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アートランウェイのことを皆さんに知っていただきたい人

むかしむかし、ある街に、道案内(みちあんない)という名の熱心な青年が住んでいました。道案内は街の角で、通りゆく人々に声をかけるのが日課でした。
「皆さん、アートランウェイのことを知っていらっしゃいますか?」
最初、村人たちは首をかしげていました。
「アートランウェイって何だろう?」
「聞いたことがないなぁ」
道案内は目を輝かせながら説明しました。
「アートランウェイは、芸術の道を駆け抜ける素晴らしい場所なのです。絵描きさんも、音楽家さんも、踊り手さんも、みんなが集まって、心を通わせる場所なのです」
ある商人は興味深そうに尋ねました。
「そんなに良い場所なら、なぜもっと有名にならないのですか?」
道案内は少し寂しそうな顔をしました。
「それが私の悩みなのです。アートランウェイは本当に素晴らしい場所なのに、まだ知らない人がたくさんいるのです」
老人が優しく問いかけました。
「では、どうして皆に知ってもらいたいのですか?」
道案内は胸に手を当てて答えました。
「アートランウェイに行くと、人々の心が豊かになり、笑顔が溢れるのです。そんな喜びを一人でも多くの人に味わってほしいから」
子どもたちが「僕たちにも教えて!」と駆け寄ってくると、道案内は膝を屈めて話しました。
「アートランウェイでは、みんなが自分らしく輝けるのです。上手い下手は関係なく、心から楽しめる場所なのです」
やがて道案内の熱意が伝わり、一人また一人とアートランウェイを訪れる人が増えていきました。
後に道案内はこう語りました。
「本当に良いものは、必ず人の心に届く。大切なのは、諦めずに伝え続けることなのです」
そして「良きものを分かち合う者は、皆を幸せにする」ということわざが、この街から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年07月03日20時124分に書く無名人インタビュー1099回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは Toyomi Dubai さんです!

年齢:不詳
性別:性別を超えた存在
職業:地球人

instagram:https://www.instagram.com/art_runway_/


現在:ギャラリーでただ在廊しているのではなく、アーティスト自身が舞台に立つというかたちに変えることで、作品以上の何かが伝わるのではないか──そう思ったのが始まりです。これは私ひとりの表現ではなく、アーティストみんなが自分の生き様を携えて舞台に立つ、新しい挑戦でもあります。

ゆいぴ:
Toyomiさんは今、何をされている方でしょうか?

Toyomi Dubai:
写真と絵を描いています。陰陽芸術®をテーマにアーティスト活動をしているものです。それと、アートパフォーマンスとしてアートランウェイを主催しています。

ゆいぴ:
陰陽芸術®というものがどのようなものか、Toyomiさんの言葉でご説明いただいてもよろしいですか?

Toyomi Dubai:
陰陽芸術®とは、“すべてのものは陰と陽でできている”という東洋の思想をベースにしています。
光と闇、愛と憎しみ、抑圧と解放、依存と孤独——。
一見相反するように見える感情や関係性を、どちらも否定せずに引き受け、融合させていく。
そうした「矛盾を抱えながら生きる私たちの姿」そのものを、芸術というかたちで表現する試みが、陰陽芸術®です。

ゆいぴ:
アートランウェイについてもご説明いただけますか?

Toyomi Dubai:
アートランウェイは、アーティストが自らの作品を手に、レッドカーペットを歩く唯一無二のアートパフォーマンスです。
絵画・写真・書道・着付け・ファッションなど、ジャンルも世代も国境も超えた表現者たちが、それぞれの“今”を抱えて舞台に立ちます。
それは、人生と芸術が一つになる瞬間。
他人に評価されるためではなく、自分で自分を証明する——そんな魂の祝福のステージです。

ゆいぴ:
なるほど。Toyomiさんはアートランウェイに、どのような関わり方をされているんでしょうか?

Toyomi Dubai:
アートランウェイは、私が構想し、立ち上げたプロジェクトです。
創始者として企画し、プロデューサーとして演出を考え、運営もすべて一人で担っています。
今ではすでに4つのステージが決まり、走りながら形をつくってきました。

ゆいぴ:
思いついたきっかけは何かあったのでしょうか?

Toyomi Dubai:
自分の人生を大きく変えたいと思ったのが、今年の初めでした。
「本当にやりたいことに集中しよう」と決めたとき、まず最初にやったのは“やりたいこと探し”ではなく、“やめたいことの棚卸”でした。
これまでの人生で何度も繰り返してきた苦しみや違和感は何だったのか。
振り返って見えてきたのは、「誰かに存在を証明してもらうことで、安心を得ようとしていた自分」でした。
……少し長くなってしまうかもしれませんが、もう少しこの話をしてもいいですか?

ゆいぴ:
はい、大丈夫です。

Toyomi Dubai:
気づいたんです。
私の人生はいつも「誰かに存在価値を証明してもらう」ことで安心しようとしていた——。
幼児のときは、「見て!」「褒めて!」と親に承認を求め、学生時代は成績や受験、会社に入れば査定。外側の評価を欲しがり、自分を完全に見失ってました。
アーティストになれば自由になれると思ったけど、そこでも比較と評価の連続。
展示費をかけたのに来場者が少ない、作品が売れない。
また“存在証明ゲーム”にハマってる自分に気づいて、愕然としたんです。
そんな中でふと思い出したのが、舞台に立っていた時の感覚。
誰にも評価されなくても、自分がそこに「在る」だけで満たされていた。
この感覚を、アーティストたちと共有できたら救いになるかもしれない。
そう思って始めたのがアートランウェイです。

ゆいぴ:
Toyomiさんにとってアーティストとは何なのか、世間一般的な意味ではなく。何をする人、何を成せば、あるいはどういう人がアーティストなのかを教えていただけますか?

Toyomi Dubai:
極端なことを言えば、地球に生きているすべての人はアーティストだと思っています。
誰かが決めるんじゃない。
「私はアーティストです」って、自分で名乗ったその瞬間に始まるんです。

美大を出たとか、ギャラリーで展示したとか、作品が売れたとか。
そんな“外側の条件”が揃ってなくても関係ない。

周りから「アーティストだね」と言われることよりも、
自分で「私はアーティストだ」と言えることの方が、よっぽど本物だと思うんです。

表現って、そうやって始まるんじゃないかなって。


過去:絵を描き始めたら、今まで閉塞的に思えていた写真家業界よりもすごく居心地が良くて。これでいいんだって。

ゆいぴ:
Toyomiさんは幼い頃、どんな子供でしたか?

Toyomi Dubai:
小さい頃、物心ついた時にすごく大きな問いを持ったんですけれども、物心がついたとき、たぶん3歳か4歳くらいだったと思います。
「私って誰なんだろう?」「いつから私は私なんだろう?」と考えたことがあります。
答えがどこにもなくて、とても怖かった。
自分という存在の始まりがあるなら、きっと終わりもあるはずだと気づいて、「私であることをやめるにはどうしたらいいのか?」とまで考えたけれど、その方法がわからなくて余計に怖くなったんです。
逃げようにも、自分からは逃げられない。
幼い私は、自分という謎から逃れられない恐怖に飲み込まれていました。
冬のこたつの中で、世界の成り立ちや自分の正体について、思考がバグるような感覚を初めて味わったのを、今でもはっきり覚えています。
その問いは、大人になった今も、ずっと私の中にあります。

ゆいぴ:
なるほど。その問いは今も持ち続けているということですか?

Toyomi Dubai:
はい、今も持っています。その問いの答えを探すために結構いろいろなことにチャレンジしてきたので。私は誰なのかわからなかったので、お芝居をしたいと思うようになったんですね。それが11歳ぐらいの時でした。

ゆいぴ:
ご自身がどういう子供だったな、という記憶はありますか?

Toyomi Dubai:
どういう子供だったのか…。社会に適合するのが難しかったですね。分からないことがたくさんありました。目の前にいる人間がとても不思議で、ずっと観察していました。なんでこんなに怒っている人がいるんだろうとか。人の扱い方がよく分からなかったです。すごく意地悪な人がいたり、怒っている人がいたり。自分の中にネガティブな感情はあまりなかったから人が怒ったり泣いたりしていることに対して、すごく不思議な生き物がたくさんいるな、そんな感覚で見ていました。

ゆいぴ:
小学校に通っていた頃の生活や遊びについて、何か思い出されることはありますか?

Toyomi Dubai:
小学校時代は本当におとなしくてあまり自己主張もしない、そんな感じの人間だったと思います。ただ、いろんな経験をさせてもらえて。週のうち6日間くらいは習い事をさせてもらえていたので、今から思うと本当に恵まれた家庭だったなと思います。

ゆいぴ:
中学校に入ってからの生活はどうでしたか?

Toyomi Dubai:
中学に入って、演劇部に入りました。
人前で表現する楽しさを知ったのは、まさにこの頃です。
もっと舞台に立ちたい、もっと広い世界で表現したい。
そんな思いから、とある芸能事務所に所属することになりました。
でも、ただ待っていてもテレビには出られない。
中学生ながらに考えたんです。「どうしたらこの世界でチャンスが掴めるだろう?」って。
結果たどり着いたのは、“素人でも出演できる自慢コンテスト番組”でした。
誰でも応募できるような企画だったので、ここならいけるかもしれないと出演を決意。
パフォーマンスが予想以上にウケて、何度かテレビ局から呼ばれるようになり、グランドチャンピオン大会にも出場できました。
表現したいという気持ちだけで動いていたから、周りの目なんて全然怖くなかった。
でも、地味で目立たなかった小学生時代の私を知る人たちは、きっと戸惑ったと思います。
テレビに出た翌日、クラスでは誰も話しかけてこなくて(笑)。
ヒソヒソ声で「昨日見たよ」と言う子はいても、正面から話しかけられることはなくて、ちょっと浮いていたかもしれません。

ゆいぴ:
小学校の頃は自己主張をあまりせずおとなしかったとおっしゃっていましたが、テレビに出たり演劇をしたりするようになったのには何か理由があるのでしょうか?

Toyomi Dubai:
小学6年生にもなると、周りの子たちはテレビに出ているアイドルを好きになったりしますよね。
私も例にもれず、そのキラキラした存在に憧れていました。
「テレビに出たら、あのアイドルに近づけるかもしれない」
そんな思いが、私を突き動かしていました。
ゴールが見えたら、そこに向かって一直線。
今思えばちょっと痛々しいほどまっすぐで、でも、それくらい夢中だったんだと思います。

ゆいぴ:
高校生活についてお伺いしてもよろしいでしょうか?

Toyomi Dubai:
高校時代は、とにかくやりたい放題でした。
劇団と芸能事務所に所属していたので、放課後はすぐに舞台稽古へ。
毎晩帰宅は夜中、遅刻は当たり前。生活態度は決して褒められたものではなかったと思います。
でも、それでも私は表現せずにはいられなかった。
生徒会長をやったり、美術部に入って絵に挑戦したり——
自分の中にある表現のエネルギーを、どうにか外に出したくて仕方がなかったんです。
高校3年生のとき、ひとつの転機が訪れました。
舞台を降りたんです。
今でこそ「芸能界の闇」なんて言葉が広く知られていますが、当時の私も子供ながらにその複雑さを感じ取っていました。
この世界で生きていくのは、自分には難しい——そう感じて、舞台を離れる決断をしました。
でも、舞台は私にとって“存在証明の場所”でもあった。
だから、その代わりとなる新しい表現のツールが必要だった。
そして出会ったのが、写真でした。
授業中にシャッターを切っては作品を作り、また新しい「私の居場所」を探し始めたんです。

ゆいぴ:
高校卒業後はどのような道を歩まれましたか?

Toyomi Dubai:
高校を卒業したあと、そのまま外大に進学できる道が用意されていました。
でも私は、あえて受験という選択をしました。
理由はシンプルです。
英語を学ぶことが、自分にとって本質的じゃないと感じたから。
英語は、世界中の人が話せる言語。
フランス人も、韓国人も、アメリカに行けば5歳の子どもだって英語を話す。
そんな言語をわざわざ大学で学ぶのは、自分にとってナンセンスに思えました。
私は“地球”で仕事がしたかった。
そして、その地球の“本当の共通語”は、アートだと思ったんです。
だから私は、芸術を学べる大学——芸大に進むことを選びました。

ゆいぴ:
芸大での生活はどうでしたか?

Toyomi Dubai:
私がいたのは、作品制作ではなく「芸術を計画する」学科で、何かを創り出すことはせず、ものづくりよりもコト起こしを学ぶ場所でした。ニューヨークの美術館を巡る研修も楽しかった。教授の紹介でニューヨークのギャラリーでのキュレーターの仕事に挑戦したのは在学中、20歳の時でした。けれど、オーナーとの価値観の違いであっさり帰国。
その時、ふと気づいたんです。
芸能界も芸術界も、結局は大人たちが動かす“お金の世界”なんだなって。
私はそれに疲れて、「もう芸術について考えるのはやめよう」と思ってしまいました。
挫折というほど劇的ではないけれど、静かに背を向けた瞬間だったと思います。

ゆいぴ:
じゃあその時期にアートから少し心が離れて今に至るまでについて教えていただけますか?

Toyomi Dubai:
そうですね。いろんなことを経て、今に至る…という感じです。
芸能界も芸術界も、結局は“大人が作った社会”。その枠組みの中にいることに、私は次第に違和感を覚えるようになりました。だからこそ私は、旧来の構造に頼らず、自分自身で表現できる場所として「インターネット」という場を選んだんです。
ネット上でセルフポートレートやポートレート作品を発表していたら、雑誌や書籍のインタビュー、テレビの取材、写真集の出版と、次々に声がかかるようになりました。当時の私は、“縦社会”に疲れていたので、ネットというフラットな場で表現し、自分の居場所を見つけられたことが本当にうれしかったです。
写真家としては、セルフポートレートのほかにもメンズグラビアやファミリーポートレートなど、幅広く撮っていました。特に注目されたのは、女性写真家が男性のヌードを撮るという文脈。新しい切り口だったこともあり、多くの反響やオファーが届くようになりました。
でも、そのうちその“切り口”がどんどん過激になっていって…。
テレビ東京のバラエティ番組に出演したときには、岩井志麻子さん、中村うさぎさん、乙葉さんの番組で“面白枠”として呼ばれたのですが、いつの間にか“エロ寄り”のキャラにされていって、自分が「消費される存在」になっていく感覚がありました。
実際に、ラブホテルでグラビアアイドルを撮影するような企画の話もくるようになって、「あれ? 私はこういう存在になりたかったんだっけ?」と自問するようになったんです。
それで私は、メディアへの露出をやめる決断をしました。テレビに出る“おもちゃ”ではなく、アートの世界で表現者として存在したいと思ったからです。
次に取り組んだのは、花の写真でした。
けれど──メディア的なわかりやすさを手放し、思想を込めた表現に切り替えた瞬間、ぱったりと誰からも相手にされなくなって。
それでもよかったんです。自分の心の闇をそっと置いておける場所として、私はその静かな表現活動を続けました。

とはいえ、成果が出ないまま時間が過ぎていくと、次第に飽きも感じてきました。
「アートで生きていきたいのに、私は“写真”という手段だけに縛られていないだろうか?」
そう思って、2023年から絵を描き始めました。
絵筆を持ったとき、「あ、これでいいんだ」と心から思えたんです。
写真業界で感じていた閉塞感がするっと抜けて、創作する喜びを改めて思い出しました。
それからは“アーティスト”として、本格的に活動を始めていきます。
もちろん、絵の世界でもまた新しい壁が出てきます。
グループ展では、自分の絵が他の人より拙く思えたり、価格や集客数を比較しては落ち込んだり。
「私なんて取るに足らない存在かもしれない」と、また心が折れそうになる日々もありました。
でも、そうした葛藤や比較を乗り越えるプロセスこそが、「表現する」ことの本質だとも感じています。
そして──そうした経験のすべてが、アートランウェイに繋がっているんです。
「表現者が主役になれる場所を、自分で創ればいい」
そう気づいた私は、自分のために、そして同じように葛藤を抱える表現者たちのために、アートランウェイという新しい舞台を立ち上げました。

ゆいぴ: Toyomiさんにとって、ターニングポイントはどこかでありましたか?
Toyomi Dubai: 私にとってのターニングポイントは、“自分の表現が変わる瞬間”すべてですね。「何から自由になりたいか」を意識したとき、その気づきこそがターニングポイントでした。自分を縛っていた枠に気づき、それを脱ぎ捨てていく感覚。だから、私の人生はずっと“脱出”の連続なんです。アートランウェイもその一つで、既存のアートの枠組みからの脱出として始まりました。
ゆいぴ: なるほど。何か一つの大きな出来事ではなくて、小さな気づきの積み重ねが変化を生んでいったということですね。
Toyomi Dubai: はい、まさにそうです。よく「ターニングポイントは人生に一度か二度」と語られがちですけど、私の場合は、一つの人生の中で何度も衣装替えをしているような感覚なんです。役者をやって、セルフポートレートを撮って、カメラマンになって、写真家として活動して、今はアーティストとして、アートランウェイのプロデューサーとして。表現のフォーマットが変わるたびに、自分が変わり、世界の見え方も変わる。だからターニングポイントも、その都度訪れるんです。


未来:私は、常に“自分の真ん中から湧いてくるもの”を頼りにして進んでいます。たとえそれが理解されなくても、ちゃんと自分の衝動に根ざしているかどうかを大切にしている。そうじゃないと、表現する意味がなくなってしまうから。

ゆいぴ:
この先の未来を、何十年先まで、遠い未来を想像したときにどのようなイメージを持っていますか?

Toyomi Dubai:
まず目指しているのは、「アートランウェイ」をグローバルなアートパフォーマンスとして、世界各地で同時多発的に開催できる仕組みにしていくことです。
私にとって、アートランウェイを世界に広げていくことは“使命”だと感じています。
何十年後には、絵をギャラリーに展示するのと同じような感覚で、世界中の都市でアーティストがアートランウェイを開催している。
そんな風景を当たり前にしたいと思っているんです。

ゆいぴ:
アートランウェイは、実際の開催はもうされているのですか?

Toyomi Dubai:
はい、5月に大津で開催しています。次は7月6日(日)に東京ビッグサイト、と9月14日(日)は表参道、そして11月22日(土)には中野で開催予定です。

ゆいぴ:
最初に開催した時と次の開催に向けての気持ちの変化はありますか?

Toyomi Dubai:
私は「この世にまだないものを作りたい」といつも思っていて、だからこそ、第一回よりも第二回をどうアップデートするかをすごく考えています。
第一回の開催地は滋賀県・大津市。東京のような都市ではなく、知名度も高くない地方都市だったので、出演者を集めるのが本当に大変でした。大津市内の絵画教室を一軒一軒まわってポスターを貼ったり、直接会いに行ったりもしましたが、なかなか反応が得られず。でも最終的に、Threadsで出演者募集をしたところ、東京・愛知・和歌山・三重・岐阜・京都など、全国各地からアーティストが大津に集まってくれたんです。あれは本当に奇跡のような出来事でした。

次回は東京で開催します。東京は、出演希望者も多いので人を集める苦労は少ないかもしれません。でもその分、演出の質や企業協賛の獲得、メディア戦略など、新たな挑戦に力を入れたいと思っています。
アートランウェイは単なるアートイベントではなく、「一過性で終わらない芸術の記録と発信」を重視しています。公式写真集は世界に向けて発信し、大津での記録もNFT化して、グローバルなデジタルアートマーケットに展開していきます。
そして今は「アートランウェイマガジン A.R.M」というWEBメディアも立ち上げました。これからは「アートランウェイトーク A.R.T」も始めたいと思っています。アーティストが大きなスクリーンの前でプレゼンするトークライブです。より多様な思いが“体験できる”場を作りたい。
アートランウェイという名前を中心に、アーティストたちが自分の存在を証明できる舞台装置を、どんどん増やしていきたいと考えています。

アートランウェイマガジン


アートランウェイトークの様子

ゆいぴ:
そのバイタリティというか活動力というか、そういうものはどこから来ているんですかね?原動力みたいなものは。

Toyomi Dubai:
うーん、どこからって言われたら……私の奥底から、ですかね(笑)。
例えば「これは宇宙の使命です」って言うのもなんか気持ち悪いし、「みんなが求めてるからやってる」って言うと軸がブレるじゃないですか。だから私は常に、自分の内側から湧いてくるものだけを頼りにしています。
何かを始めると、いろんな人が「次はこんなのやってみたら?」とか「こういうのあったら嬉しい」とか言ってくれるんですよ。でも私は、そういう声はありがたいと思いつつ、採用するかしないかは自分の心がワクワクで震えるかどうかで判断します。周りの声に振り回されたら、自分の表現じゃなくなる。
自分の真ん中の源泉から湧き出たことしかやらない。それが自分にとっての唯一の羅針盤です。
ブレないから、走り続けられるんだと思います。

ゆいぴ:
アート関連以外に何かやりたいことやチャレンジしてみたいことって何かありますか?

Toyomi Dubai:
あります。実は私は別の名前で、覆面の占い師としても活動しているんですけど、そこでも共通して感じるのは「みんな、自分の使い方を知らなさすぎる」ということなんです。
料理の仕方やパソコンの使い方は学ぶのに、自分自身の扱い方は誰も教えてくれない。だから私は、自分を知るということをすごく大事にしています。それは“何が得意で、何が苦手か”という単純な話ではなくて、“どんなときに魂が喜ぶか”“どんな場所で輝けるか”という、もっと深い自己理解の話。
私はホロスコープというツールを使って、それを見つけるお手伝いもしていますが、アートランウェイも実は同じ問いに向き合っている場だと思うんです。
「なぜ、それを作らずにはいられなかったのか?」という問いを突き詰めることで、自分という存在の輪郭が浮かび上がってくる。
表現は、自己理解の先にあるもの。だから、どちらの活動も私にとっては同じ“存在証明”の実践なんです。

ゆいぴ:
気持ちや感情の面で、未来に向けてこうありたいという理想の姿はありますか?

Toyomi Dubai:
実は、今がもう私にとっての理想の状態なんです。
理想の姿って「こうなりたい」と思い描くものだと思われがちですけど、私の場合は「やりたいことをやれている自分」であることが理想。その意味で、今ちゃんと“自己一致”しているんですよね。
たとえば、アートランウェイを通じて国民栄誉賞をもらう、とかって話になってくると、それはもう“外側の評価”であって、自分にとっての理想とはズレてくる。
私は「自分の内側とズレていないか」をいつも確認しながら進みたいと思っていて、今はそのズレがない。だからこそ、この状態が続いてくれたら嬉しいし、それだけで十分だなと思っています。

ゆいぴ:
もしもの質問なんですけど、芸大に通っていた頃にアートから少し心が離れた時期があったというお話をされていたじゃないですか。もしそれが今に至るまでずっと離れ続けて、特に芸術やアートに関わらない人生を選んでいた場合、今やこの先どういう人生を歩むと思いますか?

Toyomi Dubai:
こう言うと強気に聞こえるかもしれませんが、私は、どの分野を選んでも成功できたと思っています。なぜなら、自分が選んだ道を「正解にしていく力」が自分にはあると信じているから。
たとえば、教育の道に進んでいたとしても、そこでもきっと成果を出せていたと思います。今回はたまたまアートという表現手段を選んだだけで、それも“正解にしている”最中なんです。

ゆいぴ:
具体的な話になってしまいますが、こういうことをやっていたかもしれないな、というような想像はされますか?例えば分野で区切った時に、芸術・アートという分野以外で、何か違うことをやっていたかもしれないという想像はできますか?

Toyomi Dubai:
うーん……たぶん、占いをやっていたかもしれませんね。実際、今も週に1回くらいやってるんですけど。
でも、どっちも本質は同じなんです。アートも占いも、「私はここにいるよ」って証明するための行為。
つまり、形が違っても、私はずっと“存在証明”をやってるんです。

ゆいぴ:
最後に言い残したことを聞いてるんですけど、いろいろ振り返ってみた上で言いたいことでもいいですし、この記事を読んでくださる方へのメッセージでも、インタビューの感想でもいいです。何かあれば最後にお伺いします。

Toyomi Dubai:
最後にどうしても伝えたいことがあります。
今回インタビューを受けた一番の理由でもあるのですが――「アートランウェイ」のことを、もっと多くの方に知っていただきたいんです。
参加するのも、見に来てくださるのも、どちらでも構いません。
一人ひとりが「自分の存在を表現していい」と思える場所が、アートランウェイにはあります。
ぜひ、Instagramをフォローしていただき、公式ウェブサイトを覗いてみてください。
きっと、あなたの中にも“存在を証明したがっている何かが動く”はずです。

Instagram
https://www.instagram.com/art_runway_/

WEB
https://art-runway.com/

X
https://x.com/art_runway

Facebook
https://www.facebook.com/profile.php?id=61576087423837

ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。

あとがき

昔ホテルのフロント・ロビースタッフとして働いていたことがあって、今でも機会があればまたホテルで働きたいと思っているんですけど。というか接客業が好きなんですけどね、そもそも。以前知人に、なんでそんなにその仕事が好きなのか?と聞かれたときに、「接客をしている時の私はいつもの私じゃなくて、”ホテルマンを演じている私”だからそれが楽しいのだ。」と私は答えたんですね。あれはきっと一種の存在証明だったのでしょうね。だから満たされていたのかな。

【インタビュー・あとがき・編集:ゆいぴ】

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