先の生活が全然定まらないし見えないし1人も気楽だから1人でもいいのかなと思うけどもうそれは嫌なので誰かと幸せな人生を残り送りたいなって思う離婚調停中の50代の女の人
史上初、(主催:qbc)
今回ご参加いただいたのは J さんです!
現在:人っていろんな顔を持ってるんじゃないかなって思うので。出会う相手によって、何か自分もすごい違ったりとかするなっていうのは、よく思ってて。
qbc:今、何をしている人でしょうか?
J:派遣社員で、普通に9時から17時で働いています。今年の1月から行ってる職場なので、まだ半年ぐらいですね。
qbc:仕事しなくていいんだったら仕事したくないですか?
J:結婚したときにそう思ったんですけど、やっぱりちょっと専業主婦が合わないなって、社会に出たいっていう気持ちもあるので、やっぱり仕事が好きなんだなって思います。人と関わりたいし、何か社会の役にどこかに立ちたいみたいなのはあります。
qbc:仕事以外で趣味はありますか?
J:実は今、大阪に住んでるんですけど、再婚をきっかけに秋田から出てきたんです。
まだ大阪に来て1年半ぐらいしかたってない状況なんですけど、結婚生活も1年足らずみたいな感じで、まだ離婚はしてないんですけど、1月に別居して、今は初めての一人暮らしをしているみたいな感じ。見ず知らずの場所で一人暮らしして仕事して…。
qbc:大阪の生活はいかがですか?
J:楽しいです。
来たときずっとコロナだったのでどこにも行けなかったし、主人もあまりお酒も飲まない人ですし、どっかで美味しいものを食べて~みたいな楽しみはなかったんですけど、前の職場で知り合った女の子達とすごく気が合って、毎月のように飲み会を開催していてすごい楽しいです。
qbc:では、趣味っていうとお酒ですか?
J:ただただお酒飲みながら美味しいものを食べて、みんなでワイワイ楽しく話しするのがすごく好きなんです。今日もこれから行くんですよ。今日は宅飲みで、友達のお家で。
qbc:どんなところが楽しいですか?
J:気の合う仲間との時間が楽しい。自分の普段思ってることとか考えとか、もちろん仕事のストレスとか、もう何でも女同士で話せるところってのは、やっぱなかなかないかなと思うので。すごい貴重な友達ができてすごい楽しいです。
qbc:Jさんは、人からなんと言われることが多いですか?
J:すごい明るい。いつも笑ってるとか、そんなふうによく昔から言われました。
あんまり何も考えてなさそうとか。全然そんなことないんですけどね。
qbc:ご自身ではどういう性格、どういう人間だと思いますか?
J:多重人格だな、と思ったりすることはよくあります。人っていろんな顔を持ってるんじゃないかなって思うので。出会う相手によって、何か自分もすごい違ったりとかするなっていうのは、よく思ってて。
qbc:今のお仕事は楽しいですか?
J:まあまあです。最近ちょっと残業できつくて。なんかしんどいなって思いますけど、やりかけたことは結構やりたいんですよね。とことん、っていうのがどっかにあるので。
ただずっと大阪にいたいのかっていうと、そういうわけでもないので。ちょっとその辺で今悩むところもあります。多分長くはやれないんだろうなと思いますけど。
前職とそんなに大きく変わらないし、以前住んでいた秋田でしていた仕事と共通するところもあるので、秋田に戻ってもまた同じ職種で頑張れるのかなっていう気持ちはあります。
qbc:今、一番興味、関心があることって何ですか?
J:なんなんでしょうね。何もないです。
qbc:お仕事は、どういうところが楽しいですか?
J:前の仕事もそうなんですけど、コールセンターにいて、ロードサービスを専門にしていて、誰かの役に立てる仕事。そこにすごくやりがいを感じていたので、共通して、やっぱり直接誰かの役に立ってるなと思えるような仕事が結構好きなんだと思うんです。
今も電話でお客さんと接する仕事ではあるんですけど、誰かの役に立ってるなあって感じるのがすごく少ないっていうか。だから、やりがいとか、楽しいかって言われると「はい」とは言えないかな。
qbc:趣味は、お酒以外に何かありますか?
J:本当にないんですね。全然これっていうのがない。これが好きとか、すごい何か続けてることあるかっていうと、そういうのもないですし。とにかく人と関わることが好きなだけで。
子供がいるので、子供ことを考えてることが多いですかね。
qbc:子供は何歳ですか?
J:24歳と、22歳。長女は東京から秋田にこの春戻って、今無職ですけど社会人です。
次女は大学生で、岩手にいます。秋田に戻るまでは、長女も一人暮らしで、みんなそれぞれバラバラに1人で生活してるみたいな感じです。
下の子が、岩手の大学の医学部に通ってるんです。その子のことが今結構いろいろ心配というか、年がら年中心配はしてます。
qbc:お姉ちゃんは秋田に戻られて、誰と暮らしてるんですか?
J:おばあちゃんですね、私の母です。私の実家にいます。
qbc:お子さんたちについて、どんなことを考えているんでしょうか?
J:上の子が小学校1年生になる頃に離婚してるので、そこからずっと母子家庭で育ててきて。でも意外と、我ながらというかすごくしっかりした娘たちになってくれました。
心配っていうのは、下の子がただただ勉強、進級できるかっていう心配をしていて。
この子が医大に入ったっていうことが、私の人生の中でも、目が飛び出るようなことで。
親2人とも高卒ですし、周りにお医者さん関係は全くいないですし、医療関係者もいないですし、その中で娘は小学校の頃からなりたいっていう、何か強い意志をもっていました。
でも頭もさほど良くなかった。けどすごく真面目で意地のある子で、もう自分の決めたことは絶対やりたいみたいな。この頑固さだけで入ったような。感じです。あとは運ですかね。
この話を昔流行ったビリギャルみたいだねって、よく話すんです。なんか漠然とね、うちの子も映画になったらいいななんて思ったりして。
それぐらいとぼけた子で、こんな人が医者になっていいんだろうかみたいな子なんです。
qbc:はい。
J:ビリで入ったんですよ今の大学に。後に先生から言われたって言ってました。だけど落ちこぼれることもなくコツコツ勉強して、留年することもなく無事に今4年生っていうところまで来ました。
qbc:いつ頃からお医者さんになりたいって言ってたんですか?
J:本人曰く、小学校4年生の時に。
父親方のおじいちゃんが亡くなったんです。下の子が生まれたときからずっともうおじいちゃんと一緒に住んでいたので、大好きだったんですよね。
そのおじいちゃんが亡くなったことがすごくショックだったらしくて。何もできない自分にショックを受けて、医者になりたいと思ったっていうのは聞いたことあります。
その後、ドラマの影響でドクターヘリに乗りたいと、ずっと言ってました。
qbc:それからずっと勉強してたんですか?
J:高校が文武両道だったので、とても部活やる余裕ないんじゃないのって言ったんですけど、小学校の頃からずっとバスケットをやっていたので、高校に行ってもバスケット部に入り、小中高、そして今もやってます。
高校に入ってから塾に通ったりして勉強しましたけど、全然引っかからなくて。センター試験受けた時点で、もう彼女は諦めたんですよね。もう2次試験は受けず浪人するって。もちろん母子家庭なので全くお金はないし、本当にどうしようかと思ってたんですけど、彼女がもう絶対折れないんですよね。看護でいんじゃないのって何回も言ったことありますけど、その度に喧嘩。大喧嘩しながら、娘の意思をどうすれば叶えてあげられるんだろうなって、親なりに真剣に考えて。
qbc:はい。
J:1年留年したんですけど、予備校のお金もないので、秋田で宅浪するってことも考えたんですけど、それでは絶対医学部には入れないと思ったので、おばあちゃんと私でお金をかき集めて、東京に出しましたね。
東京に一緒に予備校の視察に行って、どこがいいだろうかと2人で3ヶ所回って、3ヶ所目の医学部専門予備校で、ここだって思って決めましたけど、すっごい高かったです。
だけど、そこが当たりだったのか、本人もひたすら頑張っただろうし、先生たちも良かった。大学は結局推薦で入ったんです。私立の医学部に、推薦でなんとか潜り込めたというか。
予備校の先生たちも、人生全部の運を使い果たしたんだから事故に気をつけろ、とか言うぐらいすごいびっくりしてたみたい。
qbc:予備校は、寮?
J:いえ、寮なんか入れるお金もなかったので、少しでも安いところを探してシェアハウスに入れたんです。1軒家の4部屋しかいない、ちっちゃい古いシェアハウスで。
そこできつかったのが夏頃に「ゴキブリが出たー」とか「玄関前に猫がいて家に入れないよー」って大騒ぎして泣きながら電話してきたりして。なのでシェアハウスから東京にいるお姉ちゃんのワンルームにもう無理無理住んで。帰って寝るだけだったので、お姉ちゃんには我慢してもらいました。
そんな感じでお姉ちゃんにも協力してもらって。半年シェアハウス、半年おねちゃんと一緒、みたいな。
これにはホント助かりました。
過去:私すごい自由になりたいって思ってて、小さい時から。そういう生活だったからだと思うんですけど、自由が欲しい自由が欲しいってずっと思ってた。
qbc:子供の頃は、どんなお子さんでしたか?
J:子供の頃はもう今と全然違う。
親も再婚していたので、母は私の母で、父の連れ子が一つ上の兄で、2人の間に生まれた弟がいて、6人家族でした。
ちっちゃい頃は父方の明治生まれのおばあちゃんもいて、すごく厳しいかった。おばあちゃんにものすごくいじめられた記憶がある。父は長男ではない末っ子だったのに、なぜかおばあちゃんついてきてたっていう。
qbc:お父さん方のおばあちゃんと同居してたんですか?
J:そうです。知らないおばあちゃんと、父と、血の繋がってない兄と、それから生まれた弟っていう感じで。
この父親がとにかくひどかったんです。短気だし、暴力もあったし。すぐ手が出る、すぐ怒るし、すぐ怒鳴るし、いつも家庭内が喧嘩です。
自分が社会人になった頃、なんで離婚しないのかって何度も母に言ったことがありました。
でも、うちの母も我慢強いのか馬鹿なのかわかんないですけど、ずっとずっと耐えて。仕事しながら子育てしてみたいな。本当すごいよなって今になって思いますけど。当時はとても理解出来なかった。
qbc:はい。
J:今は父親は亡くなって、いませんけど。私も何度も暴力うけたし、性的なこととかもすごいあったし、何度も家出して、自分の本当のおばあちゃんが近くにいたので、もう裸足でおばあちゃんちまで逃げていくこともよくあったな。子供の足で1時間はかかったと思います。
でも、逃げられないんですよね。なんかそこの家から逃げられないんですよ。世間体ですかね。家庭のことが世間に知られたらまずいって、子供ながらに思ってたのかも。
とにかく我慢するしかなかったんですよ。
泣きすぎて目が腫れて学校に行けなくて休むとか、もう何度も助けてーって思ってましたけど、父親の顔色を見ながら生活する日々。なので外に行っても、もうそういう自分が恥ずかしいんですよ、そういう家庭だっていうことが。だから自分に全く自信なかったですし、家庭が円満な友達とかがもう羨ましくてしょうがなかったし。
qbc:幼稚園に上がる前とか、小学生のころはどんな性格だったんですか?
J:もう自分の意見は全然言えないようなおとなしい子。
qbc:学校自体は楽しかったですか?
J:それなりに友達もいたし、遊んでた記憶もあるので。ちょっと小学校の頃はあまり覚えてないですけど、中学校は部活もやってたし楽しかったかも。高校もそれなりに楽しかったかなと。学校に行ってる方が楽しかった。
qbc:おとなしくなくなったのは、いつ頃ですか?
J:いつからなんだろう。最初の結婚してから私も東京に出たんです。23歳。
これも父親に反対されていたので、もう家出同然で、東京に行って。それからでもないですね。30歳過ぎてからとかですかね、おとなしくなくなったのは。
いろんな友達との縁で、病んでる気持ちをカウンセリングしてくれるようなお友達とかいたんですよね、心の闇を聞いてくれるような人とか、それも30過ぎてから。すごくその友達の影響は大きかったと思います。
qbc:学校と家の生活は、すごく違ったものだったんですかね。
J:どうだったんでしょうね。よく覚えてないところもありますけど。
とにかく自分の思ったことが言えない、できないことがすごく窮屈だった。思ってることを言っても父の気に障ると怒鳴られるみたいな。
もうストレスですよね。延々とストレスを抱えて生活してたなって。
qbc:例えばどんなことですか?
J:本当にちっちゃい頃の事は、もう全然覚えてなくて。
ある程度大きくなったとき、記憶に残ってるのは、男友達から家に固定電話に電話がかかってきたりすると、もういませんガチャって切られるようなこととか。高校生の頃ですよ。
その頃の記憶しかもう思い出せない、もう抹消したくて。ずっと自分の中で忘れよう忘れようっていう感じで。だからあんまり昔のこと覚えてなくって。
友達と遊びに行くっていうと、知らないところで尾行してるっていうか、つけ回してるっていうか。何してるのか見てたりしたみたいで。気持ち悪かったですよ。
qbc:なるほど。
J:家に帰ると、なんかそういうこと言われるんですよね。誰と会ってたとか、男と会ってたとか。会ってたその人に、今度何かするんですよ。嫌がらせみたいなこと。
うちの娘と付き合うなとか、私だけじゃなく、周りにも何かするような人で。
毎日のように朝寝てると布団に潜り込んでくるとか。誰にも言えなかったです。
あと、母も賢くないっていうか、1回言われたことを、何度も何度も同じことをしていつも怒られてたんですよ。
父はいつもお酒を飲む人だったので、お酒を熱燗にするのにちょうどいい温度で出せないから、いっつも怒られるんですよ。熱すぎるって。母も素直に謝らないから喧嘩になるんです。
そういう些細なことで、もう日々喧嘩なんですよ。それを聞いてるのもすっごい嫌だったし。兄は兄ですごい不良だったので、中学で家出して東京行ってましたね。そういうことでも家の中で常に揉めごとばっかりだった。
qbc:弟さんは?
J:弟のことが全然記憶にないんですよ。でも今、大人になって話しすると、弟も弟なりにすごい嫌だったっていうのも聞いたことあります。
qbc:お父さんは平等に子供たちに厳しかったんですか?
J:っていうふうに私には思えませんでした。兄は男なので、まして自分の子供なので、すごい贔屓にされてるようなこともすっごく思ってて。
それは私が女だからなのか。そうじゃないのか。何度もその時、男に生まれ変わりたいって思ってた記憶がある。同居のおばあちゃんにもいじめられましたしね、お前は連れ子だ、連れ子だって。
qbc:働きだしてからは、状況は変わっていきましたか?
J:初めに結婚した主人が、すごく穏やかな、怒ることのない人で。優しかったので、もうそれが心地良かったんでしょうね。
秋田の人で、埼玉に住んでたんですけど。
実は、その元主人の母親とうちの母親が知り合いで、うちの母は生命保険の営業だったので、昔流のいろんな人に紹介を頼まれるおばちゃん、いろんな人の写真を持って歩いてるみたいな。私の写真も持ってて。それでうちの娘どうだみたいな話をしちゃって。
それで会うことになったっていうのがきっかけだった。
うちの母が紹介したいみたいなことになって、それが父は気に入らなくて、そんなことする奴いるかみたいなことで、ずっと反対でした。それを押し切って東京に出ましたけど。駆け落ちみたいな。
qbc:なるほど。
J:でも主人に対して、父からの変な嫌がらせみたいなことが。
直接的ではなかったけど。ちょっと陰湿的な、何か変なものを送ってきたりとか、そんな感じだったと思います。でもそんなことにあんまり動じるような人ではなかったので、そこから無事にちゃんと結婚式もやれるまでに至りました。
qbc:ご結婚は何年ぐらい?
J:10年ですかね、その間に何度も流産したこともあって。3度も流産して、やっと生まれたのが長女。
なのですごい可愛くて可愛くて。ちょっと下の子と違うくらいかわいい。2人目が生まれたのは秋田でなんす。その頃に帰省というか秋田に2人で戻って、旦那の実家で同居することになりました。
そこに旦那のお義姉さんも一緒に住んだのが、もうことの始まりというか。もうとても気が合わなくて、大嫌いでしたね。ドラマの中の意地悪小姑かって、ずっと思ってました。
qbc:何が気に入らなかったんですか?
J:すごく嫌味を言ってくるお義姉さんで。でも子供のことはすごいかわいがってくれるし、子供も懐くし、もうすごい嫌で、それが。子供とられるんじゃないかっていう気持ちにもなって、子供には優しいけど私には冷たいみたいな。すごい嫌でしたね。
私のやることが気に入らなかったのか、そこの家に馴染めなかった。
私もちょっと我の強いところもあったので、自分はこうやってやりたいっていうのがあって、まだ若かったので。それとお家の人たちの気持ちが合わなかったっていうのがね。
qbc:どうして離婚したんですか?
J:もうだんだん家にいなくて。家にいるのが嫌になって。外に遊びに歩くようになっていったんです自分が。
正直その頃、ネットワークビジネスにもはまっていて、それに一生懸命になってるから家にいませんよね。
大して儲かってる感じでもなかったで。お金はなくなっていくし、外に出るといつまでも帰ってこない、遅く帰ってくるみたいな。
お家の人はそれは気に入らないですよね。
でも子供は見てくれる人がたくさん家にいたので、おまかせして自分は外に行くみたいな。だんだんそういう生活になってきてしまって、旦那と喧嘩も増えてきて、一緒に家を出たいって言ったんですけど出れなかったので、結局子供2人を連れて自分だけ出ました。
qbc:人生の中で、どの時期が一番楽しかったですか?
J:家を出てからの3人での生活。
大変でしたけど、私すごい自由になりたいって思ってて、小さい時から。そういう生活だったからだと思うんですけど、自由が欲しい自由が欲しいってずっと思ってて。でもどこにもあんまりそういう自由がなくて、それがやっと手に入ったっていう感じもなかったし、そういう実感はなかったですけど。
とにかく生活が大変なので、子供を置いて夜働きに行ったりとか、最初の頃してました。
子供たちにもすごい寂しい思いさせましたけど。でも自分流に子育てもできましたし、何でも自分で全て考えて決めるのができたその時期が、すごい良かったかなと思います。
qbc:この頃、お仕事は何をされてましたか?
J:この頃、派遣だったりパートだったり、その時も結構点々ではないですけど、1年契約みたいな感じで。長くできないところが多かったので。1年やってまた次にって。
その頃、体調も良くなくて、重度の貧血の時期だったんです。2回も輸血したことあります。
無理して夜に仕事したりしてるので、朝全然起きれなくて。子供を学校にも出せないっていう時期が正直あって。学校の先生が心配して朝アパートに来たこともありました。それは、子供たちに今でも言われますけど。
それではいけないなと思って病院に行って、初めて貧血にも気づいて。ちょっと生活を立て直さなきゃいけないなと思いながら、少しずつ人並みの生活になっていきました。
やっぱり、いろんな人との出会いでいろいろ学ばせてもらったっていうか、こんなんではいけないっていつも思ってました。
qbc:ちなみに、大阪の人はどうやって知り合ったんですか?
J:婚活サイトで知り合った人です。
知り合う前に、実はずっと付きあってた人もいたんですけど、結婚はできなかったので。それじゃいけないと思って、思い切って別れました。
qbc:大阪だとそんなに会えないですよね?
J:実はその人、東京の人なんですよ。婚活サイトで知り合った時は東京にいて、東京が実家で、本当に東京で生まれた人で。
だけど知り合ってすぐに、実はもう大阪に転勤というか仕事の関係で行くことが決まってるんだって言われて。
でも私、大阪も好きだったし、行ってみたいなっていうか抵抗はなかったんですよ。
大阪は憧れもあったので、1人だったらどこに行ってもいいかなって。
すぐ結婚したいって向こうに言われて。結構アプローチが、押しが強いというか「とにかく一緒に大阪に来てくれ」っていう。
7月に知り合ったんですけど、彼は9月に東京から大阪に引っ越したんです。それに合わせて来てくれって言われたんですけど、私も仕事もしてるしそんなすぐには行けないっていうので。
qbc:気持ちはオッケーだったんですか?
J:気持ちは大丈夫。だけど準備とかいろいろやらなきゃいけないこともあるし。
でも年末で退職を決めて、そこから大阪に来ました。でもそこからがまた大変で、一緒に住み始めてから、もう人が変わったようになってしまって。アスペルガー症候群ではないかと疑いました。本人は否定してましたが。すごく変な人で。生活がまともにできなかったんですよ。私もすぐ秋田に帰ったりとか、ちょっと鬱になりかけて、自分も。
qbc:生活ができないとは、どういうことですか?
J:これがまた喧嘩が多いんです。ちょっとしたことで、訳わかんないことで怒り出すんです。だからもう父親のことがフラッシュバックするんですよ。私の中で蘇ってきて、もうくだらないことで喧嘩をして、その喧嘩がすごく大きくなって意に反して離婚騒動になるんですよ。
結婚してて間もないのにですよ。もう何なんだろうって思って、それがもう毎月毎月、大きな喧嘩が勃発して、それがだんだん毎週毎週みたくなっていって、話し合いをすると何時間も話し合いなんですよ。朝まで。明日仕事だっていうのに何時まで話し続くの?ぐらいな感じ。
私、お酒好きなのに、ビールの匂いが嫌だから飲まないでくれとか、毎日歯磨いてるかとか、水飲んでるかとか…。変な要求がどんどん増えてきて。ちょっとまともじゃないっていう感じになって、今に至る。
未来:もう先の生活が全然定まらないし見えないし、1人も気楽だから1人でもいいのかなと思うけど、もうそれは嫌。もう死ぬまで1人なんてのはちょっと嫌なので。誰かと幸せな人生を残り送りたいなって、正直思いますね。
qbc:5年後10年後あるいは死ぬとき、人からこう思われていたいなどなど。どういうイメージをお持ちですか?
J:もう未来を延々と考えてます。
正直、今まだ離婚してないですし、周りからはもうなんで離婚しないのかって、さっさとそんな人と離婚すればいいじゃないかって言われるんですけど。
バツ2なるのも怖いっていうのと、でも一緒には住みたくない、でも将来何年か経つとお互い歳もとって、また一緒に住めるときが来るんじゃないかとか、なんか妄想してみたり。
あと離婚して別のいい人を見つけたらいいんだろうかとか、もう先の生活が全然定まらないし見えないし、1人も気楽だから1人でもいいのかなと思うけど、もうそれは嫌。
もう死ぬまで1人なんてのはちょっと嫌なので。
誰かと幸せな人生を残り、送りたいなって正直思いますね。
でも、秋田にやっぱり帰りたいし。いつ帰ったらいいかも全然わからないんですけどね。時期が来れば帰りたいなと思ってます。
qbc:今、人生の中で楽しい時期ですか?
J:今、比較的楽しいですけど。別居してることがやっぱりまだね。
実は私、相手に離婚調停を申し立てられてるんです。意味わかんないんですけど。
向こうが原因なのに。
私が先に婚姻費用の調停申し立てたことに腹を立てて、離婚調停立ててきてるんだと思うんですけど。そういう人なので。ちょっとまだ悶々とすることとか考えることとかがあるので、心の底から楽しいかって言われると、そういうわけでもないですね。
ただ自由なので、それはすごく気楽です。
qbc:自分の人生を、どう思ってますか?
J:波乱万丈だなとずっと思ってて。私今52歳ですけど。
50歳になったときに、まだ秋田にいて、今の人とも知り合ってなくて本を書こうと思っていた時期があって、ちょっと書き出したことあるんですよ。
途中までずっと書いてて、でも彼と知り合って、そんなこともしてられなくなって、途中になっちゃってて。
でも本当は書きあげたいなって思うけど、そんな能力も正直ないから…なかなか進まない。
何なら誰か映画にしてくれないかなとか、すごい馬鹿みたいなこと考えてたりするんですよね。
波乱万丈だって自分で思ってるけど、世の中にそういう人たくさんいるだろうなって。
自分で思ってるのは、家庭には恵まれなかったし男運にも恵まれてないんですけど、子供には恵まれたなってすごい思ってて。私の宝物です。
qbc:長女さんとの関係はいかがですか?
J:長女は小さい頃からもうすごく育てやすい子で、すっごくいい子で手がかからないんです。
本人曰く、多分思ってることを言えないタイプだと思うんですけど、でもずっと私とは仲良しで、今も仲良しだし何でも話すし、再婚するときのこととか、男性関係のこととかも全部話すし。友達との悩み相談みたいですよ。
関係悪くなったこともほとんどないですね。
すごく協力もしてくれましたし、ずっといい子でしたよね。
どっかでグレるんじゃないかって思ってたけど。一時高校のときちょっとだけ反抗的な時もありましたけど、ほとんどないです。
qbc:はい。
J:ただその反面、下の子は小さい頃からすっごく手がかかって、正直下の子とは家の中でずっと喧嘩だったんですよ。おかしくなりそうでした。
私に似てるんですよね。似たもの同士。
お互い我が強いし、自分のしたいことはしたい、っていうのですごく家の中でぶつかって、もう子育てできないって思い込んだこともあって。何度も父親の方に戻そうかって思い悩んだこともありました。児童相談所とか。
でもそういう子が、ここまで大きくなったので本当に感慨深いです。
qbc:もしも、理想の相手と結婚できるとしたら、どんな人ですかね?
J:それなりに生活できるプラスアルファ、お金に余裕がある人と。
qbc:年に一回、海外旅行に行きたいとか、それくらいの?
J:全然そういうのないです。お金の余裕って、私が思うのは美味しいもの食べたい美味しいお酒飲みたい。月1回ぐらい、ちょっといいもの食べれればいいかな。そんな贅沢かな?あといろんなものを見たいんです。
私、昔から好奇心があって、いろんな所に行きたいし、見たことないものを見たい。例えば大阪に来たら宝塚。これは今の旦那と気が合って何度も見ました。それだけは楽しかったなって思いますけど。
いろんなとこに出かけたい行きたい。外に刺激を求めてっていうのがあるので。
そういうことが共通してて、いろんなとこに一緒に行きたい、定年になってもいろんなとこを巡って旅行して歩きたいなっていうのがありますよね。
あとおおらかな人ですかね。あと干渉してこない人、お互いに尊重し合える人がもうすごくいいなとつくづく思いました。あまり意思のない人がちょうどいいんだなって思ってて、だけど行こうっていうとついてくるような人。
qbc:だとすると、最初の旦那さんはどうでしたか?
J:何も要求してこないし、実はタバコもその人に教えてもらって一緒にタバコ吸ってたし、怒らないし、特に趣味も持ってなかったし。金遣いも荒くなかったし、仕事は真面目だし。
旦那にするには最高な人だったんだろうなと思います。
でも面白くなかったよ。
秋田に帰ったら、それが叶わなかったっていうのもあったんでしょうかね。
qbc:でも、面白くてお金持ちの人だったら、浮気しそうではないですか?
J:そうですね。最初の主人は絶対浮気しないタイプでした。
だから、今離婚して思うのは、もう本当に若かったなあって。私が多分至らないことがすごく多かったんだなって、後になってから思いました。
旦那が悪いんじゃなくて私が悪かったんだなって。
お父さんと子供たちの付き合いはずっと今もありますし。正直、養育費も真面目にずっと払ってくれてました。
qbc:ところで、最近インタビューで聞くようにしようって思ったんですが、好きな食べ物はなんですか?
J:麺好きですね。うどん、特に稲庭うどん、そば、パスタ、ラーメン。麺類好きですね。スルスルと食べやすいから。秋田のお米美味しいけど、米派ではないですね。でもあきたこまちはホント美味しいですよ。
でも今、1週間前からダイエット始めたので、全然そういうものあまり食べられない。
qbc:大阪のうどんは、良かったですか?
J:あんまり合わないです。
うどんは美味しいですよ。だしが効いてて美味しいんですけど。大阪の人が美味しいと勧めるきつねうどんが、どうしても駄目ですね。揚げが甘すぎて。こんなに甘い揚げは東北の人は食べないかな。
きつねうどんも、そもそもあんまり食べないんで。だからびっくりしました。
qbc:最後に、言い残したことがあればどうぞ。
J:ただただ、幸せになりたいです。
qbc:ありがとうございます。
J:ありがとうございました。
あとがき
今回のインタビューもいかがでしたでしょうか。感想はコメントでお待ちしていますからね。
女性に特有なのだけれども、やはりチェーホフの可愛い女を思いださせる類型はあるんだなと思ったりする。
歴史は繰り返さない、韻を踏むというけれど、人間の個性も同じものはないけど似ている。
相似、典型、そういうのはある。
どうしてなんだろうね。
顔の形が似ている人は声も似ているし。これは骨格か。
精神的骨格というのがやっぱりあって、子供時代にこういうことがあると、大人になってからこうなる、という分布がやっぱりあるのかね。
まあいいか。
秋田は、私の父親と同郷だ。
いわゆる地方の話を聞くにつけ、今って令和だよねなんて思うんだけど、なんか中島みゆきが「ファイト」で歌った世界線とまるで変わらんなと思う。1983年の歌。
田舎を出ていくなら身内ごと住めんようにしちゃるなんていう歌詞ね。
これはちなみにオールナイトニッポンのための歌だったと思うんだけど。そのラジオに届いたお手紙から着想した歌ね。
えんえんと中島みゆきだけ聞いて聞き続けて眠り、時折中島みゆきについてえせ評論家ぶってお話まじえながら、adoと中島みゆきの共通ポイントなんて話ながらさ、気づいたら朝ぼらけなんて日々ひび毎日を過ごしたいって思う就職氷河期世代なわけですよ私は。
ありがとう、今回も。一緒の、同時代に生きられて良かったと思うよ。
インタビュー担当:qbc
編集:ことり☆
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