日本の誇りである文化を伝えていくのが究極の願いの人
私の父親はまごうことなき旅行会社勤務だったんですよ。
だから旅行や観光といったものに対しては、(自分はそこまでどっぷりではないですが)、なんとはなしの思い入れというものがあるんです。
トラベルという言い方から、ツーリズムという言葉に置き換えられていってますね昨今は単なる物見遊山ではなく、その土地の文化、産業を学ぶワークショップがセットになってくるようになってきましたね。リトリートとかも流行っていますしね。
そうなんです! だから! 無名人インタビューでもそれを取り込みたいんンですよねえ。
現地にいってその人のお話を聞く「無名人イン旅ュー」や、いつもとは違う日常から離れた場所でお話を聞く「無名人インタビューリトリート」など、したいと思っているんですよ。
その人の家でお話を聞いたり、温泉で一泊二日しながらお話を聞いたら、そりゃいつものオンラインインタビューとは違った趣でてきますよねえ。
やりたい。
ということで無名人インタビューgo!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】
今回ご参加いただいたのは 篠田康弘 さんです!
現在:この地域は本当に綺麗な地域で、もっと多くの方に紹介したい
ナカザワ:篠田さんは今何をしている方ですか?
篠田:新潟県小千谷市の山間地域に、錦鯉観光株式会社という旅行会社を作ったんです。
観光地とは言えないような場所でですね、交通機関がなかなかなくて、観光案内をやりたいんですが集客に困っておりまして。地域外の方に、この地域の伝統文化を紹介したくて民泊も作ったんですよね。
台湾とか海外から来られる方が多いところなので、そちらの方に紹介したいと思って。
ナカザワ:普段活動されてる場所はどちらですか?ホームページ拝見すると、住所がいくつか出てくるんですけど。
篠田:小千谷市ですね。
この地域は元々二十村郷という地域で、江戸時代から昭和30年代ぐらいまではずっと二十村郷という地域で一体だったんですね。昭和30年代初めに、長岡市と、(現在は長岡市に合併している)旧川口町と、小千谷市と、山古志村に分裂してしまって。そのうちの小千谷市に合併した地域に、私は「闘牛と錦鯉の伝統文化会館」っていうのを、また名前だけなんですけど、私の実家の跡地に掲げまして、そこで宿泊施設をやってるんです。
長岡の花火がかなり有名なので、最近はこちらにも花火の時に泊まりに来られる方もいらっしゃいまして。
ナカザワ:事業としては、民泊と観光ツアーですか。
篠田:それをやりたかったんですよね。今まで市民活動として10年ほど、闘牛や錦鯉の伝統文化を紹介していたんです。講演会だとか写真展だとか。
でも、民泊をやろうとすると、市民活動ではない、と言われましたので、個人事業主になりました。個人事業主になって、旅行業に登録したんですが、そうすると今度はご案内するのにですね、市民活動の時のように自家用車。使ったら違法だよと言われて、交通機関やタクシーを使わなきゃならなくなってしまって、料金が高くなったんですね。それで、なかなか集客ができない状況になってしまって。サイトとかも使っているんですが、全く集客できないような状況で悩んでいるんです。
ナカザワ:お仕事のほかには何をされてますか。
篠田:普段は家庭菜園というか、畑とかしてたんですけども、今年は暑かったんでねなかなかそれもできなかったんですけど。
ナカザワ:旅行業の資格を取るまでは、何で生計を立てていたんですか。
篠田:食品会社に定年まで勤めていました。食品工場ですね。ハンバーグとかコロッケとかそういうのを作ってました。だから、旅行業は全く関係ないんですよ。
ただ、在職中に市民活動として「錦鯉の伝統文化をしむ会」っていう会を作りまして、協力していただける方が何か集まりましたので。見学会だとか写真展だとかを開催していました。
この地域は本当に綺麗な地域でして、写真スポットになってるぐらいなんですよ。
でももっと多くの方に紹介したいなと思いまして、今までのように個人で告知するのもいいんですけども、それだと効力がないんで、それで錦鯉観光ということで何とか設立したんです。
個人の「伝統文化を楽しむ会」でやっていたときは足代で3000円とか4000円とかでご案内できたのが、数万円ぐらいの参加費になっちゃって。全く集客ができなくなってしまった。なかなか上手くないもので。
ナカザワ:事業化されたのはいつのことですか。
篠田:去年ですね。
ナカザワ:ご趣味とか、他にやっていることはあるんですか。
篠田:元々は多趣味で、ホノルルマラソンに行けるようにフルマラソンぐらいやりたいなと思ってランニングの会に入ったり、本が好きで読んだりしていたんですけど、この旅行会社を作ることがだんだん大変になってきて、集客できないと借金になってしまいますから。そちらの悩みがですね、本当に増えてしまって。
もともと走るのは大好きだったんで、朝、山地で走るのは本当に楽しみにしてるんですけども、今はそういう活動ができていないですね。実家を民泊にしてますので、元々母親がやってた家庭菜園をやってはいるんですけど、アブラムシとかが結構増えて、農薬の使い方もなかなかうまくなくて、大変ですね。
過去:錦鯉とか闘牛は自分のルーツそれをすごく誇りに思うようになりまして、それが伝わると私自身が本当に嬉しいんですよね
ナカザワ:今の活動に至るまでのことをお聞きしたいてんですが、篠田さんはお子さんの頃ってどんなことをされてましたか。
篠田:本を読むのが大好きでした。友達が特別いるわけではなくて、1人で本を読んでたんです。なかなか仲間で遊ぶようなことはできない人だったもので、20歳ぐらいまで本にはずいぶん慰められました。
食品会社に入ると残業も多くて忙しくなって、本を読む時間がなかったので、定年後は本でもゆっくり読もうかと思ってたんですけど、目が悪くなっちゃったんですね。
今私は67歳なんですけど、緑内障だって言われて。このままでは失明するのは2、3年後だと。数年前から習いながらパソコン操作もやっているんですが、それも目を酷使しますので。
私はもともとパソコン操作するような仕事をしてたわけじゃないので、大変苦労しましてね。今のホームページとかは作っていただいたものなんですけども、こんな綺麗なのはとても私では作れないんですが、メンテナンスとかもやらなきゃならないんですよね。
ナカザワ:ちなみに、本はどんなものを読むのがお好きですか。
篠田:最近目が悪くなって、伝統文化会館の法人化だの、そちらの方の維持もなかなか大変ですね。手続きとかそんなので忙殺されてるので。
ナカザワ:最近はあまりで読んでないってことですね。
篠田:そうですね、緑内障だの白内障だの言われてからできるだけ読まないようにしてしまって。
元々ね、本を読むのが楽しみでしたので、なかなかやめられなかったんですけども。それが観光の集客ができないという悩みに変わって、とてもそんなことやってる時間はなくなってしまって。最近はほとんど読んでないですね。
ナカザワ:何か思い出に残ってる本はありますか。
篠田:わりとなんでも、ドキュメンタリーでもね、特に図書館でもオーディオブックが出るようになってから、いろんな本を聞いてました。
本は何でも読んでいたんですよ。橋本徹さんの本とか、割とよく聞いていたんですけど、忙しくなってやめてしまいました。私はなんでも興味があって、なんでも勉強することが好きだったんですけどね。
今は人生の決算として、本当に錦鯉の伝統文化の告知と、そういうことにかかわれるだけ関わろうと思っています。
ナカザワ:現在は伝統文化の素晴らしさを伝えたいと思ったきっかけは何ですか。
篠田:私は特別に闘牛が好きだったわけでは全くないんですよね。もちろんこの地域の方たちはほとんど皆さんにやってますので、父親は錦鯉を飼っていましたし。
この地域は中山間地で、かつ地盤が軟弱な地域ですので、水が本当に不足するところなんですよ。夏場に日照りになると田んぼの水が不足するんです。そこで、豪雪地域なので冬場の雪解け水を池にためて、それを夏場の灌漑用水にしてたんですね。
ここは一万年前は海の中だった、まあだいたい日本はそうだったみたいなんですけど、土地に栄養がある地域なので、鯉の生産、動物の生産に向くんですよ。草もたくさん生えてますので、闘牛の牛も昔は地域で生えている草を食べていた。そういうところだったんですね。
鯉は雑食なんですよ。藻だとか昆虫だとか食べてくれるので特別餌やらなくても育つ。すごく栄養が豊かで、そして生命力が強くて、飼育が本当に楽だと、この地域の冬場の食材としてぴったりだったもので、この地域では鯉を食材として飼ってたんです。
鯉はいろんな色素を持ってまして、一番有名なのは赤、緋鯉ですね。真鯉といって茶色の鯉を飼っていても、赤い色素の鯉が出ることがあるんですよ。あとはアルビノの鯉も、何万匹も飼っていると必ず出るんですね。
その赤い鯉と白い鯉を掛け合わせて紅白の鯉を作った方が江戸時代以前におられたそうです。何十年もかけて、一生かけてですね、さらに代々、繋げていくような大変な事業だったと思います。
それによって錦鯉のもととなるものができて、江戸時代には貴族の文化だった庭園と池の文化が市民化して、地方でもいろんな名園ができたり、旗本っていう方が自分たちの家の周りに庭をつくるようになった。その池に鯉が大人気だったらしいんですね。江戸時代には錦鯉がすごく有名になって高価で売買されるようになった。
そこでこの地域の人は錦鯉を飼って、何万匹に1匹かの綺麗な鯉をみんなで競い合ったんですね。鯉はすごい生命力で、何十万とか一回の産卵で生まれるんですけど、綺麗な鯉だけを残して、残りは全部食用としても食べてたと。
そういう文化がこの地域で始まったわけなんですよ。
ナカザワ:なるほど。
篠田:昭和年代までは長岡市でも庭や池を作るのはごく普通だったんですよね。池を作って、鯉の産地なんで鯉を買う方がすごく多かったんです。
私も特別そういう家だったわけじゃないんですが、この地域では当たり前の文化だったもので、養鯉業者さんは結構高価で儲けてるな、ぐらいの感覚でしかなかったんですけど。
ただ地域外ではやっぱり有名で、闘牛は滝沢馬琴の八犬伝にも載っていたんです。
私が「伝統文化を守る会」として市民活動をする以前に、会社の方でしたり個人的な知り合いの方に、闘牛とかそういうものを紹介していたんですね。
そのときは仕事としてやろうという気持ちは全くなかったんですけど、たまたま地域外の協力してくださる方とお知り合いになりまして、あまりにも知られてないし、長岡市からちょっと文化を発信してみようか、ということで、講演会だとか、写真展だとか、やり始めたところなんですね。この地域を捉える写真家さんが何人もいらっしゃるんですけど、本当に綺麗な地域なんですよね。
またこの文化も1000年500年の歴史がありまして、元々は、中国の東北部の少数民族の文化で、中国との繋がりもありますし、奥深いものがあります。地域の人の思いがこの錦鯉を作り上げて、それが今の日本の庭園文化として海外で高く評価されている、というのはなかなか素晴らしいんじゃないかなと思っているんです。
ナカザワ:伝えたいという思いはもとももあったんでしょうか?
篠田:そうですね、バネとしては、私の地元は小千谷市と合併してる地域なんですけども、この地域は元々織物の文化の街なんですよね。小千谷縮といえばすごいブランド商品。
そういう織物の伝統のある地域と、山の闘牛とか錦鯉の伝統のある地域っていうのは実は全く異なる文化なんですよ。私も高校は小千谷市だったんですけど、小千谷ではあんまり評価されてないんですよね。
平成17年以降山古志村が長岡市と合併してるんですけども、ましてや長岡市は元機械工業の文化なので、山間部の綺麗な鯉を高く売るということとは全く違う文化なんですよね。
知ってる人は知ってるし、すごく奥深い文化なので、関心のある方は結構いて、錦鯉を飼ってる社長さんもいらっしゃるんですけども、一般の方に知らせるっていうのは全くしてこなかったんです。伝統文化というのは元々自分たちで楽しむ文化なんですね。広げるっていう文化では全くないんですよ。特に錦鯉は販売の文化なので、そのルーツがどうのこうのなんて全く話しませんし。
錦鯉の文献ってのは多少あるんだけど本当に断片的なもので、それを研究されてる学生さんも少ないし、関心を持ってる一般の方も少ない。私も伝統文化を守る会のころは研究の講演会とかに出席させていただいて、本当に素晴らしい伝統文化だなと私自身も思いまして、これを何とかね、本当に一般の方たちに伝えたいと思っています。
ナカザワ:ちょっと話が戻っちゃうんですけど、観光業として開業する前もいろんな市民活動に参加されてたと思うんですけど、本を読んでいた子どものころとはご自身の中で、なにか変わったんでしょうか。
篠田:元々人の話を聞くというのは大好きなもんで、勉強心もあってですね。特に起業のセミナーとかよく聞いてたんですよ。食品会社に勤めてましたので、食品のコンサルのような起業の講演会とかですね。
今協力してくださっている方もその商工会議所とかセミナーで一緒になった方なんですね。パソコンができますよ、個別にも協力しますよ、と言っていただいて。全く地域外の方なんですよ。そういう形で協力していただいて、やっと会を作ることができました。
観光案内のような業態で起業をしようかなと思ったんですけど、ハードルが高くて、それが現在、旅行会社というかたちに至ってるんです。
講演会とか、勉強会が大好きだったものですから、市民活動をやっていたときから講演会だとか見学会だとか、何でも出るようにしていたら、それで人脈が増えたんですね。特別な理由があったわけじゃないんです。
ナカザワ:なるほど。
篠田:やっぱり伝統文化の発信のための講演会一つやるにしても大変なお金がかかりますし、苦労しながらやってたんですけどなかなか面白くてですね。
講演会をやると結構お話を聞いてくださる方が、「全く知らなかった」と言っていただけるんですよ。長岡市とも小千谷市とも違う文化なので誰も発信してなくて、要するに私が発信することは初めてのこととして皆さん聞かれるんですね。
もちろん先人の方、滝沢馬琴とかは言ってることですし、小千谷市ですと錦鯉は市の魚ですけど、地元の私も知らなかったこともあるし、やっぱり皆さんも知らないんで、もう少し広く知らせたいですね。
私に告知力がないので講演会に集まるのは大体4、5人。先日も錦鯉と、小千谷縮も有名なのでちょっと一般の方たちを集客したいなということで長岡市の後援をいただきまして、会を開いたんですが、いらっしゃったのはお2人ぐらいで。私としては5人も集まればいいとこだとは思うんですけど、周知が足りないですね。伝統文化は集客とかそういう問題だけではないとは思っていますが。
あとは民泊もなかなか難しくて。施設は築何十年も経ってますので、結構埃が多いとかそんなことが悩みでね。
でも悩んではいるんですけども、もう少し、本当に大勢でなくてもいいので紹介したいなと。私は勉強が好きなので、インバウンドとかいろいろ聞いてたんですけど、これからはやっぱり日本の伝統文化を現地で体験できるみたいなことが一番だという話を聞きましてね。まさに日本を代表する伝統文化じゃないかなと思い込んでしまって(笑)
ナカザワ:ずっと大変だとはおっしゃってますし、実際大変だと思うんですけど、それでも続けてられてるっていうのはなぜなんでしょうか。
篠田:錦鯉は日本を代表する観賞魚ですし、日本は世界一の観賞魚輸出国なんですよ。ほぼ錦鯉一品だけで世界一。それを作ったと言うと、素晴らしい文化だとご納得していただけるんです。
錦鯉のもととなるものを作られた方っていうのも、相当ご苦労されたと思うんですよね。もちろん遺伝の理論上、ほぼ再現はできるようですが、養鯉業者さんの話を聞くと、仕組みは分かっても、何十年かかって偶然の1回ぐらいがあって、やっとできたぐらいじゃないかという話なんですよ。最初は観賞魚として有名なわけでも高く売れるわけでもないものに対して、そういうご苦労をされたというのは、やっぱり、美しさがわかる方がいらしたんだ、と。
そういう綺麗さがわかる方がいらして、苦労されて錦鯉を作られて、それが富裕層に人気になり、産業になったっていうことがまた素晴らしいですよね。そういうのもぜひ伝えたいなと。
錦鯉とか闘牛は自分のルーツなんですけども、それをすごく誇りに思うようになりまして。それが伝わると私自身が本当に嬉しいんですよね。それで、微力なんですけど続けたいなっていうような形でやっているんです。
今の技術でも紅白の鯉を作るっていうのはものすごく大変らしいんですよ。今は何百種類もいろんな鯉があるんですけど、その技術をもってしても、最初の紅白は、確率的に大変すぎるぐらいで。今作られてる鯉を使って作る方が早いんじゃないかと言われています。
どのくらい難しいかというと、先ほど赤い鯉と白い鯉が何十万のうちいくつか生まれる、と言いましたけども、それ自体は鯉の産地ですとごく普通にいっぱい出てるんですよ。
みんなが「赤い鯉なんか食べられるか」とか言って捨てていたものをこの地域で育てていたわけです。赤い鯉と白い鯉を掛け合わせると、遺伝の法則で最初は全部赤い鯉になるらしいんですよ。4代、5代と、赤い鯉と白い鯉を掛け合わせることを続けていると、やっと赤白の斑の鯉ができると。ただ養鯉業者さんにお聞きすると、その確率は本当に低いらしいです。
何十万もいる鯉の中から毎日毎日選別してそれを見つけて、それをまた掛け合わせて。そういったことを何回も何十年も、奇跡的な鯉を見つけてそれと掛け合わせていたと。気の遠くなるような、とても一人の人間でできるような仕事ではないんですよね。
だから今の養鯉業者さんも、紅白を掛け合わせることで確かに赤白まだらの鯉ができるんだけど、紅白の鯉はなかなか難しいと言うぐらい大変なことなんですよ。本当に奇跡的なもので。ただ、やっぱり奇跡的なものだって諦めてしまえば全く奇跡でも何でもないですから、それで何の意味もなくて終わっちゃうわけなんですけど、そこで諦めずに続けられた方がいらっしゃったっていうことだけでも素晴らしいと思います。さらにそれが富裕層に人気になって産業になった。
大正に万国博覧会が東京で開催されて、その頃は鉄道もまだ通ってないでしょうから、どうやって運んだか知らないですけど、紅白の錦鯉のような綺麗なものがその頃もありましたから、それを持っていったということです。
それを、昭和天皇が皇太子の時にご覧になって、その場からなかなか離れなかったってことで全国的に有名になったんですね。デパートでも販売するようになったっていうような話もありましてね。
これだけ素晴らしい内容でもありますし、それだけ素晴らしい文化をですね、今のそういう文化のツーリズムの時代に紹介しておきたいなっていう思いがだんだんと強くなりまして、今に至っています。
未来:錦鯉を作った文化を、産業の文脈から離れて、文化として伝えていきたい。それが私の中の究極の願いですね。
ナカザワ:今後の話として、広報に力を入れるというところは出てきてはいたんですけれども、伝えたことによって他の人にはどういうふうに感じてほしいですか。
篠田:やっぱり、身近なものを無駄にしないという、本当に日本的な発想から始まった文化なんですね。
日本的な改良の文化、トヨタの車もそうですよね。機織りから始まって、コツコツコツコツ改良する、そういうのがやっぱり日本は得意なんだと思うんですよ。
そういう文化っていうのは、やっぱり日本の誇り。ただ綺麗というだけじゃなくて、そういう文化が錦鯉を作ったので、他の地域で突然変異で錦鯉ができたとしても、このような錦鯉を作ることはあり得なかっただろうと思うんです。
私もこの地元の自分の出身なんですけど、もう少し誇りを持って、日本人として、と私が言うと大げさなるんですけど、本当に自信を持っていただきたいと。
観賞魚を売るのは私にはとてもできないことなので、そういう文化を通してもう少し、日本を理解する。
自分たちの伝統、自分たちの文化とは自分自身のことなんですよね。だから、それを紹介することが大事だと思うんです。
海外の方が民泊に泊まられるときにこの文化を紹介すると、すごく喜んでいただけるんですね。本当は学生さんとかも加わっていただきたいと思うんです。
錦鯉を作った文化もあるんだということを、産業の文脈から離れて、文化として伝えていきたい。今は観光という形ではあるんですけども、それを伝えていきたいというのが私の中の究極の願いですね。
ナカザワ:はい。
篠田:単なる、綺麗な錦鯉っていうことじゃなくて、錦鯉を作った文化そのものですね。農家さんが田んぼやりながらこんなの作ってたってことも、なかなか物好きだなっていうおもしろさもありますし。
長岡藩もそうですが、他の地域では、お百姓さんは年貢をつくるのに忙しくて、そんな遊びみたいなことやってる暇ないと。でもここは天領で、そういう特殊性もあって、農家さんはいろんな工夫をされて独特なものを作られたんですね。それが、小千谷縮のような織物文化でもあったり、錦鯉の文化であると。それをもう少し海外の方に紹介してもいいんじゃないかと思うんです。
ナカザワ:ありがとうございます。
こうやって活動されて、会社を作った篠田さんに対してご家族とか何か周りの方はどんな反応をされますか。
篠田:特別私もたいしたことやってるというと意識はなかったもので、特別了解を得てやってきたわけではないですよね。
本当は協力していただけるような、家族を巻き込むこともしたいんですけど、家族には家族の思いもありまして、私も家族に伝えるのが上手なわけでもないので。
私がいつも「大変だ、大変だ」って言ってるよ、というのが妻の意見で。大変ならやめてしまえばいいのに、みたいな話にもなるんですけどね。
妻はもともとこの地域の生まれではないですし、伝統文化への思い入れというのもやっぱり地域の方でないとわからないかなっていう部分もありますから。
だからこの地域のご出身の方は、中越地震で避難されたときも、闘牛が復活しないと自分たちの地域もないんだというような、ものすごく強い思いがあるんですよね。
私も人生の後半で目も歯も悪くなって、物忘れが激しくなってね、もうこんな活動を続けるような能力もないんですけど、少しでも活動させていただきます。
基本的な思いはやっぱり、素晴らしい伝統文化なんだよ、と、地域外の方、特に海外の方にもその独特の文化で面白そうだなっていうのをちょっといただいてるんですね。これが日本人の心だよということを発信しているので、それが私の生きがいというか、本当に楽しんでいただければなと思ってます。
ナカザワ:ありがとうございます。
あとがき
またまた、地元の話題を担当いたしました。
私の出身地は篠田さんがいらっしゃる小千谷市の近くで、錦鯉と闘牛については近隣の文化として知っていました。
小千谷市と、同じように闘牛や錦鯉の文化のある旧山古志村は、2004年に発生した新潟県中越地震で大変大きな被害を受けた場所です。
山古志村についてはその後の平成の大合併で長岡市に合併し、文化圏が分裂し続けている地域でもあります。
先日、イベントでたまたま会った高校生に長岡出身だと言ったら、
「山古志村ってわかりますか?今NFTに力入れてるので気になってて」と。
闘牛と錦鯉、新潟県中越地震での被害を描いた映画、旧村長の故長島衆議院議員…
いろいろとコンテンツ力のある場所でしたが、今度はNFTというので驚きました。中越地震から19年、前に進み続ける地域として、これからも見つめていきたいと思います。
【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】
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