんまり結びつかなかったですね。
チリチリブラック:
そうですね~。もし時間があったらURLをお送りしますけど…。
qbc:
どっちかっていうとその、チリチリブラックさんが自分の音楽をどう捉えてるかっていうのを知りたいんですけど。
チリチリブラック:
ああ、そうですね~…自分の音楽。…自分にとっては美しい音楽なんですけれども、人にとっては気持ち悪い音楽……だからそれをジャンルでっていうと、本当に振れ幅が大きいんで、ある時はクラシカルでもあるし、ある時は本当にノイズをたくさん集めたそういった音楽にもなっちゃうし…うーん、難しいなぁ。
qbc:
じゃあその音色もデジタルだったり、生音だったり…
チリチリブラック:
そうです。はい。
qbc:
なるほどなるほど。作ってる時ってどんな気持ちで作ってるんですか?
チリチリブラック:
作ってるときは、まずサンプリングの一つを取ってきて、それを聞いて、そこから自分の中に広がるイメージをどんどんどんどん足していく。そうすると、そこにだんだん小さな物語がたくさん生まれるんで、その物語を紡いでいくっていうか、伸ばしていくっていう…。それが一分とかぐらいの長さになると、全体の尺とか全体の物語の概要が見えてくるんで、もうそのままそれに突き進んでいくってことですね。
qbc:
じゃあ、どんな気持ちで作ってるのかと言うと?
チリチリブラック:
ただもう中学生とか小学生が夢中で野球やってるのとかと同じような感じで。ただただもう楽しいからやってるっていう感じだけですね。
qbc:
どんな楽しさなんですかね?
チリチリブラック:
あー、なんでしょう、これは。野球が好きで夕方までただただひたすら野球をやっていると同じような感じですね。
あとは、自分にとって作業とか発想が生まれる条件っていうのが、誰かのためにその曲を作っていると、ものすごく曲が広がったりとか、作業も早くなるんですよね~。
知り合いの方で、病気で本当に生死をさまよってるってる事を、その方の旦那さんとか奥さんから聞いて、それで早く良くなってほしいっていう気持ちで曲を書き始めると、通常自分のために曲を書いてる時は一週間とか十日とかかるんですけど。でも、誰かのためだと2日とか3日で曲が書き上がって、物凄く速く書けてしまうんです。
それをさっさと送ってリカバリーの為に聞いてもらったりとか。
そういう状況が生まれると、私、結構作業が早くなるっていう感じで。
でもその時も、書いてる時はもうただただ夢中に書いてるっていう感じですね。
イメージとしては、そういうときは早く良くなってほしいとか、そういうイメージばっかりで書いてることが多いです。
qbc:
音楽してる時の気持ちって、どういう気持ちの時が多いんですかね?
チリチリブラック:
誰かのためにっていう時も、自分の書いてる時も基本的には同じだと思うんですけど。自分で書いてるときは、ここぐらいでいいやみたいな、今日はここぐらいにしとこうみたいなのがあるんですけど。
やっぱり人のために書いているときっていうのは、もうどんどんどんどん、こう、先に進んでいけるみたいな力を自分の中から感じることができるんです。
気持ちっていうと本当に何も考えてないっていうのがありますね。
ただ音を聞いて、またこれはこうしたらいい感じになるんじゃない?美しくなるんじゃない?っていうのを、また作業としてフィードバックして。で、また聞いて。あー良くなってきた。良くなってきたって。そのまま突き進んでいくみたいな。とっても抽象的なんで申し訳ないんですけど。
qbc:
ちなみにチリチリブラックというお名前の意味は何なんですか?
チリチリブラック:
このあだ名をつけてくれた人がいるんですけど。
私、子供の頃から天然パーマで、今でこそ歳をとってそれほどではないんですけれども、頭がチリチリで。それで顔が色黒なもんですから。それでチリチリでブラックな人だから、チリチリブラックっていうあだ名をもらって、それが気に入ってるんで使わせてもらってます。
qbc:
いつから呼ばれてるんですか?
チリチリブラック:
えーっと、今私が62歳なんで、20年ぐらい前ですかね。
qbc:
音楽って、何のために作っているっていうのはありますか?
チリチリブラック:
いやもう、ただただ好きだからというのと。私、本当に堪え性がないというか、まぁ感が強いというか、変な子供で。まあ変な人間だったもんですから、一つのことをなかなかこう完結するってことができない人だったんですよね。
だけど、音楽だけはずっと出会ってからこの年まで続けていられるんで。…なぜかはわかんないですけど、もうただ一つ、取り柄がそれしかないっていうか。
qbc:
シンプルに、音楽と他のこととの違いは何ですか?
チリチリブラック:
ああ~…、それは考えたことがなかったですけれど。音楽と他のことについて違いと言えば…一つは、思い出すのは何回か経済的な理由で音楽をやめようと思ったんです。自分が「もう音楽をやらない。もう捨てて、ちゃんとまともな人なるんだ」みたいに考えても、音楽って結局自分の手元に戻ってきちゃうんですよね。
また、結局周りに音楽の人が集まってきたりとか。それからそういう人から、ずっと音楽やった方がいいよとか、音楽やらないともったいないよ、っていうアドバイスをたくさんもらったりとかして。で、また経済的にも多少上向いてきて、また音楽やり始めてとか。
そういうふうに必ず戻ってきちゃうものなんで、もうそういうのには音楽捨てるとかそういうふうに抗うのはやめたっていうところがあるんです。多分、その違いなんじゃないかなっていう。他のことは捨てても戻ってこないんですけど、音楽は捨てても戻ってくるみたいな。
qbc:
戻ってきてるという言い方か、それともチリチリブラックさんが音楽の方に行ってるっていう言い方か、どっちが正しいんですか?
チリチリブラック:
多分、自分が戻っているんだろうなと、思うんですよね。
qbc:
自分が?
チリチリブラック:
自分自身がそこへ行ってるんじゃないかなっていう。どっかで諦めたくないって、 例えば潜在的に心理的にそういう思いがあるんじゃないかなという。
qbc:
諦めるっていうのはどういう意味ですか?
チリチリブラック:
あ、まぁ音楽をやってる時間があるんだったら、もうちょっとちゃんとした職に就こうとか、もう少し実入りのいい職に就こうとか。まぁ、自分の環境が変わっていくんで、この際に例えば場所を変えて新しい生活を始めようかっていう、そういう時が多かったですね。
qbc:
音楽にどれぐらい時間を費やしてたんですか?
チリチリブラック:
いやぁー…そうですね…。ですから、例えば一日出勤含めて10時間働くとして、残りの14時間のうち6時間とか7時間とか、そういう時もありますし。副職として、昼間の仕事があったら夜は別の仕事として東京のプロデューサーだったり事務所のアレンジだったり、音楽を作る仕事を受けたりとか。
あと実際に演奏の活動もありますので、演奏して報酬をもらうとか、そういうことになりますね。
qbc:
どれぐらいの時間を使っていたんですか?
チリチリブラック:
う~ん、例えば一日で平均でするなら…、それで五時間とか六時間とかそういう感じになりますかね。
qbc:
土日とかお休みの日ってどれぐらい使ってたんですか?
チリチリブラック:
お休みだと、例えば、結婚式だったりとか、ワインの品評会で、一日中仕事でずっと弾いてるとかっていうのがあるんで、そういうのになると八時間とか、そういった感じにはなりますね。
あと、個人的にまだそういう時は、自分のことを認めてほしいっていうそう欲がありましたから、バンドのそういう活動だったりとか、そういうソロギターを弾きに行ったりとかっていうこともあるんで、特に土日週末っていうのはそういうことになりましたかね。
qbc:
今現時点では音楽に関してどういう風になりたいってあるんですかね?
チリチリブラック:
今だと、さっきも言ったんですけど、人の役に立つ音楽だったらいいなって思ってます。まぁ漠然としてますけれどもね。
例えば、一つの活動として、さっきの護符と音楽で何かできないかなっていうのも、一つのやり方ですし。あと著作権フリーの音楽を配布するっていうのも、一つのやり方かなっていうことだと思います。
qbc:
ちょっと音楽からそれるんですが、他に何かご趣味はあるんでしょうか?
チリチリブラック:
あとは…読書ぐらいかな。
あとは料理も好きですね。生きるために厨房で働いてたこともありましたんで、今でも料理は好きですね。
qbc:
どんな本を読まれるんですか?
チリチリブラック:
うーん、割と今だと、例えば中国だったら三国志だったりとか。あとヨーロッパのいわゆる歴史ものだったりとか。あとは今は、日本でGHQに焚書にされたような、戦前の日本人が書いたそういった本だったりとか。あと日本だけじゃなくって、いろんな宗教の歴史ものだったりとか、宗教書とかっていうのは、結構読んでて楽しいですね。
qbc:
そのGHQが焚書にしたっていうのは?
チリチリブラック:
昔、いわゆる尋常小学校っていうその時代に、教科書に載っていたような、普通に天皇系だったりとか神道系のそういった神話だったりとか。それから、今では皆さんがあまり名前を耳にすることのない、例えば軍のそういった高官の日記だったりとか。
それから今読んでて楽しいのは、昔、中野学校っていう、いわゆるスパイ養成機関っていうのが陸軍にありまして、そういったものを本でいろいろ読んでると、なかなか面白いですね。
qbc:
それは古本で入手するんですか?
チリチリブラック:
古本ではだんだん入手が難しくなってきたんで。そういったものを再発行して売ってる出版社がありますので。そういったところで、改定本というか復刻本みたいなものを探して読んでます。そういったものは当時の言葉で書いてあるものが多いですから、なかなか読みづらいですけれども、読んでると昔の人の呼吸が伝わってきて楽しいです。
qbc:
性格は人からなんて言われるんですか?
チリチリブラック:
性格ですか?性格は、本当に振れ幅が大きいっていうのがありますし。いわゆる典型的な、血液型O型みたいな感じになりますね。
qbc:
具体的にいうと?
チリチリブラック:
感動すれば泣くし笑うし、すぐ怒るし。割とそういう感情表現が豊かで。人によく言われるのは、すぐ顔に出るから嘘がすぐ見破られるね、みたいな。
あとは生命力が自分でも感じるぐらいあるんで。今でこそあれですけど、アクティブでしたね。
あとはショートスリープなんで、だいたい三時間も寝れば体が回復しちゃうみたいなところで。そのためか、やっぱり若い時は結構攻撃的な人間でしたし、どっちかっていうと小賢しいというか…なんて言ったらいいんですかね、ディベートだったりとか、論理で人と対決するのが好きな、どっちかっていうと攻撃的な人間だったんじゃないかなっていうのは思いますね。
qbc:
攻撃って、何に対して攻撃をしていたんですか?
チリチリブラック:
なんせ常に怒っているっていう、そういう感じですね。
小学校の低学年ぐらいの時に、親ではないんですけれども、親から直接的にはないんですけれども…私、いわゆる小児性愛者ってわかりますかね、その小児性愛者に…簡単に言えば親に売られたっていうような経験があって。それであんまり人を心から信用してないっていうところがどうしてもあって、多分その中で自分の中に常に何か社会に対してとか、そういったもの、例えば親に対しての隠しきれないような怒りだったりとか、多分そういうものがあるんじゃないかなとは思ったりもするんですけど。
qbc:
売られたっていうのは…養子に入ったとかですか?それとも一晩だけとかそういう?
チリチリブラック:
そうではないんですけど…
親父が商売やってて、その商売をするためにまとまったお金、昭和40何年っていう、1970年代前後ぐらいで、だいたい私が聞いてるのは3000万ぐらい。今で言うと、億にはなるんだろうなっていうそれぐらいのお金で。その親父がお世話になっている東京のお医者さんですね、その方からお金を借りる代わりに、そういう方が来ると、私を一緒に旅行に連れて行ってとか。時にはその一週間とか二週間とか、夏休みとかなんですけど、そういう東京へ私を預けてっていう形で、その人のいわゆる性癖を満たしていたっていうような感じなんですよね。
qbc:
何歳ぐらいのころに?
チリチリブラック:
えっと、小学校2、3年生ぐらいから6年生ぐらいかな。だいたいそれぐらいですね。
qbc:
記憶にまだ残ってらっしゃいます?
チリチリブラック:
残ってますし、まぁ、それはね、拭い切れない事実なんで。まぁそれに対しては、今はなんともってことはないんですけれど。
ただ、そこから逆に興味が出て、そういう性癖を持ってる人はどういう人なのかなっていうのは、結構調べたりして。調べることで、またそういう性癖を持っている人が、一方では自分の性癖に悩んでて。そういった人のインタビューとかも読んだりとかすると、あ~なるほど、そういう小児性愛者って言っても、いろんな人がいて苦しんでる人もいるんだと思うと、なんかそのおかげで楽にもなったりもしましたね。
過去:ともかく、小児性愛者が嫌っていうのは当然そうなんですけれども。ただ、これがあることで他の家族はなんとかね、これで商売やって食っていけるんで。
qbc:
では、過去のお話に本格的に入っていきたいんですが、子供の頃はどのようなお子さんでしたかね?
チリチリブラック:
基本的に体の弱い子でしたね。一週間に三回も四回も医者へ行って。なかなか食も細いし。食の細いのを助けるのに、よくブドウ糖の注射を打ってもらってて。この子は本当に小学校上がったら死んじゃないかってぐらい、体のひ弱な子どもでしたね。今では、自分でも信じられないですけど。
qbc:
どんな遊びが好きでしたか?
チリチリブラック:
そうですね。その頃は小さい頃は家が商売を始めたんで、ただ長屋に住んでて、長屋の裏手にちっちゃな砂場を作ってもらって、そこでずっと遊んでる子でした。
それから幼稚園に入ってっていう頃にだんだん、体は弱いですけど、家帰ってきて本読んだりとか、あと近所の子と遊んだりとかっていう、普通にごく平凡な子供でしたね。
小学校入って水泳を始めてから、どんどん体の調子がよくなってきて。それで自分でも知らないうちに、野球をやったりとかサッカーやったりとかっていう、だんだんそういうアクティビティに溢れる子どもになっていったような覚えがあります。
qbc:
学校ではどんなお子さんだったんですか?
チリチリブラック:
あー、そうですね。小さい頃からやっぱり人の表情とか人の声とかっていうのに敏感な子供だったんで、なるたけやっぱり嫌われたくないっていうのがあったんですよね。小児性愛者に魅入られた暗い秘密もありましたしね。
だから、真逆なキャラ、人を笑わせたりとか、お調子者と言われるような、そういうことを目指してるような子供でしたね。
もちろん、ものすごい暗い内向的な子供だと思っていたんで、そうすることで自分が変われるんじゃないかなぁみたいな。でも人を笑わせることは好きでしたね。
qbc:
なるほど。先ほどの、その小児性愛の人に売られたっていうのは、どれぐらい影響があったと思います?
チリチリブラック:
私のその疑り深い、根本的に人をどっかで信用してないっていう性格は、多分そこから来てるんじゃないかなぁと思いますし。
やっぱりそのことで、夜にそういう人が自分のところへ来るっていうと、やっぱり足音とかね。そういう家の軋みだったりとかね、廊下を歩く音とかいろんなものが聞こえますから、そこで聴覚とかはね、結構異様に発達したような気がしますから。かなりいろんな身体的なことに対しても影響はあったんじゃないかなぁと思いますね。
qbc:
それはどれぐらいの頻度であったんですかね?
チリチリブラック:
まぁ、そこに居れば毎日ですね。
qbc:
あ、その時々来るとかじゃなくて?どういう状況だったんですか?一緒に生活をしていたんですか?
チリチリブラック:
えー、夏休みとかだとすると預けられますから、そういうふうになりますね。あとは、その方が旅行という感じで来た時に同行をして、旅行してる間中は、まぁ毎日、日に何度ということもありますので。
qbc:
どんな気持ちだったんですかね?
チリチリブラック:
とにかく、嫌っていうのは、ま、当然そうなんですけれども。ただ、これがあることで、まぁ他の家族はなんとかね、これで商売やって食っていけるんで。あとはもうひたすら何も考えないようにするっていう。うん、そういう思考になりますね。でも、何も考えないってことは人間なかなか難しいんで。だから、ただボーッとするっていうのが。
まぁ、その方が脳梗塞で亡くなって、そこから解放された時に、私よく言われたんですけど、例えば身体検査とかで視力を測ったりとかするじゃないですか、聴力図ったりとか。そうすると必ずその担当の先生に言われるのが、「君はぼーっとして物事を焦点を合わせて見てない」とか「集中して聞くっていうことを忘れている」とか、よく給食を食べながらボーッとして。パンをかじったままぼーっとしてるとか。そういうのが、小学校5、6年生とかそういった後にやっぱり少し起きましたね。
qbc:
中学校からはどんな感じだったんです。
チリチリブラック:
そうですね。中学校からは新しい仲間も増えますし、そういったこともなくなったんで。体を動かすってことは当然好きだったんですけど、やはり音をテープレコーダーと、マイクを買って、それでさっき言ったサンプリングの一番元になるような音を集めて、とにかくいろんなところへ行く。カエルの音を集めてくる、滝の音を集めてくるとか。鳥の声を集めてくるとか。
あと、親父が電気屋をやってて、無線技師だったんですね。ですんで、そういったところからラジオを自分で組み立てて、世界中の放送を聞いて世界中の音楽を聞き始めたのもその頃ですね。
だから結構、中学校から高校にかけてっていうのは、特に音楽とかそういったことは濃かったような。ギターを始めたのも中学校二年だったんで。
qbc:
音楽にハマっていくきっかけは何だったんですか?
チリチリブラック:
えー、実は本当はもっと早くからギター弾きたかったんですけど。うちの親父が結構家庭内で厳しかったんで、弟が下に一人いるんですけど、割と弟には甘いんですが、私がこれをやりたいとかってことはなかなかこうリクエストに応えてもらえなくて。
だから、ギター弾きたいって言ってもダメなんだろうなーと思って、ただギターを弾いてみたいっていうのはずっとアピールはしてたんですね。
当時、NHKの6時40分ぐらいから7時までの20分間っていうのに、クラシックギターを弾こうっていう番組がNHKのその教育テレビでやってまして。で、それはもう放送してる平日の間はとにかくずーっと見てましたね。ただ聞いて、見て。でもギターはないですし。
でも弾きたいっていうのはアピールしました。ですので、買ってって勇気を出していったときに、意外にすんなり買ってくれたのはちょっとびっくりしましたけど。
qbc:
高校の後は、どうされたんですか?
チリチリブラック:
その後、私は本当は自衛隊に行きたかったんですよ。
qbc:
はい。
チリチリブラック:
自衛隊に行って潜水艦に乗って、潜水艦のソナーマンですね、耳だけを頼りにして音で相手を探るという。そういうソナーマンになりたくて、自衛隊に願書を出したんですけど。まぁすぐバレますよね。すぐ家に確認の電話が来て、そっち行くのがダメになっちゃったんで。仕方ないんで、商船大学に行くことにしました。
船好きだったんですよね。生まれたのが岐阜県で海のないところだったんで、時々愛知県のそういった湾で自衛隊の演習を一般公開してくれるっていうのがあると参加してたりとかしてましたんで。商船なら同じ船だしみたいな感じで、神戸の商船大学に行きました。もう今は商船大学ないんですけどね。
qbc:
はいはいはい。そのあとは?
チリチリブラック:
それで、ただやっぱりその当時、もちろん自分の身の振りとしては商船大学へ行くことになったんですけど、本当にやりたかったのは音楽だったんですよ。
で、神戸へ行けば、当然ハイカラな…ハイカラという表現が古いですけど、いわゆるハイカラな街で。神戸はジャズがとっても盛んだっていうことだったんで、いろいろ音楽をやるアレもできるだろうってことで、音楽の方行って。でまた音楽にのめり込んじゃったので。
そこで僕、一年生終わった時点で、とりあえず三年生までの単位を取っちゃって、それで自分で退学したんですよ。で、働いてお金貯めて、東京にあるそういった音楽系の学校へ行きました。
qbc:
なるほど。その後は?
チリチリブラック:
その後はもう本当に、ここからは流転の人生というか(笑)そこから最初はバイオリンを作る工場へ入って。で、バイオリンを作るっていうことをしてたんですけど、その時ひどい円高で当時のレートで1ドル最高で70円ぐらいまで行った時期があって、で、その会社が結局潰れちゃって。
友達のツテで愛知県の楽器屋さんへ行くことにして。そこでたまたまそこがライブハウスを持ってる店だったもんですから、エンジニアがいないということで、そこでライブハウスのライブをやるエンジニアと、ライブを運営するためにバンドをいろいろ引っ張ってきて、毎日のその過程を組むっていうような、ブッキングの仕事をですね、それを担当でやらせてもらって。
でまぁ、それやってたんですけど、なかなかこう実入りとしては大変なもんですから、そこから今度トヨタ系のガソリンスタンドで働くことにして。
その時期にちょうどおふくろが癌でなくなりまして。親父も体悪くしてたもんですから、思い切って田舎へまた帰ってきまして。
で、そこでいろんな職業、仏壇屋さんでそういう木工の作業をしたりとか、それから葬儀屋さんに勤めたりとかして。それで親父が亡くなったので、親父にあった借金とかも返し終わって、そこから今度は自由になりたいなと思って、また名古屋に出てきたんですよね。愛知県に。
qbc:
はいはい。
チリチリブラック:
それで、当時セコムの子会社へたまたまうまく潜り込めたもんですから、そういった仕事をしながら、また音楽を始めて。いろいろと職業は本当にいろいろ変わりましたけど、いろんなことやりながら。
まずあんまり人がやらないだろうっていういろんな仕事を、僕の中では結構運命的に経験させてもらいましたね。例えば参議院議員の秘書だったりとか、衆議院議員の秘書だったりとか。その後が今度はデリバリーヘルスの会社でいわゆるデザインの仕事をしたりとか。
それからその後はそのさっきも言いましたけれども、トヨタ系とか電装系のところでドライバーの仕事を始めたりとか。ま、それに並行して、収入が足らないときは、塾の教師やったりとか、家庭教師をやらせてもらったりとかしたりしながら、音楽もやりながらみたいな感じで。で、まぁ今に至るっていう感じですね。
qbc:
ご両親からはどのように育てられたと思ってらっしゃいますか?
チリチリブラック:
やっぱり影響が強いのは母親…根本的に母親なんじゃないかなっていうところがありますね。九州の出身で、いわゆる昔、60~80年ぐらい前っていうのは、集団で景気がいい町へ出てきて。集団就職っていうんですか、そういうので出てきて、一宮で繊維の工場で働いてて。で、そこでまぁお見合いの話があって、親父と結婚して、岐阜県へ嫁いできたっていう感じなんで。
かなり生命力強い人ですね。熊本おごじょみたいな。見た感じよりは全然芯も強いし、それから我慢強い人でしたから、そういう根本的なところはお袋にすごく影響を受けてるんじゃないかと思うんですよね。
qbc:
生まれ育ったところの風景っていうのは、どんな感じですか?
チリチリブラック:
本当に田舎ですね。当時は今でこそもう全然違いますけれども。その町は2000メートルぐらいの大きな山があって、そこのちょうど傾斜面が、岐阜県に流れている木曽川の支流に流れ込む街だったんですね。扇状地っていうよりも、もう少し…地形的には盆地状になってるような町で。もう本当に小さな町ですから、周りが自然だらけで。
街には製紙工場とか養蚕の工場とか、当時ですと三菱の鉛筆を作るそういった会社だったりとか。そういうので、なんとか雇用をもってる。
それからまぁ、当時はまだ営林署っていうのがありましたんで、とにかく山が一つの小さな産業としてなってるんで。小さな集落みたいな感じで、あとはもう本当に山・山・山っていう感じでしたね。どこにでもある田舎の風景だとは思うんですけれども、とにかく坂が多い町でした。
qbc:
自分の人生の転換点っていうものがあるとしたら、どこにあったと思いますか?
チリチリブラック:
やっぱりその一つは、子供の頃にその体が弱かった子が水泳始めて体が強くなって、で世界が広がったっていうのが一つと。
そっから今度は、まぁ売られてそういう性癖のある人と関わることになったっていうことが二つ目。
それから三つ目は…どうでしょう、せっかく入った大学を辞めて、それで初めて本当に一人で生きていくっていうことがあった途端に、おふくろが死んだっていう。おふくろが死んだのが三つ目かなぁ。やっぱりあれが大きかったですね。
それと同時に、その同時期に結婚したってことがあったんで、その結婚をしたっていうことが今でもその自分の一番の…宝というか。本当にいろいろと、別居したりとかいろいろとかありましたけども、今の連れ合いと一緒になったってことは本当に最後の一番ターニングポイントだったかなっていう感じはします。よくぞ私のことを捨てないで、一緒にいてくれてね。
すいません、ありがとうございますって感じになりますね。
未来:最後は、できれば自分がどうやって死ぬんだろうっていう。その死ぬ瞬間っていうのを、すごくワクワクして待ちたいなっていうのが、まぁ変な欲望ですけど
qbc:
未来について聞いていきたいんですけども。そうです。5年10年何十年っていうところをイメージしてもらって。最後自分が死ぬというところまでイメージして、今思い描いてる未来ってどんなイメージですか?
チリチリブラック:
子供の頃から、死ぬっていうことはどういうことなんだろうっていうのが、僕の中にずっと小さい頃からそれが結構命題としてあったんですよ。
ですので、できれば自分が死ぬっていうことを見極めたいなっていう。その死を体験したいっていうのがずーっとあるんで。
まぁ今62歳なんで、まぁ10年は生きるだろうけど、果たして15年生きるかっていうともうそれもないんで、とにかくいらん欲は捨てていこうと思ってますから。
だから音楽で食べていくってことももうとうに捨てましたし、その音楽をネタにお金を稼ごうっていうのも捨てました。
だからあとは死ぬっていうことに向かって、さっき言った自分のやってる音楽っていうのが役に立つといいなっていう。そのことをとにかくイメージして。
で、先ほども言いましたけど、誰かのために音楽を作るっていうことだと異様に作業も早くなるんで。何かこうそういう目標を思って、そういった音楽を作れれば、あとはもう淡々と仕事やって帰ってきて、本を読んだりとか。あと今やっぱりAmazonプライムだったりとかNetflixとかそういうので映画見たりとかアニメ見たりするのも好きなんで、そういう楽しみもありつつ。
そういった人のためになるような音楽を書いたり。あと、フィルムミュージックもまた始めようかなと思ってるんで、そういったものを書いて。
で、普通に歳をとって弱くなって、最後は、できれば自分がどうやって死ぬんだろうっていう。その死ぬ瞬間っていうのを、すごくワクワクして待ちたいなっていうのが、まぁ変な欲望ですけど、そういうのがありますね。
qbc:
いつ頃から人のための音楽を作りたいと思うようになったんですか?
チリチリブラック:
ああ~、そうですね。50を過ぎて。おふくろが55で亡くなったんで、お袋が亡くなった年を過ぎたときに。お袋が僕が26か27ぐらいに亡くなったんですけど、その時は確かに泣けたんですけど、そのおふくろの死をやっぱり全然受け入れられてなかったんですね。
それが55を過ぎたある日に、バスに乗ってて仕事でお母さんと子供がいて、その子供がくしゃみして、そのお母さんがその子に、「鼻をこうやってかむんだよ」、っていうのを見てたら、あ、こうやって育ててもらったんだっていうのが初めて実感として湧いてきて。それでもうめちゃくちゃこう…今でも思い出すと変な気持ちになっちゃうんですけど。
その瞬間に初めて母親の死をやっと受け入れることができて。それで結構誰かのために、「あ、じゃあだったら自分ができることは、お金をたくさん稼いだりとか何かボランティアをしたりとかっていうそういうことでは、全然自分の性格とかやってることに合ってないから、せめて自分がやる音楽っていうのが誰かのために役に立つといいな」っていうのを思い始めたのがその頃ですね。
ですので、その後出会う人が、非常にメンタル的な教師というか、メンター的な人に出会ったりすることが多くて。
その方々も自分の音楽を好きになってくれて、彼らが言うには、「やっぱりそれを仕事ではなくてあなたの人生の糧にすると、それは産んだお母さんも喜ぶんじゃない?」みたいな、そういう話をしてくれる方もいて。
じゃあ、だったら音楽でそのお金を稼ぐっていうことよりも、音楽を誰かのために役立ててくれる人と居たいな、と。
さっきも言ったその護符を使って私の音楽と一緒に治療のボランティアをしてらっしゃる人なんかも、「あなたの音楽を聴いてくれた自閉症の子どもが、あなたの音楽を聴いて次の日から本を読むようになったよ」とか、「その音楽を聴いてくれた人が、ずっと病院で16年ぐらい不眠症で毎日薬を飲まなきゃいけなかった人が、もうその聴いた後からずっと毎日薬を飲まないで熟睡できてるよ、ありがとう」って伝えてくれた時に、やっぱり、あ、こういうことなのかなと思って。
一つの使命感ではないですけど、あ、この方向で行けばいいんだみたいな、自分で納得できるような感じにはなりましたね。だからそれをやってみたいなと、あとはその残った人生で。
qbc:
もしもその小児性愛の方とのことがなかったとしたら、どんな人生になってたと思いますかね?
チリチリブラック:
もっと普通に生きられたんじゃないかなっていうのが一つあるんですけど。
それは例えば、せっかく入った大学をやめずに普通に論文を書いて、で四年間行って就職をして。でも、ここまで何か一つのことを極める…って言うと、ちょっとうざったい言葉になっちゃうんですけども、でもそういうことはできなかったんじゃないかなっていうのが一つあるのかな?、と。
あと、やっぱり自分がそういう目に合ってなかったら、人の気持ちとかをわからない人になってたんじゃないかなっていう。ただ欲望が強いだけの人みたいな。そんな気がしちゃうんですよね。
そうした事ががあってからっていうのは、私よく言われるのは自己評価が低すぎるっていうのをよく言われて。先ほど言ったメンター的な方々、そうした出会う人にもよく言われるんですけど、あなたが人に例えば100円をあげたとしたら、その100円というのはもらった人にとっては100円の価値じゃなくて1万とか10万円ぐらいの価値があるから、簡単に人を選ばないでその100円をホイホイホイホイ渡すようにしてると必ず利用されるよっていうようなことを言われて。そのことを特にこう戒めとして気をつけるようにってことはよく言われてますから。
だからその人生でもしそういうことがなかったら、もっとそれを利用して、人を騙すとか人を嵌めるとか、ただお金のことだけを考えているような人になったかもしれないっていうのはなんとなく今思うとそういうところがありますね。
その体験がいいか悪いかは別にして、そういう人間になったんじゃないかなっていう怖さっていうのを、時々感じる時があります。
qbc:
はい。じゃあ最後の質問がですね。最後に言い残したことはっていうので、もう遺言でも読者向けのメッセージでも独り言みたいなものでもいいんですけども、最後に残したことがあればお伺いしています。
チリチリブラック:
はい。じゃあ、YouTubeでカタカナでチリチリブラックと検索してもらうと、私の音楽を聴いてもらえるチャンネルがあります。
そこでは、音楽を書いているのと、それからお話を自分で作って、自分で音楽を書いて、自分で脚本を書いて、一つの物語を作っています。
昔、NHKでクロスオーバーイレブンというラジオ番組があったんですけど、それを一人でやっているコンテンツがありますので、そういったものも見てもらうと、漠然とした私のことが少しは理解してもらえるかなというのはあります。
「居酒屋ももちゃん」
クロスオーバーセブン 「居酒屋 ももちゃん」
あと、そこの同じチャンネルの中で、深夜ラジオということで、一つテーマを絞って、自分の書いた音楽をバックに思いついたラジオ番組みたいなものを深夜ラジオってことでやってます。
「チリチリブラックの深夜ラジオ」
私を理解する手助けになるとしたら、YouTubeでチリチリブラックというのを検索してもらえたら、私のことを知ってもらえることになるんじゃないかな。私の音楽を知ってもらえることになるんじゃないかと思いますので、最後にそれだけお伝えしたいと思います。本当に今夜はありがとうございました。
あとがき
すばらしき世界!
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:mii】

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