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誰かの中にあるものを形にしたい人

むかしむかし、ある村に「形にする」という名の優しい職人が住んでいました。形にするは、人々の心の中にある思いを、形あるものに変える不思議な力を持っていました。
ある日、一人の少女が形にするの工房を訪ねてきました。
「私の夢を形にしてほしいの」
少女は言いました。形にするは、少女の目を見つめ、その心の中を覗き込むように静かに問いかけました。
「あなたの夢は、どんな色をしていますか?」
少女は目を閉じ、心の中を探りました。
「空のような青色...でも、夕焼けのようなオレンジ色も混ざっているの」
形にするは黙ってうなずき、粘土を取り出しました。
その手から生まれたのは、青とオレンジが溶け合う美しい鳥の置物でした。少女は目を輝かせました。
「まさにこれよ!私の心の中にあったもの!」
噂を聞きつけた村人たちが次々と訪れるようになりました。
商人は「私の情熱を形に」と願い、赤い炎のような花瓶が生まれました。
農夫は「大地への感謝の気持ちを」と願い、実りの形をした風鈴が作られました。
形にするは言いました。
「誰の心の中にも、形を待っている大切なものがあります。それを見つけ出し、形にすることで、その思いは永遠に生き続けるのです」
やがて村は、心の形が集まる場所として知られるようになり、遠くから人々が訪れるようになったとさ。
めでたし、めでたし。

と思う2025年07月27日23時56分に書く無名人インタビュー1135回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】


今回ご参加いただいたのは 狩田ネコ さんです!

年齢:60代前半
性別:オス
職業:グローカル出版インタビュアー



現在:自分がいろんな方の話を聞く中で、知らない世界を覗きながら、ほかの人たちにとっては自分もほかの人が知らない世界を届けているんだなと感じています。

qbc:
今、何をしている人でしょうか?

狩田ネコ:
もともとメディアの記者兼編集長をしておりました。今インタビューを受けておりますが、私もいろんな方へインタビューをしながら、さまざまなコンテンツにしてきました。これからまた新たな形でやろうと思って活動しているところです。

qbc:
準備中ってことですかね?

狩田ネコ:
そうですね。まもなくスタートする予定です。

qbc:
今現在は何をされてるんですか?

狩田ネコ:
会社員です。広報PRのお手伝いをさせていただいてます。多くの人に知ってもらいたい仕事や活動をしている人たちのテレビ取材や新聞取材獲得をしています。

qbc:
インタビューというのは、お仕事の一環として行っているのか、趣味としてなのか、お聞きしたいです。

狩田ネコ:
いわばライフワークですね。仕事でもあり、最高の趣味でもあります。

qbc:
なるほど。どんなインタビュープロジェクトというか、企画にする予定なんですか?

狩田ネコ:
2017年に高島炭鉱の元炭鉱夫だった方の小冊子作りに参加して、インタビューと文字起こしを担当しました。それをもとに関係者が小冊子にまとめたのですが、以前ラジオ番組のパーソナリティをやっていた私の経験から、ラジオドラマになるのではないかと閃いて地元のラジオ局にドラマ化を提案しました。2020年5月にラジオドラマとして放送されましたが、小冊子とラジオドラマはその4年後、軍艦島を舞台にしたテレビドラマの脚本の資料として元島民へのインタビューなどとともに脚本家の方に採用していただきました。脚本家の方が元炭鉱夫の方を直接訪れてインタビューもされたそうです。全話放送終了後、元炭鉱夫の方にテレビ局からお礼状とともにテレビドラマのブルーレイディスクが届いたそうです。

8年ほど編集長をやりましたが、ポテンシャルがある方は不思議なくらいインタビューがいろんなコンテンツに連鎖していきます。ところが自分自身でその可能性に気づく人はほとんどいません。だから、その可能性を引き出せるインタビューができたらいいなと思います。

qbc:
他に趣味とかあったりするんですかね?

狩田ネコ:
読書が大好きです。小学1年生の時から学校図書館の常連で手元にいつも本がある生活です。トイレに行く時もつい1冊持って入ります。だから、50年以上ずっと手元に本を置いている生活です。

qbc:
どんな本が好きなんですかね。

狩田ネコ:
小説はあまり読みません。漫画もあまり読みません。いわゆる自己啓発本やビジネス書が子どもの頃から好きでした。

子どものときに初めて買った本が、日本マクドナルドを作った藤田田さんという方が書いた「ユダヤの商法」。当時ベストセラーになった本ですが、それを小学生で貪り読む変な子どもでした。

qbc:
仕事と趣味と、生活時間以外で何か他にやられていることってありますか。

狩田ネコ:
LinkedInというビジネス系SNSを去年ぐらいから始めました。いろいろ投稿していたら、いろいろな方とつながりができました。

メッセージの交換だけじゃなくて、わざわざ私に会いに来られる方が何人もいました。私も仕事で東京や神戸に行った際にお会いしたりという交流が続いています。

qbc:
その後、インタビューの新しいことを、っていうのは何か具体的に進められているものとかあるんですか?

狩田ネコ:
インタビューしたものを書籍などにコンテンツ化する市民団体を作りました。

qbc:
実際に、何をされているんですか?

狩田ネコ:
まだ作品にはなってないですけども、Kindleを作ってます。

qbc:
まだ出せてないけど、作っているっていうことでしょうか。

狩田ネコ:
そうです。

qbc:
わかりました。最近、どんな気持ちで日々生きていらっしゃいますか。

狩田ネコ:
いろんな経験をしてきて、本当に生かされてるなあっていうのを、ここ数年はすごく感じるようになってきましたね。
人間って本当にすごいなぁと思います。
可能性を秘めているというか、今までいろんな方の話を聞く中で、その方の体験を追経験しながら、自分自身もきっと、そんな一人なんだろうなという感覚を日々感じてます。そういう気持ちで生きています。
バブル世代なので、若い頃はお金とか名誉とか地位とかそういうものに執着がありました。だけど、ここ数年で大きな変化を感じるのは、そんなものは本当の価値ではないと感じます。すごく綺麗事みたいな言い方ですけど。

qbc:
日々の生活で感じる感情、喜怒哀楽という観点で言うと、どのような気持ちを抱いていらっしゃいますか?

狩田ネコ:
それは楽ですね。人生、楽しいっていう感じはすごくありますね。

qbc:
何が楽しいんですかね?

狩田ネコ:
以前だったらそんなに面白いと思わないようなことでも、「あー、面白いな」っていうふうに感じるようにはなりました。なかなか言語化が難しいんですけどね。

qbc:
どんなことですか?

狩田ネコ:
管理職をしていると、若い部下の言動などについイライラすることがあったのですが、最近はイライラしなくなりました。

結局、自分が抱いてきた古い価値観に自分がこだわりすぎてるよね、というふうに思えるようになりましたね。そのことに気づいてからは、どんな些細なことでもなるべく楽しもうと無意識に考えているようです。

qbc:
いつからの話なんですか?

狩田ネコ:
ここ4、5年でしょうかね。

qbc:
4、5年前と今って環境が違うと何が違いますかね?

狩田ネコ:
2020年の夏にこの会社に呼んでいただいて、入社したことが大きいですね。

フリーランスと会社員を行ったり来たりで、自分でもびっくりするぐらい、いろんな職種、いろんな仕事を経験してきました。

そうすると会社が変われば常識が変わる。相手が変われば何もかも変わることを山ほど体験したんです。以前は相手の言動に結構イライラしていた時期があり、すごく怒りっぽい性格でした。でも、そんな怒りっぽい時って何をやってもうまくいかないみたいなんですよね。

紆余曲折の人生の中で、せっかく手に入れたマイホームなど大事なものを手放さなきゃいけない経験もしましたから、そこまで追い詰められたら「もういいや」と開き直るしかなかったんです。そしたらイライラの原因は相手にあるのではなくて、自分がただイライラしていただけだったんじゃないかと気づきました。

相手のせいだとか、何かのせいにしようとすると、結局すべて自分にはね返ってきます。逆に今のように意識してでも楽しもうとすれば、周りの環境も不思議なほど少しずつ楽しい環境に変わっていくんですよ。これは実体験として感じています。

qbc:
きっかけがあったんですか?

狩田ネコ:
もう四半世紀前のことですが自己破産した経験があるんです。いろんなことがありました。もう本当に紆余曲折あって、家族とも離れ離れになるかもしれない危機もありました。

すると「どうしてこうなった?」と考えざるを得なくなるんです。その結果、実は全部自分が原因だと気づいた時、本当に自分が悪かったんだって心底思えて涙が出たんです。その途端に困難極まりなかった状況が次々に解けていって、自分を縛っていた様々な状況がスルスルっと解けていく実体験をしました。内面が変わったら周りの環境が激変する本当に不思議な体験でした。

qbc:
自己破産っていつなさったんですか?

狩田ネコ:
2000年頃ですね。だからもう25年ぐらい昔です。

その前から、自分の内面が変わると環境が変わることは読書を通じて知識としては知っていました。そして何度も実践しようとしました。でもうまくいきません。だから心の底から本心で変わらなきゃダメという意味が破産を経験してわかった気がします。以前とは雲泥の差です。その後も、順調だったわけではありませんが、それも必要な経験だということも今はわかります。それでも少しずつ、自分の思ったように自分の生きたいように生きることができる流れが来た感じです。

若い頃は自分が表に立とうとばかりしていました。いわゆる目立ちたがり屋でした。でも年齢を重ねるにつれ、自分が目立つことには興味がなくなりました。その代わり表に立った方がいい人を表舞台に立たせることが面白くなってきたんです。その道具がインタビュー。相手のいいところを掘り出してあげられるようなインタビューをやりたいなと。それがやっぱり自分のライフワークじゃないかな?というところに行き着いた感じですね。

qbc:
人からはどんな性格だって言われたりしますか。

狩田ネコ:
いろいろ困難な状況に追い詰められていた30代の頃、知り合いの社長さんに言われた言葉ですが、「目が円マークになっているよ」と言われちゃいました。かなりショックでしたが、多分当時の必死さが表に出ていたのでしょうね。笑

今では丸いというか、どうしてそんな風にいろんなことを受け入れられるんですか?と言ってもらうことが多いですね。

qbc:
具体的には、何を受け入れているという感じなんですか?

狩田ネコ:
人はそれぞれ考え方も違うし、意見も違うじゃないですか。

それが原因となって、ついぶつかり合ったりしますよね。今でも私もそういう時はあります。それでも破産した時の不思議な体験を思い出して「その考え方は自分のエゴじゃないか?」と思えるようになりました。だから一呼吸おいて、いろんな多様性を受け入れようという姿勢が身についたのでしょうね。それは自分でも感じます。

qbc:
人からはどんな性格だって言われますか?

狩田ネコ:
穏やかとか優しいとか言われますね。自分で言うのは恥ずかしいですが。

qbc:
では、自分ではどんな性格だと思います?

狩田ネコ:
自分では好奇心旺盛だと感じます。
こだわったら結構しつこいんですよ。興味を持ったものにトコトン突っ込んでいくタイプです。そういう性格だと思います。

qbc:
距離の近い人、家族とか親友とか距離の近い人から言われる一面ってあります。

狩田ネコ:
35年間妻に言われ続けていますが、人の言うことを聞かないと言われます。ほかの家族からも同様に言われます。他人からは不思議なくらい言われたことがありません。なぜでしょうか?真逆のことを言われます。

qbc:
思い当たる節ってありますか。

狩田ネコ:
あり過ぎるくらいあります。長年連れ添っている妻には私のいろいろな面が分かるじゃないですか。なので妻から言われることが本当に図星なんですよ。その言い方にしろ何にしろ、もうあまりにも図星過ぎるので、パブロフの犬のように条件反射で即座に反発するんですよね。

ところが他人の方に似たことを言われたとしても、即感情で返すようなことはありません。皆さんも大人ならムカっとしても、そのまま反応はしませんよね。その違いだと思います。

qbc:
具体的なエピソードあります?

狩田ネコ:
昔浮気しちゃったことがありますが、妻とテレビを観ていると、そういうシーンが出てきたりするじゃないですか。それに対して私が無意識にリアクションしちゃうわけですよ。

すると妻に「私と話さないのにテレビとは話すのね」みたいなことをよく言われるんです。その時に「自分の浮気は棚に上げてよく笑えるね」みたいなことを言われるんですよ。それを受け流せないんです。笑

これが他人だったら笑いで返せるんですけど、身内から言われると笑えない図星の指摘なので、条件反射で反発しちゃうんです。そんな昔のことを!と。そういうところはありますね。

qbc:
好きな食べ物なんですかね?

狩田ネコ:
好きな食べ物は子どもみたいですが、カレーですね。

qbc:
どんなカレーなんですかね?

狩田ネコ:
あんまり辛いのはダメなんです。カツカレーが好きです。

qbc:
そうすると、家のカレー的なあれがいいんですかね?インドカレーとかそういうのじゃなくて?

狩田ネコ:
我が家では普通の市販のカレーですが、特にこだわりはありません。


過去:悪いことしちゃいけませんけど、そういうことに気づくためにこの経験があったのかなって

qbc:
過去について見ていきましょう。子供の頃はどんなお子さんでしたかね?

狩田ネコ:
子どもの頃は本当に変わった子だったと思います。いろんなものに興味を持っていました。

小学生の頃はとても田舎で近所に電気屋さんがありませんでした。当時のブラウン管テレビは真空管式で走査線がずれたりして、画面が映らなくなることがしょっちゅうありました。すると近所の方が私に修理を依頼するため、うちに電話してくるんです。そこで、小学生の私がテレビの修理に行ったりして、小遣いをもらったりしていました。
そのほかにも僕と同世代ぐらいの方はご存知だと思いますけど、昔はガリ版という簡易印刷機があって、ガリ版で印刷物を作るのが得意でした。先生に頼まれて学級通信の記事も時々書いていました。小学4年生の時、捨てられていたガリ版を拾ってきて親父に修理してもらって週刊のガリ版新聞を発行して同級生に勝手に配っていました。それがメディアとの最初の接点ですね。

qbc:
その時の気持ちって覚えてます?

狩田ネコ:
ともかく、楽しくてワクワクしていました。画用紙で名刺や報道腕章も作りました。子どもなのでアポイントを取るっていう概念がありません。

土曜日の午後とか日曜日とか、ネタ探しで手帳を持って適当に外に出るんです。とはいえ子どもが子どもにインタビューしても全く面白くないので、大人がいるところにノーアポでいきなり行くんです。取材させてくださいって。笑

最初はみんなびっくりするんですけど、子どもなので面白がって応じてくれるんですよ。もちろん怒られて追い返されることもありましたけど、それでもメゲない子でした。ワクワクしながらそういうことをやっていました。

qbc:
幼稚園や小学校入る前の、本当に小さい頃の好きな遊びって覚えてらっしゃいますか。

狩田ネコ:
保育園の頃、よく友達と畑で遊んだりしていましたね。また建設会社の社長の息子と工事の資材置き場に潜り込んでコンクリートミキサーの中に入って遊びました。昔は手回しのコンクリートミキサーがあって、その中に入って宇宙遊泳とか言いながら人間が入ったままグルグル回して遊んでいました。そういう危ない遊びをよくやって、よく叱られました。

qbc:
年齢的なところ、駆け足になるんですけど、十代の頃ってどんな人間だったなということです。

狩田ネコ:
十代の頃は、基本的にわがままで自分のやりたいことを突っ走ってやりました。今も似たような性格かもしれませんが。

当時はいろんなことに興味があるので、古い短波ラジオを修理して海外の日本語放送を聴いていました。受信レポートをエアメールで海外の放送局に送ると、今度は放送局からベリカードという綺麗なカードを送ってきてくれるんですよ。当時はそれを趣味にしている人が子どもから大人までたくさんいましたし、専門紙もありました。ラジオオーストラリア、VOA(ボイスオブアメリカ)、北京放送局など海外から届く日本語放送がたくさんありました。

高校とか大学の時はエスペラント語を使って世界各国の人たちと文通していました。今でも世界で200万人ほどが使っているそうですが、ザメンホフというポーランドの医師が作った人口言語です。そのエスペラントを使った交流会に招かれたお陰で、実際にナチスドイツと戦ったポーランド人のレジスタンスのお爺さんと広島で話したこともあります。ともかく思ったことをすぐやってみる人間でしたね。

qbc:
その興味の方向性っていうのは何か思い当たるところありますか。

狩田ネコ:
高校生では8ミリ映画も作っていました。大きな意味でのメディアに興味があったような気がします。

映画雑誌に取材されたこともあります。これは偶然というかハプニングですが、大林宣彦監督にお会いしたこともあります。

qbc:
高校生の時はどんな作品を作ったんですか?

狩田ネコ:
映画雑誌に取り上げられた作品は、日本沈没で有名な小松左京という作家の原作で『8月の寒い朝』というSF映画です。当時高校生でしたが大人の方のプロダクションに無理やり潜り込んで助監督をやらせてもらいました。
監督が書いた脚本を私が清書して自分のガリ版で印刷し、それをホチキスで一つずつ製本して皆さんに脚本として配りました。今思うと、監督にうまく利用されただけかもしれませんが。笑
監督の指示で久留米の繁華街で映画に出演してくれそうな女の子をスカウトしました。繁華街の組合から通報されて、警察官に交番に連れていかれて職務質問されたりもしました。

qbc:
ご両親からどのように育てられましたか。

狩田ネコ:
両親ともに昭和11年生まれで子どもの頃に戦争体験した世代ですが、割と自由にさせてもらいました。あまり勉強しろと言われなかったし、やりたいことを自由にやらせてくれる両親でした。今の自分があるのは両親の存在が大きかったと思います。

qbc:
高校卒業後の進学はどうなりましたか?

狩田ネコ:
映画作りに没頭していたので大学受験に失敗して行き先がなくなりました。大学落ちてどうしようかなと悩んでいる時に駅前で自衛隊のおじさんに声をかけられて、自衛官になりました。ほんの2年ほどですが自衛官をやっていました。

qbc:
そのあとは?

狩田ネコ:
自衛隊では航空管制官になる候補生にまでなりましたが、当時は学に行けなかったコンプレックスが根強くて自衛隊を辞めました。その後1年間の予備校生活を経て大学に入りました。

学費を自分で調達するために夜学の大学に行きました。その時、アマチュアカメラマンとしていろいろな撮影を手掛けました。

qbc:
そのあとは?

狩田ネコ:
大学卒業した時はバブル真っただ中でしたのでマンションデベロッパーに入社して、4年ほど不動産関連の仕事をやりました。

qbc:
そのあとは。

狩田ネコ:
それからです。会社員とフリーランスを行ったり来たりする人生になったのは。全部は思い出せないくらい、フリーランスも含めていろいろな職業を経験してきました。

qbc:
具体的に、フリーランス時代は何をされていたんですかね?

狩田ネコ:
最初は映像制作です。

qbc:
映像制作って、その映像制作経験がなかったじゃないですか?アマチュアでやってたっていうだけで。

狩田ネコ:
アマチュアと言いましたが映像制作会社と業務委託契約を結んでカメラマンをやってたので一応プロでしたね。

その後、マンションデベロッパーにも入ったんですが、たまたま知り合った映像制作プロダクションの撮影業務を、休みの日に請け負ったりしながら続けました。

またフリーランスになった時は営業もやってくれないかと頼まれて、いろんな企業に飛び込んでPRビデオ制作を提案したりして仕事をもらったり、いろんな仕事をしました。

qbc:
映像制作以外では、どんなお仕事をされていたんですか?

狩田ネコ:
あとはライターですね。ゴーストライターも数件やりましたし、記者会見原稿を書くという仕事もありました。作品名は言えませんが、ある映画の企画書を頼まれて書いたこともあります。その後、映画は大ヒットしましたがギャラは変わりません。雇われとしてはコンビニの店長から半導体工場で働いたり、保険外交員もやりました。電気工事会社の管理部長もやりました。

qbc:
なんでそんなに転々としてたんですか?

狩田ネコ:
説明が非常に難しいんですけど、自分で転々としたくてしたわけではないんです。例えば会社が突然なくなったこともあります。リストラされた経験は3回あります。続けたくても続けられない経験を何度もしました。

前職のビル管理会社には2年程いましたが、適性がなくて続けるのが本当に厳しい状況だったんです。50歳過ぎて今までの経験が全く役立たない環境で一番下っ端で、毎日ダメ出しされるのは辛いなんていうものではありません。そのタイミングで「うち来てくれないか?」とお声がけいただいたのが今の社長なんです。だから説明が一筋縄ではいかないんです。

結果的に、いろいろと点々としたっていう感じです。

qbc:
望んだ結果なんですか?

狩田ネコ:
今となっては「すべて必然だったんだ」と感じています。

qbc:
いや、その当時、望んだ結果でそうなったんですか。

狩田ネコ:
望んだ場合もあるし、そうじゃなかった場合もあります。

qbc:
なるほどね。

狩田ネコ:
そこの説明がなかなか難しいんですよ……。

qbc:
破産してしまった理由っていうのは、何だったんですか?

狩田ネコ:
地上波ではありませんが、テレビの番組枠を買ったりしました。いろんなことに手を出して借金が膨らんだのが一番の原因です。知り合いの保証人になって本人がいなくなったり、事故で亡くなったりという経験もしました。

qbc:
なんで自己破産したんですか?

狩田ネコ:
負債が膨らみすぎまして。

qbc:
負債はどのくらいだったんでしょうか?

狩田ネコ:
番組枠を買ったり、イベントをやろうとしたり、資金が足りなくて借りすぎて多重債務というヤツですね。結果的に4000万円を超えていました。

qbc:
その時ってもうご家族はいらっしゃったんですか?

狩田ネコ:
そうです。はい。

qbc:
その時、どんな気持ちだったんですか?

狩田ネコ:
その時は完全に思考停止です。考えることができない状態でした。

qbc:
自己破産って自分からやる行為じゃないですか、考えないとできないですよね。他人から言われることじゃなくて。

狩田ネコ:
もちろんそうですけど。

qbc:
自己破産したその後は?

狩田ネコ:
現職以外にもかつての知り合いの方からうちで働いてくれと電話をいただいたりとか。説明するのが本当に難しいんですよ。実際に自分の身に起こったことですが。中には迷惑をかけた相手も含めてたくさんの人から助けていただいた人生ですね。

qbc:
ポツポツとこれまでの人生を振り返る形になりましたけど、人生の転換点ってどこにあったと思いますか?

狩田ネコ:
一番は、破産のタイミングだと思います。本当に。

qbc:
その時っていつごろでしょうか?

狩田ネコ:
先ほども話したように2000年だったと思います。なんで俺こうなったんだろう?って自問自答の日々でした。そして不思議なことに、裁判官にすんごい説教されたんですよ。

担当してくれた弁護士さんが、こんなこと経験したことないって言われたんですけど、その裁判官の方に「あんたはもうどうしようもない人間だけど、そのどうしようもない人間は今日この場で死んだから、今から生まれ変わりなさい」みたいなことを言われました。

細かい言葉までは覚えてませんけど、そういうことを言われた時、本当に涙が止まらなくなりました。その時に「全て自分が原因だったんだ」と思い知りました。そこからいろんなことが変わっていったんです。

どう解釈するかは人それぞれでしょうけど。本当に、反省というか、原因は俺だったんだっていうのを心底感じたんです。保証人になった相手を恨む気持ちがぬぐえず、それまでは「あいつのせいで」みたいなことをずっと思っていたんです。だけど、そうじゃないことに気づき、全て自分が原因だったことを心底感じました。その方の言葉で自然と泣けてきて。

悪いことをしちゃいけませんが、そういうことに気づくためにこの経験があったのかなと思っています。もう25年前の出来事ですが、四半世紀の時を経て今の心境に至ったのかなと思います。


未来:やっぱ若い人に残すとか、自分が自分がっていうよりも、ちゃんと次の世代に何か残していかなきゃいけないなぁって

qbc:
未来について聞いていきたいんですけども。この先自分が最後死ぬっていうところまでイメージして、どんな未来をイメージできますかね?

狩田ネコ:
メメントモリという言葉がありますが、人はいずれ死ぬ運命にあるので常に死は意識すべきだと思っています。
その中で、若い人に残すことを意識するようになりました。自分が自分がというよりも、ちゃんと次の世代に何か残していかなきゃいけないという想いはすごくあります。
進行中のインタビュー事業もその一環です。

qbc:
アイデア自体っていうのはいつ頃から思いついたのでしょうか。

狩田ネコ:
ずっと昔から無意識の領域にインタビューがあるんですよ。正しいかどうかわかりませんが、私自身の解釈ではインターは内面であり、ビューは観るで、内面を観る作業だと思っています。

記者時代もインタビューして私が書きますが、配信された記事を読まれた方からよく言われた言葉があるんです。それは「あれだけしか言ってないのに、どうして話していないことまでわかるんですか?」と、いろんな方に言われました。こちらはまったく意図していないんです。記事にも話されていないことを書いたりはしていません。ただ文面から本人にはそのニュアンスが伝わるようなんです。だからそういう形で本人も気づかない部分を引き出す役目があるのではないかと考えています。20年前とか30年前とか、ひょっとするとガリ版新聞を発行した50年以上前から、無意識の中にはずっとそれがあったんだと思います。

qbc:
インタビューをやりたいという思いもありますか。

狩田ネコ:
インタビューをやりたいというよりも、誰かの中にあるものを形にしたいと思います。その人にも内面に気づいてもらって、資産として形に残せるものにしたいという気持ちがずっとあります。
qbc:
それが職業にならなかった理由は?30年前から考えていたということで。

狩田ネコ:
私は職業の定義とは何だろうと考えることがよくあります。職業だと対価がいくらでお金をいくらもらわなきゃいけないでしょ?って言われますよね。お金もらわなきゃ、それは仕事じゃないでしょう、と。個人的にはそこに非常に疑問を持ち続けています。
記者の時もそうですけど、最初から仕事として受けるとか意識せずにいろんなことをやっていると、結果的に大きな対価を得てきた人生だからです。

それこそお金という対価に限定するなら小遣い程度、アルバイト程度のことが多く、例えば10,000円なり5,000円程度のことがほとんです。普通なら「それ仕事か?」と言われそうですが、それがきっかけとなって後日、全然違う仕事に結びついたりしてきました。

結果的に何十万円というお金をもらうことが頻繁に起こりました。だからこの概念を言語化するのがすごく難しいんですよ。

qbc:
本業にならなかった理由って何ですか?

狩田ネコ:
先ほどの話とリンクしますが、本業とは何か?も疑問があるんです。どこかいわゆる本業にすることに無意識のブレーキがあるのだろうと思います。

qbc:
ブレーキとは?

狩田ネコ:
直接お金をもらうことが仕事とか本業という定義に対して、子どもの頃から非常に違和感があるんです。そこに無意識のブレーキがあるみたいなんです。

qbc:
そんな難しい話じゃなくて、お金取りたくなかったから取らなかったんです、で済みますよね。

狩田ネコ:
ああ。なるほど。

qbc:
言い訳っぽくおっしゃってますけど、全然普通だと思いますよ。僕はお金取りたくないことがあるっていう。

狩田ネコ:
言い訳のつもりはありませんが、ごめんなさい。

qbc:
珍しくないと思いますけど。お金取りたくなかったっていうことですね。

狩田ネコ:
そうでしょうね。

qbc:
もしもの未来の質問っていうのをしてるんですけれども、自己破産してなかった時っていうのはどんな人生になったんですかね?

狩田ネコ:
もししてなかったら、半分偽りの人生だったんじゃないかなっていう気はしてます。
かつては承認欲求が強い、自分が自分が……みたいなところがすごく強い人間でした。

外面を飾るところが強かったんです。それがもっと大きくなっていたのではないかという気はします。だから今は、破産を経験したことはよかったと思っています。

qbc:
自分の人生で、自分の感覚として何をしているときが一番楽しいんですか?

狩田ネコ:
本を読んでいる時が一番楽しいですね。

qbc:
どうしてなんですか?

狩田ネコ:
自分でも理由はわかりません。

qbc:
最近、この本のここが楽しかったっていうのはありますかね。

狩田ネコ:
タフティザプリーステスというロシアの学者さんが書かれた本ですが、結構世界中で売れてる本らしいんです。潜在意識系の本ですが、今は一番好きですね。

qbc:
その、潜在意識というトピックの何が楽しいんでしょう?

狩田ネコ:
私の場合は、50数年間で体験してきたことを振り返ると、まさに本に書かれている通りという経験がいくつもあり、それを再確認しているのだと思います。それが楽しい気がします。

qbc:
もしも自分を変えるとしたら、どこを変えたいですか?

狩田ネコ:
自分を変えるとは?

qbc:
体でもいいし、心の部分でもいいし、何でもいいんですけど、親を変えるとかでもいいですよ。そこも含めて、何を変えて、過去のこの一点を変えるでもいいですし。

狩田ネコ:
人からは積極的な性格に見えるようですが、実はナイーブなところがまだまだあるので、それをもっと積極的な性格に変えたいとは思いますね。

qbc:
今のままで、積極性をっていう感じですかね。

狩田ネコ:
そうですね。うぬぼれみたいですが、自分が大好きなので。

qbc:
自分が好き。結局積極性があろうがなかろうが、自分は好きっていうことですね。

狩田ネコ:
自分が好きなんですけど、もっと積極的な性格になったらいいなと思います。

qbc:
最後の質問なんですけども、最後に言い残したことをお聞きしたくて。遺言でも読者向けメッセージでも独り言みたいなのでも構いません。

狩田ネコ:
今日インタビューをしていただいて、人からインタビューを受けるのが久しぶりだったのですが、ぜひいろんな方に自分の棚卸しをしてもらいたいですね。インタビューという形でもいいし、何でもいいので、人生の棚卸しをしてもらえたらいいなと思います。なかなかまとまりませんでしたが、とても楽しいインタビューでした。ありがとうございました。


あとがき(編集)

20代も中盤になったせいか、これまで「どうして自分は〇〇な性格なんだ」「こういうスキルがないせいで……」と一人で落ち込んでいたものが「もう、内側にベクトルを向けるのはやめやめ!」みたいに振り切ってしまうことが増えてしまいました。これはいいのか悪いのかは分かりませんが。内省グセを取り去ろうとしている自分に対して、また悩んだりしています。悩んでばかりです……。

でも、その後何十年かして「久々に振り返ってみてよかった」と思える日がやってくるのか。そういう明るい未来を信じていいのか。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:一休誰絵】


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