ミャンマーに住んでいる人
むかしむかし、遠い南の国に、心優しいミンという少年が住んでいました。ミンの村では、みんなが助け合って暮らしていました。
ある日、村に大きな嵐がやってきて、多くの家々が傷つきました。ミンは村人たちと力を合わせて、屋根を直したり、倒れた木を片付けたりしました。
そのとき、村の長老が言いました。
「私たちの村は、雨季になると困ることが多いのじゃ」
ミンは考えました。そして、村人たちと相談して、高床式の家を建てることを提案しました。村人たちは協力して、少しずつ家々を改築していきました。
また、ミンは村の子どもたちに、伝統的な踊りや音楽を教えることも始めました。村人たちは夕暮れ時に集まって、竪琴の音色に合わせて踊り、楽しい時間を過ごすようになりました。
やがて、ミンの村は「笑顔の村」として知られるようになりました。困ったときは助け合い、幸せなときは分かち合う、そんな心が育まれていったのです。
ミンは後に、「幸せは分け合うことで増えていく」という言葉を残しました。この言葉は、今でも村人たちの心の中で生き続けているそうです。
めでたし、めでたし。
と思う2025年10月02日08時04分に書く無名人インタビュー1183回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは うっちー さんです!
年齢:50代前半
性別:男性
職業:日本語講師、作業療法士、作家、アーティスト
現在:丁寧に生きるようになりました。
qbc:今、何をしている人でしょうか。
うっちー:えーと、私はミャンマーに住んでいまして、主に日本語講師ということで活動をしてっていうところがメインです。
qbc:他にされていることがあるってことですか?
うっちー:いや、えーと、そうですね。もともと、えっと2019年に初めてミャンマーに来て、その時に日本語学校を作って立ち上げて、その時は会社員だったんですが。
それで立ち上げて、その時のいろんな想いが途中で終わってしまったので、自分でそれをもう1回やりたいなっていう所が1つと、その時にこちらの国の色んな文化とか人柄とかにものすごく驚いたというか、すごく大事なものを思い出させてもらったというところがあって。
何か恩返しできないかなっていうところで、ちょっとこちらの小学校の先生の活動とかも何かお手伝いできればなと思って、ちょっと活動まではできてないですけど、お手伝いをさせていただきたいなって思ってこちらにいるところです。
qbc:今そちらに住んでるってことですか。
うっちー:はい、住んでます。
qbc:何年ぐらい住まわれてるんですかね?
うっちー:初めて来たのは2019年なんですが、それから世界的ないわゆるコロナとミャンマーのいわゆる政変っていう状況で、当時の会社から1回戻ってきなさいっていう指示があって、戻って、その後そこを退職して自分でまたこっちに来て。
で、トータルで今4年半、4年6ヶ月ぐらい多分います。
qbc:いつ戻ってきたのでしょうか?
うっちー:えーと、戻ったのは2021年かな。2021年の8月に1度戻って2023年の5月に、また1人でこっちに単独で来たっていう形です。
qbc:2023年の5月。
うっちー:はい。
qbc:最初にミャンマーに行かれたっていう理由は何だったんすか?
うっちー:もともと私が、リハビリの作業療法士っていう仕事をしてて、それの後進育成で学校法人の、まあ作業療法士の養成学校に勤務してたんですよね。
で、そこの学校で人材育成で介護の人材も育成していこうとで、まあ日本の国内での介護人材が不足しているので、まあ学校法人として自分ところで、あの最初の日本語教育からしていくっていうところの立ち上げで参加したっていう形ですね。最初は2019年に来ました。
qbc:お仕事で行かれたっていう。
うっちー:そうですね。はい。
qbc:その時のお仕事が、日本語学校を立ち上げるものだったのでしょうか?
うっちー:そうですね。で、日本語教師をしていたっていうところですね。
qbc:それ自体がなんか印象にすごい残ったってことなんですよね。
うっちー:そうですね。僕もですね。で、もう本当にあの旅行で外国に行くことはあったんですけど、住むということは実際考えてもなかったのと、まあその準備段階で先輩が1人先に来てくださってたんですけど。
qbc:はい。
うっちー:まあ、その先輩もとにかく力になりたいっていう思いがあってっていうところとで、実際来た時にこちらの方々のものすごくあたたかい心で色々サポートしてもらって、なんて素敵な国なんだろうって思ったのが、まあきっかけで。
またそこで自分でやりたかったことをもう1度やりたいなっていう風な思いがあるっていうところですね。
qbc:なるほど。その時に感じたことってなんなんだったんですか?
うっちー:いや、とにかく何ですかね、親切っていう言葉だけじゃちょっと足りないような、何かものすごく純粋な昔の日本人が多分持ってたんだろうなっていうような、何かすごくピュアな感情とか空気感を感じて。
本当に全く知らない外国人に対しても色々なサポートをすごく細かく一生懸命してくださったのが、全然言葉も喋れないのに、そこで意思疎通がうまくできて始めたっていうのも僕も大きな衝撃だったのと、今まで言葉に頼ってた自分を、そこで何か気づいて、心で動くって大事だなっていうのがものすごく心を何かつかまれたっていう感じですかね。そこを、自分の中でどうにかしたい。もっとそれを知りたいと思ったのが大きなところですね。
qbc:具体的なエピソードは?
うっちー:そうですね。もうとにかくこちらに来て。まあ事前調査はしながら来たんですけど、ミャンマーに。実際、その運営しようとかっていうか、まず法人を立てないと作らないといけなかったところからだったので。
qbc:はい。
うっちー:法律もわからないで、言葉も分からない、やり方も分からない、生活習慣もわからないで。仕事の手前のところでものすごく難渋してたところを、まあそのと当時採用で一緒に働いてくれたミャンマーの方が本当に細かく仕事外の時間なのに、本当に色々手伝ってくれたっていうところと。
そこを最初はものすごくあの本当のローカルのアパートに住んでたんですけど。そこの方々が本当に親切で、大丈夫か?っていうような感じで、何か事細かく気にかけてくれたっていうっていうところですね。
qbc:事細かく気にかけてくれたっていうのは何をしてくれたんすか。
うっちー:もう具体的には、簡単に言うともう水はあるかとかシャワー出てるかとか。あと電気ちゃんと来てるかとか。なかなかそこまで多分、普通はしてくれないんじゃないかなって思ってたので。
こんなに気にかけてもらえるんだったら、なんか困ったことも先に、事前にいろいろ相談できるかなって思ったっていう、そういうところですね。そこですね。
qbc:それは誰が言ってきてくれたのですか?気にかけてくれたっていうのは。
うっちー:アパートに住んでた時には、そこのアパートのオーナーっていうか管理人さんとかセキュリティの方とか。あとは、その時の当時の職員の方が、昨日のご飯ちゃんと食べた?とか買い物できた?とか。わからないんだったらもう一緒に行くよって言ってくれてたので。
旅行だったら、例えばそこのツアーコンダクターとか一緒にいるガイドさんとかに頼れるところだと思うんですけど。そういう頼り方も実際わからなかったところもあったんで。そこを先にケアしてもらえた。気にかけてもらえたっていうのはすごく大きな嬉しさでしたね。
qbc:どんな気持ちになったのでしょうか?
うっちー:いやあ、なんですかね?今までは生活するのは当たり前だって思ってたのが、もう価値観が違う。文化が違う。生活の仕組みが違うっていうところで。簡単に言うと、本当に電気のスイッチの形状は違うし、コンセントも違うしっていうような。
当然、街の雰囲気や匂いとか。そういうところも。いわゆる、最初の1週間ぐらいは旅行気分でなんとかなったとしても、やっぱだんだん疲弊してってたので。
qbc:はい。
うっちー:そういうところのケアをしてもらえてたっていう。そういう生活するっていうところをちゃんと疎かにしてたなっていう。なんかものすごく基本的なところに立ち返れたっていうところから、何か自分の生き方っていうか仕事の向き合い方とかも変わったっていうとこですね。
qbc:なるほど。そうするとなんか別になんなんていうのかな?親切にしてくれて生き方まで変わったってことですか?それは要するに。
うっちー:そうですね。丁寧に生きるようになりました。
qbc:丁寧に生きるっていうのはどういう意味ですか?
うっちー:だからなんですかね。日本にいる時って、生きてるっていうような実感ってちょっと薄かったんですけど、もう毎日が、なんですかね。本当にちゃんと目的をもって何をするっていうのを意識し始めたとか。
出来ないこととか、分からないこととか、流さずに、とにかく1つ1つを考え始めた。見つめ直したっていうか、向き合い始めたっていうところで。忘れてたっていうか知らなかったところですね。
qbc:その時の目的って何だったんですか?
うっちー:仕事以前の、本当に今日の夜ご飯を買う、買い物するっていうだけでも大変だったので。日本みたいに行けば欲しいものが全部揃うわけじゃないんで。それを探したり、他にそれに似たものがどこにあるのかっていうお店を探すところとか。
うっちー:仮に探し見つけたとしても、そこへ行くまでのアプローチがまた大変とか、っていう。もう本当1つ1つですね。
qbc:コロナで戻ってきて、もう1回行くまでっていうのはどんな感じだったんですか?
うっちー:一応その時にはまた戻れる可能性はあったんですけど、まあ会社方針としてクローズになったので。
qbc:そのミャンマーでの仕事というのが、なしになったと。
うっちー:だから自分たちで作ったのを自分で締めないといけないっていう仕事もして。
このままでは、その組織ではもうミャンマーの道はなく、他の国はあり得るけどって思った時に、その時にまだちょっと学生、授業を持ってて、一応全部終わらせては戻った、日本には戻ったんですけど。何か不完全燃焼の状況な気持ちと、学生もその後、次のクラスに行きたいって言ってた学生たちにもちゃんと説明ができないまま終わらざるを得なかったところもあって。
qbc:はい。
うっちー:そういうのが、ちょっと心苦しいのと、その時にほんと自分で無力だなっていうのと、会社依存してしまってしまっているというか。まあ、会社員だから会社の方針に従うのは当然だと思うんですが。
そのときに、それに歯向かうっていうか?それでも自分はこっちにいたいっていうのをできないっていうもどかしさとかっていう気持ちと、また戻って戻るための準備をしててもうまくできなかった。本当に自分に力がないなっていうその気持ちが強かったですね。
qbc:それでどうしたんですかね?
うっちー:結局やっぱりもう1度ミャンマーに、僕は戻りたいって思ったので。もうそこの会社を退職する決断をして、単独でミャンマーに戻ってきたっていう形ですね。
qbc:辞めたのはいつ頃なんすか。
うっちー:2023年3月です。
その前にちょっと前いた部署に、また転属になって。いよいよもう本当に海外の仕事っていうのは多分また遠のくなっていうのがあったので。で、そこでもう異動になる前に、異動が続くんだったらもう人事のギリギリまではしますが、その後はちょっと退職しますねっていう話で。話をなるべくまあ穏便になるように、まとめて、退職したっていう形ですね。
qbc:ミャンマーに行くこと自体にどんな反応が?
うっちー:まあ、本当に親身になってくれた職員の方々は残ってほしいって言ってくれた方もいたんですけれど。
多分、僕が思い入れが強かったっていうのも知ってる人たちも多かったので。辞めてまで行くんだったんならっていうような感じではありましたね。
qbc:職場以外の周囲の方達っていうのは?
うっちー:えっと、ほとんど反対ですね。
qbc:どういった人たちが。
うっちー:親族は全員反対しました。本当に応援してくれたのは2人だけでした。
qbc:誰ですかね。
うっちー:1人は、10年ぐらい前からちょっとご縁があった。
なんて言えばいいのかな?その当時、僕も家族関係でちょっといろいろあって1人になる時だったので、その時に支えてくれた。ええ、まあなんて言いますかね。ああ。当時はヒーラーって言えばいいですかね?その先生ですね。先生がいろいろ占いとかもされていたので。その先生が1人と、あとは今回のこの無名人インタビューを教えてくれた友達です。
qbc:反対ってどういう理由で反対してくるんですか?周りの人って。
うっちー:わざわざ政変が起こってるところになんで行くの?っていう。
あと会社を辞めるって。まあ、今、僕50なんですけど、40代後半でやめて無職になってって。でもどうするの?っていう。まあ心配をしてくれてることからの反対かなって思ってはいます。
qbc:反対されてどう思ったんですか?
うっちー:まあそうだよなって思いました。
qbc:なんかその、まあ正直その大人じゃないですかなんていうかな?どうするんですか?そういう時って別に納得させなくても行くだろうし、どんな状況だったんですか。
うっちー:そうですね。あと、なんて言えばいいですかね?僕がこれやるって言い始めたら、今までのことって滅多にそういうこと言わないんですけど。これ、絶対もうするって言い始めた時にはそれをずっと貫いてたんで、まあ親族もそれは知ってたし。
qbc:はい。
うっちー:多分止めても無駄なんだろって言われながら、でもそれはやめてくれって。っていう風に言われて、そう言うと思うけど、こっちの気持ちがどうしてもそっちにしか向かないし。
仮にあの行かずに我慢したら行かなかった自分をずっと自分自身が攻め続けるというかで、その時に止めた人たちに対して、俺は何?僕自身が何かマイナスの感情を持ち始めるし、それも嫌だって言って。
だから止めるのはまあいろいろ心配してくれてるからだというのは分かってるけど。それを行動化できなかった時には言い訳にしてしまう、自分がなんとなく分かるから。
ごめんなさい。っていうか気持ちは分かってくれてる上でのその意見っていうのは、その愛情だけはいただきます、でも私は行動します。という形でした。
qbc:なんていうのかな?説得しなきゃいけないみたいな、納得させなきゃいけないみたいな気持ちは出てくるもんなんですかね?
うっちー:まあ多分納得はしてくれないだろうなって思ってたので。
qbc:まあでもうっちーさんはそれを無視せずに一応話したってことですよね。
うっちー:平行線だとは思っても、とにかく、気持ち的なことはちゃんと伝えた方がいいと思ってるし。みんなの気持ちをちゃんとわかった上で反抗しているわけではないって。気持ちも逆の立場だったら、それはそういうこと言ってる可能性はあるし。
なので、ただ、その中で自分で今やらないと多分後悔するし、やらなかった後悔がずっと後に響くことの方がもっと嫌だからっていうふうに、今も伝えています。
qbc:でも2023年5月で、そこからはもう2年か。どんな感じだったんですか?2年間。
うっちー:いや、もう会社の最後の最後で転属になったやつも。まあ、いろいろな影響でちょっとなんで私ですかっていうような状況のところに行ったので、まあそういう。もう会社のしがらみとかから離れたくて、ミャンマーには来たものの、もう本当の海岸の端っていうか?もう海の真横に住んでたんですよね。最初。で、完全にリタイアのつもりでもいたんですけど、ちょっとだけ。
うっちー:まあ、例えば65とか過ぎてリタイアした時にどんな感じかなっていうデモンストレーションもちょっと含めてしてみたんですけど、何もしない自分がだんだんそれもストレスになってたのがわかって。
これはまた、ちょっと自分でやれることを探した方がいいなっていう感じで。また前住んでその学校を作った地域にまた戻ってきて。ちょうど運良く、その時にその当時のアパートオーナーと、また繁華街で会えて本当に。そんなそんな状況だったら今アパート空いてるから帰っておいでって言われて。そこにちょっと素直に従ったというか、甘えたっていう形で今こっちに戻ってきてるという形ですね。
qbc:えっと、隠居のつもりっていうのは、隠居は可能だったんですか?経済的な意味で。
うっちー:全部は無理だったと思うんですけど、どこまでできるかなっていうのと、まあ物価はやっぱり安いので。何年間かは絶対持つと思ってたので。
qbc:そのお休みするっていう意味ですね。
うっちー:そうですね。ちょっと途中1年、2年とかは何もしなくてもいいかなって思ってたこともありました。
qbc:え、今いる地域に戻ってきたっていうのはいつ頃なんですか?
うっちー:5月に結局ミャンマーに来て、それから4ヶ月後ですね。8月にはもう今いるところに行きました。
qbc:じゃあもう沿岸部にいたのは数ヶ月で。
うっちー:そうですね。はい。
qbc:今はどこに?
うっちー:今いるところは、はい、本当の1番大きなヤンゴンっていう町ですね。
qbc:ヤンゴンでは今何されてる?
うっちー:今メインは日本語講師ですね。
日本語関連でちょうどこのアパートオーナーも日本語学校を運営されてるので。っていうのをちょっとプラスアルファのところで、あの私がお手伝いできるところは、ちょっとそこに参加させてもらっているという形です。
qbc:へえ、はい。
qbc:今なんかその色々あって色々なって色々こう片付けてきてミャンマーに来てもう1年以上経って、2年ちょいですよね。どうですか?気持ちは。
うっちー:いやあ、まあ1言で言うと楽ですね。
qbc:何が楽でしょうか?
うっちー:やっぱり今まで日本にいた時って、まあ特に家庭持ってた時とかはいろいろ我慢してたところもあったのと。まあ、しがらみがあったりとか。
まあ、そうですね。本音が言えないこともたくさんあるのと。好き嫌いだけでは生きていけないところもあったし。まあ今ここでもそうなんですけど。まあその中で自分である程度コントロールできるっていうのはだいぶ気が楽ですね。
qbc:それはなんでそれができるんですか?そう、楽にできるようになったんですか。
うっちー:なんですかね。人間関係もあんまり、本当に仲がいい。友達とかはミャンマーの方とか日本人の方もいらっしゃるんですけど。そういう方以外とはほとんど接触しないで連絡もしないのと。
あと僕も言語能力あんまりないんで英語とかそのミャンマー語も。まあ生活できるぐらいはあるんですが、まあそこでそういう言葉に縛られてない。時間管理も自分次第なので。例えば、何をしようとしても、自分で管理すれば、責任は全部自分ですけど。
その楽さと、あとは多分色々自分の中で感情を、なんですかね、蓋をしてたっていうか。気づかないような事とかが。まあ1人になるとやっぱり考えられるところもあるので、逆に言うと、そこの今、周りとの接触が少ない分、自分に向き合えてるっていう点ですごく楽ですね。
qbc:なんか周りとの接触っていうようなイメージがつきにくくて。何割ぐらいになったんですかね。
うっちー:ああ、もう会わない時は1週間誰とも会わないとか普通ですね。
qbc:1週間誰とも会わないってどういう状況なんですか?
うっちー:えっと、誰とも会話しないとか。まあ授業では関わることあったとしても、それ以外、何もずっと部屋の中にいる。まあ朝散歩に行ったりとかするんですけど、そこに知り合いがいるわけでもないので、たまーにすれ違ったりとかして会話することはありますが。
qbc:っていうか、誰ともプライベートの会話をしないっていうことですか?
qbc:ああ、そうですね。プライベートで関わらないこともありますね。
qbc:もちろん事務的なやり取りはしてるけどっていう。
うっちー:そうですね。ですね。まあ、ここのアパートの管理人さんとかセキュリティの方とかには生存してますよっていう意味で、1日1回は必ず誰かに会うようにはしてるんですけど。
qbc:日本では逆にどんな感じだったんですか?例えば、そういう意味で言うと。
うっちー:あまり人間、人付き合い上手な方ではないとは思ってるんですけど。まあ、なるべく波風立てないようにとは思ってたものの。過剰すぎる正義感が先行してしまって。色々なことを言ったりとか。だから、裏で言うよりも表で言ってたっていうこともあったので、変な目立ち方をしていたことはあったとは思います。
qbc:うっちーさんご趣味はどんなものがあるんですか?
うっちー:趣味は、えっと、そうですね。日本にいた時には山登りとか。あとは車が好きだったので車に乗って気分転換とか。山に登ってた時が1番気が楽でしたね。
qbc:はい。で、こっちでは。
うっちー:まあ外出制限とか時間帯とかの影響もあるので。あまりないですが、まあほんとん本を読むこととか。あとは時々絵を描いたり、ですね。そんな感じですかね?
qbc:どんな本を読んでるんですか?
うっちー:本はもう本当に自分のすきな、自分も1冊リリースできてるんですけど、その出版会社さんと繋がってる著者さんの本を読んだりとか。あとは今まで好きだった本を繰り返し読んだりとかですね。
qbc:どんな内容の本なんですか?
うっちー:その出版会社さん、ギャラクシーブックさんっていうところからのつながりの方達は、みんな自分の生い立ちのこととかを書いてる方が多いんで、そういう人達の人生観とかも触れられるので、その本とか。あとはよく読んでたのは、えっと、光の帝国っていう恩田陸さんの小説ですね。
qbc:どんな絵を描かれるんですか?
うっちー:絵は、抽象画というか、あと絵を描くっていうか、なんかシャボン玉に絵の具を混ぜてふうって吹いて。それでできた形とか、あと吹き流しみたいなやつとかを。まあ気分転換にして。
で、結局自分でコントロールできないものが何か形になるっていうものもなんかいいなって思ってて。そんな感じですね。
qbc:性格は人から何て言われたりします。
うっちー:人からですか。人からはまあ、そうですね。まあ真面目とか。あとは真面目かな。あとはとにかく行動力があるって言われますね。
qbc:自分ではどう思いますか。
うっちー:自分では、ものすごく面倒くさがり屋と、行動力に関しては、自分でこれって思ったら行動するんですが、そうでないのはさほど行動的とは思ってないですね。
qbc:距離の近い人から言われる1面ってあったりします。
うっちー:距離が近い友達、家族には、えっと厳しいって言われますね。
qbc:何に対して。
うっちー:なんだろう。道徳的なこととか倫理観とか。あとはなんか、おかしい、これおかしくないってなったときに。まあガンガン詰める時があるので。だから、兄弟は僕の顔色を伺うことが多いですね。
qbc:この詰めてる時ってどういう感情なんですか?
うっちー:ああ、多分それ、それこそ自分の過剰な正義感ですよね。なんかそれって自分の偏った価値観なんだと思うんですけど。
なんかどこかで自分がおかしいって思っているのを平然とされると、ちょっとカチンってきてしまうことが。まあ今はそんなにないですけど。なんでそんなこと言うのとかっていう風なのを先に言えるようになってるので。
過去:小学校5年生の時に余命宣告をされて、もうすぐ死ぬよみたいなことを。
qbc:過去のことを聞いていきたくて。子供の頃はどんなお子さんでした?
うっちー:えっとー。僕はもともと先天性の心疾患があって。小学校5年生の時に余命宣告をされて。
もうすぐ死ぬよみたいなことを。まあもともと先天性の心疾患があって手術をして、一応2歳の時に手術を両親の決断でしてるんですけど。ただ、あの運動制限とかがあって、みんなとおんなじ運動はさせてもらえず。
両親も私が1番最初の子供だったんで。やっぱり、どうしていいかが分からないのがあって、まあかなり過剰にっていうか心配だとは思うので。そういうところで、ちょっと過保護ではあったのかもなっては思います。
qbc:余命宣告っていつ、何歳の時にされたんですか?
うっちー:小学校5年生の時に、中学生になれないかもしれないと言われて。最初意味が分からず。
qbc:2歳の時に手術をされた、と。
うっちー:はい。
qbc:その後はまあ、体の動きをセーブした状態で日常生活を送ってらっしゃると。
うっちー:そうですね。だから定期検診には年に2回ずっと行ってて、まあそこで何か悪いと言われることはなかったので。まさか、もうすぐ命がなくなるみたいなことを言われるとは思ってなかったんで。
qbc:その5年生の時ってなんか特別なことがあったりしたんですか。
うっちー:いや、何もないです。普通の定期検診に行った時。まあ、そのその時のドクターから言われたっていう形ですね。
qbc:あ、担当のお医者さんって毎回違うみたいな感じなんですか?定期検診って。
うっちー:でも大学病院に通ってたんで。で、多分主治医っていうか、まあ手術したのはまた全然違う土地だったので。
それの経過観察を見てたっていう感じで。毎回先生は違ってましたね。
qbc:なるほどね。
qbc:なんかほんとにちっちゃい時、幼稚園とかそれぐらいの時に好きな遊びってなんだか覚えてらっしゃいます。
うっちー:ああ。ミニカーでいっぱい遊んでましたね。
qbc:それで、その余命宣告されたあとの数年間ってどう過ごしてたんですか?
うっちー:いや、なんかなんですかね?本当だったら困るし。でも嘘だったんなら、例えばもう勉強したくないとか、思ったことも当然あるし。でもどうなるかわからないのに。自分の可能性を信じるためにも、みんなと同じことはしないといけない。
かといって、それをその気持ちを友達に話しても友達は分かるはずもなく。1人だけ精神年齢がいきなりガツッと上がってしまったような状況だったので。親や先生とかに相談しても答えは出ないしっていう。
急に自分で全部色々なものを考えていかないといけない。人のせいにはできないし、かといって自由にもできないというか。いつの間にかやっぱ抑圧はしてたかなっていうのはありますね。
qbc:当時はなんか、良い状態、悪い状態で言ったらどっちだったんですか?メンタル面で。
うっちー:ああ。メンタルは、考え始めると、自分でも答えが出ないので。なんか分からないっていうのが正直なとこですね。だからいいのか悪いのか分からないですけど。その日褒められればやっぱし嬉しいっていうような。まあ、本当の小学生の男の子の、小学生の感覚なので、普段は。
体育の授業とかで急にそこで1人ぼっちにならないといけない時に、どすんってなるっていうか。
qbc:そのもやもやが晴れたのっていつなんですか?
うっちー:晴れたのは、そうですね。まあかなり飛躍しますけど、もう40歳の頃ですね。
qbc:それまでは突然死するみたいなそういう不安があったってことですか。
うっちー:いや、それはないですね。死ぬかもって思って、結局何もなく普通に中学進学して、高校まで普通に行って。高校生の時に運動部に勝手に僕が入ったんですよね。
まずそこが1つの転機にはなったかなって思いますね。
qbc:何部に入ったんすか?
うっちー:バレーボール部です。
qbc:普通に走りますよね。
うっちー:ですね。まあ本当は僕野球がしたかったんですけど。野球はちょっと多分周りも絶対反対するし。バレーボール、室内で決まったところで。で、例えば役割がこれだけとかってすれば、まあなんとなくちょっとずるい考えで逃げの口実も言えるかなって思ったのもあった。
qbc:どうでした?高校時代、運動部入って。
うっちー:もともと入ったのが、結局そのまんま周りの言う大人の言う、当時からの大人の言うとおりしたら、自分の体を鍛えるとか運動することを知らないまま、多分余生っていうか、そのあと何十年も過ごす可能性があったときに、そっちの方が怖かったんですよね。なので。
qbc:ああ、理解されてたんですね。
うっちー:何かこれは自分で動かないとやばいって思ったので運動し始めたっていうか、まあ学校では制限されてても。小学校の頃から友達と普通に草野球とかはしてたんで。ただ、ちょっときついと思った時にはごめんって言ってあの、抜けたり休ませてもらったりとかはしてたんですけど。
qbc:苦しい、というのは?
うっちー:ほんとにあの体力がないんで、みんなと同じ事してたらついていけなくなるんですよね。
qbc:心臓に何かっていうわけじゃなくて疲れちゃってるだけ?
うっちー:それも。でも多分心臓機能も多分弱かったはずなので。
qbc:ああ。なるほどね。
うっちー:そこで心臓が痛いとかっていう感覚はほとんどないんですけど。とにかくついていけないっていう。そんな感じでしたね。
qbc:高校の後は大学進学ですか?どうなんですか?
うっちー:作業療法士の専門学校に進学しました。
qbc:それはどうして、どのような理由で選択されたんですかね?
うっちー:やっぱ自分のその体のこともあって、まあ本当は違う職業のこともあったんですが、自分の学業の成績とかで。1番自分が恩返しできる職業って考えた時に、リハビリの世界だなって思って。そこで体のこととか心のこととかが見れて、あと生活のことが見れる作業療法士の方が僕はいいなって、作業療法士を選択したっていう形ですね。
qbc:学校卒業後?
うっちー:卒業後、そのまま就職をして。臨床に6年いて。途中からミャンマーに来ることになったところの学校法人で、後進育成をメインで。臨床ちょっとしながらですけど。そこで20年間、勤めてっていう形ですね。
qbc:もう結婚はいつ頃。
うっちー:結婚したのは29の時ですね。
qbc:その転職前です。
うっちー:転職後ですね。学校の先生になった後でした。
qbc:まあ、なんかすごい雑な聞き方になっちゃいますけど。その20代、30代、40代半ばぐらいまでどんな人生だったんすか?
うっちー:とにかくみんなと。まあ、自分のその心臓の事とか、体のこととか。あと親たちの影響もあって、人と同じ事を目指そうとしてた。
なので、まあ就職をして、まあ資格を取るなり何か。社会貢献できるような仕事、手に職があって働いてて、家庭があって、家があって子供がいて車があってっていうようなのをなんとなくそれがいいんだよなっていうような感じで、それに沿って生きてたっていう感じですね。
qbc:ご両親からはどのように育てられたと思ってらっしゃいますか?
うっちー:母親はまあ本当に僕を甘やかしたかったんだと思います、もっと過保護に。父親が、そこに関してはちょっとそれはやりすぎっていうような感じで制限をしてたような。
両親ともにそうですね。なるべく人と同じように生活してほしいってずっと言ってたので。それがいつの間にか染み込んでたっていうか、そうあった方が多分いいんだろうなっていうのと。親に対しても心配かけないようにっては思いながら。でも、時々その自分の価値観の正義感がガンっていった時に、絶対に曲げないというような。なので、親としては、まあ本当に大事に育ててくれたっていう感じですね。
qbc:ルーティンのような繰り返しのような会社員時代だったんですかね。
うっちー︰まさにその通りですね。
qbc:あ、えっとその長くいた会社さんっていうのは学校法人が長い?
うっちー:あ、そうですね。そっちの方が、学校法人が長いですね。
qbc:なんでそのリズムの中で急にミャンマーが。なんでそこで踏み切れるのかな?みたいな。
うっちー:介護人材の育成をっていう風に法人が立ち上げて、それを謳い始めて。
その時の先に行ってた先輩がキャンパスも違ってたんで、あまり接触することない人だったんですけど、何かあるたびに声かけてくれてて。で、僕が本当に落ち込んでる時、何か周りは気づかないように僕も見せなかったのに。その人は気付いてくれて、まあ声かけてくれてたんですね。
その先輩が先行して行ってる、ミャンマーですごく苦労してるのを見てしまったんで。これは私が、今度は僕が何か手伝わないとって思ったのが第1ですね。
qbc:あれ?なんか海外行きたいとかそういうわけではなかった?
うっちー:いやあなかったですね。最初は。だから、とにかく何か困ってる人がそこにいるから、そこへ行くっていうだけで。
qbc:そういうことか。因みにその先輩って今どういう状況なんすか。
うっちー:今、元のそのコロナの時にもうご家庭があったんで、もう次どうなるかわからないから、とにかく帰った方がいいですよと言って、先に帰ってもらって今はもう。その学校法人で介護の職員として介護職の人材育成をメインにされていらっしゃいます。
qbc:ただ、2回目は完全にうっちーさん単独ですよね。なんで行くのを止めなかったんすか。
うっちー:ちょっとよぎったんですよ。それは。最終的に結局また教員に戻って学生指導とか学生の育成した時にも。
ほんとに国家試験の合格率も上がったし、それに関われたし。来年先生が担任してくださいって言ってくれる学生も何人かいてすごく嬉しかったんですが、やっぱり今行かないとって、後で後悔するって思ったのが、そっちの方が大きかったです。
qbc:なんかその前にも人生その40代であれば後悔することがたくさんあったと思うんですけど、それだけなんで踏み切れるんですかね?
うっちー:なんか。
qbc:あると思うんですよね。
うっちー:まああとその時にまあ実際残ってたらもう実績もある程度積んでたし、海外でのやってた事とかもある程度は認めてもらってたので。まあまあなところのにはいれたとは思うんですよ。だから周りから見たら、やめずにそこにいたら多分あと10年、20年無双状態だと思うけどなんでやめんの?ってよく言われました。何人にも言われました。
qbc:リスクを、海外でむしろリスクを取って、その日本で戻ってきたら日本でより良い状態になるのに、ってことですよね。ミャンマーで何を手に入れたんですかね。
うっちー:正直に生きることですね。
qbc:何に対して正直になれてなかったですか?
うっちー:流されてたんですよ。今までずっと僕は。流れがわからないところに来てしまって、そのまま流れてたらどうなるかわからないの?と。
qbc:はい。
うっちー:ものすごくいい方に行く可能性だってあるんですけど、日本の状況と違う分、どうなるかはもう全部、それこそ自分の責任なので、1個1個自分で気になったことは確認していこうって思ったっていう。
ほんとに生活に目を向けた、自分に目を向けたっていう。生きることを当たり前に生きよう。生きようと思ったっていう。表現ですかね?
qbc:日本でもできないことはないと思うんですけど。
うっちー:こっちのミャンマーに居た方が、例えばね。今日本語教師としてやってるところでの、やっぱり1番自分の中で大きなものが、日本に行った時に困らないようにアドバイスができる。日本人がミャンマーに住みながら、ミャンマーの文化もある程度分かって伝えてっていうことができてるのは、日本で働くよりもミャンマーに行ってした方が、社会貢献度は高いんじゃないかなって思ったところもあります。
qbc:人生の転換点についての質問っていうのをしていて、自分の人生の転換点ってどこにあると思いますか?
うっちー:まずはその小学校5年生の時にもう長くないかもって言われたところ、と。高校で自分でバレーボール部に入ったっていうところと。あと離婚したところですね。ミャンマーに行こうって決めたことと、2回目に単独でミャンマーに行こうと思ったことですね。
qbc:離婚は聞いても大丈夫ですか?
うっちー:大丈夫です。
qbc:離婚はあまり話に出なかったですけど、どういう何が前後で変わったんですかね。
うっちー:それこそ、本当に一般的な家庭でいようって思ってたので。まあその時の元配偶者がちょっといろいろあって。僕もその時にはいた法人で一応出世をして行こうって思ってたんですけど。
qbc:はい。
うっちー:それを邪魔するようなことがかなりいっぱいあって。家族のためにって思ってたものを、家族が邪魔をするっていうところで。だんだんおかしくなって、お互いっていうところで、もう一緒にはいれないなっていうところで離婚をしたっていうところですね。
qbc:なんか差し支えなければ、邪魔をするってどういうことですか?何をしてくるんですか?
うっちー:1番わかりやすいのが、僕の出張を阻止するっていうか、出張させたくないために、その日の朝から行方不明になるとか。
あとは、いわゆる警察沙汰になるとか。またそれが理事長面接とかちょっとポジションが変わるようなアピールするような場の時に、なぜかそれが数回続くとか。警察沙汰も続いたので。これはちょっともう無理だなってなって、お別れすることを決意しました。
qbc:そういう方とうまくすぐ別れられました?
うっちー:いや、揉めました。やっぱり僕、裁判まで持っていくつもりだったんですけど。そこを手前で。まあもうこれ以上はもうお金も時間も無駄になるって思ったんで、着地点が一緒であるんなら、もう先にけりをつけようっていうふうにして、それ以上を長引かせないようにしました。
qbc:お子さんはいらっしゃらなかった?
うっちー:いや、3人います。
qbc:それはパートナーの、元配偶者の方に。
うっちー:ああ。そうですね。
qbc:何歳の頃だったんですか?離婚。
うっちー:離婚が40の時ですね。
未来:ミャンマーにはずっといたいなとは思っていますね。
qbc:未来について聞いていきたいんですけど。5年、10年、20年、30年。まあ最後には自分が死ぬっていうところもありますね。イメージした上でどんな未来を今思い描いてますかね。
うっちー:とにかく僕が今大事にしてるのが共感できる人達と一緒にいたいっていうことと、尊敬できる人、信頼できる人と、あと、その方々と自分が居心地がいいところで、自分ができることで社会貢献しながら気楽に生活できて。
それがみんながWinーWinで循環できるっていうか、まあ安定っていうか安泰っていうか、ちゃんと光が見えるというか、希望が見えるとかやってることがちゃんと報われるとか。そういう生活を創っていきたいなあって思っています。
だからまあ、ミャンマーにはずっといたいなとは思っていますね。はい。
qbc:ちなみに、ミャンマーじゃなくても、っていう可能性はありますか。
うっちー:いやー多分僕はここ、旅行で何カ国か行ったことあるんですけど。ミャンマーが居心地がいいんですよね。
qbc:やっぱじゃあミャンマー。自分の知らない人が多い環境っていうだけじゃだめなんですね。まあ多分なんですかね。
うっちー:あと本当に最初に決断して色々自分で会社を作ったとかっていうところとかで。言葉が分からなくてもじーっと聞いてると、その言ってる事が分かるようになったっていう。
その感覚も、ものすごく衝撃だったので、それがミャンマーだったからミャンマーって思ってる所もあるのかもしれないですが。土地感っていうか、土地の感覚とか空気感とか、不便なことは多いんですけど、なんか僕は自分らしく生きれそうだなって思っています。
qbc:ちなみにちょっと戻っちゃいますけれども、40歳の時、心疾患、心臓疾患のところがなんか不安がなくなったみたいな、というのは。
うっちー:結局自分で全部やっていければやっていけるだろうからっていうか、まあ知識とかも持ってるし。全部自分次第だなって思ったっていうとこですね。
qbc:定期検診に行かなくなったっていう意味ですか?それは。
うっちー:もう行ってないですね。
qbc:何年ぐらい。
うっちー:何年行ってないかな?30代の時、そうですね。30代の時から行ってないですね。途中からマラソンも走ってたんで。
qbc:マラソンを始めた理由は何ですか?
うっちー:ノリです。みんなしてそうだったから、面白そうっていうのと。やったことないっていうのと。
qbc:フルマラソン。
うっちー:フルマラソンです。でも遅いですよ。遅いですけど、全部完走はしてるんで。
qbc:6時間とかそれぐらい?
うっちー:えーと、そうですね。早い時には5時間で。
うっちー:はい。
qbc:もしもの未来の質問っていうのをしていて。
うっちー:はい。
qbc:ミャンマーと出会うタイミングが早かったらどうしてました?20代、専門学校生のときとか、学生の時にミャンマーに行ってたらどうなってたと思いますか。
うっちー:いや、行こうとも思ってないし。
qbc:行ってたっていう状況で考えてもらえたら。
うっちー:ただただ衝撃を受けて終わってただけかもですね。
qbc:やっぱそこで仕事したというのが重要だったんですかね。
うっちー:ああ、そうですね。仕事をしたことですね。自分でゼロから、ゼロというか本当マイナスに近いような状況から仕事で何かを積み上げられたっていうところですね。まあ雇われだったんですけどね。それでも何か形ができたっていうところが大きい。
qbc:会社ではミャンマーだと1番偉かったんですか?
うっちー:先輩が1番で、先輩が帰ってしまって僕がやらざるを得なくなってしまったっていう状況ですね。
qbc:なるほどね。
うっちー:はい。
qbc:なんか人生で1番大切な事って何ですか?
うっちー:ああ、自分に嘘をつかないことですね。自分をごまかさない。
qbc:何をごまかさない?
うっちー:自分の感情に対してですね。
qbc:その正義感を持って誰かを詰めてる時ってのは嘘をついてない時なんですか?
うっちー:嘘はついてないです。自分のそれは感情だったので、ただ、それが相手の立場に立ってっていう視点とか環境だったりとか。バックグラウンドとか。自分だけが進んでしまったので、他の事情を考えられるような、まだ器を持ってなかったっていうところですね。
qbc:ありがとうございます。最後の質問が最後に言い残したことは。っていうので、遺言でも読者向けメッセージでも自分に向けての言葉でもないですけど。最後に言い残したことがあればお伺いしています。
うっちー:はい、そうですね。多分自分1人じゃ僕は生きていけてなかったし、両親とかご先祖様とか、あとはミャンマーに来た時に偶然出会った、ご縁があった人、そういうご縁を大事にしたいなって思いますし、これからご縁がある方々とも共感ができて、何か自分らしく何かの社会貢献ができればいいなって思っています。
qbc:ありがとうございます。
あとがき(編集)
この頃、「諦念」という言葉について考えることがあります。
というのも、最近、1生をかけて付き合わないといけない病気が見つかり、少しずつ治療をはじめています。はじめこそ、「まあ仕方ないか」とどこか他人事のように思ってしまったのですが、家族は1時期パニックになったり、看護師さんからは「これから辛いことがあるけど云々」と言われてしまったり、取引先の方からは「自分が40代で見つかった病気よりも全然辛い状況かもしれないけれど」と、色々な場面で、私は病気である、という事実を突きつけられています。
それでいい気持ちかどうか?と言われたら、そりゃああまりいい気持ちではないのですが、今回のインタビューであった「自分だけ精神年齢がぐんっと上がってしまった」といううっちーさんの言葉が、まさに今の自分の状況なんだよな、と。病気を抱える人には、もちろん辛いと思う場面は多々あるのでは、とは思う一方で、「これは受け入れるべき宿命である」という諦念もでてきているのかも。その上で、これも自分だ、と思って生きていくと、スッと、楽になれるような気がします。
【インタビュー:qbc】
【編集・あとがき:一休誰絵】
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