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無名人インタビュー:文学博士だけど占いを研究している人

私さー、小説書いてるからさ、小説の話とかめっちゃ好きなんだよね。大好きなんだわ。
物語とか聞くとね、ほんとふつう人の100倍くらい脳内に検索キーワードがあるんだわ。100兆くらい検索結果がヒットするのね。もう一度宇宙ができてしまうくらいの大ばくはつが頭の中で個人的に起きちゃうのだわ。
さとりひらくよ。
ということで、文学博士モミジ先生です。てか、文学というか占いと物語のお役目の話ですわな。
本の虫たちこうご期待!

今回ご参加いただいたのは モミジノアトリエ さんです!

qbc:どんなインタビューにしていきましょう。

モミジ:昔から占いに興味があったんですけど、最近、ちゃんと鑑定とかをやっていきたいなっていう気持ちが強くなってきて。そういうときに、プロフィールを用意するのが基本だと思うんですけども。私、自己分析するのがすごい苦手なんですよね。面接で自分のことを話したりするのにも、苦手意識がある。それで、どうしようかなって思ってたときに、たまたまqbcさんの「無名人インタビュー」の申し込みを拝見して。自分でできないなら、インタビューで引き出してもらって、誰かに話すことで自己分析をしてみればいいのかなって思って申し込みをしたんですよね。なので、いろいろ質問していただいて自分のことをときほぐしていければなと。

qbc:どっちかっていうと、プロフィールづくりのほうに。わかりました。
じゃあ、今、何をされている方なんでしょうか。

モミジ:文学研究者です。研究者をやっている以上は、分析力がないわけではないと思うのですが、自分のこととなると、その分析力が全然働かない。それでも、研究では、自分を分析できなくてもあんまり困らないんですよ。でも、占いに関しては、自分はどういう人なのかというのをある程度把握して、それを言っていかないと、なかなかお客様に来ていただけないわけじゃないですか。こっちに意欲があったとしても、それが伝わらないとダメだなって。それで、ちゃんと自分を分析して、伝えていくという作業をやってみようという気持ちに、初めてなって。

qbc:日本の近代文学の作家を研究されてるんですね。

モミジ:そうです。もっというと、10代の頃から今専門にしている作家を研究したいっていうモチベーションのみで生きてきたんです。ただ、例外的に、占いだけはそれと同時並行で続けてこれたんですよね。

qbc:その作家と占いは重なり合う部分はありますよね。

モミジ:私の中では、その作家を研究したいってう気持ちと、占いをやりたいっていう気持ちは、特に齟齬がないんですね。
研究っていうと、一般的なイメージだと、ファクトを積み重ねていって、その仮説を証明していくっていうような実証主義的なものだと思うんですけど、この作家の世界観っていうのは、ある種オカルトなので、実証主義的な方法では捉えきれないところがあるんですね、そのオカルティックな世界観と、占い的な世界観というのは似てると思っていて。タロットとか西洋占星術も、科学の視点から見たら迷信で根拠もないので、1つの物語なんですよね。私が専門にしてるこの作家も、幽霊とか超常現象みたいなことをよく作品内に登場させるので、読む人によっては「荒唐無稽なことばかり書いてる」と言われかねないです。でも、私は、そういう作品のあり方も、占い的なものの見方も、現在の科学的かつ客観主義的なものとは異なる世界の見方を提示していて、そこがとても魅力的だと感じているんです。だから、この作家を考察することと、占いを学ぶことは、私の中で両立できているんだと思います。
でも、研究っていう枠の中でこの作家を扱おうとすると、なかなか難しいんですよね。学術論文の体裁に、この作家の世界観を落とし込むのは本当に大変で。この作家のいちばんの魅力である、実証主義的な手法ではとらえきれない部分を、論理的に説明しようとすると、どうしても、学術の枠組みに無理にこの作家を押し込めたという気持ちになってしまって。私の実力不足といわれれば、それまでなんですけれども。
そういう、私にとっては無理やりなことを繰り返していくうちに、そもそも私は、ファクトを積み重ねて証明していくみたいな、いわゆる学術的ロジックには、あまり向いてない人間なのではと、だんだん気づきはじめて(笑)「この作家を研究するんだ」という子どものころの気持ちにしたがってずっと勉強を続けて、学位も取って、学術の制度の中でそれなりに仕事はしてきたんですけれども。ちゃんと自分が納得するような形で、別の世界のロジックを示せるような場をもうけたいなという気持ちが、ここ最近ますます強くなってきたんです。それで、占いに改めてきちんと取り組みたいという気持ちが出てきたのかなって。それまでは趣味で満足だったんですけど。自分の人生のウエイトの中で、占いが占める割合をもう少し大きくしてもいいのかなと思い始めたんです。

qbc:占いとか民間医療って詐欺とかに利用されやすいものなので、逆に真面目に占いをやられてる方っていうのは非常に重要だと思っていて。
文学っていうのは、実証しにくいものの中ではわりと認められてるほうだと思うんですよ。怪しくないものとして。

モミジ:そうですよね。犯罪的なことを書いたとしても、それは小説なので許されるみたいな。

qbc:表現の自由っていう言い方をしてるけど。こういう想像力の世界というのは絶対必要な部分なんですよね、文化のものっていうのは。実証できうる世界というのがまだ小さいから、文化でカバーしてやらないと世界を記述しきれない。

モミジ:実は、一度だけ進路に迷ったことがあって。歴史学と社会科学と精神分析と文学、どれを選ぶべきかという問題に直面したんです。特に、精神分析と文学で。

qbc:大学受験のとき?

モミジ:はい。いろいろ本を読んだときに、人間の精神性に直接手を突っ込む学問は文学だけではないんだなっていうのがなんとなく見えてきて。歴史学にも社会科学にもそういう側面はあるし、精神分析も、人間の心のありさまを考えていくわけですから。でも結局、文学でいこうと決めました。

qbc:そうなんだ。

モミジ:ものすごく広い意味での人間の精神性とか、どんなに事実みたいなものを積み重ねても出てきてしまうフィクションの部分というか、そういう部分のほうに人間が引きずられていってしまうのはなぜか、みたいなことを考えていきたくて。そのケーススタディとして、小説っていうメディアを扱いたいと考えてたこともあるんだと思うんですけど。社会的な仕事で文学に関われることって何かっていったら、自分が小説家になるか、研究者になるか、どっちかしかないってなったときに、創作に自信がなかったんで、研究のほうにいったっていう。研究のほうが分析もできて、なんでこうなのかって説明することができるし、それをみんなに伝えることもできるっていう気持ちがあったので、選んだんです。

qbc:なるほど。

モミジ:でも、学術の世界に入って行けば行くほど、どうもうまく馴染めないな、結構無理をしないといけないなという気持ちが増していったんですね。今はそこまでどっぷり研究の仕事をしていないんですが、このくらいがちょうどいいなという感じで。その代わりに、タロットとか占星術みたいな、占いの回路を通じて話す時間は増えていて、やはりこっちの方が性に合っているなと実感しました。
もう1つ、これは教育に関わることなんですが、教員になると評価しないといけないんですよね。それは、私にとってはすごく辛いことなんだなって、やってみてわかったんです。たとえば課題でこれだけやったからとか、そういうことをふまえて評定をつけないといけないんですけども、いや、そうじゃないんだよなって。人間との関わり方として、私は評価とかそういうことをしたいわけではないなと。この人が言ってることは、社会が設けている基準とか学校的価値観の基準からみたら、こういう言い方は本来とても嫌いなんですけど、あえていえば、「レベルが低い」とされてしまうようなことであったとしても、その人自身にとっては、なにかしらリアリティがあることだから言ってるわけじゃないですか。だから、それをそうなんだねって聞いてあげた上で、もっとその人なりの、その人が目指したい方向性を一緒に見つけていきたい。それが、あなたのここところはまだまだだねって評価すると、本当はダメではないのに、その人の中では「自分はここがダメなんだ」っていうふうになっていっちゃって。せっかくその人なりに考えようとしていた気持ち自体が萎えちゃうっていうことが起きると思うんですよ。どれだけ私が言い方を気をつけたとしても、最終的に評価を出す段階がくるので、結局、「良い成績」と「悪い成績」に人を振り分けなきゃいけない。それが、私にとってはどうにも釈然としないんですね。

qbc:なるほど。

モミジ:一時期、中学や高校でも教えてたんですよ。そうすると、とても複雑かつ細かい尺度で、成績をつけることになるんですよね。成績つける側も忸怩たる思いでやってることが多いのかもしれないけれども、生徒たちの側にも、出てきた評価を見てしんどいみたいな空気があるじゃないですか。その空気を感じると、つい、そんなに気にするなみたいなことを言いたくなっちゃうんですよ。でも、評価してるのは、ほかでもない私自身なので、そんな無責任なことは、絶対に言えないですよね。だから、言いたいのをぐっとこらえていたんですが、その反動なのか、ものすごく厳しい先生になっちゃったんですよ。気にするなって言いたい気持ちを我慢してるせいで、かえって生徒たちに厳しく成果を要求するみたいになってしまった。それが心から苦痛で、生徒たちに本当に申し訳ないと思うと同時に、私は評価者としての教員っていうのに、つくづく向いてないと痛感したんです。
そういうときに、どうやって人と関わりたいんだろうなって改めて考えたんです。私はその人の感じたこととか考えたことを、良いとか悪いとか判断するんじゃなく、とりあえず受け止めて、なんでそう考えたのかを聞きたいんですよ。良いか悪いかは別として、そういう風に考えているあなたの心に興味があります、ということなんですね。ネガティブなことも当然あると思うんですけど、何かそう考える根っこがあるから、表にネガティブな形で出てくると思うので。その経緯を丁寧に見ていきたいって考えたときに、本当はセラピストとかカウンセラーとか、そういう職業に就くべきだったのかなと思いました。

qbc:他の職業とかやられたことあります?

モミジ:全然ないです。精神分析家っていうのは興味があったんですけど。

qbc:占いを真剣にやりたいなっていうのは、年数でいうとどれぐらい前から?

モミジ:3年ぐらい前からです。

qbc:お子さんのころっていうのは、どうして今専門にしている作家が好きになったんですか?

モミジ:私が当時好きだった作家さんの好きな作家だったんで興味を持ったんです。中学くらいの時、その作家が書いたある小説を呼んだんですが、その作品の主人公が、善人として書かれているのか、悪人として書かれているのかがわからないし、そもそもその主人公が何をかんがえてるかもわからなかったんです。当時、芥川龍之介とか夏目漱石とかも読んでいたんですが、彼らの作品の場合は、登場人物のことを、たとえば良い人に書こうとしてるのか、悪い人だけど憎めない人に書こうとしてるのか、子どもながらに大体はわかったんですが、この作家の場合は、よくわからないことの方が多かった。だから、その謎を解明すべく、延々と読むっていう感じになったんです。

qbc:評価制度って、誰でもを評価という尺度の中に封じ込めるためにするもんなんですよね。でも、人間っていうか、生き物の能力っていうのは、自由にさせたほうが伸びるはずなんですよ。その勢いを殺すんですよね、評価、基準っていうものは。だから、そこに対しての不満があって占いへいくっていうのは、すごくわかります。
今後、占いでやっていきたいことって、それはどういったことなのかなって。

モミジ:いろいろな人の話を聞きたいんです。そして、人間の様々な面が見たい。占いは、話しを引き出しやすいツールだと思うんです。まず悩みを聞いて、タロットとかを媒介にして、その人が今いちばん話したいと思う話をしてもらうわけなので。

qbc:黄玉さんっていう占い師さんの「無名人インタビュー」読みました?言ってることは、人の心を直接触りにいく方法っていうのは、占いが一番早かったっていう。臨床医学、心理学の臨床もそうだけど、文学もそうかもしれないけど、占いはマンツーマンでやるから、全然違うと思うんですよね。やりたいのはそこです?

モミジ:その方ってお金をとって鑑定をしている方ですよね? 読みました。

qbc:メチャメチャ長いキャリアですね。

モミジ:でも、その方と私は、年齢があまり変わらなかったんですよ。だから、余計にすごいなって思って。私、お金をとるっていう発想が、あんまりなかったので。でも、私は占い師です、こういうメニューありますっていうほうが、選ぶ側は選びやすいですよね。それこそ怪しいじゃないですか、何かわからないけどやりますよみたいなのは。仕事にしたほうが、かえって人は来てくれるのではないかと、今更ながら気がつきました。
ジャッジなく、人の話を聞きたいんだと思うんですよ。私の論文も査読っていう形でジャッジされる場合があるんですが、私はそれも大の苦手で、審査に通らなくて数年単位で苦しんだこともあるくらいです。それは仕方がないノルマとして、精神的にもかなりぼろぼろになりつつクリアしたんですけど。そこで散々苦しんだので、私自身は、人をジャッジせずに話を聞くということをしたい、そのためのツールとして占いを使いたいんだと思います。

qbc:本当、そうですよ。私も人の心とかを掴みにいくのは小説以外にどうしたらいいんだみたいに思ってやってるんです。この中でいうと、なんでモミジさん、こんなにバーっとしゃべり続けるのかってのは疑問で。
あんまり自分のことを相手にぶつけるタイミングとかがないんですかね。自己言及っていったら、今、メチャメチャしてるんですけど。面接の場とかで自分のことを話せないって言っておられましたが。それ、なんでだろうと思って。

モミジ:相手から求められる振る舞いの型に自分をはめ込むのが、苦手なんだと思うんです。

qbc:私、卒論考古学なんで、理系の数値プラス文系のロマンみたいなところはわかるんですよ。はっきり言い切れないから、飛躍するのを許すところがあるんですけど。
さらに文学なんて勝手でいいじゃんっていうのがまずあるよね。技術論は別としていいよ。でも評価するとかは違くない?

モミジ:制度の中にいる身としては、学術的な型の中で説明するのがルールだよというのはもちろんわかるので、私としては自分の言いたいことを全力で型にはめてるつもりなんですが、なかなかうまくいかずに、苦しむだけ苦しみました。

qbc:私は、モミジさんと仕事はしたいなって思いましたけどね。

モミジ:ありがとうございます。
今の学生さんの就職活動とか見てると、自分が学生時代に同じことを動やれって言われたら、本当にフリーズしちゃっただろうなって思います。
そういう意味では研究の世界のほうが、相対的に生きやすいとは思うんです。私の考え方を認めてもらう機会も多いから。ただ、社会をながめていると、ジャッジほぼなしで人と関われる領域って言ったら、怪しい部分になるけど、やっぱり占いくらいしかないんじゃないかとも感じます。

qbc:今のビジネスの話をすると、コモディティ化する商品っていう言い方があるんですけど。例えば、石鹸って技術が上がってるから、もうどこで買っても同じなんですよ品質なんて。でも、私たちの会社は、石鹸と人間の関係を考えていますと。環境についても考えているし、清潔になるっていうことが何かっていうのを、ちゃんとみなさんにお伝えしますみたいな。それが価値になっていく。それしかもうやりようがなくなるし。そこ以外、もう買う必要もないじゃん。そういうことをやらなきゃいけないんだけど、今まで基準ばっかりで組織を大きくしてたから、そういうやり方がわかんないんだ。言うこときく人間ばかり集めてきたからさ。
だから、情報ですよね。情報の価値をよくわかって推進できて、そういうことをつくれる人が必要なんですよ。ちゃんと文献を調べたりとか。だからね、そっちのほうの人材は企業はほしいと思う。

モミジ:本当はほしいんだ。

qbc:ほしいんだけど、まだコミュニティの方法がわかってない状態。

モミジ:私は、自分を型にはめようはめようとして、かなり苦しんできた。だからこそ、相手を型にはめずに話を聞ける何かがしたいんですよね。でも、今の社会に与えられてるツールの中でそういうことが可能なのは、占いとか、あとは芸術くらいなんじゃないかな。

qbc:タロットなんて、ロマがやってたりするじゃない? 結局、芸術もそうですよね。今の社会っていうものは、社会の外にいる人間から評価をしてもらわないとダメ。内側からなんて批評できない。

モミジ:今の言葉、すごいピンときた。本当の意味では、社会の〝外〟には出られないと思うんですけど、ただ、たとえ一瞬でもそういう〝外〟を感じさせられる存在でいたい。それが私にとって占い師かなっていう感じがする。

qbc:そこでタロットの絵ですよ。言葉でコミュニケーションしてるんだったら、もうその社会に参加してるじゃん。
絵はね、そこから自由になってるから、まだ行けるんですよ。わからない絵について考えるってことがね、今の習慣とか法律から外れるための方法ですよね。

モミジ:今の世界のアウトサイダー。そのアウトサイダー同士で話をするっていう機会を提供できる人間になりたいし、そういう場を設けるために占いを使いたいっていうことなのかな。

qbc:そうだよね。もうルールっていうものをね、破壊しなきゃいけない。

モミジ:辛い人が多いと思うんですよ。学校とかも、私たちが子どものころより、かえって締め付けが多くなってるところもあって、それで無気力になっちゃってると思うし。たとえば、生徒たちに、自分の意見言っていいよって言っても、それまでの経験の積み重ねで、教員の言葉に不信感を持っている場合も多々あるから、その言葉を真に受けて、本音を言って悪い評価つけられたらどうしようという不安を持っている場合もあるわけですよね。そうなると、こちらの言ってることが嘘じゃないってことをわかってもらうところからはじめないといけない。これがとても大変です。成績を握っている教員が大丈夫とか言ったって、そりゃ警戒しますよ。でも、占い師相手なら、評価とか査定とかの〝外〟で話ができるかもしれないという期待を、相対的に持ってもらいやすいんじゃないかと思うんです。

qbc:占いは、そもそもルールの外からはじまってるからね。

モミジ:占い師には何を話してもいいっていう期待があるからこそ、占いに来るっていうの面もあると思うんです。そういう話を受け止める社会の例外の場として、占いを生かしたい。

qbc:カウンセラーとか制度化されて設けられているけど、制度の中のものってことは、もう終わってるんだよね。制度的に緩みを持たせてるけど、違うんだよね。

モミジ:カウンセリングに行くほどじゃないかもって思う人、多いと思います。そういうのは、本当に病識があって辛い人が行く場であって、自分なんかが行く場所じゃないって思ってる場合もありますよね。そういうグレーゾーンの方の受け皿になれるのは、当面占いぐらいなんじゃないかと思ってます。
小説に馴染みがある人は小説を読むし、芸術になじみがある人は芸術のほうに行くんだけど。今は、社会の中に芸術を許容する余裕もますますなくなってきています。そうなると、占い師さんに話聞いてもらいに行くぐらいしか、方法が思いつかないという人も増えるんじゃないかと思います。だからこそ、今まで勉強してきた文学と占いの重なりあう部分を、うまく増幅させて、人の話を聞いて、一緒に考えていけたらいいって思うんですけど。

qbc:最後に言い残したことは?!

モミジ:今の話でございます。

qbc:ありがとうございます。

モミジ:ありがとうございます。

あとがき

あなたはこのインタビューを読んでなにがしかを考えたかしら? だったら書いてちょうだいね感想を! コメント欄に!
てか私、よくミームって考えるんですけど。遺伝子は長い世代を経ないと変化しないじゃないですか。でもミームって文化遺伝子は、自分の1つの生命の中から生まれて、同時代の生命にも伝わっていくじゃないですか。私、こういうことしたい。
今、世の中にないものを生みだすためにがんばりたいね。
物語、占い、というのはけっこうくりかえし、この無名人インタビューの中で出てくるテーマなんですね。有名と無名ということと関係しているんだと思う。
歴史という物語に登場しない人たち、常識や社会といった普通の文脈からは語られにくい占い。無名人インタビューじたいが、この世の中から外れたものに光をあてる装置にときどきなってるにちがいない。アジールなのだ。駆け込み寺なのだ。精神の治外法権なのだ。闇の中へ。誰もさわっていないちょうちんがくるくる回りだす。

編集協力:有島緋ナさん 5周年さん

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