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できないことすごいいっぱいあるんですけどでも書くこととかそういう表現はしっくりくるっていうかもうそれがなかったら生きてけないかもしれない小説家志望の人

小説「野火」を書いた大岡昇平の創作論の最後にこんなことが書かれているんですね。「小説を書くという視点で人生を眺めるものは不幸です。しかし、いい小説が書けない時に真の不幸が訪れるので気をつけてください」と。
ばばばーん。ということで、コワイノウコワイノウ。ある意味今回、小説にとりつかれた人回です!
実は私qbcも30年以上小説を書いているので(あれは小学校六年生の時)、呪われ具合では一緒かなと思うのですが。
今回の参加者の方、20年も前に投稿していた小説サイトでニアミスしていた方(とゆうかお互い名前は認知しあっていた人同士)なので、ちょっとなつかしさもありますね。(まあインタビューしているのは私ではないですが)。
ともあれ、人生の過半数の時間を費やしたものがあるというのは、その人に取ってもうそれは、骨肉といっしょです。切れば言葉の血が流れだす。口を開けばプロットがまろびでる。DNAの中にはクリシェを隠している。生命の柱、人生の心臓です。
ところで私は、昔、色んな人たちが登場する小説を書きたかったんだよね。楽しかろうが苦しかろうが、誰もがその人のその人らしさを記したような物語が。
でも東日本震災の時に、物語は無力だなって思って何も書けなくなって。それは、人間の死が数値化されて、その背後にある一人一人の死がないがしろにされた(というかやむなくシステムに飲みこまれた)時、こりゃ自分の才能で書く小説じゃ人間全体なんかとうていカバーしきれんな、と、思って。(そもそも無理だって話に、ようやく現実が気づかせてくれたというか)。
だから、今、インタビューという形で人間一人一人に光をあてる活動をしている。
今日の無名人インタビューもよろしく楽しんでくださいませぇ!!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは マヒロ さんです!

現在:お金を得てるのは普通の会社員、事務員で、小説はもうずっとある意味、趣味で20年ぐらいやってますね

山田:今、何をされている方でしょうか。

マヒロ:お金を得てるのは普通の会社員、事務員で、小説はずっと趣味でやってますね。自分ではこんな25年ぐらいやるとは思ってもいなかったので。前に、初対面の方に20年も書いてるんですよみたいな話をしてたら、すごいですねって言われたんですけど。
自分ではよくわからないっていうのが正直なところで。

山田:普段はどのようなジャンルの小説を書かれているんですか?

マヒロ:「純文学」ってイメージで書いてる感じですかね。純文学っていうジャンルもね、突き詰めるとなんだかよくわからないんですけど。逆に言えば、ミステリーとかは書けない。

山田:どれくらいのページ数を書かれるんですか?

マヒロ:応募を意識したりすると、100枚ぐらいはないとダメっていうか。自分が最初に書いた26、27歳ぐらいの時は多分200枚ぐらいは書けてたと思うんですよね。でも、仕事しながらとか、年齢なのか環境なのかわからないんですけど、今は長いものはそんな書けなくなっちゃって,長けりゃいいってもんないんですけど今は、30枚でも40枚でも、これでいいかなと思ったら提出して、カルチャーセンターの教室にずっと通ってるんですけど、そこの先生と生徒さんに読んでもらってます。

山田:現在は、賞を取るのが目的ということでしょうか?

マヒロ:賞はずっと欲しいっていうか。教室でも賞とる人いるので、すごいなって思ってて。自分も若いっていうか、20年前とか、獲るぞ獲るぞって思ってたんです。でも賞をとるには、何か自分に足りないんだなって最近分かって。ずっと20年、書き続けてたわけではなくて、生活に追われてたらいろんなことに追われて、そんなに書けない時期もあったんですよ。ただ、書けない時期もあったにもかかわらず、また書こうとしてて、基本的には書くことはやめてなかったんだなって。そういう自分がなんでだろうっていうのは思ってて。教室の人だけじゃなくて、全然私のこと知らない人が読んでも面白い、純文学だけど面白いものとか、読んでよかったなって思えるものを、この年になってもう1回チャレンジしたいなって感じですね。

山田:カルチャーセンターは、どういったことをする場所なんですか?

マヒロ:私が教わってる先生は、1から書き方を教えるわけじゃなくて、とにかくあなたが小説だと思うものをなんでもいいから書いてこいみたいな感じで。で、あまり枚数制限もなく書いて、先生にメールで送るんですよ。印刷されて、教室で配られて、2週間後の次の授業までにみんな読んでくるんですね。それで感想を全員、時間がないときは全員は無理でも、とにかく前から当てて感想を言わせるんです。で、最後に先生がちょっとコメント言うっていう感じで。要は、小説はたくさんの人が読むものだから、先生だけの意見じゃなくて、いろんな人の意見を聞くという方法でやっているんです。

山田:題材は、先生が決められているんですか?

マヒロ:いえ、題材ってないんですよ。あんまり想像できないかもしれないですけど。
もしかしたら違う教室だったら、今回これについて書いてくださいとかあるのかもしれないんですけど。教室は小説入門ってクラスでも、入門じゃないクラスでも、先生が一緒だったら実はやってることは同じで。入門とか言いながらもプロっぽい人がいたりとか。先生には小説の書き方的な著書があるんですけど、もしどうしても書くことがない人は自分のことでもいいし、家族のことでもいいし、それを書いたらいいんじゃないですかっておっしゃってて。
だから、バリバリエンタメを書きたい人は別に書いてもいいし、雑誌に載ってそうな小説を書く人もいるし。でもそうですね、自分に関心のあるものについて書いてる人が多い。全然出さない方もいらっしゃるんで。ただ読むのが好きなのか、あるいは圧倒されて書けないのか。そこの教室は、完成したものを出す決まりなので、なかなか完成しなかったり、完成してなくても、もう自分の中でこれですって言って出しちゃう人もいるし。私もそうなんですけど。
まあ、自分と同じ等身大の主人公で書く方が書きやすいから、そういう風に書いてることが多かったですね。私は。

山田:カルチャーセンターでは、純文学を書かれていたんですか?

マヒロ:そうですね。先生が「海燕」っていう純文学の雑誌の編集長をやってた方なので。ただ、吉本ばななさんとかと関わりがある方なので、純文学かって言われると。吉本ばななさんは、独特の、もっとみんなに読まれやすい小説を書いてると思うんです。だから、先生自体もあんまりそんなジャンルに縛りはなくて。別に純文学じゃないとダメとか、そういうことはないんですよ。ただ、エンタメ系の人よりは、なんとなく純文学の方が小説を書き続けてる感じはある。特にバリバリエンタメっていうのはまた、別にそういう先生やクラスがあるので。私の居るクラスはなんとなく、純文学っぽいかなっていう感じはあります。

山田:マヒロさんにとって、感想を聞く時間はどのような時間ですか?

マヒロ:ほんと長年、カルチャーセンターに通ってるんで。私の場合、書いてる時間っていうのは、あんまり時間の感覚がなくて。むしろ感想を聞いてる時間の方がすごい印象に残ってるんです。書いてる時は、どんな感想が出るだろうと思いながら、とりつかれたみたいに書いてるから、あれなんですけど。感想言ってもらってる時は、特に長いこと居た教室だと、みんな私のこと知ってるんで、続きものみたいにみんな読んでるんですよ。私と等身大の人物が出てると、ああだこうだ言われたりするし、本当はこれいけないんですけど、自分のことを言われてるような気になっちゃって。そこは、まだ修行が足らないんですけど、きついこと言われると気にしてないって思いながらも、自分のこと言われたような気になっちゃったりとか。褒められると、別に自分も褒められてるわけじゃないのに、ちょっと嬉しくなっちゃったりとか。そういうとこは改めなきゃいけないなって最近気づいたんですけど。昔は、本当に感想に結構一喜一憂してました。

山田:なるほど。現在書かれている小説っていうのは、具体的にどのような内容なんですか。

マヒロ:自分も今年50歳になっちゃうんで、全然実感ないんですけど、別に50歳の人を主人公にしてもありだと思うんですけど、距離を取るために、いっそ若い人主人公にしようかなと思って。この間19歳ぐらいの女の子2人出てくる話を書いたんですよ。ものすごい好評で。ただ19歳の女の子にお母さんの存在がちょろっとだけ小説の中に出てきて、このお母さんが、なんとなく私をモデルにしてるっぽいなって気づいた人は、もちろんいるんです。そういう書き方もあるんだなって自分で思って。ちょっとこれ、公募に出すんで、あんまり中身言えないんです。主人公を変えたっていうのが最近、あれですかね、収穫というか。

山田:等身大を出さないようにしていきたいと先ほどおっしゃってたかと思うんですけれども、出すことによって、自分と重ねてしまったり、恥ずかしさみたいなところがあるからなんですか?

マヒロ:以前は逆で、別に自分をネタにして笑ってくれたらいいやって、すごいあったんですよ。ある意味、けなされたり褒められたりしても、私という人間が私を演じてて、それが色々言われてんだなって思ってるから、本当に傷ついて落ち込むかって言うと、そこはまた微妙だったんですけど。私という人間を使って、小説に書いて、それが切実な感じがしてもちゃんと小説としても成り立ってて、例えば金原ひとみさんの「蛇にピアス」とか、等身大に近い主人公が書かれてて、主人公の心の動きとかもちろん作家本人さんとは違うんだけど、でも結構年齢的には近いし、そういうリアリティーってあると思うんですけど。私の場合は、それを20年やってて、褒めてくれる人もいたんですけど、でも結局デビューできないとか、賞が取れないと、一次も通らなくなっちゃったっていうのはもう、自分の1つの芸が完結しちゃってて、飽きてる人は確かに飽きてて、カルチャーセンター専属作家みたいになって何か、そういうのもう嫌だなって思ってた時期もあったんです。もう1回最後頑張ろうかなっていう、等身大を書くことは否定はしないんですけど、また書いちゃうかしれないし、別に書くのがダメっていう禁じ手にしたつもりは別にないけど、でもずっとやってきたから、もっと違う風に書いてもいいのかなっていうか、そういうのは、ありますかね。

山田:お仕事と趣味は、どちらが中心なんですかね?

マヒロ:私、すごい転職歴が多くて。就職氷河期世代で、若い頃はめちゃくちゃ転々としてたんですけど、どっかで作家の生き方っていうか、群ようこさんっていう方のエッセイを当時読んで、すごい影響を受けてたっていうか。転職しても、それはいつかネタになるし、むしろ転職した方が楽しいぐらいな感じで、転職というより、派遣社員でいろんなとこ行っただけの話なんですけど。ただ、それでじゃあすぐ書けるかっていうと、全然書けなくて。あんまり仕事とは思ってないんですよね。ネタができて、お金もらえて、ラッキーって感じで。でも当然ね、食べてかなきゃいけないし、仕事で才能があったわけではないので、事務仕事が多かったので、時間はすごい取られちゃうので、もう会社の仕事以外は創作とか本とか読むとか、そっちに振り分けないと、小説書く時間ってのは意外と取れないし、逆に小説ノってきたから夜中まで書いちゃって、次の日眠くて死にそうとか、そういうこともあるし。なんだろう、会社員になってからは、そんな別にたいそうなことはしてなくても、頭の中は、キー!! てなる時もあるし、会社の事をそんなすぐにパッって小説書けるもんでもないし。事務以外の仕事してたこともあるんですよ、介護の仕事とか、小学校の先生の補助教員みたいなことやってたりとか。銀行のパートとかもあるし、仕事ってネタのためにやってたのかなって思うこともありますね。

山田:ネタは、小説のネタですか?

マヒロ:そうですね。自分の目を通して見る世界だから、取り入れれば使えるなっていうか。私、会社ってすごい面白いとこだなと思って。下手したら家より時間を長く過ごしていろんな人と関わって、家族とかより全然話してるような気がするので。小説の舞台っていうか、日本で会社員として、もちろん会社員じゃない方もいっぱいいらっしゃるんですけど、何らかの組織に属して働くっていうことをしてる人は多いと思うので、そういう人たちに読んでもらえたら嬉しいなっていうのは、あったかもしれないですね。

山田:なるほど。

マヒロ:私は小説を書くことで、もう1度現実を理解し直すみたいな側面がどうもあるみたいで、日記とかつけないんですけど、当時書いてた小説ってのは結構残ってて。パソコンに残ってたりするんで、10年ぐらいたって読み返したら、すごいもう、自分で忘れてた感情とか、仕事の様子がありありと書いてあって、もちろんそのままではないんだけど、ああ、日記よりすごいなって思ったことはあります。

山田:マヒロさんにとっては、小説は記録、記憶をする場所みたいになってたりするんですか?

マヒロ:結果としてそうなっちゃってて。それが自分にとってはいいのかもしれないけど、他の人に読んで、ましてお金払って読んでもらうとして、それを読む意義があるのかとか。
そこまで考えないといけないんですけど、プロ作家じゃなかったっていうのもあるし、要は子育てをしてたので、もうなんだろう、子育てってすごいっていうか、自分でも人生を生き直してみたいな感じで。そっちが仕事より軸が大きかったんで。小説書くことで生き直したり、色々思い出したりしたり、子どものことも、プライバシーは配慮して書くんですけど、子育てを通じて思ったこととか書いてるんで。世の中には同じようにちょっと生きづらいなとか、ちょっと感じ方が違うなとか、そういう人が純文学を読むって言っちゃいけないんでしょうけど、純文学書く人たちっていわゆる売れ線の本とはちょっと違うものを読む人たちに向けて書きたいっていうのは、ちょっとどっかあって。そういう人たちが読んで、例えば子育てして辛いなと思ってても、自分が書いたものを読んで、もしかしたら楽に思ってくれたらいいのかなとか。

山田:書けない時期はどういった感じだったんですかね?

マヒロ:カルチャーセンターの先生も言ってたんですけど、いきなり書いてもダメ、本を読むから書くんだっていうのが先生のスタンスなんですよね。読書をしないところにいきなり創作がぽって出てくることはなくて、特に純文学の場合、みんな色々古典とか名作とか、あるいは最近の小説とか、そういうのを読んだからこそ自分も書くっていうのが、創作のサイクル、って言われてて。書けなくても読めればいいかなってのもあったんですけど、読むこともできない時期が結構あったんですよ。
本屋さん行って、銀座の蔦屋書店だったんですけど、すっごいいっぱい本があって、漫画もいっぱいあるんですよ。でも全然刺さってこなくて。学生の時とか本好きだった時は、もう本屋行ったら本が呼んでいるんです。この本買おうかなみたいな。でも何買っていいかわかんない、何が読みたいなかんないで。何が読みたいのかわかんないってことは、もう何が書きたいのかもわからないっていう感じで。自分の等身大を書くのに限界を感じてたのかもしれないし、限界を感じて別に小説のために転職するわけじゃないけど、転職したらまた新しいこと書けるかなと思って。でもなんだろう、仕事って大変だし、小説もそんな毎回、ずっと書いてるから、何書いていいか。あと、人間関係とか、そっちの方が大変だったりとか。そうですね、カルチャーセンターで上手に書いてる人とか、若い人とか色々見てると、自分もなんでもいいんじゃないかとか。今、振り返ると、もしかしたら更年期っていう言葉で片付けたくないんですけど、人間って結構体調に左右されるっていうか、ホルモンバランスかわからないですけど、これで落ち込んでいたのかなとか。ちょっと自分で原因はわからないですけど、そんな感じでしたね。

山田:当時は本を嫌いになったりなどは、なかったですか?

マヒロ:嫌いではないですよ。本当は読みたいのに、どう関わっていいのかわかんなかったり、ちょっと子供のこととかで悩んだり。自分の進路っつったらおかしいんですけど、この先、どうやって生きてったらいいんだろうみたいな。自分に迷いがあって書いてもいいと思うんですけど、生活とか、人生に迷いがある。そういう時に、書くことはちょっと二の次になっちゃうってのがあるかもしれないですね。

過去:学生の時とか本好きだった時は、もう本屋行ったら本が呼んでいるんです。

山田:子供の頃はどのようなお子さんでしたか?

マヒロ:子供の頃は、ちょっと人とは違うっていうか、ボーっとしてて、でも、ぼうっとしてるだけじゃなくて、結構おしゃべりで、すごい他の人に自分を見てほしいとか。記憶がはっきりしてないんですけど、授業中わかったって思うと、はい!はい!みたいな感じで、手をあげて、勢いよく発言するとか、今で言うと、発達障害とか、ADHDとかそういう部類に入れられちゃうと思うんですけど。自分、小学校から女子校だったんですけど、こういう言い方は良くないんですけど、お嬢さん学校だったのかなって思うんですけど、なんで入れたんだろうっていうぐらい、周りと全然折り合いがつかないんで。とにかく高校まで一緒だったんですけど、みんなすごい女の子らしいか、もしくはかっこいい男の子みたいな女の子がいるんですけど、もうどっちにもなれないし、すごいふつふつとしてましたね。

山田:人と感じ方が違うとか、周りと折り合いがつかない時は、どうされてたんですか?

マヒロ:少数派の友達もいて、話をする人もいないわけではなかったんですけど、あとあと、そういう子たちが本を紹介してくれて。あと、習い事とかで出会った別の全然普通の公立の学校の子が、小説を紹介してくれて。星新一のショートショートだったんですけど、すごいそれに夢中になって。その時から、本があればいいや、みたいな感じで本に助けてもらいました。

山田:自分の世界で本を読む時間が多かったんですか?

マヒロ:はい。それから、不器用で左利きだったので、1年生の時に強制されて右で書けとか言われたのもすごい嫌だったし、家庭科の時間とかでもみんなスカートとかきれいに作れるのに作れない。全然作れなかったんで、編み物やっても指から紐がひょろひょろって出ちゃって、なんでこんなにできんだろうみたいな感じだった。だけど、本を読むっていうのは、平等っていうか。感想文を書くとか、そういう学校的な読書は嫌だったんですけど、たまたま星新一のショートショートがすごい面白かったんで、読破したみたいな感じで、ですかね。そっから派生して、いろんな本を読むようになりました。

山田:お友達と自分を比べたりはされましたか?

マヒロ:少数の友達とはそこそこ楽しくはやってたけど、比べるっていうか。女子校特有の今で言うほどすごいいじめじゃなくて、ちょっとしたからかいだったんでしょうけど、いじめにあったんで、すごい嫌だなと思ったし、でもあんま比べたりはしなかったかな。別に編み物できねえよみたいな。こういうのできないやって気持ちがあったんです。できないことで、すごい卑屈になったつもりもなかったんですけど、ただエピソードとして、枕カバーを作るっていう授業があって、家庭科で下絵を書くんですよ。枕カバーにチャコペンシルで書くじゃないですか。一生懸命書いて、でも薄くて自分的には見えなかったんで、子供のすごい発想ですけど、見えないなとか言って、マジックで書き出したんですよ。私、もう何考えてたんだってすかね。マジックで書いて、上から糸でこうやって縫い固めて、それでぐちゃぐちゃになって、もういいやこれとか言って、私の記憶にあんまないけど、布ぐるぐるに丸めたものを帽子に詰めて、リビングに置いといたらしいんです。で、母がそれを見つけてなんだろう。これ、引っ張り出してすごいびっくりしたらしくて、母が全部作り直してくれたんですよね。そういう風にやったんで、もうそもそも人と比べる以前の問題っていうか、逆に多分人の目をほとんど意識してなかったみたいです。ちょっと変わってたんでしょうね。言ってて恥ずかしいんですけど、そういうエピソード色々あります。

山田:マヒロさんのお母様っていうのは寛容な方なんですか。

マヒロ:母はなんでもできる人だったっていうか。今もいるんですけど、母はスチュワーデスだったんですよ。子供の頃、スチュワーデス物語っていうドラマが流行ったぐらいで、ものすごい花形職業で、すごいっていう感じで、なんで私の親は、そんなことができるの、私は、この人から生まれたのかなっていうぐらい色んなことやってて、幼い頃は結構洋服作ってくれたり、ケーキ作ったり、すごいスーパーお母さんって感じだったんですけど、でもある時期、自分で仕事を始めて、インテリアコーディネーターになったりとかしてて。
だから、自分とかけ離れた次元の人だって思ってました。今でもそうかもしれない。寛容かっていうと、いわゆる自分の子供に向ける母性とは、ちょっと違うんですよ。母は、多分やりたいことがすごいいっぱいあって、私に手間暇かけてくれたんですけど、私はこういうちょっと変わったとこがあるし、こんだけ本が好きなら、こういう文芸を小説を書く大学とかあるよって連れていってくれたのも母だったんですけど、めちゃめちゃ手をかけてもらったかって言うと、世間の母性とはちょっと違うかもしれない。すごい厳しい面もありましたし、ちょっとね、自分に正直な人だし、未だに両親のことよくわからないです。もう一緒に住んでないってのもありますけど。

山田:ご両親のことはよくわからないっていうのはお父様も?

マヒロ:そうそう、わからない。仕事で忙しくて家にいなかったっていうのもあるし。まず、2人とも仕事が結構忙しそうだなって。私は行動で示すんです、本を読むとかして。するとこの子は本が好きなんだとか、そういうのはわかってもらえてたんですけど、親子で顔を突き合わせて話した覚えがあまりないんです。すごい優秀な人たちが家にいるっていう感じ。会話が少ないのか、未だにちょっとよくわからないんですけど、LINEとかすごい来るんですけども、LINEもあくまで母がやってることの報告なんですよ。こんな絵を描いたとか、外国に行ったとか、こんなすごいものを見たとかで、こっちが、ちょっと自分の話をしてたり、こういうのどう、とか言っても、そこはスルーされちゃって、不思議な人たちだっていうのはすごいありますね。まあ、そこが似ているのかもしれませんが(苦笑)。

山田:子供の頃と今では、どちらの方が楽しかったですか?

マヒロ:高校までは、本はすごい楽しかったんですけど、本以外の世界は正直、何もいいことはなかったって言ったらないんです。もちろん本当に何不自由なく育ててもらって、大学まで行かせてもらってっていう諸々の出来事に感謝してるんですけど、公立の小学校ってすごい憧れがあったんで、自分の子供が普通に公立の小学校入って、公立ってこうなんだなみたいな感じだったんですね。それで人生を生き直した感があったので、楽しいっていうか、自分らしい人生だったかなって。過去形が変ですけど、今の方が全然自分で自分の手に取り戻したって感じはありますねは、今、子供時代に戻りたいとかは全然ないですね。

山田:そうなんですね。

マヒロ:大学は楽しかったかな。ただ、高校までがちょっと特殊環境で、あんまり人との交流を学んでこなかったんで、大学で初めていろんな人と交流しました。だから自分が幼いなって振り返ればすごい思うんです。今もう50歳だけど、今別に18歳で、もう1回やり直してもいいかなって思うぐらい、特殊な学校で育つってのもぴったり来る人もいっぱいいるんでしょうけど、私には向いてなかったなって。別に恨む気は全然ないんですけど、お受験とかどうなのかなって私個人的には思いますね。

山田:小学校、中学校、高校はエスカレーターで進学したんですか?

マヒロ:そうなんです。だから、自分の子供を見てて、高校受験はすごい必要だなと思ってて。もちろん今、東京は中学受験が多いんでしょうけど、高校ぐらいで1番進路を考えて、ちゃんと受験して決めるってのが1番いいんじゃないかなって。私は高校受験をやってもいないのに、こんな無責任なこと言っちゃいけないのかもしれないですけど、子供見てて思うのは高校受験ってすごい大事だなって思いました。

山田:お子様やご家族は、マヒロさんのことをどのように見られてる、おっしゃっていますか。

マヒロ:家族は2人ともいわゆる典型的理系な方々なんで、マヒロは好き勝手に文学やってるっていう印象だと思います。家で一番賑やかなのは私で、他の2人はシーンとしてるんでどう思ってるのか、よくわからないです。私のことがよくわからない人と家族になるっていう運命なのかもしれないですね。だから、割と家の中で孤独かもしれないです。

山田:孤独感を、小説にぶつけてるみたいなところはあったりしますか?

マヒロ:そうかもしれないですね。もしかしたら、孤独感があったから20年続いたのかもしれないですね。そうかもしれない。すごい。今気づきました。

山田:大学生になられた時は、どのような学生さんだったんですか?

マヒロ:文学部に行って、創作とかがある学科だったんですけど、ただ、創作の学科に入るには、1年の成績で決まるんです。私、英語が全然他の人よりできなくて、クラスの巡り合わせもあって英語で単位を落として創作のクラスに行けなかったんですよ。それはすごいがっかりだったんですけど。創作のサークル、あと山登りのサークルとかも入りました。12年間で6、3、3で12年だから、12年間の女子校の悔しさじゃないけど、もう大学の4年間で全部発散したからって感じはあるんですけど、でも、周りからしたらちょっと子供っぽい学生だったと思うし、あと12年間男の子がいない環境だったんで、彼氏がいた人とか色々いるんかもしれないですけど、今みたいにスマホもネットも何もない時代なんで、大学入って急に男の人に会って、どういう風な距離感を取ればいいのかとか、難しかったですね。本当は彼氏が欲しかったけど、できませんでしたね。そこが1番心残りかな、みたいな。

山田:山登りのサークルですか?

マヒロ:たまたま勧誘してくれた人がいて。私は小説のサークルに入ることが決定してたんですよ。でも「山やらない?」て言ってきた人がいて。向こうは多分勧誘で言ってるんですけど、私は「え、この人、私に声かけてくれた」みたいな感じで。勘違いして、ま、勘違いだけじゃないと思うんですけど。
そっから恋愛になるのかなと思ったらならなくて、色々すれ違いがありました。今思えばお笑いのような話なんですけど。

山田:異性との関わりがなかった12年間から、お子さんが産まれるまで、どういった流れになったんですか?

マヒロ:大学の時に叶わなかった恋愛っていうのは、ずっと引きずってたんですよ。で、引きずりがてら、色々やけになって、すごい年上の人と付き合ったりして。それで、このままじゃダメだとか思って、大手の結婚情報サービスに入ったんですよね。自分の力では見つけられないと思って。まだ当時27歳ぐらいだったんで、結婚情報サービスに登録に行ったら「いくらでも選べますよ」みたいな感じだったんで。選べるって言い方、すごい嫌ですね。ただ、自分は男性から選んでもらえなかったとか思ってる部分もあったんで、そっか女性から選べるんだ、みたいな。実際は選べないんですけど。自分が選んだ人が応えてくれなかったら終わりなんですけど。でも当時100人ぐらいと会ったなって自分では思ってます。実家に帰るくらいなら結婚したいってのはすごいありました。で、自分はもうその時から小説を書こうって決めてたので、環境に合致する人を探してました。だから、逆に相手は小説を読む人だとめんどくさいっていうか、小説書く人とか読む人の恋愛はうまくいかないとか、そういうのにも疲れてたんで、もう全然真逆の人、なおかつ相手にも趣味があって、私の趣味に口出ししない人みたいな。だから、自分で家庭で孤独だとか言って、あれなんですけど、自分で選んだ人なので、孤独も何もないんですけど。そういう形で結婚しましたね。だから、うまくいかなくなって色々あったんですけど。

山田:もしも、小説や12年間の女性だけの生活っていうのがなかったら、どのような人生になってたかなと思いますか。

マヒロ:公立の学校に行ってたら普通にうまくいった可能性もあるし、でもどんくさいからこいつうざいとか言われてた可能性もあるし。ちょっとそこはわからないんですけど、でも今もそうなんですけど、男の人と話してる方が気が楽っていうか、話が合うんですよね。そこで仲のいい男の人とかとわいわいできたら、もしかしたら小説書いてなかったかもしれないし、あるいは書いてたかもしれないし。別に決めつける気はないけど、男の人の友情がすごい私、羨ましいなって思ってるところがあって。楽しそうだなって。男の人で私とうまく気が合う人が公立で見つかればいいんでしょうけど、もしかしたらもっと小説以外のことやっちゃったかもしれないですよね。

山田:なるほど。

マヒロ:演劇とかそういうのやりたかった時もあったんです、でも、一方で大学入った時、演劇やろうかなと思ってたら、演劇のサークルに入ると、5年生、6年生は覚悟らしいよって人から聞いて。それはやばいなってやめた経緯もあるし、あと中学校の時に演劇部にいたんですけど、女子だけってのもあるんでしょうけど、すごい個性の強い人の集まりなんで、揉めるんですよ。揉めて1回、文化祭の演劇がぽしゃったことがあって演劇部やだなって思ったのもあるからなんですけど。そういうのもあって小説書いてたかもしれないけど、自分がしっくりくるパートナーがいたら、小説書いてない可能性もあります。パートナーがいないから書いてるわけじゃないんでしょうけどもね。人の応援する方が好きなんですよ。作家さんの応援したりとか、学生の時も好きだった人っていうのは、ずっと小説を書いてた人だったので、うん。この人が作家になるためなら私はなんでもするわ、ぐらいに思ってたんですよ。

山田:自分が書かなくても、応援する立場ですか。

マヒロ:作家の奥さんに憧れてたかもしれないですね。

未来:そんな隅っこばかりではなく、ちょっと世に出たいっていうか、人に読まれたい。

山田:5年後10年後、あるいは死ぬ時にどう思われていたいですか?

マヒロ:ちょうど50歳の年なので。自分の中でね、作品をちゃんと今と違う、もちろん今の私の延長なんだけど、世に出たいっていうか。人に読まれたい、カルチャーセンターの外に出たいってのはあります。でも、それが叶わなくても、作風が変わればカルチャーセンターの中の人もわかってくださるので、そういう今の状態が持続してったらいいなって。

山田:小説の話もそうですし、演劇の話もそうですけれども、自分で表現するっていうことがすごくマヒロさんにとって大切な部分だったりするんですか?

マヒロ:そうですね。たとえばですが、料理ができなくはないんですけど、自分の思ってる以上に、周りから私は料理ができなさそうだと思われて、実際できない部分もきっとあるんでしょうけど、意外と作れるんですけど、でも作れないということにして、作る方にあんまり神経を注いでないと思うんです。料理得意とか語学がすごいできるとか、そういうのに特化してないし、化粧とかも上手にできなくて、ほとんどすっぴんなんですけど、化粧がきちんとできるとか、そういうことができない代わりに書いているっていうのはすごいあるかもしれないですね。代わりにやってるのかな、できないことすごいいっぱいあるんですけど、でも書くこととかそういう表現はしっくりくるっていうか、もうこれがなかったら生きてけないみたいなの、あるかもしれないですね。

山田:できないことを得意なことで補っているといった感じでしょうか?

マヒロ:ただ、一方で、会社にもあんま向いてないと思うんですけど。母親業もそうかもしれないです。何もかも、私はこれできないからやらなくていいのよ、みたいな、そうは思ってないんですけど、できることは頑張ってやりたいし。小説の教室の先生も言っていましたが、社会生活がちゃんとできる人の方が、そういう言い方ではないかもしれないですけど、いい小説は書けるっていうか。要は、人に挨拶するとか、基本的なことがちゃんとできる人じゃないとだめで、「俺は変人だ」みたいなことを自慢するような人は、まだまだね、みたいなことを書いてたような気がするんで。それはすごいわかるんですよね。
自分はいかにも変な人です。特異で変わってて、普通のことができない。そういうことを威張るつもりは全然ない。そこはすごい謙虚でいたいなと思うんですね。

山田:今後の人生で、周りの方からどう思われていたいですか。

マヒロ:周りにこう思われたいってのは、そんなにない。もし私の将来書く小説を読んでよかったなって、自分が小説から得たものを恩返ししたいってのは、すごいあるんですね。小説読んで、ちょっとでも生きるのが少し楽になったり、生きづらさを感じてても、でも自分でもいていいんだみたいなのとか、これから世の中どうなっていくんだろうと思うんですけど、私の小説を読んでくれた人が、読んでる間、よかったなって思ってくれたらいいなっていう。そういう意味でどう思われたいとかはあるんですけど、私個人に関して、この人素敵だわとか、あんまりそういうのは、もうどうでもいいかなって良くも悪くも思ってますね。

山田:なるほど。

マヒロ:あんまり人の目を気にしない方が、たまには気にするんですけど、もう気にしてたらしんどいじゃないですか。あんまり気にしないようにしてますね。そういう、気にしなくても済むような人のところに行くようにしてます。うん、あえて苦手なとこにはいかないです。

山田:お墓に持っていきたいものとかありますか? 物でも事柄でもなんでもいいんですけど。

マヒロ:あんまりね、ないですね。そういうのはないですね。別にお墓に自分が書いたもの一緒に棺桶に入れて燃やしてくれとか、そういうのはないですね。あんまり気にしてないっていうか。自分が持ってるものは、なるべく循環させた方がいいのかな、ぐらいに思ってる時もあるので。死んだら残んないしみたいな。死ぬまで頑張るしかないし。死んだら、ま、何もないけど、身内にはね、何か色々残さないといけないんでしょうけど。あんまりそこまでは考えたことないですね。

山田:マヒロさんは自分の軸と言いますか。自分のやりたいことをやる、苦手なことはやらないっていう生き方をされてるのかなと思いました。

マヒロ:そうですね。1日24時間しかないから、この話したらドン引きするかもしれないですけど、例えば普通、日本のお母さんって、3食きっちり作るじゃないですか。それやってたら多分、小説書けないんで。まず、お弁当作るときに冷凍食品ものすごい使ってました。それから、介護の仕事やってた時に、宅配弁当って存在を知って、めっちゃいいじゃんとか言って、結構使ってたんで、生協も使うし、1からご飯を作るっての、本当に自分がやりたい時とか食べたいものある時はやるんですけど、誰かに食べさせたりとか、そういう時はやるけど、うちの家族たちは食に対してのこだわりが少なめなので、そういうところで省力化しています。日本のお母さんは、そんなにお弁当きっちり自分の手で作ろうとか、夕ご飯全部手作りしなきゃいけないとか、もちろん手作りの良さもあるし、作ること自体が楽しいんだったらやったらいいと思うんですけど、義務的に自分をすり減らしてやんなくていいよって、すごい言ってあげたいと思う時はありますね。

山田:うんうん。

マヒロ:小説教室でも、料理の場面とかに気合入れてる人がいたり、私の小説を読む人に、出来合いみたいなもんばっかり食べてるからダメなんですよ、とか言って、いきなり言われたことがあって、……ここに書いてあることはイコール私のことじゃないんだけど、とか思いながらも。すごい、料理の呪いじゃないですか。ルーティーンで料理するって、すごい。たまに旦那さんが全部作るっていう人もいるみたいだから、それはそれでいいんですが。女の人をもうちょっと家事から解放した方がいいって思うことはありますね。ちょっと話がずれちゃいました。そういう時間に、私は本読んだりとか、もちろん、それがうまくいかない時は、料理とかやって全然いいと思うんですけど、私が3食作らなきゃって思ったことはないですね。

山田:最後に、言い残したことはありますでしょうか。

マヒロ:そうですね。料理の話を聞いてみんながどう思うかわかんないんですけど。若い女性の方でも、若くなくても、もし私の話を聞いて、同感してくれる人がいたら嬉しいなと思います。別に、料理を否定してるわけではないし、料理は嫌いではないんですけど。

山田:ありがとうございます。

あとがき

今回のインタビューはいかがですか?
インタビューさせていただく中で、マヒロさんの力強いエネルギーや芯の強さを感じました。本が好きな点や幼少期の人間関係の築き方など共感する部分が多く、ついつい脱線しそうになりました。ネタ作りのため、転職をされていたり、等身大の自分が小説内で登場する、結婚相手の決め方などマヒロさんの生活にはきっと小説は欠かせないのですね!
長年続けたいと思えるほどの好きなことがあるって、人生豊かになる気がしますし、ステキすぎますね!!!
小説を書けない時期を時期を乗り越え、現在はふたたび小説を書かれています!
マヒロさんの小説が世の中に出回ること、とても楽しみにしています!!!

インタビュー・編集担当:山田紀美

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #小説

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