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生きがいの一つはありがとうと言っていただけることの人

むかしむかし、ある村に、感謝(かんしゃ)という名の優しい人が住んでいました。感謝は毎日、村のあちこちを歩き回り、困っている人がいると必ず手を差し伸べるのでした。
道で転んだお婆さんがいれば、すぐに駆け寄って起こしてあげました。
「ありがとう、感謝さん」
お婆さんの言葉に、感謝の顔がぱっと明るくなりました。
重い荷物を運ぶ商人がいれば、黙って荷物を持ってあげました。
「本当にありがとう」
商人の感謝の言葉に、感謝は心が温かくなりました。
迷子になった子どもがいれば、一緒に家まで送り届けました。
「ありがとう、おじさん」
子どもの純真な「ありがとう」に、感謝は涙が出そうになりました。
ある日、村人たちが感謝に尋ねました。
「感謝さん、どうしていつも人を助けるのですか?」
感謝は静かに答えました。
「皆さんの『ありがとう』という言葉が、私の生きがいなのです。その言葉一つで、私の心は満ち足りるのです」
村人たちは気づきました。感謝は見返りを求めているのではなく、人の喜びが自分の喜びになる、そんな心の持ち主だったのです。
やがて感謝の優しさは村中に広まり、皆が互いに助け合うようになりました。村には毎日「ありがとう」の声が響くようになったとさ。
そして「人を喜ばせる者は、自らも喜びを得る」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。

と思う2025年06月19日10時10分に書く無名人インタビュー1100回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】


今回ご参加いただいたのは ゆうき さんです!

年齢:50代後半
性別:おっさん
職業:看護師



現在:「今もねー。もう悟りの境地みたいになってきたんで。」

🐳くじら:
はい。では最初の質問ですが、今どのようなお仕事をされている方ですか?

ゆうき:
今ね、あ、仕事ですかね?

🐳くじら:
何をしている人ですか?と聞かれて、思い浮かぶことですかね。

ゆうき:
何をしているかと言いますと、うつ病で休職して半年近く休んでいる人です。

ゆうき:
ただ、それが普通は診断書を出して休職扱いというふうになるんですけど、そうじゃなくて……僕の身分が――公務員なんですけれども、地方公務員の方でして、正確に言うとみなし公務員というやつなんですね。
公務員にもいろいろ種類がありまして、僕は国家公務員ではなく地方公務員なんですけども、俗語で言いますとと「みなし公務員」というものになります。
要するに、公務員でありながら公務員ではない、つまり地方公共団体に委託されて事業をしている立場なんです。例えば、水道局の職員さんがそれに該当します。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
僕は病院の職員です。身分は地方公務員に準じていますが、地方公務員ではないという中途半端な立場です。そういう曖昧な立場から生まれた課題や問題点というのが、今の僕の状況にも関係しています。
休まされているという処分を受けているわけですが……。

🐳くじら:
そうなんですね。

ゆうき:
精神疾患があるので休みなさいという条例まであるんです。そういった条例の存在自体が大きな問題だと思います。

🐳くじら:
へー、はい。

ゆうき:
分限処分という言葉があるんですけどね。分ける限定処分ですね。それに該当する人として、それで、今は仕事を休職命令を出されているという状態です。

🐳くじら:
それは診断書を出してないのに、そういう処分になったということなんでしょうか?

ゆうき:
いい質問ですね――僕は3月17日付けの復職診断書を、かかりつけの先生から出してもらったんですね。

🐳くじら:
そうなんですね。

ゆうき:
復職診断書を提出したにもかかわらず、その直後に分限処分の命令が下りたので、(組織と)戦い続けているという表現が正しいですね。今はもう悟りの境地のような心持ちになってきたので(笑)。
 以前は病気の症状(イライラ感とか)がそうさせていたというところもやっぱりあって。でも(今回の分限処分は)矛盾しているところは矛盾しているので。なぜそうなったのか、今でも疑問点であり問題だと思っているんですけど。僕は3年前に発病し、現在は半年近く休職させていただいているのですが、この経験は、プラスもマイナスも全て自分の糧になっているのかなと感じています。出来事は、良いことも悪いことも含めて、自分のためになっているのかなと思います。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
すごく前向きになれるようになったんですね。考え方が変わって、今回のことも全部自分のためになるし――今はそんな風に振り返っているところですね。

🐳くじら:
三年前に発病されて半年前から休職されていて、3月17日から復職するという診断書を提出したけれども、受理されなかったという経緯でしょうか。

ゆうき:
そうですね、そういう流れです。

🐳くじら:
へえ。

ゆうき:
そうやって分限処分については、精神科医からの診断を受けるにはね、条例で定められているのは、組織が指定する精神科医2名の診察を受けて、その先生の意見書の結果を持ってきて、組織の中で検討して復職の可否を判定するんです。
分限処分というのは、懲戒処分とは違って、例えば僕のように精神疾患で仕事に耐えられない人、裁判で訴えられて係争中の人など、仕事を休まざるを得ない人、そういう人たちを、職場側の都合で休ませるという命令を出せるものです。
その結果は要するに復職の可否なんですが、否の場合は二種類あって、病気休暇の続行で減給か、分限免職になるんです。つまりクビですわ。
そんなことでクビにさせられるのかと驚きましたね。今となっては「へー」と思えるんですけど、当時は本当に衝撃的でした。なぜそれほど驚いたかというと、組織の方から十分な説明と対応がなかったんですね。

🐳くじら:
あ、うつさんはもう免職になってしまったということですか?

ゆうき:
いや、まだその結果は近々出るんです。まだ出てないんですよ。4月に診察を受けに行ったんですけれども、その結果を待っているところです。今の立ち位置は自宅で待機中なんですよ。

🐳くじら:
その結果が出るのはいつ頃なんですか?

ゆうき:
もう近々結果が出る予定です。(6月末現在、まだ出ていません)
いや、こういう貴重な経験だと思えるようになっただけでもましです。2月、3月は怒り狂って法律を調べまくっていたんですけどね。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
かなり勉強しました。もう職員に負けないぐらいに。というのも、組織の健康相談窓口というのは事務職なんですけども、法律知識が不十分です。
世の中は全体的にそうですが、精神疾患に対する理解がまずないというのが大前提にありますし、偏見もあります。で、最近はようやく、どこの事業所でもメンタルヘルスケアに関する研修などの取り組みが普通になってきた時代なんですけども、うちの組織はまだ江戸時代のような感じですわ(笑)。

🐳くじら:

ゆうき:
で、これはあかんなという気がしているので、僕は今、気持ちの中で、別に免職になろうが休職続行になろうが復職になろうが、結果はどうでもよいと思えるようになったんですよ。そこに行くまでは壮絶な経験があったんで、いろんな経験や人との出会いがあって、そこまで考え方がたどり着けました。自分の役割が何かというのを一生懸命考えているんですね。今この歳になってきて、もう定年が近くなってきているので、最後に僕がすべきことは何なのかを探している段階です。

だいたい見えてきたんですけれども、多分そういうことをすべき人なんだろうなと……。僕の今までの人生を振り返った時に、いろんなところで恵まれていて、奇跡的な出会いがあったりだとか、運命的なことを感じることが多々あったんですね。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
僕は多分そういうふうに仕向けられている人なのかなと。少しスピリチュアルな話になってしまいますが、そんなものを感じてしまいますね。
(そういった類の)本でも書かれているように、自分が納得できる日々を送り、瞬間瞬間を大切に生きていかなければならないと思います。今、このようにお話しさせていただいている時も、すごく感謝の気持ちを持ちながら、お話しできているんですね。
このインタビューに申し込ませていただいたのも、こんなのめっちゃすごい発想をする方だと思ったんですよね。
いろんな経験をしていきたいと思ったので。それが後で文章化されて客観的に見ることができれば、必ず自分のプラスになると絶対思えるんですね。だから、それが自分のやるべきことなのかなと。
いろんなことを調べれば調べるほど、法律などいろんなところに落とし穴が多すぎて……2月頃が一番絶望感を感じていた時期で、1月から3月は鬱症状が一番悪かったですね。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
鬱と言えば自殺念慮があるじゃないですか。僕もその経験を数回繰り返しているんですね。
それは2、3年前は多かったんですけども、一番直近では今年の1月にやってるんですよ。しんどかった時にね。でもその時の体験が一番強烈でしたね。
多分ほんまに危なかったんですよね。「あ、もうこれ、あっちの世界に行っちゃうな」というところまで行ってたんです。それでも今生かされているということはすごく……。これもやっぱりそういった経験の中で、止められているような気がしたんですよね。半分は怖いんですよ。人間ってやっぱりね。僕は今までそれができなかった。やっぱりこんなんできないですわ、絶対に無理です。

ゆうき:
でも今年1月の時は、ほんまに実感したのは、これから二歩先に進むと、「あー、もう終わるのかな」というような感覚があるぐらいの、もう本当にしんどい状態でした。うまく伝わらないかもしれませんが、体も動けない状態で……えーと、1月の中旬で日中は暖かかったんですけど、夜は悪寒戦慄と、真っ暗で見えなくて、どこへ行けばいいのかもわからなくなって。立っても小鹿の赤ちゃんみたいにぽてぽてと倒れそうになるような状態でした。

🐳くじら:
ほう…。

ゆうき:
諦めては立って、諦めては立って――そんな繰り返しだったと思います。
その時、僕は記憶があまりないんです。人生で初めて…今までは酒をどれだけ飲んでも記憶はあったのに――お酒に弱いんですけれど(このときは昼間に川原でウィスキー小瓶飲みました)――記憶がすっぽり抜けてしまう経験をしました。
ただ覚えているのは、「あかん」と。これが言葉なのか、自分の思いなのか、誰かが伝えてくれているのかわかりませんが、それが体の中に入ってきた感覚があって、それが結局は脱出できた大きな要因になっているんですね。
そんな不思議な経験があって、そこが一つの大きな転機になりました。やっぱりダメだと、そういう選択肢を選ぶのは間違いだと。ただ、自分がすべきことは何なのかを考えていかなければならない。
そんな中で、2月3月はひどかったんですが、考え方が少しずつ前向きに変わってきて、復職診断書も出したけども休職になり。でも法律を調べてみると、おかしな点が出てきたんです。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
日本には自殺対策基本法があり、厚生労働省が平成18年に制定、施行しています。この法律ができた背景には、平成13年に年間自殺者数が33,000人とピークを迎えたことがあります。その5年後にようやくこの法律が制定されました。

法律を見ると、その理念や対策のために自治体に計画書の作成を義務付けており、現在は全国の地方自治体がそれに基づいた自殺対策計画書を作成し、各自治体のホームページに掲載しています。

僕は自分の町の計画書をじっくり読みました。自殺対策基本法も自治体の計画書も、緊密な連携や、自殺未遂者とその家族への支援など、ものすごく立派なことが書かれているんですよ。でも僕自身は一度もそのような支援を受けたことがないんです。

🐳くじら:
はいはい。

ゆうき:
じゃあ疑問があるのは、それが具体的に誰が、どの機関が、いつ、どのように実施するのか――5W1Hの世界ですけども、全く明記されていないんです。それが下りて各自治体の計画書になるのですけれども。

🐳くじら:
そうですね。

ゆうき:
僕はその時に疑問に思って、自分の町の労働基準監督署、市役所、県の担当課、そして最も大きな国レベルでは総務省の相談窓口まで電話して確認したんですが…(笑)。どこに問い合わせても明確な回答は得られませんでした。全滅。

🐳くじら:
それは具体的に、どのようなお問い合わせをされたのですか?

ゆうき:
例えば自殺対策基本法の17条、18条の支援(自殺未遂者や家族への支援)について、市役所の福祉課に確認しました。自治体の計画書には多くの施策が列挙されていて「これをしなさい、あれをしなさい」と書かれているんです。で、「実際に何をやっているんですか」と聞いたら――。
これは日本全国共通なんですが、毎年3月は自殺予防月間と定められています。ちょうど3月に聞きに行ったら、「市の広報誌に命の相談電話番号を掲載し、『困ったときは一人で悩まずに』という文言を載せています」と。それだけだったんです。
さらに突っ込んで、ゲートキーパー(自殺対策支援者)の養成について聞きました。養成講座を経て、企業などに指導できる立場の人を育成するよう定められているんですが、「いますか」と聞いたら「いません」という回答でした。

🐳くじら:
へえ。

ゆうき:
僕がもう一つ聞いたのは、「鬱になった方が相談に来られたとき、対応できると思いますか?」という質問をさせていただきました。これも明確な回答は得られませんでした。
それから、僕がネットで調べたところ――これは実際の話なんですけど――5,6箇所ぐらいのSOS電話相談窓口があると思います。NPO団体や厚労省など、いろんなところが運営しているんです。その窓口に実際電話をかけたところ、最長で86回目でやっとつながりました。ほとんどが話中で全くつながらないんです。
その事実を、その方(福祉課担当者)も全く知らなかったんですよ。電話がつながらないということは、結局役に立たないわけです。
5、6箇所の相談員と話をしましたが、時間が来たら「そろそろお時間です」と切られるところもあるし、相談員のレベルもものすごくまちまちでした。

🐳くじら:
はい、そうなんですね。

ゆうき:
教育を受けていないなって気がしたんですね。

🐳くじら:
そうですね。

ゆうき:
何十年も看護の仕事をしてきて、人の話を聞くプロとして自信があるんですね。こういう病になる人は一般的に繊細で敏感な方が多いんです。僕も病気になって前向きになってから、電話や対面での会話で、少し話をさせてもらっただけで、その人の表情や話し方のトーンから、どんな人なのかが今まで以上にわかるようになってきました。
だいたいの相談窓口は聞く姿勢を持っていなかった。唯一聞く姿勢をもっていたのは、「こころの耳」という窓口だけで、そこは全然レベルが違いました。そこは労務相談に関することだけでしたが。今回僕の相談内容にぴったり合っていたので、電話したところ、すごく真摯に聴いていただけました。おそらく講習会、研修などを受けた方が窓口に立っておられるのでしょう。他の窓口はアルバイトの方が対応しているのではないかと思うほどの差がありました。


過去:「二人に僕はじっと立たされて。爪でね。キュッキュッてこうちねるっていうんですか?百カ所以上やられるんですよ。」

🐳くじら:
すみません、お時間が来てしまったので、次の質問に移らせていただきたいと思います。では、ゆうきさんが子供の時はどんなお子さんでしたか?

ゆうき:
えーっとねー、事の発端はやっぱり僕がいじめを受けていたことだと思うんですよ。幼稚園の頃だと思いますよ。それが多分ことの発端だと思いますね。
その時何があったかというと、いじめられて……これは今、僕も別にそれを受けたことをなんとも思ってないんですけども、二人に僕はじっと立たされて、両足に爪でキュッキュッと抓られるというか――百カ所以上やられるんですよ。僕は痛みにひたすら耐えるという。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
あんまり記憶はないんですが、今思えばその時、両親に抱きしめてほしかったんだと思うんです。両親からもう少し守ってほしかったんだと思います。今になって思います。
小学校時代はいじめられることもありましたが、友達と遊んだりして楽しいこともありました。

🐳くじら:
へえ。

ゆうき:
中学になったら、まるで別人のように明るい性格になって、中学時代が全盛期でしたね。なんというか、バスケットボールもやっていたし、クラブ活動も活発でしたね。気持ち的にも前向きでした。女の子とも楽しく話せたし、友達もたくさんいました。でも一番の暗黒期は高校時代でしたね。

🐳くじら:
というと?

ゆうき:
新設校に入ったんですが、もう、なんていうか……今では考えられないような軍隊のような高校でした。全員丸坊主で、まぁそんなことはどうでもよかったんですけど、友達が一人もいなかったというか。
いや、こいつら何が楽しいんだろうって思って、まるで尾崎豊の世界みたいな感じでしたね、今思えば。
一人ぼっちで、周りが騒いでても何が面白いんだろうなって思って。つるみたくないという気持ちが強くて、ずっと一人でした。友達もいなかったですね。ただ、その時は剣道部に所属していたので、剣道部の仲間とは仲良くできていました。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
それだけでしたね。そこから専門学校に行って、専門学校は問題なかったんですが、昭和の時代は男子で看護師を目指す人がほとんどいなかったんですよ。それは苦労しましたね。
今なら男女雇用均等法があるので、どこの看護学校でも男子は受験することができます。でも当時は男子が受験できる看護学校がほとんどなかったんです。

🐳くじら:
受け入れてくれる学校がなかったということですか?

ゆうき:
ほぼほぼ受け入れはありませんでした。
だから、僕は電話しまくったんですよ。目星をつけた看護学校の名簿を手に入れて、ひたすら電話をかけまくりました。男子学生を受け入れている学校を探したんです。

🐳くじら:
そうなんですね。

ゆうき:
それでもね、受け入れても「男子若干名」というような表示なんですよ。「若干名って何人やねん」という感じで。
結局3校受験して2校に合格して、それがまずターニングポイントだったんですね。
一つ受かったのは特待生で入学できたんですよ。

🐳くじら:
へえ。

ゆうき:
当時のことを言えば、学費全額免除で海外留学まであるような恵まれた条件の学校があったんですよ。ただ、その学校は岡山県の山奥だったんですわ……そうなんです。でも男子学生がいなかったんですよ。女子が150人ぐらいいる中で男子が僕一人という状況は、さすがに生きていけないと思ったんですよ。
もう一つの選択肢の学校も男子はいなかったんですが、合格者の中に男子が一人いることがわかって――。

🐳くじら:
はいはい。

ゆうき:
そうなんですよ。どっちを選ぶか考えた時に、僕はその合格者の中に男子がいる学校を選びました。その選択が人生の転機となり、そこで出会った彼とは今でも友達なんです。

🐳くじら:
へえー、そうなんですね。

ゆうき:
そこから人生の転機が始まっているんですね。
そもそも、盲腸になったことが、きっかけだったんですね。看護師を目指すなんて考えてもいなくて、当時は国公立大学を目指していたんです。でも高校三年生の夏休みに盲腸になって入院して――これも運命的だと思うのですが、最初は抗生物質で治療を試みたんです。いったん帰宅しました。でも、数日経つとまたお腹の痛みが出てきて、結局手術することになりました。
その病院に、当時としては珍しく男性の看護実習生が来ていたんですね。その時に初めて看護師という仕事を知って、「この仕事はありかな」と思ったんです。

🐳くじら:
なぜですか?

ゆうき:
まず一つは、病院というところはずっと無くならないだろうということです。それと、これからの時代はコンピューターか医療の方向だろうかと思ったんです。進学を考えるにあたって。先駆者になりたいという気持ちもきっとあったと思います。僕は人と同じことをするのが嫌いな人間なんです。日本人がまず嫌いなんですね(笑)。日本人の画一的な考え方が苦手なんですね。

🐳くじら:
はいはい。

ゆうき:
例えばしょうもない話ですけど、車が白と黒しかリセール価値が高いという……そういう当たり前のような、個性のない日本人が大嫌いなんですよ。
「右向け右」で全員ほぼ90%以上が従う。アメリカ人なら一人ぐらいしか右を向かないと思うんですよ。多様性がなさすぎる日本人の特徴が、僕には耐えられなかったんです。
長所、短所はありますけれども、みんなと同じように考えたり、ノーと言えない日本人というのが大嫌いだったんで、新しいことにチャレンジしたいという思いがあったと思います。
だからその道に入ることになったというのはありますね。

🐳くじら:
で、看護学校に入った後はどうされましたか?

ゆうき:
病院付属の看護学校は当時国立だったので、そこに就職して10年ほど勤めました。管理職も経験して、他所に転勤もしたんですね。でも、女性集団の中での男性管理職は、僕のような精神的に弱い人間には無理でした。結局2年で辞めてしまいました。

🐳くじら:
なにが、そんなに?

ゆうき:
やはり根本的に女性は感情で…。申し訳ありません、こんなことを言うと差別的な発言になるかもしれませんが……でも本当にそう感じました。女性は感情で動いているということを、管理職として強く実感したんですね。感情で動いている相手を理論でまとめようとしても、そんなことは不可能なんです。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
それをしようとしたら、スタッフだった時は何も気を使わずに仲良くできたのに、立場が変わると130%ぐらい気を遣いながら、一つ一つ言葉を選びながらやっていかなければなりませんでした。
その中で体調を崩して、内臓疾患で自分の病院に2回入院することになったんです。このまま仕事を続けたら命にかかわるかもしれないと思って、辞めることを決意しました。

🐳くじら:
ええ。

ゆうき:
その時の経験も、僕の中ではものすごく生きているんですよ。管理職の経験がなければ今の自分はないと思っているんです。
病院が変わっても、その経験があるからだいたいわかるし、組織が変わってもきちんとものを言えるんです。
「これはおかしいんじゃないですか?」と言うときも、ちゃんと理論的に説明できる。
そういうことが言えるから、たぶん逆に上司からは「こいつ鬱陶しいな」と思われたような人間だと思いますよ(笑)。正当なことを言うから。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
そんな感じでずっと僕はここまで戦ってきて、だから僕は絶対にノーと言うことは、相手が例えば副院長であろうと誰であろうと幹部職員であろうと、ずっと言い続けてきました。間違っていると思ったこと、自分が正しいと思ったことは、自分の信念に基づいてずっと言ってきました。それが僕の信念だと思ったから。

🐳くじら:
看護の仕事自体はいかがでしたか?

ゆうき:
もう看護の仕事は、僕に合っていると思っています。
僕はやっぱり自分の成長に一番つながる仕事がこれだと思っているんです。この仕事ほど人と関わり、成長できる仕事は他にはないと思います。

🐳くじら:
というと?

ゆうき:
関係性というか、人と話す仕事ですから、これまでおそらく千人、何千人、1万人というぐらいの人と話してきたと思うんですよね。そんな経験ができる仕事はまずないと思うんです。
それも命ギリギリのところでストレスを抱えた人とか、時代背景で家に帰りたくても施設に入らなければならない人とか、いろんな方々との出会いがあったんで、自分の成長につながったと感じています。
一般的に看護という仕事は、患者さん中心に、患者さんのために仕事をするといわれていますが、僕の考え方は少し違います。それはそう思っているのですが、僕はその先にある、看護を通じた自分自身の成長を大切にしています。

何のために看護をやっているんですか?と聞かれたら、多くの人は患者さんのためにと答えると思いますが、僕は「自分のためにやっています」と答えます。

🐳くじら:
はいはい。

ゆうき:
鈴木イチローさんも王貞治さんも言っておられることなんですよ。何のために野球をやっているのか――それは己のためにやっているということなんです。究極は僕、自分が成長することが人生の目的じゃないかなと、なんとなく思っていたんです。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
若い頃から――というか、多分そのいじめを経験した時が発端かなと思います。そういうことがきっかけとなって、正義感が強くなってきたんです。そんな背景があったのかなと思います。

🐳くじら:
あの、ちょっとすごく戻るんですけど、中学の時にとても明るい性格になったとおっしゃっていましたが、その原因というか理由は何かあるんですか?

小守博輝:
バスケットボールにハマりました。バスケのおかげで女子に人気者になることができたんです。

🐳くじら:
おー、なるほど。

ゆうき:
部活動の試合に出る機会は少なかったんですが、体育の授業で練習試合をしたり、他校との練習試合に参加したりしていました。特に学校の体育祭でバスケットボールの試合に出場すると、女子たちが応援してくれて活躍できたんです。
男として一番の絶頂期だったかもしれませんね。男友達もいて、本当に楽しい時期でした。

🐳くじら:
はいはい。

ゆうき:
僕らの時代は、尾崎豊の世界そのもので、校内暴力が始まった時代だったんです。
でも、今の方にはピンとこないかもしれませんが。

🐳くじら:
(笑)。

ゆうき:
尾崎豊さんの歌の世界そのままで、夜の校舎の窓ガラスをぶち壊して回るとか、消火栓ばらまいたりとかね。当時はそんな破壊行為や暴力行為が本当にあった時代だったんです。
隣のクラスの生徒が突然授業中に入ってきたりとか。本当にめちゃくちゃな時代でした。

🐳くじら:
ほお・・・。

ゆうき:
当然体育館の裏はたまり場になっていて、これも尾崎豊さんの「校舎の裏、背中丸めてタバコ吸って」という世界と一緒でした。普通に決闘があった時代なんですよ。「ちょっと来い」って呼び出しがあって、そんな時代でした。それでも僕は悪い子たちともちょっと仲良かったりしたんですよ。僕はそんなに力も強くないし、偉そうにもしていないんですが、何かあったんでしょうね、その子たちにとって僕は。

🐳くじら:はい。

ゆうき:
その時僕は、なんとなくですが「この子たちは本当は悪い子じゃないな」って思ったんです。
下校時に家まで一緒に帰ることもありました。そんなときに「こいつら根はいいやつやな」と思いました。そういう時代だったんです、中学時代というのは。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
相手のことをいいなと思える、そういう思い出がたくさん思い出せるのは、中学時代ですね。

🐳くじら:
看護師の仕事を通じて、ご自身の性格や考え方が変わったと感じることはありますか?

ゆうき:
看護師って――最初の2、3年は何の仕事かわからなかったですね。僕は精神科から始まったんですよ。
当時は、男性看護師として就職できる病棟は、手術室か精神科病棟しかありませんでした。

🐳くじら:
へえ。

ゆうき:
一般病棟はまだ男子が就職できる時代ではありませんでした。二択でどちらにしようかと考えた時、僕は手術室は合わないなと思ったんです。そして不思議なことに、今でも覚えていますが、入学前の面接で「将来は精神科病棟で仕事がしたい」と言っていたんです。
これが何故なのか、自分でも分からないんですよ。

🐳くじら:
うんうん。

ゆうき:
これもまた話が戻りますけども、幼い頃のそういった経験がつながっているのかなと思います。その弱い人の立場に寄り添いたいという思いがあったのかなと思います。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
精神科病棟に入った時に、まず男性の先輩看護師の方々との出会いがありました。これが僕のファーストステップだと思っています。
昭和の時代は飲み二ケーションが当たり前で、毎日のように仕事が終わるとスナックに行って飲んで、カラオケで歌って……そんな時代でした。先輩方は本当に背中で看護を教えてくれました。今の時代にはないことですよね。その方々との出会いがなければ、今の僕の考え方はなかったと思います。
看護の原点は、やはり患者さんの話を聴かせていただくということ。そこからスタートだと思っています。
最近は認知症認定看護師や皮膚疾患の認定看護師、退院支援の認定看護師など、看護も専門化されてきています。それも否定はしませんが……。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
ですけども、一番大事なのはそういった専門性の前に、それを抜かしてはいけないな、という考え方です。ですから僕は、そこに身を置かせていただいてよかったと思っています。
病棟で仕事をしていると、一番優先させられるのはまず命を守ることが最優先なんですよ。だから気持ちが置いてけぼりになってしまう。目の前の命を救わなければならないから、これは仕方のないことだと思います。
でも僕の考え方は、命を守ることと気持ちに寄り添うことは同時進行でありたいと思っているんです。
だから、命だけを優先する病棟にはあまり魅力を感じないんですよね。とはいえ、最初の8年は精神科病棟で、その後はほとんどの診療科を経験しました。経験していないのは手術室と循環器科だけかな。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
ほぼすべての診療科を経験したと思います。それが今の看護力につながっているんですけど、昔の自分にはそれがなかったんですね。
幼いころは自信がなくて。全く勉強できない子でした。必ず補習組の方でした。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
勉強する楽しさも分かってなかったし、勉強って一体なんやねんって思ってました。中学校の二年生くらいまでは。でも、成長していくに従って、いろんなことを学ぶ必要性が分かってきて。今では学ばせてもらってることに感謝して、すごくいい仕事やなって思えるようになってきました。本当に。


未来:「ああー俺の人生これでよかったなぁと思えて死ねたら最高やなと。」

🐳くじら:
ありがとうございます。では時間になりましたので、未来の質問に移らせていただきます。5年後、10年後、あるいは人生の最期までを想像していただいて、未来についてどのようなイメージをお持ちでしょうか?

ゆうき:
これが一番恐ろしい質問でね。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
この病ってね、さっきも言ったけども、今はいいって言っても――僕の考え方ですけども、うつ病やうつ状態って治る病気じゃないと思ってるんですよ。付き合っていく病気だと、僕は考えてるんです。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
怖いのは、1月のような落とし穴に落ちた時に、今度は本当にあちらの世界に行ってしまいそうな気がすることです。タイムマシンで10年後に行ったら自分がいないような気もしてなりません。でも今は、そんなことは考えていないので大丈夫かなと思っています。
僕は占いなど全く信じない人間でしたが、この病気になってから手相を見てもらいました。その方に「あなたは長寿で大器晩成型」と言われたんです。それが今やっていることの過程の一つなのかなと思えています。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
この病気になってから、たくさんの人との出会いがありました。それまでは出不精で人が嫌いで、日本人が嫌いで、群れることが嫌いでした。でも考え方を変えて、アコースティックギターの練習と色鉛筆画を始めました。月に一度はオープンマイクのライブハウスに行って、そこには必ず行って、根性試すのと、技術向上と。それと、人前で音を楽しむことは素晴らしいことだなと思って、続けられています。
将来を考えた時に、こう言う楽しみを維持しつつ。
そして、今、僕がここにいるのは妻のおかげです。子供たちは独立して、今は妻と二人暮らしですが、普通なら離婚されてもおかしくないと思います。でも妻は僕をずっと支え続けてくれました。何回も聞いたことがあります。こんな迷惑しかかけていないし、辛い思いをさせているのに、なぜそばにいてくれるのかと聞くと「あなたは私がいないとダメやろ?私もあなたがいないとダメや」と何度も言ってくれました。

🐳くじら:
わあ。

ゆうき:
えーってもう涙ボロボロと泣いていたのを思い出しますね。何回も。だから、今はそうやってうつ病にも感謝できているんです。
この感謝の気持ちさえあれば、夫婦で何に対しても、悪い出来事に関しても乗り越えられる。きっとどこかで悪いことがあれば、どこかでいいことがあるかなと今は信じたいし、信じているんですね。
それが何かはわかりません。でも、僕の目標としていること、やろうとしていることは、同じ病で苦しんでいる人たちの何かの役に立てればと思って、今動いているところです。実際、市議会議員さんに面談させていただいて、先ほど述べた市の対策の件で、市議会の中で一般質問していただくことになったんですね。来週あるんですけども、僕も傍聴しに行けるようになったんです。これもきっかけだと思っているんです。
そういうことの積み重ねで、きっと何か僕に巡ってくることがあるんじゃないかなと思います。それが何なのかは分かりません。でも、誰かのために役立つことは自分の成長につながることかなと。
そして僕の人生の最終目標は、死ぬ間際に「ああ、俺の人生これでよかったな」と思えて死ねることです。これが僕の今の目標です。本当に。

🐳くじら:
ありがとうございます。「もしもの未来」の質問をさせていただきたいのですが、もしも過去にいじめを受けていなかったら、どういう人生になっていたと思いますか?

ゆうき:
あー、もういい質問をされますね。

🐳くじら:
ありがとうございます(笑)。

ゆうき:
さすがですね、その切り口。それも、ターニングポイントが変わっていたと思います。そこが一番の分岐点だったと僕は思っているんです。看護学校の選択や、実習先での出会いなど、人生には運命のターニングポイントがありました。もしそこと出会えていなかったら、全く別の人生を歩んでいたと思います。

🐳くじら:
全く別の。

ゆうき:
はい、でも僕が思うのはもう一つあるんです。スピリチュアルな話になりますが、僕は実は双子で生まれてきたんです。双子の兄は生後24時間以内に亡くなってしまったんですね。

ゆうき:
母親から聞いた話では、兄よりむしろ僕の方が危なかったそうです。でもね、当時は保育器に入れるのが高価で、一人しか入れられない状況で、究極の選択を迫られたんですって。結局、兄の方を入れたのですが、残念ながら兄は亡くなってしまったんです。

🐳くじら:
へえ。   

ゆうき:
僕はなんとなく感じるんですよ。これまたスピリチュアルな話なんですが、これまでの人生のターニングポイントや人との出会いを考えると、導かれているとしか思えないんです。もしその時にいじめを受けてなかったとしても、必ずターニングポイントはあったと思います。何か守られているというか、そういう気がするんです。
今の嫁さんとは出会えてなかったかもしれませんが(笑)、また違うしんどい思いをしながら生きていたと思います。それは課題だと思うんです。生きて人生を乗り越えるための課題として与えられながら、苦しみながら生きていく人生になってたと思います。
仏教では、お釈迦様が四苦を説いています。生まれる苦しみ、病気の苦しみ、老いの苦しみ、死ぬ苦しみ。要するに人生の90%は苦しみなんですよね。だからどんな人生でも、苦しみは必ずあると僕は思っているんです。それをいかにして乗り越えるかが、その人を成長させるかさせないかだと僕は信じています。
これは僕がいろんな方の死に目に会ってきたから、余計そう思えるんですよね。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
僕たちの仕事ほど、そういう機会に巡り会うことは、まずないと思うんです。死とはどういうことなのか、残された家族はどう思われるのか、考えさせられるんですよ。だから奥深い仕事だなって思ってます。
そういうことがなかったとしても、巡り巡って多分同じ仕事に就いていたような気もします。

🐳くじら:
何らかの形で、苦しみながら生きるような人生だったんだと。

ゆうき:
そうですね……あ……去年の12月末にヒプノセラピーというものを受けたんですよね。ヒプノセラピーって何かというと、日本語では催眠術と言いますか…

🐳くじら:
ああ、はい。

ゆうき:
催眠療法は、アメリカでは正式な精神科領域の治療法の一つとして認められています。このセラピーを行う人との出会いも奇跡的でした。これは話せば長くなるのでカットしますが、セラピーの催眠療法というのは、いわゆる一般的な催眠術とは全く違います。意識はしっかりとあり、体も自由に動かせます。ただし、過去生を見せてくれるんですよね。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
僕は、その過去生の中で二人を見せてもらいました。その一人が――今は自分で絵も描きましたが――中世ヨーロッパの鉄の鎧をまとった騎士だったんです。
鎧で覆われた戦士でした。ものすごく強い人でしたけども。たくさんの人を殺めてきたので、すごく悲しみを感じたんですね。

🐳くじら:
ええ。

ゆうき:
人々を殺してきた悲しみを深く感じました。

ゆうき:
でもセラピーの方がおっしゃっていたのは、人生は一回というのは確かにそうだけども、前世があって、今の現世があって来世があって、ずっとつながっている――輪廻転生なんです。過去生であったことのやり残しは現世にバトンタッチされていて、現世で今できなかったことは来世にバトンタッチできると。そのとき、もう一つ気持ちが楽になったんですよ。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
別に今のこの現世だけで、自分がやろうとしていることを全部解決しなくても……そこまで気張らなくてもいいんじゃないかって思えるようになりました。また来世の誰かがやってくれるやろと。言い方を変えて考えてみたらね、前世の僕はものすごく強かった。無敵だったんです。

🐳くじら:
はい、はい

ゆうき:
だけども今の僕は、未熟児で育って体が病弱で弱くなって……でも前世から残っているのは、その方の悲しみと正義感だけを受け継いでいるんです。そう思えるんですね、それを見たときに。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
これも僕がゾクッとしたのは、その数日後にXの投稿を見ていたら、イーロン・マスクさんがヨーロッパの中世戦場で騎士が黒猫にエサをあげている絵をアップしていたんですよ。それを見た時に、もうゾクッとしたんですね。あの絵から、強いメッセージが伝わってきたように感じたんです。この人だと確信したんですね。

🐳くじら:
へえ。

ゆうき:
だから僕はその絵をコピーして鉛筆画で模写したんです。全身全霊で書き上げました。これだと思って、ずっとそれを部屋に飾って見ながら「分かってるよ、分かってるよ」と言い続けていました。気持ちが伝わってくるんですよね。

🐳くじら:
うん。

ゆうき:
戦争というのはそういうことだと思うんですよね。間違っているとわかりつつも、国を守るために戦わなければならなかった。その矛盾を抱えながらずっと戦い続けた人の、その葛藤が受け継がれているんじゃないか――そんな気がしてならないんです。
もう全部スピリチュアルな感覚なんです。だから僕は多分、普通の日本人の感覚とはずれているんだと思います。小さい頃から絵心があって、それは他の子とは見る視点が違っていたからだと思います。同じ風景を見ても、きっと違う絵が描けていたから、表彰状ももらえたのでしょう。同じ対象でも、自分にしか見えない世界を描くことができていたんです。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
(2年前から)再び絵を描き始めたのは、それも導きだったと思います。今、ものすごく絵を描くのが楽しいし、絵を描く技術が上がっているのをとても嬉しく感じています。Xやインスタに絵を投稿すると、その教則本を出している先生から直接コメントをいただけるんです。

🐳くじら:
へえー!

ゆうき:
だんだん上達してますね、すごいですね、って言っていただけると、こんなに嬉しいことはないんですよね。
僕らにしたら、まあ言うたらその人たちは神様みたいな存在なんです。僕はそういう人を目指して、その人の絵を目指して描いているわけです。そんな方々から褒めていただけることが、今の生きがいになっています。

🐳くじら:
ありがとうございます。では最後の質問になりますが、ご自身の人生を振り返って出てくる言葉や、読者さんへのメッセージ、感想など、最後に言い残したことはありますか?

ゆうき:
言い残したことはないと思いますけど、一番大事だと思うのは、やっぱり感謝する気持ちかなと思います。
やっぱり感謝する気持ちは一番大切だと思います。

🐳くじら:
感謝する気持ち。

ゆうき:
感謝というのは普通、いいことをされた時にするものですよね。レジのおばちゃんに「ありがとう」とか、落とし物を拾ってもらった時に「ありがとう」とか。でも、僕が言っているのはそうじゃなくて、さっきも言ったように悪人や悪いこと、マイナスのことに対しても感謝できる気持ちを持てた時、人はお釈迦様の領域に近づけるんじゃないかと。
最近、死の間際の経験をして、そう思えるようになりました。だから自分の組織はブラックだと思っているんですけども、そこにすら感謝できます。反面教師として気づきを与えてくれたことは、ものすごく重要なことだと思うんです。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
普通の人は「あんなこと言われて……」と憎しみで返すしかないと思うんですよ。2月3月までの僕もそうでした。でも今は組織に対して一切憎しみはありません。こんな経験をさせてくれてありがとう、おかげで僕は成長することができたと、むしろ感謝の気持ちでいっぱいです。

🐳くじら:
へえ。

ゆうき:
ダンジョンゲームみたいな感覚でいます。ボスキャラやラスボス、途中のモンスターを倒していくと、アイテムやコインを手に入れて、だんだん自分がレベルアップしていくような。そんな感覚でいますね。
アマゾンプライムで「俺だけレベルアップな件」というアニメを見たとき、一気に感情移入してしまいました。この主人公と同じだと思いました。人は経験を積むことでレベルアップできる、そんな感覚を持っています。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
だから人間は、自分次第で変われると思います。でも、そこに行くにはこういうしんどい経験をしないとあかんのかなと思いました。
逆に、平凡な人生は本当に大切だと、思うようになったんです。普通の生活をしている時は、みんな普通を特別なことだと思っていないじゃないですか。でも今、その普通の生活に戻れないから自律神経も乱れているし、食事も変わってしまいました。僕の大好物はカレーだったんですよ。でも今はカレーを一切食べたいと思えません。ここ数年、米も口にしていないんです。普通の生活に戻れないんですよね。普通に生活している時は、感謝することができないものです。

🐳くじら:
へえ。

ゆうき:
米を食べたいと思えない。普通の生活に戻れないことで、普段当たり前すぎて感謝できないことの大切さに気づかされます。
何でもなってから気づくんですね。人間ってそういう生き物かなと思います。後から気づいても遅くはないと思います。
そのことを皆さんにお伝えしたいと思います。

🐳くじら:
はい。

ゆうき:
絶対に乗り越えられない壁はありません。必ず乗り越えられるということをお伝えしたいと思います。

🐳くじら:
はい。では以上でインタビューを終わりにしてもよろしいでしょうか?

ゆうき:
全然大丈夫です。人に話してこういうことを伝えることで、もう一度客観視ができました。これは本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

🐳くじら:
よかったです。こちらもすごく印象に残るフレーズや言葉がたくさん聞けて、とても嬉しかったです。

ゆうき:
ありがとうございます。もうね、僕の生きがいの一つは、「ありがとう」と言っていただけることなんです。これほど嬉しいことはないと思います。

🐳くじら:
ありがとうございました。

ゆうき:
ありがとうございました。


あとがき

とても印象に残る言葉がたくさんあったインタビューでした。
🐳🐳くじらは障害者福祉の仕事をしているのですが、辛く苦しい出来事、つまり障害に対して今は感謝している、という言葉をよく聞きます。障害があったから普通の生活のありがたみに気づいたり、内省が深まったりと多くの学びがあった、と。

その言葉の意味が、正直あまり分かっていなかったのです。辛いことを経験して、それがトラウマや精神疾患に繋がっているのだから、その経験から学ぶことはあっても、障害そのものに感謝するってどういうことだろうと。

その意味が少し分かった気がします。障害があったから、自分の人生がより豊かになり、大きく成長した。人生が豊かになるって、仕事での成功や、結婚や子育てなどポジティブなことばかりを思い浮かべます。でも、そうじゃない、一見ネガティブに見えることであっても、それが人として大きな一歩を踏む出す契機になるのかもしれません。
ありがとうございました!

【インタビュー・あとがき・編集:🐳くじら】


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