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東日本大震災で亡くした同級生より私が死ぬべきだったんじゃないかと思った人

無音の世界。誰に声も聞こえない世界。音のない世界。何の物音もしない世界。
わかりきった世界。そうでもない世界。沈んだ目をした、くすんだ頬の色をした、私の姉さん。
ねえさんは、このほど、耳の聞こえない世界に生きる人々のために手話を教えることになったんだ。
その話を聞いて、私はびっくりした。姉さんが手話を教えるなんて、初めて聞いたからだ。でも、姉さんはいつだってやさしい人だから、手話を教えるのも、当然のような気がした。
私たちは、姉さんと一緒に手話を勉強し始めた。最初は、手話ってこんなに難しいんだと思ったけど、姉さんの教え方がとてもわかりやすくて、少しずつ覚えることができた。
そして、ある日、私たちは、聴覚障害のある人たちが集まる集会に招かれた。初めて手話を実践する機会を得た私たちは、緊張と興奮でいっぱいだった。でも、会場に入ると、そこは無音の世界ではなく、手話や笑い声であふれかえっていた。
私たちは、その場でたくさんの人たちと手話でコミュニケーションをとった。最初は不安だったけど、聞き取りにくかったり、間違えたりしても、みんな優しく教えてくれた。それに、手話って言葉だけでは伝えられない表現力があって、本当に魅力的だと思った。
その日以来、私たちは、姉さんと一緒に手話の勉強を続けている。手話を通じて、沢山の人たちと出会い、新しい世界を見ることができた。私たちは、姉さんが手話を教えることになって本当に良かったと思っている。
ということで、無名人インタビュー、今日も、本日も、よろしくお願いいたします!!!
【まえがき:栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 栗子 さんです!

現在:自分としては、ゆったりゆっくりのんびりしてるんですけど。ただ、何かやれってなったら、すごい突っ込む。それ今やらなきゃいけないの?とか。

くじらぐも:今、何をしている人ですか?

栗子:私は今は、仕事を辞めて。で、明日明後日からまた次、新しい仕事が始まるので。今は、仕事としては決まったものはしてないです。

くじらぐも:趣味はありますか?

栗子:趣味は、ペン習字の師範を取ろうとしてるので。そっちを今、一生懸命習ってます。

くじらぐも:今は、大半の時間をペン習字に当ててる感じですか?

栗子:そうでもないですね。子供の日本語支援のボランティアとかもしてるので。なにかしら、忙しくはしてます。

くじらぐも:他に、今の生活の中でしていることはありますか?

栗子:食についてすごい調べてます。

くじらぐも:食ですか?

栗子:はい。やっぱりコロナが流行ってから、健康というものを意識するようになって。それでやっぱり人間は食べ物でてきてるなっていうので。何を摂ったら、体にどういう反応が起きやすい、とか。健康意識がすごい、コロナを通して、経験して高まりました。

くじらぐも:コロナを通して、変わったことって他にあるんですか?

栗子:コロナを通して、日本社会を感じましたね。やっぱり。同調性だったり。
例えばワクチンを私は打ちませんっていう人、そういう意思のある人への、差別的な態度だったり。職場でも、プライベートでも。そういう、やっぱり、村社会じゃないですけど。
みんなやってるのに、なんであなたはやらないの?っていうような雰囲気。マスクにしても。
それぞれ事情はあるのに、みんながやってることをやらないことに関しての、全然知らない人への視線だったり。そういう日本的なものは感じましたね。

くじらぐも:その日本的なものについては、どんな感情を持ちますか?

栗子:私は、うーんと。それはもう、日本の良い部分でも悪い部分でもあると思うので。それを特に、直すとか正すとか、それはちょっとよくない、アメリカみたいにみんな自由にしよう、って呼びかけるつもりもないんですけど。ただ、そういう面が出てくるのが日本だよな、っていう。違和感は抱きつつ、ただそれは別に誰が直すものでもないと思ってるので。
こういうのが、自分の育ってる国だなっていうぐらいですね。

くじらぐも:最近、何か楽しかったことってありますか?

栗子:楽しかったことは、高校時代に知り合って、大阪で育った子が、日帰りで東京に遊びに来てくれたので。それがすごい楽しかったです。

くじらぐも:それは、何をされたんですか?

栗子:それは全然、お花見しようって言って、桜が有名なところをちょっと歩いてたんですけど。そんなに桜はまだ咲いてなくて。
ただ普通に喋ってただけです。喋ってるのが楽しかったです、やっぱり。久しぶりに会えて。
で、1対1でずっと、好きな話したり、話題があちこち行ったりするんですけど。それでも、滅多に会える友達じゃないのですごい貴重な時間でした。

くじらぐも:特に楽しかった話題とかって、聞いてもいいですか?

栗子:それは、やっぱり、これから自分たちがどうやって人生を歩んでいきたいか?っていう話で。仕事にしろ、趣味にしろ、やりたいことを、バーってお互い言い合ったのがすごい楽しかったです。

くじらぐも:人から、ご自身の性格について何と言われることが多いですか?

栗子:えー、のんびりしてるねとか。何考えてるかわかんないねとか。すごい怒ったことある? とか。多分本当に、のんびりしてるねっていうのが、そうなのかなって思うんですけど。
基本的に、本当にのんびりしてたいんで。のんびりしてると思います。

くじらぐも:のんびりしてるエピソードは何かありますか?

栗子:のんびりしてるエピソードは、みんなが受験のときとか、進学に向けてみんな一斉に、やっぱり塾に行ったり、勉強始めたりするじゃないですか。そうしてたんですね、私の環境では。
でもそれも、あと1年あるんだし、別にそんなに急がないでいいんじゃない?みたいな感じで。私は別に行きたい学校もないし、今勉強する必要ないかな、みたいな感じで過ごしてた学生時代だったので。その辺からスタートして。
社会人になっても別に私、誰と競争してるわけでもないし、っていう感じの働き方ですね。結婚にしろ何にしろ。多分そうだと思います。

くじらぐも:ご結婚はされていらっしゃるんですか?

栗子:まだしてないです。

くじらぐも:お住まいはどちらでしょうか?

栗子:ずっと東京です。

くじらぐも:東京はどんなところですか?

栗子:東京は、東京の人っていうのは少なくて。やっぱり地方から出てきた人がすごい多い都市じゃないかなって思ってます。

くじらぐも:そこで育ってきた自分と、他から来た人で、ここが違うなって思うようなところってあるんですか?

栗子:やっぱり親、実家が東京にあるっていうのは、気持ち的に。私の場合は親ですけど、無料の話相手がいつでも近くにいて。で、自分が育った家も変わらずに、働くところの近くにあるっていうのは、やっぱり地方から出てきた子たちにはない強みでもありますけど。
それがあるからって甘えちゃうと、なんだろう、大人としてちょっとそれは、地方組とはすごい違うよねっていう。覚悟ですよねやっぱり。ハングリー精神とかそういうのは、東京組にはないかな、とは思いますね。

くじらぐも:ご家族はどんな方なんですか?

栗子:私はひとりっ子で、両親と3人家族でずっと育ってきてるんですけど。父は、中国語の大学を出てるので、結構中国に行ってる期間が長くて、単身赴任だったので。ほぼ母子家庭のような形で育ちました。東京に私と母がいるっていう形ですね。

くじらぐも:お母さんはどんな方なんでしょうか?

栗子:母も父も出身は関西で、仕事でたまたま東京に来ただけなので。もう、典型的な関西人ですね。標準語は喋れるようになってますけど、夫婦の会話は関西ですし、やっぱり安いものが好きですし。せっかちではないんですけど、でもやっぱり、時間を効率的に使う関西らしさっていうのがある人たちですね。

くじらぐも:栗子さんも、それを引き継いでいると思いますか?

栗子:そうですね。関西人の血はバリバリ引き継いでると思うんで。自分としては、ゆったりゆっくりのんびりしてるんですけど。ただ、何かやれってなったら、すごい突っ込む。それ今やらなきゃいけないの?とか。
関西人ってよくそういう、なんでやねん、みたいなツッコミを日常でもするんですけど。何とかやってください、って言われても、何で?みたいな。今、私がやる必要があるの?みたいな。
標準語であっても、そういう親の会話は聞いてるので。自分が納得しないとやっぱり、人に言われてもやり始めないっていうところはあると思います。

くじらぐも:もうすぐ次の仕事が始まるということでしたけど、前の仕事をやめた理由ってお聞きしてもいいですか?

栗子:やめた理由は、私もともと、コロナの前は結婚式場に勤めてたんですけど。それがコロナで、式場に全く仕事が来なくなったので。みんなやっぱり、転職したりやめてったりしていく中で、私も、これはちょっと見通しつかないなっていうので。その前に働いてたというか、学生時代にアルバイトしてた会社に一旦戻ったんですね、また。アルバイトとして。
それで、落ち着いたらまたちゃんとした仕事を探そうかなって思ってたら、なかなかやっぱり、コロナの騒動で転職活動も自由にはできなかったので。やっと今ちょっとできるようになったので、アルバイトをやめて。
自分が実際やってみたかった、今まで全然経験したことない仕事をしたかったので。そちらにつくように会社をやめたっていう形ですね。なのでコロナがなければ、やめた会社には勤めてなかったと思います。

くじらぐも:コロナについては、どんな感情を持ってますか?

栗子:コロナに関しては、起こるべくして起こったんだろうなと思いますし。ただ、これだけ寛容になってる、コロナになってる人が多い中で、最初は本当になり始めとか、地方の方だったんですけど、自分がなったからって自殺した方とかいらっしゃったんですね。京都の福知山の方、覚えてるんですけど。それは、必要なかった。なんというか、やっぱり村社会だよなって思いますね。
自分がこの地域に持ち込んだ、一人目のコロナ患者だから、すごいみんなに申し訳なくて自殺した、みたいな報道だったと思うんですけど。真偽はわからないですけど。
そういうコロナ初期のニュースを思い返すたびに、怖いなって。人の目、人の気持ち、なんていうか、日本人らしさですよね。自分が悪いって責めちゃう感じ。自分がこの地域に持ち込んだ一人目だ、申し訳ない、どうしよう、すごいみんなに責められる、とか。そういう感じだと思うんですけど。それをすごい思い返しますね。

くじらぐも:なるほど。好きな食べ物って何ですか?

栗子:私、水菜。野菜の。

くじらぐも:お野菜の中でも、特に水菜。

栗子:はい。

くじらぐも:水菜はどうやって食べてますか?

栗子:水菜は普通にサラダで食べたり。冬だったら、ちょっとお鍋に通したりはするんですけど。あのシャキシャキっていう食感が好きで。

くじらぐも:お料理はご自身でされてるんですか?

栗子:はい、料理はしますね。

くじらぐも:家事とかは結構得意なタイプなんですか?

栗子:そうですね。うん。いつ頃だろう。高校のときまではそんなにしてなかったんですけど、やっぱり大学生ぐらいからは家事するようになりましたね。掃除洗濯料理、ひと通り。時間ができたんで、することがそれしかなかったっていう感じですね。

くじらぐも:最近気になっていること、みたいなのってありますか?

栗子:海外ですごい報道されてるんですけど。ジャニーズ事務所のジャニー社長さん。性加害、性被害をジャニーズの子達にしてたっていう報道を、日本はやっぱり、大々的には報じないので。それがやっぱり、日本のメディアの闇だなって思います。何というか、忖度ありきの報道の仕方っていう。

くじらぐも:なぜ、それが気になりますか?

栗子:日本のメディアについて、私はもともと不信感しかもってないので。ただジャニーズってやっぱり、メディアにとって多分欠かせない存在で。今は#MeToo運動とか性被害、LGBTとか、そういうことを日本のメディアとかでも扱ってるのに、ジャニーズの件は扱わないんだっていう違和感をすごい覚えつつ、報道の日を待ってたんですけど。
新聞でもメディアでも言わないし、ああやっぱりかあっていう思いですね。

くじらぐも:逆に、日本のここは好きだなって思うところってありますか?

栗子:やっぱり、人は優しい。まずスリとかはないですよね。スマホを盗まれるとか、財布を電車で盗まれるとか。日本で、電車で寝てても、誰も基本的にその、寝てる人の物を盗んだりはしないですし。
その安全性?なんだろう。うん。基本的にはやっぱり、自分がやられて嫌なことをやらないっていうのが、日本は根付いてると思うんで。たまに違う人もいますけど。そういうのはいいな、と思います。

くじらぐも:ペン習字をされてるとのことで、それも日本の文化のひとつなのかなと思ったりするんですが。どうしてされているんですか?

栗子:私もともと、小学校1年生から、普通の書道は習ってて。その書道教室で、中学生になったらペン習字も一緒に習えるようになってたんで、習ってたんですけど。大学でやめたんですね。
それで社会人経験して、自分の字をゆっくり書く時間って全然ないし。自分の字がだんだん、ボールペンで書くメモ程度でも崩れてきてるなっていうのは気づいてて。それで、仕事をやめたタイミングで、今だ、って。もう1回やり直そうって思って、戻った形になります。

くじらぐも:じゃあ、師範を取ってどうしたいですか?

栗子:私、父の実家が空き家になってるんで。兵庫の田舎なんですけど。そこで、空き家はやっぱりもったいないし、残してくれてる家なので、将来的には暮らしたいなって思いがあるので。
そうなるとやっぱり生計を立てる手段のひとつとして、ペン習字も師範が取れれば、お教室も開けるようになるだろうし。開けなくても何かしら、自分の字を使った仕事っていうのはできるようになるかなって思って。それで今、頑張ってます。

過去:今私34ですけど、22歳で亡くなった子が生きれなかった12年間っていうのを、私は生きてるんで。彼女が生きれなかった12年間。

くじらぐも:栗子さんは子供の頃、どんな子でしたか?

栗子:私は小学校2年生までは社宅に住んでたので。団地よりちょっとちっちゃめ、小規模の社宅なんですけど。そこに子供がいる家庭がほぼほぼあったので、多分子供は全員で20人ぐらいいたんですけど、そこの、年齢下から数えて何番目の小さい組だったので。

私はひとりっ子なんですけど、みんな同じ社宅で同じ庭があって、畑がある広い社宅だったので、そこで走り回ってるお姉ちゃんたちお兄ちゃんたちにくっついて、毎日誰かしらに遊んでもらってる子供でした。

くじらぐも:自分がお兄さんお姉さんの年になった頃は、何をしてたんですか?

栗子:小学校2年生で、もうその社宅がなくなっちゃって、老朽化で。私が一軒家に引っ越したので。そこからはもう、そのお兄さんたちも引っ越しちゃったので。いきなり、私ってひとりっ子なんだ、って。遊んでくれるお兄ちゃんお姉ちゃんが誰もいなくなっちゃったっていう感じで。ちょっと寂しいなと思いつつ、まあ、そんなもんかって思いながら。
習いごと、ガールスカウトと、ピアノをしてましたね。

くじらぐも:アクティブな頃から一転して、ピアノの生活になった感じなんですかね?

栗子:まあ、外で遊ぶのは全然好きだったので。でもスポーツは、水泳をずっと習ってたんですけど。水泳とピアノをずっと続けて、そこに小学校からガールスカウトが加わって。でもガールスカウトは、月に4回とかなんで。

平日何をしてたかっていうと、自分が作った友達と遊びつつ、学校行って、家にピアノがあったんでピアノで遊んで。ピアノも別に、遊んでただけですね。先生に練習してきてって言われたものは一応練習するんですけど。プロを目指してとか、そういう感じじゃないので。ただの習い事でしたね。

くじらぐも:ピアノを始めたきっかけってあるんですか?

栗子:近くにピアノ教室があって、そのお姉ちゃん達が行ってたっていうだけです。

くじらぐも:その頃、一番楽しかったことって何でしたか?

栗子:えーやっぱり、東京に親戚が少ない、祖母は私が生まれる前にもう両親ともに亡くなってるんですけど、おじいちゃんはいたので。おじいちゃんちに行くのが楽しみでした。兵庫なんですけど。
やっぱりおじいちゃんはかわいがってくれるし、関東と関西で文化が違う、喋りが違うっていうのは、ちっちゃいときもわかってたので。

新幹線に乗ってとか、車のときもあったんですけど、おじいちゃんちに行って、東京でできない遊びをする。山とか川とか。あとはやっぱり、電車も普段乗ってるのと全然違うので。別に遊びに行かなくても、自分の家とは違う。家の中が古かったり、黒電話があったり、虫がいたりして。山の中なので。それがすごい面白かったです。

くじらぐも:そこから中学校に進んだ頃は、どんな子でしたか?

栗子:中学は吹奏楽部に入ったんですけど、クラリネットをしてて。でも中2で吹奏楽に飽きちゃったので。
その頃、『世界ウルルン滞在記』っていうテレビ番組で、女優の東ちづるさんっていう方が、ドイツにある子供たちの治療のための施設に行ってて。戦争で傷ついた子たちを治療する、ドイツ国際平和村っていうのがあるんですね。で、こういう子がいますっていうのを紹介してて。それを生徒会のみんなで、そこの募金をしようっていうので、私が中3のときに募金をしました。
部活はもう、私中3で、コンクールはもう飽きたんでいいです、って言って出てなくて。みんな出てるんですけど。私はその、ドイツ国際平和村への募金を生徒会みんなでやり遂げた、っていうのが中3の思い出ですね。

くじらぐも:その募金を達成した後は、どんなふうになったんですか?

栗子:それはまあ、誰か入金しに行って、銀行に。先生と一緒に。その後は別にもう、結構大変だったのでやっぱり。先輩たちもやったことないことだったんで。ああもうこれで終わったねっていう、打ち上げみたいな、すっきりしたっていう感じで。成功したね、ぐらいで。あとはもう受験モードですね、高校受験の。

くじらぐも:受験期はどうでしたか?

栗子:ちょうど都立高校が過渡期だったんですね。学区がなくなって、東京の中ならどこの学校行ってもいいですよってなって。で、独自入試って言って、都立の共通の入試じゃなくって、個別に、うちの学校を受験する生徒だけのためのテストを作ります、っていう入試のシステムも始まったときだったので。みんな結構混乱してて。高校はどこにしようかなって、すごいいっぱい見ました。
受験勉強は、塾にも行ってたんですけど塾の先生たちも、うーんって。あそこは何が出るかわかんないからな、みたいな感じで。みんな手探りでした。

くじらぐも:受験を経て、どんな高校に行ったんですか?

栗子:第一志望の高校に、本当ギリギリの点数だったんですけど、無事に入り込めたんで。でも高校時代は、思ってた生活とだいぶ違ったんですけど、自分で決めた高校だからっていうので3年間一応頑張って、卒業はできました。

くじらぐも:高校のときは何をしてたんですか?

栗子:私が進学した高校って、文化祭がすごい盛んだったので。1年ぐらいかけて文化祭の準備をダラダラするので。文化祭だけはやりたかったんで、どうしても。文化祭して、茶道部に入って。勉強はそんなに。あ、英語の勉強だけはすごいしました。あとの教科は別にそこまでしてなくって。

でまあ、あとはガールスカウトが、高校生になると、全国規模のイベントとかに行けるようになったり。あとは自分たちで旅行の計画立てて、青春18切符したり沖縄行ったりっていう、ちょっと行動範囲が中学生のときより広くなるので。それで外人と交流したり。

ちょうど愛知万博があったときだったので、愛知の国際キャンプっていうのがあって、外国からも、同じガールスカウトの、高校生の子たちが来て。それでキャンプをして、愛知万博行って、とか。愛知万博でも、ガールスカウトのブース、パビリオンが出てたので、そこで1日2日働いてました。
だから結構、学校の外の世界を知りたい子でしたね。学校はちょっとあんまりっていう感じで。

くじらぐも:学校があんまりだった理由ってあるんですか?

栗子:ん-。みんな部活と勉強と行事しかしない。アルバイトもしないし、他の、なんていうのかな、学内以外の活動をする余裕がない。時間がないっていう方が正しいと思うんですけど。
結局、中学校のときはみんなそれぞれ部活もやって、テレビも見て、ゲーセンで遊んでカラオケ行って、って普通の生活を送ってたのに、この学校は、余暇ってみんな部活と勉強だけだな、みたいな感じで。
すごい、みんなやってることが同じに見えちゃって。あ、つまんないなっていう感じでした。部活勉強行事だけ、っていう感じの生活しか見えてこなかったんで。

くじらぐも:英語はよく勉強したとのことでしたけど、それは何故でしょう?

栗子:私の叔父は、20代のときにもうカナダに渡ってたので。いとこはカナダで生まれて、カナダで育ってるので。たまに、4人いとこいるんですけど、その子たちがほぼほぼ、日本語で話すより英語の方がコミュニケーションがスムーズなので。いとこたちと喋れるようになりたくて、勉強してました。

くじらぐも:じゃあ海外に結構行かれてたんですか?

栗子:あ、カナダには1回しか行ったことなくて。高校入学前に、1週間ぐらい母と2人で行っただけです。カナダのいとこが日本に来る機会の方が、すごい多いですね。最近はもうないんですけど。まだ学生時代は、すごいいっぱい帰ってきてました。

くじらぐも:なるほど。家庭ではどんな子だったんですか?

栗子:家庭では、ひとりっ子なのでもう、母の目は私にしか向かないので。専業主婦だったので、母も。窮屈でしたね。休む時間がない、みたいな。学校もすごい自分と合わない学校だなって思うし、家に帰っても母の目があるし。心が休まらないな、っていうような感じありましたね。

くじらぐも:心が休まる瞬間は、どんなときだったんですか?

栗子:なんだろう。ピアノの先生には何でも話せたので。小さい頃から知ってる先生ですし、家庭環境も知っている先生なので。ピアノの練習レッスンせずにずっと喋ってるときとか、ありました。

くじらぐも:ピアノは結構長く続けられたんですか?

栗子:高3まではちゃんと発表会、毎年出てたので。そうですね。3歳頃からだと思うんですけど。長く続けましたね。

くじらぐも:高校を卒業した後はどうなりましたか?

栗子:大学生になったんですけど。大学2年のときに、ちょっと母の乳がんの手術があったので。で、父はまだその時中国にいたので、私しか家族がいないくて。大学か母か、っていう優先順位を、私は母にしたので。それでだいぶ疲労困憊して、大学に居場所がなくなって、あんまり行けなかったので。

その辺から私、この大学行って意味あるのかな?みたいな疑問も。特に別に、好んで進学したわけじゃなくて、18で就職したかった。けど、まあ進学校だったし、親も、もうちょっと学生したら?っていうような親だったので。そんなに今、別に金銭的に困窮してるわけじゃないから、18で社会人にならなくてもいいんじゃない?っていうような感じだったので。

しぶしぶって言ったら贅沢ですけど。みんなも行くし、行くか、ぐらいの大学生活だと、やっぱり目標らしい目標も特にないので。なんだろう? って思いながら過ごしてましたけど。
それなりに、大学生しかできないアルバイトだったり、経験っていうのはいっぱいあったので。まあまあ楽しかったです。仲間もできましたし。

くじらぐも:そのお仲間はどんな人たちだったんですか?

栗子:通ってる学部が福祉だったので。みんな基本的に福祉を学びに来ている子たちなので、優しい子たちで。先輩も仲間もそうで。人の気持ちがわかるから、久しぶりに大学行っても、どうしたの?ってそんなに深くは聞かないで、うんちょっとね、ぐらいで受け入れてはもらえたんですけど。そうですね。そういう温かい心を持った仲間がいたので、よかったですね。

くじらぐも:今までに何か目標を立てて、それを達成するために頑張った、みたいな経験ってありますか?

栗子:目標を立てるというと、私、学生時代から高校ぐらい、フィギュアスケートが好きで。浅田真央ちゃんの2学年上なんですけど。やっぱりピアノもやってたから、それで、バレエも昔ちょっとだけやってたんで。フィギュアスケートが好きで、ずっと見てて。この選手たちに会いたいって思って。
そのフィギュアスケートの会場の運営をするアルバイトがあるんですね。スポーツ運営の仕事をするっていう。大学時代、そこに入ってアイスショーの仕事をして、会いました。仕事を通してですけど。

くじらぐも:会えたんですね。

栗子:はい。

くじらぐも:会えた時、どんな感じになりましたか?

栗子:もうすごい、ああこの人たちか、っていう感じでしたね。あ、本物だ、っていう。本当に。このライブ感はすごいな、って。海外からも来てるアイスショーだったんで。ああ、この中であの人たちは試合をして、ああいう空気なんだな、っていうのがすごい感動しました。

くじらぐも:学生時代で印象に残っている友人関係ってありましたか?

栗子:ええと。私達が大学4年のときに、3.11、東日本大震災があったんですけど。高校時代の同級生を、それで亡くしたんですよ、津波で。

くじらぐも:その方は、どんな方だったんですか?

栗子:その子は、Tさんって言うんですけど、ただ単に同級生ってだけで。高1で仮入部するとき、部活を一緒に見学して、何部にしようかなっていうので。そこで少林寺拳法部を一緒に見た、ぐらいの。直接の関係性って言ったらそのぐらいなんですけど。

でも、結局彼女は、ハンドボール部に入って。いつも明るくて友達に囲まれてる。彼女とはもう、最初から別のクラスだったんで。全部で8クラスあって、3年間クラスが変わらないので、
そんなに接点はなかったんですけど。共通の友達はいたりしたので、ああ、あの子もきっといい子なんだろうな、ぐらいで眺めてた子なんですけど。

それで大学4年の、3.11あった後に、Facebookか高校の繋がりで連絡が来て。東北大学で津波で亡くなったのは、4人らしいんですよ。Tさんが、その4人のうちの1人らしいって知って。で、彼女は4月から都立高校の先生になることが決まってた。

くじらぐも:うん。

栗子:Tさんのお葬式でお父さんが、この子はすごい親孝行です、って言って。見つからない人が多い中、ちゃんと親のもとに帰ってきてくれました、っていうのをおっしゃって。参列した高校の同級生たちみんな、先生も泣いた、みたいな話。話だけを聞いたんですけど。私はその時、大学4年で留年が決まってたので。

で、4月から留年をする私と、4月から教員になる、未来の高校生を育てる仕事が決まってたTさんっていうのを、やっぱりどうしても、比較しちゃって。同級生で、同じ高校3年間を過ごしてて、っていうので。

くじらぐも:うん。

栗子:これはTさんが死ぬより、私が死ぬべきだったんじゃないか? とか。やっぱり、まだあの混乱の時期だったんで。すごい、何とも言えない。その、原発もまだ全然、どうなるかわからない時期にそういうことを知ったもんで。

高校のときの先生とかにも、相談して。その時先生とはまだ頻繁に連絡取ってたんで、Tさんが教育実習に来てたのも知ってるし。
でもそれは違うよ、って。Tさんが先生になるのは決まってたけど、それはもう、それはそれだから、あなたは別にそんなふうに思う必要ないよ、とか言われたんですけど。

くじらぐも:なるほど。

栗子:あれだけのね、人がやっぱり亡くなってる中の1人が、自分の知り合いで、同級生だったっていうのがすごいショックで。
そうしたら、小学校の同級生の男の子が、Hくんっていうんですけど、その子の命と自分の命を紡いで、もう強く生きるしかないじゃないか、みたいに言ってくれて。

もうそれしかない、そうだよな、って思って。そこから留年を頑張りました。で、そのHくんのお母さんというのが助産師なんですね。Hくんとはただの友達なんですけど、小学校がすごい人数少なかったんで仲良かったんですね、家族ぐるみで。

くじらぐも:うんうんうん。

栗子:だから、Hくんのお母さんも私のお母さんと仲良かったし、私のこともよく知ってるしっていう関係性で、私がHくんのお母さんに手紙を書いたんですね。私がこうやって落ち込んでるとき、Hくんがこう言ってくれてすごい救われました、みたいなことを。

そうしたら、Hくんのお母さんからもお返事をいただいて。
そういう息子に育ってることをすごい嬉しく思うし、やっぱり自分は助産師で、いろんなお母さん、いろんな子供たちの成長も見てきてるけど、栗子さんはちゃんと、その子の分も、Hが言う通りに強く生きてください、みたいなことが書いてあって。

もうそれしかない、って本当に確信して。今もその通りに生きてます。
やっぱりね、今私34ですけど、22歳で亡くなった子が生きれなかった12年間っていうのを、私は生きてるんで。彼女が生きれなかった12年間。

いろいろありはしますけど、それでもやっぱり、うん。22年で教えてくれたことだなって思いますね。急にやっぱり、死ぬかもしれないよっていうことは。

くじらぐも:うん。

栗子:同級生。全然、生きてて欲しかったですし。

くじらぐも:うん。

栗子:死ぬかもしれないってことを教えるために死んだわけではないのはわかるんですけど。
それでもその、東北大学が出してる情報、こういう状況で、何人の学生が亡くなりました、っていうのには名前すら書いてないんですね。ただ、学部生4人亡くなりました、そのぐらいの書き方で。

その4人が、私も他の3人は知らないんですけど、Tさんに関してはすごい、いい子だったっていうことも、名前も書かれないっていうのは、寂しいなって思ってて。それは個人情報にもなるから、わかるんですけど。
それでもやっぱり、その子の周りにはこういう同級生がいて、こういう高校生活があって、っていうのは、まあ、時代でしょうがないんですけど。

でも3.11で亡くなった方1人1人の周りには、みんなそういう思いがある。亡くなった方はやっぱそれだけの積み重ねた人生があって、思い出があって、同級生がいて、仲間がいて、って思うので。

書き方としてはやっぱり、うちの学部生が何人亡くなりました、っていう書き方にはなるんですけど。ちょっと寂しいですねやっぱり。そうやって書かれちゃうだけ。そんなこと言ったら戦争中に亡くなった方なんてね、もっともっといたわけで、あれですけど。
やっぱり自分の身近な子がそういう、ちょっと予想しないような亡くなり方をすると、余計に思いますね。

くじらぐも:うんうん。

栗子:なので。私の高校の同級生は、他にも2人ちょっと亡くなってはいるんですけど、みんなその子より12年、長生きはしてるんです。だからすごい、今生きてる時間は余命だなっていうことを思いますね。いつ死ぬかもわからないから。うん。余命を生きてるなって。いつ終わるかわからないけど。

そう思うと、いつ死ぬかもわからないから、それまでに、本当に好きなことをやりたい。自分が納得いく、満足いく暮らしをしなきゃなって思いますね。不満をずっといいながら、仕事、仕事じゃないにしても、暮らしてるのはあまりに勿体ない時間。せっかく今ある時間を、もうちょっと有意義に使わなきゃなと思うようになりました。

くじらぐも:当時の栗子さんご自身へ、今、どんなふうに声をかけたいですか?

栗子:そうですね。でも落ち込むっていうのも大事な経験なので。ある程度落ち込んだあと、周りで手を差し伸べてくれる、声かけてくれる人もいる。っていうのはやっぱり、親が築いた関係性、子供時代の関係性があって、だからこそだと思うんで。親に感謝だなって思いますね。

私は、家でテレビを見てるときに3.11があったんで。ちょうど春休みだったんで。
家、親に感謝だなって思いますね。だからあの時の自分には、家族を大切にしなよ、親を大切にしなよ、って言いたいですね。

未来:私、最終的な目標は、地域の子たちに現金の使い方を教えたいんですね。だから、駄菓子屋みたいなの開いて。

くじらぐも:これから5年後10年後、もしくはもう、死ぬときまでイメージいただいて、未来についてどんなイメージを持たれますか?

栗子:私ひとりっ子なので、とりあえず結婚して、子供を3人ぐらい産みたいって昔から思ってるんですね。親が死んだら天涯孤独になっちゃうので。
なので、自分の家族をまず持ちたいっていうのが一番で。

で、そのためにお金が必要だから、子育てとかいろいろ、どんな状況になってもとりあえず収入を得られるような働き方っていうのは、副業ありきでも、何個か持てるようにならないとなって思いますし。

死ぬまでって考えると、やっぱりもし子供を持てたとしたら、子供をちゃんと立派にというか、社会に迷惑をかけない程度にはちゃんと育てる、親としてね。責任をもって育てる、っていうのはもう産んだ時点から始まると思うんですけど。

その他であれば、社会に対してどう関わるか、どう収入を得るかですよね。やっぱり自分の利益のためだけに働くのか、それとも付加価値をつけて社会と繋がって、自分の暮らしを、収入を得るのか。
働き方っていうのは今すごい多様にね、コロナを通してリモートも増えましたし。副業もね、どんどん推奨されてるので。ひとつじゃないと思ってるので、収入源。収入を得るっていうことに関しては。
なのでその辺も自分の能力を活かせて、社会にとっても、通常よりもうちょっと、付加価値のある働き方で。社会も得をする、私も収入を得る、みたいな仕事ができればいいかなと思ってます。

くじらぐも:それって具体的にどんな仕事になりそうですか?

栗子:私、最終的な目標は、地域の子たちに現金の使い方を教えたいんですね。だから、駄菓子屋みたいなの開いて。今ってほら、PASMOだの、スマホ決済とかカード決済とかばっかりじゃないですか。

くじらぐも:はい。

栗子:だから、お釣りの感覚を知らない子供って多いらしいんですね。小銭でおつり、っていう感覚を。
なので、例えば10円のチョコレートを買うのにいくら必要なのか?10円玉1枚なのか5円玉2枚なのか、1玉10枚なのか。それを買うには、親からお金をもらうんで、自分は何をしなきゃいけないのか?とか、そういうことを。
お金の使い方を、学校で私は全く習わなかったので。そういうことをちっちゃいときから、教育として教えてもらうことは大切だと思うので。

くじらぐも:うん。

栗子:駄菓子屋を開きたいっていうのが最終的な、職業的な、あれなんですけど。そこに至るまでには、もうちょっと大きな仕事はしないと、なかなかそんなのんびりした暮らしはできないと思うので。

結婚式場で働いてたときに、ドライフラワーが流行ってるからって、結婚式にドライフラワー用いるカップルが多くて。で、ハレの日、自分の人生の門出に、結婚式場で死んだ花を用いるっていうのは、いくら流行っているとはいえ、私はすごい違和感しかなかったんで。
日本の伝統としてはやっぱり、水引とか、そういう伝統文化を知った上で、ドライフラワーにするなら別にいいんですけど。

水引文化とかその、古来からあるものの日本の伝統を、結婚式に使えとは言わないんですけど、知らない子が多いから、多分こうなるんだろうなって思うんで。そういう、昔からあるような日本の文化を、小さい子供たちが持ってくれたら。小さいときから何かあるよな、このリボン、ぐらいの感じで、継承されるんじゃないかなって思うんで。

やっぱり親もそんな、伝統文化を説明してる余裕がある家庭ばっかりじゃないんで。シングルマザーとか増えてますし。それもちょっと考えてます。その伝統文化を、いかに若年層から根づかせるか、身近な暮らしの中に自然に取り入れてもらうか、っていうのは大切だなとは思ってるんで。
その辺もちょっと、検討はしてますけど。それをすぐに、こうしてこうして、とは思ってないですね。意識の中にあるレベルです。

くじらぐも:これから、子供が3人生まれたとして、家族としたいことってありますか?

栗子:もう私の父がずっと単身赴任で生活してたので。土日も、みんなは家族でお父さんとドライブ、っていう時間があったんですけど。私は土日になっても、平日と変わらないお母さんと2人の生活だったんで。
本当に家族でどっか行くとか、家族でお墓参り行くとかその程度でもいいんですけど、そういう、家族単位で行動する休日を過ごす、っていう普通の暮らしをしてみたいです。

くじらぐも:これをするまでは何としても生きていなければならない、って思うようなことってありますか?

栗子:それは難しいですね。これをするまでは生きていなきゃいけない。やっぱりそれは、究極的に言うと、親を看取る、ですよね。お世話になった、1人娘を育ててくれた親を看取るまで、2人。それは私のひとりっ子の責任というか、使命だと思うので。
親を看取って、お葬式を出して、喪主の挨拶をして、お墓に入れて。一連ですね。

くじらぐも:もしも両親が全く違う人だったら。どんな人生になっていたと思いますか?

栗子:両親が違う人だったら。まず関西文化はなかったと思うので。もうちょっと東京に馴染んだ、東京らしい子だったと思います。

くじらぐも:なるほど。

栗子:はい。へへ。何て言うんだろうな。のんびりしたとしても、吉本を見て育ってるんですね、私って。吉本新喜劇を父が見てたんで。そういうノリつっこみとか、そういうことがすごい得意なんですけど。その文化はなかったと思うんで。
もう少しこう、なんというか、都会の女の子として育ってたと思いますね。ふふ。

くじらぐも:もうひとつ質問なんですけど。もしも、東日本大震災が起こっていなかったとしたら?

栗子:ああ、それは大きいですね。起こってなかったとしたら。まず私、高校の同級生で3人亡くしてて、2人は病気なんですけど。一番初めに亡くしたのが、彼女なんですね。

だから、自分の同級生が死ぬって初めての経験を、22歳でしたので。それがないっていうと、いつまでこのつまらない人生を送らなきゃいけないんだろう、みたいな。自分の身近には死は起こらない、20代前半で死ぬなんて自分の身近にはいない、っていう感覚をずっと貫いたと思うんで。すごい人生観変わりますよね。それがなかったらやっぱり。
あ、やっぱりいつ死ぬかわからないんだ、本当に死んじゃうんだ、っていうのを、身近に感じたので。うん。そうですね。

くじらぐも:もし、それがなかった人生を歩んできたとしたら、今その世界線の自分は何をしていると思いますか?

栗子:今、別にそんな、時間が無限にあると思ってるから、どうでもいいことをしてると思います。それは1年後でいいじゃん、2年後でいいじゃん、っていうような暮らし。大切なことを先にする選択は、してないんじゃないかなって思いますね。いつ死ぬかわかんないんだから、今やっとこうとか。会えるときに会いたい人と会っておこう、とか。そういう発想にはなかなかならないかなって。

くじらぐも:ありがとうございます。お話してみて、すごく、自分に対して正直な、素直な方なんじゃないかなと。全体的に感じました。

栗子:へえ。ありがとうございます。
こうやって、なんというか、自分の事を人に話す経験って普通、一般に暮らしてたら、しないじゃないですか。

くじらぐも:うんうん。

栗子:だいたい、知ってる人と喋る日常ですし。自分はこういう人間なんです、過去にこういうことがあって、未来はこういうことを考えて、今はこういう状態です、っていう話をする経験というのは私は今までなかったので。すごい新鮮でした。

言ってから、ああ私ってこの時代のときこう思ってたんだ、とか。確かにこうだったけど、これをこうやって人に伝えてるんだな、とか。言葉の選び方とか。へえ、って自分で。ああ、って思って聞いてました、自分で言っておきながら。

くじらぐも:最後に何か言い残したことなどはありますか?

栗子:言い残したことは、時間は有限であるってことですね。もう、時間、人生は、いつ終わってもいいように生きないと、もったいないっていう。多分。そう、無限じゃない。

時間は無限じゃないから、やりたいことというか、やっぱり時間を大切にしないと。ね。生きれなかった人たちが生きてる、生きれなかった人たちがいる時間を私達は生きてるわけで。その時間を無駄には過ごせないと思って。

病気なり事故なりね、いろんな死因はありますけどやっぱり、生きたかったのに生きれなかった人たちが過ごしたかったであろう今、っていうのを私は生きてるんだろうなって。すごい、いろいろまあ、思うので。
この時間っていうのは、すごい価値のある時間だし。自分にとって大切なことをしていかないと、どうでもいいことだけでいっぱいになっちゃうなって思いますね。見極めないと、自分で。この時間で何をするのか、っていうことですね。

くじらぐも:ありがとうございました。

栗子:ありがとうございました。

あとがき

大災害のニュースだけでなく、何か事故や事件があった時、「◯人がケガ、◯人が…」と数字しか知り得ないものですが、
その背景に何があるのか、思いを馳せることを諦めたくはないな。と感じることができたインタビューでした。ありがとうございました!

【インタビュー・あとがき:くじらぐも】

【文字起こし:あおい】

【編集:なずなはな】

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