みんながやりたいことをできる世界を作りたいのかもしれない人
むかしむかし、夢野(ゆめの)という名の若者がいました。夢野は、人々が自分のやりたいことを自由にできない世の中を嘆いていました。
ある日、夢野は村を出て、「みんながやりたいことをできる世界」を作る旅に出ることにしました。
最初に訪れた村では、歌が大好きな農夫に出会いました。しかし農夫は「歌なんて無駄だ」と周りから言われ、歌うのを諦めていました。夢野は農夫に「畑仕事をしながら歌えば、作物もよく育つはず」と提案しました。農夫が歌いながら働くと、不思議なことに作物が豊かに実りました。
次の町では、絵を描くのが好きな職人に会いました。しかし町の人々は「絵なんか描いていても食べていけない」と反対していました。夢野は職人に「あなたの絵で町の看板や商品を飾れば、もっと売れるはず」とアドバイスしました。職人の絵で飾られた商品は大人気となり、町は賑わいました。
旅を続ける中で、夢野は多くの人々の隠された才能や情熱を見出し、それを活かす方法を提案していきました。
やがて、夢野の評判は広まり、各地から「うちの村にも来てほしい」と招かれるようになりました。
夢野が訪れた先々で、人々は自分のやりたいことを見つけ、それを仕事や生活に活かすようになりました。村々は活気にあふれ、人々の笑顔が増えていきました。
長い旅の末、夢野が生まれ故郷に戻ると、そこはすっかり変わっていました。人々が自分の才能や情熱を自由に表現し、互いに認め合う場所になっていたのです。
夢野は村人たちにこう語りかけました。「みんながやりたいことをできる世界は、一人一人の小さな勇気と、周りの人の理解から始まるのです」
それからというもの、夢野の教えは広く伝わり、多くの村や町で「やりたいことを応援し合う」ことが当たり前になっていきました。
そして「みんなの夢が花開く国」として、その評判は遠く海の向こうにまで広まったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月14日16時40分に書く無名人インタビュー890回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 五十嵐ロニー さんです!
年齢:30代後半
性別:男
職業:SE兼便利屋
現在:世界結構あっちこっち見てきて、よりいろんな生き方があるんだなってのは思ったんですけど、やっぱりITには大きく稼ぐチャンスというか、そうですね…。
qbc:
今何をしてる人でしょうか?
五十嵐ロニー:
仕事としてはエンジニアですね.。システムエンジニアにはなるんですけれど、サーバーとかネットワーク機器とか構築したりっていうような、そういったインフラ側の方のエンジニアを、割と長くやってきてるシステムエンジニアです。
元々僕は大学卒業してからは介護をやってて、7年間介護とかやって後から異業種に転向しました。今、ITの方に入ってきて5年くらいになります。
正社員として会社に所属はしてるんですけど、SESっていってプロジェクトごとに色んな現場に行って、インフラを中心に、いろんなITの仕事をしてますね。
並行して、便利屋もやってます。今年から始めたばかりです。副業ですけど。
今やってるのはその二つって感じになります。
qbc:
便利屋さんってどんなことをされるんですかね。
五十嵐ロニー:
僕の場合は、本業でITをしているというのもあって、例えば業務効率化するための簡易的なアプリの開発であったりとか、そういう仕事を主体にはしています。ただ便利屋って本当に何でも屋さんみたいなもので、こんなのできますかって言われたら自分ができる範囲で何でもするっていう感じですね。
一般的な便利屋で言うと、ハウスクリーニングだとか草刈りが一番多いとは聞きますが、僕もそういった身体を動かす仕事も受けています。これまでやったものだと例えば換気扇掃除だとか、障子の張替えだとかしました。あと現在進行形で「ハイレベル断捨離」ってのもやっていて、面白いネーミングですけど、経営書類の仕分け手伝いを継続して受けたりっていうのもあります。
qbc:
便利屋はなんで始められたとか、どうですか。
五十嵐ロニー:
そうですね…。性格的に、なんか正社員に自分向いてないなとかって思ったのもあったんですけど、自分がやりたいことや自分の性に合った仕事って何だろうなみたいなのを、最近よく考えていたのがきっかけですね。ITもすごい楽しいのはあるけど、自分が100%ITだけやっていきたいか、っていったらそれも何か違う感じがするってのがあって。
自分は割と単発でいろんなことを知れて、いろんなことができるものの方が、自分の性に合うっていうのを、最近改めて気づいたんです。
好奇心×不確実性って感じですかね。他の人が「こんな事やってもらえない?」って言ってきたのに対して、自分が思わぬことを頼まれて考えてそれに答えるのがどうやら向いてるようだぞっていうのを実感したことから、それに合うような仕事って何だろうって考えたときに便利屋が浮かんできたっていう形ですね。
qbc:
そうするともう、考え方としては、もう便利屋1本の方がいいなぐらいに?
五十嵐ロニー:
そうですね、そのように考えてます。ゆくゆく便利屋の方に全部シフトしていきたいとは思ってて。便利屋って実際、便利な言葉です。別の意味でも便利で、例えば自分のやりたい仕事を何でも出来てしまって自己実現にも便利っていうような、そういった視点もあるんですよね。
なので、IT的な仕事がやりたければ、営業かけてIT業を便利屋の一環としてやることも可能ですし、僕は「ロニーブログ」ってブログもやっていて文章を書いたりも好きなので、そういった書く仕事すらも”便利屋”でやれちゃうっていう。今は仕事として出来てはいませんが、そういった例えばブロガー的なものとか、作家とまではいかないにしても本出せたらいいなって希望もあるので。
一般的な便利屋とは違うんですけど、こういう自分の好きな仕事をいろいろできるって理由で、便利屋をメインの柱にして、その中でいろんな仕事を少しずつ組み合わせてやるっていうのが理想的なスタイルですね。
qbc:
便利屋さんをやっているときってどんな気分でやられてる?
五十嵐ロニー:
気分?…そうですね。仕事やってるときはその作業に集中してるんでよく分からないかも…。
便利屋なので、自分がやったことないものがやっぱり出てくるじゃないですか。
それに対する緊張感はあるんですけど、同時に、僕は特に新しいことを知るのがすごく好きなので、その未知に対して緊張しながらも、それをやりこなす、みたいな部分が楽しいですね。
qbc:
やってよかったなみたいなのって何かあります?
やりたくてやったっていう話だったんすけど、改めてやって気づいたよかったことみたいなこと
五十嵐ロニー:
仕事を最初に受けてからまだどれぐらいだろう、多分半年ぐらいなんですよね。だから、受けた件数とかも、本当に10件いかないくらいで、まだ客観的に後から振り返ってみれるほどの経験値はないんですけど、ただ最初に実際やってみて、自分ができなかったことでも意外とできるんだなっていう実感があったのが、やってみて良かった部分でありますね。
ただ、ちょっと悔しい部分もありますけど。受けたは良いけどできなかったっていうケースもありますし、あとやっぱ初めてやるだけあって、自分が思うように思った通りにできないっていう歯がゆさみたいのはあります。
最終的に、やってよかったなってのはやっぱり喜んでもらえるっていう部分が一番大きいですよね。
qbc:
出来なかった、新しいことは、例えばどんなことだった?
五十嵐ロニー:
例えば、換気扇掃除。僕が依頼を受けたときのはマンションにあるようなシロッコ式っていうちょっと複雑なタイプでした。
そういったものをやろうと思ったときに、例えばちょっと道具が足りなかったり、酷くこびりついてる古い油汚れをどうしても落とせない部分ってのがあって。完璧に出来なかったですね。
もう一つ体験としてあるのが、ランサーズで受けた、レーザー軌道計算プログラムの修正です。
便利屋を始めてから、知らない・できない・やったことないものでも、とりあえず受けてみるようにしてみました。最近はChatGPTみたいなAIもあるんで、AIの力も借りつつやっていけばできるんじゃないかって考えたんですよね。ランサーズ経由で受けたレーザーの軌道計算プログラムの修正、新しい機能を追加したいっていうようなものがあったんですけど、調べて勉強しながらやればできるかなっていうことで、ある程度期間に余裕を持って受けてみたんですが、これが本当に専門的すぎて、レーザーについて勉強し始めてから手に負えないと判明しました。プログラムを作ってみたもののどうしても上手く動かない。どうしようもないっていう状態に陥ってしまって、最後謝ったっていう…。
そんな状況になってしまったことがあります。
qbc:
ハードを動かすプログラムってことですか。
五十嵐ロニー:
ハードウェアではなく、ソフトウェア上でのシミュレーションですね。パソコン上でレーザーの軌道を、光学素子、例えば鏡とかを、この位置にこういう角度でこういう素材で置いたら、どういうふうに動くかなっていうのをシミュレーションするもの。レーザー照射してみたら、こんなふうに軌道が変わるよっていうのをシミュレーションするプログラムなんですけど、基礎から学び始めてからこれはヤバいぞと。しかも、僕は元々理系じゃなかったので、やっぱり難しすぎるっていう壁にぶつかりました。ただそういったこともあったので、あまりに専門的すぎるものはもう最初にこれは難しいと見切る、見切る力というか、目利きみたいなものも必要になってくるんだろうなっていうのは、実際やってみて本当に気づきました。
qbc:
ありがとうございます。ご趣味は何でしょう。
五十嵐ロニー:
趣味っていうと本を読んだり、文章を書いたりすることですね。
とにかく本がすごい好きなのでいつも読書してます。それで本を読んだメモ、感想みたいなものを例えばブログに書いたりブログやnoteに書いたりってことを良くしています。これが結構趣味といえそうですね。
それもある意味で勉強の一環って感じですね。新しいことを知ったり学んだり理解したりってことがとにかく楽しいので、趣味は勉強・読書です。あと料理や音楽は好きです。
qbc:
本って何か偏りあります?今、最近のこのジャンルとかでもいいんですけど。
五十嵐ロニー:
僕は結構、割と幅広い方だとは思うんですが、最近だと、宗教や信仰関連のテーマの本をよく読んでますね。
最近、父が亡くなったっていうこともあって。
父は特に宗派とかそういうのも何も聞くことなく、急死してしまいました。なので葬式をどうするか、何も情報がない状態。父方の親戚は真言宗だったのでそっちで親戚が動いたのですが、ただ僕、名前の通りハーフでして、母方はプロテスタントなんですよね。フィンランド生まれなので。
そういったキリスト教的なものも大事にしろって過去に父に伝えられていたこともあって、改めて宗教とか信仰の部分を考えさせられました。
僕は特定のこれって信仰を持ってないんですけど、意外に、親戚の人たちの方がそういった仏教的なものへのこだわりが実は強くて、温度差が問題になったり。そんな経緯があって、最近はそういった宗教心・信仰心を強く持っている人の心理って何だろう、みたいな、宗教について俯瞰的に見るような本を読んでたりします。宗教とは何かみたいなものとか。
あと真言宗について概要は知ってはいたんですけど、仏教の歴史とか、日本人の宗教観みたいなテーマをここ1ヶ月ぐらいは集中して読んでる感じですね。
qbc:
お料理は、どんな料理されるんですか。
五十嵐ロニー:
何でもですね。僕はイタリアンが好きですけど、大学時代にイタリア料理にハマってから。実は、僕の父も元々料理人で居酒屋やってたっていうのもあって、幼少期は全く興味なかったんですけど、一人暮らしで料理するようになってから、意外とそれが面白くて。
僕が介護職だったときも、訪問介護でいろんなお宅に行ってご飯を作ってました。お年寄り向けなので、和食や普通の家庭料理がメインですが。それもあってか、今家では、僕がほぼ全部家族の分作ってます。
今よく作っているのはまぁラーメンとか焼きそばとか野菜炒めみたいな家庭料理が多いんですけど、イタリアンも割とよく作ります。あと最近はちょっと中華にハマってて、あんかけを美味しく作りたくてよく作ってますね。あと節約しながら、本格的なラーメンとかをローコストで作るにはどうしたらいいんだろうって考えながら、よく作ってます。
qbc:
性格は人からなんて言われたりします?
五十嵐ロニー:
なんですかね…、なんですかね。友人とか仕事の人たちからは、真面目とか、積極的とか、学習意欲があるとか、そういった形で見られてはしますけど、逆にうちの妻とか家族の方からは大雑把だとか話が長いとか。あと最近は、いつも妻には抽象度が低いって散々言われてます。
目の前のことばっかり、自分のことばっかりだからもっと俯瞰的に見ろって、自分で思ってるのとは逆な感じのことを言われたりはしますね。だから人によって自分の性格って結構見え方が違うのかもしれないです。
qbc:
自分自身は、自分の性格っていうとどういうふうに表現されます?
五十嵐ロニー:
すごく難しいです。自分の性格か…。めっちゃバランス取る方だなって思いますね。
周囲と自分のバランスをとる方なんで、主張を押し通すことはしないし、逆に全部受け入れることもない。いろんな人の話とかいろんな情報とか、そういったものをどんどん取り入れて、絶対に何か一方に思想や行動が偏らないようにしがちですね。
だから、逆に専門がなくて、器用貧乏なんですけど。それでいて器用と言えるほどのすごい技術があるわけでもないっていう。悪く言えば、中途半端な感じですかね。
そのメリットとしてはいろんな人に話を合わせられるみたいのがあるんですけど。
qbc:
その傾向って何かこの頃からみたいなものってありました?どんな?いつ頃からみたいな?
五十嵐ロニー:
自分の幼少期からのいろんなそういった流れ、家庭環境であったりとか、経験してきたことがやっぱりちゃんと積み重なって、結果的に今に至ってるんだなってのはすごく実感はするんですけど、ただ結構小学校から中学校に上がるあたりで、割と変わった気はするなって気はしますね。
小学校ぐらいまでは、もっとオープンというか自分の感情の赴くままっていう感じに動いた気はします。当時は例えばお笑いとか好きだったり、普段よくふざけたりとかしてました。例えばダジャレとかすごい好きだったんですけど。何とか笑い取ろうみたいな感じはありました。
どんなことでもいつも笑って、なんか面白くするっていう綿があった一方で、怠惰で臆病みたいな部分もあって。昔は「面倒くさいな」とか「面白いことないかなって」いうような考え方があったのが、今は全然ないなって思います。
笑いを取ろうとしてふざけていた小学生時代から中学時代に入った辺りで、特に”モテたいな”みたいな気持ちが強かったので、周りからどう見られるかみたいなのを考えるようになりました。この辺が一つ目の境目な気がします。
僕は引っ越しとか転校が多かったので、その都度自分のキャラをどんどん変えて、もっと良くしてこうって一新していくようなことを今まで重ねてたんですけど、そうしてるうちに、なんか割と人の目を意識するとか、人に褒められるためとか認められるために、行動するっていうのがだんだん染みついちゃいました。
それが染み付いちゃったが故に、大人になってからもっと昔の自分というか、もっとオープンに自分のやりたいことをただやるっていう方を取り戻すように、今動いてたりします。
長いことモテず、独り身で居ることがながかったですが、30超えてからいい出会いがあって幸い結婚できたって感じですけど。
今でもある知的好奇心、興味みたいなものってのは、それはもう小さい頃からずっとあるんだなとは思ってますね。
あと、コミュニケーション能力みたいな、誰とでも話したり、人と話して人の話を聞いたり自分の話を聞いてもらいたいっていうのも昔からあるのかなって気はします。
こういった性格の振れ幅とか試行錯誤みたいなものが、バランスを取る性格に繋がってるんじゃないでしょうか。
qbc:
大人になってから、また自分の好きなものにっていうふうに変わっていったというお話だったんすけど、それはタイミングありました?イベントとか。
五十嵐ロニー:
イベント、きっかけはいろいろありますね。
qbc:
変わるきっかけになったイベント?
五十嵐ロニー:
ちょっと…2段階あるのかな。イベントでいうと結構いろいろあるんですけど。
まず僕、大学のときからバンドをやってまして、卒業してすぐはバンドでプロを目指してたんですね。プロ志向で。
僕はドラムですけど、バンドをやってて、バンド活動をするのにしやすいっていう理由で訪問介護の仕事をやってたんですけど。
夢が一番大事で、そのための人生じゃないかって当時は強く思っていました。
で、パートというか非正規雇用で働きつつ、バンドでプロを目指してはいたんですが、ただ途中でメンバーのみんなが、人生かけて活動するよりか趣味でやっていきたいっていう方向性に変わって、みんな就職していくんですよね。
そんな中で、ただ自分は正社員とかサラリーマンってのは性格が向いてないし、やりたいことをやりたいなってずっと思っていたので、バンドを仕事にできないなら、何か別に心からやりたい仕事をしたいなと。飲食店経営、カフェとか、そういったのが面白そうだなと思ってたんですが、でも父が飲食やっているのをずっと見てきていて長時間労働で薄給なのも知ってるし、やるなら経営者かなと、当時のビジネス書を読んだりして思ってました。
そんなさなか、既に自分の居酒屋を畳んで介護タクシー業へ転職していた父から誘いがあったんです。一緒に訪問介護事業所立ち上げようぜって。
経営の勉強になるし、期間限定ならいいかもしれないと、僕が26歳ぐらいのときに共同で会社を立ち上げました。
介護ヘルパーから一転、経営者側の方に立ちながら、現場に行きつつ運営、経営もするっていう方になりました。
んで、その頃が一つの転換期です。
夢だけじゃなくてお金を稼ぐってこともやっぱり必要になってくるって痛感したのがこの時でした。
その時点からは少し遡るんですが、大学卒業してバンド活動してた頃、初めて彼女が出来ました。後輩です。バンド頑張ってる自分に憧れてくれてました。ただ遠距離でして、やがて向こうも学校を卒業して正社員になったんですが、それ以降、彼女から見て、夢を追っていた僕は全然将来のことを考えてないって見えたようです。そういったことが原因で結局別れちゃうんですけど。
それもあって、結構ちゃんと稼げるようにならないといけないっていうのがそこで一つ強く出てきたんです。僕がそれまでずっと考えてなかったこと、例えば経済だったり金融だったりそういった、夢だけじゃない生々しい社会的な部分も、以降本気で勉強するようになりました。これと経営に携わるようになった時期が同じ頃です。
qbc:
20年後半ぐらい?
五十嵐ロニー:
はい、20代半ばから後半にかけてですね。20代前半はひたすらバンド活動やってて、20代後半に入ってから経営とか、どうやって稼ぐかってこととか色々考えるようになりました。
それまでは、例えば本でもファンタジー小説とかフィクションが好きだったのが、その辺から逆にビジネス書とか実用書みたいなものの方に大きく変わりましたね。
経営に移ってもまだ、一般的な地に足のついた仕事っていう感じではなかったんですけど。自営業ですからね。
経営は共同でやってまして、そっちで方向性がやっぱり自分あんまり合わないっていうのもあって、僕は30で退任しました。んで、20代後半ぐらいから海外に行きたいなっていう興味もあったことから、
僕は、30歳でそこの会社を退職し、1年かけてバックパッカーで世界一周してきました。
辞めるちょっと前あたりからITに興味があって勉強を始めていたんですが、旅を終えてからITの方に転職。
業種が介護からITへ変わった、っていうのがまた一つの転換期、イベントですね。
qbc:
うん。
五十嵐ロニー:
世界あっちこっち見てきて、より色んな生き方があるんだなってのは思ったんですけど、ここもまたバランスで。ITには大きく稼ぐチャンスがありつつ、自由度もある。だからIT業界に来ました。大きな転換ですよね。異業種への転職。
介護って基本、一対一でしか人を見れないじゃないですか。
訪問介護で自分がお年寄りを見てると、一時間の間にその人にしか貢献できない。
経営とかしてても、自分が見れるのって会社で見てる利用者さん、規模的には十数人だったんですけど、それぐらいしかないのに対して、ITであれば、自分が例えば何かを作れば、それを使う人がもっと時代的にも規模的にも大勢の人に貢献できるっていう。
その規模感みたいなのも魅力的で、ITの方に軸足を移しました。
プラス元々、物事の仕組みを深く知るとかっていうのも好きなことだったので、結構そういったプログラミングの勉強にしてもインフラにしても、掘り下げて勉強するってのはすごく楽しくて。
IT業界に入るにあたって、サラリーマンは向いていないけど、一旦正社員として入ってみるのが近道なんじゃないか?と。
更に、入った会社がSESって形態の会社です。自社だけでずっとやってくってんじゃなく、プロジェクトごとにいろんな現場に行って、それが終わったら、また戻ってきて、今度は次の現場を探すっていうようなものだったので、一つの文化だけに染まるんじゃないっていうのも、結構自分に合ってるかなと思いました。
qbc:
ちなみに、インフラに行ったのは、なんで?
五十嵐ロニー:
ITやろうと思ったときは、よくフルスタックエンジニアって言われる何でもできるエンジニアになろうと思ってました。格好いいから。スペシャリストじゃなくてジェネラリスト的な。
1個のスキルに特化してるんじゃなくて、例えばデータベースとか裏側、インフラ側まで知った上で、アプリを作る開発をやりたいって理想像がありました。
もう30歳だし遠回りしてられないので、難易度高くてもすぐ開発業務に飛び込んでいろんな技術をガンガン勉強していこうっていう方針ではいたんですけど、ただ、いざ開発系の会社に面接面談とか応募しても、全く選んでもらえなくて、未経験はお呼びじゃない反応で。プラス、年が30超えてるってのもあって、未経験でこの年齢だとおそらく需要がなかったみたいで、全然見つかりませんでした。
そんな中で、「インフラだったら未経験でもやりやすいしうちは採用している、やる気を買う」っていう会社に拾ってもらえて。
しかも世界一周で貯金を使い果たして、借金状態に陥ってたので、もう贅沢言ってられないからとりあえずインフラ業務に入って、インフラ側を先に学んでから開発目指していこうっていう方針で、こっち側(インフラ)に入りました。
結果的に開発業務は、インフラの仕事を捌きながら勉強したり小さいアプリ作ってみたりしていたものの未だにプロジェクトとしてちゃんと受けられてません。全くどこも見つからなくて。5年経っても。
ずっと探して追い続けてはいるんですけど、ほんとびっくりするくらい選んでもらえないですね。プログラマーは人手不足って話はウソかと思うくらいです。
一応、ランサーズの方で単発でこんな小さいアプリとか作ってほしいっていう要望があったので、そういったのを受注して作ったりしてますので、プログラミングもできてはいるんですけど。
qbc:
大規模な開発経験はないからやっぱチームで作るかアプリ開発をやりたい、ってことですよね。
五十嵐ロニー:
実際そういうのをやりたいとは思ってはいました。ずっと。けど今年頭あたりからまた気持ちに変化が出てきまして、今は大規模開発プロジェクトに携わるのはもういいかなって思ってます。
自分で小さいながら実際アプリを作ってみて満足した経験と、あとこれからその世界に入るのはあまりに大変そうってところですかね。
今のプロジェクトでも、アプリの開発の部署にいるんです。
プロジェクト参画当初は、実際に開発してる人の手伝いみたいのを、やってもらうかもって話がありまして。
最初ほんのちょっとだけ手伝ったタイミングがあったんですが、開発部隊は1人だけで複数システムを同時に担当していたり、残業も多くて激務の様相で。これかなりえげつない部分があるぞっていうのを見て、意外と大規模じゃなくても、自分でやっていく方が楽しいんじゃないかっていうのも見えてきたっていうのと。
35を超えて、AIだったらもはや簡単なものだったら作れてしまうっていうのも見えて、なんか今からあえてまたゼロイチで大規模開発ってとこに入って、すごい疲弊して、さらに若い人たちと戦っていくっていうよりかは、自分インフラの方も普通に楽しいので、そのインフラでもそれなりの経験があって、喜んでもらえてお金も稼げるしみたいな環境があったときに、インフラを極めるっていうのもありなんじゃないかなっていう心境の変化もあって。
だから、ずっと開発思考ではいたんですけどそこにこだわらず、インフラで要望があればそれ受けて、プラス副業で、便利屋の方でアプリ作ってくださいっていうのがあれば、そっちを受けることもできるし、インフラも選べるしっていうことで、そんなこだわらなくてもいいかなっていうふうに変わってきたのもあります。
過去:大学時代は「魔法とは何か」というテーマで調べて研究してました。
qbc:
ありがとうございます。ちょっと結構過去の話していただいてますけど、過去の子供の頃、子供の頃はどんな子だったのか改めてお伺いしたいです。
五十嵐ロニー:
子供の頃っていうと…?
qbc:
幼稚園とかの時代ですね。
五十嵐ロニー:
僕は、フィンランドのヘルシンキで生まれて4歳で日本に来て、こっちで保育園に通ってました。日本に来て最初、父の仕事の関係で、長野に住んだのがその時代ですね。当時はまだそんなに外国人とかハーフとか少なかったんですが、保育園の後半から小学校入学の辺りとかは結構いじめられました。田舎だし、異物みたいな感じですかね。保育園の頃は、僕は自然が大好きだったので、弟や近所の子と、チャンバラごっこしたり、畑に忍び込んだり木に登ったりっていう、そういった感じでよく遊んでいましたね。
遊んでたのは家の周りの狭い範囲ばかりで、この時期は保育園とか学校を楽しんでたような印象はないです。
qbc:
ごめんなさい。どちらかご両親どちらかフィンランド人?
五十嵐ロニー:
はい。母親がフィンランド人で父親は日本です。小学校のときに離婚してその母方の関係性が全部なくなって、結果的に僕も本当に日本人、どんどん日本人化してて今日本人として生きてるんですけど、一応血としては半分母方のフィンランドが入ってます。
qbc:
長野に行って、小学校も長野?
五十嵐ロニー:
小学校入学は長野でするんですけど、いじめがちょっと強すぎたっていうのと、父が新規店舗のオープニング時のチーフみたいのやってほしいみたいのがあったらしく、忙しくなったっていうのが重なったのもあって、僕は小1途中から新宿区に転校していきます。
qbc:
小1の途中から、父方の祖父母が住んでいた新宿区の家に預けられて、新宿区で小学校3年生終わりまで過ごしました。小学4年生からうちの父が今度は静岡支店の方に転勤になるっていうことで、そこから静岡に転校し両親ともまた暮らし始めるっていうことで、小学校は長野県大町市・新宿区・静岡市で3ヶ所行ってます。
qbc:
お父様は何されてた?仕事って。
五十嵐ロニー:
料理人ですね、調理師。父は元々、和食で修業した後に、若い頃にバックパッカーで世界を旅して、それでフィンランドに行って、そのままそこに居着いて、母親と結婚しました。バックパッカーとしてフィンランドに行って向こうに住んだときも、なんか日本食屋で働いたりホテルでいろんな料理とか作っていて、日本戻ってからも料理人としてあっちこっちやってっていう形になります。
qbc:
中学校はどんな感じだったんですか?
五十嵐ロニー:
中学校の頃は、静岡でしたが、そのときは卓球部でずっと卓球1本って感じでしたね。ただ静岡に行ったあたりからすごく太り始めて、もうデブって言われるぐらいなんですけど。
運動がものすごい苦手で嫌いだったので運動部は入りたくなかったのですが、親戚から絶対に運動部入れって命令されていたので、その中では、うちの祖父母が卓球が得意で小さい頃からよく一緒に遊んでいた経験があったので、運動部で何かやるんだったら卓球だなってことで中学校では卓球部でした。結構厳しかったですね。
中2から僕八丈島に転校しまして、八丈島でもまた卓球やってました。
中2から高校卒業まで八丈島です。
ただ島って、すごいゆるい空気感だったんで、本当にゆるく遊びつつ他のことも色々してましたね。夏は海で泳いだり。探検好きだったんで、山登りしたり古い林道を探したりとか、そんなことでいろいろ遊んでましたね。
qbc:
なるほど。中学ずっと八丈島?
五十嵐ロニー:
中学2年生3年生は、八丈島でした。
qbc:
はい高校は?
五十嵐ロニー:
高校もそのまま八丈島で、 八丈高校ってのが1校だけあるんですけど、そこを卒業しています。高校時代は卓球部にも入ってたんですけど、吹奏楽の演奏に感激して、吹奏楽部に入りたいって言って、吹奏楽部に入ってパーカッションやることになってドラムを担当するようになりました。
卓球部と吹奏楽部と兼部で、”八丈太鼓”っていう伝統的な太鼓があるんですけど、その太鼓部も入って三つの部を一緒にやってました。
qbc:
大学は?
五十嵐ロニー:
大学は山梨の都留文科大学ってところに行きました。
qbc:
山梨だった理由っていうのは?
五十嵐ロニー:
受験でそこだけ引っかかったっていう話です。金銭的に国公立しか行けないから公立行けなかったら、一応9月のフィンランドのヘルシンキ大学を受けてみてそれでも駄目なら、就職しろっていうようなそういった形だったんですね。
高校時代に吹奏楽とか音楽ばっかりやってたのと、頭が特別良くなかったってのもあって、前期後期は、長野と新潟それぞれ受けたんですけど落ちて、中期試験の都留文科大学だけ受かって山梨に行った感じです。
その三つの大学の共通点が、外国の文化を学ぶ学科だったってのがありました。
生まれがフィンランドだったことが影響して、英語、世界史、倫理とかへの興味が強く、得意だったんでその辺が関わってる学科を選んでました。
ただ新潟大・信州大の方は、国語とか数学の基礎力も問われたのですが、そっちが弱くて。国語も結構得意だったんですけど、本試験は太刀打ちできないレベルでした。
qbc:
ちなみにバンドは大学から?
五十嵐ロニー:
そうですね。中学校のときに、BUMP OF CHICKENとかアジカンとか、その辺が好きで、学際で1回やったっていうのはあるんですけど、それでバンドやったっていう経験があって、大学入ってから吹奏楽部とバンドサークルどちらかに入ろうと思いました。
最初それぞれの演奏会を見たときに吹奏楽のレベルが低くて、面白くないぞっていうのと、バンドサークルの方はすごい盛り上がって面白かったんでそっち入りましたね。ちなみに都留文科大学にはバンドサークルが2団体あって、両方入りました。
大学入って最初は少林寺拳法も1年間やったんですけど、途中からバンド1本に絞っていくっていう感じになります。
qbc:
なるほど。10代のときって、どんな気分で過ごすことが多かったというか、どんな感じだったんすかね。
五十嵐ロニー:
10代全体で見ると…。夢とか希望みたいな気分が強かったです。僕はファンタジー小説とかがすごい好きだったんで、そういった非現実的な世界観に対する強い憧れがありましたね。
それとは全く関係がないんですけど、とにかく彼女が欲しいみたいなモテたいみたいな気持ちはすごく強くありました。正確に言うとモテたいというよりかは、自分が割と惚れっぽいのもあって好きな子が常にいたんで、その「好きな子と付き合いたい」みたいなものに結構執着して終わった気がしますね。
qbc:
ファンタジーって具体的にタイトルレベルでいうと、どんなのが好きだった。
五十嵐ロニー:
やっぱ『ハリー・ポッター』は青春ですね。
小学校高学年で運動が苦手になって、一方、本を読むようになって。中学校からハリー・ポッターと出会って読み始めたんですけど、ハリー・ポッターのあの世界観に感動して。
そこから、『はてしない物語』、『ネシャン・サーガ』、『セブンス・タワー』、『崖の国物語』、『ナルニア国物語』とか、ダレン・シャンやエミリー・ロッダやカイ・マイヤーの作品とかいろんなそういったファンタジー系の小説を片っ端から読んでいくっていう形で。
有名どころはもうみんな読んでいました。そんな経緯で”魔法文化”みたいなものにすごく興味が強くなって、大学では一応外国文化を学べる大学って決めて比較文化学科ってとこに入りました。
比較文化学科って、自分で何でもいいからテーマを決めて、何かと何かを比較するっていう視点で、その自分の決めたテーマを掘り下げて、そこから社会的な課題を解決していくものでして。
みんな全然ジャンルが違うんですけど、僕は、魔法・魔術について研究しました。
魔法には古今東西、色んな伝承がありますが、人類はなぜみんな共通して魔法っていうものに興味持ってきたんだろうって。魔法というものを考え出して、追い求めて、調べた理由、原点に興味があったので、大学時代は「魔法とは何か」というテーマで調べて研究してました。それで卒論を書いてます。
学生時代は徐々にそういったファンタジーの中身寄りだった部分から、少しずつそれを生み出した歴史とか心理、宗教との関わりだったりとかっていうちょっとそういう現実的な方に移っていきました。
qbc:
なるほど。ファンタジーって、やっぱりイメージって北欧繋がりがあったんですか?
五十嵐ロニー:
あるんですかね…。幼少期にムーミンとか見てたっていうのはありますけど、それが影響してるかどうかはピンとこないですね。
フィンランドって、北欧は北欧でもゲルマン系じゃないので文化がちょっと違って、例えば北欧神話はフィンランドにはなくて、フィンランド神話っていう全然違うのがあったりするんですよ。カレワラっていうんですけど。そういった叙事詩とかフィンランド神話っていうものはあったりするんですけど、それは後から大学とかで調べて、初めて知ったっていうもので。日本文化の裏に日本神話が見え隠れしているように、フィンランド文化の中にもフィンランド神話は横たわっています。が、自分の心にあったかってのは微妙ですね。
ただ、ファンタジーに興味を持ったのは、小学校でドラえもんにハマったのがきっかけかもしれません。
自分が例えばいじめられたりとか、運動ができないとか、頭も別に大して良くないとかっていう、あんまりうまくいかない環境から、ひみつ道具であったり、魔法だったりっていうそういったものによって自分の夢を叶えたり、成長していくっていうような、そういった部分に対する憧れがあって、ある意味、現実逃避的にファンタジーの方にハマってったっていう側面はあるんじゃないかなと思ってます。
ちなみに最終的に魔法については、研究をしたことによって、ファンタジーに対する情熱には区切りがついてしまって。
魔法って結局、自分の願いを叶える術です。雨を降らしたい、死にたくない、人の気持ちを操作したい、とか。科学がない時代の、当時やれた手法として、魔法とかおまじないとか祈祷とかやったけど、結果的にその技術では叶えられなかった。っていう経緯があったのを僕は全部調べ尽くしてしまったので、そこから科学に興味が湧いて、今の方のITの方に流れてきました。
魔法も科学もある意味、夢を叶える、不可能を可能にする技術っていうので、同じ線上にある気がします。
qbc:
好きな女性のタイプはどんなですか。タイプで共通点あるんですか。
五十嵐ロニー:
そんな急に。笑
そうですね。今の時代となっては若干言いにくくはあるんですけど、「女性らしい人」ってのが好きだったりしますね。
女の子っぽいかわいい感じっていうのが結構好みではありました。なので、例えば、黒髪でロングヘアだったりとか、かわいいものが好きとか、スカートが似合うとか、そういうのが自分の好きなタイプですね。
ただ不思議と自分の妻は全く違うタイプです。真逆です。なぜか結婚するんですけど。
qbc:
駆け足で、人生を振り返って、何か自分の人生の転換点、いくつでもいいんですけども、転換点どこにおきます?
五十嵐ロニー:
うん。いくつ…。いくつ置くかによって変わってきますね。何だろう、どこだろうな。
qbc:
うん。
五十嵐ロニー:
転換点は複数あります。一つは、高校時代。15歳ですね。
高校のときにマラソン大会があって、夜走り込みを始めて、そのおかげで基礎体力がついて結構いい成績取れたんです。
中学では1500メートル走でほぼ毎年ビリ2くらいでしたし、元々運動が全然できなかったんですが、10キロマラソンは一定の時間を超えちゃうと足切りになって、終わっちゃうルールと聞いてまして。それはダサいから嫌だったんですね。でも走り込みで少しずつ限界値を引き延ばして、結果走り切れるようになったんです。
そこら辺から、やればできるみたいな。
頑張ればどんなことでもできるっていう実感を得て、そこから悲観的じゃなくて自分でどんどん積極的に頑張って努力すれば夢は叶うという方に変わったってのが、結構自分の中で大きなものな気がします。
その心境は、受験勉強や、その後いろんな、例えば少林寺拳法のサークルに入ってみるとか、自分ができなくてもどんどん挑戦していく考え方に影響しています。
なので、それが一つの大きな転換点って感じだと思います。
もう1個が25歳のときの、そのフラれたりバンドでプロ志向を諦めた経験ですかね。それまで、夢を追って努力で乗り越えるってスタンスでやってたものが、もう完全に逆に、現実を無視した夢は夢でしかないって痛感するのがもう一つの転換点です。
努力すれば何とかなるとかっていうものじゃない。
qbc:
うん。
五十嵐ロニー:
どんなに努力しても、やっぱり時間とかお金とか、周りの考えとかっていうのは変えられなくて、結局プロになることはできなかったし、彼女と別れてしまったしってのがあって、ちゃんと現実もしっかりした上で、夢追うっていう…。そこら辺で両方のバランスを取るみたいに変わったのが25歳でした。
で、もう1個の大きな転換点が世界1周したあたりです。もっと固定概念を打ち砕いてもいいなって思うように変わりました。
世界いろいろ見て、例えば全然働いてないけど何となく生きていられる、みたいな国の人たちだったり、もっと原始的な環境の中で生きてる人だったり、逆にすごい社会が閉鎖的で、ガチガチのルールの中ででも生きているっていういろんなパターンを、いろんな世界を見たことによって、そんなにひとつの考え方やひとつの社会的な慣習にこだわらなくていいんだなっていうような変わりました。
帰ってきてから、介護から異業種の方に変わってますし。
その旅と転職という30歳も一つの大きな転換点でした。
さらに直近の、この35歳前後も、妻子がいて、副業として自分のやりたいことを仕事すればいいやっていうのも一つの転換点ではあるんですけど。
なので、大体5年か10年かそれぐらいの、あ、そうか、そう考えると15歳、25歳、35歳っていうのが全部転換点になりますね。10年おきぐらいに、毎回変わってますね。
qbc:
ええ。うん。
五十嵐ロニー:
30歳の旅っていうのは間に入ってますけど。後付けですけど10歳、20歳も大きな変化はあったからやっぱり5年から10年で転換するわけですね。
未来:誰もがやりたいことをできるような社会っていうか世界にしたい
qbc:
未来は、10年、20年、30年と。最後に自分が死んでしまうっていうところまでイメージしたところで、どんな未来を思い描いていますかね。
五十嵐ロニー:
やりたい仕事、幸せ…やりたい仕事ができればいい。
いや、難しいな、言い方も難しいな…そうですね。「満足のいく生き方をしたい」っていうのが、まずベースにありますね。
例えば、お金も大事だっていうふうに変わってきたってのはあるんですけど、うちの妻はそれとは逆で、お金がなくても、全然幸せに生きていけるっていうのを体現してて、自分のやりたいことを全部やってきていて、今もいつ死んでもいいって自信を持って発言するぐらいに、自分の人生に満足を持って生きてるっていうのを間近で見て一緒に暮らしていているので、自分がやりたいことを、もうどんどんやっていくのを積み重ねていく人生にしたいなとは思ってますね。
まぁ、「自分がやりたいことをする」というのと、便利屋業の「他の人からの要望に何でも答える」って部分とは相反してるのかもしれないんですけど、そこはちょっとまだ自分でも考えてる部分ではあります。
五十嵐ロニー:
ただ、うん。割と今や今後の社会を考えても、自分のやりたいことを、好きなことを全力で楽しくやってる人ほど魅力的だし、そこに他の人がついてくるのかなっていう。
好きなことだけを自由にやっている人ほど、結果が出やすい社会に変わってきてるなっていうのも実感があるので、僕の場合は、例えば勉強したり新しいことを知ったり、他の人と関わったり、次々新しい色んなことをやってくっていうことが、好きで楽しくて、そういったことが自分の幸せなんだなって思うので、そういったことをどんどん積極的に仕事して、後から見てもやりたいことやったな、今も楽しいなって思える人生にしていこうとは思ってます。
qbc:
はい。パートナーの方はどんな人なんですか?
五十嵐ロニー:
どんな人…。抽象度が高い人。デザイナーなんですけど、常に考える視点が高いというか…すごい変わり者だとは思うんですけど、そうですね。とりあえず、どう表現すればいいんだろう…。抽象度が高い人ですね。
常に、例えば、死ぬこと以外はかすり傷とか、どうせみんな数十年で死ぬんだから細かい枝葉を気にしている時間はムダとか、そういった全方位に、常にずっと高い視点から物事を見ているので、僕の発言があんまり具体的な話題に寄り過ぎたりとか、言動が目の前のことや自分のことだけになると、そこを即指摘される感じはありますね。
だからどんな人かっていうと難しいんですけど、抽象度が高くて、僕の視点から見ると、先生みたいな師匠みたいな感じですね。
qbc:
なるほど。どっちから告白したというか、どっちが先に好きになったんですか?
五十嵐ロニー:
わからないですねー。僕が旅から帰ってきて、もう無一文でなんならマイナスみたいな。住所不定無職の元バックパッカー、でもバンドマン、IT志望の介護士、みたいな訳わかんない状態で先輩の紹介で知り合って…。
qbc:
うん。
五十嵐ロニー:
向こうが全然そういったのにはこだわらないっていう性格。年収とか一切気にしないし、見た目も気にしないし、みたいな。とにかく面白い人であればいいみたいなことを話していて。それを聞いててこの人、面白いなっていう。
僕はまず人と付き合った経験値がほとんどなかったし、モテないってのもあって、それだけで千載一遇の機会でした。
少なくとも見た目の部分では、自分は素敵な人だなと思えました。
さらに話も知的で、哲学的ですごい面白いっていうのを実感したんで、そういった部分に惹かれて、とりあえず付き合ってみようと思いました。
それまで僕は、知り合って1年位かけて、好きな人のことをよく知ってから告白して振られるっていうことを繰り返してきたんですけど、妻の場合はその過去の反省から知り合って2週間で付き合って、そこからさらに4、5ヶ月後ぐらいにもう結婚してます。
付き合ってた中で、これはなんかもうこの人しかいないなって思っていたときに、向こうから酔った勢いでふざけた感じ結婚してくださいみたいにちらっと話をしてきたことがあったんで、その勢いで逆にこっち側から、かぶせてプロポーズしたみたいなそんな感じなので、どっちが好きになってどっちが惚れてどっちがっていうのはちょっと何かわかりにくい感じになってます。
qbc:
そうすると、友達の目線からこの2人は合うっていうふうに思って、紹介されたんですか?
五十嵐ロニー:
いやー、後から聞くと割と適当だったみたいですね。妻が婚活を始めたけど早々にもういいや諦めて、それに焦った妻のお母さんが誰かいないかって僕の昔の先輩に声をかけて、その先輩がロニー君フリーだしどう?って紹介してくれたそうです。
qbc:
「もしもの未来の質問」っていうのをしていて、もしもご自身に魔法の言葉の力ではないんですけれども、今まで得てきた知識だったり自分が得てきたもの使って何かできるよって言ったら何を作りたいですか。
五十嵐ロニー:
どっちですかね?その非現実的なものか、現実的なものか。
qbc:
それもお任せします。2個あったら2個でもいいです。
五十嵐ロニー:
はいはい。なんだろうな、うーん。
そこも僕は1個に決めるのが難しいんですけど、僕は英知を得たいですね。英知を求めているんですが、それが自分の人生のテーマみたいみたいなもので、あらゆる物事を深く理解し、あらゆるものに共感できるような、そういう観点みたいなものを自分は得たいと思っています。
逆に、何かをアウトプットする、何かを作るっていった場合は、自分がやりたい仕事をまだそこまで、妻ほど出来てなくて、まだ完璧に自分の望む人生を得られてないっていう、その仕事の面で得られてない部分があるんで、「誰もがやりたいことをできるような社会」っていうか世界にしたいって思っているんで、もし何か作ることが可能なのであれば、みんながやりたい仕事を出来る世界、仕事でなくても何かやりたいことを自由にできる世界を作りたいっていうのが作りたいものかもしれないですね。
qbc:
現在、何でも屋やってるのは関係あります?それ繋がってます?今の所。
五十嵐ロニー:
うんー。何でも屋によって、その貢献した人に対して貢献したことで達成するっていうよりかは、自分が自分のやりたいことを達成しながら、同時に「こうすればやりたい仕事を何でも色々できるんだぜ」って姿を、わりと自由な働き方ってのができるってことを見せるっていうような意味合いがあるかもしれないですね。
qbc:
なるほど、うん。ありがとうございます。
最後の質問はですね、最後に言い残したことはっていうので、遺言でも読者向けメッセージでも、インタビューを受けての独り言でも大丈夫です。最後に残したことがあればお伺いしております。
五十嵐ロニー:
結構自分のことは自分でいろいろ考えてるとは思ったんですけど、今回のインタビューの色んな質問によって、意外とまだそれを考えたことなかったなっていうような質問もあって、自分のことを見据えるとてもいい機会になった気がします。
楽しかったです。人にインタビューを受けるっていいですね。
qbc:
ありがとうございます。はい。
五十嵐ロニー:
ありがとうございました。
(ロニーブログ)
あとがき
愛は、地球を、救う。
【インタビュー・編集・あとがき:qbc】
【編集:むん】
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