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やれるときに誰もやれないぐらいやる。それが人生を満足させる人

むかしむかし、ある村に、全力(ぜんりき)という若者が住んでいました。全力には独特な生き方がありました。「やれるときに、誰もやれないぐらいやる」という信条を持っていたのです。
畑仕事のときは、夜明けから日が沈むまで休まず働き、
祭りのときは、誰よりも高く跳ね、誰よりも大きく笑い、
学びのときは、ろうそくの灯りが尽きるまで書物に向かいました。
村人たちは不思議がりました。
「なぜそこまでするのだ?」
「適当にやれば十分ではないか?」
全力は笑って答えました。
「やれるときにやらなければ、後悔する。今を全力で生きることが、人生を満たしてくれるんです」
ある年、村を大きな災いが襲いました。川が氾濫し、多くの家が流されそうになったのです。全力はその時も、文字通り全力で村を救うために働きました。
眠らずに土嚢を積み、
休まずに人々を助け、
諦めずに村を守り抜きました。
その姿に触発された村人たちも力を合わせ、村は最小限の被害で済んだのです。
後に全力はこう語りました。
「できることを、できるときに、できる限りやる。それが私の生き方です。そうすれば、振り返ったときに『あのとき、もっとやればよかった』という後悔はなくなるのです」
そして「全力の日々に、悔いなし」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年3月24日20時05分に書く無名人インタビュー1037回目のまえがきでした!!!!!

【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは Tomohiro Nagase さんです!

年齢:30代前半
性別:男
職業:旅するサンタ



現在:みんなが右って言ってても、自分がやりたいことがまっすぐだったり左だったり、ときには後ろだったりしたとしても、自分の軸というか、信じるものを信じて、自分の人生進んでいいんだなと、きっかけをくれたのが、僕にとってはフィジーだったかな思ってます。

むん:
今は何をしている人でしょうか?

Tomohiro Nagase:
今はですね、南太平洋にあるフィジー共和国というところにある英語の語学学校COLORSでマネージャーをしています。

むん:
語学学校っていうのは具体的にどういったところなんですか。

Tomohiro Nagase:
主に日本人なんですけど、フィジーで英語を使って、学びを深めていく学校です。

むん:
うん。何歳ぐらいの方が多いんですかね。

Tomohiro Nagase:
今は日本の大学が春休みの時期なので、いわゆる大学生の年代18歳から22歳ぐらいの方が多いですが、幅で言えば、8歳とかからこないだも70歳代の方が来られていました。

むん:
そこの語学学校でマネジメントだったりとかスタッフをしようと思ったきっかけみたいなところってなんですか?

Tomohiro Nagase:
そうですね。一番のきっかけは僕自身もフィジー留学を学生としてしていた身、学校に通って、いち生徒として通っていた経験があって、その中でフィジーの魅力もそうですし、フィジーで英語で学ぶ魅力を僕自身がすごい感じてますし、僕の人生の中で非常に大切にしたい瞬間。

大きく言えば人生が変わった瞬間なのかなと、僕自身が感じていたので、今度はスタッフ側として僕と同じように、人生が変わる大きく成長できる経験がフィジー留学ではできると僕は思っているので、そのサポートができたらということを思っていたところに、タイミングよく声かけていただいたので、今の職にありついてる形になってます。

むん:
はい。ちなみに大切にしたい瞬間とおっしゃってましたけど、どんな瞬間を大切にしたいと思われてるのか、人生が変わったというのは具体的にどんなところから、そう感じられているのか教えてください。

Tomohiro Nagase:
一つあるのは、フィジーが世界で一番幸せな国だということ。そういう謳い文句があって実際にアメリカの調査会社がやってる幸福度ランキングで世界一位に何度も輝いている。

フィジーが言われてるのは主観的幸福度と言われているもので、「あなたは幸せですか?」と聞かれて、自分が幸せだと感じている人の割合が世界で一番高いと言われている国であり、そういうランキングなんですけど。

フィジー自体は日本と比べて、生活レベルとかインフラレベルでは、貧しい国に日本と比べたらなると思います。

物質的には豊かではないけど、それでも感覚的にはみんな幸せだと自分の人生に満足して暮らしていることができる、そういう人たちがフィジーには、たくさんいる。日本は物質的には豊かで恵まれてるし、仕事にもつきやすいし、学校に通うこともしやすいし、自分の生死が脅かされることも少ない国だけど、自殺率が高かったり、色々と悩んでる方が多いっていうようなニュースを見ているので、物質的に豊かな日本があまり幸せを感じておらず、物質的に豊かではないフィジーが、幸せいっぱいであふれているそのギャップに一つ気づくことができる。

そのギャップに気づきやすい国の一つがフィジーだなと思っているので、そういったギャップが日本から来る方々にとっては、考え方が変わる・価値観が変わる・人生が変わる、一つのきっかけになるかなと思ってます。

むん:
そうですね。Nagaseさん自身が実際行ってみて何か、自分の中で変化がありましたか。

Tomohiro Nagase:
そうですね。僕自身18歳まで海外に出たことがなくて、ザ日本の何て言うんすかね、学歴社会、学歴のルートに乗って、言われたことをこなしてきた人間だったので、いざ海外に出始めて、フィジーっていう国にたどり着いて、日本で大切にしていた言われたこと、きっちりこなすことだったりとか、右向け右で同じことをやることに価値を置くこと自体に、何かもちろんそれにも価値はあるんですけど、必ずしもそうでないといけないわけではないと海外およびフィジーでの生活で気づかしてもらって。

別に自分がみんなが右って言ってても、自分がやりたいことがまっすぐだったり左だったり、ときには後ろだったりしたとしても、自分の軸というか、信じるものを信じて、自分の人生進んでいいんだなと、きっかけをくれたのが、僕にとってはフィジーだったかな思ってます。

むん:
うん、ありがとうございます。語学学校では実際にどんなことをされてるんですか。

Tomohiro Nagase:
英語を教えるのはローカルの先生たち、フィジー人たちがやってくれているので、僕はその先生たちのサポートであったり、日本から学生さんがフィジーに到着したときの送迎だったり、オリエンテーションだったり、フィジーでの学びを促進するようなイベントを開催したり。あと現地で起こるトラブルとか、事故とかも少なからずあったりするので、そういったところを僕は、サポートするのが主な業務になってます。

むん:
いつからされてるんですかね。

Tomohiro Nagase:
今の会社に来たのは去年の10月からです。

むん:
うん。ちなみにNagaseさんは趣味とかあったりされますか。

Tomohiro Nagase:
テニスです。

むん:
どれくらいの頻度でされるんですか。

Tomohiro Nagase:
みんなで集まってやるのは週1回なんですけど、5月にフィジーでテニス大会があって、一般の方も参加できる大会なので、それに向けて今みんなで練習してます。

むん:
みんなでっていうのは団体戦ですか。

Tomohiro Nagase:
一応シングルスとダブルスと混合ダブルスがあるので。

むん:
はい。

Tomohiro Nagase:
僕はダブルスに入ってるんですけど、みんなで集まって、練習してます。

むん:
その団体っていうのは、サークルとか部活動みたいなコミュニティがあるのか、自然と集まったのかみたいなところを教えてください。

Tomohiro Nagase:
自然と集まった感じですね。フィジーは小さな国なので、テニスやる人って言って集まる方は限られてくるので、そういう人が定期的に集まるようになった形です。そんな部活とかクラブとかっていった感じではなく、やんわりと集まってる感じです。

むん:
へえ、それはどうやって集まっていくんですか。

Tomohiro Nagase:
もう本当に情報がすぐに出回る。今回ナンディという町にいるんですけど、
それこそ「テニスやってる」みたいな情報は、特に日本人コミュニティにいる方は知っている情報なので、それを聞きつけてやってくる、もしくは直接誰かに誘われて、やってくるみたいな形が多いです。

むん:
日本人の方のコミュニティなんですか。

Tomohiro Nagase:
テニスはそうですね。

むん:
なるほどありがとうございます。ちなみにNagaseさんは人から性格についてなんて言われますか。

Tomohiro Nagase:
僕の性格ですか。性格は、最近は…。
そうだな。でも、”ユニーク”が多いです。

むん:
具体的に言うと?

Tomohiro Nagase:
今の仕事に就く前に世界をサンタクロース姿で旅をしていた話をしてるときに、広く言われる感想。
旅人は世界中でも数多くいると思うんですけど、サンタの格好をしてサンタの活動をしながら旅をしている。そういうコンセプトでやってる旅人は、日本人に限らず、今は僕しかいないと思うので、一つのコンセプトを自分のユニークさとして、活動できてるのは僕の強みだと思っている。そういったところを感じてもらって、ユニークな性格、奇をてらう性格だと認識してもらってるんだと思ってます。

むん:
うん。ご自身は自分の性格についてどう思いますか。

Tomohiro Nagase:
僕はユニークでありたい性格だと思ってます。
生まれつきユニークである方もいると思うんですけど、先ほども言った通り僕は右向け右、右を向く。
初めて海外に出るまでの18年間日本で生まれてから育ってきたので、ユニークであることは得意でなかったんですよ。それこそ、レールから外れたりとか、人と違うことをすることはあんまり得意ではなかったし、そもそもあんまりやってはいけないことなんだと昔から刷り込まれていた気がする。でもそうじゃない自分のやりたい道があれば、そっちに進んでもいい。

結果としてそれがユニークなこと、人と違ってユニークなことになるのであれば、自信を持ってそっちの活動を行い続けていいという自信が僕の中でできた。そういった意味で、ユニークでありたい、ユニークであることを僕自身も望んでいるし、そう思えてることを自信に思いながら、自信を持ちながら生活したいと思っている。そういった意味です。

むん:
Nagaseさん最近楽しかったことって言われたら何が挙げられます?

Tomohiro Nagase:
最近楽しかったことは…。
去年のクリスマスに、フィジーでサンタの活動をやろうと計画したんですけど、実はフィジーそのとき、大雨が降って大洪水が起きてしまって。

むん:
うん。

Tomohiro Nagase:
クリスマスの活動自体は延期してたんです。お菓子は、大量に買い込んで準備していたので。ちょっと時間が経って1月入った頃かな?に改めてサンタクロースで、現地でお菓子を配るっていう活動を地元の教会、教会って朝、キリスト教の方々が毎週末集まって、お祈りを捧げてるんですけど、そのお祈りに参加して、そのお祈りが終わった後に、子供たち大人もそうですけど、地元で人気なお菓子を配るっていう活動をしてきました。

お菓子を配るのは全世界でやってきたんですけど、大体子供が喜んでくれるんですね。日本でもそうだと思うんですけど。
フィジーだと、最初の方は子供がお菓子を取りに行くんですけど、一旦大人がお菓子をもらっていいんだっていう雰囲気が出始めると、大人も行列を作り始めるっていう。

それって他の国ではなかなかなかったことだし、僕自身は別に子供に配ってもいいし、大人に配ってもいい。

ただみんなが喜んでくれれば、それでいいだけの話なんですけど。フィジーでは子供だけじゃなくて、30円ぐらいのちっちゃいお菓子を配ってるだけなんですけど、大人も瞬間的に喜ばせることができる。それをやってるときは、楽しかったですね。

むん:
ちなみに好きな食べ物はなんですか。

Tomohiro Nagase:
フィジーのパン屋で売ってるクリームパンが世界で一番好きです。

むん:
へえ。違うんですか?

Tomohiro Nagase:
日本のクリームパンみたいな中にカスタードが入ってるクリームパンじゃなくて、クリームサンドみたいなパンですね。
マフィンみたいな形のパン、マフィンサイズのパンに切れ目が入っていて、バタークリームが挟まっている、そういうパンなんですけど。

むん:
それはフィジーでしか売ってないんですか。

Tomohiro Nagase:
フィジーでしか売ってないはずです。


過去:ツバルでサンタクロースを偶然やったことが一つの転換点だった

むん:
へえ。続いて過去の質問に移らせていただきます。子供のとき、どんな子でした?

Tomohiro Nagase:
子供の頃は先ほどさっき言ってしまいましたけど、従順な子だったと思います
学校も休み方がわからなくて。休みたいと思ったこともなかったんですけど。なので、学校に行くのが当たり前だと思って、学校で言われたことをきちっとこなす。言われたことしかこなさない、そういう子供だったと思います。

むん:
それはもうずっとだったんですか。

Tomohiro Nagase:
うん、そうだったかなと思います。

むん:
人間関係、友人関係とかどんな感じですか?

Tomohiro Nagase:
友人関係は、僕は小学校の頃からずっと野球をやってたので、野球のチームメイトもそうですし、高校卒業するまでは、一緒に野球する友達とか、野球以外に一緒にスポーツする友達とかはたくさんいたので。かつ運動が好き・得意だったので、それを軸に、人間関係が小中高のときはできてたかなと思います。

むん:
小学生のときから、高校生の頃まで野球はされてたんですかね。?

Tomohiro Nagase:
野球部活をやってたのは高校1年生まででしたね。高1のときに辞めてしまいました。

むん:
やめた理由は何ですか。

Tomohiro Nagase:
通ってた高校がちょっと家から遠くて、朝練に通えないと思ってしまった。それで、やめてしまいましたね。本当にそれは人生で後悔してることの一つです。やめなければよかったと今でも思うことがあります。

むん:
へえ、それはなぜですか。

Tomohiro Nagase:
僕は、野球自体も好きなんですけど、高校野球が好きなんですよね。
甲子園みたいなことですけど、高校野球を見ることはずっとできますけど、実際自分がやるのってあの3年間しかできない。その権利を自分で手放してしまったので、今となっては後悔してます。

むん:
野球を始めたきっかけは?

Tomohiro Nagase:
野球は父親が野球をやってたこともあって、僕の小学生の頃とかは、父親が野球に行く。食卓でプロ野球を観る。常に野球が身近にあったのと、同じように兄も野球をやってたので、父と兄の背中を追って野球を始めたのがきっかけです。

むん:
うん。どこのポジションだったんですか。

むん:
僕は、セカンドとサードが多かったですね。

むん:
ちなみに、家族からはどんなふうに育てられました?

Tomohiro Nagase:
家族からは、放任主義ですね。特に何かをしろとか、勉強しろとか言われたことは、ほとんどなかったので、本当に学校で言われたことと、兄がやってることを真似して、育ってきたかなと思います。

むん:
右向け右の話が結構出てたと思うんですけど、家庭内ではそういった感じの流れはなかったって感じですか。

Tomohiro Nagase:
家庭内では、そうですね。特に指示を出されたりすることはなかったので、家の中でそれを感じたことは、ないですね。
あ、一つあるとすれば、兄も同じタイプだったので、その兄を見て、学校でも家でも育っていたのかなとは思います。

むん:
なるほど、うん。従順な子供になってた理由はありますか?

Tomohiro Nagase:
そうだな。従順であることが学校で評価される指標の一つだったと思うんですよ。
例えば、忘れ物をしないとか遅刻をしないとか、提出物を出すとか、テストでいい点数を取るとかもそうですけど、そういったところで通信簿がつけられていた時代だったと思うので、評価されることが嬉しかったし、兄も同じように評価されていたので、僕自身も同じように評価された方がいいんだなって思ってたんだと思います。

むん:
実際に評価されることに対しては喜びみたいなところを感じていましたか?

Tomohiro Nagase:
それはそうですね。通信簿○の数だったり数字もそうですし、あとはテストの点数だったり、テストの順位だったり、そういうのは自分の中でモチベーションではありました。

むん:
それが変わったのはいつでしたっけ?

Tomohiro Nagase:
そうですね、一番大きかったのは初めて海外に行った、18歳のときですかね。海外に行くと、日本の常識以外の考え方が世界にもある。
僕、最初に行った国フィリピンだったんですけど、生活レベルもそうだし、教育システムもそうだし、家族のあり方もそう。日本で生まれ育った、自分の身近にあることだけが僕の中で常識でしたけど、それ以外の常識がリアルに存在してるんだっていうのを初めて実感したのが、レールを外れる外れてもいいと思えるきっかけだったかなと思います。

むん:
フィリピンに行ったきっかけは何ですか?

Tomohiro Nagase:
行ったきっかけは大学の入学式のときに、フィリピンの学校に通えない子供たちを支援しようみたいなプログラムがあって、そのプログラムのビラをもらったのがきっかけです。

むん:
それをもらってどう動いていくんですか。

Tomohiro Nagase:
そのときはもうそれに申し込もうと。せっかく大学に入ったので自分の気持ちも高まってきたと思うので、貰った瞬間にフィリピンで学校関連のボランティアをしてみようと思って申し込んだのは、覚えてるんですけど。
そのきっかけとしては、僕が子供の頃に『あいのり』っていうテレビ番組をやってて。恋愛観察バラエティーなんですけど、その中の一部で、ケニアとかカンボジアとかに学校を募金集めて建てるっていうプロジェクトをテレビでやってたんですよね。

そのとき、僕が小6ぐらいだったんですけど、同じ年代の子供たちが学校に通えないっていう事実を、『あいのり』の番組で知って、そのときから、そういう世界があるんだなとは頭の中でもわかってた。いざ小学6年生で海外に行くとか、そういう発想は全くなかったんですけど、偶然、大学入学のタイミングで、小6のときに感じた感覚と、学校関連のボランティアプロジェクトがあるっていうのが、僕の中で結びついて海外に出てみようとすぐ申し込んでみよう思った流れですね。

むん:
そうですね、なんか実際にフィリピンに行って生活レベルが違うなっていうのを感じて、そのNagaseさん自身が変わったというか、具体的にその行動が変わったみたいなことってありました?

Tomohiro Nagase:
行動が変わったっていうと、本当にそこ、フィリピンを1カ国目として、日本以外に選択肢があるんだっていうことがわかったことが、行動として一番大きな変化だった。フィリピンって終わった後のお話ですけど、日本以外でも生きていけるし、暮らせるし、仕事もできる。

そのときは仕事ができるとまで思ってなかったんですけど。自分の中で海外選択肢ができたのが、僕の人生の中では大きな行動的な変化だったかなと思います。

むん:
うん。それから次は何をされたんですか?

Tomohiro Nagase:
アクションは、僕、いくつか海外に行きたいなフィリピン以外の海外を見てみたいなと思う気持ちが強くなっちゃって、たまたま大学で僕はベトナム語を第2言語として取っていたので、ベトナムに留学に行くことになりました。

むん:
ベトナムで変わったことは、ありました?

Tomohiro Nagase:
変わったこと…、そうっすね。でも、フィリピンだけが面白かったわけじゃなくて、ベトナムにはベトナムの価値観と生き方。ベトナムって大きな括りをしてしまってますけど、一つの国が変わるだけで、いろんな生き方ライフスタイルが、そのときはベトナム語、語学を勉強してたので、よりローカルな話も聞けたかなと思ってるんで、より海外への思いというか、より知らない世界を知ることへの探究心は強まったのかなと思っております。

むん:
留学っていうのはどれぐらい行かれてたんですか。

Tomohiro Nagase:
でも、それは1ヶ月だけですね。

むん:
そこから、その世界1周することになると思うんですけど、どういう感じでそうだったんですか。

Tomohiro Nagase:
そっからは、またちょっと長いんですけど、大学の専攻が哲学だったんで、哲学を勉強していく中で、幸福とかウェルビーイングとかハピネスみたいな部分も一つジャンルとしてあって。

むん:
うん。

Tomohiro Nagase:
その辺りの書籍を日本でいろいろ読み漁ってたんですけど、ある程度読み終わった後に、自分にとっての幸福論は何なのかなって考えてそのときは僕自身答えがなかったというか、結果、幸せと言われれば幸せだし、幸せじゃないかと言われたら、何か疑問が残る。はっきり答えが出なかった。

いくらね、哲学的に勉強したとしても、主観的には自分が幸せなのかどうかよくわかんないなって思った時期があって、検索エンジンで世界一幸せな人々とか国とかで検索したときに、そのときたまたまフィジーが主観的幸福度1位に輝いた時代だったんで。

むん:
うん。

Tomohiro Nagase:
フィジーがその時、ヒットしてくれて、そこで初めてフィジーと出会った。世界一幸せな人々がいる国に行けば、はたまたその人々に囲まれて話を聞いたり、一緒に暮らしたりしてみれば、幸福の本質が見えてくるんじゃないかなと思って、今度は幸福留学と称して、幸せの本質を見つけたいなと思って、大学1年休学してフィジーに行ったのが、次のステップでした。

フィジーに行って、幸せって何かみたいなアンケート調査を自分で作っていろいろ話を聞いていく中で、僕が今働いてる学校とは別の学校なんですけど、そこでマネージャーをやってた方が、僕の活動を見つけてくれて、一緒に話していく中で、いろいろアドバイスをもらったりしてたんですけど、でもたまたまその方が、世界1周経験者で、僕にとって初めて旅人に会ったのがその人だったんですけど。

その人の話に引き込まれていくうちに、世界1周することも自分の選択肢に入れてもいいという。世界一周が、簡単になったわけじゃないですけど、より身近に感じることができて。
やっぱ海外への興味があった、いろんな世界自分の知らない世界を見てみたいと思っていた時期でもあったので、世界1周っていう手段は僕にとってはすごい魅力的に感じた。そのとき初めていつか世界一周に行きたいな!行こう!と思ったのが、そのときだったかなと思います。

むん:
そこから、世界一周には、いつ行かれたんですか。

Tomohiro Nagase:
そっからですね、1年のフィジーでの休学期間を経て、1回大学に戻って卒業をして、その後は新卒で、僕に世界1周の話をしてくれたマネージャーが働いてるフィジーの会社で、一緒に働くことになって。新卒でフィジーにある会社に就職することになった。なので、そこからフィジーで暮らすことから生活が始まったので、すぐには世界一周には出ずに、フィジーで暮らしながら、南太平洋周辺の国々をいろいろ旅してフィジーで暮らす生活を合計3年して、そのタイミングで日本でやりたい活動が見つかったので、フィジーの会社を退職して、日本に戻り、日本で3年ぐらい活動をしたところで世界一周に出ようと思ったんですけど、ちょうどそのタイミングでコロナが始まってしまった。

2020年東京オリンピックが終わったら出発する予定だったんですけど、あの世界的情勢だったので、出発することを一旦延期して。2022年8月にコロナがちょうど治ってきた頃に、改めて予定を組み直して、世界1周に出発した。2022年の8月ですね。やっと出発しました。

むん:
サンタの活動をされながらって感じですか。

Tomohiro Nagase:
そうですそうです。

むん:
サンタを選んだきっかけは何ですか。

Tomohiro Nagase:
サンタを選んだきっかけは、これもまた偶然なんですけどフィジーで暮らしてた2017年、たまたまフィジーからツバルっていう世界で一番最初に海面上昇に沈んでしまう国と言われている国に旅行に行くことになったんですよ。

たまたまクリスマスの時期で、何かできないかなと考えたときにクリスマスなので、サンタクロースの格好してお菓子を持って飛行機から降りてきたら、ツバルでヒーローになれるんじゃないかなと思って。それでやってみたのが、参加活動の最初の始まり。
実はツバルで、チョコレートとお菓子を配ったんですけど。そのとき、いろんな人に声をかけたのもそうですし、ツバルの国営ラジオで宣伝させてもらって、「お菓子配るから来てください。」と話をしたりとかして人を集めて、近くにあったホテルで、サンタ活動とかお菓子を配ったんですけどそのとき、みんなめちゃくちゃ喜んでくれて。
お菓子に喜んだのかサンタクロースに喜んだのかはよくわからないんですけど、少なくとも向こうは喜んでくれたし、もう僕もプレゼントしてることで、楽しい時間が過ごせるのであれば、当然気分はいいというか、相手が喜んでくれるのが嬉しくて、単純に観光するよりも、満足度が高いな、と。

可能性を秘めた活動なんだな、と。

僕がやったのは本当にお菓子を買って、サンタクロースを着てそれを配る。行為的には誰でもできることをやっただけなんですけど、それが僕の中ですごいいい思い出、楽しいし、自分の中で便利な遊びだと思うきっかけが、ツバルのときに体験できた。

それからは、そのときは2017年ですけど、旅に出る前の18年19年20年21年と、その時自分がいる場所で、クリスマスの時期だけサンタの活動を愛媛や大分、愛知だったり、フィジーだったりで、したんですけど、場所に関わらずいろんな形で楽しませる・喜ばせることができる。
そんなことを続けていたので、まずは旅に出るってなったときに自分の旅のコンセプトじゃないですけど、自分の特徴ユニークさをいかに出すかっていうのを考えたときに、クリスマスの時期だけじゃなくて、一年中サンタクロースで旅をしながらお菓子とか配ったりとかしながら現地の人と交流して、旅をするっていうコンセプトにしたら、僕の中で楽しい旅ができるというか。

出会いも引き寄せられるし、いい思い出もできるということを思ってサンタを選んだのが、
流れですね。

むん:
ありがとうございます。今までの過去のお話していただいたと思うんですけど、人生の転換点を置いておくとしたらいくつでもいいんですけど、どこに置きますか。

Tomohiro Nagase:
人生の転換点ですか?

むん:
はい。

Tomohiro Nagase:
転換点は、初めて海外に行くことになったときと、大学の入学式のときと、海外の魅力と世界1周っていう手段を僕に教えてくれたその元上司と出会ったとき時に誘ってくれた方と、出会ったとき、フィジーに行ったときですね。

その二つがやっぱ僕の人生の中で見たら思いつきますけど、サンタクロースってことを考えれば、ツバルでサンタクロースを偶然やって喜びを知ってしまったことが一つの転換点だったなと、その三つかなと思います。


未来:やれるときに誰もやれないぐらいやる。それが人生を満足させる、それこそフィジーで学んだ幸せの一つの形なんだと思います。

むん:
それでは次に未来の質問をさせていただくんですけど、5年後、10年後あるいは死ぬまでを想像していただいて、何か未来について、どういったイメージをお持ちですか。

Tomohiro Nagase:
未来についてのイメージ、そうですね。僕自身今、フィジーで語学学校をやっていてかつ、世界中巡ってきた旅人っていう経験もあるんで。
そこに僕自身がすごい恩恵を感じてる自分の人生を豊かなものにしてくれてるっていう自負があるので、5年後10年後死ぬまで、僕自身がフィジーに住み続けてるかどうかわからないんですけれど、フィジーおよび他の国、自分の知らない世界を見てみる。自分の肌で感じること自体に価値がかなり高い価値があると僕自身は思っているので、いかなる形かはわからないですけど、今はフィジーにより多くの方が来ることをおすすめしたいし、国内外問わず知らない世界に旅に行くことも含めてですね。今日本のパスポート取得率17%って発表されてると思うので、海外に行くことがない83%の方でも、自分の知らない世界に、自分の好きが、もっと好きな世界があるかもしれない。

むん:
うん。

Tomohiro Nagase:
その可能性を僕は自分の経験値を持って、シェアすることができると思うので、何か抽象的な話になっちゃうなってしまいますが、フィジーの良さ、海外の良さ、旅の良さ、知らない世界に出会うことを自分の軸を持って、生きる・暮らしていく・旅をするみたいなところを僕自身は広めていきたいと思ってます。僕の場合はサンタクロースでしたが。個人的なところでいけば僕は日本の大学生に、そういう話をより多くしたいなと思っています。

日本の大学生とか、その年代が自分で決断して、自分でレールを外れたり、自分のやりたいことにチャレンジできる一番いい年代だと思っているので、そういった人たちをターゲットに、大学なのか専門学校でなのかどこかサークルでなのか、たまたまオンラインで出会った人なんかわからないですけど、交流を深めながら、自分の活動をシェアしながら、自分の好きで遊び続ける旅人の後押しが出来たら、将来的には自身はいいかなと思っています。

むん:
先ほどサンタクロースのような軸みたいなお話あったと思うんですけど、サンタクロースのような軸っていうのは、具体的にはどんな意味ですか。

Tomohiro Nagase:
これは僕の場合はサンタクロースっていう、サンタクロースの服を着てサンタで何かをプレゼントするっていうのが軸だったわけです。僕自身はそれが楽しいと感じるし、やってても苦でもないし、つまらなくもない。いうところを僕は軸において、旅をしてたときは、旅をしてたっていうだけなのでそれが別に音楽でもいいし、何だろう、農業でもいいし、ITスキル・プログラミングとかでもいいし、また料理とか、あとネイルとかメイクとか、民俗学とか、皆さん、自分の好きなものが何かしらはあると思うので、それを自分の軸として、旅をするなら旅してもいいし、仕事なら仕事でもいいし、ライフスタイルならライフスタイルでも、いいなと思うので、そういった軸に自分で自信を持って、活動できればなというのが大きな土台としてあって。

ざっくりと、ただ旅をするとか、ただ留学するとかだけじゃなくて、自分の好きが、自分のコンセプトが、ガチッと決まってるとそれがユニークになって、なんか今の時代生きやすいかなと僕が感じてるので、サンタっぽいコンセプトがあるといいなと僕は思ってます。

むん:
なるほど、ありがとうございます。続いての質問なんですけど、もしも大学1年生のときにフィリピンのチラシをもらわず、日本で生活していたとしたら、Nagaseさんの人生はどうなってたと思いますか。

Tomohiro Nagase:
18で海外に行かなかったらってことですか。

むん:
いや、そこを起点に多分いろんなきっかけを作って、海外に出られてると思うんですけど、これも含めずっと日本。今まで日本にいた生活だったとしたら、どんな人生になってたと思いますか。

Tomohiro Nagase:
もし海外に出てなかったら日本の名のある企業に入ってサラリーマンしてると思います。

むん:
うん。

Tomohiro Nagase:
それも僕の中では、いい大学に入っていい会社に就職して、結婚して子供を産んで、みたいなのがこれまでの一つ大きなルートだと思うんですけど、そのルートにのって、なるべく良い会社というか、名のある会社を目指して就活をして、生活しているんだろうなと思います。

むん:
ありがとうございます。海外に行って自分の何か新しい世界を見ることに魅力を感じているみたいなお話をされてたと思うんですけど、Nagaseさんにとって自分の知らない世界を知ることって何なんですかね。

Tomohiro Nagase:
そうですね。
僕自身が思ってるのは、自分の解釈と選択肢を増やすことかなと思ってます。選択肢があれば、自分の中で取捨選択して、選ぶことができるけど、例えばフィジーに来たことなくて、緩やかなライフスタイルがあるかいうことを、情報として知ることすらなかったら、僕はフィジーで移住して、就職したりすることはないと思ってますし。それが単純な物理的な話だけじゃなくて、ネガティブなことが起こったときに、日本だったら反省文とかを書いて、次に繋げることを考えると思うんですけど、フィジーでは、ネガティブなことを自分がミスをしてしまったとしても、反省文とかを書くというよりかは、一旦怒られて、忘れてしまおうみたいな、考え方なんです。

なので、同じミスを繰り返しやすいけど。でもそれでも、幸せに生きてる人たちがここにはいるので。なので、反省せず同じミスをしてもいいんだと思う。全ての場面では思わないんですけど。

そういう考え方も必要だし、ときには反省せず忘れるだけっていうのも一つ。考え方として人生を楽に生きる意味でも有効な手立てなんだなと思ってます。そういった自分の凝り固まった考え方とか、固定観念っていうのを壊してくれるのは、自分の知らない世界、自分の知らない考え方とか、出来事だったか場所とか文化とか習慣とかやさしさとか、に出会ったときにそういう自分のなんだろうな考え及ばない世界があるんだと気づくことで、自分が解釈できる、自分が選べる選択肢が増えると、僕自身は感じてます。

自分の知らない世界に会うのに手っ取り早いのは、環境を変えること。わかりやすく言うと国を変えてしまうことが一つ手段としてあると思うので、そうですね。なので、僕自身は留学に行くこともそうですし、旅に行くこともおすすめしているのは、そういった理由からです。

むん:
うん。はい。
では最後の質問なんですけれども、遺言でも読者向けでも自分に今の自分でも未来の自分に対する独り言でも感想でも何でもいいんですけれども、最後に言い残したことがあればお願いします。

Tomohiro Nagase:
最後に言い残したこと、そうですね。何だろう。
留学も旅もそうですけど、もし自分が今すごい健康な状態だし、体力にも自信があるので、かつ経済的にも余裕があったので、留学に行ったりとか、旅をしたりとかすることがまずできてるっていうのが大前提にあると思っていて。

あと、僕が実際に旅する前から、コロナパンデミックがあったりとか、ウクライナとロシアの戦争が始まったりとか、イスラエルで国境争いが起こったりとか、アゼルバイジャンで紛争が始まったていうことがあったりすると、行く時代によっては、そもそも危険だからいけないとか、いうことは今後も出てくると思います。

さすがに戦争が勃発してるところに旅行に行こうと普通の人は思わないと思うので、今言った二つぐらいですかね。自分の健康と家族の健康、あと経済状況と世界情勢とかによって、自分の行動範囲、行ける国、行ける場所とかに制限が出てしまうことがあると思うので、もし何かやりたいことがあるんだとすれば、行ける時期を探して、なんか先延ばしにするんじゃなくて、留学なら留学、旅なら旅。

もし本当にやりたいと思えば、行けるときに行く、やれるときに、やる。

それも、誰にもできないぐらい、他の人には真似できないぐらい自分の好きなことや挑戦してみたいことに踏み込んでいくのがいいのかなと思います。それぐらいですかね。

やれるときに誰もやれないぐらいやる。それが人生を満足させる、それこそフィジーで学んだ幸せの一つの形なんだと思います。


あとがき

選択肢を広げよう、そんな啓蒙活動が巷で行われていますが、インタビュアーを担当している私は、選択肢を広げすぎたあまり、何を選択肢たらいいか分からないという悩みを抱え、虚無になった経験があります。なので、むやみやたらに選択肢を広げるのは良くないと思っていました。
ですが、Nagaseさんの話を聞き、選択肢が増えるというのは、それぞれが持つ自身の生きづらさから解放してくれるヒントにもなるんだと感じました。
他者の軸ではなく、自分の幸せは何か。そんな問いを頂いたような気がします。ありがとうございました。
【インタビュー・編集・あとがき:むん】


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