利他と利己って一体になると思う人
むかしむかし、ある山間の村に、両心(りょうしん)という名の賢い若者が住んでいました。両心は幼い頃から、人の心の不思議について深く考える子でした。
村には二つの教えがありました。一つは「己のことを考えずに、人のために尽くせ」という利他の教え。もう一つは「まず己を大切にし、自分の幸せを追求せよ」という利己の教え。
村人たちは二つの派に分かれ、しばしば言い争いをしていました。
「人のために生きることこそ尊い」
「いや、自分を犠牲にしては意味がない」
両心は悩みました。
「なぜ二つに分かれて争うのだろう。どちらも大切なことのように思えるのに」
ある日、村に大きな災害が降りかかりました。川が氾濫し、多くの家が流されてしまいました。
その時、不思議なことが起こりました。
利他を説く人々は、自分の家が流されても人を助けに走りました。しかし疲れ果てて倒れてしまい、結果的に誰も助けることができませんでした。
利己を説く人々は、まず自分の安全を確保しました。しかし一人では限界があり、やがて孤立してしまいました。
両心は気づきました。
「そうか...人を助けるためには、まず自分が元気でなければならない。そして自分だけが幸せでも、周りが苦しんでいては本当の幸せではない」
両心は行動を起こしました。まず自分の体力を温存しながら、効率よく人々を助けました。一人では無理な時は仲間を集め、みんなで協力しました。
「自分が元気だからこそ人を助けられる。人を助けることで自分も充実する。これは同じことではないか」
災害の後、村人たちは両心の行動を見て気づきました。
「利他と利己は対立するものではなかったのか...」
両心は村人たちに語りました。
「川の水は、山から海へと流れます。山にとっても、海にとっても、その流れは恵みです。人の心も同じです。自分を大切にすることと、人を大切にすることは、本来一つの大きな流れなのです」
村人たちは深くうなずきました。それからは争いもなくなり、皆が自分らしく生きながら、互いを支え合う村になりました。
両心は後にこう語りました。
「真の利他は利己を含み、真の利己は利他を含みます。自分と他人という境界は、実は心が作り出した幻かもしれません。すべてがつながっていることを知った時、争いは消え、調和が生まれるのです」
そして「己を活かして人を活かす」ということわざが、この村から全国に広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
そして次にインタビューされるのはきっとこれを読んでいるあなただし、そしてインタビュアーになる日もそう遠くはないでしょう。
と思う2025年5月30日20時55分に書く無名人インタビュー1077回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは せっきー さんです!
年齢:40代前半
性別:男性
職業:コンサルタント
現在:身近にいる周りの人が少しでも幸せに人生を過ごせるように願って生きている平和主義者って感じですかね。
本間ユミノ:
今、何をしている方ですか?
せっきー:
組織人事コンサルタントとして、起業の準備をしています。
本間ユミノ:
組織人事コンサルタントって具体的にどういったことをするんでしょうか。
せっきー:
主に法人のお客様がお相手で、スタートアップベンチャー企業から大企業まで、そこで働く企業の従業員の方がより働きやすく、働きがいを持って働く幸せを感じられるような、そういう職場作りのお手伝いをしてます。
本間ユミノ:
起業の準備中ということは、どこか別の会社に勤めながらという形ですか?
せっきー:
そうですね。副業でいくつかの会社を兼業兼務しながら、自分の事業を立ち上げる準備をしています。
本間ユミノ:
毎日、どんな気持ちですか?
せっきー:
期待と不安が入り混じってる感じで、これから自由に自分の目指したいことをいろいろやっていこうっていうわくわく感と、これが本当にビジネスとして成功できるのか、お客様に受け入れてもらえるのかっていう不安とが両方入り混じってる感じです。
本間ユミノ:
今されてる副業とか、兼務っていうのはどういったお仕事内容なんですか?
せっきー:
全体からお話すると、従業員体験「Employee Experience」っていうふうに呼ばれる、求職者の方や就職活動中の学生が企業に入社してから一人前になって、異動や配置転換含めて最終的に退職するまでの一連の職業体験の中で、「この会社で働いていてよかったな」とか「自分の人生良かったな」って思えるようなそういう職場作りをお手伝いすることをしています。
例えばですけど、ブラック企業みたいなところで、働きがいはあるんだけれども働きやすさがなくて労働環境が良くないとか、上司がパワハラをするとかそういうのを改善するために管理職の方の意識を変える管理職研修を企画したり、「ゆるホワイト」って言ってホワイト企業で働きやすいんだけれども働きがいとか成長実感が感じられなくて若手が辞めちゃうみたいな職場で、どうすれば若手が成長実感持てるのかを相談させていただいて、若手がステップアップして仕事の経験を積んでいけるようなキャリアパスをどうやって考えていくかを人事の方や経営者の方とご相談していくっていう、そんな仕事になります。
本間ユミノ:
ありがとうございます。
お仕事以外で日々していることはありますか?
せっきー:
趣味が、家族とオートバイとキックボクシングです。
本間ユミノ:
趣味が家族っていうのは、もうちょっと具体的にお伺いしてもいいですか。
せっきー:
妻が3つ下で40歳、息子が今19歳で、次男が16歳。私たちは学生結婚だったので、妻と付き合ってからは20年以上経つんですけど、家族が日々幸せに過ごせるように団らんするっていうのが私のモットーというか。
常に妻が幸せであることを望んでいるというのが、家族を大切にしてるってことです。
オートバイは所有はしてないんですけど、レンタルバイクとか昔は電動バイクを乗ったりしていて、自由に走り回るのが好きですね。
キックボクシングは30歳後半になってから始めたんですけど、今まで格闘技に興味はあったけれどもなかなかトライできなかったので、37歳のときに初めてトライして、今5年ぐらい続けてる感じですね。
本間ユミノ:
その趣味の中で、一番楽しいなって思うのは?
せっきー:
オートバイですかね。
風を感じて自由に自分で行き先を決めて走っていけるときはすごく気持ちいいですし、一方でやっぱり危険もあると思うんですけど、それが逆に生きてる実感を感じるというか。
ちょっと変な話ですけど、今この隣のトラックがよそ見運転して自分の方に突っ込んできたら死んじゃうな、みたいなのをどうやって危険予知してかわすかとか、そういうのを考えながら走っていると、その場に集中できて今生きてる実感を感じられるっていうのがあります。
キックボクシングも同じで、仕事のこととかをぼーっと考えたりしてるとパンチをもらっちゃうので、目の前の相手に集中して相手をどう倒すか、今その場に集中してないといけないっていうことで、脳が完全にリフレッシュできるっていうところがバイクとキックボクシングに共通してるとこですね。
本間ユミノ:
周りの方からはどんな性格だと言われることが多いですか。
せっきー:
落ち着いていて物事に動じない。あとは、比較的優しいとかって言われます。
本間ユミノ:
ご自身ではどう思いますか。
せっきー:
身近にいる周りの人が少しでも幸せに人生を過ごせるように願って生きている平和主義者って感じですかね。
本間ユミノ:
その平和主義という思想は、なぜそう思うんでしょうか。
せっきー:
幼少期に父と母が共働きで、フランチャイズで回転ずしのオーナーをやってたんですね。
それで、いろいろ切り盛りして結構経営が大変だったのもあって、父親が短気で怒りっぽかったので母とよく喧嘩してるのが日常茶飯事で。
ものすごいストレスを感じながら日々仕事をしていて、ちょっと天然な母親でもあったので、そういう愛情表現っていうか構ってくれていたんだなと今だったらそう思えるんですけど、当時の小学生ぐらいの私からすると、「お父さんとお母さんがめちゃくちゃ喧嘩してどうしよう」みたいな、そういう環境で育ってきたので、今の自分の家庭を大切にするっていうのとも繋がるんですけど、両親仲良くするのが子供にとっても一番だなと思ってそれを心がけています。
本間ユミノ:
最近、楽しいなと感じた出来事は?
せっきー:
家族と一緒にいる時間ですかね。子供たちとカラオケに行ったりとか、ちょっとしたことで子供たちとふざけて、妻がお腹を抱えて笑ってるみたいな。
妻からは3人兄弟ってよく言われてるんですけど、私は父親としてというよりは子供の1人にカウントされてるんですけど、そうやって息子たちと楽しく遊んでいると妻がすごく喜ぶので、そういう時間が幸せですね。
本間ユミノ:
逆に最近あった、悲しいとかブルーな気持ちになるような出来事は?
せっきー:
仕事なんですが、起業するきっかけになったのが、前の会社が外資系のコンサルティングファームだったんですけど。
仕事がすごく厳しくて、自分の能力が会社から求められる期待に達していない、要は評価が低い状態で、仕事もできず上司から怒られ、お客さんからはクレームがあり、みたいな状態が結構続いていて、結局会社を辞める決断をしたんです。
そのときに、やっぱり自分自身が仕事を通じてお客さんに喜んでもらうとか、働く仲間が喜んでくれるとか、そういう職場環境で働きたいし自分みたいに苦しい思いをした人が、もっと働きやすく働きがいを持てる環境で、幸せを感じて働けるような職場を作りたいなと思って、起業準備をしてるっていう感じですね。
本間ユミノ:
幸せだなって思う瞬間はどんなときですか。
せっきー:
家族の笑顔が見られたときとかは幸せですね。
本間ユミノ:
どういったときにご家族は笑顔になりますか。
せっきー:
本当にたわいもない冗談を言っていたりとか、職場であった大変なこととか、面白かったことを共有したりとか、そういうことで笑顔になります。
ちょっと脱線しちゃうんですけど、笑顔っていうキーワードも私の中で結構大事なキーワードです。
中学校3年生のときに、原因不明の顔面神経痛「ベル麻痺」っていう病気にかかってしまって、思春期の進路とかも関係する大事な時期に顔の左半分が動かなくなっちゃうんです。
食べ物とか食べても左側からこぼれて出ちゃうし、眠ってても左目だけなんかうっすら開いて白目で寝てるみたいなそういう状態になってしまって、母親もすごく心配して病院に連れて行ったりとかっていうのがあって。
そのときに、友達と話をしていてふっと私が笑った瞬間に周りの人がギョッとしたんですね。鏡で見ると半分無表情で半分引きつった笑顔で、ネットで「ベル麻痺」って検索すると出てくるんですけどそういう表情になってたらしくて、その瞬間が自分にとってすごくショックで。
自分はこのまま普通の生活もできないし、人と接することも、仕事もできないだろうし結婚もできないだろうなって思って鬱状態で半年間過ごしたんです。
結果的にはリハビリとかして、原因不明で発症して原因不明で治ったっていう状態だったんですけども。
精神的なストレスもあったっていうことで、ちょうどそのとき父親が失業して回転ずしを畳んでしまったので経済的な不安もあってかそういう病気になってしまって、今は笑顔でいられるんですけど、その当時笑顔を作ることができず半年間全く笑えない灰色の人生みたいな経験をしてたから「笑顔」を大切に生きようと思っています。
過去:そういうこともあって、自分1人がエンジニア、技術者になるよりも、他の100人の日本のエンジニア、技術者の人の転職支援をした方が世の中に貢献できるんじゃないかと思ったし、もっといろんな環境で自分の仕事が認められて成果が認められる、そういう職場で働けるような社会にしたいなと思って、技術系の大学院まで進みながら学校推薦をやめて自己応募で人材サービス会社に入社をしました。
本間ユミノ:
子供の頃はどんなお子さんでしたか?
せっきー:
テレビゲームとサッカーに熱中してました。
本間ユミノ:
それは大体いつごろですか。
せっきー:
記憶があるところで言うと、小学校に上がる前ぐらいに、回転ずしのお店の手伝いをしてるのが記憶にあって、5歳ぐらいですね。
3歳年下の弟を連れて、今だったら炎上しちゃうんですけど、お店のお皿の片付けをしたりとか裏でお寿司の軍艦を作ったりとかしてました。
そういうのをお客さんが見て、「こんなにちっちゃいのにえらいねすごいね」って言って褒めてくれて、それを見た父親が「自慢の息子なんです」って言っているのがすごい自分の中で記憶に残っていて。
働くことって、「傍を楽にする」というか、人を喜ばせることだなっていう考え方がそのときに生まれたのかなと思ってます。
そこから小学校3年生のときサッカーに出会って、本当に朝5時から朝練するぐらい熱中して中学3年生ぐらいまでやってました。なのでチームワークとか、チームプレーとかみんなをリードするみたいな経験はそのときに培われたかなと思います。
本間ユミノ:
テレビゲームはどういったゲームをしていましたか?
せっきー:
ロールプレイングゲームですね。
ドラゴンクエストとかファイナルファンタジーとかが結構好きで、物語の主人公になってゲームで遊ぶっていうのを弟とよくやってましたね。
本間ユミノ:
そこから高校生になると何か変化はありましたか?
せっきー:
中学校3年生のときに顔の病気になって、人前で働くことが難しいだろうと思ったので技術系の仕事に就こうと思いました。
母親が私の誕生日に、「世の中にはいろんな資格があるからこれを見て自分の進路を決めなさい」みたいな感じで資格大辞典をプレゼントしてくれて、その中で興味があったのがバイクの整備士でした。
物置にあった壊れたバイクをカチャカチャボルトとかネジを外していろいろ分解して構造を見て、それを修理して綺麗にしたらバイクが直って。
これも今は時効だからあれなんですけど、直ったバイクで無免許で夜中に走り出すみたいなそんな青春時代があって、バイクの整備士を目指すために工業高等専門学校っていうところに進学して、バイクの整備士になるというよりはバイクを開発するとか製造するっていう技術者になるための勉強をしていました。
本間ユミノ:
そこから今やってるお仕事って結構違うところにあるかな、と思ったのですが、そこからどういった人生だったかお伺いしてもいいですか。
せっきー:
はい。高専は5年間あって、中学卒業してから5年間で短大卒と一緒になるんですけど、その後に専攻科っていってさらに2年間通うと大学卒と同じ学士っていう資格がもらえるっていう仕組みになっていて。
高専は地元で、専攻科は茨城で2年間勉強して、一人暮らしをしました。その後地元の大学の大学院に進んで、機械エンジンの振動制御の研究とか自動車メーカーのインターンシップに行ったりして、技術者として就職しようっていうのを考えてたんですけども、就職活動のときに壁を感じたんです。
というのも、大学院の就職活動ってほとんど学校推薦で決まるんですね。
当時、技術系の大学院からの就職の9割方は、学業成績がいい人から順番に、トヨタ、ホンダ、NTTとかって行きたいところを選べるみたいな仕組みになっていたんです。
私は途中から大学院に入ったのですが、この学校推薦の仕組みは大学の1年生から4年生の学業成績も含めてランキングすると言われて、そうするとランキングでいうと私がもう下の方だったんです。
そうするともう会社を選べないっていうことになってしまって。
これはすごく不合理だなというか、世の中の本当に優秀な人で能力があっても、学業成績が低かったら行きたいところに行けないんだっていう不合理を感じて、それで人材サービスっていう転職支援をする会社を見つけました。
ちょうどそのときに、青色発光ダイオードっていう信号機に使われるライトを開発した中村修二さんっていう研究者の人がいたんです。
その人が日亜化学という会社に勤めていて大発明して、世の中を変えるようなイノベーションだったにも関わらず、報酬がすごい少なかったので訴訟を起こして、最終的に和解をしたんですが、その人はアメリカに渡ってアメリカで研究開発するようになってしまったっていうニュースがあって。
そういうこともあって、自分1人がエンジニア、技術者になるよりも、他の100人の日本のエンジニア、技術者の人の転職支援をした方が世の中に貢献できるんじゃないかと思ったし、もっといろんな環境で自分の仕事が認められて成果が認められる、そういう職場で働けるような社会にしたいなと思って、技術系の大学院まで進みながら学校推薦をやめて自己応募で人材サービス会社に入社をしました。
本間ユミノ:
その人材サービス会社には大体どれぐらい勤めていたんですか?
せっきー:
18年ぐらい勤めたんですけど、当時入社したときは子会社で入社したのでベンチャーだったんです。
社員数が当時60人の会社に30〜40人ぐらい入社してもうカオス状態で。
毎日1日100件とか新規のテレアポ掛けて、飛び込み営業に行くとか、そういう技術系の仕事とは全く逆の職場で働いて、4年間で法人の営業をしました。
その後、キャリアアドバイザーといって転職相談を受ける仕事を3年間やって、1300人以上の方の転職相談に乗って、いろんな方の就職転職支援をしたんですけど…
2009年にリーマンショックが起きて、すごく転職市場が半分になっちゃったんですね。
要は、不景気になったので会社がもう採用できないっていうふうになってしまって。
人材サービスの会社も、もう倒産するかもしれないっていう状態になったし、売り上げが半分になっているような状態だし、せっかく転職支援した人も景気がいいときに転職したけど景気悪くなったらリストラだとか、家族を経済的に幸せにするために年収の高い外資系に転職したいって言って転職支援した人が、「日本法人が撤退になってしまって職場がなくなっちゃったのでまた転職相談させてください」みたいな感じで。
良かれと思って転職支援したのに、また転職しなければなくなってしまったっていうような感じになってしまって、私自身も仕事の意義とかやりがいとか意味を見失ってしまう時期があって、「こんなに頑張ったのに自分のやったことに意味はあったんだろうか」っていう状態になってしまったんですね。
そこで、2010年に新規事業の立ち上げを社内で行うことになって、「良い会社プロジェクト」っていう景気の良い悪い浮き沈みに関係なく、好業績で社員が働く幸せを感じている良い会社っていうのが日本の全国にあるから、そういう会社を調査して会社作りのエッセンスをコンサルティングサービスにしようっていう新規事業の立ち上げを当時の社長が発案したんです。
それに、1000人ぐらいいた社員の中で2人選ばれて、新規事業の立ち上げに2010年から携わるってことになりました。
本間ユミノ:
希望者は大体どれぐらいいたんですか。
せっきー:
すごいたくさんいたとは聞いたんですけど、30~50人くらいですかね。
本間ユミノ:
どうやってその2人が選ばれたんですか?
せっきー:
書類選考もあったと言われたんですけど、大体目星はつけていたようで、日々の仕事ぶりとか、ただ単に転職支援の仕事だけじゃなくて、会社を良くしようっていう社内の教育制度っていうの立ち上げをやったりとかそういう取り組みを私は積極的にやってたので、それで目をつけてもらっていて選ばれたっていうのは後から聞きました。
本間ユミノ:
「良い会社プロジェクト」はやってみてどうでしたか。
せっきー:
すごく自分の人生を変えるプロジェクトでした。
本間ユミノ:
どういうところが「人生変わった」と思いますか。
せっきー:
ビジネスっていうと、どうやってお客様に物を売りつけるかとか、どうやって利益を出すかとかが第1目的でやられていた時代かなと思っていて。
今でこそSDGsとかESGとかって言って社会に良くなるとか顧客に良くなるとか地域社会に良くなるみたいなことが当たり前になってますけど、当時はリーマンショックがあったので、みんな生きるか死ぬか、今月の売り上げや今月の給料をどうするかみたいなそういう状況だったんですね。
そんな中でも、今でいうSDGsを目指すような、地域社会に貢献して、社員が幸せで、顧客も幸せで経営者も幸せでっていう経営をしている経営者の方の話を聞くと、ものすごいリーダーシップで社員思いで志が高くて、必死で勉強してビジネススキルも高くて、ロジカルで。
そういう人たちと出会って、自分もそういう人たちを目指したいし、そういう人たちを目指す人たちの支援がしたいなっていうのをすごい思いました。
本間ユミノ:
そこから現在に至るまでは、どのように歩まれてきたんでしょう。
せっきー:
「良い会社プロジェクト」で、まず良い会社作りをするためには今の会社の健康状態を知る必要がある、良い会社なのか悪い会社なのかっていうのを診断して点数を出してみないとわからないということになりました。体重計みたいなもんですね。
組織診断とかエンゲージメントサーベイって言われるものなんですけど、それをある大学の大学院と共同研究をして、そのサービスの事業立ち上げに携わりました。
累計で350社10万人のデータを集めて、従業員の働く幸せと好業績を両立する良い会社作りの支援コンサルティングサービスっていうのを立ち上げたんですけど、自分自身が事業の立ち上げをする中で働きすぎて燃え尽きてしまって、躁鬱っていう鬱と躁状態を繰り返す症状が出てると心療内科から診断されて休職をしました。
休職後、従業員の健康とかウェルビーイングっていう心身の健康状態を保つためのコンサルティングサービスを社内でまた立ち上げて、それでもうそろそろ新しいステップに挑戦したいなということで、コンサルティングファームでビッグ4と呼ばれる有名な会計系のコンサルティングファームがあるんですけど、そこのコンサルティングファームで人事コンサルタントとして転職をしました。
本間ユミノ:
この転職先を選ばれたポイントは何かありますか。
せっきー:
正直言うとお給料が高かったからっていうのがあって、大変な仕事には変わらないんだったら、よりたくさん報酬をもらえるところがいいなと思って、子供たちがちょうど大学と高校に入学するタイミングもあってすごくお金がかかるのでそういう転職を決意しました。
本間ユミノ:
転職前は世の中のためとか、会社のためとか働く人のためっていうことを考えて働かれていたのに、転職のときにはお給料をポイントにしたっていう心境の変化みたいなところはご自身で言語化できたりしますか。
せっきー:
そうですね…結論から言うと、1年間で2社コンサルティングファームを経験して、4月で退職したので、失敗しましたっていうのが結論です(笑)
自分の中でどれだけレベルの高いところで自分の能力が試せるんだろうっていう挑戦をしたいっていうのがあってグローバルのコンサルティングファームに入社したんですが、全然通用しなくて。
自分の中で「仕事はつらくても何とかなるだろう」とか、「困難な仕事でもやりがいを持って楽しんでやっていけるだろう」っていう楽観的な思考があったんですけど、それが見事に通用しなかったっていうのが、この1年間で経験したことですね。
本間ユミノ:
「通用しなかった」っていうのは具体的にどういったことで感じました?
せっきー:
以前の人材サービス会社はすごくチームワークを大切にしていて、事業の立ち上げをしたって言いましたけど、やっぱりチームでやった成果だと思うんです。
でも、コンサルティングファームは自立した個人個人の集団なので、困ったことがあったら自分で解決する、自分の知識や知恵と能力で解決するっていうそういうカルチャーだったので、サポートとかコミュニケーションを取って助けてくれる人もいるんですけど、最終的には自分が困っても自分の自力で自立してやっていかなければいけなくて、チームワークを重視して働くカルチャーと個人主義のカルチャーっていうところはすごいギャップがあったところかなと思いますね。
本間ユミノ:
それで、また別のところに就職するのではなく、起業するという選択をした理由を教えていただけますか。
せっきー:
人生100年時代と言われるように、健康寿命も延びて100歳まで生きるって言われてる中で定年も60歳から65歳に引き上げられて、70歳に引き上げられるかもしれないっていう、どれだけ健康に長く働けるかっていう時代になったときに、自分が残りの30年、下手したら40年働いていく上で、会社の中で働き続けるよりも自分で事業を立ち上げてやっていった方がいい、やっていきたいなっていうふうに思ったので、今は起業と組織に属するのと半々みたいな形で働いています。
副業みたいな形で知り合いの経営者の方やスタートアップベンチャーの経営者の方のお手伝いをして、自分のサービスも作ってみたいなと思って今後10年20年30年を見越した準備をしたいなと思って起業を選びました。
これも正直言うと、起業を選んだっていうよりはまだ迷っていて、妻からは子供が自立するまでは大学や高校にお金がかかるから、安定収入があるサラリーマンの方がいいんじゃないかって言われているので、まだその道も100%止めたわけではなくて、もしいい就職先があればもしかしたら正社員として戻るかもしれないです。
ただ、自分の人生で、従業員が働く幸せを実感できる職場作りっていうサービス事業は一生携わっていきたいなと思ってます。
本間ユミノ:
今一番大事な人もしくは物はなんですか?
せっきー:
妻と言いたいところですが、その前に自分自身の心身の健康を常に幸せな状態、安定した状態に持っていくことが大事だと思うので自分の心と体を大切にしたいなと思ってます。
本間ユミノ:
せっきーさんの人生に転換点を置くとするとどこになりそうですか?
せっきー:
中学3年生の病気になったとき、大学院の就職活動のときでしょうか。
そこもちょっと補足すると、大学院時代のアルバイトで妻と出会って、お付き合いを始めて1ヶ月で妊娠発覚、半年で結婚みたいな超スピード学生結婚だったんですね。
派遣社員として働き、夜は大学院の研究をしてそれ以外の時間は子育てをするみたいな3足のわらじを履いてる時期があって、そのときは一番充実してたけど一番ハードだったときなので、大学院の就職活動のときは転換期の一つだと思います。
あとはリーマンショックのときに新規事業を立ち上げたときと、外資系のコンサルティングファームに転職して失敗したときですね。
本間ユミノ:
人生の波線グラフのようなものを書くとすると、今は真ん中から見てどの辺りにいますか。
せっきー:
100点満点って言いたいところなんですけど。
100点になるかもしれないし0点になるかもしれないし、その間で揺れ動いてる、そういうわくわく感と不安感と両方あるみたいな感じですかね。
本間ユミノ:
その不安感を具体的に言語化できますか?
せっきー:
二つあって、お金の不安と、健康の不安です。
経済的にやっていけるかどうか、仕事が継続的にもらえるかどうかっていうところが一つ不安としてありますし、躁鬱病っていう病気と付き合って働いてるので、自分の心身の体調面の不安みたいなところはありますね。
本間ユミノ:
躁鬱病とは、今はどういった感じで付き合っていますか。
せっきー:
月1回心療内科に通ってるんですけど、躁鬱症状っていう診断で、躁鬱病っていう病気に断定するのはすごく難しいらしいんですね。
グレーゾーンというか、お医者さんとしても判断が難しいみたいで。
これって後天的になるというよりは遺伝によるものが大きいらしくて、そういう意味では生まれたときからそういう傾向があったっていうふうに見ることもできるんです。
躁状態っていう、すごくハイになってしまう…ちょうど最近、広末涼子さんのあれがありましたよね。
ハイテンションになっちゃう状態、自分をコントロールできなくなっちゃう状態とすごく落ち込む状態が波のようにあって、人によっては1年周期とか数ヶ月周期とかで起こるっていう病気なので、テンション高いときに何かトラブルを起こしちゃってそれによって鬱状態になってしまう。
また調子よくなってくるとまたトラブル起こしちゃうみたいな。そういうギャンブラーみたいな性質もあるみたいなんですけど、その波の幅を薬で狭める治療方法を今やっています。
初めはこの病気を受け入れるのはすごく大変でつらくて、今まで例えばバイク乗って楽しいとかジェットコースター乗って楽しかった気持ちが、薬で抑えられちゃうんです。
だから何やっても今までと同じように楽しく感じない。
ただその分、トラブルとかハイテンションで何かやりすぎちゃったり、ハードワークで働き過ぎちゃうとかっていうことを抑えられるので、そういう面では安定はしてるんですけど。
初めは薬を飲むことで、自分がモルモットで治療を受けて元気がなくなっていくような感覚になってしまったんですが、今はそれを徐々に受け入れて調子良いときもあるし調子悪いときもあるよねというか、あんまり考えすぎずに今の自分の心の状態や体の状態に向き合いながら、仕事も無理せず働いてっていう、そういう状態になってます。
本間ユミノ:
遺伝の要素もあるかもしれないということで、どういったところに思い当たりがありますか。
せっきー:
やっぱり、テンション高いときと元気がないときの波が大きいっていうのはあったかもしれないです。母親もそういう傾向が強かったかなっていう気がしていて。
子供のときのトラウマなんですけど、私が5歳ぐらいのときに家族で車に乗っていて、母親と父親と喧嘩して、母親が事故を起こして無理心中しようとしたんです。
スピードメーターって100キロとかを超えると、あのキンコンキンコンキンコン「注意してください」って鳴るんですけど、それがずっと鳴ってる中、母親も泣き喚きながら「このまま死んでやる!」って言っていて、私と弟が「お母さんやめて!怖いよ!」って言って母親が思いとどまったっていうトラウマ体験があって。
そういうのも影響してるのかなっていうのは思いますね。
未来:目立たなくて周りからデクノボーって言われたとしても、誰かのために何かしてあげるっていう姿勢とか思想みたいなものに憧れていて、そういうシーンみたいなものを未来に残せていけたらいいなっていうのが私が死ぬまでにやりたいことの一つですね。
本間ユミノ:
5年後、10年後、もうちょっと先の20年後30年後死ぬときまでっていうのを想像していただいて、未来についてどんなイメージをお持ちですか。
せっきー:
平和主義者って話したんですけど、自分の周囲の範囲を広げていって、私の関わる人たちが幸せに平和に過ごせればいいなっていうのが願いです。
中学生ぐらいに宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩に出会って感銘を受けたんですけど、「雨ニモマケズ風ニモマケズ…サウイフモノニワタシハナリタイ」っていう、あの詩の主人公みたいな生き方をしたいなっていうのが私の理想像で。
目立たなくて周りからデクノボーって言われたとしても、誰かのために何かしてあげるっていう姿勢とか思想みたいなものに憧れていて、そういうシーンみたいなものを未来に残せていけたらいいなっていうのが私が死ぬまでにやりたいことの一つですね。
本間ユミノ:
「誰かのために」とか「世の中のため」とか「働いてる人のため」ってすごく思っている中、「自分が」とならないのには理由があるんですか。
せっきー:
自分の人生を振り返ってみて、顔の麻痺の病気になったときに自分の将来を諦めて自暴自棄になっていた時期があったんですね。でも結果的には回復した、と。
どんなにどん底で駄目だと思ってたとしても、何とかなるというか、いいこともあれば悪いこともあるみたいな哲学が自分の中にあるんです。
就職活動した1社目の人材紹介のキャリアアドバイザーのときに、転職する人ってやっぱり不満とか不安とか、自分に自信をなくしてる方が少なくないんですね。
そういう方の過去の経験とかキャリアとか強みとか、どういうとき楽しかったとかっていうのをヒアリングしていると、そのときの話をしているときにはものすごく輝くんですよ。
初めすごく元気なさそうに来たエンジニアの方で、「このときの経験で工夫したことありますか」って聞くと「すごく大変でこういう工夫したんです」「すごいですねそんなことができるんですか」「いやそうなんですよ、これがこうこうこうで…」みたいに話が止まらなくなってしまうみたいな経験をしたことがあって。
その時に、誰にでも可能性があって、元気ない人でも無限の可能性を持っていて、その人の可能性を信じて支援することによってその人が元気になるんだ、働く幸せを回復できるんだっていう原体験みたいなものがあるからですかね。
本間ユミノ:
顔の麻痺の病気になる前と今だと、考え方とか思考って違うところありますか?
せっきー:
病気になる前は比較的優等生タイプというか、大人の言うことや先生の言うことを聞くタイプだけど、不合理なものには反発するっていう性格でした。
これも印象に残ってることなんですけど、小学校3年生のときに、友達がふざけて私の机と椅子をベランダに出しちゃったんですね。
それで、私がそれを取りに行ったらベランダの鍵を閉められてしまって。そのままチャイムが鳴って授業が始まったんです。
私は悔しいから、そのままベランダで椅子に座って授業を受けようとしたら、先生に何ふざけてるんだってめちゃくちゃブチギレられたんですね。
原因は友達のからかいというか、いじめだったのに、さらに先生に怒られるっていう理不尽さを感じて、そこから先生に反抗的になるような性格が培われたのかなというのはあります。
本間ユミノ:
もしも、せっきーさんが顔の病気にならなかった人生だったとしたら、どういう人生になっていたと思いますか。
せっきー:
そうですね…。結局変わらない人生かもしれないです。
本間ユミノ:
おお。
せっきー:
やっぱり躁鬱症状、波が大きいっていう性格っていうのはあったと思うので、どこかでトラブルを起こしたりトラブルに巻き込まれたりするみたいなことは、きっとその病気以外にもどこかで出てたんだろうなっていう気がします。
それを少しずつ乗り越えながら、今みたいに周りの人が幸せになればいいなっていうところに落ち着く人生に戻ってくるんじゃないかなっていう、なんかそんな気がしました。
本間ユミノ:
進学とか就職とかはどうでしょう。
せっきー:
でもバイクに出会ったからやっぱり技術系の道とか、どっちかというと理系タイプだったからそっちには向かってそのまま技術者になってたかもしれないですね。エンジニアになったかもしれない。
本間ユミノ:
周りの人のことを考える気持ちみたいなのは、家族に受け継がれたりしていますか?
せっきー:
その輪が広がっていくみたいなのはまだまだ実践が足りないかもしれないですね。
家庭の平和を保つぐらいで、私の思いとか志みたいなものを子供たちが引き継いでっていうのは全然なくて、子供たちは自由気ままに楽しい学生生活を楽しんでると思いますし、妻は妻で子供が巣立つまで家計をどうやりくりするかっていうことで精いっぱいになってるので、そんな崇高な感じにはなってないです(笑)
本間ユミノ:
周りを思いやる考え方をしていて良かったなと思ったことありますか。
せっきー:
仏教用語で「利他」と「利己」っていう概念があると思うんですけど。
「人のために良いことをしなさい。それが回り回って自分に返ってくるから」みたいな。
利他と利己って一体になると思っていて、自分の強みとか役に立つことで人が喜んでくれて、対価がもらえたりとかご縁が繋がったりとかっていうことがあるので、自分の好きなこととかやりたいことで人に貢献すると、それがもっと巡り巡って帰ってくるみたいな考えを持っていて。
自分自身がそういうことに気づいた経験とか、いろんな会社の経営者の話を聞いたりとか哲学を聞いたりして感化されたり気づいたりした点、自分の人生が良くなったなと思えた点を別の人に伝えて、「そんな考え方してませんでした」とか、「そうしたら前向きに考えられました」とか、「気持ちが明るくなりました」とかそういうふうに周りの人がちょっとした気づきとか変化があると嬉しくなるので、まさに自分のやりたいこととか好きなことと他人の喜びとか気づきっていうところが一致してるなっていう感じがします。
本間ユミノ:
最後に、遺言のようなものでも、この記事を読んでくださってる読者の方向けでも、せっきーさんご自身に対する独り言のようなものでも構いません。
最後に言い残したことをお願いします。
せっきー:
今、事業を立ち上げている中で、コンセプトとして「WORK HARD & BE NICE TO PEOPLE」っていうのを掲げています。
「HARD WORK」じゃなくて「WORK HARD」で、「一生懸命」っていう意味とか「頑張れ」っていう意味があった、「BE NICE TO PEOPLE」は人に優しくっていう、「一生懸命働いて人に優しくあれ」って思いを込めたコンセプトになってるんです。
仕事自体もそういうスタンスでしていきたいですし、人に優しくして、その人の人生が良くなるような、そういうきっかけや気付きになっていきたいなっていう思いがあります。
あとは、THE BLUE HEARTSの「人にやさしく」っていう歌がすごい大好きで。
「マイクロフォンの中から頑張れって言っている」っていう歌詞がすごく自分の中で応援歌になっていて、誰かに「頑張れ」っていう応援歌を歌い続けたいなっていう、そういう思いもあります。
本間ユミノ:
ありがとうございます。
あとがき
あらゆることを、自分を勘定に入れずに、よく見聞きしわかる。
一番簡単なように見えて、一番難しいことかもしれない。
あと、「人にやさしく」はやっぱり名曲。
【インタビュー・編集・あとがき:本間ユミノ】
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