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自分のような経験をした人に喜んでもらって収入が得られたらなって思う人

家族生活が破綻してしまって、ああまた破綻だ破綻だ、なぜこうも私の人生には破綻が多いんだ、と思うけど、それはもう自業自得なのかもしれない。無名人インタビューやって、徳でもつまなきゃ、つまんでいかなきゃいけないんだよな、って思ったよ。わーわーわー。
と思う2024年7月5日19時49分に書く無名人インタビュー822回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 中村りょうた さんです!

年齢:50代後半
性別:男
職業:自営業

X:https://x.com/nakamura_ryo_ta

Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=61552405594542


現在:今やってることで好きなこといっぱいあるんです。

ポンプ:今何されてる方ですか。

中村りょうた:今はですね、去年の5月末に退職しまして。
31年間働いた会社辞めましてですね、その後学んだこととその辞めた経緯がちょっとあったので起業したいなと。
1人で何か仕事できないかなと思って、勉強した中で心理学とか脳科学とか勉強させてもらって。それで出来事の捉え方とかそういうのがすごい変わって、人生生きていくのがすごい楽になったんですよ。
それを他の人にも、僕が以前悩んでたようなことを伝えることによって生き方が楽になっていく人を増やしたいなと思ってコンサルというか・・、そういうコーチングという部分で今、事業を立ち上げようとしてる最中です。

もう集客を始めてるんですけど、いかんせん集客始めたばっかりなんで、まだまだ十分に集められてないので、今回インタビューとかで、いろんな自分を客観的に他の視点から見れるように、インタビューを申し込んだっていうとこはありますね。

ポンプ:31年間、お務めされた中で苦しまれたところを具体的に教えてもらえますか。

中村りょうた:ウェブ上とかnoteの中にも書いてあるんで大丈夫なんですけれども・・、
中小企業で働いてまして。商社だったんでいくつかの部門があったんですけど物を仕入れて卸すっていうような会社だったんですね。その中で他の安定したっていうか既存の事業部があったんですけれども、自分は30歳ぐらいのときから新しい事業を立ち上げるように命じられて、紆余曲折いろんなことをさせてもらってる中で、ゼロから30数億円の規模の事業部にまでになったんですよ。
そこまではよかったんですけれども最後、辞める3年ぐらい前から上司が急に変わってですね。そこからそのタイミングと自分の事業部がちょっと業績が落ちてきたタイミングと重なってですね、非常に苦しいパワハラを受けたってゆう状態になってまして(笑)

そのときはもう自分が事業部立ち上げたっていう自負とか自信もあったりもして。
でも、あったのに毎日毎日罵声を浴びせられるような状況になってしまって。
で、自分に駄目出しを・・。なんでこんなふうだったんだろうとか、自分のそのプライドみたいなものが全部崩れ去っていって。自分で自分を責めていくっていう状態に落ちいっていって。
もちろんリカバリしようとして上司の命令とか指示を完遂しようと思ってやってるんですけど、いかんせんその30年近くやってきた自分のやり方とか、今までの上司のやり方とは全く違ったのです。
自分で良かれと思ってやったら、新しい上司の指示の結果が何回やっても納得してもらえないというか。一つ一つの細かなことに対して、目標達成できてないような感じだったんですね。

そうこうしてるうちに、だんだん疲弊してきてですね。やる気がなくなったりとかおかしくなっていって、声がだんだん出なくなったんですよ最後のほうは。

それで一番最後はもう会社に行けなくなってしまって。仕方なしで休みますっていうのから始まって結局、休職届けを出して。
それから4ヶ月ぐらいしてから、戻れないなと思ったんで。
もう退職したっていう・・・なんていうんすかね、適応障害っていう一応病名付けつけられて退職したみたいな感じなんですね。

で、その退職してから徐々にちょっと回復してきて。
でも回復しつつも・・会社辞めちゃったんで。今度収入どうしようかっていうその不安が。
パワハラの不安がなくなった代わりに、収入の不安が出てきてですね、そこで起業塾に入ったんですよ。

ちょっと動けるようになりましたんでね、3ヶ月ぐらいしてから起業塾に入って、そこで教えてもらった先生、メンターさんから、最初起業する内容を教えるというよりも、心理的な内容であるとか、脳科学的な、要はあの、行動できる人にならないと起業すらできないよっていうことと、それと50歳を超えてから辞めてますんで、20代とか30代の人みたいになかなか行動しようとしても、何か一つ作ろうと思ってもめちゃくちゃ遅いんですよねやっぱり新しいことをするのに。吸収も遅くなってますし。

で、40代後半から50代前半ぐらいの人を対象にした起業塾だったんですが、心理的なこととか、脳科学的なことをまず教えてもらいました。

長年サラリーマンやってきた人が陥りがちなその思考の癖というか、俗に言う自分軸じゃなくて他人軸で生きてきたみたいなところが、自分ではそんなこと思ってなかったんですけど、そういうところをちょっと思い知らされるような学びがあって。そこで元気どんどん取り戻していって。新しい人生にしようというふうに思ったっていうのが起業しようとしたきっかけなんですけどね。

ポンプ:他人軸で生きてたっていうことから元気が出てきたのは、どういう気持ちの変わりようなんですか。

中村りょうた:あのー・・・・この言葉で急にひらめいたというか、気持ちの持ち方が変わったって言うのは・・・、
上司の命令を頑張って一生懸命やろう、こなそうとして今までずっときて今があったのに、最後の方は命令をこなそうとしても全然命令こなせないと。自分ではこなしてるつもりなんですけど結局、認めてもらえないところがあって。

でその状態を説明したときに、それは会社の視点で上司の目線から見て、認められてないとか達成できてないと思ってるだけであなたの努力とかあなたの考え方とかあなた自身の価値は関係なくて単純に、会社の基準とあなたの基準が合わなかっただけですよね。だから別に、あなた悪くないですよって言われたんですよね。メンターさんから。そのときに、あそうか、別に会社は会社で自分は自分やなと。よく考えたら、これやっていいですかとか、これしようと思うんですけどいいですかとか、そういう聞き方をずっとしてきたなってのがあって。

会社にいる限りはもちろんそうしないといけないんですけど、その裏で自分は自分だっていう自分と会社というか自分と外の世界の境界線みたいなやつが、ものすごい曖昧になってて。会社優先でずっと生きてきた、管理職になってくると残業もつかないし、それでも遅くまでいたりとか。家族大事やから養わないといけないから収入のために会社で頑張って働いている、でも一方で、家族は結果的にほったらかしにしてたと。で、それって本当に自分の意思で自分の人生を生きてきたんですかと。仮に会社に行くとしても自分で判断して、自分の意思で今は会社の指示に従うとか、今は会社を利用してるとかそういうふうに考え方を変えないと。変えられてないってのがサラリーマンの特徴なんですよ、みたいなことを言われて、なるほどと。

確かに今まで会社に行くことは、結果的に依存してたということですし、会社の肩書きで動いてたし。
自分の役職で別に偉そうぶってることはないんですけど、何か心の底ではやっぱりそれをアイデンティティっていうか、会社 = 自分みたいなところになってしまってたなっていうのは、気づかされたっていう感じですかね。

ポンプ:今起業をされているというところで、ターゲットはサラリーマンですか。

中村りょうた:僕が病んでしまって、多分同じような体験をしてる人がいると思うんですよ。で自分がそのときのことを振り返ると、さっき言ったように自分の人生は自分で選んできて歩んできてるつもりだったけど結果的に会社に依存してたっていう。それに気づいてもらうと捉え方が変わって、生き方が変わるんじゃないかなと思ってるんで、僕が経験したのと同じような人をターゲットにしてます。

ポンプ:ちなみにその起業活動以外はどんなふうに過ごされてるんですか。

中村りょうた:そうですね・・・週1回ぐらいは何もしないというか自分の好きなことをするっていうのに充ててますけど。基本的には月曜日から土曜日ぐらいまではいろんなコンテンツ作ったりとかブログを書いてみたりとか、
あとはセミナーに使えるような教材的なやつをちょっとまとめてみたりとか。をしてますかね。

ポンプ:中村りょうたさんの個人的に好きなことっていうのは具体的になんですか。

中村りょうた:今やってることで好きなこといっぱいあるんです。
もともと好奇心がすごいあるんです。
若いときはギターもしてましたし。バンド活動とかも20歳ぐらいまでしてたりとか。

あと写真が好きなんでカメラ撮影するのが好きなのとあと、オートバイ乗るのが好きなんです。今やってるのは、オートバイに乗ること、月に1回ぐらいツーリング行くとか。あと写真ですよね。ツーリングがてら写真撮ったりとか。家が京都に近いんで、京都に撮影に。紅葉の時期とか春の時期とかね。そういうのをしてますね。それをブログにあげたりして。風景写真が多いですかね。街中とかも撮ったりするので。綺麗なとこだけじゃないかもしれないですけど。

ポンプ:ギターされてたときはどんな音楽を好んでいましたか。

中村りょうた:中学ぐらいは長渕剛とか。あともっと古い60年代のやつを、聞いてたかな・・・アリスとかそういうやつですかね。で20代はクラプトンとかそんなやつをちょっと練習したりとかしてましたね。で30ぐらいだったらもう仕事ばっかりなってますしほとんどバンドも当然やってないですしチョロチョロと思い立ったときに弾いて終わりみたいな、感じでした。

ポンプ:写真とバイクをそれぞれ続けてどれくらいになるんですか。

中村りょうた:写真は長いですね細く長くで高校ぐらいからやってるんで。バイクも高校ぐらいからですね。ただバイクは仕事忙しくなった30ぐらいから、45ぐらいまで乗ってないですね。1回止めてます。

ポンプ:どういうきっかけで再開したんですか。

中村りょうた:仕事が忙しくなってはいたんですけど、45ぐらいになってから結構結果が出てきて先ほど申し上げた通り、昇進もして給料も上がったんですよ。それで自分が夜遅くまで残業するっていうのもちょっと減った時期があったんですね。そのときにもう一回バイク乗りたいなって。生きてるうちに乗りたいなと思ったり。年行けば乗れないじゃないですかやっぱりさすがに。なのでちょっと原付ぐらいから、125CCぐらいからやったら乗ってみようかなと思って、ちょっと復活したんですよ。

ポンプ:バイクと写真のそれぞれ中村さんがものすごく醍醐味に感じているところって、具体的にどんなところですか。

中村りょうた:写真は人に見せるというよりも、自分が感動した風景を取っておきたいという感覚で撮ってるんですよ。下手なんですけど下手なりに写真を見返したときに、そのときの感情が蘇るっていうのが好きで撮ってるっていうのが、メインですかね。それはうまくなれるに越したことはないんですけどなかなか上手くならないんで。なんか記録的に撮ってるって感じですかね、本当。

バイクの方は僕、その会社辞めて余計に思い知らされたんですけど・・バイクって、暑いときは暑いし寒いときは寒いですけど、そうそう今でこそねバイクってインカムがあってスマホと繋がってラジオを聞きながら走れたりとかするんですけどヘルメットの中にスピーカー仕込んどいて。今時はね。
通信もBluetoothで、友達と喋りながら2人で走ったりとかすると、喋りながら走れたりするんですけど。昔はもう走ってる間は喋れないじゃないすか音楽も聞けないし。
ヘルメットかぶってるんで。
でも身軽なんですよね車と違ってどこでも行けるんですよね。
私道でも細いとこ入っていけるし。そのくせ排気量が多かったら高速道路も乗れるし。そうすると自分の行きたいところに、なんかもうめちゃくちゃ気軽に行けるんですよ何も計画なしに。
その自由さ加減と、あとは飛行機はさすがに自分では操縦できないですけど、単純に好きだっただけなんですけど、飛行機とかも好きで。

あの・・・、バイクって曲がるときに傾くじゃないですか。
飛行機も傾いたり船も傾いたりするんですけど車だけは外側に傾くでしょう。曲がった方向と反対側に遠心力で振られるじゃないですか。
バイクとか飛行機とか船は曲がった方向に傾くだけで外側に振り出されるっていうか何ていうかな、遠心力は自分には感じないでしょ。
だから何か、ひらひらひらひら行けるって・・この自由さ加減がすごい好きだったんですよ。

どこでもいけるっていうのと、ひらひらしてるっていうのと。逆に言うと不安定なんかもしれませんけど。それを知らない路地に入ったりとか知らない山道に入ったりとかすると、遠くに行かなくても新鮮味が感じられるので、この道入ったら何があるだろうと思ってぴゅっと入っていったりするのがすごい好きで。だからあんまり計画性持ってツーリングとかしないんですよね。あっち方面に行こうぐらいなんですよ感じ的には。

途中でご飯食いそびれるってことも結構あるし、途中でガソリンを入れ忘れてちょっと焦ったっていうのもありますし。その自由さ加減が好きで。

会社辞めてから余計にその自由さ加減て元々こういうのが好きやってんなってやっぱりサラリーマン向いてなかったよなって。やめてから思いましたね。

ポンプ:ひらひらっていう表現が新鮮に聞こえました。

過去:仲間はずれにされそうな気がして。そんな気がしてついつい何か率先して何かをしてあげたりとかしてたな。

ポンプ:中村りょうたさんの物心ついてからはどんなお子さんでしたか。

中村りょうた:恥ずかしい体験というか過去があって。両親が、小学校に入ったぐらいまでは仲良かったと思うんですけど、1、2年生ぐらいから仲が悪くなって。父親と母親が仲が悪くなって。兄弟3人、兄弟で僕が一番上で、真ん中が二つ下で、一番下が僕より10歳、年離れていたんですね。僕が小学校1年だからまだ一番下生まれてないんですけど。その頃から母親が潔癖症になって、普通にしてたら汚くない物でも、汚いという感覚が芽生えてきたんです。
で、
一旦、家の外に出て学校に行くと、次に家に入るためには、お風呂場直行なんですよ。玄関からお風呂場に行くところは当然、歩かないといけないんで。歩いたら歩いた直後拭くか、歩くために何かタオルとか何か敷いて風呂場直行なんですね。風呂入ったら家にそのまま当然居るんですけど、そっからは今度、翌日学校行くまで出れないんですよ。だから友達当然呼べませんし。友達のとこに行きたかったら家に帰って荷物だけ置いて。玄関から上がれずに荷物だけ玄関のあたりに置いて。

で遊びに行くなら、友達の家に行くなりして、帰ってきたら風呂直行みたいな。そんなことが二、三年生ぐらいから起こって。
父親は・・今だったら多分心療内科とか病院連れて行って、認知行動療法とかして、もしかしたら回復してたかもしれないんですけど、そのときは単純にそれおかしすぎるって、母親と喧嘩になるんですよね。父親も仕事終わって帰ってきたら出られないんです。タバコ買いに行くだけでも出れないし。そんなんで喧嘩になるです。なぜ、そこまでのする必要があるんや、こんなことする必要ないやないかって喧嘩が始まるんですよね。で子供たちのことを可哀想に思った父親は家の裏にちょっとスペースあったんで、そこにトタンの屋根で、何か父親は器用だったんで、ちいちゃな部屋作ってくれたんです。

そこで、例えば土曜日だったら昼までなんで、昼までなんで学校が。
帰ってきたらそこで勉強して、そこからまた出動できるんですよ。外に遊びに行ける。
家に上がってないんですよね。これは裏のちっちゃい小屋で、ちょっと時間つぶしてご飯食べたりとかしてみたりとかそんな感じですか。
子供がかわいそうだと思って作ってくれたんですね、父親が。

ポンプ:ご飯はどういうふうに食べてたんですか。

中村りょうた:勝手口に隣接した小屋だったので、キッチンからすぐ勝手口開けたら、そこが小屋なんで、すぐ食べ物を渡せるんです。

思い出しながら話してるんですけど。子供やからもう何も反抗もできないですし。
なんか窮屈な思い出というか、そうこうしてたらその小屋の出入口の扉を閉めてたんですけど、友達が入ってくるというか・・・。
一生懸命、小屋を覗こうとするんですよね。それが嫌で嫌でね・・・恥ずかしくて。
そんなことがどんどん続いていくんですけど、中学ぐらいになったらもう反抗するじゃないですか、母親に対してね。僕たち子供もおかしいって分かるし。父親も我慢できるけど、あまり家帰ってこなくなったんですよ。お金は入れるけれども、どこで時間潰してたのか知らないんですけど。

で高校ぐらいになったときに、高校のときに引っ越して建売の家買ったんですね、親父が。
母親が今度こそ変わるんじゃないかなと思って期待を込めて買った見たいなんですけど、結局同じ状態で、最後、僕が17歳くらいのときに、親父もあんまり帰ってきてなかったんで、たまに帰ってきたときに、もう別れたら?って僕の方から言ったら、別れたんです。

僕は母親置いとけないんでとりあえず母親と一緒に・・・僕と一番下の弟で住んでました。3人で。結婚するまでですけど。
多分なんか変な固定観念とかいろんなのがついてると思うんですよねその経験上。今はもう嫁さんと結婚して何十年もなるんで、その家から入ったら出れないとか、そんなことはもちろんないんですけど。
そんな幼少期でしたねちっちゃいときは。

ポンプ:離婚されてからもお母さんの潔癖は続いたんですか。

中村りょうた:続きました。僕が27になるときに結婚したんですけど、結婚するまでずっと一緒に住んでたんですよ。
そしたら最初のうち、大学生ぐらいのときは大学もお金なかったんでアルバイトして夜学
通ってたんですけど。母親は昼の仕事してたんですけど、いないときは勝手に出入りしてたんですよ。わからんやろって。でもそのうちだんだんわかってきたんですよね母親が。
そしたら今度、自分(母親)が自分の部屋にこもるようになったんですよ。籠るというか、母親が家帰ったら風呂入ったあと部屋から出ないとか。自分の領域を作ってしまったっていう感じですね。

ポンプ:コミュニケーションはどういうふうにとられてたんですか。

中村りょうた:普通に会話してましたよ。ただ家に入らないっていうところは変わらないんで、結局勝手口から入って、一番近いところに風呂があったんで、風呂入ってそっから部屋に入っていく感じでしたね。

ポンプ:そのおうちは元々住んでたうちなんですか。

中村りょうた:いや、最初のちっちゃいときからすると2件ぐらい引っ越してますね。

ポンプ:お父さんは新しく購入した家に1人で過ごすことになったっていう感じなんですけど

中村りょうた:父親は住もうとして、家は買ったんですけど結局、その母親の潔癖症が治らなかったんで、家にあんまり帰ってこずに。
だから一緒に住んでるけれども家に帰ってきていないような状態でしたね。最後別れたんで結局ほとんど一緒に住んでないです。3、4年かな。

ポンプ:家を買ったり引っ越しされたりみたいなことで、金銭的には困ったりする場面っていうのはなかったんですか。

中村りょうた:金銭的にはすごい困ってたと思いました。
最初のちっちゃいときの家も借家の一戸建てだったんですけど借家でしたし、それから2年ぐらい住んで、そこから5年生のときに引っ越して、そこに2年ぐらい住んだところが長屋でした。平家の長屋でした。で、2年たったんですけどそっからまた引っ越して、それも長屋の4コ1の長屋でした。それは買ってたかな、ちっちゃい時なので分からなかったですけど。
その後に戸建ての建売を買って、それは中学終わりぐらいに買ったんですね。そこから結婚するまでずっとそこに住んでたんです。でも借金、多分しんどかったと思いますよ、安い建売だったと思いますけど。
離婚した後もその家は親父払ってましたからね。ただ、食費までは、よう出さんかったんと違うかなと思います。母親が働いてたんで。

ポンプ:幼少期の友達とか弟さんとの関係性みたいなところで思い出に残っているエピソードはありますか。

中村りょうた:小学校のときはあんまりないかな・・。ただその、友達を連れてきたりとかできなかったんで。なんていうんですかね、仲間はずれにされそうな気がして。
そんな気がしてついつい何か率先して何かをしてあげたりとかしてたな。
何か取ってこなあかんときに自分取ってくるわとか、そんな感じが多かった気がする。
小学校では、周りから見ると気の利くタイプみたいな。いい子やったかもしれません、そういう意味では。弟とは小学校とか中学校とか別に仲悪くなかったんですけど高校に入ったときにものすごいやんちゃなって。
その家にすぐ入れないっていう問題がやっぱりだんだん分かってきて。おかしいってのがあってすごい荒れましたね。学校で喧嘩してきたりとか。万引きとかはしなかったですけど。喧嘩はようしてましたね。僕とも喧嘩したりしてましたね。
今はね、もうすごい仲いいですよ。そんなしょっちゅう会うというわけじゃないんですけど。離れてるんで。

だから弟が喧嘩してきたりとか、もう家に寄りつかんようになったりしてるんで、
どこで泊まってるかわからない状態のときもあったんで。それを諭すのに、僕が何してん!みたいな感じのことをこういうと、喧嘩になってっていうのはありましたね。
でも気持ちもわかるんですよ、お友達を家へ上げれないっていう。高校ぐらいなっても当然友達がね、家来るとかいうのはあるでしょうし。でもそんなことは一切できなかったので。

ポンプ:中村りょうたさんの、そのときの感情ですけど、どんな心持ちをだったんですか。

中村りょうた:いやだからもう小っちゃいときからそんな状態だったんで、もうあんまり悲しいとかそういうのもなかったですよね。なんか気持ち蓋してたんでしょうね。
ただ弟が何かやんちゃな事して、何か喧嘩したりとか、家帰ってこなかったりとかしているのは、ちょっと気い揉んでましたね。大丈夫かなと。自分は自分で、外で友達と遊んでるときは・・・高校ぐらいになると何でもできるようになるんで。お金の問題以外はね。
アルバイトも多少はできますし。家のことは最低限のことだけであとは蓋してた、みたいな感じですかね。

ポンプ:高校生ぐらいからご結婚されるぐらいまではどんな時間の流れ方でしたか。

中村りょうた:その頃はやっぱり大学行って新しい友達ができて。いろんな・・・・それこそバイクでツーリングしたりとかあと、いろんなアルバイトしましたね。
引っ越しのアルバイトもしたし、スーパーで品出しのアルバイトもしたし、工事現場の生コン車のコンクリートを検査するアルバイトしたりとか。
あとはコンビニの店員もしましたね。コンビニの店員の夜中24時間営業の。
その中で友達が増えたんで、家のこと以外は楽しく過ごしたかなと思いますけどね。ただ母親の事は気になりますよね、気になるけど対してこっちは何もできないという状態だったんですけど。
最後嫁さんと結婚するまでに5年ぐらい付き合ってたかな。5年ぐらい付き合って27ぐらいで結婚するんですけど結婚する直前に母親が熱出して。
調べたら心臓に何か細菌が出てきて心臓弁膜症という。で手術しないと心臓の弁を人工弁に変えないと駄目だっていうのを言われて。
結婚式までは薬でちょっと耐えてたんですけど、結婚式をして10日後に手術することになって。そのとき母親が49歳だったんですけど、手術したらそのまま心臓が再起動せずに手術室のまま・・・手術して2日後ぐらいに死にました。
まあ結婚式は出てきてくれたんですよね、ちゃんと・・・だから早よ死にましたけど。
そっから家に入られないという話は全部なくなりました。

ポンプ:なくなったというのは。

中村りょうた:結局家に母親いないし、僕も結婚して家出たんで一番下の弟としかいなくなったんですよね。そのとき一番下が10こ下なんで17ぐらいだったんです。それなんで、僕と一緒に住もうかって言うても、それもちょっと住みにくかったし。
で、別れた親父の方に、学校を卒業するまでは、一緒に置いたるわって言うんで、親父の家に住みだしたんですね。親父はもう結婚してたんですけど。別の人と。
弟引き取ってくれてありがとうと思いましたけど。
そこで3、4年・・・学校卒業して2年ぐらいおったと思いますね。弟が働くまではちょっと気にはなってましたけどね。

未来:家族全員そのマンションに住みながら、他の部屋は貸す、そういう会社を作りたいなっていうのがありますけどね、めちゃめちゃ大きな夢ですけど。

ポンプ:中村りょうたさんのこれからの残りの時間、ご自身が終わるまでっていう中で、どんな時間の流れ方をイメージされてますか。

中村りょうた:今の自分でやろうとしてる、誰かに教えるって言ったらちょっとおこがましいかもしれませんけど、そういうことが仕事になって誰かが喜ぶ、僕のような経験をした人は喜んでもらって、それで多少なりとも収入が得られるようなことができたらなって。そういうことができると結局、今の時代当然インターネットでこうやって普通にね、どこでも仕事できるじゃないですか。
なので、どっか違うところで仕事をしたりとか生活できたら面白いなっていう。

例えば嫁さんと話してたのは淡路島の西海岸いいなという話をしてましたけどね。
今住んでるところからすると高速乗れば2時間弱ぐらいで行けるんで。通いでもいけるかな・・みたいな。でも、向こうに永住するってのは難しいかなと思ってるんですよ。

・・・そうそうちょっと言ってないですけど私は娘が2人いるんですけど、もう2人とも大人になってるんですけど。で下の子が今25なんですけど生まれたときに脳性麻痺になったんですね。・・で四肢麻痺で。
自分でトイレに行ったりお風呂に行ったりというのも生まれたときから出来なかったんです。でも意思疎通はできたりとか、右手は結構動くんでパソコンとかは何とか使えるんですよ。

でそうやって介護が必要なんで今ヘルパーさんとか使って、近所で一人暮らしをしてます。・・親がいなくなったときに自分で生きれるように。
親が生きてる間に、練習で、家の近所にわざとアパート借りてみたいな感じになるんですけど。

・・そことの繋がりを保ちながら、時々そういう全然違うところで仕事ができたらいいなとか。
あとは、今住んでる周りの人たちのコミュニティにずっと繋がり続けるっていうことをしながら、最低限の生活費稼ぎながら生きたいなと思ってるんですけどね。

ポンプ:どんなコミュニティが近くにあるんですか。

中村りょうた:単純に地域の自治会とかそういう本当に近所の人たちですね。
知り合いの人たち、まだまだ少ないんで、もうちょっと増やした方がいいかなと思ってるんで、なんかイベントがあったりとか、したら参加するとか。そういうふうに積極的に行こうかなと思ってます。

ポンプ:起業する以外に生きてるうちにこうしておきたい、やってみたいことはありますか。

中村りょうた:そうですね、生きてるうちにしたい・・・、今のそういった制約が結構あるので難しいとこあるんですけど生きてるうちにいろんなとこ行って、できるだけいろんなとこ行きたいですね日本国内だけでも。まだまだ行きたいとこあるし、仕事してるときは、海外にめちゃくちゃ行ってたんですよ。
なので、海外のポイントポイントは経験あったんですけど、国内は意外と行ってないので、国内のいろんなところ回りながら、仕事しながらできたらいいなと思ってるんですけどね。去年はおかげさまで、たまたまチャンスあって九州をバイクで半月ぐらいウロウロしてたんで良かったんですけど。
東北とか北海道とか、東京も4年ぐらい住んでたんで。単身赴任で。東京の都心だと割とわかるんですけどそれ以外はあんまり行ってないんで。
いろんなとこ行ったら、いろんな人と出会うじゃないですか。話ができたりとか繋がりが
。たった二週間とかぐらいでも九州行ったら何人か知り合いができて、友達が出来たんで。そういうのを増やしていけたらいいなと思うんですけどね。

ポンプ:そういう場面のときはどんなお話をされるんですか。

中村りょうた:そうですね・・・・どこから来たんか、から始まってますかね、いつも。
このあたりの美味しいもありません?から始まりますかね尋ねるときは。あと店を聞きますよね初めてのところは。この辺で美味しい居酒屋ありますか?とか。聞いたら誰か教えてくれるんで。
なるべく夜だったら地元の居酒屋に入って。勇気いるんですけど入るの。
そこで知り合った人とかもできたりするんで。相手から見たらね、こっち1人っていうのわかるんで。

一度、九州で面白かったのが地元の居酒屋入って。そしたらちょっと時間が早かったんですけど1人だけで飲んでる人がいて、同年代ぐらいの人で。で話してるうちに最後、地元のスナックまで一緒に行って、そのスナックのママさんが僕が子供時代に住んでたところに住んでたっていう話があって。
鹿児島のスナックだったんですけど、鹿児島市内じゃないですよ。
あれどこだった・・指宿じゃなくて・・・・鹿屋か。鹿屋のスナック入ると自分が子供時代住んでた大阪府内のところに住んでたっていうすごい話があって。びっくりしました。そんなのが楽しいですよね。

ポンプ:撮った写真を今後どういうふうに活用したいとか、そんなことは考えてたりしますか。

中村りょうた:写真はいま写真共有サイトに上げていこうかなと。
共有したら、ただで使ってもらえるんですよ。そしたらアップ、自分が撮った写真を、これ使っていいよっていうのに申請できる機能があるんですけど、それを今しているんですけど、結構使ってくれるんですよ。これ嬉しいなーと思って。これをちょっと増やしていきたいなというふうに思ってました。

ツーリング行ったりとか、旅行にいくと、写真は必然的に何百枚も撮るので、それをアップしていって、何かに使ってもらったら嬉しいなっていうのと、ちょっと話ズレますけど今起業してて、ある程度高収入が得られるようになったら、会社にしてしまって次女を社長にして、次女の会社で働くみたいな形にして。ちっちゃなマンションっていうか3階建てぐらいのマンションを買って。
長女がネイルサロンやってるんで、そのネイルサロンを1階に入れて、次女用に、整形外科でリハビリできるようにするために整形外科に入ってもらって。嫁さんの方は、看護師なんですけど、その友達が調理師免許を持ってるんで、ちょっと地域のカフェみたいな憩いの場みたいなのを作って、家族全員そのマンションに住みながら、他の部屋は貸す、そういう会社を作りたいなっていうのがありますけどね、めちゃめちゃ大きな夢ですけど。

ポンプ:長女の方のネイルサロンというのは経営者ですか。

中村りょうた:個人経営です。店は持ってないんですよ自宅でやってるんで今んところ。

ポンプ:奥様が看護師さんなんですね。

中村りょうた:はい。看護師やってます。訪問看護ですね。

ポンプ:夜勤とかはないですか。

中村りょうた:そうですね、ないですね。

ポンプ:未来での周りの関係者というか、家族以外の関係性の未来像みたいなものありますか。

中村りょうた:僕が仕事にしようとしてることの素は、重複するみたいな感じですけども、旅に行ったときにいろんな場所に行ったらまず何か感じますよね。同時にいろんな人に会うじゃないですか。で会った時に、役に立つかもしれないなっていうこと、思いついたことが結構過去にあってそれを言葉にしてわかるように、なるべくわかりやすいように言葉にしてそれを僕みたいな会社でややこしくなってるような人たちに対して役立つことを発信する。で発信してそれに共感してもらった人たちの仲間を作って一緒に歩んでいくみたいな共同のコミュニティみたいなやつを作りたいなっていうイメージはありますね、仕事の中に。

僕がメンターさんに教えてもらったのは教えてもらうだけじゃなくて同じような人たちがやっぱり結構一緒のグループに居てたんで、同じ悩みが元々あって、同じ方向に向いてる人たちがいるとすごい前向きに生きていけるっていうか活力が出てきたんですよ。だからそういうコミュニティから学ぶこともベースなんですけど一緒に同じ志を持った仲間と一緒にいるっていうのもすごい重要なことかなと思ってるので、そういうコミュニティを作りたいなっていうのは夢ですね。

ポンプ:役に立つかって、差し支えなければ一つだけでも何かこう、例を教えてもらえると嬉しいなと思ったんですけど、企業秘密ですか。

中村りょうた:そんなことないです。役に立つことっていうのはさっきもお話した通り、捉え方だと思うんですよ。同じ出来事でも人によってマイナスに捉えたりプラスに捉えられたりとか瞬間的にするじゃないですか。目の前に起こったことをプラス側で捉えられる、自分の人生に役立つように捉えられたらすごい当たり前ですけど楽じゃないですか。
例で言うと何ていうのか、塞翁が馬というか。
一つの出来事があったときに、例えば、骨折したら、したこと自体は痛いし不幸なことやと。でも骨折したおかげで戦争が起こったときに徴兵されなかった。
それで生き残ったと。

そのときそのときで、その日ごとの状況が本当に悪いことか、良いことかってのは結局ずっとわからない。良いようにでもあるし、悪いようでもあるっていう。
だから物事の捉え方を、マイナスで常に捉えるんじゃなくて、これは自分に都合のいいように捉えることによって、変わっていくよっていう。それができるようになるための訓練とか方法がまたあるんですよね。別にそこを情報共有というかあのお伝えできたら一緒にやっていけたらなと思ってるんです。自分はまだ並行してやってるんですけどね。

ポンプ:そういったことに関する情報量っていうのはどのぐらいの量があるんですか。

中村りょうた:例えばポンプさんは理想の未来を100点としたときに、今現状が何点だと考えますか。

ポンプ:ちょっとパッと出てこないんですけど例えば80点とすると?

中村りょうた:そしたらその差の20点は何が足りないからだと思いますか。

ポンプ:ちょっとパッと出てこないんですけど知識不足、能力不足、お金不足いろいろ出てくるような気もしますね。

中村りょうた:そこがね、本当はこれ自分で気づいてもらわないといけないんで。こんな言い方しないんですけど。
今も100点、今が100点で未来の理想の状態、今より違ったもうちょっと上昇したような理想の状態ってのは120点みたいな捉え方だと、今も100点で、未来は100点以上、要するに未来は別に200点の300点で400点なってもいいんです。
今が100点って捉えられるような基準、自分のその基準に足りてないっていうんじゃなくて、今は100点満点ですよ。足りてますよ。でももっと自分のしたいことがあるんで何か自分の目標値を上げて何かしましょう、っていうふうな捉え方ができると、要は欠乏感で自分を動かそうとしてるんじゃなくて、満たされながら動かす、自分が動いていけるんで。

いつでもまた今日もこんなことできなかった、やろうと思ってたのに半分しかできなかったとかいうような思考だと常にその欠乏感に追われてる状態なるんで。
同じ人生でもやっぱり満足とか全然低くなるんです。

でも、その説明を受けて、理屈でわかったとしても、体に残っている過去の記憶自体に、ネガティブなところが染み付いていて、なかなか治らないんです。
だから、そこをみんなで訓練していくっていうか。ワークして練習していく。
マイナスに捉えるんじゃなくてプラスもしくは今満点ですよっていうところに、記憶のなんていうんでしょう、思考の上書きをするみたいな感じができれば、すごい楽になります。
ちょっと説明が下手すぎるかもしれませんけど・・・中々そう捉えられないんですよね。

ポンプ:最後に言い残したことはありますか。

中村りょうた:いやいや残したことは特にないですかね・・・
逆にこうやってインタビューの時間いただいてありがとうございました。自分で自分のことを振り返り何回もやってるんですけど、こうやってインタビュー形式でやってもらうと、自分が思ってなかった表現とかがちょっとできたんじゃないかなと思うし。ありがたい機会だったかなと思います。

あとがき

特に印象的だったお話の一つが、お母様のエピソードでした。

清潔を徹底した暮らしを続けたその先で直面することになる、細菌の感染という病い。
もちろん関係はないと思いますが、アイロニックなドラマを感じずにはいられませんでした。

そしてまた中村りょうたさんが持ちあわせている意志、自分自身を生かせたいという強い意志をインタビュー後の余韻の中で勝手に感じていました。

今回のインタビューでは僕もものすごく影響を受けたなという印象があって、おそらく何度も読み返すのではないかと思います。

ちなみに僕も写真は好きで、以前はフィルムカメラでシャッターを切っていました。
フィルムの画質が特に好きで、実家の家族アルバムを開くとついつい、ぼーっと眺めてしまいます。
中村りょうたさんもインタビューの中で話していたように、その時に感じたであろうことを自然と思い出してしまいます。もちろん忘れてることも多いのですが、そういう時の、

「あれ、このときどんな気持ちだったんだっけ・・・」

という考えに耽ったらもう、その1枚の写真からなかなか抜け出せません。

それにしてもバイクと飛行機と船の共通点を、”ひらひら乗れる乗り物”という表現で語ってくれたことはとても新鮮でした。僕の狭い世界が、またひとつ広がりました。
【インタビュー・編集・あとがき:ポンプ】

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