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悪者になりたくない人

思い出を捨てて町へ。
黄緑のランドセルをしょって西へ。
今日の無名人インタビューも、よろしく育ててくださいませね!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 島田おかゆ さんです!


現在:好きなものの話してるとき、すごいキラキラしてるねみたいな。

尾崎:今、何をしている人でしょうか?

島田:今は小中学校の、今1人1台タブレットとか端末、生徒とか子供たちに配られると思うんですけど。それを使った授業、ICT機器を使った授業のサポートをするICT支援員っていう仕事を週3日ほど、パート勤務のような形で行っているのと。あとは副業と言っていいかわかんないんですけど、Webライターのお仕事をちょこっとだけしています。

尾崎:その小学校のICT支援員っていうのは、どういうきっかけで始められたんですか。

島田:元々ICT支援は去年の4月から始めたんですけど。その前に、アパレルで販売員を10年ほど正社員でして。ただ、何ですかね、アパレルと言っても結構体育会系というか、結構大手の企業だったんで、いわゆる百貨店とかでちょっと、いらっしゃいませって練り歩くような感じではなくって。本当に朝から猛ダッシュで走ったりとか、棚を組み替えたりとか、体力勝負だったんですけど。

体力的な面もちょっと心配になってきたり。多分自分はこのままいくと、こういう、この人みたいになるだろうなみたいな先輩とかがいたり。そのキャリアも、ここ止まりかなみたいな頭打ちしてたところもあって。そのときが35歳か。そのとき、35歳で変わるなら今しかないみたいな。何か職を変えるなら今しかないかもしれないって思って、転職を考え始めて。

ちょうどその頃にコロナがあって。子供たちも小学生なんで、もれなくGIGAスクール構想って言うんですけど、それに巻き込まれたじゃないですけど。それに1人1台端末を持って帰ってきたりして。ただ、使ってない学校だったんですね、そんなに。配ってWi-Fiのチェックだけしてくださいみたいなそれだけで終わって、使ってる感じは全然なくって。

アパレルで働いてるときもiPadとかGoogleのサービスとかを使って在庫管理したり、商品のレビューとか見たりして接客をしたり、そういうことに使ってて。比較的私は機械には、弱くはなかったんで。これ全然使えなくなったけど、どうすんの? みたいなときによく聞かれる人みたいな。あの人に聞いたら直してくれるよみたいな存在だったんですよね。

そこまで詳しくはないんですけど、お店の中ではっていう。なので、その会社でもそういう部門というか、IT部門じゃないですけど、みたいなのは本社に行きゃあったんでしょうけど。なんせ本社、東京だったりするので、キャリア相談とかしたときに、そういう仕事って、店舗のスタッフで何かできることないですかねみたいな話したときも、ちょっとそれは厳しいかな、ということで、ここでそういう仕事をするのは無理かってなって。

GIGAスクール構想も、主人もIT系というか、まさに小学校にハードディスクとかを設置していた立場なんですけど。すごい急ピッチで、何日までにあそこの学校とあそこの学校へ行かないとって言うのを聞いてて。その割には使ってないよなみたいなのは、ずっと思ってて。

そこで何で調べたかな。そこでICT支援員っていう言葉を初めて、そういう転職とか調べたりしてるときに知って。これ、いいかもと思って。未経験でもOKみたいに書いてたんで、それで応募したのが、なったきっかけですかね。

尾崎:それでは、Webライターはどうしてされようと思ったんですか。

島田:その転職をする前は、まずは副業で何かないかなって思ってたんですよ。収入の柱をもう1本持ったら、別にここを辞めても大丈夫みたいな状態を作っておきたいなって思って、副業としてもいろいろ探してたんですけど。

最初はブログをやってみたり。それはすぐ挫折してしまうんですけど。ブログをやって、こんなの稼げる気しないと思って辞めて。昔、写真の専門学校に行ってたので、フォトショとか、イラストレーターは触ったことがあったので。あ、動画編集の前にバナー制作か。

尾崎:はいはい。

島田:サムネとか、あとは広告のバナーの制作ならフォトショとか。ちょっと有料だけど、ちょっと触ってみて、こんな感じだったなみたいな感覚を思い出して。これだったらいけるかもって思ってやってみて。でもやっぱりデザインっていうものを学んできてなかったし、写真を撮るのとは全然違うんで。いろいろクラウドワークスとかでも、ちょこっと応募してみたりもしたんですけど、なかなか通らなくって。

動画編集に興味もわいて。動画編集のやり方みたいなのを調べてやってたら、面白くって。それはなんだっけ。キックボクシングの教室みたいなところで案件ちょこっと、本当に安いですけど、やらせてもらって。ただ、画角とかは向こうが取った画角なんで、加工するのにもかなり限界があったりして。もうちょっとこういう感じで撮ってもらえたらとかもお願いしてみたりしたんですけど、なかなか納得いくものができず。力量もあるんですけど。それもあって。やってた時間、その労力と、単価が見合わなすぎ。最初だから当たり前だろって感じなんですけど。そのときはもう無理だってなって、それも辞めてしまうんです。

今度はインスタグラムで普通の主婦が稼いでるぞみたいなのを見つけて、インスタグラムもやってみるんですよ。ただ私にはそんな何も情報発信することなんて、権威性もなくって。ただ、無理やり掃除術みたいなのとかライフハックみたいなのを練り出して投稿してたんですけど。

すごい家族に負担。今から撮るから、この動画撮りたいからそこを片付けてとか、ちょっと静かにしてみてとか、そこ映り込むから、そこ座らんといてみたいな。ママ、何してんの? みたいな、そんな感じだったのもあるし。

最後かな。リールで出した動画がめっちゃバズって、70万回再生とかいって。言ったら、そっからなんですけどインスタは。それですごい大満足してしまって、なんかもういいやみたいな。やったぞみたいな感じになってしまって。そっから先、しかもその投稿を超えるもの作るとか、そっからマネタイズするっていう方向には持っていけなくて。

そもそも、こんな家族に。なんで副業しようと思ったんだっけみたいに思い返して。自分もですけど、家族を犠牲にしてまですることじゃないよなって思って。ただ、でも副業を諦めるってことはしたくなくって。いろいろ諦めましたけど。それでもまだ探してたんです。

アメブロを、今更って感じですけど、やって。ちょっと稼げたんですよね、少しだけ。いわゆるアフィリエイトというか。普通のブログをバーッて書いて。共感あるような、いわゆる愚痴みたいな。旦那の愚痴とかを書いて共感してもらって、読者を集めて。たまに楽天セールとかのときに、おすすめの商品ぶっこむみたいな。それでたまたま多分、私のリンクを踏んでくれて、そのまま違う商品を買ってくれたおかげで収益が発生したっていう流れなんですけど。

そのときに自分で稼いだ感がないというか。このままこんな感じで、しかも大したおすすめ商品ではないというか。自分が心からいいって思った商品とかではないものが。しかも違うものも売れて、それがお金になるっていうので稼いだけど、そんなゼロイチ達成したぞみたいな、そういう高揚感みたいなのが全くなくて。いや、これずっと続けていくのかあってなって、またそこで挫折して。

Webライターってのはずっと知ってたんですよ、副業としてあるっていうのは。でも自分がものを書くなんて、日記とかじゃなくね。何かを書く、仕事にするとかは無理だと思って避けてたというか、除外してたんですよ。書ける人って論理的思考が優れてる人というか。ちゃんと順序立ててやっていくイメージだったんで、私すごい感覚派なので避けてたんですけど。

Twitterとかで、Webライターしてるっていう人のKindleとかを読んだりして、この人も未経験だったんかとか、とりあえずやってみようっていう精神がすごい大きかったんで。とりあえずクラウドワークスでWebライターで調べて。自分が趣味だったK-POPについてだったら、全然朝まで語れますよって感じだったんで。それについて募集してるのを見つけて、採用してもらえて、書くようになって。

しかも、何だろう、そこまで。動画編集とかのときより労力は使わずに書けて、お金も見合ったというか。全然高くないですけど、初めてでもらえるにはまあまあいいじゃんってなって。

オンラインサロンとかの存在も知って、今まで結構、高額商材とかも買ったし、インスタのとか。あとは大規模なオンラインサロンに入ってみたりしたけど、なんか夢見心地みたいな。夢を見させてくるけど、現実では動かんみたいな。そんな感じだったんすけど、今入ってるオンラインサロンはすごい、いい意味で夢を見させてくれないというか。やるべきことを淡々と教えてくれる感じだったので、そこもハマったというか。それもあって、Webライターしたいって感じになって、今っていう感じです。

尾崎:お仕事以外に島田さんを占めているものって他に何がありますか。

島田:占めてるものは、離婚。離婚したいのと娘の悩み、友達関係の悩みと、息子の。何だろう。宿題を全然しないんですけど、特性というか、息子の育て方。子供のことと、旦那のことですかね。それが大部分を占めてます。

尾崎:周りの方からどんなふうな性格って言われますか。

島田:いろんなことに挑戦してるのを知ってるのが唯一、姉なんですけど。姉からは思ったらすぐやるねみたいな。知らない間に、いろんなことしてるねとか。あと友達とかからも、そんな感じ。そんなことしてたの? みたいなとか。

あとは、さっきのK-POPの話とか。全然K-POPに興味ない人、友達にもすごい布教してたんですけど。どんどん周りがはまっていって興味ないって言ってた人も、最近ずっと聞いてるみたいなとかが起こって。

だから好きなものの話してるとき、すごいキラキラしてるねみたいな。その話してる姿を見てるのは面白いみたいな。もっと聞かせてみたいな感じは言われるかな。

でも自分ではそんな、自分勝手にやってることなんで迷惑じゃなかったんならよかったみたいなぐらいなんですけど。

尾崎:ご自分を動物で例えたら何になります?

島田:トラ? トラです。寅年っていうのが大きな要因ですけど。トラのことをそんな詳しく調べてないから本当にトラなのかわかんないですけど、ぱっと思いつくのはトラ。

過去:20歳とかだったんで、やるぞ! みたいに燃えて入ったのにチーンってなってて。エネルギーがあり余ってたというか。

尾崎:子供のときはどんな子でしたか。

島田:好奇心旺盛。自分だけで考えてもわかんないんですけど。姉と比べると、活発というか、物怖じしない。早く幼稚園に行きたいって、わめいてる感じの子でした。

友達と一緒に小学校の終礼とかのときに漫才してみたりとか。活発。でも構ってちゃんみたいな部分もあったかもしれないす。

尾崎:例えば、どういったお話がありますか。

島田:1回だけめちゃくちゃ覚えてるのが、家族。そのときは父親の母も、おばあちゃんも一緒に住んでたんですけど。家族が、今の時代とは違ってテレビをみんなで見るみたいな時間があって。そんときにすごいなんかポツンって、何だろう。多分そのテレビの内容は、ちょっと大きい人向けというか、私には理解できないけどみんな笑ってるみたいな。なんかすごいポツンってなってて。

「私なんて死ねばいいんでしょう?」みたいな。すごい極端なんですけど。「いなくてもいいんでしょう?」みたいな感じで言い放って、布団に潜り込んで。誰かが来るのを待っていたみたいな。でも誰も来なかったんですけど。でもそこで、だからといって追い詰めるとかではなかったんですけど、その1回だけはすごい覚えてて。今思い返せば、構ってほしい部分もあったのかな、とは思います。

尾崎:誰も来なかったときは、どんな気持ちだったんですか。

島田:誰も来ないじゃん!? って感じだと思う。

尾崎:怒りということですか。

島田:そうです。何で!? みたいな感じでした。でもその後すぐ、お布団から出てまたテレビを見始めるんですけど。多分、そんな子だろうと家族もそれを見越してというか。何もしなかったのかもしれないですけど。

尾崎:大きくなってからのエピソードで印象に残っていることはありますか。

島田:大きくなってからは正直、小学校高学年ぐらいはまだ活発な方だし。いわゆる、なんだろう、女の子のいざこざみたいなものもあったけど、全然言い返せるような子だったんですよ。陰湿な。美化委員会なんかで、ポスターを廊下に貼っていく作業をしてたときに、自分の書いた絵とかも貼ったりして、終わったと思って帰ろうって思ったら、自分のやつだけ剥がされてたりとかして。

でもその犯人は目星ついてるんですけど。そこで「私の剥がしたでしょう!?」みたいに、言うような子だったんですけど。そんな子だったけど中学に入って、またそんないざこざ。女子の、いわゆる。誰かしら毎月ターゲットになって無視されるみたいなのがあって。もちろん自分も加担してたし、自分の順番も回ってきたし。そこで初めてされた側の気持ちがわかるというか。

でもそんときも、自分の時はそこまで。気持ちはすごいわかったんですけど、そこまで落ち込むことはなかったり。すぐに解決したりもして。

あとは、恋愛体質というか、多分周りからもあいつまた何か告白してんなみたいな。今思うと汚点でしかないんですけど。だから中学の思い出って、思い出そうとしてもそんなに思い出せないんですよね。多分自分の記憶から消してるんだと思うんですけど。嫌すぎて。そんな自分が嫌いすぎて記憶から抹消してるんだと思うんですけど。

尾崎:嫌いすぎることを嫌いと思ってたのは、ずっとなんですか。それともきっかけがあったんですか。

島田:確かに、そのときはそこまで何も考えてなかったんですけど。高校生に上がったときに、中学っていうのが、いわゆる本当に地元の、都会でもないけど田舎すぎもしないみたいな。でも高校に行ったときに、まずそこを選んだ理由っていうのが学力もそこそこのレベルだよねっていうとこだったんですけど。自分の中学から行く人がめちゃくちゃ少なかったんですよ、遠くて。地元からしたら自転車で50分ぐらいかかるんですけど。

そこは、自分の知ってる人があんまりいないぞみたいな。それで選んだっていうのもあるんですよ。だからそんときから思ってたのかな、今思えば。自分の過去を知らない人、知る人があまりないところに行こうみたいな感じはあったのかもしれない。

尾崎:全然知らない人が多いところに行って、どうでしたか。

島田:結構、都会。都会っていうか、都会の人たちも来るような学校で。もう入学式から衝撃を受けて。かわいい人とか、おしゃれみたいな人がいっぱいいて。入学式って先輩とかもいるんで、年上の。自分の行ってた中学校、というか過ごしてきたコミュニティの狭さをすごい感じて。

余計にだから、なんかすげえ嫌なとこに。嫌なとこっていうか、自分が狭いとこにいたなみたいな。それもあって、より中学の思い出というか、中学んときの自分が嫌って思う原因だったのかもしれない。

尾崎:なるほど。高校で一番印象的なエピソードってあります?

島田:正直、高校生はめちゃくちゃ楽しくって。もう毎日、それこそよく言う箸が転んでも笑うような状態だったんですけど。

尾崎:箸が転んでも笑うっていう状況って、そこには島田さんの他に誰がいるんですか。

島田:仲のいい友達と、そこには男の子もいたりして。印象的だったの、そうだな。ジャンル問わず仲良くなれるっていうか。中学のときって、ある程度自分と似た感じの人と仲良くなってた。あるいは、この人と仲良くしとけば大丈夫そう、みたいな人と仲良くなってたと思うんですけど。高校ってそんなんが一切なかったんですよね。

その仲良かった人は、めっちゃギャル。すごい、もう高校生だけど、夜クラブで踊るような。踊りを見せるような、仕事というか、ちょっと趣味みたいな。ダンスが趣味の子の、すごいイケてるギャルみたいな子と。

もちろん私は、普通の凡人と。もう1人は、言い方がすごい悪いですけど、言ったらクラスでぱっと見た感じで言うと、おとなしそうな子。実際、喋ると普通なんですけど。ぱっと見た感じで地味そうな子と。男子でも不良とかじゃないけど目立つグループにもいるし、目立たないグループにも属してるみたいな。それが男子。すごい仲良くって。

その5人か。目立たない女子2人と、目立つダンスしてる1人と。その男子の5人。5人だよな。5人でピクニックしたりとか、休みの日に。普段も学校で集まってゲラゲラ笑ったりとか、何で笑ってたんかはちょっともう覚えてないんですけど。周りにいたのはそんな感じの人たちでした。

尾崎:高校卒業してからアパレルに入る前まではどんな感じでしたか。

島田:高校卒業して、写真の専門学校に行って。写真館に勤めたのが新卒で行ったっていうのがまずあって。私、大阪なんですけど。京都の本当に老舗の写真館みたいな。同志社大学とか京都にあるんですけど、同志社大の卒業アルバムの制作とかされてる。幼稚園とかもあったっけな。幼稚園、小学校、中学校とか全部の卒業アルバムとか、遠足についてって写真を撮ったり。普通に写真館としてもやってるんで七五三でお店に来た人を撮ったりとかする老舗の写真館に勤めて。

その前にしてたバイトが同じアパレル、してたんですよ。専門学校行ったときに、そのバイトしてて。就職するってことで辞めて写真館に行って。写真館があまりにも暇すぎて。行事が重なるときはすごい忙しいんですけど。それがないときとかは、もう暇すぎてトイレ掃除1時間とかかけてやったりとか。もう何度も見たカメラの説明書とか見たり、社長のトランプに付き合ったりとか。そんなんで。

でも、その頃、専門学校卒業。20歳とかだったんで、やるぞみたいに燃えて入ったのにチーンってなってて。もっとエネルギーがあり余ってたというか。前バイトでやってたアパレルは、もうめちゃくちゃ分単位で刻まれた作業をこなすっていう日々だったので、物足りなすぎて。そのアパレルだったら売り上げとか利益とか、バイトでも、そういうことを落とし込まれて、今日の売り上げ目標、あと何%で達成するからみたいな、こういうアクションしていってみたいなんがインカムで飛び交うような。

でも、写真館って、これ利益とか大丈夫そうなんかなとか、そういう疑問とかを聞けばよかったんですけど、社員なんで。でも、のんびりやってますみたいな感じだったんで、なんか合わねえなと思って。1年ぐらいで辞めちゃうんですけど。

そっからまた元のアパレルのそのバイトに戻って。そのときお付き合いしてた人が今の旦那なんですけど。今の旦那が東京で仕事をするから東京に行っちゃって、それを追いかけるような感じで行って。東京にもちょっと住んでて。そこでは、ファーストフードの。ファーストフードの中でもちょっとカフェみたいな。ちょっとそこだけ特別店舗みたいなお店で。そこで何か知らないけどバイト店長みたいなことをやらされ。

そっから1回別れて、旦那と。旦那が恋人だったときに別れて、地元に戻ってくるんですけど。そのときにはインテリア雑貨。主にインテリア雑貨を扱うお店でバイトするんですよ。そこで、また復縁するのか。そこで旦那もお母さんの体が悪くなっちゃって、地元に帰ってきて。地元が近いんですけど。また復縁して会うようになり。

インテリア雑貨でバイトしてるときに妊娠がわかり、そのまま結婚ってなって。いろいろあり。旦那の借金とかが発覚したりとかあって働かないといけなくなって。やってたアパレルのところにちょっと子供がいるんで、保育園に預けられない日曜とかは入れないけど、ちょっと入れてくれませんかってお願いして。いいよってことで入れてもらって。

それまではずっとバイトだったんですけど。そっから一応、公募で正社員募集みたいなのがあったときに、応募して正社員になれて、時短で正社員をしてて、今っていう感じです。

未来:本当に不謹慎ですけど、死ねばいいのにってお祈りしてたぐらい。特に、そのバターンって出ていったときとか。死んでくれたら未亡人になれるし。誰を傷つけることもなく、自由を手に入れられるみたいな。

尾崎:5年後10年後あるいは死ぬまでを想像して、未来についてどういったイメージをお持ちですか。

島田:5年後10年後の理想は、離婚して。でも今の家には住み続けて。子供たちが巣立ったら家を手放して。でもその頃、親もどうなってるか分からないので親の実家に帰るのか。理想はですけど、そんなイメージ。でも好きなことはしてたいけど。

現実的な、マインドブロックかかってるような感じなんですけど。現実多分このまま離婚できずにいって。子供が大きくなって2人で過ごすことに耐えられなくなって、私が出て行って、ってとこまでですかね、想像できるの。

尾崎:仕事と自分と夫、お子さん。4つあると思うんですけど。一番優先順位が上なのって伺ってもいいですか。

島田:自分。子供のためとかも思いつつ、離婚できないのも、多分今の生活ができてるのは離婚してないからだし。自分を優先してるのかなって思います。仕事も、多分もっとやればもっとできるだろうって感じなんですけど。自分がしんどくなったりとか、

バリバリやられてる方とか、稼がれてる方って、がむしゃらにやってた時代があって、今があるっていうのもいろいろ見てて思うし。そうだよなって思うのに、多分もっとやればできるだろうって思うんですけど。それをしないのは、自分の心が疲弊しないため。やっぱり自分が優先なのかな。

尾崎:今自分が一番優先っておっしゃってて、そのことについてどう評価されてますか。

島田:ちょっと罪悪感みたいなのが今湧きました。子供じゃないんかいっていう。

尾崎:なるほど。ちなみにご家族関係は良好ですか。

島田:自分のですか。

尾崎:はい。

島田:良好と言えるほど、特別打ち解けれたとか、何かがあって仲良くなったみたいなのは、ないですけど。姉も家族と含めると、良好になったと思います。昔だと、話すらほとんどしなかったんで。今は本当に毎週何かあるごとに、電話したりとか。家も近いんで会ったりとか。今の家を決めるのも実家も近いし、姉の家も近いっていうこともあって。なので良好ですかね。

尾崎:喋らない時期もあったっておっしゃってたんですけど、理想の家族像みたいなのがあって、それとちょっと違ったから、スムーズなコミュニケーションをしてなかったっていうことですか。

島田:いや、別に理想とかは。自分の両親とか、その家族では特に抱いてなかったんですけど。姉の反抗期がすごくて。長くて20歳になったぐらいではまだ。やっぱ父親に対してはすごい多分嫌悪感を持ってて。そんなひどい父親では全然なかったんですけど、本当に女の子の、年のいった男性が気持ち悪いっていう感情だと思うんですけど。

その日記とかを見つけてしまって、私が。暴言を吐きまくってる日記をたまたま目にしてしまって。私ももちろん、父親のことはちょっとそんな時期もありましたけど、家族の雰囲気が悪くなるのがもう耐えられなかったし。

言い返さない父親にも「なんでそんなひどいこと言われてんのに、何も言わんのかな」とか、そんなんもあったりしましたけど。

尾崎:答えられる範囲でいいのですが、旦那さんとはどうして離婚したいんですか。

島田:いろんな事件というか、何だろう。これみたいなのはいっぱいありすぎて、なんですけど。だから多分友達からもすごい言われるのが、いっぱいタイミング、これ離婚の原因でしょみたいなタイミングいっぱいあったのに、なんで今までしなかったの? みたいなことも聞かれて、私もそうだよなって思うんですけど。原因としては簡潔に言うとお金の価値観の違いと。あとはもう、めっちゃ簡単に言うと性格の不一致ですかね。

尾崎:もし旦那さんと性格がばっちり合っていたら、どんな人生になっていると思いますか。

島田:考えたこともなかった。うーん。でも合ってたら、普通というか幸せには暮らせてただろうし。その幸せって何なんかなって考えたら、子供のことだけ考えるというか。家族のお金のことを普通に話せたり、子供の今悩んでることとかを話し合ったりとか。多分、みんなからしたら普通かもしれないんですけど。

そういった話し合いができる家族になれてたんじゃないかなと思う反面、今聞かれて、ふと思ったのが、でもそうすると、私の副業したいとか、収入の柱を増やしたいとか、アパレルで頭打ちだからちょっともっと他に転職とかは考えつかなかったかもしれない。旦那と離婚したいっていう欲望がなければ、多分そんなこと思ってないかもしれないです。

尾崎:そのことに対してどう捉えてますか。

島田:難しいですね。それはね、何も考えずに幸せになれたのなら、それもそれでいいのかなとも思うけど。でも今、いろんなことやってきて、すごい挫折する自分も嫌いだったんですけど。でもWebライターは今のところ諦めずにできてたり、何か学ぶことが楽しかったりとか。そういう道が1個増えてるってこともいいのかなって、幸せなのかなって。

どっちがどうとかはわかんないですけど。でも、今聞かれて、ずっとこんな旦那選んでしまった自分って……みたいな、すごい悲観的だったんですけど。自分が悪いと思って、ずっと我慢してきてたんですよ。

旦那を許してしまった自分。自分が許したからとか。自分が離婚しないって決断してるからとか。実際そうなんですけど。自分で自分が嫌になるというか、っていうのがあったけど。でも、それはそれでよかったのかなって今ちょっと話してて思いました。

尾崎:よかったです。ちなみに学生時代とかはいざこざのときに言い返すっておっしゃってたじゃないですか。旦那さんには、どうですか。

島田:最初の頃はめっちゃ喧嘩してたんですけど。言い返しても話ができないというか。出てっちゃうんですよね、すぐ。できちゃった婚だったんで、最初の頃っていうのは娘が赤ちゃんとか。2歳とかで2人目生まれても、ちっちゃいときによく子供が寝てから「これってさ」みたいな話を始めると、もう喧嘩になる。出ていくみたいな。

それが多くて、バターンって出ていった衝撃で子供が起きて。また寝かすのも自分。それがしんどいっていうか、後処理も全部自分1人なんだみたいな。私は子供を置いて家を出るとか考えれないんですけど。そういうの平気でできる人なんだなみたいな、諦めというか。もうそこに体力使ってる場合じゃないみたいな。

島田:私はもう寝かすことに命を懸けてたし。それで全部持っていかれるから、1日どう過ごすかみたいな。喧嘩に体力使ってる場合じゃなかったし、使える気力ももうなんか残ってなかったから。

子供には見せたら駄目だと思って、溜めて溜めて溜めて話せるときに話すみたいなのをしてたんですけど、子供がそれこそ下が0歳で上が2歳のときとかは、育休とかなかったんで。そのときバイトだったんで辞めるしかなかって。

2人育児してるときとかも記憶にないぐらい。なんか、どうやって過ごしてたんだろうって今思うぐらい1日を過ごすことで精一杯だったんで。そうすると忘れちゃったり、何か言おうと思ってたんだけど何だったっけとか、あのとき思ってたことを今言うとなると何か違うとか。すごい機嫌よく帰ってきたのにまたこの話をして、怒って出ていくんだろうなと思ったらできなかったりとか。

だから、そんなことを思ってると反論することもやめてしまいましたね。私が言うことを諦めれば、波風立たないというか。でもずっと自分の中でモヤモヤしてるんですけど。

尾崎:何か言い残したことはありますか。

島田:独り言に近いんですけど。旦那と離婚したいっていう気持ちってめっちゃ強いし。本当に不謹慎ですけど、死ねばいいのにってお祈りしてたぐらい。死んでくれたら私って未亡人になれるし。誰を傷つけることもなく、自由を手に入れられるみたいな。

離婚するっていう選択を私がしてしまうと、子供たちが。特に息子は家族で仲良くしたいみたいなタイプなんで私のせいで傷つくとか。親とかもそうですけど、親からもせっかくね、できちゃった婚でちょっと順番逆じゃんみたいな感じになったのにも関わらず認めてくれたりとかして、結婚式とかに来てくれた人の顔とかも浮かんだりして。それを裏切る行為みたいな。

その選択を自分がしてしまうのは。悪者になりたくないじゃないけど、なんかそれもあって踏ん切りがつかない。だから、未亡人になれたら悪者にならなくて済むのにみたいな。今もなくはないけど。

だんだんと、友達から言われた一言が大きかったんですけど。我慢してる時間もったいなくない? みたいな。確かにそうって思って。だからさっき自分が優先って言ったのと反するかもしれないんですけど。

いや、結局、自分勝手なんかな。ちょっと待ってくださいね。自分さえ我慢すれば、みたいな。なんか本質じゃないところで思ってたっていうか、自分さえ我慢すればいいんでしょっていう。被害者妄想みたいなのがあったのかもしれない。

だから何かあっても言わないっていうのは面倒くさかったのも、それは正直あるけど、旦那に言い返さないのも、それを許すのもできる妻じゃないですけど。理解のある妻、みたいなお面をかぶってるというか。もっと、死ねばいいのにみたいなドロドロした自分は奥底にいながらも。

ごめんなさい、まとまらないけど、話してて、そういう被害者妄想というか被害者っぽくしてた方が楽だったんかなみたいな。だから自分が優先順位高いっていうのも納得っていう。

あとがき

今回のあとがきも、インタビューの内容とはかけ離れてしまうのですが……
体調を崩して新しい発見があったので、聞いてくださいませ。

体調を崩したというのは、20年振りくらいに39.5℃の高熱が出たんです。一晩で37℃台まで下がったのですが、そのまま3日間37.5〜38.8℃をいったりきたり、なかなか熱が下がりませんでした。

私は病院が苦手で、薬も好きでないので(なんか負けた気がしちゃう)、ビタミンCと梅肉エキスを補給して家の中でじっと耐えていました。

私は3歳半の娘を育てています。夫は忙しく、熱が出ていようと土日はワンオペ育児です。YouTubeの力を借りながら、まあ、なんとか外に出ることはなく家で過ごしたのですが、娘とのやり取りの中で新たな気づきがありました。

それは、娘のささいな行動に「ママ大好き」という気持ち、ママとコミュニケーションを取りたいという気持ちが隠されているということです。

私がソファーで横になっているときに、ミニキーボードという3歳半でも持ち運べるくらい小さな電子ピアノを娘が持ってきて、私の腕の上に乗せて遊び始めたんです。

いつもだったら、ソファーから少し離れた机の上で遊ぶようお願いするのですが、今回は注意する気力もなく……。私の腕の上にあるミニキーボードで遊ぶ娘をただただ見守りました。

「ママ、『ちょうちょ』弾いて」とリクエストがあったので、横になったまま『かえるのうた』を弾くと、娘はうれしそうな笑顔になります。そして、童謡が流れる絵本を持ってきて、「これが『ちょうちょ』よ」と言いながら絵本の音楽を流し、リズムに乗って体を動かし始めました。その間、私はじっと娘を見ています。曲が終わると、満足そうにミニキーボードと絵本を元のあった場所にお片づけ。お片づけしなさいなんて、ひと言も言ってないのに。(いつもは片付けしないんですよね……)すごく驚きました。

もし、私の腕の上にミニキーボードが置かれた瞬間「机の上で遊んでね」と伝えていたら、どうなっていたんだろう。わざわざ私の腕の上に置いたということは、私とコミュニケーションを取りたかったんだろうなと思うので、机の上で一人で遊ばせていたら娘は、さみしさを抱いたのではなかろうか……。きっと、お片づけすることもなく、いつものように机の上にミニキーボードを出しっぱなしにしていただろうなと思います。

私は娘を否定したくないと思って育児をしてきたけれど、「机の上で遊んでね」と言うことさえ、実は娘を拒否していることになっていたのかもしれないと思いました。育児って難しいです。これからもっと高度な子育ての悩みが出てくるかもしれません。でも『大好きなママとコミュニケーションを取りたい』という娘の気持ちの機微は察知できるよう心の余裕を持っておきたいと思いました。

読者のみなさま、最後まで読んでくださりありがとうございます!
おかゆさん、ご参加ありがとうございました!

またお会いしましょうね。

【インタビュー・文字起こし・編集・あとがき:尾崎ゆき】

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #結婚 #ライター

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