好きなことをみんな好きなことで楽しくしてたら争いなんてなくなるなと思う人
むかしむかし、ある村に、自由(じゆう)という名の若者が住んでいました。
自由は、誰もが好きなことを楽しめる村にしたいと考えていました。
ある日、村では畑の境界線をめぐって二人の農夫が激しく言い争っていました。
自由は二人に近づき、こう尋ねました。
「お二人とも、本当は何がしたいのですか?」
一人の農夫は「私は花を育てるのが好きなんです」と答え、もう一人は「私は野菜作りが楽しくて」と答えました。
自由は提案しました。
「では、境界線で区切るのではなく、一緒に広い畑を作ってはどうでしょう?片側に花畑、もう片側に野菜畑を作れば、きっと素晴らしい景色になりますよ」
二人の農夫は顔を見合わせ、笑顔になりました。
そして、協力して美しい畑を作り上げました。
この話を聞いた村人たちも、自分の好きなことを活かして村づくりを始めました。
歌が好きな人は村の広場で歌を披露し、料理が得意な人は皆に食事を振る舞い物語を語るのが上手な人は子どもたちに昔話を聞かせました。
すると不思議なことに、村人たちは自分の好きなことに夢中になるあまり、争う時間も気持ちも持てなくなってしまいました。
村人たちは自由に言いました。「あなたの言う通りでした。みんなが好きなことを楽しめば、自然と心が通じ合えるのですね」
自由は微笑んで答えました。
「好きなことには不思議な力があります。それは人の心を豊かにし、相手の気持ちを理解する余裕を与えてくれるのです」
この村は「楽しみの村」として知られるようになり、今でも村人たちは自分の好きなことを楽しみながら、平和に暮らしているそうです。
めでたし、めでたし。
と思う2025年07月03日01時24分に書く無名人インタビュー1098回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは Rinne さんです!
年齢:30代後半
性別:男性
職業:原案作家、占い師、新規事業サポート、AI研究家
現在:好きなことをやってると、芸は身を助けるなと思いました、最近。

ゆり:
Rinneさんは現在どのようなお仕事をされている方ですか?
Rinne:
いろいろな活動をしています。
占いとか、お祓いの仕事とか、AIを使って商品開発や新しいサービスを作ったりしてます。あと、2月から小説を書き始めたところです。
ゆり:
主な収入源となるお仕事は何になりますか?
Rinne:
フリーランス一年目なので、占いとかは10年ぐらいやってるし、それを継続しつつ、新しいものを作っていってるところって感じですね。
ゆり:
AI(人工知能)について詳しくお聞かせください。
Rinne:
AIの活用については、ChatGPTやClaudeを使い始めて、音楽生成やAIアート、AIエージェントなど、いろいろなものを試しています。個人の方の新しい仕事作りをサポートしたり、レストランの広告やチラシを作ったりと、少しずつ実践的な活用を進めています。
ゆり:
今の生活で趣味などはありますでしょうか。
Rinne:
音楽、芸術、漫画、アニメ、映画、小説など、いろいろな趣味があります。
あとは、ギターを弾いたりしていますね。
ゆり:
趣味が仕事につながったものは何かありますか?
Rinne:
例えば占いですが、別に占い師になる気は全然なくて、12年ぐらい前に介護施設で働いていた時の出来事がきっかけでした。
そこにいた看護師さんに「占い好きなんです」と言ったら
「じゃあ占ってよ」と言われて。
でも占えないから生年月日を聞いて、Googleで色々な情報を集めて10枚の書類にしたら喜ばれて。そこから「2000円払うからやってよ」みたいな人が出てきて、こんなに言われるならちゃんと勉強してみようと思い始めました。
あとは、もともとギタリストになろうと思って音楽の学校に行って、そこで作曲や演奏をしていた経験が下地となって、今はAIを使って音楽を作っています。小説も書いているんですが、小説の12章のタイトルがYouTubeに投稿した12曲のタイトルと連動しているようなプロジェクトを進めています。
ゆり:
はい。
Rinne:
それで作ったアルバムを、大阪のレストランのオーナーが気に入ってくれたので、「昨日オープンした店内で流すから送ってほしい」と言われて。
好きなことをやっていると、何というか……芸は道を助けるというか、道が開けることがあるんだなって最近思いました。
ゆり:
小説と音楽については?
Rinne:
はい。僕は今37歳なんですけど、20歳ぐらいの頃から小説家になりたいと思っていたんです。とりあえず書いてみるんですけど、せいぜい原稿用紙10枚分ぐらいで止まっちゃって、何回やってもその壁を越えられないまま17年が経ちました。
今年の2月にChatGPTを使い始めたときに「こういう世界観あったら面白いよね」みたいな話をChatGPTに振ったら、いろいろ深掘りする質問が返ってきて、それで初めて世界観が先に完成したんです。
面白いなと思って世界観を作って、これが小説だとしたらゴールがどうなるんだろうというところからゴールを作り、プロットを12章分作ってから書き始めたら――いくらやっても今まで原稿用紙10枚しか書けなかったのが、一週間で50枚ぐらい書けて、自分に合うやり方に気づいたんです。
ゆり:
ええ。
Rinne:
僕、村上春樹さんが好きなんです。
村上春樹さんの企画で、読者のメールに返事をしてくれるというものがあって。
そこで「どうやってあなたのように書けるんですか?」と質問したら「ジャズのようにアドリブで書いている」という返事をくれたんです。それで私もそのやり方を試していたんですが、自分には合わなかったことが分かりました。
それで今は、2050年、AIに支配された世界――24時間眠らない街で、あえて生演奏にこだわるピアニストが人々の心に火をつけていく、そんな小説を書き始めました。
ゆり:
ピアニストにした理由はありますか。
Rinne:
実は私自身ギターは弾けるんですけど、ピアノは何回挑戦しても挫折してしまって……それと、女性のピアニストってかっこいいなと思っていたので、そういう理由でピアノを選びました。
ゆり:
主人公は女性ですか?
Rinne:
はいそうです。

Rinne:
「ルナノヴァ」というタイトルで、主人公のイラストになります。
ノベルベイズという講談社の小説投稿サイトで連載しています。
ゆり:
今何章を書いているところでしょうか。
Rinne:
今は第三章が終わって、これから四章を書くところですね。
ゆり:
お話の具体的な内容についてもお聞かせいただけますでしょうか。
Rinne:
主人公のルナノヴァは行きつけのバーで演奏をしているんです。そこには常連客やバーのマスター、それに芸術家を目指していたけれど諦めて別のことをやっている人など、何かを諦めてしまった人たちが集まってきます。そこで演奏を聴いたことがきっかけとなって、それぞれのドラマが始まっていくんです。
絵を描くのを諦めた青年が、演奏を聴いて「よし、もう一度絵を描いてみよう」と思い直したり……主人公自身も、生まれてすぐに両親を亡くしたせいで情緒面が育たなかったのですが、自分の演奏で変わっていく人々を見ることで、自分も感情というものを取り戻していく――そんな物語になっています。
ゆり:
主人公はご自身と重なったりしているんですか?
Rinne:
僕自身が書いているので、今までの人生で経験してきたこと、見てきたこと、自分自身のことも物語の中に混ざっていると思います。
ゆり:
ありがとうございます。
普段の一日のルーティンは?日々どのように過ごされていますか?
Rinne:
もともと北海道にいて12年東京で過ごし、去年の頭に家族が病気になったので看病するため仕事を辞めて北海道に戻ってきました。自分以外の家族全員が病気になってしまい、看病をしていました。
今は落ち着いて、88歳のおばあちゃんとご飯を作ったりして過ごしています。朝は起きて小説を書いたり音楽を作ったりして、朝ごはんを作ります。10時ごろになると占いの仕事やスピリチュアルな霊視やヒーリングを誰でも使える方法を確立したので、その講座を一対一で教える仕事をしています。
でお昼になったらおばあちゃんのお昼ご飯を作って、買い物に行ったり掃除したり……あとは散歩したり、気が向けばチョコザップ行ったりで。その間も仕事の予定が入ったら、それをこなして晩御飯を作って、8時ぐらいまでおばあちゃんとテレビを見たり話したりします。8時になったらおばあちゃんは寝るので、そこから予定を入れたり仕事をしたり。
最近は2時ぐらいまで起きてしまっていたんですけど、できるだけ0時から6時、0時から7時ぐらいの生活リズムに戻したいですね。東京時代は朝5時に起きて出勤していたので、まともなリズムを取り戻そうかなというところです。
ゆり:
ストレスが溜まった時は、どのようにリフレッシュしていますか?
Rinne:
ストレスが溜まった時は……何だろうな。ゲームをしたり散歩したりしますね。散歩すると気持ちが晴れてくるかな。
ゆり:
散歩している時はどんな気持ちですか?
Rinne:
散歩している時は自分で作った音楽や好きな音楽を聴きながら、フラフラと歩いています。そういう時に一番アイデアが浮かんできたりします。
その日、今日はだるいなとかもったいないなと思っても、外に出て体を動かしているうちにだんだんリフレッシュされてやる気が出てくるんです。帰ってくる頃には「よし、次はこれをやってみよう」という気持ちになっている、そんな感じですね。
ゆり:
Rinneさんの性格について、周りからどんな評価をされていたり、また自分では自分の性格をどのように捉えていますか?
Rinne:
そうですね、頼れるとか冷静とか動じないとか、的確な判断ができるとか言われます。あとは優しいとか。親が病気になった時に仕事を全部投げ出して帰ってきたりしたので、そういう優しさは普通はできないと言われたり……あとは頭がいいとか言われますね。
ゆり:
それを聞いてでも結構ですし、ご自身では性格についてどのようにお考えですか?
Rinne:
自分では面倒くさがり屋ですかね。めんどくさいし、働きたくないし……なんだろう。省エネに生きていきたいけども、スイッチが入るとめちゃくちゃのめり込んじゃうみたいな。発達障害みたいな感じですね。
ゆり:
発達障害について何か思うことがあったのですか?
Rinne:
やっぱり発達障害によく見られる過集中――時間も寝食も忘れてのめり込む時があったりするんです。
例えば事務仕事で、エクセルに数字を百個並べてくださいって言われても、どんなに気をつけても必ずミスをしてしまいます。昔スーパーのレジ打ちのバイトをしたときも、お釣りを絶対に間違えてしまって……細かいことがあまり得意じゃないんですよね。
でもチャレンジすることや何かトライすることには躊躇がないから、みんなが苦手なことが得意だったり、逆にみんなが得意なことがあまり得意じゃなかったり、そんな特徴がありましたね。
ゆり:
ありがとうございます。
人間って、わけのわからない病気であっさりと死んでしまうということを体験した時に、もう僕は誰のことも気にせず好き嫌いだけで生きると決めた。

ゆり:
子供の頃はどんなお子さんでしたか?
Rinne:
子供の頃はよく引っ込み思案でおとなしく、泣き虫だと言われていました。小学校に上がるまでは病気がちで、幼稚園も年の半分ぐらいしか通えなかったような感じでした。心も体も弱い子でしたね。
ゆり:
病気がちということは、具体的にどんな症状だったんですか?
Rinne:
例えば、引きつけという症状が、普通は幼い頃に起こるものなのに、私の場合は3歳を過ぎてからも起こしていたので、脳に問題があるのではないかと心配されて、脳波検査を定期的に受けに脳外科に連れて行かれたりしました。
体も弱くて、すぐに熱を出したり吐いたりしました。溶連菌とかよくわからない病気にもよくかかっていて、とにかく体が弱い子供でしたね。
ゆり:
家族からはどんな風に育てられましたか?
Rinne:
基本は自由に育てられましたね。母は僕が大人になってから「私が教えられることはやっていいことと悪いことぐらい」と言っていましたが、特に何か厳しく教えられたり怒られたりすることはありませんでした。
ゆり:
中学校・高校時代の思い出の風景はありますか?
Rinne:
中学校時代はいじめられっ子タイプだったので、テレビゲームばかりやっていました。部活には一度も入ったことがなく、学校に行きたくないなと思いながら、帰宅後はテレビゲームをして過ごしていました。
高校時代になると、急に弱虫から強がって斜に構えているような感じに変わりました。よく学校をサボっていて、特に体育が嫌いでした。やらされる運動というのが腹立たしくて、体育を頻繁にサボったせいで卒業が危うかったこともありました。
ゆり:
危なかったけど卒業できたんですね。
Rinne:
そうですね、大丈夫でした。やる気があれば割とできたりするんですけど。
中学校の頃、社会の世界史は面白かったので、97点とか95点を取れて、先生に「もう一度90点以上取ったら5をください」と言ったら「いいよ」と言われたので頑張って、実際に5をもらったこともありました。でも数学は面白くなかったから7点とか……そんな感じでしたね。好き嫌いで成績が決まっていました。
ゆり:
高校卒業後の進路はどのようになりましたか?
Rinne:
高校3年生の進路を決めるとき、特にやりたいことがなくて悩んでいました。その時はインターネットのオンラインゲームをやっていて、中学校の頃からちょっとだけギターでコードを鳴らすようなことをしていました。大して弾けませんでしたが、詩を書いてブログに載せていました。
高校3年生くらいの時、その詩を読んだ白血病の女性から連絡があって、「自殺しようと思っていたけど、あなたの詩を読んで頑張ることにした」と言われました。それで自分も人の役に立てることがあるんだと気づいて、安易ですが詩といえば音楽だからと思い、音楽の専門学校に行くことにしました。
その方は私が音楽の専門学校に入学する1月に亡くなってしまいましたが……そんなことがあって、音楽の道に進むことになりました。
ゆり:
詩から音楽の道を選ばれたのは、どんな変化があったのでしょうか?
Rinne:
単純に、詩や歌詞のようなものを書いていたから、安易に音楽にしようという感じで選びました。今から考えると、ずいぶんざっくりとした決め方だなと思いますけどね。
ゆり:
そのあとはどのように活動されたんですか?
Rinne:
ギター科に入ったんですけど、大して弾けなかったので……。周りのクラスメートは小学校からずっと弾いているという、めちゃくちゃうまい人ばかりでしたね。僕だけ初心者という状況でした。
一年生の12月に最初のライブがあるんですけど、自分も自信がないし、どのバンドからも誘いがかからない。どうしようという感じで、先生が「この子入れてあげて」みたいな感じで、素人グループに入れてもらうという屈辱的な時期を過ごしました。二年生になって、有名なギターの先生がその学校にいたので。
なんというか、弟子入りというか、色々教わるようになってから2年生卒業までの間に、その学校の開校以来誰もやらなかったジャンルの音楽を演奏したり、新しい文化を作ったりしたことで、最後は一人だけ表彰されたんです……それが僕にとって最初の成功体験ですね。
ゆり:
誰もやらなかったジャンルとは、どういうものだったのでしょうか?
Rinne:
周りのクラスメイトは、Jポップやロックなど当時流行っていた音楽ばかりやっていたんです。授業でクラシックやジャズの話をするのに、みんな同じようなことばかりやっているのが不思議で……そこで私はイージーリスニングやインストゥルメンタル、ジャズフュージョンのような、歌のない音楽を選んで作曲を始めました。
「これまで誰もやらなかった。これからもいないと思う」と先生達に言われました。
それに学校には本物のプロの先生たちがいるのに、生徒たちは練習ブースの前でただ待っているだけ。私は「プロに教えてもらえるんだから」と考えて、早く登校して練習ブースを全部開けて暖房を入れたり、ギターのセッティングをしたり、プロの見習いみたいなことを勝手にやり始めたんです。
そうしているうちに先生たちから気に入られて、いろいろ教えてくれるようになりました。ライブの時期になると各バンドの練習ブースを先生が回ってアドバイスするんですが、私のブースには全員の先生が集まってきて、アドバイスしてくれるんです。
「他のところは大丈夫なのかな」と思うくらいでした。「先生に媚びを売っている」なんて言われたこともありましたが、そんなことは気にせずやっていましたね。
ゆり:
ありがとうございます。
卒業後はどのような活動をされていたのでしょうか?
Rinne:
卒業した後は、ゲオでバイトしたり(2か月でやめた)り、温泉でマッサージ師のバイトをしながら音楽をしていました。卒業して2年目ぐらいの時に、お世話になっているギターの先生から誘いを受けました。その先生は盲学校の目の見えない方々のチャリティバンドのサポートを20年ぐらいやっていて「お前もやるか?」と声をかけてくれたんです。
そこから2年半ぐらい、その盲人のグループに入って、博物館や医療系の学会、福祉施設、ラジオのチャリティライブなど、札幌を中心に近隣を回りながらライブのお手伝いをしました。時々、自分でライブをやったりもしていましたね。そんな感じの音楽活動でした。
ゆり:
その後は?
Rinne:
僕は本物のプロミュージシャンになるには練習が十分にできなかったんですよね。これ以上上手くなるための練習が、どうしてもできないなと思って。
自分の通った専門学校の体験入学に来たギタリストの子たちに「この学校に入ったらこういう授業があるよ」みたいな説明をする仕事をしたり、演奏の楽しさを伝えたり。
他でもギターの先生にならないかという声をもらっていたんですが、そんな時に母方のおばあちゃんが脳出血で半身麻痺になってしまって。一人でお見舞いに行ったら、もうあまり喋れなくなっていて、何を言っているか分からない状態でした。
ゆり:
そうだったんですね。
Rinne:
それを見たときに、おばあちゃんの目の前のベッドで、すごく太った別のおばあちゃんを、介護の女性二人で「よいしょ」といいながら介助しているのを見て、僕は男で体も大きいし、もしかしたらこういう場面で役立つかもしれないと思って、世の中で一番やりたくないと思っていた介護の道に進もうと決意しました。
もともと一流の人にたくさん会ってみたいという気持ちもありましたから、それもあり上京して3年間、介護士をやっていた感じですね。
ゆり:
3年間の介護の仕事はいかがでしたか?
Rinne:
いや、もうひどい、大変、でした。
特別養護老人ホームっていうのは、基本的には最も介護度の重い人たちが入っている施設だったんですよね。全体で100名ぐらいの入居者さんがいて、1部屋10人ずつのユニットと呼ばれる部屋に分かれていました。
やっぱり介護施設って人手が足りないから、特に午前中とか、一人で10人を見るような状況になってしまうんですよね。
朝出勤したらまず10名のオムツ交換して、そこで便をしている人がいると時間を取られます。4人の食事介助をしていたら、別の方の失禁の処理や掃除をするなど、本当に大変な状況でした。
で、それをやりながら副業みたいなこともやってて、そろそろ別の仕事をしたいなって考えてたんです。施設には深い認知症の人も多くて……あるおじいちゃんとの出来事が印象に残ってます。
そのおじいちゃんに「僕もすぐ結婚するんだよ」って伝えたんです。
不思議なことに、認知症の人って時々まともになるんですよね。脳の回路がつなぎ直されるのか、結婚する時のアドバイスをくれたんです。
「気長にやんないとダメだよ」みたいな感じで。
それを聞いた時に介護士やってよかったなと思って満足したから、もうやめようと思ったんです。職員同士のいろんな関係や、介護の現状の大変さも見てきました。
でも面白い出会いもあって、施設には引田天功のイリュージョニストチームで世界を回ってマイケルジャクソンと共演してたという女性や、10年プロの作曲家として活動していた男性と一緒に音楽のステージや歌、ピアノを弾いたり、マジックショーをやったり、いろんな経験をさせてもらいました。
こうやって振り返ると、濃い時間を過ごしていた感じがしますね。
ゆり:
今、結婚という言葉も出てきましたが、お仕事以外でのパートナーとの関係はいかがでしたか?
Rinne:
仕事以外だと、まず副業でイベントの企画をしていました。神田正則さんという有名な経営コンサルタントが主宰する読書会で、読書を通じて知識を高め、コミュニティを作る講座の開催資格を取得して、年に60回ほどワークショップを開催していたんです。
介護士をやりながら。そこでいろんな人脈ができて、社長しかいないセミナーに僕だけ介護士でいるような場違いな感じで、いろいろなところに顔を出したりしました。一流の人にたくさん会いたいという気持ちがあったんです。
ゆり:
はい。
Rinne:
北海道と遠距離恋愛をしている女性がいたので、上京するときに一緒に住んでそれから2年後に結婚しつつ、色々な人と関わっていました。
ゆり:
一流の人に会いたいという思いは、どこから来たのでしょうか。
Rinne:
2000年代の札幌に住んでいた当時、物足りなさを感じていました。この街にいても成長できないかもしれない、一流の人がこの街にあまりいないんじゃないかという思いがあって。23、24歳の頃だったので、すごく成長したいという欲求があったんでしょうね。
ゆり:
なるほど。
Rinne:
本もたくさん読んでいて、ビジネス書や自己啓発本、心理学の本など見ていました。そういった本の著者たちの話を直接聞きに行ってみたいという思いが、確かにありましたね。
そこで東京に行って、色々なセミナーや講座に参加しながら、自分なりの学びを深めていったという感じですね。
ゆり:
読書会以外にはどのような分野のものに参加されましたか?
Rinne:
そうですね……セラピスト養成講座やレイキヒーリングの講座に参加しました。それからビジネスの問題解決方法や創造的な問題解決方法も学びました。また認知行動療法という心理学を使って人々の心を解放する方法を学び、その先生のところに1年ほど通いました。
それから面白いのが、スピリチュアルの本を5冊ほど立ち読みしているときに、ピンとくる本に出会って、そこに書かれていた霊能者の方をGoogle検索して連絡を取り、1年ほどその方のもとで学ばせていただきました。
26歳くらいの時に、ある施設で占ってほしいと言われたのがきっかけで、占いを勉強してみようと思いました。日本の有名な講座に行こうとしたのですが満席で受けられず、代わりに見つけた占い師の方の講座に参加しました。
その講師は、春分の時の星の配置を読んで事件の解説をしていて「星占いってこんなことまでわかるのか」と興味を持ちました。すぐに個人鑑定を申し込んで、その方に教えを請い、丸3年間習いました。
一般的な占いだと6割くらいはしっくりくるけど4割くらいはピンとこない感じでした。でも占星術を学んだ時に、自分の性格をズバリ言い当てられて「これだ」と思いました。今まで学んできた心理学などの知識をすべてこの体系一つで説明できると思ったから始めたんです。
心理学は歴史が100年ほどしかありませんが、占いは5,000年前から、ずっと歴史を超えて残っているんです。ということは、そこには何か真実があるんだろうなと、その時は感じました。
ゆり:
ありがとうございました。
その後の生活では・・・
Rinne:
東京では介護施設を辞めた後、ワークショップ企画に興味があったので、セミナー会社への転職先を探していました。ワークショップ企画の求人を見つけて応募したんです。
一次面接では短パンとTシャツのおじさんが出てきて、かなりラフな会社だなと思いました……結構圧迫面接でしたね。(この人は社長でした)
「一週間以内に連絡します」と言われたのに連絡がなく、もう落ちたんだろうと思っていたら、一ヶ月後くらいに別の方、ワークショップを企画する部署の部長さんから二次面接の話があって。
合格して採用が決まったので介護施設を退職したんですが、入社一週間前に社長に呼び出されて「訪問看護の事業をやれ」と言われ、入社早々全く違う事業部に配属されました。
デイサービスや訪問看護の出店の仕事、人材採用など、やったことのない仕事をいきなりやらされることになって……
それから、2年半ぐらい経ったときに、本社の総務をやってほしいと社長から連絡が来て…
人事、総務、ホーム、店舗開発、経理など、その企業での一通りの仕事を経験しました。
日本一のピラティススタジオチェーンで10年間働き、その間に約50店舗の出店に関わりました。お金の交渉とかめちゃくちゃやらされて鍛えられましたね。社長の下で、毎日「死ね」とか「殺すぞ」って言われながら……。
その間も占い師の仕事をしていて、他にも3年ほど個人サロンのオーナーさんのお仕事も手伝っていました。化粧品販売やエステ、メイクアップアーティストなども経験しましたね。
ゆり:
多彩で、すごく濃密な経験をされてきたんですね。
Rinne:
そうですね。いろいろと試行錯誤して道を探ってきた感じです。それで、去年家族が病気になってしまったため、4月に東京から札幌に戻ってきたという経緯です。
ゆり:
ありがとうございます。今話された中で、一番の転換期だったなと感じることはありますか?
Rinne:
いろいろありましたけど、母親が去年の2月か3月に大腸がんになったという連絡が来て。家族が右往左往していたので、私が行かなければまずいと思い札幌に移動しました。そこで分かったのが、母の大腸がんは世界中の大腸がん患者の中で3%しかいない、特殊な遺伝子のがんだったということです。
そのがんは世界中の大腸がん患者の中の3%しかからない特殊な遺伝子のがんでした。三ヶ月ほど毎日がんセンターにお見舞いに行き、最後の一ヶ月は自宅で過ごして亡くなりました。
人間がこんなにも分からない病気であっさりと死んでしまうことを体験した時に……もう僕は誰のことも気にせず好き嫌いだけで生きていこうと決めました。その中で小説を書き始めたりとか……自分の力だけでやっていこうと思いました。
去年の8月に母が亡くなって、それから失意の中にいました。今年からフリーランス一年目で、今までやってきたことを活かしつつ、新しくAIの勉強なども始めています。
人生が180度変わってしまいましたね。このまま東京にいれば給料も上がっていたでしょうし、そういう道もあったのかもしれません。でも、どちらかというともともとやりたかった芸術家、文学的な活動にシフトしつつあるという感じですね。
みんな好きなことで楽しくしてたら争いなんてなくなるなと思ってて、好きから始まる世界平和という講演をしてるビジョンが頭の中にある。

ゆり:
では、5年後、10年後、あるいは亡くなるまで想像して、未来にはどのようなイメージをお持ちですか?
Rinne:
母方の親族には霊感の強い人が多く、家には神棚と仏壇があり、私も祝詞と般若心経を暗記していたという背景があります。そのせいか、死に対する恐怖はなく、いつ死んでもいいという感覚を持っています。
心臓が動いている限り、仕方ないから生きるしかないという感じで……。
今までの経験もしたから、好きにやっていこうと思います。やりたいことの一つは
「第二のJKローリングと呼ばれる男になること」
でも、小説家というより、原案作家を目指しています。アメリカなどでは、ドラマや映画の原作だけを専門で考える職業があるんです。
僕は世界観を作るのがすごく好きなので、世界観作家・原案作家として活動したい。今、英語で小説の世界観とゴールまでを描いた企画書を書いているんです。
これをNetflixや
Amazonなど、海外のフィルムスタジオに送って、全世界に僕の作品が放送されることを目指しています。そして、その世界観を表現したメタバースを作って、その中で人々が夢を叶えていける場所を作っていきたいと思っています。
ゆり:
その夢を叶える、叶えられる場所であるメタバースでは、どんな人の姿が見えますか?
Rinne:
すごく賑わっていて・・・
イメージはこの僕の世界観が、映画『ブレードランナー』のような近未来都市で、青やピンクのネオンが輝く眠らない街みたいな感じなんですけど。
メタバースでは、人々が絵の販売や個展を開いたり、ライブ演奏などを行って、そこでビジネスと表現活動が完結する場所になっています。
みんなが好きなことを楽しくしていれば争いなんてなくなるんじゃないかと思っていて。
「好きから始まる世界平和」という講演をしているような、そんなビジョンが頭の中にあるんですね。
ゆり:
「ルナノヴァ」の語源とか、どこから来ているんですか?
Rinne:
それは、『ヴァイオレット・エバーガーデン』というアニメ作品や小説があるんですけど。
すごいヒットした作品で、ヴァイオレットエバーガーデンというタイトルが持つ重みというか、ドスンと来る印象がありますよね。そういう心に残るタイトルにしたくて……
ガンダムの富野由悠季監督が「タイトルには濁点が入ってないと売れない」という理論を語っていたのですが、それも参考にしました。だからルナノヴァという、心に響いて、印象に残りやすい名前にしました。
ゆり:
なるほど、ありがとうございます。
もし白血病の女の子がRinneさんの詩を見ていなかったら、音楽の道を選び、その後の人生を続けるきっかけにならなかったと思うのですが、Rinneさんの中で音楽というきっかけがなかったとしたら、どんな人生を送っていたと思いますか?
Rinne:
その質問は初めてされましたね。音楽は今や僕の人生の核みたいなものであり続けているんですけど、それがもしなかったとしたら……どうしようもなく行き詰まっていたんじゃないですかね。
とりあえずアルバイトでもしようかな?みたいな。でも僕、アルバイトも2、3回クビになってるし……。
なんやかんやはしていってたのかもしれないですけど、北海道出なかったかもしれないし。
派遣社員とかでなんとかつないで生きてるということもあり得ますよね。まあ、もともといろんなことができる才能があっただろうから、音楽でなくても何かに出会ったのかもしれないですけど。
ゆり:
はい。
Rinne:
でもその方が家族との時間はたくさん過ごせたかもしれないですね。24歳で家を出てしまったので、母親とはそれから年に一回ぐらいしか会わなくなってしまいました。でも一度家を出たからこそ、いろいろなことがわかるようにもなりました。そうですね……しがない人生を送っていた可能性もありますね。
ゆり:
ありがとうございます。
5年後、10年後、死ぬまでを想像していただいて――家族だったり、周りの住んでいる環境だったり、どんなイメージがありますか?
Rinne:
僕は頭の中に描いているのは奥さんと娘がいて……ハワイではないけれど、温かい島のようなところに拠点を持って、海が見えるコテージのような場所に住んでいるイメージです。
ヨーロッパを渡り歩きながら、自分の作った世界観――ディズニーワールドではないんですが、文学やアートフェスを開催するような場所を視察したり、大きな夢を持っている人たちに向けて話をしたり、、、そういうことをやっているんじゃないかなという気がしますね。五年ほど前に離婚して今は一人なんですけど。
そういうイメージが頭の中に浮かんでいますね。
死を迎える時はどうなるんだろう……
できれば苦しまずに逝きたいなという思いがありますね。
後は、この歳で家族に恩返しができてよかったと思います。特におじいちゃんおばあちゃんって、夏休みに田舎に帰って会うとか、年に数回しか会わない存在じゃないですか。一緒に住んでいないと。
ゆり:
そうですね。
Rinne:
だからどんな人物か、性格かっていうのを全然知らなかったなってことに気づいて、こんな人だったんだ、こんな変な人だったんだって。だからうちのお父さんも変な人なんだとか
そういう新しい発見がいっぱいありますね。10年ぐらい戦場のような仕事をやってきたので、久しぶりに穏やかな日々を過ごせています。
ゆり:
ありがとうございます。
死ぬときまでイメージしていただいたんですが、遺言とか、自分自身に対する言葉などはありますか?
Rinne:
死ぬ時になったら「よく頑張ったね」という感じですね。僕は去年とかも早く死にたいなって思ってたから、よくここまで来たよって……
「よくやった」みたいな感じですね。
遺言は「頑張って」って――みんな適当に頑張ってくれという感じですかね。やりたいように生きればいいよっていう感じですね。
ゆり:
去年「早く死にたい」というのは、
Rinne:
母が亡くなったから……
僕は母を助けられると思って帰ったんですけど、全然ダメでした。ご飯も作ってあげて、色々面倒を見てあげて、助けるつもりで行ったのに、助けられなかったことで落ち込んでましたね。
人間はいつか死ぬものだから仕方ないとは思うんですけど、あまりにも理不尽で、まるで三流のドラマを見ているような感じでした。そんな珍しい病気にかかるなんて……。
何なんだろう、これは……っていう。そのことを消化するのに半年ぐらいかかったのかなって感じです。
発症してから4ヶ月しかもたなかったので、一時期良くなったりも繰り返しつつでした。
ゆり:
はい。
Rinne:
でも最後の方はやっぱり、末期がんは幻覚が出たり、意味不明なことを言ったり、記憶が混濁したりするんですよね。そういう症状が出ていたので、突然と言えば突然だし、徐々に弱っていったのかもしれないですけど。
ゆり:
理不尽という感情以外に、何か感じられた感情はありましたか?
Rinne:
無力みたいな感じですかね。いろんなことを経験して、そのスピリチュアルなこともそうだし、現実的なこともいろいろやってきたんですけど。がんに良いとされるものを試したり食べさせたりしました。でも、それが本当に合っていたかどうかはわかりません。
でも人生には助けられるような運命の場合と、どうしても避けられない強固な運命みたいなものがあるんじゃないかと感じましたね。
ゆり:
ありがとうございました。
あとがき
どうしても避けられないう強固な運命から、みんなが好きを楽しんでいれば争いは起こらない「好きから始まる世界平和」となるメタバース。
それを創造することこそが強固な運命だと考えたら、、、。
ますます、そのメタバースの世界観を現実で体感したいものです。
【インタビュー・あとがき・編集:ゆり】

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